信濃大町の舞台

 信濃大町「若一王子神社例大祭」舞台奉納は当町を含めて6台の舞台にて執り行います。

九日町

 創建は定かではありませんが、江戸時代後期頃と伝えられています。明治以降幾度となく改修を重ねてきたようです。人形飾りは娘道成寺の「安珍・清姫」です。天井から箱に入った古い面が吊るされていて「鬼女の面」といわれ、取り出すとたちまち大雨が降ると伝えられ、開けられたことがないという。

堀六日町

 江戸前期の創建ではないかと言われています。嘉永元年(1848)に大修理をしたことが天井裏に墨書されています。明治6年(1872)に火災の被害を受け、その修復の時に欄間彫刻や装飾を一新し現在のものが出来たと伝えられています。信太妻(しのだづま)伝説の信太の森の葛の葉狐が、安部保名と結婚し一子を授かったという歌舞伎が題材となっています。六町の舞台の中で唯一操り人形を備えています。

高見町

 柱に上り龍下り龍の彫刻が特徴。天保年間(1830〜43)に再建されたことが記録に残っています。二階の飾りは、高見火荒神の御神体の獅子頭で、古びた布はその幌。仁科盛遠が将兵の慰安や士気を鼓舞するため戦場での敵への威しとして用いた。獅子宮の線で火災の延焼が止まった。何か事変が起こる前兆に口をパクパクして知らせる。幌を新調したら翌日ボロボロになっていたので以降新調しないなど神意の顕著な口伝や伝承が残っています。

八日町

 文久3年(1862)の建造とされています。特徴は八人の代わりができる車という意味で大八車が基本となっています。朱を基調とした桃山風の屋根と調和していて、転換も容易で軽快・精悍・機敏に映ります。二階の幔幕(まんまく)は白の裏を出して、表の赤・朱塗りとの調和を考えて定着したものと思われます。

五日町

 現存する大町の舞台の中で最も古いと言われています。彫刻が施された欄間を収納する箱に「嘉永元年庚猿五月吉日五日町」(1848)の墨書きがあります。船の山車(だし)であったものを改造したもので、舞台正面の屋根裏の所に直径30センチ程の帆柱の穴がある。また車の軸受けの桁が三重になって見えるのも、船の山車の特徴を示しているといえます。