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大東流合気武道は、剣、槍、棒、杖を中心とし、日本古来の武術(柔、拳法、各種武器)を合体してまとめられた、いわゆる武術十八般の総称であり、また更に治世、戦略、戦術等を包含した総合武術であります。その技法は武器対武器、徒手対武器、徒手対徒手とあらゆる場合を想定した、攻防の技術が含まれております。
大東流合気武道は、古くは源家に伝わる兵法にその発祥を溯り、甲斐源氏武田家の甲州流兵法を原典とし、更に会津藩において永い戦国時代の経験と、武家治世の必要性にもとづき、研究、改良をかさねて集大成したものであります。
会津松平藩においてはこれを「御式内」と定め、藩主、上級武士の御殿術として藩外不出の伝統を守ってまいりましたが、明治維新後、元会津藩家老西郷頼母(西郷四郎「小説姿三四郎のモデル」の養父)から道統受け継いだ、武田惣角によって始めて世に公開されました。
武田惣角は大東流の一撃必殺と云われる、その技の高い殺傷力ゆえに、特殊な組織、機関、あるいは人々のみを対象として、指導、普及してまいりました。そのため世間一般、大衆への知名度は非常に低いものですが、武術を必要とする組織、集団、専門家からは高い評価を得て現在に至っております。(その技法は逮捕術、プロレスその他各種格闘技に多数採り入れられている)。
大東流合気武道中興の祖と云われる、武田惣角は明治、大正、昭和の三代に亙り陸海軍将官、警察、裁判所、その他地方武道家、有力者等に普及、指導しその門人には、植芝盛平、佐川幸義、久琢磨、堀川幸道、山本角義、その他多数武道界で活躍された方々がおり、生涯に教えた門弟数は参萬名と云われております。
また、各氏の門下より幾多の優秀な門人が輩出し、新たな流名を付した現代武道が、多数活動を続けております。
中でも大東流合気武道の技法から、危険な技を省略、除いた合気道が世界的に普及、発展を続けていることは、皆さんが既にご存知のことと思います。
大東流合気武道は、その普及、指導に生涯を捧げた武田惣角の他界(昭和18年)を契機として、折柄の太平洋戦争の終末、敗戦による国内の疲弊、混乱、および占領軍による武道禁止政策、武田惣角の個人指導(組織、道場を持たず巡回指導)、また御子息である後継者武田時宗先生が最果ての地、北海道網走に在住された等の状況が重なり、武道界での活動は一時小休止することとなり、戦後武道界の表面から消えました。
そのため戦後数年間は「幻の武道」と云われ、武道界を混乱に陥れましたが、専門家、有識者の間では、その出現が渇望されておりました。
昭和18年斯道を継承した武田時宗先生は、前記の事情からその普及、指導を中止しておりましたが、武道界(家)、有志等からの再三、再四の強い要請により昭和27年再開に踏み切り、その後先生の御英断によって、特に危険な技の一部を省き一般大衆、青少年等にも公開されることとなり、大東流合気武道はその伝統ある正しい姿を、再び私達の面前に現しました。
以後、宗家武田時宗先生は、武道を通じて「愛と和」の精神を普及することによって、人格完成を目指す精神面と、護身術として、また体育的に役立てることを目的として、居住地の関係から北海道を中心にその普及、指導に邁進してまいりましたが、平成5年12月2日病のため、73歳をもって永眠されました。
その後、総本部を継承された武田修正氏は病の為、平成28年7月2日急逝されました。
その後ご遺族と協議の結果、平成28年9月30日を以って総本部は閉館されました。
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