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昔、この地(多田村)は沼(池)があり、ここに大蛇が棲み、村人に危害を与えていた。嘉元年間(1303〜1306)に京の弓の名人宇都宮永綱が大蛇退治に村にやってきた。そっそく弓で大蛇を射止めた永綱は、多田の下木城主となった。
しかし、大蛇退治の後、この多田村に自然災害が重なった。これらは大蛇の祟りに違いないと、村人はこの沼を埋立て、嘉暦元年に供養の祠が建てられました。これが「蛇骨堂」の起こりです。
またこの「蛇骨堂」が、 「億万年山 大安楽寺」 の起こりとされています。
「伊延村に在り。億万年山と号す。本尊阿弥陀、長六尺余、恵心作。観音・勢至・地蔵長二尺八寸、空海作。開山勅諡宝覚禅師東山湛然和尚。
宇和旧記云。此寺地昔は淵なりしに、霊蛇かくれ住て庶民を害せし故往来をとどむ。後二条院嘉元二年、宇都宮永綱と云者かの蛇を射留往来の人を安ず。然るに霊蛇祟を為に依て、後醍醐天皇嘉暦元年丙寅歳、彼淵の半を平げ、大小の両池を掘、精舎を草創して蛇霊を截断し、宇都宮家の繁栄を祈る為に二百貫の地を寄附せり。今の安楽寺是也。
按、昔淵などに大蛇住て人を害ひし事所々にみえたり。然れども、蛇は水中に住物ならず、是必蛟なるべし。蛟は和名抄美豆知と有て、水蛇の義なり。■雅曰。蛟似蛇而四足。山海経曰、蛟大者十数囲、卵如一二石甕能呑人とあり。昔此物の淵に住て人を害ひしなるべし。されど国々に勇士有て射取などしけるほどに今は絶て此物有る事をきかず。」(愛媛面影)
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