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国指定 国宝
工芸
赤絲威鎧(兜、大袖付)(附、唐櫃)(昭和28年(1953年)11月14日)
鎌倉時代の鎧。長慶天皇からの拝領と伝えられ、大袖と兜の鍬形台、吹返に施した八重菊枝文に「一」の字の飾金物を置くため「菊一文字の鎧」と呼ばれる。鎌倉時代の金工芸術の最高水準を示し、奈良県春日大社所蔵の「赤糸威鎧」とは双璧をなすものと唱われる[9][10]。天明8年(1788年)の幕府巡見使に随行した古川古松軒は「新羅三郎義光公の甲胄」と紹介している(『東遊雑記』)。大正4年(1915年)3月26日に国宝指定(所謂旧国宝)、昭和28年に再指定。
白絲威褄取(つまどり)鎧(兜、大袖付)(附、唐櫃)(昭和28年11月14日)
南北朝時代の鎧。南北朝時代を代表する鎧であるとされ、白色を基調とする絵韋に鍍銀した金具類を配する事から「卯の花威(うのはなおどし)」と呼ばれている。応永18年に南部光経が奉納した2領の中の1領といい、光経の父信光が後村上天皇から拝領したものと伝えられる(『三翁昔語』巻の二。「祭祀節」の「流鏑馬」項も参照)。赤絲威鎧同様、大正4年旧国宝、昭和28年国宝指定。

赤絲威鎧(兜、大袖付) 白絲威褄取(つまどり)鎧(兜、大袖付)
国宝館に入ると一番奥にこの二つの国宝が並んでいる。
重要文化財
建造物
本殿(附鰐口1口)(平成5年4月20日)
旧拝殿(長所)(平成5年4月20日)
末社(脇宮)神明宮本殿(平成5年4月20日)
末社(脇宮)春日社本殿(平成5年4月20日)
南門(正門)(平成5年4月20日)
工芸
紫絲威肩白浅黄鎧(兜、大袖付)(大正4年3月26日)
南北朝時代のもので、国宝の「白糸威褄取鎧」と同時期に制作されたものと推定されている。大正4年に旧国宝指定、戦後は重要文化財。
唐櫃入白絲威肩赤胴丸(兜、大袖付)(大正4年3月26日)
南北朝時代後期から室町時代前期の胴丸。南北朝時代から主流となる軽快な胴丸であるが、鎌倉時代以来の鎧(大鎧)の華麗さも継承されており、戦闘の様式が変化して行く時代の特色がよく表わされた名品とされる。文化財指定については前項に同じ。
兜(浅黄絲威肩赤大袖2枚付)(大正4年3月26日)
南北朝時代の鍍金総覆輪の筋兜。胴を欠失しているために大鎧か胴丸か不明ながら、兜の総覆輪や紅と浅黄で威した錣、大袖の仕立て配色から、南北朝時代の華麗な胴であったろう事が窺える。文化財指定については前項に同じ。
青森県指定
重宝
工芸品
鰐口 応永十二年銘(昭和46年(1971年)9月6日)
青銅で鋳られた鰐口で、鼓面を同心円状に三区に分け、中央区を菊花とも見える模様を持つ撞座とし、外区は銘文を鋳出した銘帯とする。銘文の年紀から応永12年(1405年)の制作である事が判り、「守行敬白」らしき文字があることから、南部氏中興の祖といわれる三戸南部13代守行が奉納したものとされる。
日本刀 銘「備州長船幸光」(昭和46年9月6日)
備前国長船の刀工、幸光の手になる鎬造庵棟の日本刀、刃文は丁子乱れ。「長船幸光」を名乗る刀工は南北朝から戦国時代にかけて7、8名が存在するが、本刀の作者は裏銘の「永徳二年(1382年)」の年紀から最も早い者と推定されている。根城南部氏の光経が応永18年に国宝の白糸威鎧と一緒に奉納したものという(『三翁昔語』巻の二。「祭祀節」の「流鏑馬」項も参照)。資料的、美術的に貴重なものとされる。
彫刻
舞楽面9面(昭和46年9月6日)
納曽利、還城楽(げんじょうらく)、二の舞の尉と媼、貴徳、散手2面、陵王、神事面(伝採桑老(さいしょうろう))の9面。納曽利と還城楽の2面は鎌倉時代後期の作で、檜材の本格的な作風から中央で制作された可能性が高く、二の舞2面と貴徳と散手の2面中1面の合わせて4面は、鎌倉末から南北朝時代にかけての作、その作風からは東北地方における制作とされる。残り3面は室町から江戸時代にかけての作。9面の伝来状況から、当宮では中世から近世にかけての長期間に亘って盛んに舞楽が演じられていた事が判る。
八戸市指定
文化財(工芸)
青銅擬宝珠
正門前に架かる神橋(反橋)の親柱に取り付けられていた擬宝珠。宝暦12年(1762年)に盛岡藩8代藩主の南部利雄が寄進したもの 。
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