檢察官(五幕) Ревизор ニコライ・ゴーゴリ Nikolai Gogol 昇曙夢訳 -------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)無用人《やくざ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)皆|勘定書《つけ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (數字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行數) (例)[#地付き]自分の顏が曲つてゐるのに、鏡を責めても仕方がない。(俚諺) -------------------------------------------------------- [#地付き]自分の顏が曲つてゐるのに、鏡を責めても仕方がない。(俚諺) [#4字下げ]人物 アントン・アントーノウィチ・スクウォズニク・ドムハノーフスキイ[#地付き]町長 アンナ・アンドレーエヴナ[#地付き]その妻 マリヤ・アントーノヴナ[#地付き]その娘 ルカー・ルキーチ・フローポフ[#地付き]視學 その妻 アムモス・フョードロウィチ・リャープキン・チャープキン[#地付き]判事 アルテーミイ・フィリッポウィチ・ゼムリャニーカ[#地付き]病院長 イワン・クジミイチ・シュペーキン[#地付き]郵便局長 ピョートル・イワーノウィチ・ドブチンスキイ[#地付き]町の地主 ピョートル・イワーノウィチ・ボブチンスキイ[#地付き]町の地主 イワン・アレクサンドロウィチ・フレスタコーフ[#地付き]ペテルプルグから來た官吏 オーシップ[#地付き]その從僕 フリスチアン・イワーノウィチ・ギーブネル[#地付き]郡醫師 フョードル・アンドレーウィチ・リューリュコフ[#地付き]退職官吏、町の名士 イワン・ラザーレウィチ・ラスタコーフスキイ[#地付き]同上 ステパン・イワーノウィチ・コローブキン[#地付き]同上 ステパン・イリイチ・ウホウョールトフ[#地付き]警察分署長 スウィストゥノーフ[#地付き]巡査 プーゴウィツィン[#地付き]同上 デルジモールダ[#地付き]同上 アブドゥーリン[#地付き]商人 フェヴローニヤ・ペトローヴナ・ポシュリョープキナ[#地付き]錠前屋の妻 下士の妻 ミーシカ[#地付き]町長の從僕 宿屋の給仕 男女の客、商人、町の人々、歎願者大勢 ―――――――――――――――――――― [#4字下げ]性格と衣裳[#「性格と衣裳」は大見出し] [#9字下げ](俳優への注意) [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 町長(當時の制度によつて警察署長を兼ねた町長、寧ろ郡長に近い。)もう長年勤續して、自己一流の狡智にたけた人物。ひと廉の收賄家ではあるが、極めてがつちりとしてゐる。かなり眞面目で、幾分理窟つぽい位である。聲は高からず、低からず、口數も多からず、少からずといふところ。一言一句意味ありげに語る。容貌は、下つ端からたゝき上げられたすべての人に見られるやうに、粗野でごつ/\してゐる。性情は粗野に發達した人によくあるやうに、恐怖から喜びへ、卑屈から傲慢への推移が極めて速い。いつも飾りの附いた制服を着、拍車の附いた長靴を穿いてゐる。頭髮は白髮まじりで、綺麗に刈り込んでゐる。 アンナ・アンドレーエヴナ その妻。田舍の色つぽい年増女で、半ば小説とアルバムでヘ育され、半ばわが家の納屋や女中部屋でもまれて出來た女である。非常に好奇心が強く、時によつては盛んに虚榮心を發揮する。時々夫を尻に敷く事があるが、それはたゞ、夫が彼女に向つて、返答の仕方が分らないからである。しかしこの權力も極く小さな、くだらないことの上にのさばるに過ぎない。つまり小言を言つたり、冷かしたりするだけのことである。劇の進行中、彼女は四度もいろ/\な着物を着換へる。 フレスタコーフ 二十三歳位の細そりとした痩せた青年。少し足りない男で、頭の中に、王樣のゐない方である――よく役所などで「無用人《やくざ》」と呼ばれてゐる人物の一人。言語にも動作にも少しも思慮といふものがない。何かある考へに、斷えず注意を集中するといふことが出來ない。その話は斷片的で言葉は全く口から出まかせに飛んで來る。この役を演ずる者が、正直さと卒直さを示せば示すほど、この役は成功するであらう。流行の服裝。 オーシップ その從僕。通常稍々中年の從僕によく見るやうな人物。眞面目な話し振り。稍々下向き加減の眼差し。理窟屋で、主人にお説ヘをするのが大好きである。聲は常も殆んど同じ調子。主人と話をする時は、ぞ人ざいな、がみくした、しかも幾分粗暴な位の表情を聊ぴる。主人よりも利口で、從つて察しも速いが、しかし多く語るのを好まない。むつつり屋の惡徒である。衣裳は鼠色か、或は青の着古したフロツクコート。 ボブチンスキイとドブチンスキイ 二人とも、ちんちくりんで背が低い。非常に好奇心が強く、お互に驚くほどよく似てゐる。二人とも小さな腹をしてゐて、早口に話し、恐ろしく身振り手眞似を澤山にする。ドブチンスキイは、ボブチンスキイよりも少し背が高くて、眞面目だが、ボブチンスキイの方は、ドブチンスキイよりも、さばけて元氣がいい。 リャーブキン・チャープキン 判事。五六册の書物を讀んだばかりに、幾らか自由思想に傾いてゐる。推量することが大好きで、そのため一つ一つの言葉に重みをつける。この役を演ずるものは、常に意味深長な顏附をしてゐなければならぬ。細長く引き伸したやうな、嗄れ聲の低晉で、恰も舊式の時計が先づジーッといつて、それから鳴り出すやうな物の言ひ方をする。 ゼムリャニーカ 病院長。非常によく肥つた不活溌な不器用な人物。しかしそれにも不拘、陰謀家で。惡徒である。が非常に世話づきで、始終そわ/\してゐる。 郵便局長 ナイーヴなまでに卒直な男。 [#ここで字下げ終わり]  其他の役々は特に説明を要するまでもない。それ等の原型《オリジナル》は殆んど常に眼前に存在する。俳優諸君は特に最後の場面に注意しなければならない。最後の臺詞はすべて人々に電氣のやうな震動を一度にさつと與へなければならない。全グループは一瞬間にその状態を變へなければならない。驚愕の音聲はすべての婦人の口から、あだかも一つの胸から迸り出るやうに、一齊に發せられなければならない。これ等の注意を守らなければ、一切の效果は悉く消滅して了ふことになるであらう。 [#改ページ] [#5字下げ]第 一 幕[#「第 一 幕」は大見出し] [#9字下げ](町長宅の一室) [#7字下げ]第 一 景[#「第 一 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 町長、病院長、視學、判事、分署長、醫師、巡査二人 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 町長 諸君、わしが諸君をお招き致したのはほかでもない、事極めて不愉快な報告をするためなのです。つまり、當地へ檢察官がやつて來るのです。 リャープキン なに、檢察官が? ゼムリョーニカ なに、檢察官ですつて? 町長 ペテルブルグから、檢察官がお微行《しのび》でやつて來る。しかも祕密の使命を帶びて。 リャープキン とんでもないことだ! ゼムリャニーカ 今まであんまり心配事がなかつたもんだから、到頭お出でなすつたな! フローポフ さあ大變だ! おまけに祕密の使命を帶びて。 町長 どうやらわしには蟲が知らせたやうな氣がする。實は昨夜夜通し二匹の並外れた不思議な鼠の夢ばかり見てゐたよ。全くあんな鼠はこれまで一度も見たことがない。眞黒で、不自然に大きい奴でな! そいつがちよろ/\とやつて來て、一寸臭ひを嗅ひで、逃げて行つてしまつたんだ。ところで諸君に、アンドレイ・イワーノウィチ・チムイホフから來た手紙を讀んで聞かせよう。ゼムリャニーカ君、君はあの男を知つてゐるだらう。その手紙には、こんなことが書いてあるんだ。「拜啓陳者〔素速く目を走らせながら、小聲で呟く〕……貴下に御通知。」あ!ここだ。「何はともあれ、取急ぎ貴下に御通知申上げ度きは、今般全縣雨下一般、特に當郡〔意味ありげに指を一本上げる〕視察の使命を帶びたる一官吏の到着せることに有之候。小生は極めて信用すべき筋より聞き込み候が、右官吏は一私人の如く裝ひ居る由に御座候。何分賢明なる貴下のことに候へば掌中に流れ込む一切の物を逸するやうのことは好まざるべく、從つて貴下に於ても萬人に於けるが如く、多少の過失は可有之ことゝ存ぜられ候に付き……」〔讀み止めて〕さうだ、此處にゐるのは。みんな内輪の者ばかりだな……「右の官吏若し未だ到着せず、また何處にも潜伏し居らずとすれば、何日如何なる時に到着するやも計られず候間、呉々も御警戒の程御忠告申上候……昨日小生は……」あゝ、さうだ、此處からはもう家庭上のことだ。「愚妹アンナ・キリーロヴナには主人同伴にて小生方に參り申候。イワン・キリーロウィチは著しく肥滿致し、相變らず※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]イオリンを彈奏いたし居り候云々……」まあ、ざつとこんなやうな譯さ! リャープキン 左樣、そりや、普通事《たゞごと》ぢやありませんぞ。兎に角、普通事《たゞごと》ぢやありません。何か理由《わけ》がありさうに思はれますね。 プローポフ 何故でせう。アントン・アントーノウィチ、どうしたことでせう。何のために檢察官なんかが當地へやつて來るんでせう? 町長 何故つて! どうもこれは運命らしいよ! 〔溜息を吐く〕今迄はお蔭樣と他の町へばかり潜り込んでゐたんだが、こんどはお鉢が此方へ廻つて來たといふ譯さ。 リャープキン アントン・アントーノウィチ、其處には微妙な、寧ろ政治的原因があるんだらうとわ たしは思ひますね。それといふのは、つまり、かういふ譯ですよ。ロシヤは……さうです……戰爭を始めようと思つてゐるんですよ。だから、その筋では官吏を派遣して、何處かに内應者でもゐやしないかと取調べをしてゐるんですよ。 町長 ふん、何を言ふんだ! これが悧口な人間の言ひぐさなんだからな! こんな田舍町に裏切りがあつて堪るものか! それも、國境の近くにある町とでも言ふなら格別だが、三年間馬車で駈け通しても、何處の國へも行きつけないやうな處にさ。 リャープヰン いや、わたしは申し上げますが、あなたはその……考へ違ひをして居られますよ…… 政府は微妙な觀察眼を持つてゐますから、いくら遠くても、ちやんと嗅ぎ廻してゐますよ。 町長 嗅ぎ廻してゐようがゐまいが、兎に角わしはね、諸君、諸君に豫め注意をして置きます。いゝかね、わしは自分の手の中のことはもうそれ/”\差圖をして置いたので、諸君にも忠告をしたいと思ふ。ゼムリャニー力君、君にはとり分け注意をして置くがね! こんど來る役人が、先づ君の管下にある病院を觀察しようと言ひ出すことは、疑ひないことだからね。――だから、萬事立派に整頓して置いて貰ひたい。病人の帽子は清潔でなけりやいかん。それに病人が院内を歩き廻つてゐるところは、まるで鍛冶屋の職人そつくりだ。あんなのはどうかと思ふね。 ゼムリャニーカ そんなことは問題ぢやありません。清潔な帽子を被せることなんか、わけはありませんからね。 町 長 さうかね。それからどの寢臺の上にも、ラテン語か、それとも他の國語で病名を書いた掲示標を一々掛けて置いて貰ひたいね。病人の姓名、病名、發病の月日なども書き込んでね……これは、ギーブネル君、君の方の仕事だよ。それから君のところの病人共はひどく強い煙草を喫んでゐるが、あれはいかんね。入つて行くと、きつと嘘が出る。それから病人の數をもつと少くすれば、なほ結構だがな。でないと、直ぐに監督が惡いとか、或ひは醫者が未熟だといふことになるからね。 ゼムリャニーカ いや、治療についてはギーブネル君と相談の上、獨特の治療法を採用して居ります。つまり、自然に近ければ、近いほどよい。――高い藥品なんか、我々は用ひやしません。人間といふ奴は單純なものですからね、死ぬ者は、どうしても死ぬし、快《よ》くなる者は、矢張り快くなります。それにギーブネル君は、病人と話をすることが困難なんですよ。ギーブネル君はロシヤ語が一言も分らないんですからね。 ギーブネル 〔多少イに似たやうな、又幾分かエに似たやうな音を出す〕 町長 リャープキン・チャープキン君、君にも忠告して置くが、役所の方をよく注意して貰ひたいね。ところが役所のあの控室には、いつも歎願者の入つて行くあの室にさ、守衞の奴が鵞鳥を飼つてゐて、その小さい雛が脚下《あしもと》をちよろ/\してるんだ。勿論、家庭の副業として家禽《とり》を飼ふといふことは、みんなに奬勵すべきことに違ひない。守衞が家禽《とり》を飼つて惡い道理はない。だが、いゝかね、たゞあゝいふ場所では不體裁だよ……わしはずつと前から君にこのことを注意して置かうと思つてゐたんだが、どうしたのかつい忘れてゐた。 リャープキン ぢや、今日あの鵞鳥をすつかり臺所へ待ち込んでしまふやうに言ひ付けます。如何です。――食事にいらつしやつては? 町長 そればかりぢやない。君の所では、役所の中にいろんなぼろ切れが乾してある。また書類の入つてゐる戸棚の上には、狩獵用の鞭が掛つてゐるが、あれもいけないね。君が獵の好きなことはわしにも分つてゐるが、一時あれを取り除けて置いた方がいゝよ。檢察官が行つてしまつたら、また掛けてもよいのだから。それから、君のとこのあの陪審員ね……あの男は勿論博學多識の人間だ。だが、あの男には妙な臭氣がある。まるで酒釀造場から今出て來たといつたやうな臭ひだ。――あれも矢張り宜しくない。わしはとうから君にこのことを注意して置かうと思つてゐたんだが、何うしたのか憶えてはゐないが、何かに取り紛れて、言ふ機會がなかつたのだ。あの男はこれを生來《うまれつき》の臭だと言つてゐるが、若し實際にさうなら、それを防ぐ方法がある。それはあの男に葱か蒜か、或は何か他の物を食ふことを勸めてみるもいゝが、今度の 場合はギーブネル君に種々な藥品を用ひて癒して貰つてもいゝ譯だ。 キーブネル 〔例の音聲を出す〕 リャープキン いや、あの臭氣ときたらもうどうにもなるもんぢやありませんよ。あの男の話では子供の時分に乳母が怪我をさせたのがもとで、それ以來少々火酒《ウオーツカ》の匂ひがするやうになつたんださうですから。 町長 いや、それはたゞ一寸君に注意したまでなんだ。それから内部の處置や、アンドレイ・イワーノウィチの手紙の中にある、多少の過失と書いてあることについては、わしは何事も言へない。それに、斯う言ふとおかしいが、少しも後暗《うしろぐら》いことをしない人間なんて者は、一人もありやしないんだからな。これは神樣がかういふことにお定《き》めになつたんだ。ヴォルテル一派の者共がそれに反對して兎や角言つたところで駄目なことだ。 リャープキン アントン・アントーノウィチ、一體あなたは何を多少の過失とお思ひになりますか? 過失、過失と言つても、いろ/\ありますからな。わたしはみんなに向つて公然と賄賂を取ると言つてゐますが、しかしその賄賂たるや何かと言ふと、ボルゾイ種の仔犬です。斯うなると過失といつても、まるつきり別問題ですからね。 町長 いや、仔犬だらうが、他の品物だらうが――賄賂は矢張り賄賂だ。 リャープキン いや、違ひます、アントン・アントーノウィチ。例へばですね、若し誰かの毛皮外套《シユーバ》が五百ルーブリもして、細君の肩掛《シヨール》が…… 町長 ぢや、君がボルゾイ種の仔犬を賄賂に取れば、どうだと言ふのだ? しかも君は神樣を信じないぢやないか。君はヘ會へ一度も行つたことがない。ところが、わしは少くとも固い信仰をもつてゐる。日曜日毎にヘ會へ行く。だが、君は……あゝ、わしは君を知つてゐるよ。君が世界創造の話でも始めようものなら、わしの頭髮は忽ち逆立つてしまふ。 リャープキン でも、あれは自分自身で思ひ着いたことなんです。自分の智慧で。 町長 でも、場合によつては、智慧の多いのは、まるで智慧がないより惡いことがある。しかしわしが郡裁判所のことに口を出したのは、たゞ言つてみたゞけで、實を言ふと、あんな所を覗いて見る者なんか、決してありやしないよ。實に羨しい場所《ところ》さ、神樣が守つて下さるんだ。それからこん度はフローポフ君、君だ。君は學校の監督として、特にヘ員達に氣を配る必要がある。あの人達は勿論學識のある人間で、各種の專門學校でヘ育を受けた連中だが、どうも實に奇妙な行動をする。それは、本來學者には附きものなんだが。例へば、あの連中の中の一人で、そら、顏のでぶ/\したあの男さ……名前は覺えてをらんが、あの男なんぞは、ヘ壇に上ると、どうしてもこんな風に(顏を顰める)顰めつ面をして、それからネクタイの下から片手で顎髯をしごき出さなけりや承知しない。勿論、あの男が生徒にだけあんな顏附をして見せるのなら、まだしもで、或はそんな顏附をして見せる必要があるのかも知れん。それはわしも何とも言へんが、まあ考へても見給へ、若し來賓に向つて、あんな顏附をしたら――それこそとんでもないことになるかも知れんよ。檢察官閣下にしても、又他のどなたかにしても、それを自分に對する面當てのやうにお取りになつたとしたらどうする。そんなことから、どんな大事が 持ち上らんとも限らん。 フローポフ ぢや、あの男をどう始末しろと仰しやるんです? わたしは度々注意をしました。現にこの間も郡の貴族會長がヘ室へ入らうとした時、あの男は今までついぞ見たこともないやうな澁面をして見せたんです。御當人は善良な氣持でそれをやつたのでせうが、わたしは譴責を食ひましたよ。何故自由思想を青年に吹き込むかといふお叱りを。 町長 それから歴史科擔任のヘ員に就いても君に注意をして置かなけりやならん。あの男は學者だ。あの男の頭には、うんと學問が詰め込まれてゐる――それはもう明瞭なことだ’。だが、その説明たるや、我を忘れて夢中になる。あれは困つたものだ。わしは一度あの男の講義を聞いたことがあるが、アッシリヤ人やバビロニヤ人の話をしてゐる間はまだ無難だが、マケドニヤのアレキサンダー大帝の話になつて來ると、どうだらう、お話にも何にもなつたもんぢやない。わしは火事だと思つたよ。全くさ! ヘ壇から駈け下りて、椅子を掴んで、力まかせに床に打《ぶ》つつけるんだ! そりや勿論、マケドニヤのアレキサンダー大帝は英雄に違ひないさ。だが、何のために椅子を打ち毀すんだ? その爲に國庫は損害を蒙るぢやないか。 フローポフ 左樣、實際あれは熱し易い男です! わたしはあの性質については幾度となくあの男に注意をして置いたんですが……「何とおつしやつても、わたしは學問のためには身命を抛つ決心です」と、かうなんですからな。 町長 成程、それではもう運命の不可解な法則だ。賢い人間と言ふものは、醉漢か、でなけりや聖人を娑婆へ引き出したやうな澁面をしてゐるものさ。 フローポフ いや、もう視學なんて仕事はするものぢやない。始終びく/\してゐなけりやならん。それに、誰も彼も口を出すし、誰も彼も自分が利口な人間だといふことを見せたがるし。 町長 そんなことはまだいゝ方だが――困るのは微行の一件だ! 出し拔けにやつて來て「ああ、君達は此處にゐるね! 當地の判事は誰だ?」と來る。「リャープキン・チャープキンでございます」――「ぢや、リャープキン・チャープキンを此處へよこし給へ! ――では、病院長は誰かね?」――「ゼムリャニーカでございます」――「では、ゼムリャニーカを此處へよこし給へ?」とかういふことになつて來ると、忽ち困るんだ! [#ここで字下げ終わり] [#7字下げ]第 二 景[#「第 二 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々、郵便局長登場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 郵便局長 諸君、一體どんな役人が來るんです? 町長 君は聞かなかつたのかね? 郵便局長 ピョートン・イワーノウィチ・ボブチンスキイから聞きました。あの男がたつた今郵便局へやつて來て話したんです。 町長 で、どうだね? 君はこれに就て如何思ふね? 郵便局長 如何思ふかつて?――まづトルコと戰爭が始まるんでせうね。 リャープキン その通り! 僕もさう思つたよ。 町長 二人ともとんだ處へ目をつけたもんだ! 郵便局長 本當に、トルコと戰爭が始まるんですよ。みんなフランス人の策動でさ。 町長 トルコと戰爭なんかあるものか! 間の惡いのはわし達だけで、トルコ人ぢやないよ。これは分り切つた話だ。わしのところへ手紙が來たんだから。 郵便局長 それぢや、トルコと戰爭はないんですね。 町長 ところで、君は一體どうだね、シュペーキン君? 郵便局長 わたしがどうしたとおつしやるんです? それより、あなたはどうです、アントン・アントーノウィチ? 町長 わしがどうしたと言ふんだ? ちつとも怖ろしいことはありやしない。が、ただ少しばかりね……商人共や町民共が一寸氣になるんだよ。わしは奴等には苦手《にがて》ださうだ。尤もわしが二三の者から賄賂を取つたとしても、そこには勿論何の恨みもない筈だ。だが、わしはかうも思ふんだ〔局長の手を取つて脇の方へつれて行く〕ひよつとしたら、わしを訴へたものがありやしないかとね。でないとすると、實際何の爲に當地へ檢察官がやつて來るんだ? そこで、ねえ、シュペーキン君、我々みんなの爲に、君の郵便局へ來る手紙を殘らず、着いた方も出す方も、いいかね、かういふ風に少しばかり開封して、何か密告でも書いてありはしないか、それともたゞの手紙に過ぎないか、讀んで見る譯には行くまいかね。若し密告状でなけりや、また封をすりやいゝんだ。尤も、開封したまゝ發送したつて構はんがね。 郵便局長 承知してゐますよ、承知してゐますよ……それは敢て御ヘ示を仰ぐまでもなく、もうとうにやつてゐます。尤も、警戒のためではなく、主《おも》に好奇心を滿足させるためですがね。わたしは世の中の珍らしい出來事を知るのが、堪らなく好きです。いや、實に面白い讀み物ですよ。中には讀んでゐると面白くて堪らんのがありますよ――いろんなをかしいことが書いてありましてね……だが、また實にいゝヘ訓になるのもありますよ……『モスコフスキイヤ・ウェードモスチ』(新聞「モスクワ報知」)などに書いてある記事よりよつぽど利益《ため》になる位ですよ! 町長 では、どうだね、ペテルブルグから來た役人に就て何か讀まなかつたかね? 郵便局長 いや、ペテルブルグに關したものは一つもありませんでした。コストローム市やサラトフ市に關しては大分ありましたが。だが、あなたがそれ等の手紙をお讀みにならないのは、殘念ですな。素敵に面白いところがありますよ。つい此の間も或る中尉がその友達に宛てた手紙を讀みましたが、舞踏會のことを實に面白く書いてゐました……實に、實に素敵でした。「愛する友よ、僕は極樂で生活してゐるやうだ。お孃さん達は澤山ゐるし、音樂が奏せられ、軍旗ははためいゐる……」と、こんな風に、ひどく感激的なことを書いてゐました。わたしは特にその手紙を手許にとつて置きましたが、どうです、何なら一つ讀んでみませうか? 町長 いや、今はそれどころではない。しかし、シュペーキン君、お願ひだから、かうしてくれ給へ。萬一告訴とか、或は密告とかいふやうなものが君の手許に入つたら、考慮するまでもなく、片つ端から押收してくれ給へ。 郵便局長 承知しました。 リャープキン 氣を附けろよ。そんなことをすると、何時か又報ひが來るぞ。 郵便局長 そいつは困るな! 町長 大丈夫だよ。大丈夫だよ。若し君がそれを公にすれば別問題だが、これは内輪の話だからね。 リャープキン 何にしても面白くない事件が持上つたものだ! 實はね、アントン・アントーノウィ チ、わたしはあなたに仔犬を一匹差上げに伺ふつもりだつたんです。あなたの御存じの例の牡犬の妹ですよ。時にあなたもお聞き及びでせうが、チェプトウィチとワルホウィンスキイとの間に訴訟が起つたんです。それで當分はわたしの極樂でさ、兩方の領地で兎狩が出來るんですからね。 町長 ヘツ、こんな場合にそんな兎の話なんか面白くもない。わしの頭の中は、例の忌々しい微行の一件で一ぱいだ。