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悲劇:『オルレアンの少女(をとめ)』 ( フリードリッヒ・フォン・シラー著,藤沢古雪訳、富山房,明治36) 第五幕 |
タイトル オルレアンの少女 : 悲劇 著者 シルレル/藤沢古雪訳 出版社 富山房 出版年月日 明治36年12月第 五幕 (一)深 林 の場 (二)仏 軍 陣 営 の場 (三)英 軍 哨 楼 の場 (四)ヨハンナ最後 の場 炭焼者 「ハテ 深林 の体 。よきところ、炭焼 き小屋 。舞台は真暗黒 に、烈 しき雷鳴 、電光 、それに交 りて、折 り折 り発砲 の音。聞 えることよろしくある。此処 に炭焼 き夫婦、立 ちかゝり居 る。この見得 よろしく。恐 しい暴風雨 ぢやなア。天 は稲妻物凄 く、日中 と言 へど、深 の暗黒 。これでは星 も見 えさうなわ。イヤ、又 、風奴 が暴 れ廻 るは、暴 れ廻 るは。コリヤもう、頓 と地獄 から、悪魔奴 が解放 されて、飛び出して狂 ひ廻 るやうぢやわい。この確乎 とした大地 さへ、ふるひおのゝき、年 を経 た、あの楡 の木 も、びうびう呻 いて、オヽ、頭 を曲 げて居 るわい。アッア、常 は野山 に荒 れ狂 ふ、野獣 さへもひつそりと、洞穴 に匿 れて居 る程 な、この暴風雨 も人間の、血腥 い争 ひは、鎮 めることは出来 ぬかい。かう暴風雨 の吹 く中 にも、あれあのやうに大砲 の音 は、絶 えず聞 える。この様子 では、敵 も余程 近 づき居 つたやうぢや。この森一重 で、やうやうと、敵 と距 てゝ居 るものゝ、何時 なんどき、敵 と味方 が入 り乱 れ、乱 ちき騒 ぎを、見 やうも知 れぬわい。」 妻 「神様 、どうぞ、私達 を、御護 り被下 れませ。ついこのぢう、敵 は皆 打 ち敗 られ。ちりぢり、ばらばらになつて了 うたに、又 もや、我等 を苦 しめに、何 でやつて来 やつたか。」 炭焼者 「いつぞや、ライムで、あの少女 を、魔法使 ひにしてのけてからは、敵 は王様 を、少 しも恐 れぬ故 。又 、悪魔 は、味方 をば、少 しも助 けて呉 れぬ故 。何 かのことが、以前 とは、がらり変 つて裏表 、詮方 なくも、この有様 。」 妻 「誰 やら、これへ来 る様子 。ハテ、誰 ぢや知 らぬ。」レイモン 「 向 うより、前幕 の農夫 レイモン、ヨハンナの手 を引 き、人目 を忍 び出 で来 る。幸 なる、あれなる小屋 。あの中 で、恐 しい、暴風雨 を凌 ぐと、仕舞 せうわい。其方 は最早 、我慢 もなるまい。この三日 三夜 の程 は、人目 を忍 んでの逍遥 ひづめ。飢 をしのぐものと云 ふては、唯 もう木 の根 、艸 の根 ばつかり。定 めし、きついことであろ。サア、這入 りや。この小屋 に住 んで居 るは、皆親切 な人達 ばかりぢや。」 このうち、暴風雨 やうやう静 まり、空中次第 にあかるくなる。 炭焼者 「見 れば、いかう疲 れて居 らるゝ様子 。心置 なく、休息 されたが、やう御座 る。むさい小屋 では御座 れども、出来 る程 のことは、何 なりと致 しませう程 に、御心安 う思 はつしやれ。」 妻 「ほんに御優 しい女子 の身 で、甲冑 を着 して御出 でのは、何 となされたので御座 ります。女子 とは云 へ、この頃 は、物 の具 に身 を堅 めねばならぬほど、テモ、物騒千万 な、辛気 な世 では、あるわいなア。人 の噂 に、依 りますれば、御胴慾 のイサボオ様 、自 ら鎧 を御着 し遊 ばし、合戦 の中 へ立 ち交 つて、御居 でとやら。それに又 、あの羊牧 の賤 しい少女 が、王様 の軍勢 を指揮 して、居 りましたとやら、…………。」 炭焼者 「ハテ其方 は、何 を饒舌 つて居 やる。早 う、小屋 へ行 つて、この娘御 に御飲 せ申 す、清涼剤 など、取 って来 たがよいわ。」と、これにて、 レイモン 「なう妻 は小屋の中へ這入 る。レイモン、ヨハンナに向ひ、何処 の里 にも、情 けは住 む。こんな荒 れたる曠野 にさへ、優 しい人 はある程 に、心 を楽 しう、持 つたがよい。矢 を射 るやうな、暴風雨 さへ、今 は怒 りの翼 を収 め、あれ見 やれ、平和 に輝 く太陽 の、日晷 もやうやう傾 き染 めたわい。」 炭焼者 「かうして鎧 に身 を堅 め、旅 をなされるところを見 れば、王様方 の軍勢 を、捜 されるのかと思 ひまする。シタガ、よう御気 を御附 けなされませ。此地 の森 から、遠 からず、英国方 の軍勢 が、陣屋 をかまへ、あちこちと、森 を逍遥 うて居 りますぞや。」 レイモン 「コリヤ、どうして脱走 たらよい事 か。」 炭焼者 「其 の心配 、御無用 になされませ。おッつけ、忰奴 が、市 から帰 つて、参 り次第 、間道 づたひに貴方 方 を、御案内 致 させましよ。何 も御気遣 ひなさることはありませぬ。私共 は、よう間道 を存知 して、居 りまする。」レイモン、ヨハンナに レイモン 「向 ひ、兜 も、鎧 も、ぬいだがよい。今 は身体 を保護 ぬのみか。反 つて、敵 に覚 らるゝ、種 となるで、あらうぞい。」と 炭焼者 「言 へど、ヨハンナ頭 を振 る。少女 子 には、酷 く御悲 しさうな御様子 。アモシ、誰 やら、これへ参 りまする。」妻 「 向 うより、炭焼者 の忰 、帰 り来 る。それと同時 に、妻 は茶碗 を手 にして、小屋より出 で来 る。其方 は忰 、最前 から帰 るを待 つて居 たぞや。」