第8回(H14.4.10)
    第1次大戦と飛行機(承前)


     後半部はくそ長いぞ覚悟しや。

     最初に組織されたドイツ帝国陸軍の飛行隊はFA(Flieger Abteilungフリーガー・アプタイルンク)と云った。「飛行機乗りまたは飛行機の部隊」である。戦闘部隊でも爆撃隊でもない。最初から任務や種類によって区別があったわけではないのである。そもそも飛行機部隊の最初の、そして最後まで重要な任務は、偵察・観測だったのだ。
     次に編成されたのはFA(A)、Flieger Abteilung (Artillerie)フリーガー・アプタイルンク・アルティレリーである。直訳すれば「飛行機部隊(砲兵科)」であるそれは、塹壕戦に象徴される1次大戦の陸戦において極めて重要な攻撃兵科であった、砲兵に協力するための部隊である。今と違って電子的な観測力を持たない当時、弾着を修正するには測距儀を使って前線塹壕から着弾を確認するしか手段はなかったが、飛行機に無線を積むことで直接、着弾点上空からこれを観測、指示を出すことが可能となった。いわゆる「着弾観測」を主任務とする部隊が、FA(A)なのである。こうして両陣営が飛行機の重要性を認知し、戦場に投入する機会が増えるにつれて、当然ながら空中で接触する機会も増大した。
     1914年10月5日、この記憶されるべき日に航空史上最初の撃墜戦果が記録された。それ以前から空戦はたびたび発生していたが、この日フランスのヴォアザン複座機が、アヴィアティック複座機を撃墜せしめたのである。動力飛行機の誕生から11年、ついに空も戦場となったのだ。とはいえ、空中戦はまだまだ原始的な、それこそ白兵戦の世界だった。初期にはピストルやライフルで攻撃したこともあり、ときには煉瓦や礫を投げ合う有様だったのだ。銃器を持ち込むにしても、誰もが当たり前のように思っている前方射撃ができなかった。それは機銃を設置できる場所が胴体線上にしかなく、そこにはプロペラという邪魔者があった。複座機の場合は観測士が銃手でもあったから、後方回転銃座に設置すればよかったが、単座機の場合は振り返って撃つわけには行かない。進行方向へ射撃するのが極めて一般的で狙いやすいのは判っていたから、斜め前に取り付けるのはその場しのぎでしかなかった。そこで連合国では二つの解決策を編み出した。主翼面上に設置してプロペラの回転圏外から射撃する方法と、プロペラ自体を前からなくす――機体の後ろに持っていく、つまり推進式にしてしまう手である。推進式の飛行機は明らかに運動性能で牽引式に劣ったが、かといって主翼上の機銃は、はじめのうちは立ち上がって射撃しなければならず、機動しながら命中させるのはもとより技術のいることだった。そんな不十分な装備ではあったが、依然として観測と爆撃を主任務としていた同盟国飛行隊はなすすべもなく、被害だけが増えていった。
     かくて1915年の夏、フォッカー・アインデッカーが投入される。この、大して性能的に優れていたわけでもない単葉機によって連合国飛行隊が一方的に叩きのめされ、「フォッカーの懲罰」Fokker Scourgeだの「フォッカーの秣」Fokker Fodderだのと自嘲的な言葉が囁かれた理由は、単にこの単座機がプロペラ回転圏を通して前方射撃ができる点に尽きた。味方複座機の任務遂行を邪魔する機体を排除し、また敵の任務を妨害するためにこれらの単座機は最初FAに付属するサポート部隊であったが、「空戦の父」と呼ばれるオズワルド・ベルケによってより効率的な運用を期するため、1916年の始めに単座機のみによる編成が開始された。これがKEK、すなわちKampfeinsitzer Kommandoカンプフアインジッツァー・コマンドーと云われるものだ。直訳すれば「戦闘単座機部隊」である。また、KEKと同様の部隊にKampfstaffelカンプフシュタッフェル(Kastaカーシュタ)と呼ばれる部隊も編成され、こちらは「戦闘中隊」と訳される。今日では、KastaまたはKG(kampfgeschwaderカンプフゲシュヴァーダー)は「爆撃中隊」「爆撃航空団」と訳されるが、Kampfの本義は「戦闘」であり、爆撃だけが「戦闘」ではない。
     とまれフォッカー単葉機の登場と嚇々たる戦果に慌てふためいた連合国は、急遽対抗馬を案出、翌16年にはニューポール単座機やエアコD.H.2が投入されて制空権を取り戻すことに成功する。ここに制空を主任務とする飛行機、「戦闘機」という概念が発生定着したが、英語ではいまだFighterではなく、Scout「偵察機」と云われた。これは空域から敵性飛行機を探し出し、これを撃滅する任務において正しい呼称であろう。ニューポール・スカウトというのはつまり、ニューポール戦闘機というのとほぼ同義なのである。このスカウトに対し、ふつう云われる偵察・観測の意味での飛行機(ほとんどが複座機)はReconnaissance planeルコネッサンス・プレーンと呼ばれた。さらにより一般には、複座機Two-seaterと云うだけで意味は通じたのである(同様に単座機Single-seaterと云えばそれは戦闘機を意味した)。
