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八戸城下から南下すると八戸高校近辺と市野沢北以外は県道と上り街道はほぼ一致している。しかも一里塚がほぼ現存している。
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1 小峠一里塚(青森県八戸市)

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小峠一里塚東塚。擁壁の上に塚が所在。このタイプの擁壁だと夏は草でコンクリートが隠れると思われる。
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小峠一里塚(青森県八戸市)
現況;二基現存
案内板;なし
八戸城下から南下すると道筋はずっと登りである。青森県「歴史の道」調査報告書 上り街道(八戸街道) によると、八戸市の番屋地区の北、小峠に一里塚があるとある。現在、さらに北には八戸NTへの道路が出来ている。
調査報告書によると「左側の一里塚は削られ、円形の面影はなく、きりたった崖状になっているが、右(東)側はわりあい良く保存されている。この附近は峠を削平し、拡張しているため、両側が高くなっている」とある。
現地へ行ってみると東西とも円形で塚が残っている。東塚は道路から3m以上高いところに地盤面があるが、西塚は道路と同じ高さに塚がある。説明板などがないもののしっかりした形状だ。崖形状も認められない。
ここから推定すると西塚は崖ごとすっかり削られ新たに復元されたのではないだろうか。塚木までは植えられていないのが残念だが・・・。
この調査報告書は何せ昭和60年の発行なので、現在の状況とはかなり違っている可能性がある。あまり写真は載っていないのだが少ない写真を見ると、国道340号線も舗装されていない(昭和34年の写真だが)。月日を感じさせる。
この附近松並木も残っており、かつての盛土の上に松が茂っている。

北緯
東経
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小峠一里塚西塚。復元か?
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2 頃巻沢・十文字一里塚(青森県八戸市)
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東塚。
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頃巻沢・十文字一里塚(青森県八戸市)
現況;二基現存 ?
案内板;東塚に柱標あり
東塚青森県史跡
所在;八戸市南郷区頃巻沢字長久保
指定年月日;昭和37年6月29日
所有者;八戸市
通称十文字一里塚。東塚が南郷区の十文字に所在し、県史跡となっている。付近も雑木林に囲まれているため車だと見落としてしまう可能性が高い。
この塚は柱標がある。奥州道中で見られる塚よりはつぶれた形。
一方、西塚は八戸市是川の頃巻沢に所在するというが、実際それらしいものは残っていない。県史跡は東塚のみ。
青森県「歴史の道」調査報告書 上り街道(八戸街道)にも8mの道路を挟み東西塚所在と記入されている。
なお、市野沢から頃巻沢は国道340号線から外れたルートを街道が通る。ここから北は現在の国道とほぼ同じ道。

北緯
東経
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東塚から西塚?を望む。塚らしい形状は認められないが・・・。
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3 市野沢・中野一里塚(青森県八戸市)
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東塚から西塚を望む。
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現況;二基現存
案内板;説明板あり
青森県史跡
所在地 東塚;八戸市南郷区市野沢字新田、
西塚;中野字大久保
指定年月日;昭和37年6月29日
所有者;八戸市
通称は市野沢一里塚。西塚が中野に所在。
県史跡で駐車場や東屋、説明板など良く整備されている。道路案内板もあるため見つけるのは容易だろう。
八戸街道には宿場は無かったが、市野沢は八戸藩主が江戸へ向かう時には休憩所、帰る時には昼食場として利用され、御仮屋を建設し休憩に利用していた。制札場もここにあり、街道沿いの中心地だったことが分かる。南郷村時代はここに役場が所在していた。

北緯
東経
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東塚(市野沢一里塚)。良く整備されている。
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4 大森一里塚(青森県八戸市)

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大森一里塚西塚。奥は東塚。
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大森一里塚(青森県八戸市)
現況;二基現存
案内板;柱標あり
青森県史跡
所在地;八戸市南郷区大森字砂子崎、
字林崎
指定年月日;昭和37年6月29日
所有者;八戸市
市野沢から南下する際、国道340号線を直進せず、旧道方向へ右折するとこれが街道である。更に南進し、住居が無くなる先に一里塚が現れる。
西塚は少し裾が広がった感じで、東塚は小ぶりに見える。
どちらにも柱標が立っている。
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大森一里塚東塚。付近は畑地。
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北緯
東経
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