2001/2/18(日) あっという間に過ぎた休日、神南山では北で飛んでいた!
今日は1日中飛ぶ間無し。
朝一番から打合せを終え、今度パラに一緒に行こうと約束している友人と会う。その訳は、何でも四国88ヵ所巡りをしたいというので、我が町宇和町の第43番札所、明石寺へ一緒に行き、お遍路さんの手ほどきをするためだった。納経帳と納札入れを購入、さっそくそこで初めてのお参りと納経をする。これから彼はスタートである。たまたま、和歌山からナナハンで回っているライダーお遍路さんと会う。この辺りの案内をしていると、友人も四国巡礼のポテンシャルが上がってきているようだった。
その後、友人がお参りに出発したのか、今日はそこだけで止めたのかはまだ不明であるが、僕は次のスケジュール、10時からの地鎮祭の段取りに掛かる。その後おなおらえがあり、朝から宿でご馳走になったが、12時から愛媛の電脳議員の会が内子町からりであったため、後ろ髪を引かれながらおいとまをする。内子町長も出席し、これから電脳議会「えひめe-議会」を作っていこうということになった。
神南山のパラは、ぶっ飛び模様。(自分がソアリングしているところを見てないだけかもしれない。)
帰ってからは、早速その仮設HPの作成に取りかかり、今日は知らぬ間に終わっていったのである。(>_<;
2001/2/11(日) 思えば10,11日は「黒田の日」でした
昨日、夕方の予想では強風だった。だから、飛べないのだなと思っていた。
自分の予定としては、消防団の出初め式があったため、1日中それに当てていた。例年、昼頃に一斉放水をして慰労会にはいるため、夕方までその飲み会が続くのだった。が、今年はそのお呼びが掛からず、昼食会でおしまいとなった。飛べないということなので、と思って栗原さんに電話をすると、なんと雲辺寺でトップランしたということだった。一緒に行ったのは、三好さん、高石さん、稲見さん、石岡さん。絶好調ということだ。
双海の様子が気になったので田中さんに電話。以外にも、B級生もバンバン飛んでいると言うことである。
「えぇ、今日は飛べないはずが。。。。。」と思ってはみたが、「これからでも間に合う!」そう思い直し、午後1時過ぎに家を出発した。双海に着いてみると、ランディングには初瀬さん、橋本さん、森さんが今から回収に上がると言うことだった。後は降りてくる気配もないし、森さん、橋本さんと3人で取りあえずTOへ上がることにした。
その途中で黒田君がテイクオフの東100m付近にツリーランしたらしい、ということを聞いた。
昨日も中学校当たりにアウトサイドしたということだったのに、今日もツリーランディングするとはさすが、黒田君だ、と何気なく思っていた。回収の状況がよくわからなかったので、どれ程大変だったかもその時知ることが出来なかったのだが、後で聞いてみると高い木が植林されているところだったようである。
TOに着いてみると、高橋さん、兵頭さんが新機体・NOVAのカーボンでテイクオフの準備中だった。既に、LDに向かっている機体も数機いた。風は、それまでTO前が乱れていたこともあったようであるが、大部落ち着いている様子。北北東の風、2mといった感じ。デジカメを橋本さんに渡し、テイクオフの準備を始める。「今日も遅く来たのに飛べる!ラッキー!」だった。
写真は橋本さん撮影によるため、自分の姿もこのページに登場!そして、アングルが違って新鮮な気がする。
いつも自分で取ると、同じような写真ばかりになって、なんかその日その日の雰囲気が違って出てこないのである。自分の飛びが見れるのも、タマには良い。
飛びの方は、兵頭さんとランデブー?で東の尾根1本でソアリング30分少々。渋いながらも遊べた。上がったり下がったりで、TO前へ行くと下がり、東で上げ直すというこれまでにはあまり無いパターンとなった。そのときは、そのすぐ近くで黒田君の回収が進んでいることなど知る由もなかった。TOレベル維持。
自分も何回も双海の回収に参加しているが、とにかく木がほとんど高いため大変だ。威勢良く現地にまでは行くのであるが、木に登れない私は下でサポートするしかない。しかし、少人数よりも元気が出るかという部分で参加しているようなものだ。今回も大勢の人が回収していたのだということを後で知った。
原因はというと、センタリングを躊躇して山に突っ込んだためという。初瀬さんが飛びながら見ていたのでは、すぅすぅと林に吸い込まれたようであったそうだ。さあ、この二日間をどれ程反省しているのか、今後の黒田君が楽しみだ。そして、今度は自分の番では?という不安が日増しに大きくなっていくのも、拭いきれない実感か?