妻 「サ、めしあがつて 妻 はヨハンナに向 ひ、被下 れ。神様 、娘御 が上 を護 らせ給 へ。」と神に祈りて、茶碗を渡す。 炭焼者 「オヽ、戻 つて来 やつたか。忰 、様子 は何 とであつたぞい。」子供は、ヨハンナが、今や茶碗を口に 子供 「おつかア。附 けやうとする様 を、凝乎 と視 て居 る。やがて、心の中 に、それと認 めし様子 にて、つかつかと前 へ進み出 で、ヨハンナの手より、茶碗をひつたくり。御前 、誰 に御馳走 して居 るのだ。アリヤ、オルレアンの魔法使 ひだア。」 炭焼者及び妻 「ナニ魔法使 ひ?神様我等 を御 護 り被下 れ。」と ヨハンナ 「あれ十字 を画 き、三人共 に、けし飛 ぶやうに、逃 げ出 し乍 ら這入 る。ヨハンナ静 にかつ優 しく、御覧 なされませ。妾 は、呪 ひめに、附 き纏 はれて居 りまする。世間 の人は悉 く、皆逃 げさるに、貴方 もどうぞ、妾 にかまはず、御逃 げなされて、御身 の安全 、御計 りなされて、被下 りませ。」 レイモン 「もし、さうしたら、今 から後 、誰 が此方 の、伴 れとならう。」 ヨハンナ 「妾 は伴 れはいりませぬ。妾 が上 には、雷鳴 が、烈 しく鳴 つたを、貴方 にも親 しく御聞 きなされました。私 の運命 は、私 を案内致 しませう。かまへて、御心配遊 ばすな。求 めずとても自 ら、其 の目的 に達 しませう。」 レイモン 「シテ是 れからは、何処 を指 して、落 ちのびやうと、思 はしやる。此処 には其方 に残酷な、 怨 みの仕返 しせうものと、敵 の勢 は立 ちはだかり、又彼処 には、其方 をば、追放 したる味方 の者 が、立 ちさまよふて居 やるぞや。」 ヨハンナ 「天 の定 めの其 の外 は、如何 なる事 も起 こりませぬ。」 レイモン 「誰 がこなたに食 を与 へ、野獣 の保護 を仕舞 せうぞ。殊更 、御身 を荒 くれし、民 の手 より護 るべき。誰 が御身 を病 より、又 悲 しみより慰 めやう。」 ヨハンナ 「妾 は木 の根 、艸 の根 を、よう心得 て居 りまする。それといふのも、其 の昔 、自 らが牧 ひ馴 らしたる子羊 から、毒 あるものと、毒なきと、身体 に滋養 あるものとを、見分 るすべを、習 ひし故 。御空 の星 の、移 りゆき。雲 のゆききも、胸 の中 によう合点 して居 りますれば、途 に迷 はんこともなく、小笹隠 れの小川 さへ、その水音 によく知 れば、渇 することも、御 座 りますまい。自然 は豊 に、生活 の、材料 を世 に供 すれば、人 は生 くるに、事欠 きませぬ。」レイモン、ヨハンナが手を レイモン 「執 り、其方 の内心 に顧 みて、おのれが罪 を後悔 し、再 び神 の御胸 に、帰 らうとばし、思 はぬか。」 ヨハンナ 「スリヤ貴方 までが自 らを、罪 あるもの、となされまするか。」 レイモン 「さう思 はねばならぬのは、其方 があの折 りの沈黙 は、とりもなほさず白状故 。」 ヨハンナ 「なべての世界 が、妾 を捨 て、不幸 に沈 める時 にさへ、猶 ほ自 らが傍 にて、真心 示 めし被下 るゝ、唯一人 のそなさんまでが、妾 を以 て神慮 を拒 む、堕落者 ぢやと、なされまするか。」と ヨハンナ 「アツ、言 うても、レイモン黙 して居 る故 。耐 へ方無 き、…………。」とじつと、 レイモン 「スリヤ、思 ひ入 れ。レイモン驚き、真実 に、此方様 は魔法使 ぢや、ないかいやい。」 ヨハンナ 「ナニ、魔法使 とは、…………。」 レイモン 「すべて、これまでの霊験 は、真実 、神 の力 により、成 されしもので、あつたのか。」 ヨハンナ 「神様 ならで、何物 に、あのやうなこと、出来 ませうぞ。」 レイモン 「あの恐 しい、冤 の科 に、此方 を問 はうとされたとき、なんで黙言 つてお居 やつた。今 こそ、其方 は話 しやるが、君 の御前 にあつた時 、唯一言云 うたなら、すつぱり疑 ひ霽 れやうもの。なんで黙言 つて、居 やつたぞ。」 ヨハンナ 「妾 が為 めの主人 なる、神 の定 めの運命 に、静 に従 ひ居 りました。」 レイモン 「此方 が父 へも、唯 の一言 、何 の返事 もせなんだが。」 ヨハンナ 「父 が口 より出 でたれど、そのまゝ神 の御思召 。又 其 の折 りの譴責 も、父 が慈愛 にさもあること。」 レイモン 「天自 ら、其方 の罪 を証明 ずや。」 ヨハンナ 「イエ、天 は話 させ給 ひし故 、妾 は、黙 して居 りました。」 レイモン 「唯一言 の言 の葉 にて、其 の疑 ひは霽 れしもの。かゝる、不幸 の誤謬 に、身 を埋 れ木 にせにやならぬか。」 ヨハンナ 「そは誤謬 では御座 りませぬ。天 の御諚 で御座 りまする。」 レイモン 「その辱 しめを事 も無 う、忍 び耐 へて、唯一度 、なげきの声 さへ出 さぬに、俺 は驚 き、口 をあんぐり、ぼんやり しては、居 つたものゝ、心 の底 には、マ、どのやうに、苦 しんで居 たと、思 やるぞ。其方 が詞 を真実 と、今聞 くわしが嬉 しさや。それにひきかへ、其方 をば罰 あるやうに信 ぜにやならぬ、其 の折 りの俺 が心 の中 の悲 しさ、どうしてこんな恐 ろしい、運命 を人 がこらへられう、夢 さら思 ひつかなんだわい。」 ヨハンナ 「実 や、神 の御思召 が、妾 を尊 びなされずは、卑 しい賤 の女 ヨハンナは、天 の降 せし使者 たる、価値 があるで、御座 りませうか。