かうしてぐづ/\してゐる間にも、扉がぱつと開いて――いきなり…… [#7字下げ]第 三 景[#「第 三 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々。ドブチンスキイ、ボブチンスキイ(兩人息を切らして登場) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] ボブチンスキイ 大變なことが起りました! ドブチンスキイ 意外なことをお知らせに參りました! 一同 なに、何事だ? ドブチンスキイ 思ひがけないことでございます。わたくし共が宿屋の食堂へ參りますと。 ボブチンスキイ 〔遮つて〕わたくしがドブチンスキイさんと一緒に宿屋へ參りますと。 ドブチンスキイ 〔遮つて〕まあ、待つてくれ、ボブチンスキイさん、わしがお話をするから。 ボブチンスキイ いや待つた、わしが……待つた、待つた、お前さんなんかにこんな話は出來つこないんだから……。 ドブチンスキイ お前さんこそまごつくよ。それにお前さんは殘らず思ひ出せやしまい。 ボブチンスキイ 思ひ出せるとも、きつと思ひ出せる。もう邪魔をせずに、わしに話させてくれ。邪魔をしちやいけない! どうか、皆さん、お願ひです。ドブチンスキイさんに邪魔をしないやうにおつしやつて下さい。 町長 さあ、話した、一體どうしたと言ふんだ? わしの心臟ははち切れさうだ。さあ、諸君掛け給へ! 椅子をとつて掛け給へ! ボブチンスキイ君、さ、君にも椅子をやらう。〔一同ボブチンスキイとドブチンスキイとの周圍に腰掛ける〕で、何事だ、どうしたと言ふんだ? ボブチンスキイ お待ち下さい、お待ち下さい。順序を立ててからすつかりお話致します。あなたのところへ例の手紙が參りまして、あなたが御心配なすつていらつしやることを承知しましたから、わたくしはお宅を御暇しますと――直ぐに駈け出しました……ドブチンスキイさん、どうか話の腰を折らんやうにしてくれ! わしは何も彼もみんな殘らず知つてゐるんだから。そこで、よろしうございますか、わたくしはコローブキンさんのところへ駈けて行つたんでございます。ところが、コローブキンさんはお留守でした。それで、方向を換へて、ラスタコーフスキイさんのところへ參りました。すると、ラスタコーフスキイさんも居りません。で、こん度はこのシュペーキンさんのところへ、あの珍事をお傳へしようと思つて立寄りました。そしてそこを出ますと、ぱつたりドブチンスキイさんに出會つたのでございます…… ドブチンスキイ 〔遮つて〕あの肉饅頭《ピローグ》を賣つてゐる辻店の傍で。 ボブチンスキイ 肉饅頭《ピローグ》を賣つてゐる辻店の傍でございます。其處で、ドブチンスキイさんに出會ひましたので、アントン・アントーノウィチが確かな筋から受け取つた手紙のことを聞いたかね、と訊ねますと、ドブチンスキイさんはもうお宅の女中頭のアヴドーチヤからその話を聞い たと言ふんでございます。アヴドーチヤは何のためかは存じませんが、ポチェチューエフさんのところへお使に行くところだつたさうでございます。 ドブチンスキイ 〔遮つて〕フランスの火酒《ウオーツカ》を入れる樽をとりに參つたのでございます。 ボブチンスキイ 〔彼の手を押し退けながら〕フランスの火酒《ウオーツカ》を入れる樽をとりに參つたのでございます。で、私とドブチンスキイさんとは、ポチェチューエフさんのところへ參りました……ドブチンスキイさん、もうお前さん……此處んとこを……混《まぜ》つ返さないでくれ、後生だから、混《まぜ》つ返さないでくれ……二人でポチェチューエフさんの所へ參りました。するとその途中でドブチンスキイさんは「一つ宿屋の食堂へ入らうぢやありませんか。わしの胃袋は……朝からまだ何も食つてゐないので、この通り痙攣を起して困るんです。」とかう申すんでございます。成程、ドブチンスキイさんの胃袋は痙攣を起してゐました……「何でも食堂に今日新しい鮭が來たといふことですから、一つ食べてみようぢやありませんか」とかう申すんでございます。で、わたくし共は宿屋へ入りました。すると、いきなり一人の若い男が…… ドブチンスキイ 〔遮りながら〕文官服を着た立派な風釆の… ボブチンスキイ 文官服を着た立派な風釆の若い男が、こんな風に部屋の中を歩いてゐるんでございます。その顏には、どうも思慮の深さうなところがありまして……顏附と言ひ……動作といひ堂々としたものでございます。それから此處んところも〔額のところで片手をぐるぐると廻す〕一ぱいつまつてゐるやうなんです。わたくしははつと致しましたので、「こいつはうつかり出來ませんぜ」と、ドブチンスキイさんに申しました。左樣でございます。するとドブチンスキイさんは直ぐに指で合圖して、亭主を――亭主のヴラースを呼びました。あの男の家内は、三週間前に赤ん坊を産みましてね、それが、とても元氣のいゝ兒ですから、矢つ張り親父と同じやうに宿屋を經營するやうになるでございませう。亭主が參りますと、ドブチンスキイさんは「あの若い方は、一體誰だい?」と低聲で訊ねました。すると、ヴラースの申しますには、「あの」……えゝ、混つ返さないでくれ、ドブチンスキイさん、どうか、混つ返さないでくれよ。お前さんには話せやしないからさ、本當に話せやしないよ。お前さんは舌縺れがする。わしはよく知つてゐるよ。お前さんの一本の齒は、口の中でヒュー/\鳴るぢやありませんか……「あの若い方はお役人でございまして」しかも「ペテルブルグからお見えになつた方で、お名前はイワン・アレクサンドローウィチ・フレスタコーフと言つて、これからサラトフ縣へいらつしやるさうでございますよ」と、かう申します。「とても妙な方で、先週から泊つてゐらつしやいますが 食堂の外へは一歩もお出かけにならず、何も彼も皆|勘定書《つけ》でおとりになつて、一コペイカでも拂はうとなさいません」と、まあこんな風に亭主は話すんでございます。その時です、わたくしは神樣のお告げを受けたやうな氣がしまして、「こりやあ!」と、わたくしはドブチンスキイさんに申しました…… ドブチンスキイ さうぢやない、ボブチンスキイさん、「こりやあ!」と言つたのは、そりやわしですよ。 ポブチンスキイ 最初お前さんがさう言つて、それからわしが言つたんです。「こりやあ、サラトフ縣へ行かなけりやならないと言ふのに、この人はどうして此處に腰を据えてゐるんだらう?」と、かうわたくしもドブチンスキイさんも申しました。左樣でございます。あの方こそ例のお役人でございますよ。 町長 誰だつて? どんな役人だ? ボブチンスキイ それ、あなたが通知をお受取りになつた、あのお役人でございますよ――檢察官でございます。 町長 〔吃驚して〕何を君達は言つてるんだ。とんでもない! なんで檢察官なもんか。 ドブチンスキイ いゝえ、あの方ですとも! 金は拂はない! 出立もなさらない。あれでなくつて誰でございませう? 旅行券にもサラトフ行と書いてございます。 ボブチンスキイ あの方ですとも、あの方ですとも、きつとあの方でございますよ……それはそれは注意深いお方で、始終《しよつちう》ぢろぢろと見廻してばかりいらつしやいました。わたくしとドブチンスキイさんとが鮭を食べてゐますと――それは、つまり、ドブチンスキイさんのお腹の加減だつたのですが……するとあの方はわたくし共の皿の中までこんな風に覗き込んでゐらつしやいました。わたくしは本當にぞつと致しましたよ。 町長 おゝ神よ、我々罪人を憐み給へ! で、その方は何の室にお泊りになつてゐるんだ? ドブチンスキイ 階段の下の第五號室でございます。 ボブチンスキイ 昨年旅の將校達が喧嘩を致しましたあの部屋でございます。 町長 で、もう疾うから當地《ここ》へ來ていらつしやるのか? ドブチンスキイ もう二週間程前からでございまず。エジプトの聖者ワシーリイの記念日におみえになつたさうでございます。 町長 二週間! 〔傍白〕いや、こいつはとんだことになつたぞ! どうしたらいゝだらう! この二週間の間に、わしは下士の家内を鞭で打つたし! 囚人共には食物をやらなかつたし! 町の中は居酒屋のやうに不潔だし! あゝ、恥辱だ、面目ない! 〔頭を抱へる〕 ゼムリャニーカ では、アントン・アントーノウィチ、いかゞでせう? ――公式に宿屋へ伺候致しましては? リャープキン いや、いや! 先づ町長を先頭に、僧侶、商人といふ工合に行つて貰ふ方がいゝ。現に、「イオアン・マソンの事蹟」と言ふ本にもさう書いてある。 町長 いや、いや。これはわしに任せて置いて貰はう。今までも隨分困つた場合があつたが、いつも無事に濟んだ上に、お禮まで言はれたくらゐだ。だから、神樣はこんども多分無事に濟まして下さることだらう。〔ボブチンスキイに向つて〕君の話では、若い方だといふことだね? ボブチンスキイ 左樣でございます。二十三、四で、それ以上ぢやございますまい。 町長 そいつは益々好都合だ。若造の腹ん中は直ぐに嗅ぎ出せるものだ。老獪な古狸ぢや困るが、青二才は――何でも表面《うはつら》に出してしまふからな。では、諸君、諸君はその受持々々で手配してくれ給へ。わしは一人で、いや、さもなければボブチンスキイ君でもつれて、非公式に、散歩旁々、旅客に不快を與へてはゐないかどうかを視察に行く態にして宿屋へ行つて見よう。おい、スヴィストゥーノフ! スヴィストゥーノフ 何か御用でございますか? 町長 直ぐに分署長を呼んで來い。いや、お前には用事があるから、一刻も速く分署長を呼んでくるやうに、誰かに言ひつけて、お前は此處へ歸つて來るんだ。〔巡査急いで駈け出す〕 ゼムリャニーカ さ、行かう、行かう、リャープキン・チャープキン君! 本當にどんな災難が持上るか分りやしない。でも、君なんか何もびく/\する必要はないぢやないか! 病人に清潔な帽子でも被せて置けば、後のことは水に流して居られるんだから。 ゼムリャニーカ いや、帽子どころの騷ぎぢやない! 病人には燕麥のスープを食はせるやうに言ひつかつてゐるんだが、病院の廊下は何處も彼處も鼻持のならんやうなキャベツの臭ひがぶん/\してゐるといふ始末だ。 リャープキン 其處へ行くと、僕なんざあ安心なものさ。實際のところ、田舍の裁判所なんかへ寄つてみる者はありやしないからね。若し何か書類を一寸でも覗いて見給へ、人生の悦樂忽ち消え失せる位だ。我輩なんかもう十五年間も裁判官の椅子に腰掛けてゐるが、告訴状を一目覗いたゞけで、あ! もうがつかりして、手を振るくらゐだ。告訴状のどれが本當で、どれが嘘だといふことなんか、ソロモンにだつて決められやしない。   〔判事、病院長、視學、郵便局長退場。戸口で歸つて來た巡査に衝突する〕 [#7字下げ]第 四 景[#「第 四 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 町長、ドブチンスキイ、ボブチンスキイ、巡査 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 町長 どうした、馬車は? 彼方で待つてゐるのか? 巡査 待つて居ります。 町長 ぢや、お前は街路《とほり》へ行け……あ、いや、待つた! あれを取つて來てくれ……だが、他の奴等は何處にゐるんだ? たつたお前一人か? プロホーロフにも此處へ來るやうに言ひつけて置いたのに。あの男は一體何處にゐるんだ? 巡査 署内に居りますが、一寸お役に立ち兼ねますので。 町長 どうしたと言ふんだ? 巡査 實は、今朝ほどあの男が死んだやうに醉拂つてゐるのを連れて歸つたのでございます。もう水桶で二はいも水をぷつかけましたが、今にまだ正氣づきません。 町長 〔頭を抱へて〕いやはや、じつに困つたもんだ、困つたもんだ! 速く街路《とほり》へ行つて、あいや――その前に室へ駈けて行つて、分つたか、劒と新調の帽子とを持つて來てくれ。さあ、ドブチンスキイ君、出かけるぞ! ボブチンスキイ わたくしも、わたくしも、わたくしにも……お供をさせて戴けませんでせうか アントン・アントーノウィチ? 町長 いや、ボブチンスキイ君、いかん、いかん! 工合が惡い。それに馬車にも乘れやせん。 ボブチンスキイ 結構です、結構です。わたくしはかうしてあるいてまゐります。馬車の後から駈けてまゐります。そして隙間から、扉の間《あひだ》から一寸覗いて、あの方がどんな樣子をなさるか…… 町長 〔劍を取りながら巡査に向つて〕直ぐ駈けて行つて、巡警共を建れて來い。そして皆《みんな》に持たせるんだ……やツ、劒は傷だらけぢやないか! アブドゥーリンの奴、忌々しい商人だ――町長のおれが古い劒を佩《さ》げてゐるのが分つてゐる癖に、新しいのをよこさうともしやがらん。實に狡い奴らだ! それに惡黨共はもう窃《そつ》と歎願書を用意してゐるかも知れん。巡警共には各自《めい/\》街頭《とほり》を持たせて……ちえツ、糞、街路《とほり》ぢやない――箒を持たせて、宿屋へ行く街路《とほり》をすつかり掃かせて置け。綺麗に掃かせて置け……分つたか! だが、こら、こら、氣を附けろよ! わしはお前のしたことをちやんと知つて居るぞ。お前は彼處《あそこ》で厭に世話を燒く風をして、長靴の中へ銀の匙をくすね[#「くすね」に傍点]たらう――氣を附けろ。おれの耳は早いんだからな!……それに、お前は商人のチェルニャーエフに何をした――あ? あの男はお前に制服用の羅紗を二アルシンくれたのに、お前は一反殘らずくすねてしまつたらう! 氣を附けろよ! 身分不相應な取り方だ! さ、行け! [#7字下げ]第 五 景[#「第 五 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々、分署長登場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 町長 あ、ウホヴョールトフ君! 君は一體何處へ雲隱れしてゐたんだね? こんなことをしていゝと思ふのか? 分署長 わたくしはたつた今御門の外《そと》に居りましたので。 町長 まあ、聽き給へ、ウホヴョールトフ君、ペテルブルグから役人がお見えになつたんだが、君はどんな風に手配をしたかね? 分署長 は、あなたの御命令通りに致しました。巡査のプーゴウィツィンに巡警共をつけて、通路の掃除にやりました。 町長 ぢや、デルジモールダは何處にゐる? 分署長 デルジモールダは消防|喞筒《ポンプ》に乘つて行きました。 町長 だが、プロホーロフは醉つ拂つてゐるんだな? 分署長 醉つて居ります。 町長 どうして君はそんなことをさせて置くんだ? 分署長 は、どうも彼奴は始末の惡い奴でして。咋日町はづれに喧嘩が起りましたので――取締りのため其處へ遣[#「遣」は底本では「遺」]はしましたところが、蹄つて來た時にはもうひどく醉つ彿つて居りました。 町長 では、君、いゝかね、かうして貰ひたいんだ。巡査のプーゴウィツィンだね……あの男は背が高いから、街路《とほり》の整理のために橋の上に立たせて置くんだ。それから靴屋の傍にある古塀を大急ぎで取り毀して、さも地ならしでもしたやうに藁の道路標を立てゝ置くんだ。澤山に毀せば毀すだけ、町當局者の働きが多いことになる譯だからな。やツ、困つたぞ! すつかり忘れてゐたが、あの塀の傍には、荷車で四十臺くらゐの芥《ごみ》が積んである。何といふ汚い町だ! 何處かに記念碑か、それともたゞの塀でも建てようものなら――何處から持込んで來るか知らないが、種々《いろ/\》な芥《ごみ》の山が出來てしまふ! 〔溜息を吐く〕それから、若し例の役人が「みんな不平はないかた?」と言つて勤め向のことをお訊ねになつたら、「閣下、萬事不平はございません」と答へるやうに言つて置け。不平があるなんて云つた奴には、後でそんな不平を言へないやうな目に會はせてやる……ああ、ああ! わしは罪深い人間だ、澤山罪を犯して居る。〔帽子を取らうとして帽子の箱を取る〕でも、どうか神樣、一刻も速くこの災難が過ぎ去りますやうにお願ひ致します。その代りヘ會に參りましたら、今迄誰もお供へしたことのないやうな蝋燭をお供へ致します。横着な商人共に三プードづゝの蝋を納めさせて大きな蝋燭を作ります。ああ、何といふことだ、何といふことだ!さ、行かう、ドブチンスキイ君! 〔ボール箱を帽子だと思つて被らうとする〕 分署長 アントン・アントーノウィチ、それは帽子ぢやありません。ボール箱でございます。 町長 〔ボール箱を投げ棄てながら〕箱なら箱でいゝ、畜生!それから、五年前に豫算を通過した病院附屬の會堂は、どうして出來てゐないんだと訊かれたら、忘れずに、建て始めましたが、燒けてしまぴましたと言ふんだぞ。わしはあの一件に就いてさう報告を出して置いたが、ひよつとすると、誰かゞ忘れて、前後の考へもなく、あれはまだ建築に取りかゝりませんなどゝ言ふかも知れんからな。それから、デルジモールダには、あんまり擧骨を振り廻さんやうに言つて置くがいゝ。あの男は取締りのためと云つては、誰でも構はず目から火が出る程横面を毆るからね――良民でござれ、惡黨でござれ、お構ひなしだ。さ、行かう、行かう、ドブチンスキイ君! 〔一旦退場しかけて、戻つて來る〕それから、あの兵隊だがね、ちやんとした服裝をさせなけりや、街路《とほり》へ出しちやいかんぞ。あの穢ならしい守備兵共は、ルバーシュカの上に軍服を着ただけで、下には何も着けてゐやしない。〔一同退場〕 [#7字下げ]第 六 景[#「第 六 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] アンナ・アンドレーエウナ、マリヤ・アントーノウナ、走りながら登場。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] アンナ あの人達はみんな何處にゐるんだらうね? あら、まあ!…… 〔扉を開けながら〕あなた! アントーシャ!、アントン! 〔早口に娘に向つて〕 みんなお前からだよ、みんなお前の所爲《せい》だよ。「あたしピンを、あたし襟飾を」なんて言つて、搜し廻つてゐたからだよ。〔窓の傍へ駈け寄つて叫ぶ〕あなた、何處へ、何處へいらつしやるの? なに、着いたんですつて? 檢察官が? 口髯を生やした方? どんな口髯? 町長 後で、後で、おかあさん! アンナ 後で? こんな耳新しい話を後でなんて、厭です、後でなんて……ぢや、たつた一口でいゝわ、その方は何ですの? 大佐? え? 〔蔑むやうに〕ふん、行つてしまつた! 憶えてゐるがいい! これもみんなお前が「お母さん、お母さん、一寸待つて頂戴よ。襟飾を後方《うしろ》からピンで止めるんですから。もう直ぐよ!」なんて云つて居たお蔭でこんなことになつてしまつたんだ! これでも今直ぐですか。お前のお蔭でこの通り何も聞けやしない! お前のおしやれ[#「おしやれ」に傍点]には厭になつてしまふ。郵便局長が來てゐると聞いたものだから、鏡の前に立つて、あつちから見たり、こつちから見たりして、姿態《しな》ばかりを作つてゐるんだもの。お前は、あの人に 慕《おも》はれてゐるとでも考へてゐるんだらうが、どう致しまして、お前が背後を向くと、あの人はお前に顏を顰めてゐるくらゐなんだよ。 マリヤ だつて、お母さん、仕方がないわ! そんなことなんか、どうだつていいぢやないの。どうせ二時間も經てば、みんな分ることですから。 アンナ 二時間も經てばですつて? どうも有難う、結構な返事を戴いて。何だつてお前は、もう一月も經てばもつとよく分りますつて言ふ智慧が出なかつたの! 〔窓へ身體を乘り出して〕これ、アヴドーチャー え? アヴドーチャ、お前聞いたかい? 誰か此町へお見えになつたんぢやないの?……聞かなかつたつて? なんて馬鹿な女だらう! 旦那樣が手をお振りになつたつて? 手を振つたつて、構ふことはないから、よく訊いてみればよかつたのに。そんな事も訊けないやうぢやしやうがありやしない! くだらない事ばかり考へてゐるからだよ。始終お婿さんのことで一杯になつてゐるからだよ。え? みんな急いで出て行つた! ぢやお前、馬車の後について駈けて行けばよかつたのに。行つておいで、行つておいで、今直ぐに。いいかい。駈けて行つてみんなが何處へ行つたか、聞いておいで。それから、誰がお見え忙なつたのか、それがどんな樣子の方か、よく聞いておいで――分つたかい? 隙間から覗いてもいいから、よく見ておいで。どんな目の方か、黒いかそれともさうぢやないか、見たら直ぐに歸つて來るんだよ、分つたかい? 速く、速く、速く、速く! 〔幕が降りるまで叫ぶ。やがて幕は窓際に立つてゐる二人の女を隱す〕 [#改ページ] [#5字下げ]第 二 幕[#「第 二 幕」は大見出し] [#ここから8字下げ] (宿屋の小さな一室、寢臺、テーブル、鞄、空壜、長靴、服ブラシ、其の他。) [#ここで字下げ終わり] [#7字下げ]第 一 景[#「第 一 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] オーシップ、主人の寢臺に臥てゐる。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] オーシッフ 畜生奴、食ひたくつて食ひたくつて堪りやしねえや。ぐうぐうと腹鳴りがして、まるで一聯隊くらゐの兵隊が喇叭でも吹いてゐるやうだ。この分ぢや家《うち》へも歸れやしめえ。ぢや、どうすりやいいんだ? もうピーテル〔ペテルブルグのこと〕を出て足かけ三箇月にもなる! 途中で金を費ひ果して、今ぢや、奴《やつこ》さん、すつかり腰を据ゑ、尻尾を卷いて、悄げ返つてゐらア。おまけに馬車賃もありやしねえ。馬車賃だけでもありや大助かりなんだが。それに、どうだい、どの町へ行つても、見榮を張らなけりや承知しねえんだ。〔主人の口眞似をする〕「おい、オーシップ、室を見に行つて來い。いい室をだぞ。それから食事は一番いいのを註文するんだ。俺《おれ》にはまづい物は食へんからな。上等の飯でなけりやいかんぞ」と來る。實際何かどえらい人物とでも云ふならまだしもだが、たかが十二等官ぢやねえか! おまけに、旅の者と知り合ひになつて、それから骨牌をおつ始めて――どゞのつまりが丸裸さ! あゝあ、こんな世渡りにや飽々だ! 全く田舍の方がましだ。賑やかなこたあないが、苦勞も少いや。百姓の女でも嬶《かゝあ》にして、年がら年ぢゆう暖爐の上の寢床の中に轉がつて、肉入饅頭《ピローグ》でも食つてりやいいんだ。でも、本當を言へば、ピーテルで暮すくらゐ面白えこたあないな。そりや分りきつた話だ。金さへありや、涙手な氣輕い暮しが出來るんだからな。芝居小舍《しべえごや》へ行きや、犬まで踊つて見せてくれるし、何でもお望み次第だ。話をするんでも、きつとお上品な洒落た物の言ひ方をして、貴族にも敗けねえくらゐだ。シチューキンの百貨店に行きや――商人共は手前えに「旦那!」と呼びかけやがるし、渡し場で舟に乘りや、お役人樣と一緒に腰掛けてゐられる。仲間が欲しけりや――店へ行きやいい。其處ぢや、騎兵さんが戰《いくさ》の話をして聞かしたり、天の星はどれもこれもみんなそれぞれの意味をもつてゐるんだなんて、まるで掌《てのひら》でも指すやうに話してくれる。それから年とつた將校の細君もやつて來るし、たまには素敵な小間使まで顏を出す……ふ、ふふ!〔と、笑つて頭を振る〕それに、畜生、どうだい、應對が馬鹿に上品で、無作法な言葉なんか、聞かうたつて聞かれやしねえ。手前なんかにも「あなた」と言つて話しかけるんだからなあ。歩くのが厭になりや――辻馬車を呼んで、旦那のやうな風をして腰掛けてゐりやいいんだ。金を拂ひたくなけりや――拂はなくともいい。どんな家にも通り拔けの出來る門があるから手前が急いで通り拔けりや、どんな惡魔にだつて探し出されつこはありやしねえ。ただ一ついけねえのは、たまにうめえものを鱈腹食つても、その次には、丁度今のやうに飢ゑ死しさうになることだ。だが、これもみんな奴《やつこ》さんが惡いからだ。手のつけられねえ人だ! 親父さんが金を送つてよこしたら、それを身につけてゐりやいいに――早速ばら撒きに出かけてしまふ。馬車を乘り廻す、毎日々々芝居の切符は買ふ。だから、一週間も經つと、どうだい――新調の燕尾服を市場へ持ち出して、賣り拂つてしまうと云ふ始末だ。どうかすると、ルバーシュカを一枚殘らず手放してしまつて、奴さんの身には、フロツクコートと外套だけしか殘らねえことがある……いや、全くだ! 