2001/4/29(日) 雨の中宇和町れんげ祭り、雨・雨・雨
晴れの雨では大違いなのに。
飛べないということが明らかなので諦めはついたのだけど、これでは折角の準備も水の泡と言った感じの今年のれんげ祭りでした。
この日、予定が7つ入っていて、どれもこれも中途半端で、朝会場へ行って準備と思う間もなく、交通安全の街頭指導、昼から2軒のお座敷を回り、知事に拝謁してまたあちこち回って飲んでいる内に、日曜日が終わったのでした。
連休は、4〜6日だけです。
2001/4/22,23(日、月) 滑床渓谷、森の国ホテルでe-議会合宿
パラへ行きたくても、何故かこの季節、日曜日にはとかくスケジュールが入ってくる。
この日曜日は、我が地区の敬老会であった。これまで2回、招待を受けていたのだが、先に入っていた予定を優先したりしたので顰蹙を買っていた。そこで、今年は行くぞ。。。ということで、400人のお年寄りの前で、長寿と発展を祈念して乾杯をした。これくらい集まれば、前にでると怖じけるものだということを知った。
その後、えひめe-議会合宿の場である、松野町・滑床渓谷へと向かった。
新緑の季節、天気は最高。飛べただろうなあと思いながらであった。
フェイスtoフェイスとは良く言ったもので、松野町長のレクチャーから始まり、今後の活動方針など意義深い時間と、美味しいフランス料理を楽しんだのでした。
2001/4/14〜16(土、日、月) 飛ばずに、はじめての香港へ
香港へ行くまでは、「香港なんて。。。」という気分だった。
やはり、百聞は一見に如かず、一度は見ておくべき都市と言えるということが良くわかった。
香港は好景気に沸いていた。新しい空港はほぼ完成しており、これまで聞いていたビルの谷間からの九龍空港への着陸は無かった。安心して飛行機もランディング。とても広い空港で、当然関空よりも遙かに広い。アジアのハブ空港と言えるだろう。旧空港の跡地の開発とか、超高層ビルの建設がラッシュであるという活気だった状況だった。香港は山に木が生えないほど、岩盤の地盤で、地震もなく、したがって今建設されているビルはほとんどすべてが30階以上だという。ペンシルビルも非常に多く、東南アジア特有の、窓から洗濯竿を突き出した風景が印象的だった。
また、狭い土地のせいでまっすぐな高速道路はほとんど無い。この日は復活祭の連休だそうで、街には渋滞というほど車は多くなかった。そのくせ、ベンツがやたら多い。フェーラーリなんかも走っている。どこでスピード出すんだ?と言う感じだ。
3日間の滞在で、勝手な香港についての結論を得た。
この大都会は、ビジネスの戦争の場だったのだ。金融・貿易・観光など人々は富を目指して戦士として働く。その結果、成功を意味するものが車なのだ。人々は車に自分の誇りをかけて投資する。住まいは1戸建てなど無い。すべてマンションである。それも風呂のない。よっぽどの金持ちでない限り、平屋には住めない。だから、人々は車(ベンツ)に乗って誇らしげに走るのである。
船をチャーターして、映画などでよく見る水上レストランJUMBOへ行った。帰りに後ろ側を回った。香港の夜景を象徴するこの豪華絢爛レストランの裏面は、昼間見ると廃船のスクラップのようであった。香港下町にて
町中には臭い豆腐を売っていて、その匂いで町中臭かった
2001/4/8(日) 泉が森へ集合するが飛べず、力石さんの店へ
週間天気予報は、曇り時々雨だった。しかし、2,3日前から晴れ時々曇りになった。
久しぶりに1日中、自由な日曜日、天候も好転したようだったので期待がふくらむ。昨夜、何度コスモスに電話してみても出ないので、よくよく予定表を見ると、三頭山ツアーだった。朝早くから徳島まで走るという案もあるが、一人ではちょっと。。。という気がする。先週も、88ヵ所を満願するために徳島を走り回っているし、今週は近場で飛びたいという思いだった。
泉が森なら飛べるかもしれない、そう思い二宮さんの携帯に入れてみる。丁度地区の奉仕作業とのことだったが、みんな十時半にランディング集合ということである。よし、行くぞと気合いを入れ、ほか弁とお茶を宇和町内で購入、歯長峠を抜けて三間町へ向かった。途中、42番札所仏木寺では、シーズン真っ最中とあって多くのお遍路さんがいた。途中、1.74で呼んでみると、力石さんから、ランディングの風が強いのでウエイティングをしている、ゆっくり来てくださいとの応答を得た。
ランディングに着くと、風は東からで吹き流しが水平になるほど吹いている。雲はないが、風向きが悪い。TOへ上る気になれない。力石さん、福島さん、大久保さんがいた。その後、ハングのレガシー・シルバーの人が来て、計5名。弁当を食べたり、久しぶりなので駄べったりしていると午後1時も回り、すじ雲が出てきた。風向きは相変わらず東で、息をするものの強い。さらに待つと黒い雲がやってきた。
そこらでもう、今日は止めようということになり、力石さん経営の「ハーフタイム」へ行ってみることにした。初めてである。宇和島市の四電ビル裏にあるということは聞いていたが、なかなか雰囲気のある喫茶店・食堂だった。中は、iMacやパラグライダー関連雑誌などがいっぱい。薪ストーブもあり、大洲で薪を集めていた力石さんの訳がよく理解できた。コーヒーを頂き、NOVAがコンペーチームを解散することを嘆きながら、3時前に解散した。
その後、宇和へ帰って、先週満願を果たした掛け軸を、43番明石寺へ持っていき、表装を頼んだ。出来上がるのは、2,3ヶ月先になるそうだ。
泉が森ランディング