妾 は貴方 が考 ふる程 、不幸 なるものでは、御座 りませぬ。胸 の中 には、欠乏 を、感 じては居 りますものゝ、それが妾 の不幸 と申 すでも、ありませぬ。妾 は今 は流浪人 。したが、これなる曠野 にて、やうやう、「自己 」を悟 りました。見 るに眩 き名誉 の光 り、妾 が傍 を打 ち廻 り、又 、世 の人 が猜 まんほど、価値 あるやう見 えしとき、妾 が為 めには、悽凉 なる、苦痛 の時 に御座 りました。――――今 は心 も再 び癒 え、貴方 を嚇 す暴風雨 さへ、妾 が友 に御座 りまする。その暴風雨 は世 の中 を、清 めますると、諸共 に、妾 が胸 をも、浄 めまする。今 こそおぼゆる、内部 の平和 、――――来 らんものは、来 れよかし。妾 は最早 弱 からぬ、者 と悟 つて、御座 りまする。」 レイモン 「サ、急 いで行 くとせう。此方 が無邪気 も、世 の人 に、やがては知 らるゝ、時 も来 やう。」 ヨハンナ 「この煩悩 を送 りし者 が、この煩悩 を、解 いて呉 れるで御座 りませう。妾 を咎 め追放 せし、その人々がおのづから、過失 を悔 い、妾 が運 に、涙 を潅 いで、呉 れる日 も、やがては来 るで、御座 りませう。」 レイモン 「さういふ折 りの来 る日 まで、黙 つて待 つと、仕 やうわい。」ヨハンナ ヨハンナ 「優 しく、レイモンの手を取り、貴方 の御覧 なされるは、いづれも、皆 表面 ばかり。現世 の帳 に、蔽 はれて御座 ります。シタガ、妾 は、眼 に見 えぬものさへ、よつく、見解 まする。神 の裁可 を得 ずしては、唯 髪 の毛 の一筋 とて、滅多 にぬけは、致 しませぬ。ああれ御覧 なされませ。日 ははや西 に傾 けど、又新 しい朝 の光 りは、必ず廻 り返 り来 る。まつその如 く、真理 の日 も、やがては来 るで、御座 りませう。」この時、 イサボオ 「女皇 イサボオ、兵士を引き連れ、後 の方 より顕 はれ来 る。我 が陣中 へ、行 くべき道 は此方 よな。」 レイモン 「ソリヤコソ、敵 ぢや。」イサボオ 「 兵士 進行 しつゝヨハンナを認 め、恐 れてたじろく、何故 あつて、進 まぬぞ。」 兵士 「神様 、御守護 被下 れませ。」 イサボオ 「サテハ、悪魔 を認 めしか。コリヤ何 とかせし。エヽ、いづれも。臆病未練 な、汝等 は兵士 ならずや。」とイサボオ、 イサボオ 「ヤツ、これは…………。」前方 に進 み、ヨハンナを認 めしさまにて、やはり後退 りする。と驚き、 イサボオ 「直 ちに気 を取 り直 して、ヨハンナに近 づく。手向 ひしやんな。其方 は捕虜 となつたるぞ。」 ヨハンナ 「仰 せまでも候 はず、…………。」これにて、レイモン イサボオ 「ソレ驚 き、一散 に逃出 す、イサボオ兵士 に向 ひ、女奴 に、鎖 をかけよ。」兵士、 イサボオ 「アヽ、これこそは、怖 る怖 る、ヨハンナに近 づく。ヨハンナ、腕 を拡 げて縛 に就 く。武夫 を、羊 の群 れを駆 る如 く、追 ひまくしたる強者 よな。今 は力 もはや尽 きて、おのれを守 ることさえ得 為 ぬか。詐 り易 き愚者 が眼 に、さまさまの不思議 を見 せたるに、今 はた真 の人 に逢 ひ、其 の通力 を失 へるか。」とヨハンナに イサボオ 「向 ひ、何故 あつて其 の方 は、かの陣中 を立 ち去 りしぞ。仔細 ぞあらん。様子 は如何 に。」 ヨハンナ 「妾 は、追放 されて、御座 ります。」イサボオ 「スリヤ、 女皇 イサボオ驚 き、後退 りし。何 と言 やる。其方 は、追放 せられしとか。あの仏蘭西 の、皇子 が為 めに。」 ヨハンナ 「もう問 うて、被下 れまするな。妾 は女皇 が手中 のもの。イザ存分 に遊 ばしませ。」 イサボオ 「汝 が追放 せられしは、彼 を破滅 に救 ひし為 めか。ライムの市 にて、王冠 を、彼 が額 に置 きたる為 めか。或 は仏蘭西 の国君 と、彼 を為 したるためなるか。追放 せしとは、…………其 の行 ひの中 にこそ、彼 の彼たる所以 は、見 ゆれ。○イヤ、この女奴 を、営所 へ引 きつれ、皆 の者 に見 せしめよ。真 に此奴 は、魔法使 か。その魔術 とは、其方達 が、疑惑或 は、臆病 ぞや。実 にこの女 こそは、王 の為 めに生命 をさゝげ。其 の報酬 とて苦痛 をば、刈 り入 れたりしうつけもの。○リオネルがもとへ引 つ立 てゆけ。妾 もすぐさま、あとより行 かん。」 ヨハンナ 「ナニリオネル殿 が陣所 へとや。其 の陣所 へと送 らぬさき、いつそ殺 して、被下 れませ。」イサボオ 「みづからが 女皇 イサボオ、兵士に向 ひ。命 ぜし如 く、すぐさま此奴 を召 し連 れよ。」 ヨハンナ 「なう、英吉利 国 の人々 よ。みづからが逃 れんこと必 ず気遣 ひし給 ふな。サ、仇討 ち給 へ。剱 の鞘 をうちはらひ、妾 が胸 を刺 し給 へ。妾 が玉 の緒 絶 えんばかり、踏 んで踏 んで、踏 みにじり、積 る怨 みをはらされよ。○露 あはれみの心 なく、汝 が勢 を殺害 し、血潮 の急流 ながせしはかく言 ふ妾 に候 ぞや。汝等 の子供等 が、家 に還 らん望 みをば、奪 ひ取 りしも妾 なり。今 こそ思 ふ存分 に、日頃 の仇 をかへせよかし。イザ、殺 しや。今 は袋 の鼠 ならずや。常 は妾 はかくばかり、弱 きものにはあらぬぞよ。」 兵士ノ指揮官 「女皇 が命 に従 ふべし。」 