羅紗なんかとても上等の英國物ぢや! 燕尾服一枚だけで百五十ルーブリもしたのを、市場では二十ルーブリで手放すんだからな。ズボンなんざあ、言ふも馬鹿馬鹿しい――鐚一文にも賣れやしねえ。だが、一體、何故だ?――仕事をしねえからだ。お勤めをしねえで、大通りをぶらぶら歩いたり、骨牌をとつたりするからだ。ああ、こんなことが大旦那に分つたら、どうだ! 大旦那は手前《てめ》えがお役人樣であらうがなからうがお構ひなしに、ルバーシュカの尻を捲り上げて、四日も擦《さす》つてゐなけりやならねえやうな小ツぴどいやつをお見舞ひ申すこつだらう。お勤めをするなら、ちやんとお勤めをするがいい。現に、今も亭主の奴、今までの分を拂はなきや、お前さん達にや食事を出さんと吐かしやがつた。拂はなきや、どうなると云ふんだ?〔溜息を吐く〕あゝあ、せめて、何か野菜汁でもいいからありつきてえなあ! 今ぢや世界ぢゆうを食ひ盡したいやうな氣がすらあ。誰か扉を叩いてるな。多分奴《やつこ》さん歸《け》えつて來たんだらう。〔急いで寢臺から飛び降りる〕 [#7字下げ]第 二 景[#「第 二 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] オーシップ、フレスタコーフ。(登場) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] フレスタコーフ おい、これを取つてくれ。〔帽子とステッキを渡す〕また、貴樣、寢臺の上に轉がつてゐたんだな? オーシップ どう致しまして。何のために寢臺に轉がるんですか? 寢臺を初めて見たと云ふ譯でもあるめえし! フレスタコーフ 嘘を吐け。ころがつてゐたんだ。見ろ、すつかりくしやくしやになつてゐる! オーシップ 何んでわしに寢臺なんか用があるんですか? 一體寢臺つたらどんなものか知らねえとでも思つてるんですか? わしには脚があるから、ちやんと立つて居りますよ。あなたの寢臺に何の用があるんです? フレスタコーフ 〔室の中を歩く〕おい、一寸見てくれ、その袋の中に煙草が入つちやゐないか? オーシップ 何處に煙草なんかありますかい? 三日前に一本も殘らず喫《す》つておしまひになりましたよ。 フレスタコーフ 〔歩きながら樣々な恰好に唇を噛みしめる。たうとう高いきつぱりとした聲で〕いいか……おい、オーシップ! オーシップ 何んでござりますかね? フレスタコーフ 〔大聲ではあるが、前よりきつぱりしない聲で〕あそこへ行つて來い。 オーシップ 何處でございますか? フレスタコーフ 〔きつぱりともしなければ大聲でもなく、まるで哀願する樣な聲で〕下の食堂にさ…… あそこへ行つてな……食事にして呉れる樣に言つてくれよ。 オーシップ 駄目ですよ。わしや行きたうもありませんよ。 フレスタコーフ 貴樣、何を吐かすんだ、馬鹿ツ! オーシップ 何を言ふ譯でもございませんが、行つても同じことなんでさ。何もなりやしませんよ。亭主はもう食事を出さねえと云つたんですからね。 フレスタコーフ 食事をさせないなんて怪しからん! 馬鹿にするも程がある! オーシップ おまけにかうも言ひました――俺は町長のところへ行つてくる。お前の主人は二週間も宿賃を拂はねえ。お前えも旦那も騙兒《かたり》だ。お前の旦那は惡黨だ、詐欺師だ。おれは貴樣らのやうな騙兒《かたり》や破廉恥漢《はじしらず》はよく見て知つてゐるつて。 フレスタコーフ 貴樣はまたそんなことをすつかり俺に話して面白がつてゐるんだな、畜生! オーシップ 「みんなこんな風にやつて來て、宿《とま》り込んで、借金をこさへて、後ではもう追つ拂ふことも出來なくなるんだ」と吐かしやがるんです。「わしや冗談を云つてるんぢやない。直ぐにも訴へて、留置場か監獄へ打《ぶ》ち込んでやる」と吐かしやがるんです。 フレスタコーフ もういい、いい、馬鹿ツ! もう澤山だ! 行つて亭主に言つて來い。何といふ亂暴な動物だ! ぢや、一層のこと亭主に來て貰ひませう。 フレスタコーフ 亭主を呼んでどうするんだ? 貴樣、自分で行つてさう言へ。 オーシップ だつて、本當に、旦那…… フレスタコーフ 分つてゐる。行つて來いと云ふに、畜生! 亭主を呼ベツ! 〔オーシップ退場〕 [#7字下げ]第 三 景[#「第 三 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] フレスタコーフ(一人) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] フレスタコーフ 無茶に食ひたくて食ひたくて堪りやしない! かうして少し歩いて來たら、ちつとは食慾が無くなるかと思つたら――どうして、畜生! 無くなりやしない。それにしてもペンザで馬鹿遊びさへしなかつたら、家《うち》へ歸る旅費ぐらゐ殘つてゐたんだが。歩兵大尉の奴、俺をすつかり誤魔化しやがつた。あの惡黨奴、骨牌が恐ろしく巧いんだ。みんなで十分ばかりの間に――すつかり卷き上げられてしまつた。でも、も一度あの男と勝負をしたくて堪らなかつたが、機會がなかつた。此處はなんて穢い町だ! 果物屋め、現金でなけりや何一つよこしやしない、全く以て下劣といふ外はない。〔口笛で最初は「ロベルト」の一節を吹き、それから「母君よ、わがために縫ひ給ふな」を吹き、しまひには何だか解らない歌を吹く〕誰一人やつて來ようともしない。 [#7字下げ]第 四 景[#「第 四 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] フレスタコーフ。オーシップ、給仕(登場) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 給仕 旦那が何の御用か、お訊ねして來いと申しましたので。 フレスタコーフ やあ、君、今日は! どうだい、變りはないかね? 給仕 お蔭樣で。 フレスタコーフ では、どうだい、この宿屋の方は? 景氣はいいかね? 給仕 はい、お蔭樣で、萬事都合よく行つて居ります。 フレスタコーフ お客は多いかね? 給仕 はい、可成りでございます。 フレスタコーフ 時にね、君、今まで未だ食事を持つて來てくれないんだがどうか速く持つて來るやうに急いでくれないか――僕は食事をしたら、直ぐしなけりやならない用事があるんだから。 給仕 でも、もう差上げちやいけないと主人が申しましたので。主人は今日是非とも町長さんのとこへ行つて、訴へて來たいと申して居りました。 フレスタコーフ 何を訴へるんだ? ねえ、君、考へてみ給へ、一體何を訴へるんだ? 僕は食はなきやならないんだよ。こんなことをしてゐると、骨と皮になつちまふぜ。僕はとても食ひたくて食ひたくて堪らんのだ。僕は冗談に言つてゐるんぢやないよ。 給仕 さうでもございませうが、主人は「あの方が今までの分をお拂ひになるまで、食事を差上げない」と、かう云ふ挨拶でございます。 フレスタコーフ そこをだ、君からよく話して、説き付けるんだよ。 給仕 では、何んて申すのでございます? フレスタコーフ 僕が食はずにゐられないつてことを、君から眞面目に説き聞かせるんだよ……金なんか自然と出て來るさ……亭主は自分が百姓だから、一日ぢゆう何も食はなくとも何ともないんだらう。だから、他の人も矢張りさうだとおもつてゐるんだらう。笑止千萬だ! 給仕 ぢや、さう申してみませう。〔兩人退場〕 [#7字下げ]第 五 景[#「第 五 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] フレスタコーフ(一人) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] フレスタコーフ だが、まるつきり何も食はせてくれないとすると、忌々しいな。こんなに食ひたいと思つたことは、これまでつひぞ一度もなかつた。一つ着物でも融通するかな? ズボンでも賣り飛ばすか? いや腹は空《へ》つても、ペテルブルグ仕立の服を着て家へ歸りたい。ヨヒームが馬車を損料で貸してくれなかつたのは、殘念だ。畜生、馬車に乘つて家へ歸つたら、さぞ愉快だらうに。さうして仕着せを着たオーシップを後ろに立たせて、ランプの附いた馬車に乘つて、誰か近所の地主か何かの玄關にでも乘りつけたら、どんなに愉快だらうて。さぞみんなが度膽を拔かれることだらう!「誰だい、何だろ?」てなわけさ。すると、從僕がはひつて行つて〔ぐいと身體を伸し、從僕のやうな樣子をする〕「イウァン・アレクサンドローウィチ・フレスタコーフ樣がペテルブルグからいらつしやいました。お會ひ下さいますでせうか?」とやる。が、奴等は間拔けだから、「お會ひ下さいますでせうか」と云ふ意味が分らん。若しこれが何處かの鵞鳥地主か何かなら、いきなり熊のやうに奴等の客間へづか/\入つて行くんだがなあ。そして美しい娘か何かの傍へ寄つて、「お孃さん、わたしはどんなに……」〔兩手を揉みながら足ずりをする〕ちえつ!〔唾を吐く〕あ、胸糞が惡くなる程食ひたい。 [#7字下げ]第 六 景[#「第 六 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] フレスタコーフ。オーシップ、後から給仕(登場) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] フレスタコーフ どうだつた? オーシップ 持つて參ります。 フレスタコーフ 〔ぽんと手を拍つて、椅子の上で輕く飛び上る〕持つて來る! うまい! しめた 給仕 〔皿とナフキンとを持つて〕主人がもうこれつきり差上げられないと申しました。 フレスタコーフ 主人、主人つて……貴樣の主人なんか屁でもないぞ! 何だ、それは? 給仕 スープと燒肉で。 フレスタコーフ では、たつた二皿か? 給仕 え、それつきりでございます。 フレスタコーフ 馬鹿にするな! おれはそんな物は食はん。亭主にさう言へ、一體これは何事だつて……これだけぢや足りやしない。 給仕 いゝえ、主人はこれでもまだ多過ぎると申して居ります。 フレスタコーフ だが、何故ソースを持つて來ないんだ。 給仕 ソースはありません。 フレスタコーフ ない? おれは臺所の傍を通つた時に、澤山作つてあるのをちやんと見たよ。それに、今朝も食堂で誰か背の低い男が二人で鮭だの何だのいろんなものをうんと食つてゐたぢやないか。 給仕 そりやあるかも知れませんが、無いかも知れません。 フレスタコーフ 無い筈はない! 給仕 でも、無いのでございます。 フレスタコーフ 鮭だの、魚だの、カツレツなどはどうした? 給仕 はい、それはもつと立派なお方に差上げるものでございます。 フレスタコーフ えツ、この馬鹿ツ! 給仕 左樣でございます。 フレスタコーフ この忌々しい仔豚奴………奴等が食ふのに、何故このおれが食つていけないんだ? 畜生、どうしておれだけが食へないんだ?  奴等だつておれと同じお客ぢやないか! 給仕 そりや分り切つたことで、決してあなた樣と同じぢやありません。 フレスタコーフ ぢや、何だ? 給仕 何だつて、分つてるぢやありませんか! あの人達は、その、御承知の通り宿賃をお拂ひになりますから。 フレスタコーフ 馬鹿ツ、おれはな、貴樣なんかと議論をしたかないんだ。〔スープをしやくつて飮む〕何だ、このスープは? 茶椀にお湯を注いだだけだらう。何の味もありやしない。變な臭ひがするだけだ。こんなスープは飮みたくない。別なスープを持つて來い。 給仕 ぢや、下げてしまひませう。若し要らないとおつしやつたら、差上げなくともいいと、主人が申しつけましたから。 フレスタコーフ 〔片手で食物を庇つて〕いゝよ、いゝよ、いゝよ……その儘にしておけ、馬鹿ツ! 貴樣は他の人達にはそんな口をきく癖がついてゐるか知らんが、おれはそんな人間とはわけが違ふぞ! おれにはそんな口のきゝ樣はしたいがいゝ!……〔食ふ〕いやはや、何んと云ふスープだ! 〔食べつゞける〕こんなスープを飮んだ者は世界中に恐らくI人もありやしまい。バタの代りに、何だか羽根のやうなものが浮いてやがる。〔鷄肉を切る〕おや、おや、おや、これは何と云ふ鷄だ! どれ、燒肉の方をよこせ――これにはまだスープが少し殘つてゐる。オーシップ、貴樣にやらう。〔燒肉を切る〕何だい、この燒肉は? こりや、燒肉ぢやないぢやないか。 給仕 では、何でございます? フレスタコーフ 何だか分るものか。ただ燒肉でないことだけは確かだ。これは、牛肉の代りに 斧を烙つたのだ。〔食べる〕この騙兒《かたり》、惡黨! 何を食はせやがるんだ! こんなのを一片《ひときれ》でも 食つたら、顎が痛み出さあ。〔一本の指で齒をほじる〕畜生! まるで木の皮だ――ほじくり出す 事も出來やしない。こんな料理を食つたら、齒が黒くなつてしまふ。騙兒《かたり》! 〔ナプキンで口を拭く〕もう何にもないのか? 給仕 ありません。 フレスタコーフ この横着者! 惡黨! いくら何でもソースかケーキはあるだらう。泥棒共! お客からただ卷き上げるだけだ。 給仕 〔取り片づけ、皿を持つて、オーシツプと一緒に退場〕 [#7字下げ]第 七 景[#「第 七 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] フレスタコーフ。後からオーシツプ登場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] フレスタコーフ 全く食つた樣な氣がしない。たゞ餘計食ひたくなつたゞけだ。せめて小錢でもあれば、市場へ白麪包でも買ひにやるんだがなあ。 オーシツプ 〔登場〕何のためですか、あそこに町長がやつて來まして、頻りに旦那のことを訊ねて居りますぜ。 フレスタコーフ 〔吃驚して〕やツ、そいつは大變だ! あの亭主の惡黨奴、もう訴へやがつたな! 若し本當に監獄へ打ち込まれたらどうしよう? もうかうなりや仕樣がない! 若し上品にやつてくれるなら、或は……いや、いや、おれは厭だ! 町では、將校達やいろんな人達がうよ/\歩き廻つてゐる中で、俺《おれ》は故意《わざ》と氣取つて、どこかの商人の娘に一寸色眼を使つたんだからな……いやだ、俺は厭だ……だが一體町長がなんだ? よくそんなことがやれたもんだ! おれを一體何だと心得てゐやがるんだ。まさか、商人や職人ではあるまいし! 〔元氣を出して反り返る〕さうだ、彼奴に頭からかう浴せてやらう、「一體何をなさらうつていふんです? あなたは何うして……」〔扉のハンドルが※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]る。フレスタコーフ眞蒼になつて縮み上る〕 [#7字下げ]第 八 景[#「第 八 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] フレスタコーフ。町長、ドブチンスキイ登場 [#ここから6字下げ] (町長、入つて來て立止る。二人共吃驚したやうに目を圓くして、暫らく互に見交す) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 町長 〔やや心を落ち付け、兩手を恭しく兩腿に當てながら〕御機嫌よろしうございます! フレスタコーフ 〔お辭儀する〕今日は!…… 町長 お邪魔致します。 フレスタコーフ どう致しまして…… 町長 わたくしは當町《こゝ》の町長と致しまして、族客や高貴な皆樣方に失禮なことのないやうに心掛けますのを自分の義務と思ひますので…… フレスタコーフ 〔最初は少々口吃るが、しまひには大聲で饒舌る〕でも、何ともしようがありませんからね!……僕が惡いんぢやないんです……僕はきつと拂ひます……今に田舍から送つて來ますから。〔ボブチンスキイ扉の隙間から覗く〕此處の亭主の方が惡いのです。牛肉といつたらまるで丸太のやうに固いのを食はせるし、スープと來たら――へツ、畜生、何を打《ぶ》ち込んだか分りやしません。僕は仕方なしに窓の外へうつちやつてしまひました。彼奴は幾日も食はさすに置いて、僕を乾干しにしようと云ふんです……それからお茶と言つたら、實に變挺なもので、お茶の匂ひはせずに、魚の臭ひがするんです。それだのに、一體何のために僕が……實に妙な話です! 町長 〔おどおどしながら〕お赦し下さい。決してわたくしが惡いのぢやございません。當町《こゝ》の市場には、いつも上等の牛肉がございます。ホルモゴールスクの商人が持つて來るのですが、奴等は眞面目で正直な人達でございます。一體|此家《こゝ》の亭主は何處からそんな牛肉を買つて來たのか、わたくしには一向に分りません。でも、若し何か不都合の廉でもございましたら……わたくしと一緒に他の家へお引越しになつては如何でございませう。 フレスタコーフ いや、眞つ平です! その、他の家と云ふのが、何であるかぐらゐ僕にはちやんと分つてゐますよ。つまり、監獄のことでせう。一體、あなたにどんな權利があるんです? あなたはよくもそんなことが言へますね?……それに、僕は現に……僕はペテルブルグに官職を奉じてゐる者です。〔威丈高になつて〕僕は、僕は、僕は…… 町長〔傍白〕ああ、何うしたらいゝだらう。隨分怒りつぽい人だ! 何もかも知つてござる。あの忌々しい商人共が殘らずしやべつたに違ひない! フレスタコーフ 〔威張り出す〕あなたがたとへ部下をみんな連れて來たつて――行きやしない。僕は直接大臣に訴へます! 〔拳でテーブルを叩く〕あなたは何者《なん》です? あなたは何者《なん》です? 町長 〔直立して、身體ぢゆうをぶるぶる顫はせながら〕どうぞお赦し下さいまし、お助け下さいまし! 妻も小さな子供もあります……どうぞ人間一人不幸に落さないで下さいまし! フレスタコーフ いや、僕は眞平です。それに、そんなことは僕に何のかかはりがあるんです? あなたに細君や子供があるからつて、どうして、僕が監獄に入らなけりやならないんです? 馬鹿々々しい! 〔ボブチンスキイ扉口から覗き、吃驚して隱れる〕いや、御厚意は有り難いが僕は眞つ平です。 町長 〔ぶるぶる顫へながら〕わたくしの不調法でございました。全く不調法でございました。何分暮し向が不如意でございますので……御存じでもございませうが、お上から戴く俸給だけでは、お茶や砂糖代にも足りませんので、假りに收賄のやうなことがあつたとしましても、それはほんの少しばかりで、一寸した食糧品か服一着分の布地《きれぢ》ぐらゐのものでございます。それから、わたくしがあの商賣を營んで居ります下士の後家を打擲したと云ふやうな噂がございますが、あれは全然中傷でございます。全く中傷でございます。みんなわたくしに私怨を抱く惡黨共が企らんだことでございます。奴等はわたくしを無きものにしようとさへ考へてゐる人達なのです。 フレスタコーフ それがどうしたと云ふんです? 僕はそんな奴等に何の用もありません……〔思案する〕だが、それにしても、あなたは何だつて惡黨だの、下士の後家だのの事を言び出すんです……下士の細君は全く別問題ですが、僕をその樣に鞭で毆る譯には行きませんぞ。まだまだそこまでには可なり距離がありますぞ………本當に馬鹿々々しい! ちとお氣を附けなさい!……僕は拂ひますよ。金は拂ひます。だが、いまはもつてゐません。僕には一コペイカもありません。だから此家《こゝ》に腰を据ゑてゐるんです。 町長 〔傍白〕や、却々巧妙な作戰だ! とんでもない方面に矢を向ける! 全く煙に捲かれてしまふ! 誰でも望みの者は、これを解いてみるがいい! 何から手をつけていいか分りやしない。でも、まあやつてみよう、仕方がない! なるやうにしかならんのだ。盲目《めくら》滅法にやつてみよう。〔聞えるやうに大聲を出して〕若しあなたにお金か何か御入用な物がございましたら、直ぐにも御用立て致しますが、如何でございませう? 旅客の方々のお役に立つやうなことを致しますのが、わたくしの義務でございますから。 フレスタコーフ では、その金を貸して下さい、直ぐに亭主に支拂ひをしますから。二百ルーブリだけ欲しいのですが、何ならもつと少くても構ひません。 町長〔紙幣を差出しながら〕丁度ここに二百ルーブリございます。なに、お改めになるには及びません。 フレスタコーフ 〔金を受取りながら〕どうも有り難う。金は直ぐに田舍からお送りします……何しろ突然でしてね……いや、これでよく分りました。あなたは立派なお方です。かうなればまた別問題です。 町長 〔傍白〕まあ、よかつた! 金を取つたぞ。かうなりや事はうまく蓮びさうだ。それに掴[#「掴」は底本では「 」]ませた金額は二百ルーブリといつて四百ルーブリだからな。 フレスタコーフ おい、オーシップ! 〔オーシップ登場〕給仕を呼んで來い! 〔町長とドブチンスキイに向つて〕あなた方は何故立つておいでなんです? どうぞお掛け下さい。〔ドブチンスキイに向つて〕さあ、お掛け下さい、どうぞ。 町長 どうかむ構ひなく。わたくし共はかうして立つて居りまして結構でございます。 フレスタコーフ さうおつしやらずにお掛け下さい。今こそわたくしは、あなたのお氣質《きだて》が實に淡白で、親切なことが分りました。實は白状しますが、僕はかう思つてゐたんですよ、あなたが來られたのは、その僕を……〔ドブチンスキイに向つて〕お掛け下さい! 〔町長とドブチンスキイ腰掛ける。ボブチンスキイ扉の隙間から覗いて、立聞きする〕 町長 〔傍白〕こいつはもつと大膽にやらなくちやいけない。奴《やつこ》さん、何處までも微行で來たことに思はせたいんだ。よし來た、こつちもびくびくするに當らん。もつと接近してやらう。奴《やつこ》さんが何者《なん》であるかと云ふことをまるつきり知らんやうな風をしてやらう。〔聞えるやうに〕實は、わたくしは職掌柄此地《こゝ》の地主のドブチンスキイ君と一緒に巡視中、旅客の待遇が行屆いてゐるかどうかを視察致すために特にこの宿屋へ立寄つたのでございます。わたくしは他の町長とは違ひまして、他の町長は仕事などにはとんと頓着致しませんが、わたくしは職務以外キリストヘの人類愛から凡ての人々に親切を盡したいと思つてゐるのでございます――それで、丁度その報いとでも申しませうか、こんな愉快なお近づきの機會を得たのでございます。 フレスタコーフ いや、僕も非常に嬉しいです。正直な話が、若しあなたにお目にかからなければ、もつと長い間此の宿屋に逗留しなければならなかつたかも知れません。全くどう工面して支拂つたものか、てんで當てがなかつたのですからね。 町長 〔傍白〕へツ、うまいことを云ひ居るわい! どうして支拂つたものか、てんで當てがなかつたなんて! 〔聞えるやうに〕誠に失禮なことをお訊ね致しますが、此處から何處《どちら》へ、どの方面へお越しになるのでございますか? フレスタコーフ 僕はサラトフ縣の自分の持村へ行くところです。 町長 〔傍白、顏に皮肉な表情を浮べながら〕サラトフ縣へ! どうだ? 顏色さへ變へないぜ! いや、こいつは餘つ程用心しなけりやいけないぞ! 〔聞えるや5に〕それは誠に結構な思ひ立でございます。一體旅行と中しますと、一面からは途中替馬を待たされたりして不愉快なこともございます代りに、一面からは頭のためにいゝ氣晴しださうでございます。あなたは定めし御自分のお樂しみに旅行なさるんでございませうな? フレスタコーフ いや、親父《おやぢ》が歸つて來いと云ふものですから。僕が今までペテルブルグにゐても、何一つ役立つやうなことをしないので、親父《おやぢ》、すつかり怒つてしまつたんですよ。親父《おやぢ》と來たら、ペテルブルグに行きさへすれば、直ぐにウラヂーミル勳章が釦の穴に嵌められるものと思つてゐるんですからね。親父も一つ役所通ひでもして、少し人に揉まれてみるといゝんですよ。 町長 〔傍白〕いや、こいつは驚いた、嘘を云ふにも程がある! たうとう年寄りの親父まで舁ぎ出した! 〔聞えるやうに〕では、當分彼地《あちら》に御滯在でございますか? フレスタコーフ そいつは全く分りません。何しろ僕の親父と云ふのは、頑固で、愚鈍《のろま》で、丸太みたいな耄碌爺ですからね。だから、僕は頭から親父にかう浴せてやるつもりです。お父さんが何とおつしやつても、僕はペテルブルグから離れては生きてゐられません、てね。實際、百姓の相手をして自分の一生を捧に振つてしまうにや當りませんからね! 