テロ事件について
2週間たって少し落ち着いてラジオニュース以外を聞く気になってきたので、今なりに考えていることを少し書く。
オックスフォード留学と何か関係あるかといえば、あえて言えば、僕の中東政治に対する見方はオックスフォードで形成された、ということ。とりたてて突っ込んで勉強したわけじゃないけど、特に今でも印象に残っているのは、Avi Shlaim, Carl Brown, James Piscatori, Malcolm Yappといった面々。アメリカ中心とは違う国際政治の見方の特色が顕著に現れるその一つの事例が、英米中東外交比較だと思う(特にShlaimの議論はこの観点からは面白い)。
今回の事件に遭遇して思い起こすのは、一つは、「中東をめぐる国際政治は、各国が中東地域独自の政治紛争に外部の大国を巻き込み、自分達の政治的目的の達成のために大国とalignする」という底流が第一次大戦前後から一貫してある、というBrownの議論と、それと関係するけど、「米国の対中東関与は、世界政治を(各地域独自の力学ではなく)大国間の抗争の場としてとらえ、アメリカの世界戦略の実現がレトリック上も実質上も最優先する、という発想の政権が介入すると不安定化する」というShlaimの議論。(詳細はすべて忘れてしまったけど、確かこんな感じの話がポイントだったと思う。)
つまり、こういう歴史上の観測から言えることを今回の件にもあてはめると、タリバーンの意図していることは、アメリカと分明間の戦争をしかけようということではなくて、中東というローカルな局面における政治的目標を達成することにある、ということだ。アメリカの反応は、この戦略に引き込まれた時点で、敵をビンラディンと言うかイスラム教と言うかという峻別をする努力をいくらしてみたところで、既にタリバン側の思うつぼにはまっている、ということになる。タリバンにとってのローカルな政治目的というのは、僕は専門家じゃないから分からないけど、中東地域における保守(親英米)勢力の排除、という点が基本。具体例の一つは、クウェート、サウジ、ジョルダン、エジプトの現政権を転覆して、地域の英米軍事プレゼンスを排除すること。さらには、イスラエルを脅かすということも視野のどこかには当然入っている。でも、それ以上のことは多分、ない。タリバンが分明間の戦争を仕掛けているわけではない、ということは、CIAと結託することも厭わなかった、という徹底したリアリズムに現れている。
簡単に言うと、タリバンの戦略は、
アメリカを怒らせる→
アメリカが反撃に出る→
難民がさらに増える、経済が打撃を受ける、等など→
イスラムが結束するようプレイアップする→
保守系イスラム国家に国内から圧力がかかる→
政権が転覆される→
アラブ地域の政治地図を塗り替え、石油を手中に収め、憂さ晴らしができる
…というようなことではないか。
テロに対する聖戦も「限りない正義」もいいけど、まずはこの相手の発想を理解することが大事だ。その上で、打つべき手は何か、落ち着いて考える。倫理的な逆上をしてみても生産的じゃないし、「世論」と外交は峻別すべきだ、とりあえず。
しかし、今回の事件への対応で「難しい」のは、初めから「二枚舌外交」の余地がないほどに白昼堂々の大量殺戮がなされた、ということだ。これではビンラディンと裏で結託してディールを結ぼうとするのは100%無理だ。そういう意味では、敵は、逆上すると柔軟性に欠けるという民主主義の原理をよく知り尽くしていて、コーランだけを読んでいる狂信者では到底ない。いずれにせよ、攻撃を受けた側にとっては、戦略を冷静に考え…なんて言う前に、とにかく巡航ミサイルをぶっ放せ、というこれまた狂信的な反撃をするよう圧力がものすごく強まるわけだ。
大切なことは、だから、当たり前だけど、
(1)「文明間の戦争」にしない、
(2)中東周辺地域の政治・経済をできるだけ不安定化させない、
ということだ。具体的には、大規模な空爆よりは秘密工作をやる、周辺国に人道援助をする、といったこと。この他に、当然、
(3)テロを撲滅する