ヨハンナ 「さては、妾 は是 よりも、かなしき憂 き目 に、逢 ふことか。エヽ御情無 い、聖母 様 。聞 えませぬ。あんまり、酷 う御座 りまする。今は全く御恵 みから、妾 を御 見棄 遊 ばされしか。エヽ、神 も天使 も照覧 なきか。天 の門 は閉 されて、奇蹟 ははやも、現 はれぬかいなう。」と、ヨハンナしほしほ、と 兵士 の跡 に従 ひゆく。是 れにて後景変 る。大僧正 「イヤナニ、ヅノア 仏軍陣営 の体 。爰 に、大僧正 とヅシヤッテルの両人 、伯爵ヅノアを宥 め居 る。殿 。まづ怒 をば収 められよ。御身 が武勇に勝 れたる、腕 を要 する危急 の秋 に、由 なき一時 の怒 りの為 め、必 ず味方 を棄 て給 ふな。」 ヅノア 「今 となつて何故 に、かくは身共 を強 ひ給 ふぞ。そもや、敵 の軍勢 が、再 びさかんに盛 りかへせしは、何 の為 めにて御座 るぞや。実 や狡兎 尽 きて、良狗煮 らるゝ世 のためし。仏蘭西 国 は勝利 を得 。戦 はやうやう終 りをば、告 ぐるに至 れば、其 の許 には、救 の主 なるかの少女 を、悪魔使 と追放 されたり。今 より後 は、其 のもと自 ら、唯 よきやうに護 らせよ。かの少女 子 も止 まらねば、身共 も是 れより、戦 の事 、あづかり知 らぬで、御座 らうわい。」 ヅシヤッテル 「イヤ、ヅノア殿 、よつく御熟考被下 れい。唯 一旦 の怒りにまかせ、我等 を見棄 て給 ふなよ。」 ヅノア 「御黙言 り召 され、ヅシヤッテル。我 が憎 きは、御辺 なり。御辺 が言葉 は聞 く耳持 たず。真魁 けて少女 子 が、正 しき心 を疑 ひしは、しかいふ御辺 に候 はずや。」 大僧正 「イヤ、あのやうな恐 ろしい、多 くの兆 のありし日 は、誰 れが慄 かずに居 られうぞ。誰 が其 の証拠 の、是非 を隲 る事 が出来 ませう、シタガ、心 の鎮 るにつれ、物 の道理 も判然 し、少女 が日常 の起居動作 、考 へ見 るに、僅 なる怪 しい事 は御座 らねば、是 と云 うて着 せるべき、罪 は少 しも有 りませぬ。其 れ故 、我等 は悪事 をせしと、後悔 の念 に、心 の中 は、かき乱 されて居 りまする。陛下 をはじめ、フィリツプ殿 、ラヒィル殿 にも、いかう悔 んで、居 られまする。」 ヅノア 「サ、少女 は怪 しき者 で御座 るか。実 に天上 の「真実 」が、仮 りに、現世 に姿 を仮 らば、少女 が様 こそ然 るべし。清浄無垢 なる汚 れぬ心 、信仰乃至 、無邪気 など云 ふもの、仮 りに地上 に住 はんなら、かの少女 子 が唇 か、さらずは清 き眼 の底 に、住家 を求 めずば、なりますまい。」 大僧正 「あゝ、全能 なる御神 よ。何卒 、奇蹟 を降 しまして、この恐 ろしい、疑惑 の上 に、光 りを与 へさせ給 へ。この疑 のある為 めに、凡夫 の心 に、今度 の事 、批判 にいとう苦 しみまする。よしや又 、其 の疑 ひ、假令 、解 けしと致 さむも、我等 は地獄 の武器 により、味方 を救 ひなしたる科 か、或 は神 の送 らせたる、尊 き人 を追放 して、この不幸 なる地 の上 に、天 の怒 りを招 きしか、二 つの罪 の其 の中 に、一 つを犯 して居 りまする。」こゝへ 貴族 「一貴族 出 で来 り、ヅノアに向 ひ、未 だ年若 き羊牧者 の、頻 りに貴方 を御尋 ね申 し、御目通 り致 したき由 、申 し居 りまする。彼 れの申 す所 によれば、かの少女 の処 より、参 りしと、申 すことに御座 りまする。」 ヅノア 「ナニ少女 が元 より来 りしとか、苦 しう御座 らぬ。これへ、御 案内被下 れい。」貴族、 ヅノア 「戸 をひらき、レイモンを内 へ案内 する。ヅノア急 ぎ、彼 に向 ひ。少女 は何処 に、ヨハンナは何処 に居 やるぞ。」 レイモン 「皇子 様 、はじめ、僧正様 。其 の他 の御方様 に、御目通 りの愜 ひましたる段 、有難 き義 に存 じまする。」 ヅノア 「少女 は何処 に、居 やるぞ。」 大僧正 「告 げよ、我 らに話 してくりや。」 レイモン 「モシ皆様 、ヨハンナは決 して、魔法使者 ぢや御座 りませぬ。神様掛 けて誓 ひまする、皆様方 は過失 に眼 が暗 んで御座 りまする。貴方々 は、神様 の使者 をば追 ひ出 されました、無邪気 なものを御追放遊 ばされました。」 ヅノア 「少女 は何処 に居 やるぞい。」 レイモン 「私 は彼女 と諸共 に、アルデンヌの森 の方 へ逃 げのびましたところ、彼女 はよう私 に、心 の底 を打 ち開 けて、呉 れました。モシ、ヨハンナが罪 あるもので、悪事 を犯 して居 つたものなら、私奴 は苦 しみ死 を、致 して居 ります。私 が永久 の幸福 も、亦希望 も、もはや終 りに、御座 りますわい。」 ヅノア 「御空 に輝 く太陽 とて、彼女 より浄 きことあらじ。彼女 は何処 に、居 やるぞ。サ、早 う話 して聞 しや。」 レイモン 「神様 が、貴方様方 の、心 を変 じて被下 れたなら、急 いで、ヨハンナを御救 ひ被下 れませ。英国方 の陣中 に、ヨハンナは捕虜 となつて、居 りまする。」 ヅノア 「ナニ捕虜 となりしと、言 やるか。」 大僧正 「サテモ不幸 な。」 レイモン 「あの森 を逍遥 うて、隠場所求 めて居 ります折 りから、計 らず出逢 ふた、イサボオ様 。ヨハンナを引 つ立 つて、英国方 の陣中 へめし連 れられて、御座 ります。