今ではもう時代の要求が異つてゐます。僕の心は、文明に飢ゑてゐるんです。 町長 「傍白」實に巧く辻棲を合せるわい! 法螺を吹き放題吹いてゐるが――決して襤褸《ぼろ》を出さない! その癖見たところ平凡で、小つぽけな男で、爪の先でも壓し潰してしまへさうだ。だが、待てよ! 今に口を滑らすだらう。もつと饒舌らせてやらう! 〔聞えるやうに〕そりや、御尤でございますとも。草深い田舍で何が出來ますもんですか! 現に、當町《こゝ》に致しましてもさうでございます。夜の目もろく/\眠らずに、國家のために盡し、骨身を惜まず働いて居りますが、その報いが何時參ることやら、一向に分りません。〔室の中をじろじろと見廻す〕何だかこの室は少々じめ/\するやうでございますが? フレスタコーフ いや、實にひどい室ですよ。南京蟲が大變です。僕は今までこんな南京蟲を見たことがありません。犬みたいに噛みつくんですよ。 町長 それはとんでもないことでございます! あなたのやうなヘ養の高いお客樣が、こともあらうに、そんなものゝために――この世の中に生れて來なくともいゝやうな有害無益な南京蟲のためにお苦しみなさるなんて。それに、この室は大變暗いやうに思ひますが。 フレスタコーフ さうですとも、全く暗いです。それに亭主の奴、蝋燭もよこさないやうにしてしまつたものですから。どうかすると、何か仕事をしてみたかつたり、讀書をしてみたかつたり、或はまた何か著作をしてみたいやうな考へが起つても――それが出來ないのです。暗くてとても暗くてね。 町長 こんなことをお訊ねしては失禮でございますが……いやわたくしなんぞに、そんなことをお訊ねする資格はございせまんが。 フレスタコーフ 何です? 町長 いゝえ、いゝえ! とても資格がございません。資格がございまぜん! フレスタコーフ 一體何事なんですか? 町長 では、厚かましく申しますが……實は、わたくしどもに小ざつぱりした明るい閑靜な室がございます……あなたに入つて戴きたいのですが、それぢやあまり分に過ぎた光榮とと存じますので……どうかお立腹なさらないやうに――全く持つて生れたあけつ放しから申し上げましたので。 フレスタフーフ それどころか、僕は喜んで行きますよ。こんな酒場のやうな所にゐるより、私人の宅の方が、どれ程氣持ちがいゝか知れやしません。 町長 若しさうでございましたら、わたくしはどんなに嬉しいか知れません! 家内も定めし喜ぶことでございませう! わたくしは、かう云ふ氣質《きだて》でございますから、幼少の時からお客を款待《もてな》すことが大好きでして、それもお客樣がヘ養の高いお方であれば、なほ更でございます。しかしわたくしがかう申し上げるのをお追從だとおとり下すつてはいけません。決してさうぢやございません。わたくしはそんな惡い癖などもつては居りません。たゞもう嬉しさの申し上げるのでございます。 フレスタコーフ いや、どうも有り難う。僕も同じことで――二枚舌の人間が大嫌ひです。僕はあなたの淡白で親切なのが非常に氣に入りました。僕は、正直なところ、信服と敬意とを拂つて貰へば、それ以上何も要求しません、敬意と信服とをね。 [#7字下げ]第 九 景[#「第 九 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々、オーシップ宿屋の給仕をつれて登場(ボブチンスキイ、扉の隙間から覗く) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 給仕 お呼びになりましたか? フレスタコーフ あゝ、勘定書《つけ》を持つて來い。 給仕 先刻《さつき》二度目の勘定書《つけ》を差上げて置きましたが。 フレスタコーフ 僕はそんな馬鹿氣た勘定書《つけ》なんか憶えちやゐない。一體いくらだ? 給仕 最初の日には晝飯《おひる》を御注文になりましたし、次の日には鮭だけをお食《あが》りになりましたしそれからはみんな掛けになつて居ります。 フレスタコーフ 馬鹿ツ! またいち/\勘定を始めやがる――みんなでいくらになるんだ? 町長 いや、そんなことはどうか御心配なく。待たせて置きなさい。〔給仕に〕彼方《あたち》へ行け。金は屆けてやる。 フレスタコーフ 成程、御尤もですな。〔金をしまひ込む〕    〔給仕退場。ポブチンスキイ扉の隙間から覗く〕 [#7字下げ]第 十 景[#「第 十 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 町長、フレスタコーフ、ドブチンスキイ。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 町長 では、これから、當町《こゝ》の二三の建物を――病院やその他を御視察なさいましては如何でございませう? フレスタコーフ 何があるんですか? 町長 なにたゞわたくし共の仕事がどんなに運んでゐるか……秩序がどんなに保たれてゐるか……それを御視察願ひたいので…… フレスタコーフ 甚だ結構です。行きませう。〔ポプチンスキイ扉の間から首を出す〕 町長 それから、若しお望みでございましたら、其處から郡立學校の方へ廻りまして、學校の樣子と授業振りとを御視察願ひたいのですが。 フレスタコーフ どうぞ! どうぞ! 町長 それから若しおよろしかつたら、留置場と監獄とをお訪ね下さいまして、當町《こゝ》で囚人をどう取扱つてゐるか、御覽願ひます。 フレスタコーフ 何故また監獄なんて……それより病院の方を見ませう。 町長 それはどちらでもよろしうございます。では、如何なさいますか? 御自用の馬車でいらつしやいますか、それともわたくしの馬車に御一緒にお乘り下さいますか。 フレスタコーフ さうですね、あなたと御一緒の方がいゝですな。 町長 〔ドブチンスキイに向つて〕では、ドブチンスキイ君、君の席がないよ。 ドブチンスキイ 構いません。わたくしは何とか。 町長 〔ドブチンスキイに向つて低聲に〕ねえ、君、これから大急ぎで、一生懸命駈け出して、手紙を二本持つて行つてくれないか。一本は病院のゼムリャニーカのところへ、それからも一本はわしの家内のところへ。〔フレスタコーフに向つて〕甚だ失禮でございますが、此處で家内に一筆手紙を書かせて戴けませんでせうか? 大切なお客樣をお迎へする支度をさせなければなりませんので。 フレスタコーフ どうしてまたそんなことを!……ですが、丁度此處にインキもあります。だが、紙は――さあ……この勘定書では如何です? 町長 それに書かせて戴きませう。〔書きながら獨語を云ふ〕晝飯とあの大罎の酒のあとで、どんな風になるか一つみてやらう! さうだ、家《うち》には當縣《こゝ》で出來たマデラ酒がある。見たところ、見つともよくはないが、象でさへ醉ひ潰れてしまうと云う代物だ。たゞおれが知りたいのは、この男がどんな人間で、どの程度まで恐れなけりやならん人間かと云ふことだ。 [#ここから1字下げ] 〔手紙を書いてしまふとそれをドプチンスキイに渡す。ドプチンスキイは扉の方へ歩いて行つて扉をばつと開ける。と、その途端扉の後ろで立聞きしてゐたボブチンスキイが扉と一緒に舞臺へ轉がり出る。一同わつと聲を發《た》てる。ボブチンスキイ起き上る〕 [#ここで字下げ終わり] [#ここから天付き、折り返して1字下げ] フレスタコーフ どうしたんです? 何處か怪我でもしやしませんか? ボブチンスキイ いえ、どうも致しません。別段何の故障もございません。たゞ鼻の上を少々打つたゞけでございます! 直ぐギーブネルさんのところへ駈けて參ります。あの人はいゝ膏藥をもつて居りますから、こんな打傷なんか直ぐに癒つてしまひます。 町長 〔ボブチンスキイに向つて譴責するやうな身振りをしながら、フレスタコーフに〕 そんなことはどうだつて構ひません。では、どうぞ! お供の方には、鞄を運ぶやうに申して置きませう。〔オーシップに〕もしもし、君一つ荷物をわしのところへ、町長の家へ運んでくれませんか――誰に聞いても直ぐに分りますから。では願ひますよ! 〔先にフレスタコーフを出し、その後に隨いて出る。そして振り返つて、責めるやうにボブチンスキイに言ふ〕君も困つた人だ! 他に轉がる場所が見附かりさうなものだ! おまけに、べつたり四つん這ひになつてさ、あの態つたらありやしない。〔退場。ボブチンスキイも町長の後に續いて退場〕 [#地から6字上げ]――幕―― [#改ページ] [#5字下げ]第 三 幕[#「第 三 幕」は大見出し] [#9字下げ](第一幕と同じ室) [#7字下げ]第 一 景[#「第 一 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] アンナ・アンドレーエウナ、マリヤ・アンドレーウナ(第一幕と同じ姿勢で窓際に立つ) [#ここで字下げ終わり] [#ここから天付き、折り返して1字下げ] アンナ そうれ、この通り、もうまる一時間も待つてゐるぢやないか。だのに、お前は矢つ張りそんなくだらないお洒落《しやれ》をしてゐる。すつかり身仕度が出來たのかと思へば、さうぢやない! 一體、いつまでぐづぐづしてゐるんだらうね……もうお前の云ふことなんか、聞きやしないから。本當に癪《しやく》がさわるつたらありやしない! まるで故意《わざ》としたやうに、人つ子一人ゐやしない! まるで何もかも死にたえてしまつたやうだ。 マリヤ でも、お母さん、ほんとに後二分も經《た》てばすつかり分るわ。もうぢきにアヴドーチャが來る筈ですもの。〔窓から戸外を見て、叫び聲をあげる〕あら、お母さん、お母さん! 誰か來てよ。向ふの通りの端れの方から。 アンナ 何處にさ? お前はいつも夢のやうなことばかり云ふんだもの。あゝ來た來た。誰だらう? 背が低くて……燕尾服を着てゐる……誰だらう? じれつたいね! 誰だつたらう、あんな樣子をしてゐるのは? マリヤ ドブチンスキイよ、お母さん! アンナ あんなドブチンスキイがあるものかね! お前はいつもそんな突拍子もないことを考へ出すんだね……まるつきりドブチンスキイとはちがひますよ。〔ハンカチを打ち振る〕ちよいと、あなた、此方《こつち》へいらつしやい! 速く! マリヤ お母さん、本當にドブチンスキイよ。 アンナ まあ、お前は故意《わざ》とわたしにたてつくんだね。ドブチンスキイぢやないと云ふのに。 マリヤ ぢや、誰? 誰ですお母さん? それ御覽なさい、ドブチンスキイぢやありませんか。 アンナ あ、さうだ、ドブチンスキイだ。やつと今分つた――もうぐづぐづ言ふがものはないぢやないか! 〔窓越しに叫ぶ〕速く、速く! あなた足がのろいのね。あの人達は何處にゐて! え? さ、其處からおつしやいよ、同じことだわ。どうなの? ひどくやかましさうな方? え? 良人《たく》は、良人はどうして? 〔少し窓際から退き、忌々しげに〕なんて馬鹿だらう、室の中 へ入らないうちは何も口を利きやしない! [#7字下げ]第 二 景[#「第 二 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々、ドプチンスキイ登場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから天付き、折り返して1字下げ] アンナ さあ、話して下さいよ。あなた、それで一體濟まないとは思はなくつて? わたしはあなた一人をしつかりした人だと思ひ込んでゐたけれど、皆が急に駈け出して行くと、あなたまで後に隨いて行つてしまふなんて! だから、今まで誰からも樣子を聞くことが出來なかつたぢやありませんか。あなた、それでよく恥かしくありませんね? わたしはあなたのとこのヴァーニチカとリーザンカの名付け親になつて上げたのに、あたしに對するあなたの仕打つたらないぢやないの! ドブチンスキイ とんでもない、奧樣、奧樣に敬意を表するために息がつけなくたる程駈け出して參つたのです。今日《こんにち》は、お孃樣! マリヤ 今日は、ドブチンスキイさん! アンナ さあどうでした? さあ、話して下さい、彼處《あちら》の樣子を! ドブチンスキイ 御主人樣から奧樣への御手紙を持つて參りました。 アンナ ねえ、どんな方? 大將なの? ドブチンスキイ いえ、大將ぢやありませんが、大將にも劣らないくらゐで、大層ヘ育のある立派な態度の方でした。 アンナ おや! では、良人《たく》のところへ來た手紙に書いてあつたその方ですわ。 ドブチンスキイ 確かにその方です。わたくしとボブチンスキイとが一番先にそれを見つけたんですよ。 アンナ では、どんな風だつたか聞かせて下さいよ。 ドブチンスキイ それは、お蔭樣で萬事好都合に參りました。最初その方は御主人に少々きつくお當りになりました。本當です、大變御立腹になりまして、宿屋の中が何もかもいけないとか此方《こなた》へ上るのも厭だとか、町長などの手で監獄へ入るのは厭だとか仰しやつてゐましたが、やがて御主人の潔白なことが分つて、極く打解けたお話をなさいますと、急にお考へが變りまして、お蔭樣で萬事好都合に參りました。只今皆さん病院の視察にいらつしやいました……然し實を申しますと、一時御主人は誰か内密に告訴しはしなかつたかと大分御心配のやうでした。實はわたくしまでが少々びくびくして居りました。 アンナ あなたなんか何もびくびくすることはないぢやありませんか! お勤めに出てゐる譯ぢやなし。 ドブチンスキイ それはさうですが、偉い人が話をしてゐますと、なんだか恐い氣がしますよ。 アンナ さうかも知れない……だけどそんな話はつまらないわ。いつたい、その方はどんな人? 年寄り? それとも若い方? それを聞かせて頂戴よ。 ドブチンスキイ お若い方でございます。二十三くらゐですが、口の利き方はまるでお年寄りのやうですよ。「承知しました、そちらへも參りませう、そちらへも參りませう……」〔兩手を打ち振る〕といつた風で、實に手に入つたものです。「僕は書いたり、讀んだりすることが大好きですが、室の中が少々暗いので、困つてゐます。」なんて仰しやるんです。 アンナ だけと一體どんな方? 頭髮《かみ》の黒い方、それともブロンド? ドブチンスキイ いいえ、どちらかと申しますと、薄色《シヤントレツト》の方です。眼は獸のやうにぎよろぎよろしてゐまして、あの目で見られると、どぎまぎする程ですよ。 アンナ 時にわたしへの手紙には良人《たく》は何と書いてあるかしら? 〔讀む〕「取急ぎ御知せ申候、小生事一時極めて悲觀すべき状態に陷り候得共、神のお慈悲により、特別鹽漬胡瓜二箇、筋子半皿分一ルーブリ二十五コペイカ……」〔讀み止める〕何だかさつぱり譯が解りやしない。一體何だつて、こんな所に鹽漬の胡瓜だの筋子だのと書いたんでせう? ドブチンスキイ あ、それは御主人が急いで書きよごしの紙片にお書きになつたのです。それには何かの勘定が書いてあるんですよ。 アンナ あ、本當にさうだわ。〔讀み續ける〕「神のお慈悲により、萬事好結果に終ることと存ぜられ候、就いてはこの貴賓のために至急例の黄紙貼りの室を取片附け置かるべく、食事は病院のゼムリャニーカ君の處にて差上げ申すべき筈につき、この方の心配は無用に候。併し酒は澤山に準備せられたく、最上等のものを屆けるやう商人アブドゥーリンに申しつけらるべく候。若し相違の場合は、彼の倉庫を殘らず搜索致す所存に候、※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76]々、アントン・スクヴォズニク・ドムハノーフスキイ……」まあ、どうしよう! とてもぐづ/\しちやゐられないわ! ちよいと、其處に誰かゐない? ミーシカ!  ドブチンスキイ 〔駈け出して、戸口で叫ぶ〕ミーシカ! ミーシカ! ミーシカ!   〔ミーシカ登場〕 アンナ あのね、アブドゥーリンの店へ駈けて行つておくれ……一寸お待ち、手紙を書いて上げよう。〔テーブルに向つて腰を下し、手紙を書きながら饒舌る〕お前この手紙を馭者のシードルに渡してね、急いでアブドゥーリンの店へ駈けて行つて、お酒を持つて來るやうに云ひつけておくれ。それからお前は戻つて來て、お客樣がいらつしやるのだから、直ぐにこの室をきちんと取り片附けておくのだよ。寢臺だの、洗面器だの、何もかもちやんとして置くのだよ。 ドブチンスキイ では、奧樣、わたくしはこれから大急ぎで駈けて行つて、あの方の視察振りを見て參りたいと思ひますが。 アンナ 見ていらつしやい、見ていらつしやい! 別にお止めしませんから。  〔ドブチンスキイ退場〕 [#7字下げ]第 三 景[#「第 三 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] アンナ、マリヤ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] アンナ さ、マーセンカ、これからお化粧にかからなけりやならないよ。あの方は都のちやき/\だから、少しでも笑はれるやうなことがあつてはいけないからね。お前は、あの細かい襞のついた空色の着物を着た方が、一番似合ふよ。 マリヤ いやだわ、お母さん、空色のなんか、あたし、大嫌ひだわ。リャープキン・チャープキンの 奧さんも空色の着物を着てゐるし、ゼムリャニーカの娘さんも矢張り空色の着物ですもの……いいえ、あたし花模樣の方がよつぽどいゝわ。 アンナ 花模樣の!……本當にお前は口返答ばかりして。お前にはあの方がどんなにいいか知れやしない。だつてわたしがクリーム色のを着たいんだもの。わたしはクリーム色が大好きなんだから。 マリヤ まあ、お母さん、あなたにはクリーム色なんか似合はないわよ! アンナ クリーム色がわたしに似合はないつて? マリヤ 似合はないわ。あたし何だつてお望みのものを賭けてもいいわ。似合やしないことよ。クリーム色の着物を着るには、眼が眞つ黒くなくつちや駄目よ。 アンナ だからいいぢやないか! それともわたしの目が黒くないとでもいふのかい? 眞つ黒ぢやないの。本當にお前はくだらないことばかり云ふのね! わたしは自分の目が黒ければこそ、いつもクラブのクヰンで自分のことを占つてゐるんぢやないの。 マリヤ まあ、お母さん! あなたはどちらかと言へば、ハートのクヰンよ。 アンナ くだらない、本當にくだらないつたらありやしない。わたしなんか一度だつてハートのクヰンだつたことはないんだよ。〔マリヤと一緒に急いで退場。舞臺裏で〕何だつて急にそんなことを考へ出したんだらう! ハートのクヰンだなんて! 何が何だか分りやしないわ! [#ここから2字下げ] 〔兩人の退場後、ミーシカ扉を開き、塵を掃き出す。他の入口からオーシップ頭に鞄を載せて登場〕 [#ここで字下げ終わり] [#7字下げ]第 四 景[#「第 四 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] ミーシカ、オーシッア [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] オーシップ どつちへ行つたらいゝかね?  ミーシカ こつちだよ、小父《おぢ》さん、こつちだよ! オーシップ 一寸待つた。まあちよつくら休ませて貰はう。ああ淺ましいこつた! 空《すき》つ腹ぢやどんな荷物だつて重いやうな氣がすらあ。 ミーシカ 時に小父さん、大將樣はもう直ぐにおいでかね? オーシップ 大將樣つて誰だ? ミーシカ お前さんの旦那よ。 オーシップ 旦那? おれの旦那がどうして大將樣だ? ミーシカ ぢや、大將樣ぢやねえのか? オーシップ 大將にやちげえねえが、一寸變つた大將だよ。 ミーシカ さうすると、本當の大將より偉えのかね、それとも偉くねえのかね? オーシップ 偉えんだよ。 ミーシカ 道理で! 家中大騷ぎがおつ始まる筈だよ。 オーシップ おい、若い衆、見受けるところ、お前は氣の利いた若者らしいが、どうだい、おれに 何か食物を世話してくれねえか! ミーシカ でも小父さん、お前さんの食ふ物は、まだ何も支度が出來ちやゐねえんだよ。お前さ ん、有り合せのものは食べねえだらうからなあ。そのうちにお前えさんの旦那に御馳走を出す から、その時お前さんにも同じ御馳走を上げるよ。 オーシップ ぢや、有り合せのものつて何があるんだい? ミーシカ 菜汁《シチユー》に粥に肉入饅頭《ピローグ》さ。 オーシップ ぢや、それを貰はうか。菜汁《シチユー》に粥に肉入饅頭《ピローグ》をよ! 大丈夫、何でも食つちまふよ。 さ、鞄を運んでしまはう! どうだい、その室には別な人口があるのかい? ミーシカ あるよ。   〔二人鞄を隣室へ運ぶ〕 [#7字下げ]第 五 景[#「第 五 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 巡査達扉を兩方に開く。フレスタコーフ登場。それにつづいて町長、次に病院長、視學、ドブチンスキイ、鼻に膏藥を貼つたボブチンスキイ等登場。町長は巡査達に床のうへに落ちてゐる紙片を指さす。巡査達|狼狽《あはて》て駈け寄り、互ひにぶつかり合ひながら紙片を拾ふ。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] フレスタコーフ 立派な病院です。あなた方が町の施設を殘らず旅行者にお見せなさるのは、大いに僕の氣に入りましたよ。他の町では何も見せてくれなかつたですからね。 町長 ぶしつけに申上げますが、他の町では町長や役人共が、主として、つまり自己の利釜ばかりを念頭において居りますが、當町《こゝ》では萬事油斷なく秩序を保つことによつてお上のお目にとまるやうに專念致します外に、他意は無いのでございます。 フレスタコーフ 午餐も大層結構でした。僕は腹一ぱいに食べましたよ。何ですか、あなた方の所では毎日あんな風なんですか? 町長 いえ、何う致しまして。かやうな貴賓の方がお見えになつたので今日は特別なんです。 フレスタコーフ 僕は、食べることが大好きでしてね。實際、人間は歡樂の花を摘みとるために生きてゐるんぢやないでせうか。あの魚はなんと云ひましたつけね? ゼムリャニーカ 〔駈け寄りながら〕ラバルダンと申します。 フレスタコーフ 實に羨味《うま》い魚ですなあ。では、我々が午餐を食べたのは、あれは何處でしたか? 病院ぢやなかつたですかね? ゼムリャニーカ 確かに左樣でございます、病院で。 フレスタコーフ さうさう、彼處《あそこ》には寢臺がありましたね。ですが、病人は全快したんですか? 入院患者が少ないやうでしたが。 ゼムリャニーカ 殘つて居りますは、十人ばかりで、それより多くはありません。他の者はみんな全快致しました。何分設備が設備でございますし、それに秩序があの通りでございますからわたくしが院長の任に當るやうになりましてから――嘘のやうな話だと思召すかも知れませんが――みんな蠅のやうに達者になるのでございます。病人は入院するかしないうちに、すぐ健 康になつてしまいます。それは、藥の效目《きゝめ》と云ふより、寧ろ誠意と秩序の力でございます。 町長 それに、かう申し上げては失禮でございますが、町長の職務と云ふものは、實に頭を惱ますことが多うございます! 清潔とか、修理とか、改善とか云ふやうな事だけでも隨分と澤山に仕事がございまして……一口に申しますと、極く聰明な人間でもへこたれてしまふくらゐでございますが、當町《こゝ》ではお蔭樣で萬事滯りなく進捗致して居ります。他の町長なら、勿論、自分の利盆にのみ夢中になるのでせうが、わたくしなどは、寢床にはいる時でさへも、「ああ、 神樣どうしましたらお上がわたくしの熱心を御覽になつて、滿足なさるやうに立派に整頓させることが出來るでございませうか!」と、しよつちゆう考へて居るやうな次第でございます。お上のお褒めにあづかるかどうかは、勿論、その筋のお考へにある事でございますが、少くともわたくしと致しましては、心中安らかなものがあるのでございます。實際町内は秩序が行き屆いて、街路《とほり》は殘らず掃き清められ、囚人の取扱ひもよく、醉漢《よひどれ》も少いといたしますと……わたくしとてももうこの上何を望むことがありませう? 名譽など、決して望みは致しません。勿論、それは望ましいものには相違ございませんが、善行の前には、すべてが塵であり、空虚であります。 ゼムリャニーカ 〔傍白〕ちえツ、惡黨の癖に、うまく上塗りをかけてゐやがるわい! 