泉州岸和田 だんじり小屋
 岸和田祭りの始まり
今から三百年余り昔、元禄十四年(1701年)、時の岸和田城主、岡部長泰公(三代)が
城内三の丸に京都より伏見稲荷を勧請して九月二十七日に五穀豊穣を感謝する稲荷祭を
おこなったところ、大変な賑わいであったということである。この時「だんじり」が盛んに城内に入り
その上で太鼓を打ち鳴らし、町民等は芸をして殿様に見せたのが始まりと伝えられている。
当初の岸和田のだんじりは、長持に車を付けたような屋根のない殺風景なもので、太鼓を
鳴らし、神楽獅子を舞いながら町々を練り歩いたのである。この当時、だんじりは、城下町
五ヶ町で一つ、浜で一つ、百姓町で一つというふうに、ごく少ない数であった。
 岸和田祭礼年表
年号 (西暦)時事
延元  元年(1336)三の丸稲荷神社建立
寛永十七年(1640)岡部宣勝公(初代)岸和田城主となる。(六万石)
元禄十四年(1701)九月二十七日、長泰公、三の丸神社再建、佐藤英晴を宮司に任命、稲荷祭を行う。だんじりが城内に入り、芸事をした
延享  二年(1745)六月、長著公(五代)御神灯を町内の軒に吊るすことを許可する
延享  三年(1746)だんじりに造物存えて城入りした
寛延  元年(1748)町方と浜方が「くじ引き」にて城入りした
天明  四年(1784)破風付き囲いだんじり(荷い地車)がぞめき歩行す
天明  五年(1785)泉大津より古地車を買入れたが城の門通れず、柱を取替え城入りする(カラクリ地車を編み出す糸口となる)
天明  六年(1786)城入りして「にわか」を演じた
寛政  元年(1789)だんじりの台数多くなる。浜方、鰯の大漁でお祭りの獅子頭を新調した
文政  十年(1827)岸和田城天主雷火で焼ける
文政十二年(1829)倹約令で祭礼に地車を差留め(中止)する
天保十一年(1840)中町地車新調。現在、和歌山県橋本市にあり
天保十二年(1841)紙屋町地車新調。現在、だんじり会館に保存
嘉永  四年(1851)岸和田藩、幕府の命により、日光東照宮を修理するに、宮大工を連れて行く
安政  二年(1855)本町四ツ屋根地車新調。現在、解体され消滅
文久  二年(1862)大工町四ツ屋根地車新調。現在、泉佐野市長滝町中の番にあり
明治十三年(1880)四ヶ町村(岸和田町、岸和田浜町、岸和田村、沼野村)協議の結果、岸城神社及び菅原神社(岸和田天神宮)とも祭礼を9月14日、15日に統一した
明治三四年(1901)沼町地車新調。現在、だんじり会館に保存
明治三五年(1902)並松町、魚屋町の地車を借りて初めて曳く
明治三六年(1903)並松町魚屋町より地車を購入するも、地車倉庫の隣から伝染病(ペスト)が出たので、警察の命令で倉庫地車もろ共、消却した
大正  五年(1916)下野町地車新調。前の地車は土生町から別所町に売却され、現在解体され消滅
大正  七年(1918)南町地車新調。現在、高石市高磯にあり。
大正  七年(1918)北町地車新調。前の地車は貝塚市沢から岸和田市大町に売却され、現在は奈良県大和高田市にあり
大正  九年(1920)大北町地車新調。前の地車は現在熊取町小谷にあり
大正  九年(1920)春木南地車新調。現在、別所町にあり
大正  十年(1921)並松町地車新調。その当時岸和田最大級の大きさ重量であった
大正  十年(1921)宮本町地車新調。前の地車は熊取町大久保にあり。
大正十一年(1922)岸和田町から岸和田市となる
大正十二年(1923)大工町地車新調。前の地車は貝塚市名越にあり
大正十二年(1923)五軒屋町地車新調。現在、堺市太井にあり。その前の地車も堺市鳳にあり
大正十三年(1924)中町地車新調。
