建てられたのが大正7年と、島内でも最も古い部類の社宅で9階建てが5棟連結されております。

さながらカプセルホテルの様な密集住宅となっております。日当たりが非常に悪いとの事です。

当時の新聞記事によると、昭和初期の居住者数は計1000名との事です。

建物の大きさでは日給社宅5棟分で65号棟と共に島内2大勢力を構成しております。







日給社宅の各階は下層へ行くに従い階段の様にせり出している。

採光条件を少しでも良くする為の工夫だと言われる。波浪の為か内部の崩壊が酷い。






9階連結部分から棟の間を見下ろす。密集しすぎて低層部分は永久的に日が当たらないとの事。

圧迫感は相当なものだったと思われます。勤続年数に応じてより高層階に居住できたとの事です。

給与は基本給が決まっておらず、毎月の勤務日数に応じた賃金が支払われていたそうです。



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日給社宅は西側で各階とも51号棟と連結しております。

社宅内の連結通路とは異なり、防潮の目的を兼ねた強固な構造をしております。






9階の連結通路。草木が生い茂り、あまり高所という気がしない。当時は木製の手摺があった。






屋上は雑草に覆われたラピュタの世界であった。サボテンまで生えており、思い切り刺さった。

最盛期はテレビアンテナが乱立していたと言うが、今はその陰は見当たらない。



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