朝の内は東風が強く、昼頃から雲が出始める
力石さんの店、ハーフタイムor力石食堂
ちょうど、宇和島市内四電ビルの裏にある
インターネットもあるカウンター席
手前の雑誌はパラワールド
2001/3/29〜31、4/1(日) 自民党中央政治大学院で岡山へ、31日は高松で法事・88ヵ所この日満願、1日は地区総会
3/29,30は、2日間に渡って、岡山国際ホテルで自民党の研修会があった。ここは、10年前頃家内の実家があったところのすぐ近くで、非常に懐かしい思いがした。
10時岡山集合で、車で行った。折角行くのだから、瀬戸大橋手前に8ヵ寺打ち残していたので、この際、午前7時弥谷寺到着目標。2時間で出来るだけ打とう、そう期待して家を午前4時半に出た。お遍路さんはえらいもので、石鎚PAによると、何台か白衣を来た人が乗っている車がある。まだ、薄暗いのに、いつもこんな感じで走っているのか、と感心した。
予定通り、午前7時に71番弥谷寺に着いた。もうすでに前回来たこと(19歳の時)を忘れてしまっていた。ここは思っていたほど簡単には打てなかった。いつも高速を走るときに見ているところであるが、本堂は本当の山の上で、かなり長い石段を登らなければならない。お遍路さんの中ではまだ、若手の自分でさえもフーフー言いながらお参りしたのだったが、お年寄りのお遍路さんはさぞかし大変なことだろう。ここには、いくら日照りになったも枯れないと言う水が岩場からしみでており、これが信仰の対象となっているようだった。
一番最初に着いたせいもあって、金の札を2枚見つけた。納経も一番かと思ったが、着いたらすぐ納経する団体の担当者がいて、その後となってしまった。しかし、この長い階段は、その後の予定を狂わせることとなった。その後は、山麓の72番曼陀羅寺、73番出釈迦寺、平地の74番甲山寺と順調に打ち、75番弘法大師生誕の地・善通寺へ行った。何度かこれまで来たことがあるが、さすがに広い。なんと、大勢の参拝者がいることか。圧巻された。
ここでは、先に納経をしておけば良かったものを、お参りしてからという鉄則を守ったものだから、何十人もの団体の納経を待つことになってしまった。時間が逼迫しているのにいらいらする。これでは8ヵ寺打てそうもない。リミットは午前9時なのだ。待ちに待って、自分一人分の納経を済ます。一人でたくさんする人は、ちょっと考えて欲しい。
時間もないので、76番金倉寺で最後にした。結局、2ヵ寺残してしまった。
翌30日、午後、研修会が終わった。昨日、打ち損じた78番道隆寺、77番道隆寺と瀬戸大橋を降りて逆打ちした。これで、香川県は満願。残すところ徳島県の恩山寺、立江寺、藤井寺、焼山寺の4ヵ寺である。香川・徳島あたりは、近いものだという地理的思いこみもあったが、その時4ヵ寺とも打てそうな気がした。徳島までの新しい高速も昨日開通したことだし、それを通れば早いことと思いながら、18番恩山寺へ向かった。しかし、その後19番立江寺へ到着してみると4時半近くになってしまった。時間がかかるものだ。後は、かすかな望みをもって、12番焼山寺へ向かった。ひょっとしたら、少々遅れても納経をしてもらえるかもしれない。そんな淡い思いだった。
徳島の道は、宇和の道とは違ってまだまだ狭く、九十九折りで、思った以上に時間がかかる。結局、5時半頃寺に着き、呼び鈴を押したのだが、子供さんが出てきて、納経を担当するものが帰ったので、明日7時頃からやっているので、また来て欲しいと言うのだった。それはないよ、とも思ったが、これは遅く来た自分が悪い。山の上のお寺からとぼとぼ一人で高松へ帰った。
帰りには薄暗くなり、カーナビが使えなかったので、山の中の同じ所をぐるぐる回ったのか、大変道中苦労した。山越えをし、塩江を通り、三木を通り、牟礼の家内の実家へ着いたのは、午後8時半だった。
31日は、義父の13回忌の法事。10時からだったが、朝それまでに焼山寺へ行って帰るということは明らかに不可能というものだった。そこで、法事のすべてが終わってから、残す11番藤井寺、12番焼山寺を打つことにした。また、出るのが遅かったのか、藤井寺が遠かったのか、午後4時過ぎに藤井寺について、納経の方から、焼山寺は間に合わないかもしれない、と言われた。が、もう後一つだけなので、何としても打ちたいと思い、山の中をひた走った。
二人の子供はありがた迷惑そうで、帰ってからの焼き肉しか楽しみは無いようだった。途中、やはり、先を急ぐ夫婦のお遍路さんの車と一緒になった。やっぱり焼山寺は難所だ。そんな思いが通じたのだ、その旦那とは、焼山寺で別れるとき手を振って分かれた。最後となった12番焼山寺は、5時に5分前くらいにつき、最後の軸に納経して貰った。感無量。昨日も拝んだ大師堂を今日も拝み、第2回目の四国88ヵ所参りは結願となったのだ。
4/1、11時から地区の集会があり、市町村合併など町政報告をした。みなさん、40名ほどが真剣に私の話を聞いていただいた。その後懇親会。ここには、88ヵ所ファンの方が大勢いて、昨日の結願の話に花が咲いた。満願の12番焼山寺
第2回目の打ち終わりは、家族で徳島の焼山寺へ行った
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1997年のフライト (フライト日記 No.1〜No.13)
1998年前半のフライト(フライト日記 No.13〜No.20)
1998年後半のフライト(フライト日記 No.20〜No.28)
1999年前半のフライト(フライト日記 No.28〜No.37)