是 れまで度々貴方々 を御救 ひ申 せし、あのヨハンナ、何卒 無慈悲 な敵方 より、御救 ひなされて、被下 れませ。」 ヅノア 「イデ物 の具 の用意 せよ。太鼓 を打 て、出陣 しや。仏蘭西 人は悉 く、皆物 の具 をよろほへや。今 は、王位 も、守護神 も、共 に危急 に迫 れるぞ。我等 が名誉 は、質入 れされしぞ。イザ、熱血 と、生命 とを賭 け、今日 をすごさぬその中 に、少女 が命 を、救 はにやならぬ。」とこれにて、 すべて皆々這入 る。後景 、変 ず。、英軍哨楼 頂上 の体 。ヨハンナ縛 められ、其 の傍 に リオネルひかへ居 る。此所 へ、騎士 ハストルフ急 ぎ出 で来 る。 ハストルフ 「民 の怒 りは、烈 しくて、少女 を殺 せと、逼 り来 り、其所元達 が反対 も、いつかな以 つて、益立 たず。この上 はどうあつても、女奴 が命 を絶 ち、この狭間 より、其 の首 を、擲 げ与 へずばなりますまい。兵士 も、彼女 が血 を見 れば、満足 するで、御座 りませう。」イサボオ 「 女皇 イサボオ入 り来 る。梯子 を以 て、はやのぼり始 めて候 ぞ。はやく民 をば鎮 められよ。滅多 無性 に荒 れ狂 ふ、人民共 が砦 を壊 し、我等 が生命 を取 らんまで、待 つて居 られん所存 なるか。どうあつても、この女 、生 して置 くこと、愜 ひませぬ。はやく打 ち殺 しめさるべし。」 リオネル 「ハテ、狂 ふなら、狂 はして御置 きなされ。此 の城塞 は堅固 にて、いつかな崩 れ申 さうや。万一 さること候 はんか、我 は自 らその下 に、身 を埋 むるで御座 らうわい。喃 、ヨハンナ、身共 が心 に従 へや。返事 は何 と、さすれば我 は、世間 にそむき、武器 もて、其方 を護 るべし。」 ヨハンナ 「汝 は真 の男 なるか。」 リオネル 「今 、危急 の際 に臨 み、其方 が友 ば、其方 を見棄 て、恩義 をわすれて救 はぬに、このそれがしは、民 にそむき、味方 にそむきて、其方 が為 め、勇将 たらんと思 へるぞ。いつぞや、其方 は身共 をば、いとしきものと云 はざりしか。而 も、其 の折 りは戦場 にて、我 は其方 が敵 なりしが、今 はそれがし一人 の外 、其方 は友 を持 たぬぞや。」 ヨハンナ 「イヤトヨ、汝 は仏軍 が敵 にして、又 、妾 が為 めの仇敵 なり。我等 が間 は友誼 もなければ、又 、妾 は汝 をば愛 せんことも、愜 ひ申 さぬ。よし又汝 は妾 に対 し、「愛 」の情 を抱 くならば、我等 が民 に、幸福 を齎 すべし、――――汝 が方 の、軍隊 を、我 が仏蘭西 の界 より、遠 くあなたへ導 かれい。捕虜 となりたる総 ての市 に、皆 、其 の鍵 を返 されい。分捕物 を償還 し、人質 残 らず解放 せられい。我 が国君 の御名 により、妾 は平和 を命 じまするぞ。」 イサボオ 「ヤア、捕虜 の分際 として、我等 に命令与 へんとや。」 ヨハンナ 「其 の事 、屹度 、行 はれよ。遅滞 はるゝは、無益 なり。我 が仏蘭西 は、如何 にして、英国軍 が残酷 なる、軛 の下 に、耐 へて居 やうや。今 より後 、仏国 は、英国方 の軍勢 が、大 なる墳墓 となるであらうぞ。汝 が方 に聞 えたる、武勇 の将 も、今 ははや、かひなき最後 を遂 げたるに、いかで汝 も、このまゝに、生 きて故郷 へ帰 り得 んや。汝 が名誉 は、葬 られ。汝 が力 は失 はれんぞ。」 イサボオ 「この女奴 が無礼 の暴言 、其方 は、よつく、耐 へんな。」司令官 「 司令官入 り来 る、方々 、急 ぎ出陣 の用意 めされ。仏蘭西国 の軍勢 は、旗指物 を押 し立 つて、これなる道路 を、雲霞 の如 く、攻 め登 つて、参 りまする。谷 の中 には、彼等 の物 の具 、輝 き渡 つて候 ぞ。」ヨハンナ ヨハンナ 「勇 み立 ち、我 が仏蘭西 の軍勢 が、この道路 をば、攻 め来 しとか。傲慢無礼 の英国人 。はやはや戦場 へ急 げやい。さてこそ、汝等 は、勇 を鼓 して、戦 はねばならぬぞよ。」 ハストルフ 「其 の嬉 びは、ぬか嬉 び。日暮 れぬさきに、其方 が生命 消 えて仕舞 うで、あらうぞい。」 ヨハンナ 「妾 が友 は、勝利 を得 。妾 は遂 に、死 ぬるべし。勇気 に充 ちたる、味方 の諸将 は、最早 妾 が助 けを要 せず。」 リオネル 「嗤 ふに耐 へたる敵方 の、臆病未練 の、あの軍勢 。この雄々 しかる少女 子 が、彼等 に力 を戮 せぬとき、二十有余 の戦場 にて、きたなくも敵 に後 を見 せたるな。其 の唯一人 の少女 をのぞき、其 の余 のものは悉 く、我 は物 の数 ともせじ。然 るに、愚 や彼 の勢 は、其 の一人 を追放 せり。――――イザ、ハストルフ。是 よりすぐさま、出陣 し。かのクレキや、ポワチエーの、その二の舞 を致 さし呉 れん。又 、イサボオ様 には、この所 に留 りて、合戦終 りをつげんまで、少女 の見張 り、被下 れい。其 の守護 として、五十人 、騎士 を残 して、置 きまする。」 ハストルフ 「女 を爰 に残 し置 き、進軍 せんと云 はるゝか。」 ヨハンナ 「足械 はませし女一人 を、さまで、恐 れめさるゝか。」 リオネル 「コリヤ、ヨハンナ逃走 せずと誓文 せい。」 ヨハンナ 「イヤ其 の逃走 こそ、妾 が願 ひ。」 イサボオ 「三重 なる鎖 に束縛 せよ。妾 は屹度 生命 をかけ、女 が守護 な致 すべし。」