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今回は、JRの「電車&ウォ−ク」で紹介されているモデルコースを選びました。そんな訳で、スタートは、JRの桜井駅で、駅前通りを南下し、最初の信号で、左折し、商店街に入ります。
しばらくすると、この「桜井町道路元標」と刻まれた、石柱が目に付きます。その反対側には、「忍坂街道」「伊勢街道」と表示した看板の矢印が、東側を示しています。
どうやら、ここが街道の起点のようですよ。 |
そんな、かつての賑わいを感じさせる、商店街を、ぶらぶら、歩いて行きますと、ところどころに、旧街道の面影を残した、古い、商家が見られます。
なかでも、アーケードが途切れたところにある、この「山本五平薬局」が、ひときは、目を引きました。 |
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忍阪街道の、最初の見所は、「舒明(じょめい)天皇陵」です。コースのポイントとなる、「跡見橋」、「宇陀ヶ辻」を過ぎて、川沿いを歩き始めますと、一旦、国道166号線に出ます。
そのまま、しばらく、国道を歩き、「忍阪郵便局」で、少し、北へ道をとり、再び、旧道に入って、この「生根(いくね)神社」を目指すのが正解ですが、案内表示も少なく、手持ちの地図が、大まかで、結果、何度も、道を尋ねることとなりました。 |
「生根神社」を過ぎ、しばらくすると、石柱があり、これに従って左折し、民家の間の細い道を登って行きますと、この「舒明天皇陵」です。
綺麗に掃き清められ、地域ぐるみで、大切にされているのが、よく解ります。
御陵は、上円下方墳で、下方部は、三段、上円部は二段と記録され、当初は、飛鳥に埋葬されていましたが、後に、この忍阪の地に改葬されたと伝えられています。 |
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御陵から、せせらぎに沿った山道を歩き、さらに進むと、棚田が続く丘に出ます。
途中、杉木立の中では、赤い冬イチゴが見られたり、「鏡女王」の歌碑もあって、変化に富んでいます。
この「鏡女王押坂墓(かがみのひめみこおしさかばか)」の主は、舒明天皇の女皇、または、額田王の姉とも伝えられ、万葉集に5首の歌を残しているそうです。 |
もと来た道を引き返し、旧道に戻る途中で、こんな自然石を生かした、火の見やぐらと半鐘を見つけました。
どうも、この石を足場にして、半鐘を鳴らすようで、登るための、切込みがありました。
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旧道に戻って、しばらく、進むと、「石位(いしい)寺」があります。 |
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現存する日本最古の石仏と伝えられる、「石造浮彫伝薬師三尊像」が本尊で、その優美な姿に、川端康成も絶賛したそうです。
白鳳時代の作で、もともとは、粟原寺にあったもので、額田王(ぬかたのおおきみ)の念持仏といわれています。残念ながら、拝観は予約制でした。
石位寺の参拝を済ませると、既に1時を過ぎており、急いで、焼き立てパンが美味しいという「アンダンテ」に向かいました。
旧道から、再び、166号線に出たところにあり、パン生地をスイスやドイツから直輸入し、小麦粉も有機農法のものを使って、ご夫婦で、切り盛りされているお店です。 |
お店の名前の由来を聞いてみますと、「楽譜のアンダンテで、ゆっくりやろう。」ということでした。
パンを選びかけていますと、「ちょうど、今焼きあがりました。」と別のパンを出してくださったり、いろんな心遣いが感じられる、素適なお店でした。
その後は、周りの山や田、そして、粟原川の景色を楽しみながら、30分近く、ぶらぶらと、登っていきますと、「粟原(おおばら)」の村に入ります。
案内に従って、右折し、かなり急な坂を登って行きますが、途中、まだ、こんなにたくさんの、柿が残されていました。 |
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村全体が急な斜面の連続ですが、さらに、小高い山の中腹の辺りに、「粟原寺(おおばらでら)跡」があります。
雑木林のなかに、金堂跡の礎石と十三重の塔、それに、この石碑などが残っているだけです。
粟原寺建立の次第を刻んだ三重塔伏鉢(国宝・談山神社蔵)の銘文には、仲臣朝臣(なかとみのあそん)大嶋が草壁皇子のために建立した寺で、後に、比売朝臣額田が持続天皇8年(694)から造営を始め、和銅8年(715)に完成したことが記されているそうです。 |
もと来た道を、桜井まで、引き返しましたが、「忍阪郵便局」辺りまで来ると、小雨が降り始め、「宇陀ヶ辻」を過ぎる頃には、本降りです。
仕方なく、軒先で雨宿りしていますと、突然、ご婦人に、声をかけられ、「傘を貸してあげる。」と言われました。
「遠くから来ているので、お返しできない。」と、何度もお断りしましたが、「遠慮しなくて良い。」と言われ、ご親切に甘えました。
その後、さらに、雨足が強くなり、お陰で、大助かりで、なんとも、人の情の、ありがたさを体験する、旅でした。 |
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