と言えるような目に見える成果を、出来るだけ早く、出すこと(国内対策という意味も含め)。これが実は一番難しい。
日本の場合はさらに国内対策として
(4)アメリカとの同盟関係を保つ
ということを目に見えるように示すことも外交的には大切。
ざらに国内対策上は、テロ事件の経済的打撃が国内政治に波及して、国内圧力がどんどん高まることも考慮する必要がある。
日本の場合にはさらに
(5)在外の邦人の安全確保・テロ対策を十分講じる
という国家として当然取り組むべき課題に急ピッチで取り組む必要がある(危機管理マニュアルの整備、特殊部隊の設立?、自衛隊の活用?等)
CNNによる情報統制がなされている今日、パレスチナ難民の惨状も、かつてCIAがビンラディンに何を支援したのかも、まったく国民の目に入らない。アメリカが普遍の倫理を有史以来かつ未来永劫体現するとは僕は決して思わない。大事なことは、大きな旗を振りかざす前に、地域のローカルな実状と、その地域の歴史と文化と即物的な利益関係をよく「理解」することであって、自分の頭で整理した善・悪の体系を当てはめることではない。力のある島国が陥りがちな落とし穴がこれだ。
確かに、テロ事件は「民主主義社会に対する挑戦」以外の何者でもない。しかしここで僕が言いたいのは、民主主義社会が突きつけられている最も難しい課題というのは、いかにして、効果的なテロへの反撃を冷静に、しかも民主的に、講じることができるか、という点にある。テロに応戦して国民の命の犠牲を強いるという究極の政治決断を行うときに、文明間の戦争を回避したいのであれば、いかにして冷静に、熱い想いを呼び覚ます国家神話なり宗教理念なりをinvokeせずにいられるか?これは、実は人間の歴史上一度も試された事がない「挑戦」かも知れない。
翻って考えると、「民主主義が平和をもたらす」、というクリントン政権時代のお題目(国際関係論ジャーゴンでいう”Democratic Peace theory”)は、やはり、実は「平和が民主主義をもたらした」という現実の経験上の因果関係を見誤ったものではないか、と僕は疑っている。その基盤となっている平和がぐらついたとき、民主主義というのは実は危うい。
では平和を可能にするものは何か。それは、この戦争が始まった原因をよく洗い出すことによって、初めて見えてくる。これからいやしくも国際政治に関わり一国の平和・世界の平和(今の日本ではこの両者を区別することは最早不可能)を論じようとする人は、まずは戦争がなぜ始まるかということをよく勉強する必要がある。実は、ここ最近の56年間、戦争は世界各地で起こっていたし、今回の戦争の種もとっくに百年くらい前から撒かれていたし、そういう環境に現実におかれながら必死に平和を模索してきた人々の努力も脈々と続いていた。そういうこともまた、平和ボケした島国を飛び出して初めて気づくと思う(イギリス留学を考えている人にはまずMichael HowardのLessons of Historyか最近のInvention of Peaceを読むよう薦める。オックスフォードを考えているなら必須!)。
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今回のテロ事件は、決して「世界の終わりの始まり」ではない。日本がやがて安保理の常任理事国になり、自国の繁栄と世界の安全が不可分であるという当然のことを真剣に自覚するようになるとき、日本の舵取りと世界の運命を担うのは、望むと望まざるとを問わず、僕らの世代だ。自分の無知を知り世界の広さを知り、その歴史の重みを体全体に受けて、やがて訪れるその責任を担うための足腰を鍛えるのは今だ。自分の生きざまと世界の在り方とが不可分であり、自分の生活する社会がどうなろうと構わないと逃げることが許されないということを知らされた今、あの事件から(今のところ)生き延びた僕らには、その使命に応え、命懸けで学び、真剣に生きる義務がある。
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