これにて、ヨハンナを リオネル 「かく厳 しく縛 る。リオネル、ヨハンナに向 ひ、束縛 なすといふも、皆 、其方 が胸 にあること。仏蘭西 方 に裏切 りて、英国軍 の旗 をになはゞ、御身 はすぐさま許 されて、汝 が血 を見 んと立 ち騒 ぐ、かのむくつけき男 の子 等 まで、汝 が命 に従 はむ。」 ハストルフ 「イザ、一刻 もはやう、出陣 せん。」 ヨハンナ 「如何 に、口 が横 にさけたればとて、少 しく詞 を慎 しまれよ。はや仏軍 は近附 けるぞ。とく防御 の用意 せずや。」はるかに、 ハストルフ 「イサボオ様。喇叭 の音聞 ゆ。之 れにて、リオネル急 ぎ這入 る。貴方様 には、よつく覚悟 を御存 じ有 る筈 。万一 、運命我等 に反 き、味方 の敗北 することあらば、…………。」イサボオ イサボオ 「剣 を抜 きて、其 の気遣 ひには、及 ばぬこと。我等 が没落 せんことを、なんの永 らへ、見 て居 やうや。」ハストルフ、ヨハンナに ハストルフ 「向 ひ、汝 が運命 は知 りつらん。今 は汝 が軍 の為 め、神 に冥福祈 るべし。」とハストルフ ヨハンナ 「オヽかねかね這入 る。思 ひ設 けし如 く、如何 なる力 も妾 をば、妨 ぐることは愜 ひはせぬ。あれあの物音 を聞 や、我 が軍隊 の進軍曲 よ。あの得意 なる音調 は、如何 に胸 をばなみうたすぞ。英国方 は打 ち敗 れ、仏蘭西 方 に勝利 あれ。立 て、勇 ましき我 が国人 。少女 は近 く控 えしぞ。このヨハンナは、昨日 の如 く、旗 を荷 ひて汝等 が、先 に立 つこと愜 はねど、其 の身 は厳 しく縛 められ、鎖 に繋 がれあるなれど、この魂 はおのがまゝ、戦 の場 に天 がけるぞや。」イサボオ、兵士に イサボオ 「あの向 ひ、望楼 に馳 せ登 り、戦 のさまを、逐一 、告 げよ。」兵士 ヨハンナ 「登 りゆき、遥 に戦場 を見下 し居 る。確乎 せよ、味方 の勢 。これぞ最後 の決戦 ぞや。今一度 勝利 を得 よ。敵 のやつばら、打 ちすゑよ。」 イサボオ 「戦 さのさまは、何 となるぞ。」 兵士 「参候 。はや接戦 の真最中 。虎 の毛皮 を蔽 ひたる駿馬 に跨 り、怒 り狂 へる勇士 一人 、憲兵隊 の先頭 に、指揮 を取 りて候 ぞ。」 ヨハンナ 「それこそ正 しく、伯爵ヅノア。あら勇 しき武夫 や。何処 といはず、行 く処 に、勝利 は必 ず従 はん。」 兵士 「ブルグンド公爵には、橋 を防 れて候 ぞ。」 イサボオ 「エヽ忌々 しき裏切者 。槍 の穂先 を数十列 ね、二股武士 が胸板 を、貫 き破 つて、仕舞 ひたいわい。」 兵士 「ハストルフ殿 には、花々 しく彼 を防 いで居 られまする。敵 も味方 も入 り乱 れ、互 に戦 ふ一騎 打 ち。」 イサボオ 「仏蘭西 国 の皇子 は見 えずや。王 の旌旗 は飜 へらずや。」 兵士 「塵煙 天 に漲 りて、何物 も見 え分 かず。」 イサボオ 「妾 が眼 を兵士 が持 てるか。また妾自 ら其所 に登 らば、如何 なる小 さき点 と言 へど、いつかな見落 すことあらじ。大空高 く翔 り行 く、野鳥 の数 もかぞふべく、雲井 遥 に舞 ひのぼる、隼 さへも、見 らるべし。」 兵士 「あれなる濠 のほとりにて、烈 しき騒動候 ぞ。正 しく大将等 の、闘 ふとこそ思 はれて候 。」 イサボオ 「味方 の旗 は飜 らずや。」 兵士 「いとも得意 げに飜 へれり。」 ヨハンナ 「その城壁 の狭間 より、眺 むることを得 たらんには、戦 が上 を護 りうべきに、…………。」 兵士 「ヤヽ、コリヤ何 と、味方 の大将 、敵 に囲 まれて御座 りまする。」これにて、イサボオ、ヨハンナに イサボオ 「剣 をつきつけ、魔法使 め、観念 しや。」兵士 「オヽ 兵士 、又 口早 に、囲 みは解 かれて候 ぞ。武勇勝 れしハストルフ殿 。脊面 の方 より現 はれて、累 り合 ふたる隊伍 をば、無二無三 に破 られまして、御座 りまする。」これにて、イサボオ、 イサボオ 「コリヤ剣 をひき、女 、天使 は汝 にかくと告 げしか。」 兵士 「勝利 ッ。ヤア逃走致 し居 る。」 イサボオ 「逃 ぐるとはそりや誰 が。」 兵士 「仏蘭西 軍 のやつばらが。アレアレ、戦場 は脱走人 で、一杯 で御座 りまする。」 ヨハンナ 「エヽ神様 。自 らをこのまゝに、御見棄 て遊 ばす御神慮 か。」 兵士 「オヽ、其 の所 へ武者 一騎 、深手 を負 うて、参 りまする。かう見 たところ、皇子 のやうに見 えまする。」 イサボオ 「ムヽ、シテそれは味方 のものか、但 しは敵 のものなるか。」 兵士 「兜 を遂 にぬがせられしが、ヤ、ヅノア殿 に御座 りまする。」これにて、ヨハンナ ヨハンナ 「エヽ身 もだへし、妾 は足械 はめられし、唯 の婦女 に過 ぬかいなア。」 兵士 「アヽレ、彼所 を御覧 ぜられい。黄金 をもつて縁取 りし、空色 の衣着 けたるは、如何 なる人 にてあるやらん。」 ヨハンナ 「それこそ正 しく、我 が君様 。」 兵士 「その乗 る駒 は、進 むを嫌 らひ。或 は躍 り、或 はつまづき、乗者 はいとゞ困 じはて、御 し兼 られて、見 えまする。」ヨハンナ、この 兵士 「詞 を聞 き、次第 に激 せるこなし。味方 の勢 は、驀然 に、彼 に向 つて進 みゆけ。――――ハヤ取 り囲 んで候 ぞ。」 ヨハンナ 「アヽ、天 ははや、天使 をもたせ給 はぬか。」