神樣もとんだ智慧をお授けになつたもんだ! フレスタコーフ 全くですよ。實は、僕なんかも時々文筆を弄するのが好きでしてな、どうかすると、小説をでつち上げることもあるし、また場合によつては、詩が飛び出すこともあるんです。 ボブチンスキイ 〔ドブチンスキイに向つて〕成程、さうだらうね、ドブチンスキイさん! あんな物の云ひ方をなされるところからみると……學問をした方に違ひないね。 フレスタコーフ ところで、當町《こゝ》には何か娯樂機關……・例へば骨牌でもやれるやうな倶樂部はありませんかね? 町長 〔傍白〕へツ、奴さんが何處の畑を荒さうかと狙つてることは、ちやんと分つてゐるよ。〔聞えるように〕とんでもないことでございます! 當町《こゝ》にはそんな倶樂部など、噂さに聞いたこともございません。わたくしは骨牌など一度も手にしたことはありません。また骨牌は何うして戯《と》るものだか、それさへ存じないくらゐでございます。骨牌など平氣で見てゐられない性質《たち》で、若しダイヤのキングとか、何とかさういふものを見るやうなことがありますと、實に厭な氣持に襲はれまして、唾でも吐きかけてやりたくなるのでございます。一度など子供達の慰みにと思ひまして、骨牌で小屋を造つてやつたことがありましたが、その後で一晩ぢゆう厭な骨牌の夢ばかり見て居りました。骨牌なんか、もう眞平でございまず! 貴重な時間をどうして骨牌なんぞに空費することが出來ませう? フローポフ 〔傍白〕恥知らず奴《め》、昨日はおれから百ルーブリも捲き上げやがつた癖に。 町長 わたくしなどそんな時間があれば、それを國家のために用ひたいと思ひます。 フレスタコーフ いや、まあさう云つたものでもありませんよ……何事もその人々の見方によるものですからね。例へば、若し三方から攻め立てなければならんやうな時に、怠けたりしたら……さう云ふ場合には勿論……いや、さうばかりも云へませんよ。時には、骨牌遊びもなかなか面白いものですよ。 [#7字下げ]第 六 景[#「第 六 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々。アンナ、マリヤ登場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 町長 失禮ですが、わたくしの家族を御紹介致します。家内と娘でございます。 フレスタコーフ 〔お辭儀をしながら〕奧さん、あなたにお目にかかる機會を得まして、誠に幸福に存じます。 アンナ あなたのやうな方にお目にかかりまして、わたくし共こそほんとに嬉しうございます。 フレスタコーフ 〔氣どつて〕とんでもたい、奧さん、それは正反對です、僕の方こそ餘計に嬉しいんです。 アンナ まあ、どうしてそんなことが! あなたはお世辭にそんなことをおつしやるんでございませう。さ、どうかお掛け下さいませ。 フレスタコーフ いや、あなたのお傍に立つてゐることが既に幸福なんです。しかし、あなたが是非とおつしやるのなら、掛けませう。到頭あなたのおそばに掛けることが出來て、何と幸福でせう。 アンナ まあ、とんでもない。わたくし、どうしても、本氣には受取れませんわ……でも、都ずまゐに慣れたお方に取つて田舍の旅は定めし不愉快なことでございませうね。 フレスタコーフ 實に不愉快です。上流社會に生活し慣れた僕が、お解り《コンブルネウー》ですか、突然旅行に出たんですからね。宿屋は穢いし、人間は無智蒙昧だし……で、正直な話が、若しこんな機會がなかつたら……つまり僕に……〔アンナの方を見て、氣取つた樣子をする〕一切を償つてくれる機會がなかつたら…… アンナ ほんとにどんなにか不愉快でございませうね。 フレスタコーフ ですが、奧さん、今つていふ今は實に愉快です。 アンナ まあ、御冗談ばかり! さう仰しやつて頂きますと、恥かしゆうございます。わたくしなど、とてもそれに當りませんわ。 フレスタコーフ 何が當らないことがあるものですか! 奧さん、あなたは充分それに相當していらつしやいますよ。 アンナ わたくし、田舍に住つて居りますので…… フレスタコーフ さうです。しかし田舍にだつて小山もあれば、小川もあります……無論、ペテルブルクとは比較になりませんがね! ああ、ペテルブルグ! 本當に何と云ふ生活でせう!あなたは僕が筆耕ばかりしてゐると思つていらつしやるかも知れませんが、どうして、そんな者ぢやありませんよ。長官が僕の親友でしてね、「おい、君、飯を食べに來給へ!」と云つて、こんな風にぽんと肩を叩くんですよ。僕はたつた二分問ぐらゐ役所へ寄つて、これはかうするあれはああすると云ひつけて來るだけで、それから先は鼠のやうな筆耕がゐて、ペンでするすると書いて行くだけです。一度僕を八等官にしようと云ふ話もありましたが、考へてみれば、そんなものになつたからつて何にもなりませんからね。守衞までが刷毛《ブラシ》を持つて階段の所まで僕の後を追つかけて來て、「フレスタコーフ樣、お靴を磨きませう。」と云ふ始末です。〔町長に向つて〕皆さん、何故あなた方は立つてゐらつしやるんです? どうぞお掛け下さい!   〔三人同時に〕 町長 わたくし共の身分では立つて居りまして結構でございます。 ゼムリャニーカ わたくし共は立つてゐた方がよろしうございます。 フローポフ どうぞお構ひなく! フレスタコーフ 身分なんかどうでもいいから、どうぞお掛け下さい。〔町長及び一同腰を下ろす〕僕は儀式張ることが嫌ひです。それどころか、成るべく目立たないやうにそつと通り授けようと努めてゐるんですが、どうしても隱れおほせることが出來ないのです。どうしても駄目なんです! ちよつと何處かへ出かけると、直ぐに、「そら、フレスタコーフ樣のお通りだ!」と云つて、大騷ぎをします。一度など、總司令官と間違へられたことがありましたよ。兵隊共が衞兵所から飛び出して來て、捧げ銃《つゝ》をやるんですからね。後で僕と極く懇意な將校が斯う言ふのです。「おい君、僕等は君をすつかり總司令官と間違へてしまつたよ」つてな。 アンナ まあ、左樣でございますか! フレスタコーフ それから、僕は美しい女優達とも知合ひです。それに、僕は色々な喜劇も書きましてね……文士連にもよく會ひますよ。プーシキンとは大の仲好しです。僕がよく「おい、君、プーシキン、どうだい?」と云ふと、「や、兄弟、相變らずさ」なんていふ調子です。素敵な變り者ですよ。 アンナ では、あなたもお書きになるんでございますか? 文學をなさる方は、どんなに愉快なことでございませうね! あなたは多分雜誌にもお載せになつていらつしやるんでございませう? フレスタコーフ さうです。雜誌にも載せます。尤も僕の作品はかなり澤山ありまして、『フイガロの結婚』とか、『惡魔ロベルト』とか、『ノーマ』とか、一々憶えてゐないくらゐです。それもみんな偶然の思ひ付ですよ。僕は書きたくはないのですが、劇場の座主が「どうか君、何でもいいから一つ書いてくれませんか」と云ふものですから、「では一つ書いてみよう」と思ひまして、何でも一晩のうちにすつかり書き上げて、みんなを吃驚させたこともあります。構想の容易な點では誰も僕に叶ひません。男爵ブランベウスと云ふ名前で出てゐるものは『希望の帆船』も『モスクワ電信局』も……みた僕が書いたのです。 アンナ あらまあ、それでは、あなたがブランベウスさんでゐらつしやいましたのね? フレスタコーフ さうです。それに、僕はみんなの文章を添削して居ります。で、スミールディンはその報酬として僕に四萬ルーブリから拂つてゐますよ。 アンナ では、『ユーリイ・ミロスラーフスキイ』も多分あなたのお作でございませうね。 フレスタコーフ さうです。あれも僕の作です。 アンナ わたくし、直ぐにさうだと思ひましたわ。 マリヤ あら、お母さん、あれにはザゴースキンさんの作だと書いてあつてよ。 アンナ それね、お前は此處でも口答へをするだらうと思つてゐましたよ。 フレスタコーフ ああ、さう/\、その通りです。あれはたしかにザゴースキンの作です。が、も一つ『ユーリイ・ミロスラーフスキイ』と云ふのがありますが、それが僕の作なんです。 アンナ 確にさうでございます。わたくし、あなたのお作を拜見致しました。ほんとに立派な作でございますわ! フレスタコーフ 實を云ふと、僕は文學で生活をしてゐるんです。僕の家は、ペテルブルグで一番でしてね、イヴァン・アレタサンドロウィチ・フレスタコーフ邸と云へば、もうそれで分ります。〔一同に向つて〕皆さん、ペテルブルグヘおいでになりましたら、どうぞ、僕の家へお寄り下さい。舞踏會も始終催してゐますよ。 アンナ まあ、どんなに素晴しい優美な舞踏會でございませうね? フレスタコーフ そりやおつしやるまでもありませんよ。例へば、テーブルの上には西瓜が――七百ルーブリもする西瓜が載つかつてゐます。スープは鍋に入れたまま巴里から直接汽船で取り寄せたもので、蓋を開けると、ぱつと湯氣が立つて、それがまた世界に類がないのです。僕は毎日舞踏會で暮らしてゐますが、舞踏會では僕等の間に骨牌の仲間が出來てゐまして、外務大臣、フランス大使、英國大使、獨逸大使、それから僕といふ顏觸です。かうして骨牌をとつてゐるうちに、へとへとに疲れてしまひます。實にお話にならん程疲れてしまひます。それで階段を駈け登つて、四階にある自分の室へ行つて、女中に「おい、マヴルーシカ、外套だ。」とかう云へば……あ、間違つた――忘れてゐましたが、僕は二階に住つてゐるんでした。で、僕のところへは、階段を一つだけ上ればいいんです……ところで、僕がまだ目を覺さないうちに僕の家の控室を覗いてみると、實に面白い光景です。伯爵だの、公爵だのがどやどやと押合ひへし合ひしながら、山蜂のやうに呼鳴つてゐますが、たゞウン/\聞こえるだけです。時偶大臣も來ます……〔町長始め一同おどおどして立上る〕それからまた、僕のところへ來る手紙の封筒には、閣下と書いてありますよ。一度僕は或る局長になつたことさへあります。それがまた妙なんです。その局長が出たつきり何處へ行つたか皆目分らないのです。其處で自然その後任に誰がよからうと云ふ話が持上つたんです。將官連の間にも、希望者が澤山出まして、手をつけては見るが、どうして却々容易な仕事ぢやありません。見たところ、何でもなささうですが、よく見ると、なか/\の難物です! 終ひにはどうにもしやうがなくなつて、僕のところへ持ち込んで來た譯です。その時|街路《とほり》と云ふ街路《とほり》は使者だらけで……まあどうでせう、三萬五千人からありましたよ! 一體どうしたのだ? と訊くと、「フレスタコーフ樣、どうぞ局長の椅子を引受けて下さい!」と、かうなんですよ。で、正直な話が、僕も少々面喰つて、寢卷のまま出て行きました。斷らうと思つたんですが、陛下のお耳に達することですし、それに履歴の飾りにもなるのだと、斯う思ひまして……「では、諸君、我輩がその職をお引き受けしよう。さうするよりしかたがないだらう。だが我輩が引受ける以上、いいかね、決して不正は許しませんぞ! 我輩の耳は鋭敏だから! 我輩は……」と、まあ斯う言つたものです……で僕が局内を歩く時など――まるで地震です。そこら中がた/\地響きがして、みんな本の葉のやうにぶる/\顫へる始末です。〔町長始め一同恐ろしさに顫へる。フレスタコーフは益々調子づいて來る〕そこで、僕は巫山戯たことは嫌ひですから、みんなにどしどし懲戒を加へてやりましたね。内閣會議でさへ僕を恐れてゐました。何故かと云ふと、僕はこの通りの人間ですからね! 僕は誰にだつて容赦しません……「我輩は自分で自分をよく知つてゐる」と、みんなに云つてやるんです。それに、どんな處でも僕の出入りしない場所はありません。宮中へは、毎日參内します。僕は明日にも直ぐ元帥に昇進……〔つるりと滑つて、もう少しで床の上に倒れようとしたが、役人達恭しく彼を支へる〕 町長 〔近寄つて、身體ぢゆうをぶるぶる顫はせながら、一生懸命に物を言はふとする〕閣、閣、閤……閣…… フレスタコーフ 〔神經質的に早口に〕何うしたんです。 町長 閣、閣、閣……閣…… フレスタコーフ 〔前と同じ聲で〕何だかさつぱり分らん。馬鹿馬鹿しい。 町長 閣、閣、閣……閣下、御休息なさいましては如何でございませう?……これが御部屋でございます。お入用の物もみんな揃つて居ります。 フレスタコーフ 休息なんて――馬鹿馬鹿しい。だが許して下さい、僕は休ませて貰はう。諸君、先刻《さつき》の午餐は結構でしたね……僕は滿足してゐます。滿足してゐます。〔朗讀の口調で〕ラバルダン! ラバルダン!   〔隣室へ入る。續いて町長退場〕 [#7字下げ]第 七 景[#「第 七 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々、フレスタコーフと町長とを除く [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] ボブチンスキイ 〔ドブチンスキイに向ひ〕ドブチンスキイさん、これこそ本當の人物だよ! 人物と云ふのは、かう云ふ人のことを云ふんだね! これまでこんな偉い人物と同席したことがないので、僕は怖くて怖くて、もう少しで死にさうだつたよ。ドブチンスキイさん、あの方は身分から云ふと、どのくらゐの人だと思ふ? ドブチンスキイ まあ、大將といふところだらうね。 ボブチンスキイ いや、わしは大將なんざあの方の靴の底にも當らないと思ふよ。だが、若し大將だとすれや、大元帥だよ。あの通り、内閣會議を抑へつけたと云ふからね! さあ、出掛けようか。少しも早くリャープキン・チャープキンさんとコローブキンさんとに話して聞かせよう。ぢや、奧さん、失禮致します! ドブチンスキイ さやうなら、奧さん!   〔兩人退場〕 ゼムリャニーカ 〔フローポフに向ひ〕たゞ怖くてならん。而も何故だが自分にも分らない。我々は制服も着てゐないんだからね。どうだらう、目を覺ましたら、早速ペテルブルグヘ報告を飛ばしやしないだらうか? では、奧さん、失禮します! 〔かう云ひながら視學と一緒に沈んだ顏附をして退場〕 [#7字下げ]第 八 景[#「第 八 景」は中見出し]      [#ここから4字下げ] アンナ、マリヤ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] アンナ まあ、なんて氣持のいい方だらう! マリヤ 本當に優しい方ね! アンナ だけど、あのまた應對振りは、なんてしとやかなんだらう! 都のちやきちやきだつてことは直ぐ分るわ。態度だつて、何だつてみなあの通りだし……本當に何んて素晴しいんだらう! わたしは、あゝした若い方が堪らなく好きなんだよ! まるで夢中になつてしまつたわ。だけどわたしもすつかりあの方のお氣に召したんだよ。わたし氣がついたけど――あの方はしよつちゆうわたしばかりじろじろと見ていらしつたわ。 マリヤ あら、まあ、お母さん、あの方はあたしを見ていらしつたのよ! アンナ そんな馬鹿なことは、どうかもつと向うの方で言つて頂戴! 此處ではまるで場所柄に似合ひませんよ。 マリヤ だつて、お母さん、本當よ! アンナ それまた、そんなことを! ほんとに何とか口答へをしないやうには出來ないものかね! いけないと言つたらもう澤山だよ! あの方が御前なんかを御覽になるものかね! お前を御覽になる理由《わけ》がないぢやないか? マリヤ だつて、お母さん、本當にしよつちゆう見ていらしつたわ。文學の話をお始めになつた時も、ちらとあたしを御覽になつたし、それから大使達と骨牌をなすつたと云ふお話の時にもあたしを御覽になつたわ。 アンナ そりや、一度ぐらゐそんなことがあつたかも知れないさ。それだつて心の中では、「あ、あの女も一つ見てやらうかな……」といふくらゐのところさ。 [#7字下げ]第 九 景[#「第 九 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々。町長登場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 町長 〔爪先立ちで登場しながら〕しツ……し…… アンナ なんですの? 町長 飮みつぶさせはしたものの氣持はよかないよ。あの人の言つたことが牛分でも本當だつたらどうしよう? 〔考へ込む〕いや、本當でない筈はない! 人間て奴は、醉つ拂ふと、何もかも曝《さら》け出してしまふからな。心にあることは、舌に出るものさ。勿論、多少は嘘も云つたらう。どんな話だつて、一言も嘘を吐かずには出來ないからな。大臣達と骨牌をやるの、宮中へ參内するのと……本當に考へれば考へる程……あの男のえたいが知れん。頭の中がどう働いてゐるか、さつぱり分らん。まるで鐘樓か何かの上に立つてゐるやうな、首でも絞められてゐるやうな氣がする。 アンナ わたしなんかちつともこはいと思ひませんでしたわ。わたしはただあの方がヘ育のある上流社會の上品な方だと思つたゞけですわ。あの方の身分なんか、どうでも構ひませんわ。 町長 そりや、お前達が女だからさ! 女といふこの一語だけで十分だよ! それで一切片が附くんだ! お前達に取つては何も彼も――くだらないもの計りさ! お前達は前後の考へもなくうつかり口を辷らすんだ。お前達は一寸|打《ぶ》たれるだけだが、亭主の方はどんな目にあはされるか、考へて見るがいゝ。お前はまるでドブチンスキイとでも話をするやうな平氣な態度であの方に接してゐたね。 アンナ そんなことはご心配に及びませんわ。わたし達はさういつたやうなことを多少心得てゐますから……〔娘の方を見る〕 町長 〔獨語〕お前達と話をしたつてしようがない!……本當に何と云ふ災難だらう! 今だに怖ろしくつて、正氣に歸れない。〔扉を開けて、隙間から云ふ〕ミーシカ、巡査共を呼んで來い。スヴィストゥーノフとデルヂモールダを。二人とも何處かそこいらに、門のあたりにゐる筈だ。〔暫く沈默の後で〕今では世の中のことが凡て不思議だらけだ。せめて押し出しでもよければだが、痩せこけてひよろ/\してゐるんだもの、あれでどうして正體が分るものか。まだ軍人なら何とか見當位はつくが、燕尾服なんか着込んでゐると、まるで羽根をちよん切つた蠅みたいだ。だが、先刻《さつき》は宿屋で長いこと頑張つて、一生かかつても分らないやうな喩へ話や謎みたいなことを吐《ぬ》かしやがつたが、仕舞にはたうとう兜を脱いでしまつた。おまけに餘計なことをべらべら饒舌つてさ。人間が若い證據だ。 [#7字下げ]第 十 景[#「第 十 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々、オーシップ登場 [#ここから2字下げ] 〔一同指先で招きながら、オーシップの方へ駈け寄る〕 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] アンナ さあ、お前さん此方《こちら》へいらつしやい! 町長 しツ! ……どうだね? お寢《やす》みかね? オーシップ いゝえ、まだです。少しばかり伸びをしていらつしやいます。 アンナ ねえ、お前さん何ていふの? オーシップ オーシップと申します、奧さん。 町長 〔妻と娘に向ひ〕お前達はもういい、もういい! 〔オーシップに向ひ〕時に、お前は、どうだつた、お前の食事はよかつたかね? オーシップ ヘえ、有り難うございます。大變結構で。 アンナ ちよいと、お前さんの旦那のところへは、定めし伯爵や侯爵方が大勢お見えになるだらうね? オーシップ 〔傍白〕何と云つたものだらう? 今だつて結構な御馳走を出したんだから、これからはもつと美味《うま》いものを出すかも知れん。〔聞えるやうに〕さやうでございます。伯爵樣方もよくいらつしやいます。 マリヤ ねえ、オーシップさん、お前さんの旦那は何んて綺麗なんでせう! アンナ ちよいと、オーシップさん、聞かして頂戴、あの方はどうして…… 町長 いや、もうどうか止してくれ。お前達がそんなくだらん話ばかりしてゐると、わしの邪魔になる。ところで、どうだね、お前?…… アンナ あの、お前さんの旦那は、どんな身分の方なの? オーシップ 身分つて、當り前ですよ。 町長 ああ、困つたね。お前達はいつまでもくだらない質問ばかりして、大事なことは、一言も話させやしない。ところで何うだね、お前の旦那はどんなかただい? やかましいかたかね? 小言を云ふことがお好きかね、どうだい? オーシップ さうですね、整然《きちん》としたことがお好きです。何でも几帳面でなけりやいけないのです。 町長 成程、わしはお前の顏つきが、大いに氣に入つた。お前はきつといい人間にちがひない。ところでどうだね…… アンナ ねえ、オーシップさん、お前さんの旦那は、彼地《あちら》では制服を着てお歩きになるの? 町長 もう澤山だと云ふに、本當に何といふお饒舌《しやべり》だ! 今大事な話をしてゐるぢやないか。人間の死活に關することなんだ……〔オーシップに向ひ〕其處で、ね、わしは全くお前が氣に入つたよ。旅行中お茶の一ぱいも餘計に飮むのは差支へないだらう――この頃は少々寒いからね――さ、お茶代に一ルーブリの銀貨を二枚上げよう。 オーシップ 〔金を受取りながら〕有り難うございます、旦那樣! どうか神樣があなたに健康を賜はりますやうに! 貧乏な人間をよくお助け下さいました。 町長 よしよし、わしも嬉しいよ。時に、どうだね…… アンナ ねえ、オーシップさん、お前さんの旦那はどんな色の目がいちばんお好きなの?…… マリヤ ねえ、オーシップさん! お前さんの旦那のお鼻は、何て可愛いゝんだらう! 町長 まあ、待つた、わしに言はせてくれ……〔オーシップに向ひ〕どうだね、一つ聞かせてくれまいか。ご主人はいちばん何に注意されるかね? つまり、旅行中何がいちばんお氣に入るかね? オーシップ それは、そのときの都合でございますが、いちばんお好きなのは、いい待遇《もてなし》を受けて美味《うま》い御馳走を召し上ることでせうな。 町長 美味《うま》い御馳走を? オーシップ 左樣、美味《うま》い御馳走でございます――それに、わたくしなんざあ慘めな百姓でございますが、それでもわたくしのことまで心にかけて下さいます。本當でございますよ! 何處かへ行つた時など、「どうだ、オーシップ、お前も御馳走になつたかい?」などとお訊きになることがよくございます。「旦那、碌なものは食ひませんでした!」と申し上げますと、「そいつはよくない主人だ。オーシップ、家へ歸つたらも一度それを話してくれとおつしやいます。ですが、わたくしは腹の中で、「なに、〔片手を振る〕あんな人間なんかうつちやつておけ! どうせ俺なんかつまらん人間だから」と、斯う考へましてね。 町長 よし、よし、お前正直な事を言つてくれた。先刻《さつき》茶代をやつたが、こん度はその上に菓子代をやらう。 オーシップ 閣下、それはまた恐れ入ります。〔金をしまふ〕では、御健康を祝つて一ぱい飮《や》りませう。 アンナ オーシップさん、わたしのところへもおいで。わたしもあげるから。 マリヤ ねえ、オーシップさん、お前さんの旦那にキツスをして頂戴! 〔隣室からフレスタコーフの輕い咳が聞えて來る〕 町長 しツ! 〔爪先で立上る。一同小聲になる〕がやがや騷ぐと承知せんぞ! 自分の室へ行つたらどうだ! もう澤山だ…… アンナ さ、行きませう、マリヤ! わたしね、お客さんのことで氣がついたことをお前に話してあげるから。二人でなければ話せないやうなことなんだから。 町長 ああ、彼方《あつち》へ行つたらさぞ饒舌り立てることだらう! 行つて聞いたら、耳が詰つてしまふだらう。〔オーシップに向ひ〕ね、お前…… [#7字下げ]第十一景[#「第十一景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々、デルジモールダ、スヴイストゥーノフ(登場) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 町長 しツ! この脚曲《あしまが》りの熊ども、何だつて靴をがたがたさせやがるんだ。まるで四十プードの荷物を荷車から投り出してでもゐるやうな地響きがする! 貴樣達は何處へ行つてゐたんだ? デルジモールダ 御命令に從ひまして、行つて…… 町長 しツ!〔デルジモールダの口を塞ぐ〕まるで鴉ががあがあ鳴いてゐるやうだ!