     大空の「懲罰」が自らに向けられるようになった1916年もだいぶ過ぎた頃、こんどは「あほうどり」の鋭いくちばしによって制空権を再び手に入れたドイツ陸軍航空隊では、複座機を援護するためにKEK並びにKastaをより専門的な部隊に再編する必要を感じていた。こうしてフォッカー・アインデッカーの投入から1年後の8月10日、今日もドイツ空軍用語として生き残る言葉とその対象が誕生する。「駆逐戦闘中隊」と訳されるJagdstaffelヤークトシュタッフェルである(現代では単に「戦闘中隊」)。この言葉はいわゆる「戦闘機」部隊の任務を端的かつ正確に表している。Jagdとは「狩猟」、すなわち敵機を狩ることが目的なのだ。そもそも「戦闘機」英語ならFighterという言葉は語義上極めて曖昧でいい加減なものだ。先にも書いたように爆撃も威力偵察も「戦闘」には違いあるまい。この点、ドイツ語で「戦闘機」を指すJagdfliegerヤークトフリーガー(狩猟する飛行機。戦闘機乗りのことを指す場合もある)は的確な単語と云える。
     オズワルド・ベルケによって提唱され、組織されたヤーシュタであったが、依然としてその運用は中隊ごとに行われていた。一時的に(たとえば地上攻勢を支援するため)複数の中隊を一括して運用する、Jagdgruppeヤークトグルッペ「駆逐戦闘団」が編成されることもあったが、恒常的な組織としては1917年6月26日、Jast4,6,10,11の4個中隊をもって第1駆逐戦闘集団Jagdgeschwaderヤークトゲシュヴァーダー(JG。Geschwaderはもともと騎兵中隊を意味する単語であり、先のStaffelは梯隊。)が、マンフレート・フォン・リヒトホーフェンを指揮官に戴いて編成されたのを、その嚆矢とする。通称Richthofen(Flying)Circusリヒトホーフェン(フライング)サーカスと呼ばれるJG1は、常に前線の枢要な地点に投入されて制空戦闘を実施し、特定の地域に常駐したわけではないため「サーカス」の異名を授かったわけだが、また彼らの機体が色とりどりに塗りたくられて派手派手しかったことからも、その名はあまりに的確であった。また、これとほぼ時を同じくして、KG「戦闘集団」のうち爆撃を主任務とする部隊(Kagohlカゴールの愛称で呼ばれた)は、BG(Bombengeschwaderボンベンゲシュヴァーダー、字義通りの「爆撃集団」)に改編された。このほかにKest(Kampfeinsitzer Staffelカンプフアインジッツァー・シュタッフェル)というのがあって、これは本土防衛を主体とする単座戦闘機中隊のことである。なお、FEA(Flieger Ersatz Abteilungフリーガー・エアザッツ・アプタイルンク「飛行補充部隊」)と呼ばれる小規模の部隊が以前から存在したが、これは文字通り元来予備隊的な編成であり、パイロットの訓練養成も行う半実戦的な部隊でもあった。後世の教導航空団みたいなものである。
     イギリスやフランスではここまで面倒なことはしなかった。彼らは元来「騎兵中隊」を意味するSquadronスコードロン、Escadrilleエスカドリーユを、そのはじめから任務の別なく編成用語に流用した。のちにより大きな組織としてWing(飛行隊、飛行団) やGC(Groupe de Combatグループ・ド・コンバのちにGroupe de Chasseグループ・ド・シャス。飛行大隊)が組織されている。フランスのGCは戦闘機大隊のことで、直訳すると「戦闘団」「狩猟団」であるから、この点ドイツに似ていなくもない。イタリアも事情は一緒で、やはり騎兵中隊の意味を持つSquadrigliaスクァドリーリャ「飛行中隊」を基本単位として運用している。
     ドイツよりもこと細かく分類呼称したのは、開戦時40機に満たない軍用機しか保持していなかったオーストリア・ハンガリー帝国である。飛行中隊に相当するFlik(Fliegerkompanieフリーガーコンパニー)をもって基本単位としたことは各国と同様だが、それぞれ師団付・軍団付偵察、駆逐戦闘、爆撃、写真偵察、遠距離偵察、近接支援に振り分けられて運用されている。
     最後にロシア帝国陸軍航空隊だが、基本単位「飛行中隊」はОтрядアトリャードで「部隊」というそのまんまの単語。戦闘機部隊の上位単位「駆逐飛行団」はИстребителный Дивизионイストリビーチルヌイ・ディビジオーンと云い、字義は「駆逐または撲滅する部隊」である。大変判りやすい。