バリオの高度を合わす
テイクオフ前の一番緊張するときです
テイクオフ直後
この時は既に概ね安定していました
TOの東の尾根でソアリング
兵頭さんと二人で飛ぶ
ツリー回収直後の黒田君
TO東側でみんなのお世話になったそうです
みんなでラインをライザーに繋ぐ
困ったとき、みんなで助け合うのがパラのいいところ
2001/2/10(土) やっと飛んだ、今年の初フライトin双海
今年に入ってからずっと飛べなかった。
天候も悪いが、仕事も大事。仕事柄、土日祝日には棟上げ、地鎮祭、打ち合わせなどのスケジュールが入ることが多い。何と言っても、それをさておいては生きていけないのだ。命の源である。そんなわけで、初飛びが今日となった。
といっても、今日は業務の日。土曜は休みではないのだ。朝から精力的にうち合わせなどをこなし、時間を作る。高木さんに携帯すると、「ばんばん飛んでる」ということなので、ここを外すとまた何時飛べるかわからない。そんな思いで、最終便に間に合うよう双海に向かった。
双海に着くと、当然みんないい思いをして、後は車の回収だけという状況だった。時間も遅くなっていた。回収隊を5名車に詰め込んで、ダメ元でテイクオフへ向かう。ひょっとしたら今日は車の回収のお手伝いをしに来たのかもしれない、そんな皮肉めいたことも思いながら車を走らせた。
テイクオフへ着くと、まだ、楠瀬さんが準備をしていた。おおっ、同じ時間に出る人がいるんだ、と一安心。すぐに準備を始める。最後なので落ち着いて準備し、立ち上げる。写真は久保さんに頼んだ。黒田君がアウトサイドとの情報を得ていたので、それだけは気を付けようと堅く心に決めて飛んだ。
テイクオフを出ると、すぐ上空に小川さん、宇都宮さん、赤穂さんが飛んでいた。なんか、自分だけ下の方を飛んでいる気がしたが、原因がわかった。サーマルが西の尾根筋にあったのだが、山際でなく、すこし前に発生していたのである。それをつかまえると後は、するすると1000mまで上げることが出来た。中心は西で、久しぶりのリバイバル・ソアリングとなった。+4m/s、1時間弱の夕暮れ?フライトだったが、初フライトには十分だった。
他には、明神山へ行き、3h。みんな満足のフライトとなった。
昼のニュースを家で見ていたら、ショッキングな事故の速報が飛び込んだ。宇和島水産高校の実習船がハワイで原子力潜水艦と衝突し沈没したというのである。まだ、情報が錯綜し何がどうなっているのかわからなかった。若い人たちが命をもしも落としていたら。。。などと考えると、命の大切さを感じ、パラでも命がかかっているということをよく考え、慎重にやっていかなければと変に感傷的になったのだった。
テイクオフ準備中
誰もいない中、最終にテイクオフの私西へ向かう
まだ諦める必要はなかった!!
フライト日記 バックナンバー
1997年のフライト (フライト日記 No.1〜No.13)
1998年前半のフライト(フライト日記 No.13〜No.20)
1998年後半のフライト(フライト日記 No.20〜No.28)
1999年前半のフライト(フライト日記 No.28〜No.37)