大正十四年(1925)堺町地車新調。前の地車は熊取町野田にあり
昭和  三年(1928)岡部氏から城地を岸和田市へ寄付をし「千亀利公園」と名付けた
昭和  四年(1929)上町地車新調。
昭和  七年(1932)本町地車新調。前の地車は忠岡町にあり
昭和  八年(1933)筋海町地車新調。前に3度新調しその3台共現在熊取にあり
昭和十五年(1940)大手町地車新調。前の地車は貝塚市馬場にあり。その前の地車は現在和泉市尾井にあり
昭和十七年(1942)山直町、春木町、南掃守村合併。旧国道26号線工事中
昭和二一年(1946)藤井町、春木北浜町より地車を購入。現在は和泉市幸にあり
昭和二七年(1952)中之浜町地車新調。前の地車はB29の爆撃により焼かれる
昭和二九年(1954)岸和田城天守閣復興
昭和三二年(1957)中北町地車新調。前の地車は箕土路町から和泉市黒鳥町坊小路へ。
昭和四五年(1970)市制50周年を記念して城門と櫓が増築された。大阪万国博覧会が始まり、後に筋海町と春木南の地車が「お祭り広場」で曳行する
昭和六十年(1985)御堂筋パレードに岸和田だんじりが初参加する
昭和六三年(1988)築城400年記念として、岸和田市内の58台の地車が臨海道路を曵行する
平成  三年(1991)紙屋町地車新調。
平成  五年(1993)藤井町地車新調。
平成  五年(1993)だんじり会館開設
平成  六年(1994)カンカン場に有料観覧席設置
平成  七年(1995)南町地車新調。
平成  八年(1996)伊勢神宮、をみなの祭りに本町、並松町が参加する
平成  十年(1998)五軒屋町地車新調。
平成十一年(1999)春木南地車新調。
平成十四年(2002)別所町、曳行復活。五月十九日入魂式
平成十四年(2002)沼町地車新調。七月二一日完成入魂式
平成十四年(2002)岸和田だんじり祭り300年記念祭として9月8日正午より曳行する
平成十八年(2006)約130年ぶりに、敬老の日の前の土日に日程変更。
平成十八年(2006)中北町地車新調。前の地車は南上町へ。
 だんじりの語源
だんじりの語源の説はいろいろありますが、「祭に出し台を引擦る」の意で略して「だし」山車
「台を引擦る(だいづり)」が「だんじり」になまる。また「神を祀る台」即ち「祭壇」
それは段々を登ってゆき高い所の「奥」即ち後の方が「尻」と呼び、略して壇尻−段尻−台尻。
楽車(だんじり)は台躍(だいにじり)台が地面をジリジリはう様に歩くの意で地車ともいう。
また、後醍醐天皇の孫に当たる伊良親王が信州大河原で自害せられたのを、その子良王が
家臣に命じて永享八年(1436)六月十四日、尾張津島天王の祭礼にまぎれ、仇敵台尻大隅守を
討たしめた。その時皆々が、「台尻討った」と喜びはやした言葉が同社の祭礼に残り、その台尻が
訛ってダンジリとなったものだといわれている。
関東では「屋台」「山車」、大阪と関西は「だんじり」「地車」、土佐は「はなだい」
北九州では「山笠」、京都は「鉾」「山」等と呼ばれています。
 だんじり用語
・纏持ち(まといもち)
だんじりの先頭に立ち、由緒ある町のシンボルをかついで走る人。交差点では、先陣争いの為、その力量が買われ、交渉係と一体感が強まる
・綱先・綱中・綱元(つな・さき、なか、もと)
曳き手の各担当場所を言う。先頭から順に、小学生以下、中学生、高・大学生となる。特に綱元は一番動力となり、曳き手の花形である。
・前梃子(まえてこ)
だんじりを止めたり、やりまわしをする時に、2本の梃子(ひの木棒)を双方であやつる。相手とは一心同体「あ・うん」の呼吸が望まれ、一番危険な場所で華やかな操作が要求されることから「ハナテコ」の異名がある。
・後梃子(うしろてこ)