イサボオこれにて、ヨハンナを イサボオ 「コレ、見 て、あざわらひ、仏蘭西 国 の救 ひの主 。イヤサ、ヨハンナ、今 が大事 の時 ぢやぞよ。」ヨハンナたまらずなりて、 ヨハンナ 「オヽ不意 に跪 き、烈 しき情 もて、天 に祈 る、神様 。妾 が一生 の祈願 をば、何卒 御嘉納 被下 れませ。何卒 して、天上 より、聖霊 を御降 し給 はりませ。あの切 れ易 き蜘蛛 の巣 を、さながら錠 の綱 の如 く、強 うなさるゝ御神様 。この足械 を、切 れ易 き、蜘蛛 の網 と変 ずるに、何 の雑作 も御座 りますまい。この鎖 を断 ち切 つて、この堅固 なる城壁 を、何卒崩 し給 れかし。アヽ、神様 。貴方 様 には盲目 な、束縛受 けしシムソンに、助 けを授 け、傲慢 なる敵 が譏 を忍 ばさす、彼 は授 かる大力 に、牢屋 の柱 をひつつかみ、五体 をかゞめて、易々 と、其 の建物 を破壊 せり、…………。」 兵士 「勝利 ッ。」 イサボオ 「何 とかせし?」 兵士 「王 を捕虜 に致 されたり。」これにて、ヨハンナ ヨハンナ 「躍 りあがり、神 よ、恵 みをたれ給 へ。」と イサボオ 「コリヤ、どうぢや、言 ひさま、両 の手 を以 て、烈 しく鎖 をつかみ、寸断 々々 に、千切 つて捨 て、直 ちに、近 き兵士 の傍 にすゝみゆき、其 の剣 を奪 ひ、急 ぎ這入 る。一同茫然 として、やゝ暫 く、其 の跡 を見送 り。夢 か、現 か、少女 は何処 へ行 きたるぞ。如何 にして鉄 の、重 き鎖 を破 れるぞ。この眼 もて目撃 せずは、これが真実 と、思 はれうか。」兵士 「コリヤ、 兵士 望楼 の上 より、如何 に、彼女 は翼 を持 ちたるか、風 が女 を乗 せ行 けるか。」 イサボオ 「少女 は下 に居 やるかや。」 兵士 「はや戦場 に入 り交 り、鎬 を削 づて居 りまする。――――少女 の行 く先 きは、目 に留 らぬ程 に御座 りまする。――――ヤ、爰 に居 ると思 へば、彼所 に、――――彼所 に、居 ると思 へば、――――コリヤ、一時 に何処 にも、彼処 にも、少女 が居 りまする。少女 は軍勢 を分 ちました、――――ヤ、散乱 したる仏蘭西 軍 を糾合 して、――――新 に隊伍 を編成 し、――――ヤ、コリヤ、味方 は武器 を地 になげすてゝ、ア、味方の旗 は仆 れました。」 イサボオ 「何 と云 やる。女奴 は、味方 の勝利 を奪 ひしとか。」 兵士 「真一文字 に、王 が方 へと進 みゆき、はや近 づくと見 えたるが、目覚 しくも重囲 の中 より、王 をば救 ひ出 したり。――――ハストルフ殿 には落馬 され、遂 に捕虜 となられました。」 イサボオ 「下 りや、下 りや。妾 は最早 聞 く耳 持 たぬ。」 兵士 「今 は詮 なし。はや落 ち給 へ。さらずは、敵 の襲撃 を、免 ることは愜 ひますまい。物 の具 つけたる兵士等 は、はや押 し寄 せて参 りました。」兵士、 イサボオ 「望楼 より下 り来 る。イサボオ剱 をぬきたるまゝ、敵寄 せ来 らば、戦 へや。あのこゝな、臆病者奴 が。」ラヒィル 「 仏蘭西 方 の騎士、ラヒィル、兵士を引き連れ、入 り来 る。女皇 の兵士は、皆 武器を下に置く。ラヒィル敬 しく、女皇 のほとりに近づき。女皇陛下 。イザ、帰順遊 ばされよ。君 が麾下 の武夫 は、皆 悉 く降参 致 せば、はやあらがはるゝも詮無 いこと。身共 が捧 げ奉 る、言葉 を御納 れ被下 るべし。君 を護送 し奉 らん、御場所 を命 じ被下 れたし。」 イサボオ 「カアルに逢 はぬ所 なら、何所 なりとも、連 れてゆきやれ。」とイサボオ 剱 を捨 て、兵士と共 に、ラヒィルの跡 に従 ひゆく、この模様 よろしく。道具 変 る。すべて アニエゾレエ 「オヽ戦場 の体 。後 の方 に、兵士、飜 る旗 を持 つて、並 び居 る。其 の前 の方 に、カアル、ブルグンド公爵立 つて居 る。其 の両人 の腕 に、ヨハンナ深手 を負 ひ、生死危 きさまにて、もたれ居 る。ここへ、寵妃 アニエゾレエ出 で来 り、カアルの胸 に、其 の顔 を押 しつけ、自由 に、――――生 きながらへて、御在 せしか。再 び見 ゆる、嬉 しさよ。」 カアル 「さればとよ、今 は自由 の身 となりし。それと云 ふも、命 を賭 けて、彼女 が必死 の働 き故 。」とヨハンナを アニエゾレエ 「オヽヨハンナはみまかりしか。」 フィリツプ 「あゝヨハンナはみまかりしか。指 す。天使 は遂 に逝 きたるか。コレ、御覧候 へ。いとやすらかに、さながら、小児 の眠 るが如 く、天 の平和 は、あたりを取 り巻 き、呼吸 は胸 に喘 がぬなり。とは云 へ、この手 の温 さ、さては「生命 」はとゞまれるか。」 カアル 「あゝ、少女 は逝 けるか。――――最早 、再 び目醒 むることはあらざらむ。その目 は再 び、現 し世 の、万象 をながむること無 けむ。今 は高 く天国 に、目出度 き光栄打 ちになひ、我 が悲 みや悔悟 をば、又見 ることも無 かるべし。」 アニエゾレエ 「あれ、眼 は閉 ぢて居 りませぬ。――――未 だ、生 きながらへてで、御座 りませう。」 フィリツプ 「さては墓 より帰 れるか。死 にすら少女 は打 ち勝 てるか。ヤヽ、起 きたるぞ。ホヽ、立 ち上 りしわ。」ヨハンナ ヨハンナ 「立 ち上 りて、周囲 を見廻 はし、妾 は何処 に居 りまする。」 フィリツプ 「味方 の勢 に囲 まれて、――――汝 が友 に抱 かれて。」 