〔口眞似する〕御命令に從ひまして行つて參りました! まるで桶の中から哮えてゐるやうだ!〔オーシップに向ひ〕では、お前は彼方《あつち》へ行つて、旦那の御用をしなさい。家にある物は、何でもみな使つていゝ。〔オーシップ退場〕それから貴樣達は――玄關に立つてゐて、其處から一歩も動いちやならん! そして餘所の者は一人も家へ入れちやならん。とり分け商人共はね! 若し奴等を一人でも入れてみろ、それこそ……歎願書を持つて來る者を見附けたら、たとへ歎願書をもつてゐなくとも、わしを訴へようとするやうな奴を見附けたら、いきなり後ろから蹴飛ばしてやれ! こんな風に! こつぴどく!〔片脚で蹴つて見せる〕分つたか? しツ……しツ…… [#4字下げ]〔巡査等の後から拔足差足で退場〕 [#改ページ] [#5字下げ]第 四 幕[#「第 四 幕」は大見出し] [#9字下げ](町長の家、前と同じ室) [#7字下げ]第 一 景[#「第 一 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] リャープキシ・チャープキン、ゼムリャニーカ、郵便局長、フローポフ、ドブチンスキイ、ボブチンスキイ等禮裝をして、注意深く爪先立をして登場。この一場面小聲で演ずる。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから天付き、折り返して1字下げ] リャープキン 〔一同を半圓經に立たせる〕どうか諸君、速く輪になつてくれ給へ。もつと整然《きちん》と。偉い人間だからね、宮中にも參内するし、内閣會議でも叱り飛すといふんだからね! 軍隊式に並んで呉れ給へ。是非軍隊式に! それからドブチンスキイ君、君はこつち側から駈けて行つてくれ給へ。ボブチンスキイ君、君は其處に立つてゐ給へ。〔兩人爪先立をして駈出す〕 ゼムリャニーカ リャープキン君、君はどう言ふか知らんが、我々はなんとかしなけりやなるまいね。 リャープキン といふと、どうするんだ? ゼムリャニーカ どうするつて、分りきつてるぢやないか。 リャープキン 袖の下かね? ゼムリャニーカ さう、まあ袖の下もよからう。 リャープキン 飛んでもない、危險だよ! 一國の名士に向つて何をする、などと呶鳴りつけられたらどうする。それより、貴族團から何か記念品を贈呈するといふ形にしたらどうだらう? 郵便局長 それとも、「誰のものとも分らない金を郵送して來ましたので。」はどうだらう? ゼムリャニーカ 氣をつけ給へ。あの人は君を、何處かもつと遠い處へ郵送してしまはないとも限らんからね。いいかね、文明國ぢやそんなことは流行《はや》らんからね。何だつて我々は斯んな所に一箇中隊もゐるんだらう? 一人づゝ挨拶に行つて、差し向ひになつたところで、その……誰にも分らんやうに――適當にやるんだね! 文明社會ではまあこんな風にやるのさ! さあ、リャープキン君、先づ君から始め給へ。 リャープキン そりや君の方がいいや。何しろ君の病院で、あの貴賓は食事をされたんだからね。 ゼムリャニーカ それでは青年の指導者たるフローポフ君がいゝだらう。 フローポフ 駄目だ、そりや駄目だよ、諸君! 正直なところ、僕は誰か自分より一級でも上の人と口を利かうものなら、魂が宙に飛んで、舌と來たら泥濘に篏り込んだやうになるんだ。だから、諸君、勘辨して呉れ給へ、本當に勘辨して呉れ。 ゼムリャニーカ では、リャープキン君、君の外には誰もないよ。君は何か一口言つても、シセロに讓らん雄辯家だからな。 リャープキン 何を言ふんだ! 一體君は何見言ふのだ。シセロだつて! 何を考へ出したんだらう! そりや時には番犬や獵犬の話をして夢中になつた事もあるか知れないが…… 一同 〔彼に迫る〕いや、君は犬の話ばかりぢやない、バビロン塔の話だつて……いや、リャープキン君、我々を見棄てないでくれ給へ。我々の父親になつてくれ!……ねえリャープキン君! リャープキン 放してくれ給へ、諸君!  〔この時フレスタコーフの部屋から足音と咳拂ひが聞える。一同競ふて扉の方へ急ぎ、一塊になつて我先に出ようとするので、互に押し合ひへし合ひする。低い叫び聲が響く〕 ボブチンスキイの聲 おい! ドブチンスキイさん、何だ、人の足を踏んで! ゼムリャニーカの聲 通してくれ給へ、諧君。そんなに押しつけちや――息が詰るぢやないか!  〔おい! おい! といふ叫聲が幾度か聞える。遂に一同押し合つて退場。舞臺空虚となる〕 [#7字下げ]第 二 景[#「第 二 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] フレスタコーフ(たゞ一人、寢ぼけ顏で登場) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] フレスタコーフ ぐつすり寢込んだらしい。奴等は一體何處からあんな蒲團だの羽根枕だのを集めて來たんだらう? 汗までかいちまつた。奴等、昨日午餐の時何か飮ませやがつたと見えて未だに頭ん中ががん/\する。此處にゐりや、どうやら面白く日が送れさうだ。おれはもてなしのいいのは大好きだ。だが、正直なところ、慾得のためでなく、心からもてなしてくれるんなら猶更いいんだがなあ。だが町長の娘も惡くはないな。それにおふくろ[#「おふくろ」に傍点]にしたつてまだ……いや、おれには分らないが、實際こんな生活は氣に人つたよ。 [#7字下げ]第 三 景[#「第 三 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] フレスタコーフ。判事登場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 判事 〔入りながら立ち止り、獨白〕神樣、神樣! どうぞうまく行きますやうに。こんなに膝ががたがたする。〔身體を伸し、片手で劍をおさへながら、聞えるやうに〕拜顏の榮を得ます。當地の郡裁判所判事、八等官リャープキン・チャープキンでございます。 フレスタコーフ どうぞお掛け下さい。では、あなたが當地《ここ》の判事をしてゐられるのですか? 判事 千八百十六年から向ふ三ケ年の期限で、貴族團の推薦によりまして、今日まで勤續して居ります。 フレスタコーフ だが、判事をしてゐて、役得がありますかね? 判事 九ケ年間の勤續に對して、お上からお褒めに預かつて、ウラヂーミル四等勳章を戴きました。〔傍白〕金は手に握つてゐるが、掌《てのひら》はまるで火のやうだ。 フレスタコーフ 僕はウラヂーミルは大好ですよ。アンナ三等の方はさうでもありませんが。 判事 〔握り拳を少しづづ前の方へ出しながら、傍白〕困つたなあ! 何處に腰掛けてゐるのか、自分でも分らない。まるで足下で火が燃えてゐるやうだ。 フレスタコーフ なにを握つてゐるんです? リャープキン 〔まごついて紙幣を床の上に落す〕いや、何でもありません。 フレスタコーフ どうして何んでもないことがありますか? お金が落ちたぢやありませんか。 リャープキン 〔全身を震はせて〕いゝえ、決してそんなことはございません! 〔傍白〕あゝ、しまつた! こんどは此方《こつち》が裁判沙汰だ! 今におれをつかまへに囚人馬車がやつて來るぞ! フレスタコーフ 〔拾ひ上げて〕さうだ、やつぱり金だ! リャープキン 〔傍白〕萬事休す――おしまひだ、おしまひだ! フレスタコーフ どうでせう? これを僕に貸してくれませんか? リャープキン 〔慌てて〕どう致しまして、どう致しまして……喜んで。〔傍白〕さあ、もつと大膽に、大膽にやるんだ! お助け下さいまし、聖母マリヤ樣! フレスタコーフ 實はね、途中で、なんだかんだつて使ひ果してしまつたもんだからね……だが田舍から直ぐお送りしますよ。 リャープキン どういたしまして、とんでもない! それでなくても身に餘る光榮に存じて居ります……勿論、微力ながら、勤勉と努力をさゝげまして、お上のお役に立ちたいと念じて居ります……〔椅子から立ち上る。兩手を股に當てて、身體を眞直に伸ばす〕ではあまりお邪魔をいたしましては失禮でございますから。何か御命令はございませんでせうか? フレスタコーフ 命令といふと? リャープキン 當地の郡裁判所に何か御命令はございませんでせうかと思ひまして。 フレスタコーフ 何故です? そんなものには今なんにも用はありません、いや、なんにもありませんよ。どうも有難う。 リャープキン 〔敬禮して退場しながら傍白〕やれやれ、この町《まち》も! フレスタコーフ 〔彼が退場してから〕判事の奴――好人物だなあ! [#7字下げ]第 四 景[#「第 四 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] フレスタコーフ。郵便局長(制服を着、實直に體を伸ばして、片手で劍を抑へながら登場) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 郵便局長 拜顏の榮を得ます。わたくしは郵便局長、七等官シュペーキンでございます。 フレスタコーフ あゝ、どうぞお入り下さい! 僕は氣持ちのいゝ交際《つきあい》が大好きです。さあ、お掛け下さい。あなたは當地にずつとお住ひですか? 郵便局長 は、さやうでございます。 フレスタコーフ 僕はこの町が氣に入りました。勿論、人口は少ないやうですが、そんなことは何でもありません。こゝは都會ぢやないですからね。さうでせう、都會ぢやないですね? 郵便局長 全くおつしやる通りでございます。 フレスタコーフ どうしても都會でなければ優美《ボントン》といふやうなものは見られませんね。都會には田舍の鵞鳥なんか居ませんよ。あなたの御意見は何うです? さうぢやありませんか? 郵便局長 は、その通りでござひます。〔傍白〕だが、この人は少しも威張らない。何んでもよく訊く人だ。 フレスタコーフ だが、小さな町でも幸福に暮せるでせう? どうですか? 郵便局長 は、その通りでございます。 フレスタコーフ 僕の考へでは、何が必要かと言へば、たゞ人から尊敬され、心から愛されることですよ……さうぢやないですか? 郵便局長 全くその通りでございます。 フレスタコーフ あなたが僕と同意見なので、全く嬉しいですよ。勿論、人は僕を變人だと言ふでせうが、僕は斯んな性格の人間でしてね。〔相手の眼を見ながら、獨白〕一つこの局長に無心して見ようかな、〔聞えるやうに〕實は妙なことが起りましてね、途中ですつかり使ひ果してしまつたんですが、三百ルーブリばかり貸して貰へないでせうか? 郵便局長 どう致しまして、身に餘る光榮でございます。さ、どうぞこれを。衷心からお役に立ちたいと念じて居りますので。 フレスタコーフ 大きに有り難う! 僕は本來旅で遠慮をするのは堪らなく厭です。そんなことをしたつて何にもなりませんからね。さうぢやないですか? 郵便局長 全くその通りでございます。〔立ち上り、體を伸ばして劍をおさへる〕餘りお邪魔を致しましては失禮でございますから……何か郵便局のことに就きまして、御注意はございませんでせうか? フレスタコーフ いや、何にもありません。  〔郵便局長敬禮して退場〕 フレスタコーフ 〔シガーを燻らしながら〕郵便局長か、あれも矢張り極くのお人好しらしい。少くとも親切だ。おれはあんな人間が好きだ。 [#7字下げ]第 五 景[#「第 五 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] フレスタコーフ。フローポフ(殆んど突き出されたやうに戸口から登場。彼の後方で「何をさうびく/\するんだ」といふ聲が聞える) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] フローポフ 〔幾分慄えながら身を伸ばし、劍をおさへて〕拜顏の榮を得ます。視學九等官フローポフでございます。 フレスタコーフ や、どうぞお入り下さい。さあお掛けなさい、お掛けなさい! 葉卷《シガー》は如何ですか? 〔葉卷を差出す〕 フローポフ 〔躊躇しながら獨白〕さあ、困つた。こんなことはまるで豫想もしなかつた。とつたものか、それともとらないものか? フレスタコーフ さ、お取りなさい、お取りなさい。相當の葉卷ですよ。勿論ペテルブルグ邊のとは比較になりませんがね。あちらでは百本二十五ルーブリの葉卷を吸つてゐましたよ――一口吸つたら、手にキツスしたい位ゐですよ。さあ、火をおつけなさい。〔蝋燭を差出す〕 フローポフ 〔吸はうとして、ぶる/\震へる〕 フレスタコーフ あ、そこは吸ひ口ぢやありませんよ。 フローポフ 〔吃驚して葉卷を落し、ペッと唾を吐く。手を振つて、獨白〕畜生、どうともなるがいゝ! 忌々しい臆病だ、お蔭で一生浮ばれなくなつた! フレスタコーフ ああ、あなたは葉卷がお好きぢやないやうですね。ところが、僕はこれが弱點でしてね。それに、も一つ女性となると、どうしても平氣でゐられませんよ。あなたはどうです? どんな女が一番お好きです――ブリュネットですか、それともブロンドですか? フローポフ 〔何んと言つてよいのか、すつかり當惑してしまふ〕 フレスタコーフ いや、ざつくばらんに仰有い。ブリュネットですか、それともブロンドですか? フローポフ 一向に存じません。 フレスタコーフ いや、いや、言ひ拔けはいけません! 僕は是非あなたの趣味を知りたいのです。 フローポフ では、申上げますが……〔傍白〕さあ、何といつていゝか、自分でも分りやしない。 フレスタコーフ あゝ! 言ひたくないんですね。きつと誰か黒髮《ブリュネット》の女が、あなたに何か一寸した厄介なことでも持ちかけたんでせう。白状なさい。さうでせう? フローポフ 〔默つてゐる〕 フレスタコーフ あ! あ! 顏が赤くなりましたね! そら、ごらんなさい! 何故言はないのです? フローポフ 何んだか氣おくれがしまして、閣……閣……閣……〔傍白〕忌々しい舌め、おれのいふことを聽きやがらぬ! フレスタコーフ 氣おくれがした? 實際僕の眼には、何か人を臆《お》ぢけさせるやうなものがあるんですよ。少くとも、僕には分つてゐますが、どんな女でも僕に見られて、平氣でゐるものは一人もありませんからね。さうぢやありませんか? フローポフ は、その通りでございます。 フレスタコーフ ときに、實は妙なことが起りましてね、途中ですつかり使ひ果してしまつたんですよ。で、三百ルーブリ程貸して貰へないでせうか? フローポフ 〔ポケットを押へながら、獨白〕さあ、無いとすると大變だぞ! あ、ある、ある!  〔取出し、震へながら紙幣を渡す〕 フレスタコーフ どうも有り難う。 フローポフ 〔體を伸ばし、片手で劍を押へる〕あまりお邪魔をいたしましては失禮でございますから。 フレスタコーフ では、さようなら。 フローポフ 〔走るやうにして出て行きながら、傍白〕やれ/\有り難い! もう、これでヘ室を覗くやうなことはあるまい。 [#7字下げ]第 六 景[#「第 六 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] フレスタコーフ。ゼムリャニーカ(體を伸ばし、片手で劍を押へながら登場) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] ゼムリャニーカ 拜顏の榮を得ます。病院長七等官ゼムリャニーカでございます。 フレスタコーフ 今日は! どうぞお掛け下さい。 ゼムリャニーカ 昨日はまたわたしの管轄に屬する病院に御迎へすることが出來まして光榮に存じます。 フレスタコーフ あゝ、さうでしたね、覺えてゐますよ。大變結構な午餐をご馳走になりました。 ゼムリャニーカ 國家のためには喜んでお役に立ちたいと努めて居ります。 フレスタコーフ 僕は――正直のところこれが僕の弱點なんですが――上等の料理が大好きなんです。はてな、昨日あなたはも少し背が低いやうにお見受け致しましたが、違ひますかな? ゼムリャニーカ さうかも知れません。〔一寸沈默の後〕憚らず申上げますが、わたくしは國家のためには骨身を惜まず、鋭意勤務を勵んで居ります。〔椅子を近づけ小聲で〕ところが、當地の郵便局長は、まるで何にも致しません。仕事はまるで放りぱなしで、郵便物はみな停滯して居ります。……どうか御自身御取調べ下さいまし。また、只今私の前に伺ひました判事も、兎狩ばかり致して居りまして、役所にまで犬を飼つてゐるやうな有樣でございます。それに正直に申しますと、その品行は――あの男はわたくしの親戚でもあり、友人でもありますが、國家のためには、勿論申上げねばなりません――實に非難すべきものがございます。あなたも御存じでございますが、當地にドブチンスキイといふ地主が居ります。そのドブチンスキイが家を出て何處かへ行きますと、あの判事は直ぐにドブチンスキイの家内の傍に附きつきりでございます。それは誓つてもよろしうございます……まあ、あの子供達を御覽下さいまし、一人としてドブチンスキイに似てゐるものはありません。小さな女の子まで、みんな判事そつくりでございます。 フレスタコーフ ヘえ、さうですか? それは思ひがけないことでした。 ゼムリャニーカ それから、當地の視學です……わたくしはどうしてお上《かみ》があんな男に大事な職務を委任されたか合點が參りません。あの男はジャコビン黨よりもつと惡い奴です。それは言葉に表はすことも出來ないやうな危險思想を青年に吹込んで居ります。何でしたらこの事を詳しく書面で申上げようと思ひますが、如何でございませう。 フレスタコーフ 書面でも結構です。非常に面白いでせう。僕は、退屈な時に、何か滑稽なものを讀むのが好きですからね。……あなたのお名前は何と言ひましたつけ? どうも忘れつぽくつてね。 ゼムリャニーカ ゼムリャニーカと申します。 フレスタコーフ あゝ、さう! ゼムリャニーカ。それで何うです、あなたお子供衆がありますか? ゼムリャニーカ ありますとも! 五人もございます。そのうち二人はもう大人でございます。 フレスタコーフ なに、大人! それで何といふんです……そのお子さん方は…… ゼムリャニーカ つまり、名前は何といふかと、お訊ねになつてゐらつしやるのでございますか? フレスタコーフ さうです、名前は何といふのです? ゼムリャニーカ ニコライとイワンとエリザウェータと、マリヤと、それからペレペトゥーヤでございます。 フレスタコーフ それは結構ですな。 ゼムリャニーカ 餘り長座致しまして、紳聖な御職務の時間を割きましては誠に恐縮でございますから……〔退場しようとして敬禮する〕 フレスタコーフ 〔送りながら〕いや、どういたしまして、あなたの話は實に面白かつたですよ。こんど又どうぞ……僕はあゝいふ話が大好きでしてね。〔歸りかけて、又戸を開き、後から叫ぶ〕あゝもし、あなたは何と仰有いましたつけね? どうも忘れつぽくて。あなたのお名前と父稱は? ゼムリャニーカ アルテーミイ・フィリッポウィチと申します。 フレスタコーフ 濟みませんがね、アルテーミイ・フィリッポウィチ、實は妙なことが起りましてね、途中ですつかり使ひ果してしまつたんですが、あなたお金を持つてゐませんか。貸して戴きたいのですが――四百ルーブリ程? ゼムリャニーカ ございますとも。 フレスタコーフ それは何よりでした。どうも有り難う。 [#7字下げ]第 七 景[#「第 七 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] フレスタコーフ。ボブチンスキイ、ドブチンスキイ登場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] ボブチンスキイ[#「ボブチンスキイ」は底本では「ボブチンスヰイ」] 拜顏の光榮を得ます。當町の住民イワンの伜、ピョートル・ボブチンスキイでございます。 ドブチンスキイ わたくしはイワンの伜、地主のピョートル・ドブチンスキイと申します。 フレスタコーフ ああ、さう、あなたにはもうお目にかゝりましたね。あなた、あの時、ころびましたつけね。どうです、鼻の具合は? ボブチンスキイ お蔭樣で! どうぞ御心配下さいませんやうに。もうすつかり癒りましてございます。 フレスタコーフ 癒つてよかつた。僕も嬉しく思ひます。……〔突然ぶつきら棒に〕あなたお金をお持ちでありませんか? ドブチンスキイ お金? お金と申しますと? フレスタコーフ 千ルーブリばかり拜借致したいんですが。 ボブチンスキイ そのやうな大金は全く持ち合せがございません。君ないかね、ドブチンスキイさん? ドブチンスキイ わたくしも持ち合せて居りません。實は、わたくしの金は養育院に預けてありますので。 フレスタコーフ なに、千ルーブリ無いとしたら、百ルーブリでも宜しいです! ボブチンスキイ〔ポケツトを狸す〕ドブチンスキイさん、君百ルーブリ持つてゐないかね? 僕のところにはみんなで紙幣《さつ》が四十ルーブリしかないんだが。 ドブチンスキイ 〔財布を見ながら〕みんなで二十五ルーブリだよ。 ボブチンスキイ もつとよく搜して見給へ、ドブチンスキイさん! 僕は知つてるよ、君の右のポケツトに穴があいてゐて、屹度何かのはづみで、そこへ落ちてゐるんだよ。 ドブチンスキイ いや、本當に穴の中にもないんだよ。 フレスタコーフ なに、どうでもいいんです。僕は、たゞその一寸。……ぢや結構です、六十五ルーブリでも構ひません……同じことです。〔金を受け取る〕 ドブチンスキイ あの失禮でございますが、わたくしは一つ非常に微妙な事柄につきまして、お訊ねいたしたいのでございますが。 フレスタコーフ 何ですか? ドブチンスキイ それは極く微妙な性質の事柄でございます。實は、わたくしの長男の生れましたのは、わたくしのまだ結婚する前でして…… フレスタコーフ なるほど? ドブチンスキイ と申しましても、それはたゞ素面《うはべ》だけで、その子は結婚してから生れたも同然、全くわたくしの子なのでございます。勿論、その後すつかり婚姻の手續は致しました。そういふ譯で、今度こそ、あの子が全然――つまり法律上わたくしの子であり、又、わたくしのやうにドブチンスキイの姓を名乘るやうにしたいと思ひまして。 フレスタコーフ 結構ですとも、名乘らせたらいいでせう。それは出來ますよ。 ドブチンスキイ こんなことで御心配をかけたくはないのでございますが、どうもその才能が惜しいものですから。こんなちつぽけな男の子ではございますが、前途有望だと思ひますので。――いろいろな詩も暗誦《そら》で讀みますし、何處かに小刀でも落ちて居りますと、まるで手品師のやうに巧みに、小さな馬車などを拵へるのでございます。現にこのボブチンスキイさんも御存じでございます。 ボブチンスキイ 左樣、それは大した才能を持つて居ります。 フレスタコーフ よろしい! よろしい! 骨折つてみませう。僕から話してみませう。……萬事うまく行くでせう。さうです、さうです……〔ボブチンスキイの方を向いて〕あなたは何か仰有ることはありませんか? ボブチンスキイ ございますとも。是非とも折入つてお願ひ致したいことがございます。 フレスタコーフ 何です、どんなことです? ボブチンスキイ あなたがペテルブルグへおいでになりましたら、あちらの貴族方に――元老院の議員や海軍大將などに、「閣下、これ/\の町にピョートル・イ※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]ーノウィチ。ボブチンスキイといふ者が住んでゐる」と、是非斯う仰有つて下さい。どうぞ「ピョートル・イ※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]ーノウィチ・ボブチンスキイが住んでゐる」と、かう仰有つて下さいまし。 フレスタコーフ よろしいとも。 ボブチンスキイ それから又、陛下に拜謁なさることがございましたら、陛下にもさう申上げて下さいまし、「陛下、これ/\の町に、ピョートル・イ※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]ーノウィチ。ボブチンスキイといふ者が居ります」つて。 フレスタコーフ よろしいとも。 ドブチンスキイ どうもお邪魔いたしました、御免下さいまし。 ボブチンスキイ どぅもお邪魔いたしました、御冤下さいまし。 