だんじりを方向転換させる。長い一本の梃子(かしの木棒)をあやつる。特に一番後方の梃子尻をかがみと言う。またそこへ肩を入れる者を「かがみ持ち」と言い、町一番の力持ちが担当する。
・大工方(だいくがた)
大屋根(定員1名)と小屋根(定員3名)に乗り、だんじり曳行の指揮をとる役目を果たす。地上4mの大屋根の上では、着流しを着て、飛行機乗り(片足立ち)をするなど、大わざが見られる。
・鳴り物(なりもの)
昔のだんじりに囃子は、七・五・三調が主流であったが、現在は、各町独自の奏法となっている。大太鼓・小太鼓・鉦・笛(全員7名)により、およそ5種類のリズムがある。
・昇魂式(しょうこんしき)
だんじりを売却する時など、宮司さんを招き、宿っているだんじりの魂を抜く儀式。また、町内を中心にお別れ曵行をすることもある。
・入魂式(にゅうこんしき)
だんじりの新調や大修理を終えた時、氏神にお参りし、魂を入れる儀式。式のあと、町内を中心に各所で披露する。
・三郷の寄り合い(さんこのよりあい)
昔の浜・町・村(三郷)の祭礼団体・町会・行政が集い、自主規制や宮入り、パレードの順を決める。
・年番会議(ねんばんかいぎ)
約200年前から続く、祭の最高機関の会議。年間5回以上開かれる他に、各種団体との公式協議会は、数十回にも及ぶ。
・試験曳き(しけんびき)
9月の第一日曜日(1日が日曜日の時次週)と13日に行われるテスト曳き。午後2時〜4時迄、本番さながらに曳行する。
・曳き出し(ひきだし)
14日早朝6時から、一斉に祭本番の火ぶたが切られ、だんじりが町内を駆け巡る。祭礼中で一番勢いがあり、豪快なシーンが見られる。
・潮かけ(しおかけ)
海から海水を汲んで、だんじり本体を清める儀式。宮入り前の「みそぎ」の名残りとも言われ、曳き手も同時に、心身共に清められる。
・宮入り(みやいり)
昔の城入り変じて、15日午前から、岸城神社・岸和田天神宮・弥栄神社に分かれ参詣する。特に、岸城神社での市役所前、こなから坂を一気に駆け上がる様は、豪快である。
・灯入れ曳行(ひいれえいこう)
夜間の曵行は、コマ・弓張り・ほうずきの提灯、およそ200個に飾られただんじりは、大へん雅やかな姿に変身します。老若男女の皆んなが参加します。
・やりまわし
走りながら交差点を勢いよく方向転換することを言う。岸和田弁の、行って(やって)回すが語源とも言われ、きれいに曲がると観客から、万雷の拍手が送られる。
・いきちがい
だんじりとだんじりがすれ違う事を言い、上りが優先などのルールがあった。以前はどこの道でも自由にすれ違えたが、昭和45年から全て一方通行となった。しかし最近は、道路事情も良くなって、臨海線などの一部で、いきちがいが見られる。
 岸和田だんじり祭りの組織
岸和田だんじり祭りは、子供から大人まで、各年齢層で役割分担を決め、各町ごとに組織運営される。現在の組織名は以下のとおりである。

・岸和田祭礼年番
 祭礼の最高運営組織で、場合によっては市長や警察より権限があると言われています。
・地車曳行責任者協議会
 各町内のだんじり曳行に関する責任者の組織です。
・若頭連絡協議会
 だんじり曳行の中心的存在である、若頭の組織です。
・後梃子協議会
 後梃子(うしろてこ)を担当する人たちの組織です。
・千亀利連合青年団
 だんじり曵行の原動力とも言うべき、青年団の組織です。

町単位の組織としては
・少年団(町によっては名称が違う場合あり)
 中学生の集団

・子供会(町によっては名称が違う場合あり)
 小学生の集団

  等があります。
※参考資料:地車研究(地車研究会発行)
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