第2回ドイツ公演によせて・・・(1999年10月30日〜11月10日)

指揮者 井之脇美緒子

 ヨーロッパには歴史がある。整った町並みや美しい田園風景など人間の生活環境はかくありたいと思わせるものがある。このたび第2回目のドイツ公演を終えて、その報告をしたいと思う。
 ケルンにおける第一日目は”日本の歌”による小音楽会であった。50人あまりの市民が集い、温かい微笑に迎えられてスタートした。私は日本の”歌”を歌うということだけにとどまらず、”日本”を紹介したいと思った。私たち日本人はどのような歴史を担って今日に至ったのか、その歴史の過程でどんな歌が生まれてきたのかを紹介したいと思った。
 日本古謡の”さくらさくら”では、千年の昔から私たちが桜を愛し、毎年この花の咲く時期、みな打ちそろってつぼみのほころびを待ちわびていること、子供の歌”あんたがたどこさ””ずいずいずっころばし”では、子供の頃の思い出を、”そうらん節””会津磐梯山”では、日本の農民、漁民の暮らしを、”浜辺の歌””荒城の月”では260年の鎖国時代を経て新しい時代の到来、新しい文化に接し、それをたくましく取り入れていったことなどを曲の紹介とともに話した。
 10月31日、11月1日はブラームスの”ドイツレクイエム”の荘厳な教会での演奏会であった。教会は演奏者もさることながら、聴衆の熱気で満ちていた。両日ともリハーサル中から人が入り始め静かに聞き入っている。この国の人たちは何百年も前からこのようにしてきたのだろう。町にはまず教会を建て、それを囲むように家々が立ち並んでいったその頃と同じく、教会を生活の中心とする人たちの日常の暮らしが見えた思いがした。
 演奏が終わると万雷の拍手が鳴り止まず、その演奏とともに、演奏者をたたえる聴衆の温かさに胸の熱くなる思いがした。自分たちの音楽を財産として大切に思い、ともに歌った遠来の私たちを包み込むやさしさが心にしみた。教会や宮廷での音楽から、現在はオペラハウス、演奏会場へ移ってはいるが、教会の音楽は今も健在でありドイツ国民の精神形成の基となっていることを改めて感じさせられたのである。

最後に地元紙に掲載された演奏会の記事をご紹介させていただきたい。
<11月3日付ライニッシェポスト紙文化欄>
・・・コーラル・アーツ・ソサイアティ、ツォイクハウスでのマチネー:伝統と現代の遭遇・・・
 この週末はノイスでは日本に染まった感じがあった。ドイツの大都市での数多い日本の催し物に東京からのお客様がノイスでも参加することができた。日本の首都から来たコーラル・アーツ・ソサイアティはクヴィリヌス・ミュンスター教会でのブラームスのドイツレクイエムの公演参加のために滞在され、ミュンスター教会指揮者のヨアヒム・ノイガルトはこの機会をとらえてコンサートの前にコーラスマチネーを提供し日本の歌曲と出会うことを可能にした。
 コーラス団はマチネー開始の直前まで練習し予定時間よりやや遅れてとても興味ある音楽の時間が始まった。日本人の西洋音楽に対する熱中は一般に皆の知るところである。したがって井之脇美緒子指揮の下でコーラル・アーツとの遭遇は非常に興味あることで、このコーラスは数名の男性合唱者と多数の女性グループでの出演であった。
 プログラムは19世紀以降の日本のコーラス曲とヨーロッパ風の四声合唱曲がありピアノ伴奏はこのコーラスをもてなすヨアヒム・ノイガルトがおこなった。このコンサートは聴衆者を非常に興奮させ、日本人の優雅でしかも喜びに満ちた雰囲気の中で、いわばスケッチされた音楽への感激の根元へと導いた。
 日本が西洋へ門戸を開放しなければならなかった後は、西洋音楽の習得は古代日本音楽文化への犠牲と平行していった。歌われたすべての曲は伝統と現代、自分の文化とのアイデンティティーとの遭遇を表現していたが、近代と異端の創造的な習得という点では足らなかった。桜の花、浜辺の歌、古城にかかる月光といった日本風のテーマを主にした歌曲は西洋化された、いやむしろスラブ風ロマンティックな響きを持ったものであった。すなわち、沈鬱な叙情性を持ったものであった。井之脇美緒子とそのコーラスは歌の前の説明のおかげで、角淳弥の魅力的な通訳もあり瞑想にふける十分な動機を与えてくれた。
・・・ヨハネス・ブラームス作曲”ドイツレクイエム”独日合同合唱団のクヴィリヌスミュンスター教会演奏会・・・
 超満員のミュンスター教会で拍手歓喜!”悲しんでいるものは幸いである。彼らは慰められるであろう”天使の恵みのようなブラームスのドイツレクイエムの最後の合唱が響き、超満員の教会の期待に耳をそばだてる聴衆を魅了した。終曲後数分経た沈黙の後、指揮者、ソリスト、オーケストラ、そして大合唱団への拍手が嵐のように訪れた。教会指揮者のヨアヒム・ノイガルトは自分のミュンスター合唱団、アーヘンの聖グレゴリウス教会音楽学校室内合唱団及び、コーラル・アーツの三つの合唱団を均質的で正確でしかも柔軟性のある声楽体にまとめることに成功し、希望通りの合唱団を作った。合唱の響きはすべてのダイナミックな明暗を完全にバランスのとれたものにした。特にソプラノは最後まで高い音調でもバランスが崩れず、しかも金切り声にならなかったし、光のように力強いバリトンについてここで特記したい。


