Column

●通学路(2003.11.26)

 俺は昔、小学校と中学校は家の近所だったので、走れば1〜2分少々で校門をくぐりぬけていた。小学校に行くほうの通学路は、平坦な道で、途中に小さな商店街があり、小走りに駆け抜けた記憶がある。中学校のほうの通学路は、バス道と住宅街に挟まれた坂の歩道だった。途中に信号があるけど、赤信号だが車が1台も通らないのに立ち止まっていた記憶がある。なぜなら、信号を超えてすぐのところに校門があるので、先生がにらみを利かせているときがあるからだ。1台も通らんのに止まってもしゃあないやん!と思いながら…

 通学路は、何年も同じ道を通い慣れていたから、鮮明に覚えている。通っているうちに、街の風景もずいぶん変わった。 
 小学校のときは、通学との途中の電柱に、成人映画のポスターが必ず貼ってあった。通っているとき、友達に「オイ、なんか脱いどるで!」と強引に指を指されてた。第一、ポスターの女がどれも結構オバちゃんっぽく見えていたし、その当時はあんまし欲情≠ニいうものにも縁がなかったから、正直おちょくりのために、誰かをつついてポスターを直視させようとしむけるくらいだった。そのうち、小学校を出るまでに、成人映画館がつぶれてしまったので、ポスター自体見なくなった。
 中学校のときは、通学路の側にディスカウントスーパーが出来たので、学校の帰りに、小遣いを持って買い物カゴ片手に買い物をよくしていた。学ランで学帽かぶって買い物カゴ…というのはどう考えても似合わん(笑)。しかも、買い物カゴの中身は、決まってクジ付きの棒アイス1本だけ(この棒アイスが、よく当たりが出たのだ)。スーパーの中を適当にうろちょろしてそれしか買わないのなら、カゴなんていらんやんか!と今さらながらに思うのだが…。そのスーパーも、中学を出るまでに消えてしまった(しばらくして、近所の別の場所で復活したけど)

 高校に入ると、通学路は自転車で通っていた。アップダウンの激しい道だったが、およそ8キロの道のりをわずか16分ほどで駆け抜けていた。比較的スピードの出やすいタイプの自転車に乗っていたとはいえ、今考えると物凄い早さである。今の体力では、絶対にそんなタイムで走れない。出そうとしたら、たぶん死ぬ(笑)。
 スピードを出すから、冬に氷の水溜りでこけるとか、ブレーキが利かずに車にぶつかったりとか、パンクをしたので自転車を押して思いっきり遅刻して学校に着いたりとか、高校の通学路ではひどい目にあった記憶ばかりある。高3のときは、年間で実に78回も遅刻をしている(あまりにひどかったので覚えているのだ)。それだけ、通学は気合が入っていた(どこがだっ!)

 大学になると、通学は「登山」だった。山の上にキャンパスがあったので、ふもとから上らないといけなかったのだ。通学路は林に囲まれ、ほとんど大自然状態である。
 その通学路に「タヌキに注意」という看板があった。何でも、キャンパスの周囲が、タヌキの貴重な生育地に指定されているかららしい。俺の母校の大学は「自然に優しい」がウリだったのだが、この看板を見るたびに、何がどう優しいのかわからなくなったんである。

 かように、通学路というのは、いろいろな記憶を呼び起こす。学校に通うことだけが目的の道で、思い出が形作られる。しかも、通学路をバカにすると、とんでもない目にあったりもする。
 ある知人は、中学校の壁一つ隔てたすぐ裏側に家があった。なので、校門で遅刻チェックをしている生活指導の先生の目を盗んで、壁を乗り越えてまんまと教室に滑り込んだり、密かに家に忘れモノを取りに帰ったりしていた。壁の向こう側は窓枠もない校舎の外壁に守られていたので、非常に見つかりにくく、周りの友達は、羨望のまなざしで彼を見ていたという。
 しかし、しばらくして、友達の羨望のまなざしというのが、実は彼の錯覚であるのを思い知らされた。あるとき、いつものように壁を乗り越えようとすると、壁の向こう側に教師が立っていた。
 「ごくろうさんやな」
 そう、教師を壁のところまで派遣≠オたチクリがいたのだ。彼と犬猿の仲だったらしいが詳しくは聞いていない。やはり、そうそう世の中うまくいかないものだ。「通学路を必ず通りなさい」という学校の教訓を思い知らされたのではないだろうか。(-_-;)