カアル 「汝 が友 に支 へられ、汝が君 に助 けられて、…………。」ヨハンナ ヨハンナ 「イヽエ、暫 くの間 、凝乎 とカアルをみつめ、妾 は魔法使者 では、御座 りませぬ。決 して決 して、そんなものでは、御座 りませぬ。」 カアル 「汝 は浄 くて、天使 の如 きに、過失 の雲 は、朕 が眼 を蔽 ひたり。」ヨハンナ、うれし ヨハンナ 「そんなら、あの気 に、あたりを眺 め。自 らは、友 の中 に居 りまするか。エヽ、嬉 しや。今 は人 より侮辱 も受 けず、又 、排斥 もせられぬか。あの自 らを呪 はいで、親 しう思 うて被下 れまするか。オヽ、それそれ、あたりが見 えて、参 りました。うれしや、其所 に御在 すは、我 が君様 。―――あれこそ、仏蘭西 国 の旗 か。オヽ、妾 の旗 が見 えませぬ。モシ、何処 に御座 りまする。もしあの旗 が無 いときは、妾 は逝 くことかなひませぬ。あの御旗 を、神様 は、妾 に御托 しありし故 、神 の御前 に、返上 せねばなりませぬ。妾 は真実心 をこめ、あの御旗 を荷 ひし故 。神 の御前 に捧 ぐることが、かなひまするで御座 りませう。」と、あへぎあへぎ、うつゝのやうに カアル 「言 ふ。カアル目 をしばたたきて、顔 をそむけ。旗 をば、少女 に取 らせよや。」と、 ヨハンナ 「あれあれ、旗 を与 える。ヨハンナ旗 を手 にしたるまゝ、誰 にも支 へられず、独 り立 つ、其 の時 、天上 には薔薇色 の光 り輝 きわたる。虚空 に虹 は、あらはれたり。天 の扉 は開 らかれて、天津 御神 は、御手 づから、神 の御子 を抱 かせ給 ひ、数 ある伶人 にまもられて、光 り輝 き見 え給 ふぞや。あれあれ、御手 を親 しげに、妾 が方 に伸 し給 ふぞ。オヽコリヤ、妾 は何 とせる。輝 く雲 は妾 を乗 せ、次第 に高 う登 り行 く。妾 が着 けたる物 の具 も、蜘蛛 の網 のごと変 りたり。あれ、――――あれ、――――大地 は次第 に遠 ざかり、――――悲哀 はいとも短 くて、快楽 は今 ぞ極 みなし。」と 眼 を空 にして、云 ひたるまゝ、旗 をぱつたり落 し、暫時 して、地上 に仆 れる。並 み居 る人々 は、皆悲 みの為 めに、声 さへ得立 てず。やがてカアルの合図 に、銘々 、其 の手 にせる旗 をヨハンナが身体 の上 に置 く、其 の為 めに、ヨハンナの身体 は隠 れる。空 は美 しき薔薇色 の光線 、ますます輝 く、この模様 しめやかに、(幕)。 オルレアンの少女 大尾 二一九頁五行、勇 を鼓 して、→ 原著の「鼓 」の旁 は「皮」。 二二三頁七行翔 り行 く 原著では、「翺 り行 く(皐へん+羽)」 二二六頁六行 綱(つな) 原著では、糸へん+「覧」の漢字。悲劇 : オルレアンの 少女 目次 緒 言 出場人物 序 幕 ドムレミ村 の場 第一幕 シノン行宮 の 場 第二幕 一、戦場巌 蔭 の 場 二、同 じく英陣炎上 の場 第三幕 一、マルネ河畔 シヤロン行宮 の場 二、戦場 タルボォト戦死 の場 三、同じく戦 場 の 場 第四幕 一、大 広 間 の場 二、寺 院 前 の 場 第五幕 一、深 林 の場 二、仏 軍 陣 営 の 場 三、英 軍 哨 楼 の 場 四、ヨハンナ最後 の 場 附録 底本: オルレアンの少女 1902年 富山房 譯者: 藤沢 古雪 (周次)明治後期~大正初期の劇作家 原著:die Jungfrau von Orleans 1803 著者:Johann Christoph Friedrich von Schiller (1759.11.10 - 1805.5.9)
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底本:国立国会図書館 近代デジタルライブラリー 所収 / オルレアンの少女 : 悲劇 ( シルレル著/藤沢古雪訳、富山房,明治36年12月) 閲覧に当たっての注意事項、などこのページは、縦書き文庫様提供の、 javascript で動作する組版エンジン 「涅槃2(Nehan2-1.22)」を利用させて頂いて、縦書き表示を行っています。(頁の横幅は760 pixel 固定)。表示確認は Mozilla Firefox 18 で行っています。 ですので、閲覧に際しては、 (1) インターネットに接続されているコンピュータ類にて、ウェブ・ブラウザで閲覧すること。 (2) ウェブ・ブラウザにて、javascript が動作している(許可されている)こと。 が、必要です。(多分、大抵は問題ないと思いますが。)この頁掲載の「序」の本文や目次がきちんと縦書き表示されていればOK。 ※ なお、ブラウザの動作しているウインドウの横幅は760ピクセル以上のサイズでご覧ください。 基本的にオフラインでは閲覧できません。 この シラー(シルレル)著、藤澤古雪訳の「悲劇:オルレアンの少女」(明治36)をウェブ頁化するにあたり、底本では旧字体が用いられておりますが、テキスト化に当たっては、出来るだけ、新字体を用いるように改めました。(ただし、仮名遣いは原著のままです。)一部の現代の字体には見受けられないものも混在しているかもしれませんが、ご容赦願います。
( 2013-05-31 cygnus_odile )
履歴:
2013-05-31 : 縦書き組版エンジン:涅槃2(Nehan2)を利用した縦書き化「第五幕」、Website に掲載。 |