かつしか代表 山下広之

 ドイツは何年に一度の美しい紅葉が燃えていた。例年になく温暖で木々が紅葉に変わっていた。訪れたベルギーもウィーンも同様だった。1999年10月30日(金)朝10時47分、ルフトハンザ・ドイツ航空フランクフルト行きB747-400型ジャンボジェット機は成田空港を離陸、一路フランクフルトまで9500キロメートルの旅が始まった。コーラル・アーツ・ソサイアティの一行は40人であった。
 機はシベリアを横断して11時間の飛行の後、フランクフルト空港に到着、空港から高速道路を2時間半バスで走ってケルンに到着した。第二日目の朝、ケルンの大聖堂近くのホテルを出発してデュッセルドルフの近く、ノイス市の中心部にあるクア・ハウスに到着。ここで私たちは日本の歌による小音楽会を開いた。井之脇先生がドイツの聴衆にわかりやすい解説をしながら指揮し、「さくらさくら」「浜辺の歌」「あんたがたどこさ」「ずいずいずっころばし」「そうらん節」「会津磐梯山」「斉太郎節」など、最後に「荒城の月」を歌い、盛大な拍手のアンコールにこたえて「浜辺の歌」を歌った。
 第三日目夕方演奏会場であるケルンのバジリカ聖アポステルン教会で午後8時から満員のお客様を収容してブラームスのドイツレクイエムを演奏した。指揮はヨアヒム・ノイガルト氏、ソプラノ独唱サビーネ・シュナイダーさん、バリトン独唱小松英典氏、合唱はコーラル・アーツ・ソサイアティとノイス・ミュンスター合唱団、アーヘン聖グレゴリウス教会音楽学校室内合唱団、管弦楽はノイス室内管弦楽団であった。合唱団の宗教的な、迫力のある歌い方で私たちも楽な気分で楽しく歌えた。午後9時20分最後の音が鳴り終わると、会場は祈りの場のようにニ〜三分の間は咳ひとつない静寂が支配し、そしてその後に盛大な拍手が嵐のように会場に満ち、拍手の終わりがないように思えるまで続いた。
 第四日目の午後はケルン・ボン日本語教会の「世界の飢餓を救う」バザーに出かけた。懐かしい日本食コーナーでケルン国立歌劇場のソプラノ歌手尾畑真知子さんの手作りの「豚汁」「肉ダンゴ」「和菓子」などを楽しんだ。暮れのNHKの第九演奏会にはソプラノのソリストとしてNHKホールで、12月23日から四日間歌われる予定である。
 この日の夕方、ノイスの聖クヴィリノスミュンスター教会での演奏会に臨んだ。昨夜のケルンの聖アポステルン教会よりもやや大きめの広い教会であるが、リハーサルの段階から大勢の観客が詰めかけ、開演時間の午後8時には満員の盛況で、この中で昨夜以上の感動をもって歌った。
 第五日目は滞在したケルンの宿に別れを告げてボンの町に着いた。ここで1776年にベートーベンが生まれた。この生家が静かな町並みの中にベートーベン協会の手で博物館として保存されている。バスは紅葉の照り映える丘を越えて走り、ローレライの岩を眺めながらバッハラーの港からライン河の遊覧船に乗り、展望しながらワインを味わい、ひらめのフライとたっぷりの野菜サラダ、馬鈴薯の昼食を楽しんだ。乗客は我々一行の専用で、解説の放送も日本語というサービス振りだった。約2時間のクルーズを楽しんだ後、リューデスハイムの港で下船した。
 第六日目はベルギーの首都ブリュッセルを見学し、次にバスで紅葉の牧場の丘を越えて、1時間半でブリュージュに着いた。ここは天井のない博物館といわれているが、どこを向いても絵になる風景であった。
 第七日目の夜ウィーンに到着。市内のホイリゲ(居酒屋)で、アコーディオンの音楽に迎えられて、ウィンナワルツが次々に演奏される中で、ビールやワインを味わい、ウィーンの酒場の雰囲気を楽しんだ。ウィーンではまずベートーベンの「遺書の家」を訪れた。かつてベートーベンが住んでいた家で現在は博物館になっている。次にシュテファン大寺院の近くにある、モーツァルトが住んでフィガロの結婚を作曲したアパート、フィガロハウスを訪れた。部屋がいくつもあるアパートで、当時のモーツァルトの裕福な生活がしのばれた。次にウィーンの市立公園のヨハン・シュトラウスの像を見学、またベートーベンの像、ゲーテの像、モーツァルトの像も見ることができた。
 本合唱団のドイツ演奏はブレーメン国立芸術大学の永久教授、バリトン歌手の小松英典先生のお陰で、これを内外航空サービス(株)を中心に充実した演奏旅行にしてくださったものである。本合唱団ではまた将来、同様にドイツ演奏旅行が楽しめるので多数の参加を期待したい。
 十日間の旅行の後、帰りはルフトハンザ航空B747-400ジャンボジェット機で美しい紅葉のフランクフルトの町を後に、10時間42分の飛行の後、成田空港に無事帰着した。

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