●要塞町の人々(2003.3.30)
今日TVで、アメリカに最近出現している要塞町についての特集がやっていた。
要塞町というのは、外壁を周囲にめぐらし、常時警備員を配置し、厳重なゲートで守られた町のことで、そこに住んでいる住人というのは、親の資産によるのではなく、一代で財をなした、いわゆるアメリカの熾烈な競争社会の勝者たちなのだ。町の中は、どの家も非常に大きく小奇麗で整然としていて、どの家も大きなプールがあり、外部からは遮断された環境の中で、美しい妻と、リッチで輝かしい栄光に包まれた暮らしをおくっている。
こういう要塞町が存在するのは、マンガの「課長 島耕作」で、島耕作がフィリピンに赴任したときに同じような要塞的コミュニティに入居する話が出てくるのを読んだりしていたことがあったので、アメリカにもそういうのが結構あることを断片的に知ってはいたが、別な意味での裏社会でもあり、いろいろ考えさせられるものがあった。
そこに住んでいる住民にとっては、要塞町での生活は、たぶん「快適」なのだろう。どう考えても、住環境は人がうらやむものだからだ。だが、身も心も削るほどの過酷な競争社会を生き抜き、生活を維持する代償はかなり重いように思う。
なにしろ、多くの人は過酷な競争社会の中にいるため、今の生活からいつどん底に叩き落されるかわからない。豊かな生活を維持するために、朝5時から出社して夜遅くまで働き、いつも株価や会社での業績を気にして、仕事中心の生活で家族とも十分なコミュニケーションもとることができない。ノイローゼになって離婚する人もいれば、かたや勝者になるために専属の個人コーチをつけて日夜特訓を続ける人がいたり。豊かな生活のためとはいえ、そこまでして要塞町にこだわる理由は何なのだろう。
俺は金持ちを否定しないし、お金があればそりゃ楽な暮らしをしたいと当然思ってしまう。批判する人も多いかもしれないが、俺は塀に囲まれた生活というのは、単純に治安の面からすると、それもありかなと思うのだ。
けれど、住環境と豊かな生活の代償として、精神を疲弊させ、普通の人が望むような心の落ち着いた快適な暮らしができないとすれば、はたしてそれは豊かな生活を送っていることになるんだろうか? 住民のほとんどが成金であるというが、彼らの本音としては、ただ元の貧乏な世界に帰りたくない一心なのだろう。優雅な生活をしたい、でもそれを維持するには働かなくてはいけない、常にビジネス社会において勝者であり続けなければならない…その行き着く先の世界を、彼らは予測できているんだろうか。要塞町の無機質なゲートが、なんだか同じアメリカの中にありながら一つの国境のように思えた。
そういえば、アメリカの雑誌で、死ぬほど働いて富を蓄え、35歳から40歳くらいで引退するのが理想と答えている人が結構いるという話が載っていた。60歳まで働き続けないといけないのなら、若いうちに一生懸命稼いで、引退後は悠々自適の生活を送りたいと考えているそうだ。確かに、そういう生き方もアリだろう。
ただ、番組の中で、実際に40歳で引退し、悠々自適なはずが、「自分は何のために生きているのだろう?」と考えてばかりいるような人が出てきていた。思うに、そういう人は、40歳で引退するのが目標になって、そのあとの普通の人よりはるかに長い「老後」をどう過ごすか考えていなくて、生きる目標を失っているんじゃないだろうか。
俺は、早い年齢でのリタイアもありだと思う。実際、「ファイナルファンタジー」でおなじみのスクウェアの創業者である宮本雅史氏は、33歳で引退し、趣味の釣りでのんびりした生活を送っているのだそうだ。(もっとも、引退と言うのは正確ではなく、何か事業を思いつくと突如ビジネスを立ち上げ、軌道に乗るとそれを誰かに任せてまた「引退」というのを繰り返しているそうだが)。どこかの証券会社の元敏腕ディーラーで、数億円を稼いで30代で引退し執筆業を細々としながら「隠遁」生活を送っているという日本人がいるという記事も読んだことがある。
同じリタイアするのでも、引退後の設計や過ごし方をきっちり思い描いている人なら、引退後は楽しい生活になるだろう。引退を考えるのであれば、それが正しい。けれど、富にこだわりすぎて、引退後の設計がおぼろげにしか組めていない人であれば、引退後は寂しい生活になるに違いない。老後をどう過ごすかというのが日本でも議論になっているが、それは60歳で引退しようが、30代で引退しようが、それは同じことだと思う。
つまるところ、要塞町に住む人たちの目標が、物質的な豊かさを追求しすぎであるところに問題があると言える。もちろん、番組の中でもあった、失業して収入基盤を失っても要塞町を出たがらない人がいるというのも、ある意味理解できるところだ。人間、富を得るよりも捨てるほうが難しいと思うからだ。たとえそれが、本人の破滅の入り口であったとしても。