フレスタコーフ いや、どういたしまして。大變愉快でした。〔兩人を送り出す〕 [#7字下げ]第 八 景[#「第 八 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] フレスタコーフ (一人) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] フレスタコーフ 此處にはずいぶん大勢役人がゐやがる。だが、奴等はおれを政治家だと思つてゐるらしい。全く、昨日はさんざん煙に卷いてやつたからな。馬鹿な奴等だ! ペテルブルグのトゥリャピーチキンにすつかり書いて知らせてやらう。あの男は文筆家だから――奴等を散々愚弄するだらう。おい、オーシップ、紙とインクを持つて來い。〔オーシップ戸口から顏を出し「ただ今」といふ〕 誰だつて、トゥリャピーチキンの筆に懸つたら、とても助かりつこないからな。警句のためには、生みの親父だつて容赦しないんだからなあ。それに金が大好きと來てゐる。だがあの役人達は却々お人好しばかりだ。おれに金を貸してくれたのは、彼奴等としては上出來だ。皆で幾らあるか、一つ勘定してやれ。これが判事の三百ルーブリ、これは郵便局長の三百ルーブリ、六百、七百、八百……何て汚《きたな》い紙幣《さつ》だらう? 八百、九百……お! 千を越したぞ。さあ、大尉奴、今度こそやつて來い! どつちが勝つか、見てやらう! [#7字下げ]第 九 景[#「第 九 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] フレスタコーフ。オーシップ(インクと紙を持つて登場) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] フレスタコーフ おい、どうだい、馬鹿、おれのもて方は、どうだい? 〔書き始める〕 オーシップ さよう、御蔭樣で! ですがねえ、イワン・アレクサンドロウィチ! フレスタコーフ 何だ? オーシップ こゝを立ちなさいまし! もうそろ/\潮時ですぜ。 フレスタコーフ 〔書く〕馬鹿な! 何うして? オーシップ 別に何うといふことはありません。あの人達はもう放つておきなさい! もう二日もぶら/\してゐたんですから――もう澤山ぢやありませんか。何をあんな連中といつまでもかゝり合つてゐることがあります? 唾でもひつかけておやんなさい! いゝことばかりはありませんぜ、若し誰か他の人がやつて來たらどうします……全くですぜ、イワン・アレクサンドロウィチ! こゝにや素敵な馬がゐますから、一足飛びに飛ばしたらどうでせう! フレスタコーフ 〔書く〕いや、おれはもつと此處にゐたいよ。明日にしよう。 オーシップ 明日になつたらどうなるんです! 本當に出かけませうよ、イワン・アレクサンドロウィチ! そりやあなたには大した名譽かも知れませんが、それにしても一刻も早く出掛けた方がいいですぜ。全く、人違ひをしてゐるんですからね……それに斯うぐづ/\してゐると、大旦那が癇癪を起しますよ。本當に、すつと氣持よくふつ飛ばさうぢやありませんか! こゝぢや馬は素晴しいのを寄越しますぜ。 フレスタコーフ 〔書く〕ぢや、いいよ。たゞ、その前に一寸この手紙を出してくれ。それから序でに、驛遞馬車をやとつて來てくれ。その代り、いい馬でなけりやいかんぞ! それから馭者にさう言つてやれ――早打ちみたいにすつ飛ばして、歌を唄へば、一ルーブリの酒代をくれてやるつてな……〔書き續ける〕トゥリャピーチキンの奴、さぞ腹を抱へて笑ふことだらう…… オーシップ ねえ、旦那、これは此處の下男に出させて、わしは時間を無駄にしないやうに、荷作りした方がいいでせう。 フレスタコーフ 〔書きながら〕よろしい。だが、蝋燭をもつて來てくれ。 オーシップ 〔退場、舞臺裏で〕おい、兄弟、お前、郵便を出して來てくれないか。そして局長に言つて、無料で引受けてもらつてくれ。それから、早打ちに使ふ極上の三頭立《トロイカ》を直ぐ旦那の所へ寄越すやうにつてな。料金は拂はないよ。官費だからつてな。出來るだけ早くしてたくれ。でないと、旦那が怒るからな。待つた、待つた、手紙は未だ出來ねえんだ。 フレスタコーフ 〔書き續ける〕それはさうと、あの男、今何處に住んでゐるかなあ――ポチタームスカヤ街かな、それともゴロホーヴァヤ街かな? あの男も矢張り引越が好きで、その上家賃を踏み倒してぱかりゐる。一つ當てずつぽうにポチタームスカヤ街と書いてやれ。〔手紙を封じて宛名を書く〕 オーシップ 〔蝋燭をもつて來る。フレスタコーフ封印をする。この時デルジモールダが「こら、髯ツ面、何處へ行くんだツ? 誰も入つちやいかんと言ふに」と叫ぶ聲が聞える〕 フレスタコーフ 〔オーシップに手紙を渡し〕さ、持つて行け。 商人の聲 入れておくんなさい、旦那。入れないつて譯はありませんよ、わたし達は用事があつて來たんですから。 デルジモールダの聲 あつちへ行け、あつちへ行け! お會ひにやならん、お寢《やす》み中だ。〔騷聲次第に大きくなる〕 フレスタコーフ あれは何だい、オーシップ? あの騷ぎは何うしたんだか、一寸見てくれ。 オーシップ 〔窓から覗く〕 何だか商人みたいな連中が入りたがつてゐるんですよ。ところが巡査が入れようとしないんです。みんな紙切れを振り廻してゐますよ。きつとあなたに會ひたいんでせう。 フレスタコーフ 〔窓の傍へ近寄つて〕何だね、諸君? 商人達の聲 お願ひがあつて參りました。旦那樣、どうぞお聞き入れを願ひます。 フレスタコーフ 入れろ、入れろ、あの連中を。通していゝ。オーシップ、入つてもいいと言つてやれ。〔オーシップ退場〕 フレスタコーフ 〔窓越しに歎願書を受取り、その中の一つを開いて讀む〕「財政官閣下へ、商人アブドゥーリンより……」何だい、これは? こんな官名なんかありやしない! [#7字下げ]第 十 景[#「第 十 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] フレスタコーフ。商人達(酒の籠と棒砂糖を持つて登場) [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] フレスタコーフ 何だね、諸君? 商人達 お慈悲の程御願ひ致します。 フレスタコーフ 一體何の用だね? 商人達 お助け下さいまし、旦那樣! 手前共は何の罪もないのに、苛《いぢ》められてゐるんでございます。 フレスタコーフ 誰から? 商人の一人 はい、みんなこゝの町長からでございます。こんな町長は、旦那樣、全く初めてでございます。とても言葉に盡せないやうな、酷いことをするのでございます。兵隊さんの宿をさせては、ひどい目に逢せますし、いつそ首でも縊つて死んだ方がましでございます。人間らしい行ひなんかてんで致しません。ひとの顎髯を引つ掴んで、「やい、この韃靼人奴!」と、斯うなんでございます。本當でございますよ! それも、あの人を尊敬しないといふのならまだレも、手前共はちやんと爲すべきことはしてゐるのでござひます。あの人の奧さんやお孃さんの着物代を差し上げるくらゐなら――手前どもも別段かれこれ申しは致しませんが、そんなことぢやまだ/\追つつかないのでございます。――全くでございますよ! 店へやつて來まして、手當り次第に何でも持つて行つてしまひます。羅紗の一反でも見附けると、「おい、こら、これはいい羅紗だ、わしのところへ屆けろ」と、かうでございます。仕方たく持つては參りますが、何分、一反五十アルシンもする代物なんでございますからね。 フレスタコーフ そりや本當か? どうも、凄い惡黨だな! 商人達 全くでございますとも! 誰だつて、いままであんな町長は覺えがないと申して居ります。あの人の姿が見えると、店の品物はなにもかもすつかり隱してしまひます。さうしませんと、上等なものは勿論のこと、どんなくだらない品物でも持つて行つてしまふのでございます。七年くらゐも樽の中につかつてゐて、うちの奉公人でも食べないやうな梅干でも、あの人は一掴みも持つて行くといふ風でございます。あの人の命名日は、アントンの記念日でございますが、その日には何んでもかでもみんな攫つて行きますので、もうそれ以上要る物はなからうと思つてゐますと、どうして、どうして、そんなことでは濟みません。オヌーフリイの日もあの人の命名日だと言はれますので、どうも仕方がございません。オヌーフリイの日にも持つて行くのでございます。 フレスタコーフ それぢや、まるで強盜だね! 商人達 全くその通りでございます! でも、口返答でも致さうものなら、それこそ手前共の家ヘ一聯隊くらゐ引張つて來て宿を言ひつけます。どうかすると店を閉めろといふこともございます。「おれは貴樣を體刑に處しはしない。また拷問にもかけはしない――法律で禁じられてゐるからな。だからおれは貴樣にかういふ御馳走をしてやる!」と、かうでございます。 フレスタコーフ いやはや、ひどい惡黨だ! そんなことをしたら、それこそシベリヤ行きだ。 商人達 左樣でございます。あなた樣の御慈悲によりまして、あの人を何處へおやりなすつでも結構でございますが、たゞ、なるべく此處から離れたところへやつて戴きたうございます。でこれはほんのおしるしでございますが、お納め下さいまし。砂糖と酒でございます。 フレスタコーフ いや、そんなことをしちやいけない。僕は決して賄賂はとらん。だが、もし君達が、例へば、三百ルーブリも貸してくれるといふのなら――それは全く別問題だがね。金なら借りておいても構はない。 商人達 それではどうぞ!〔金をとり出す〕でも、三百ルーブリぢやどうにもなりますまい。いつそ五百ルーブリお取り下さいまし。たゞどうぞお助け下さいまし。 フレスタコーフ 宜しい、金を借りるのなら、僕も異存はない、借りて置かう。 商人達〔銀の盆に載せて金を差し出す〕さあ、どうぞお盆も一緒にお取り下さいまし。 フレスタコーフ では、お盆ももらつておく 商人達〔お辭儀をしながら〕いつそのこと砂糖も一緒にお納め下さいまし。 フレスタコーフ あゝ、いや、僕は賄賂は決して…… オーシップ 閣下! なぜお取りにならないんです? お取りになつてはいかがです? 放では何でも役に立ちますよ。さ、砂糖と籠はこつちへ貰はう! そつくり持つて來い。みんな役にたつから。それは何だい? 紐? 紐も貰はう――紐も途中で役に立つことがある。馬車がこわれたり何かした時に、これで縛つてもいい。 商人達 それでは閣下、どうぞ御慈悲をおかけ下さいまし! もしあなた樣が、手前共の願ひをお聞き入れ下さらなければ、手前共は全くどう致してよいか分りません。たゞもう首を吊つて死ぬより外ございません。 フレスタコーフ よし、よし。屹度骨を折るよ。 [#ここから2字下げ] 〔商人達退場。女の聲聞ゆ、「いゝえ、あたしを通さない譯には行くまい! 通さなければ、お前さんをあの方に訴へてやるから、そんなにひどくこづくんぢやないつたら!」〕 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] フレスタコーフ 誰だい、其處にゐるのは?おい、どうしたんだい、おかみさん? 二人の女の聲 お願ひでございます! 旦那樣、どうぞお聞き下さいまし。 フレスタコーフ 〔窓越しに〕その女を通せ。 [#7字下げ]第十一景[#「第十一景」は中見出し] [#ここから4字下げ] フレスタコーフ。錠前屋の妻、下士の妻登場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 錠前屋の妻〔低く聲を屈めて〕お慈悲でございます…… 下士の妻 お慈悲でございます…… フレスタコーフ お前達は何者だ? 下士の妻 下士のイワーノフの家内でございます。 錠前屋の妻 錠前屋の家内で、この町の者で、フェヴローニヤ・ペトローヴァ・ポシリョープキナと申すものでございます。旦那樣…… フレスタコーフ 一寸待つた。先づ一人だけ先に話してくれ。お前は何の用だい? 錠前屋の妻 お慈悲でございます。實はあの町長のことでお願ひに參りました! どうか、あいつを酷い目に合せてやつて下さいまし! あの惡黨にも、あの野郎の餓鬼たちにも、伯父にも伯母にも、何から何までろくなことのないやうに! フレスタコーフ 一體どうしたといふんだ? 錠前屋の妻 はい、實はわたしの配偶者《つれあひ》に兵隊に行くやうに言ひつけたのでございます。まだわたし共の順番が來た譯でもないのに。本當にあの野郎は惡黨でございます! それに掟《おきて》から申しましても、わたしの配偶者は女房持ちでございますから、兵隊にやるつて法はないのでございます。 フレスタコーフ さうだとも。まさかそんなことは出來まい! 錠前屋の妻 ところが、あの惡黨奴は、それをしたのでございます――神樣、あんな野郎はこの世でも、あの世でもうんと酷い目に會はせてやつて下さいまし! もし伯母があるなら、その伯母も酷い目に會はせ、若し父親が生きてゐるなら、その父親の惡黨奴も、くたばつてしまふか、それとも一生喘息でも患ふやうにさせて下さいまし! 本當は、仕立屋の息子が取られる筈だつたのでございます。その息子はおまけに大酒飮みでございますから。ところがその親達が金目の贈り物をしましたので、あの野郎は女商人のパンテレーウァの息子に目をつけました。 するとパンテレーウァも、亦矢張り、野郎の家内に麻布を三反も屆けましたので、到頭わたし共へお鉢が※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つで來たのでございます。そして言ふことが、「お前亭主なんか持つてゐて何うするんだ? あの男はもうお前の役にはたたんぞ」とかうでございます。でも、わたしの亭主が役に立つか、立たないか、そんなことはわたしが承知して居ります。わたしだけの知つた事です。あん畜生! おまけに、「お前の亭主は泥棒だ。今盜まなくつても、今に盜みをすれば同じことだ。それでなくとも來年は兵隊にとられるのだ」などと、吐かすんでございます。だつて、わたしから配偶者《つれあひ》が取られましたら、一體わたしはどうなるんでございませう。惡黨奴! わたしを弱い女だと見くびつて、畜生! あのろくでなし奴! 貴樣の一家一門殘らずこの世の光を見られないやうにしてやるから! もし姑があるなら、その姑も…… フレスタコーフ よし/\解つた。では、お前の方は? 〔老婆を送り出す〕 錠前屋の妻 〔退場しながら〕旦那樣、どうかお忘れなく、御慈悲をおかけ下さいまし! 下士の妻 且那樣、わたしも町長のことを訴へに參りました…… フレスタコーフ 何だ、どうしたといふんだ? 簡單に言へ。 下士の妻 笞でぶたれましたので、且那樣! フレスタコーフ どうして? 下士の妻 それは間違ひなんでございます、旦那樣! 女達が市場で喧嘩を始めたところ、巡査の來やうが遲かつたものですから、わたしをひつつかまへて、さんざんに打ちのめしました。おかげで二日間といふもの腰掛けることも出來ませんでした。 フレスタコーフ で、今更どうしようつて言ふんだ? 下士の妻 それはもうどうにも仕方ありませんが、間違ひをした罰に、町長に罰金くらゐ出させるやうにして下さいまし。わたしは自分の仕合せになるのを、むざ/\遠慮する譯にも行きませんし、それに、只今はお金が大變に役立ちますので。 フレスタコーフ よし、よし、分つた! 行きなさい! 行きなさい! 適當に處分してやる。〔窓から歎願書を持つた手がいくつもつき出る〕またそこに誰かゐるのか? 〔窓に近寄る〕もう、いやだ、いやだ! いらん、いらん! 〔窓から離れる〕畜生! あき/\しちやつた。オーシップもう入れるな! オーシップ 〔窓から叫ぶ〕もう歸れ、歸れ! もう時間がない。あした來るがいい! [#ここから2字下げ] 〔扉が開く。顎髯を伸ばし、唇を脹らし、頬に繃帶をした、粗羅紗の外套を着た男が現はれる。その男の背後にも幾人かの姿が見える〕 [#ここで字下げ終わり] オーシップ 歸れ、歸れ! 何だつてのこ/\入るんだ? 〔最初に入つて來た男の腹に兩手をあてて突張る。そして自分も一緒に控室へ出て、背後の扉をぱたりと閉める〕 [#7字下げ]第十二景[#「第十二景」は中見出し] [#ここから4字下げ] フレスタコーフ。マリヤ・アントーノヴナ登場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] マリャ あら! フレスタコーフ どうしてそんなに吃驚なさるんです、お孃さん! マリャ いゝえ、あたし、吃驚なんかしやしませんわ。 フレスタコーフ 〔氣どつて〕御免なさい、お孃さん、あなたが、わたしを斯んな人間として取扱つて下さるのが實に愉快です。それはその……こんなことをお訊ねしては何ですが、あなたは何處へいらつしやるところですか? マリヤ あら、あたし本當に何處へも行きはしませんわ。 フレスタゴーフ なぜ何處へもいらつしやらないのです? マリヤ あたし此處に母さんがゐないかと思ひまして…… フレスタコーフ いいえ、僕の知りたいことは、たぜ何處へもいらつしやらないかといふことです! マリヤ あたしお邪魔を致しましたわね。大事な御仕事をしてゐらつしやるのに。 フレスタコーフ 〔氣どつて〕大事な仕事よりあなたのお目の方がよつぽどいいですよ……あなたは決して僕の邪魔になるどころか、どんなことをなすつても、決して邪魔ぢやありません。それどころか、あなたは僕に滿足を與へてくれます。 マリヤ あなた本當に都風な言ひ廻しをなさいますのねえ。 フレスタコーフ あなたがあんまり美しいからです。失禮ですが、あなたに椅子を差し上げる仕 合せ者になりたいのですが、いかがでせう? いや、さうぢやない、あなたに差し上げるのは椅子ではなくて、玉座です。 マリャ 本當にあたし何うしていゝのか……あたし行かなければならないんですけど。〔腰をかける〕 フレスタコーフ 何て綺麗なハンカチでせう! マリヤ あなたは隨分口がお惡くつてゐらつしやいますのね。田舍者をお笑ひになるのでございませう? フレスタコーフ お孃さん、僕はあなたの百合のやうな頸に抱きつくために、そのハンカチになりたくつて堪りませんよ。 マリャ まあ、何を言つてゐらつしやるのか、あたしちつとも分りませんわ。ハンカチだとか何とか……今日は妙なお天氣ですことね! フレスタコーフ いや、お孃さん、どんなお天氣よりも、あなたの唇の方がいいんですよ。 マリヤ あなたそんなことばつかり仰しやつて……それよりあたしお願ひですから、アルバムの中へ記念のために、詩か何かを書いて頂けませんでせうか。あなたきつと澤山に詩を御存じでいらつしやるでせう。 フレスタコーフ あなたのためなら、お孃さん、お望み玖第なんでも書きます。どうかおつしやつて下さい、どんな詩ですか? マリヤ 何か、その……新しいものを。 フレスタコーフ えゝ、詩なんか何でもありません! いくらでも知つてゐます。 マリヤ 聞かせて下さいましな、どんな詩を書いて頂けますの? フレスタコーフ 言ふには及びませんよ。言はなくたつて、ちやんと知つてゐますから。 マリヤ あたし、詩が大好きですわ…… フレスタコーフ え、僕はいろんな詩を澤山知つてゐますよ。ぢや、こんなのはどうでせう。「おお人間よ、何故に、悲しみの中にありて、空しくも神を怨むや!」ほかにも未だありますが……今ちよつと思ひ出せないんです。もつとも、そんな事はどうでもいいです。その代りに、あなたに僕の戀を捧げませう。それはあなたの眼差から……〔椅子を近づける〕 マリヤ 戀! あたしには戀なんて分りませんわ……あたしちつとも存じませんわ、戀つてどんなものか……〔椅子をづらす〕 フレスタコーフ なぜあなたは椅子をずらすのです? 僕達はもつとお互に近寄つて腰かけてゐた方がいいぢやありませんか。 マリヤ 〔後退りしながら〕なぜ近寄るんですの? 離れてゐたつて同じ事ぢやありませんか。 フレスタコーフ 〔近寄りながら〕何故離れるんです。近寄つたつて、同じことです。 マリヤ 〔後退りしながら〕どうしてそんなことをなさいますの? フレスタコーフ 〔近寄りながら〕それはたゞ近くなつたやうな氣がするだけですよ。離れてゐるのだと想像したらいいでせう。お孃さん、もしあなたをぐつと抱きしめることが出來たら、どんなに幸福でせうね。 マリヤ 〔窓の方を見る〕あら何でせう。何だか飛んで行つたやうですわ? かささぎかしら、それとも他の鳥かしら? フレスタコーフ 〔彼女の肩に接吻して、窓の方を見る〕かささぎですよ。 マリヤ 〔憤然として立ち上る〕まあ、あんまりですわ……何て失禮な!…… フレスタコーフ 〔彼女を引き止める〕ごめんなさい、お孃さん、僕がこんなことをしたのはあなたが戀しいからです。本當に戀しいからです。 マリヤ あなたはあたしをそんな田舍者と思つてゐらつしやるんですか……〔逃げようと努める〕 フレスタコーフ 〔矢張り彼女を引き止めながら〕戀してゐるからです、本當に戀してゐるからです。ちよつと冗談にしたまでです、マリヤ・アントーノウナ、怒らないで下さい! 僕は跪いてお赦しを願ひます。〔跪く〕赦して下さい、赦して下さいね! ごらんの通り、僕は跪いてゐるぢやありませんか。 [#7字下げ]第十三景[#「第十三景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々。アンナ・アンドレーエヴナ登場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] アンナ 〔フレスタコーフが跪いてゐるのを見て〕まあ、何んといふことでせう! フレスタコーフ 〔起き上りながら〕あ、畜生! アンナ 〔娘に向ひ〕これはまたどうしたといふんです、お孃さん? この有樣は何ですか? マリヤ あたし、お母さん…… アンナ あつちへいらつしやい。さ、あつちへ、あつちへおいでつてば! 今度顏を見せたら承知しないから。〔マリヤ涙を流しながら退場〕ご免下さい。わたし本當にびつくり致しましたので…… フレスタコーフ 〔傍白〕いや、この阿魔もなかなかうまさうだ。滿更惡くはないぞ。〔突然跪く〕奧さん、御覽の通り、わたしは戀に燃えてゐるのです。 アンナ まあ、膝なんかおつきになつて! さ、お立ち遊ばせ! お立ち遊ばせ! こゝの床は餘りきれいぢやございません[#「ございません」は底本では「ございまん」]から。 フレスタコーフ いいえ、跪いてゐます、僕はどうしても跪いてゐます。自分に運命づけられたものが、生であるか、死であるか知りたいのです。 アンナ ですが、ご免遊ばせ、わたしはまだお言葉の意味がはつきり解りませんので。間違ひかは存じませんが、あなたはわたしの娘のことを仰しやるのでございませう。 フレスタコーフ いいえ、僕はあなたを戀してゐるんです。僕の命は一本の髮の毛に繋がれてゐるんです。もし、あなたが僕の永遠の愛をとげさせて下さらなければ、僕はもうこの世に生きてゐる甲斐はありません。胸には焔が燃えてゐるのです。あなたのお手を望みます。 アンナ でも、失禮でございますが、わたしは或る意味で……わたしには夫がございます。 フレスタコーフ そんなことは何でもありません! 戀に差別はありません。カラムジンも言つてゐる通り夫婦關係など『國法の決定』に過ぎません。二人でたゞ流れに身を委ねるばかりです……さあ、あなたのお手を、お手を。 [#7字下げ]第十四景[#「第十四景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々。マリヤ・アントーノヴナ(突然駈け込む) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] マリヤ お母さん、お父さんがねえ……〔フレスタコーフの跪いてゐるのを見て叫ぶ〕あらまあ、何といふことでせう! アンナ まあ、何ですお前は? 何しに來たんです? なんのために來たんです? 何んてそゝつかしいんだらう! まるで氣ちがひ猫みたいに、いきなり飛び込んで來てさ! それにどうしてそんなに吃驚したの? お前は何と思つたんだい? 本當に三つかそこらの赤ん坊みたいぢやないか。それで十八になるとはあきれたもんだ。全くあきれたもんだ! 本當に何時になつたら、お前はもつと利口になれるだらう。