Column

●お笑い芸人の苦労(2003.11.15)

 俺は最近はあんまりTVを見ていないので(TVが部屋とかになかったりするので)、どんなタレントとかお笑い芸人が活躍しているのか、断片的にしか知らない。しかし、外出先でTVを見る機会があるときは、大抵お笑い番組かバラエティを見てしまう。
 この間は、久々に吉本新喜劇を見てしまった。主役は間寛平で、「引きずり女」というキャラで舞台に出てきたときは、めちゃめちゃ爆笑してしまった。
 トロ〜ンとした口調で、「引きずり女でございますぅ〜」と言って長い髪にフライパンややかんなどを引きずりながら現れ、「引きずり女は福を呼ぶぅ〜」と言いながら舞台を歩き回っているだけなのだが、その強烈なキャラクターは見るだけで十分おもろい。この格好で紅白にも出ているからこりゃすごい。(^_^;)
 今ではすっかり人気者の間寛平だが、10数年前はどん底状態だった。活躍の中心だった吉本新喜劇から干され、東京に進出して再起を図ろうとしたが、ラジオ番組がたった1本だけ。もはやこれまでかというとき、同じ吉本で後輩の明石家さんまが「兄さん、どないしてまんの? よかったら俺の番組レギュラーで出ぇへんか?」と声をかけられ、関西ローカルの「明石家電視台」に出演。さらに、スパルタスロンというギリシャのマラソンレースに参加し、一躍東京でも注目を集め、仕事が舞い込んでくるようになった。

 このように、お笑い芸人というのは、とかく苦労がつきまとう。人気がなかなか出ずバカにされたり、人気が出てもすぐ仕事がなくなったり、人気にかこつけて騙しにかかったりする人が出てきたり、とにかく次々に不幸が襲う。しかし、こうした障害をしたたかに潜り抜け、乗り越えてこそ、売れっ子のお笑い芸人になれるのだろう。
 明石家さんまも、東京に進出した頃はなかなか大変だったようだ。例えば、東京の番組のあるプロデューサーに「明石家さんまです、よろしくお願いします」と挨拶に行ったら、「おぅ、いわしか!」と返事されたという。完全にバカにされていたのだろう。
 けれど、さんまが「オレたちひょうきん族」で、高田純次の代役でブラックデビルを演じたことがきっかけで売れっ子になってくると、途端に態度が変わって、「さんまちゃーん!!」と妙に馴れ馴れしく声をかけてくるようになったらしい。のちにそのプロデューサーから番組やらないかと声をかけられたりもしたが、さっさと断ったそうだ。やはり昔の冷遇な扱いを忘れていなかったに違いない。
 人気番組「さんまのまんま」が、関西ではゴールデンタイムで放送されているのに、首都圏では未だに深夜枠で放送されているのも、かつての東京での不遇な扱いに対する、さんまの意地のようなところがあるのかもしれない。

 お笑い芸人の裏話としては、元松竹梅の松みのる氏が書いている「松みのる弟子日記」が特に詳しい。今も活躍する有名タレントや芸人が話しの中でたくさん出てくるし、お笑い芸人の世界が実によくわかって参考になるだろう。
 松みのる氏は、Wヤングへの弟子入りから出発して、吉本興業とホリプロという東西の二大芸能プロダクションの両方で活躍した唯一のお笑い芸人である。この「弟子日記」では、凄まじい修行時代や、貧乏生活の話もたくさん出てくる。売れない頃にコンビで人気番組に出演したとき、その番組の看板の売れっ子芸人に頑張りや≠ニ励まされつつ、陰ではなんであんなやつら連れてくるんや≠ニいうような文句をスタッフに言っていた話など、苦労が絶えなかったようだ。現在は、お笑い芸人を育成するお笑い塾を開かれているらしい。正直、この「弟子日記」に出てくる苦労に比べたら、大抵の苦労は何てことない!と思える。

 とかく、お笑い芸人が売れっ子になる道のりは険しい。彼らはどこまで苦労に耐えるべきか。松みのる氏は、この「弟子日記」の中で、一生懸命頑張っていたらいつかは報われると述べておられるが、頑張り方にもよると思うし、やはり報われるにはセンスや才能が必要だろう。かと言って、ビートたけしが雑誌で言っていたみたいに、漫才師になるのは宿命だと言い切ってしまうと、お笑い芸人自体夢がない。
 お笑い芸人のトーナメント戦「M-1グランプリ」に関わっている島田紳助は、読売新聞で「漫才師は、自分が辞めると言わない限り、ずっと漫才師でいられる。このガチンコでやる大会で戦うことで、ぼくの愛情やけど、漫才を辞める期限を決めるきっかけになったらいい。漫才師をやりたかったらやるべきやし、この大会を目指したりすることで、何年かは夢中になれるから」と言っている。お笑い芸人の苦労が報われるヒントは、この言葉に凝縮されているように思う。