     兵科としての最上位単位を示す言葉である「空軍」は、1918年4月の英国王立空軍Royal Air Force(RAF)をもって誕生した。その前身である2つの組織、英陸軍飛行隊RFC(Royal Flying Corps)は「王立の空飛ぶ部隊」なわけだし、海軍航空隊RNAS(Royal Navy Air Service)は「帝国海軍空中任務隊」というくらいの意味だ。ちなみにグリーンベレーと並んで特殊部隊の代名詞ともいえるSASは、Special Air Serviceといって、第二次大戦中の北アフリカに発足した。主な任務は敵地後方飛行場の襲撃で、砂漠の奥を時には100キロ以上も敵地に進入して、すっかり安心しきっている飛行場に火を付けて回る特殊攻撃部隊である。このようにServiceサービスという単語には、通常の形式を外れた特別な業務の意味合いがあることを確認しておくと何かと便利なはずだ。だからRNASも、正規の海軍兵からはちょっと異質な存在として見られていたと云えるだろう。この流れを受けたわけではないが、旧日本陸軍では飛行機乗りのことを「空中勤務者」と云った(今でもそう云うらしい)。本来陸軍兵の勤務地は陸上であるのが当然であるという思想である。この点、海軍は「搭乗者」と云ったからまだましだ。ところでまったくの蛇足だが、複葉機好事家にとって「アール・エー・エフ」という発音は、王立飛行機工廠R.A.F.(Royal Air Factory)を想起させるので注意されたい。ってゆうか注意する機会もないけど。
     イギリス以外の大陸各国では、海軍の航空兵力を陸軍並みに拡充組織運用することはなかったようだ。もちろんだからといって空軍に相当する組織があったわけではなく、たとえばドイツでは飛行機を陸軍及び海軍双方に供給される兵器としての観点から、飛行機査閲部(航空監査部Idfliegイドフリーク)として機材を統括していたに過ぎない。ドイツ帝国航空隊はLuftstreitkraefteルフトシュトライトクレフテ(字義通り「航空戦力」)と呼称されるが、運用の元締めはあくまで陸海で個別である。フランスではAviation Militaireアビアシオン・ミリテール「陸軍航空部隊」、イタリアはCAM(Corpo Aeronautico Militareコルポ・アエロナウティコ・ミリターレ)でやはり「陸軍航空軍団」だ。オーストリア・ハンガリー帝国でもKaiserliche und Koenigliche Luftfahretruppeカイザーリッヒェ・ウント・ケーニヒリッヒェ・ルフトファーレトルッペとくそ長いが、要は「帝立並王立航空部隊」程度のもので、運用組織はやはり陸海で別個になる。ちなみに帝立並王立となっているのは、同国がオーストリア帝国とハンガリー王国の二重帝国だからである。

     なんとなくだらだら書いてきたらここまで長くなってしまった。なんだかよくわからなくなってきてしまったが、飛行機の誕生から20年弱、リリエンタールのグライダーにエンジンを積んだだけのようなエトリッヒ・タウベから数えれば僅か5年余りの急激な発展によって、各国とも文字通り試行錯誤しながら飛行機を軍事兵器の体裁に整えてきたのだと云うことである。ここまでまじめに読んできた人、おつかれさま。

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