一體何時になつたら、お前は立派なヘ育を受けた娘らしい作法が出來るだらうね。何時になつたら、お前は立派な心掛やしつかりした行ひがどういふものかといふことを分るやうになるんだらうね。 マリヤ 〔涙聲で〕あたし、本當に、お母さん、知らなかつたんですもの…… アンナ お前の頭の中は、何時でも隙間風が吹き拔けてゐるのね。お前はリャープキン・チャープキンの娘を手本にしてゐるんだらう。何んだつてあんな人を見習ふのだい! あんな女達を見習ふもんぢやありません。お手本ならもつと他にあるぢやありませんか――お前の前にゐるお母さんがいいお手本です。お前はかういふお手本を見習はなければいけません。 フレスタコーフ 〔娘の手をとりながら〕アンナ・アンドレーエヴナ、僕達の幸福に反對しないで下さい。永久の愛を祝福して下さい。 アンナ 〔吃驚して〕では、あなたはこの娘に?…… フレスタコーフ 決めて下さい、生か、死か? アンナ それ御覽、お馬鹿さん、それ御覽なさい。お前のやうなやくざ娘のために、客樣は膝をついてゐらつしやるぢやないか。それなのにお前はまるで氣ちがひみたいに、いきなり駈け込んで來たりしてさ。だから、わたしは本當に折角だけれどお斷りしなければならないぢやないか。お前なんかこんな仕合せを受ける資格なんかありやしないよ。 マリヤ もうしません、お母さん、ほんとうにもうしませんわ。 [#7字下げ]第十五景[#「第十五景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々。町長(あわてて登場) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 町長 閣下! お助けを願ひます! お助けを願ひます! フレスタコーフ どうしたんです。 町長 先刻商人共がわたくしのことを閣下に訴へましたが、わたくしは名譽にかけて斷言いたします。彼奴等が申しましたやうな事實は半分もございません。彼奴等こそ不正を働いて、世間を騙してゐるのでございます。下士の妻などは、わたくしがあの女を笞打つたやうに閣下に嘘を申し立てましたが、あの女は嘘を言つてゐるのでございます。全く嘘を言つてゐるのでございます。あの女は自分で自分を打つたのでございます。 フレスタコーフ 下士の妻なんかどうならうが構ふことはない――僕はそんな女に構つてはゐられません! 町長 どうぞ御信用なさいませんやうに! 御信用なさいませんやうに! あいつらは酷い嘘つきで、こんな子供だつて彼奴等の言ふことなんか信用いたしません。やつらは喧つきで、この町中に通つてゐるのでございます。またその狡猾な事と申しますと、世界にまたとないやうな惡黨共でございます。 アンナ ねえあなた、イワン・アレクサンドロウィチ樣が、わたし共にどんな名譽をお授け下すつたか知つてゐらつして? 閣下はうちの娘に、結婚をお申込みになつたんですよ。 町長 なに! なに!……お前は氣が狂つたな。閣下、どうか御立腹なさいませんやうに。これは少々氣が變なのでございますから。これの母親も矢張りこんな風でございました。 フレスタコーフ いや、僕はたしかに結婚を申込んだのです。僕は戀をしてゐるのです。 町長 どうも信じられません、閣下! アンナ だつて、さうおつしやつてゐるぢやありませんか! フレスタコーフ 冗談に言つてゐるのぢやありません……僕は戀しさの餘り氣が狂ふかも知れません。 町長 とても信じられません、そんな名譽にあづかる資格がございません。 フレスタコーフ もしあなたが僕とマリヤ・アントーノヴナとの結婚をご承知下さらないと、僕は何をしでかすか分りませんよ!…… 町長 わたくしは信じ兼ねます。ご冗談でございませう。閣下! アンナ まあ、本當になんていふ分らずやなんでせう! あれほどわけを話してゐらつしやるのに! 町長 わたくしは信ずることが出來ません。 フレスタコーフ 承知して下さい、承知して下さい! 僕は向ふ見ずの人間ですから、どんなことをしでかすか分りませんよ。若し僕が自殺したら、あなたは法廷に引き出されるやうにたりますよ。 町長 いや、飛んでもない! わたくしは身にも心にも罪はございません。どうぞ御立腹なさらぬ樣に御願ひいたします! それではどうぞ閣下の御氣の召すやうになさつて下さいまし。全く今わたくしの頭の中はどうなつてゐるのか……自分ながら分らないのでございます。これまでこんなに馬鹿になつたことはございません。 アンナ さあ、祝福なさい! フレスタコーフ 〔マリヤと一緒に近寄る〕 町長 神樣があなた方二人を祠幅して下さるやうに! けれども、わたくしには罪はございません! 〔フレスタコーフ、マリヤと接吻する。町長二人を見る〕これは何といふことだ! 本當に! 〔眼をこする〕接吻してゐる! あゝ、どうだ、接吻してゐる! 本當の花聟だ。〔喜びの余り飛び上りながら〕あゝ、アントン! あゝ、アントン! あゝ、町長! どうだ、大した事になつたぞ! [#7字下げ]第十六景[#「第十六景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々。オーシップ登場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] オーシップ 馬車の用意が出來ました。 フレスタコーフ あゝよし/\……直ぐ行く。 町長 おや、お立ちになるのでございますか? フレスタコーフ えゝ、立ちます。 町長 と仰しやいますと、何時お立ちでございますか?……今あなた御自身、結婚のことをお漏しになつたやうに存じますが? フレスタコーフ いや、なに……ほんの一寸ですよ。ちよつと一日伯父のところへ行つてくるだけですよ――金持の老人です。明日は。 町長 では無理にお引き止めは致しません。御無事にお歸りになりますのをお待ち申して居ります。 フレスタコーフ 歸つて來ますとも。歸つて來ますとも、すぐに歸つて來ますよ。では左樣なら僕の戀人……いや、とても言葉には表はせないです! さようなら! わたしの魂!〔彼女の手に接吻する〕 町長 ときに途中なにか御入用のものはございませんか? たしかお金が御入用のやうに承つて居りましたが? フレスタコーフ あゝ、いや、そんなものは要りません! 〔ちよつと考へて〕だが、或は要るかも知れません。 町長 どれ程御入用でございませうか? フレスタコーフ さうですな、あの時あなたが貸して下さつたのが二百ルーブリ、いや二百ルーブリぢやない、四百ルーブリでした。僕はあなたの問違ひをいいことにして、胡魔化したくありませんからね。で、今度もそれだけ貸していたゞきませうか。丁度八百ルーブリになるやうに。 町長 では只今! 〔財布から取り出す〕丁度いい鹽梅に、極く新しい紙幣がございます。 フレスタコーフ あゝさうですか!〔受取つて紙幣を數へる〕結構です。新しい紙幣を握ると、新しい幸福が來るといひますからね。 町長 左樣でございます。 フレスタコーフ さようなら、アントン・アントーノヴィチ! 大變なおもてなしを受けて、誠に有難うございます。衷心から感謝します。僕は何處でも、こんなに歡待されたことはありませんでした。さようなら、奧さん! さようなら、僕の戀人マリヤさん!  〔一同退場〕 [#9字下げ]舞臺裏で [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] フレスタコーフ さようなら、僕の心の天使《エンゼル》、マリヤ・アントーノヴナ! 町長の聲 これは又どうなすつたのでございます? ずつと驛遞馬車でいらつしやるのでございますか? フレスタコーフの聲 えゝ、僕はこれに慣れてゐますからね。バネ附の馬車に乘ると、頭痛がして來るんです。 馭者の聲 どう、どう…… 町長の聲 ではせめて、何かお敷き致しませう。毛布では如何でせう。毛布を持つて參りませうか? フレスタコーフの聲 いや、それには及びません。そんなことをしても無駄です。でも、いつそのこと毛布を借りて行きますかね。 町長の聲 おい、アヴドーチヤ! 藏へ行つて、一番上等の毛布を一枚出して來なさい――淺黄地のペルシャ織だぞ、早く。 馭者の聲 どう、どう…… 町長の聲 では、何時お歸りなさいますでせうか? フレスタコーフ あすか、あさつてです。 オーシップの聲 あ、毛布かね? こつちへ持つて來て貰はう。こんな風に敷いて貰はう! それから今度は飼秣《まぐさ》を此方へ。 馭者の聲 どう、どう…… オーシップの聲 そら、こつちだ! こゝだ! もつと! よしきた! さあ素敵だぞ! 〔毛布を手で叩く〕さあ、お掛け下さいまし、閣下! フレスタコーフの聲 さようなら、アントン・アントーノウィチ! 町長の聲 さようなら、閣下! 女達の聲 さようなら、イワン・アレクサンドロウィチ! フレスタコーフの聲 さようなら、お母さん! 馭者の聲 どう、どう、いいかね!  「鈴が鳴る。」 [#改ページ] [#5字下げ]第 五 幕[#「第 五 幕」は大見出し] [#9字下げ](同じ部屋) [#7字下げ]第 一 景[#「第 一 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 町長、アンナ、マリヤ [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 町長 どうだ、アンナ? え? お前、こんなことを何か考へたことがあるかね? たいした獲物ぢやないか、畜生! 正直なところ、お前なんか、夢にも見やしなかつたらう――田舍の町長夫人から、急に……へッ、畜生!…… たいした代物と親類になつたものだ! アンナ いいえ、ちがひます。わたしそんなことはもう疾うから知つてゐましたよ。でも、あなたには不思議に思はれるでせうね。あなたなんかぼんくらな人間で、立派な人なんかつひぞ見たこともないんですから。 町長 わしだつて、お前、立派な人間だぞ。だが、アンナ、今度わしとお前とは何と素晴らしい鳥になつたもんだらう! お前はどう思ふ、え、アンナ? 大空を飛び廻ることが出來るんだぞ、畜生! だが待つたよ、今度はわしの方からあの嘆願書や告訴状を出したがる奴等を殘らず、うんとやつつけてやる! おい、誰だ、其處にゐるのは? 〔巡査登場〕あ、お前か、イヴァン・カルポーウチ! 商人共を此處へ呼んで來い、一つ奴等を目に物見せてやらなけりやならん、畜生! よくもこのわしを訴へやがつたな! どうするか見てゐろ、この忌々しい猶太人奴! あ、一寸待つた! 今まで少し手加減をしてやつたが、今度こそこつぴどい目に會はせてやるぞ。おれを訴へに來た奴を片つぱしから書き上げてくれ。それから誰よりもまづ先に代書どもを書き上げてくれ、彼奴等に嘆願書を書いてやつた代書どもを。それからみんなにかういつて、よく聞かせてくれ――神樣は町長に素晴しい名譽をお授けになつた。娘をお嫁にやるんだ――それも、普通《たゞ》のぼんくらな人間のところぢやない、世界にまたとないやうな人樣にだ。どんなことでも、何一つとして出來ないことのないやうな、えらいお方のところへ差し上げることになつたんだとな。皆によく解るやうに聞かせてやれ! 誰にでもよく聞えるやう に呶鳴つてやれ。鐘をがん/\打鳴らすんだ、畜生! 祝ふなら、うんと祝ふんだ。〔巡査退場〕どうだい、アンナ、え? おれ達はこれから何處へ住はうかな? こゝにしようか、それともピーテルにしようかな? アンナ 勿論、ペテルブルグで暮しますわ。こんな處になんかどうしてゐられるものですか? 町長 ピーテルにするなら、ピーテルにしてもいゝが、こゝだつて惡くはないぞ。それに、さうなれば、わしは町長の職なんか打つちやつてしまはふと思んだが、どうだい、え、アンナ? アンナ あたりまへですとも、町長の職なんか何です? 町長 それにね、お前どう思ふ? 今度は大した身分にありつくことが出來るんだぜ。あの方は大臣達とは皆、兄弟づき合ひをしてゐらつしやるし、宮中にだつて參内するんだからね。だから、わしもそのうちには大將にだつてなれるかも知れん。お前どう思ふ、アンナ、わしは大將になれるだらうか? アンナ なれますとも、勿論なれますわ。 町長 畜生! 大將になつたら素晴しいもんだ! 肩に勳章の綬をさげるんだ。どんな綬がいいかな、アンナ? 赤がいいかな、それとも淺黄がいいかな? アンナ そりや、勿論、淺黄の方がいいわ。 町長 え? とんでもない望みを起したもんだな! 赤い綬だつていゝぢやないか。一體何故大將になりたがるのだ? それはつまり、何處かへ出掛けるやうな時には、いつでも前驅や副官達が駈け出して行つて、「馬を出せ!」といふからだ。また驛遞へ行くと、誰にも馬を出してくれないから、他の者は皆、いつまでも待つてゐなけりやならん。それがみんな有位有勳者や大尉や、町長共だ。だが、わしはそんなことには一向頓着しない。懸知事のところか何處かで食事をする。そして其處で――おい、町長、待て! とやるんだ。ヘツ、ヘツ、ヘツ!〔吹き出して笑ひ轉げる〕畜生、どんなものだ、惡くないぜ! アンナ あなたは矢張りそんな下品なことがお好きなのね。いゝですか、生活をすつかり變へなくつては駄目ですよ。お友達だつてまるつきり違つてしまふんですよ。あなたが一緒に兎狩に行く、あの犬きちがひの判事や、ゼムリャニーカなんかとは人間が違ふんですよ。さうです、あなたのお友達は伯爵だとかその他上流社會の方々ばかりで、極く優しい交際振りなんですよ……たゞ、わたし、本當にあなたが氣づかはれますわ。だつて、あなたは上流社會では決して聞かれないやうな言葉を時々お使ひになるんですもの。 町長 なに? 言葉なんか別に害になりやしないよ。 アンナ そりや町長の時はそれでいゝとしても、あちらでは、生活がまるで違ふんですもの。 町長 さうだ。あちらでは、何でもリャプーシカだとか、コーリュシカだとかいふ魚があるといふ話だ。その魚なんか食べ始めると、もう直ぐに涎が流れる位|美昧《うま》いものださうだ。 アンナ この人には魚さへあればいゝのよ! わたしなんか、自分の家が都でも第一等の家でなくちや厭だわ。それから、わたしの部屋の中には素晴しい龍涎香の匂ひがプン/\してゐて、こんな風に眼をつぶらなけりやゐられないやうでなけりや厭だわ。〔眼を瞑つて、匂ひを嗅ぐ〕あゝ、どんなにいゝんでせう! [#7字下げ]第 二 景[#「第 二 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々。商人達登場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 町長 やあ、御機嫌よう、諸君! 商人達〔お辭儀をしながら〕旦那樣、御機嫌よろしうございます! 町長 どうだい、お前達は變りはないか? 商賣はどうだね?……ときに、サモワール屋、小商人ども、どうしてわしを訴へたんだ? 大法螺吹きめ、惡黨奴、海賊奴! 告訴だつて? なに、それで貴樣達は澤山とくをしたか? それで監獄へぶち込めるとでも思つてゐるのだらう!……いゝか、惡魔共、大馬鹿共…… アンナ あら、まあ、あなた何てことを仰しやるんですの! 町長〔不興げに〕今言葉なんかに構つて居られん! いゝか、貴樣達の訴へをお聞きになつたあのお役人樣は、今度うちの娘と結婚なさるのだぞ! なに? なんだつて? 今になつて何かいふことがあるのか? 今度こそ思ひ知らせてやるぞ!……貴樣達は世間を瞞しやがつて……お上の請負をすると、腐れ羅紗を納めて十萬ルーブリも騙《かた》りやがる。そして、後で二十アルシンばかり寄附して、それでお禮の一つも言つて貰ふつもりでゐやがる! もしそれが分つたら、貴樣らどうする……それから腹を突き出しやがつて、このおれは商人樣だ、おれに觸ると承知しないぞ、といつたやうな面をしてゐやがる。「我々は貴族にだつて負けやせんぞ」なんてぬかしやがる。だが、貴族だつて……この醜面奴《しやつつらめ》! 貴族は學問をしてゐるぞ。學校へ行くと打たれもするが、それがみんな利益《ため》になることを覺えるためだ。ところが、貴樣らはどぅだ? 惡黨になるのが目的ぢやないか。だましやうが下手だといつては、主人に毆られるぢやないか。まだ碌に「我等の父よ」といふ祈祷さへ知らない子供の時分から、もう人を胡麻化しやがる。そして、だん/\腹が突き出て、ポケットが脹らんで來ると、今度は勿體振るんだ。へツ、結構なことだ。貴樣はサモワールを一日に十六もつくるからつて、それで勿體ぶつてゐるのか? わしは貴樣の頭に、貴樣の勿體ぶつた樣子に唾でも吐きかけてやりたい! 商人達〔お辭儀をしながら〕町長樣、手前共が惡うございました。 町長 なに、訴へる? ぢや、貴樣が橋を架けて、百ルーブリもしない材木を二萬ルーブリに書き出して來た時、貴樣のこの胡麻化しを助けてやつたのは誰だ? この山羊髯め! それはおれが助けてやつたんぢやないか。貴樣はそれを忘れたのか? おれはこんなことを發《あば》き立てて、貴樣をシベリヤヘ追拂ふことも出來るんだぞ――どうだ、言ひ分があるか、あ? 商人の一人 町長樣、手前共が重々惡うございました。魔がさしたのでございます。今後は決して訴へるやうなことは致しません。そして、如何やうにもお氣に召すやうに致します。どうぞお腹立ちのないやうにお願ひ致します。 町長 お腹立ちのないやうに! それみたか、貴樣たちは今になつておれの足下に平《へい》つくばつてゐるぢやないか。それは何故だ? つまり、おれの方が勝つたからだ。だが、もし一寸でも貴樣達の方に勝ち味があつて見ろ、惡黨め、貴樣達はおれを泥濘《ぬかるみ》の中へ叩き込んで、おまけにその上から丸太を載せ兼ねやしまい。 商人達〔跪いてお辭儀をする〕町長樣、お助け下さいまし! 町長 「お助け下さいまし!」ふん、今になつて「お助け下さい!」か。ぢやこの前はどうだつた? おれは貴樣たちをな……〔手を振る〕まあいゝ、神樣がおゆるし下さるだらう! もういゝ! おれはいつまでも根に思つてはゐない。たゞ今度はよく氣をつけるがいゝぞ。感違ひしちやいかんぞ。おれはそこらの貧乏貴族に娘をやるんぢやないからな。いゝか、祝儀をな……わかつたか? つまり、干魚だとか、棒砂糖だとかで片づけて了はうとしたつて承知せんぞ……さあ、勝手に出て行け! 〔商人達退場〕 [#7字下げ]第 三 景[#「第 三 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々。リャープキン・チャープキン、ゼムリャニーカ、後からラスタコーフスキイ登場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] リャープキン 〔まだ戸口で〕町長、信じてもいゝでせうかね、この噂を? あなたのところには途方もない仕合せが轉がり込んださうですね? ゼムリャニーカ 途徹もないお仕合せでお目出度うございます。わたしはこの話を聞いた時には、心から嬉しうございましたよ。〔アンナの手に近づき〕アンナ・アンドレーヴナ! お目出度うございます。〔マリヤの手に近づき〕マリヤ・アントーノヴナ! お目出度うございます。 ラスタコーフスキイ 〔登場〕町長、お目出度うございます。あなた並びに新郎新婦の御長壽と御子孫御一族の繁榮をお祈りいたします。奧さん、お目出度うございます! 〔彼女の手に近づく〕お孃さん、お目出度うございます! 〔彼女の手に近づく〕 [#7字下げ]第 四 景[#「第 四 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々。コローブキン夫婦、リューリュコフ登場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] コローブキン 町長、お目出度うございます。奧さん、お目出度うございます! 〔彼女の手に近づく〕お孃さんお目出度うございます。〔彼女の手に近づく〕 コローブキンの妻 奧樣、新しいご幸福を心からお祝ひ申上げます。 リューリュコフ お目出度うございます、奧さん!〔彼女の手に近づく。次に見物の方を向き、大膽な態度で舌打ちする〕お孃さん、お目出度うございます。〔彼女の手に近づき、更に見物の方に向ひ、前と同じ動作をする〕 [#7字下げ]第 五 景[#「第 五 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] フロツクコート、燕尾服を着けた客人大勢。最初はアンナの手に近づき「奧さんお目出度うございます」と言ひ、次にマリヤの手に近づき「お孃さん、お目出度うございます」と言ふ。ボブチンスキイ、ドブチンスキイ人々を押し分けながら出て來る。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] ボブチンスキイ お目出度うございます。 ドブチンスキイ 町長、お目出度うございます。 ボブチンスキイ 誠に結構なことですI ドブチンスキイ 奧さん、お目出度うございます。 ボブチンスキイ 奧さん、お目出度うございます。〔兩人同時に近づき、鉢合せする〕 ドブチンスキイ お孃樣! 〔マリヤの手を握る〕お目出度うございます。あなたはとても大へんな御仕合せなお身分になれますよ。金ぴかのお召物を着てお歩きなさいますでせう。いろ/\な風味のあるスープを召上つて、さだめし樂しい日をお送りなさいますことでせう。 ボブチンスキイ 〔遮つて〕お孃さん、お目出度うございます! どうか神樣が、あなたにありとあらゆる寶をお授けになりますやうに、金貨だの、こんな小さな可愛い坊ちやんをお授けになりますやうに〔手で大きさを示す〕。手の平へちよんと載つけられるやうな坊ちやんをね! でも赤ちやんは始終《しよつちう》お泣きになりますよ、おぎや、おぎや、おぎや! つてね。 [#7字下げ]第 六 景[#「第 六 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] まだ祝辭をのべる客人數人、フローポフ夫婦登場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] フローポフ お目出…… その妻〔前方へ駈け出る〕奧樣、お目出度う存じます! 〔接吻を交す〕わたし本當に嬉しうございましたわ。「奧樣がお孃さまをお嫁にやる」といふ噂でございませう。「あらまあ」と思ひましてね。あんまり嬉しかつたものですから良人《たく》に、「ねえ、ちよいと、あなた、町長さんの奧さまは何といふお仕合せなことでせうね!」と申したのでござひますよ。「本當に有り難いことだ!」と思ひまして、良人に「わたし嬉しくつて堪らないわ。だから、奧樣に直接お目にかゝつて、是非お祝ひ申し上げるわ」と申しましたの。……「まあ、結構なことだ。奧樣は常々お孃樣に本當にいゝお聟樣を望んでゐらつしたので、今度、とてもいゝ御運が廻つて來て、お望み通りにおなりになつた」と思ひますと、嬉しくて嬉しくて物も言へないやうでござひましたわ。で、わたしは泣いて、泣いて、たゞもう聲を立てゝ泣きましたの。すると良人《たく》が、「ナースチャ何故そんなに泣くのだい?」と訊ねますので、「だつて、あなた、わたしだつて、何故泣くのか知りませんけれど、涙が、もうこの通り河のやうに流れるんですもの」と、かう申しましたの。 町長 さ、どうぞおかけ下さい。皆さん! おい、ミーシカ、こゝへもつと椅子を持つて來い! 〔客人鐘腰をおろす〕 [#7字下げ]第 七 景[#「第 七 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々。分署長、巡査達登場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 分署長 閣下、謹んでお祝ひを申し上げ、行末永く御幸運をお祈り致します。 町長 有り難う、有り難う! どうぞ、諸君、かけてくれ給へ! 〔客人達腰掛ける〕 リャープキン ときに、町長、この話は一體どんなところから持ち上つたんですか? つまりこの話の徑路を聞かせて頂けないでせうか? 町 長 その經路といつても普通ぢやないんだよ。御自分で直接お申し込みになつたんだ。 アンナ それは/\叮寧な、この上もなく優しい御樣子でね。あの方は何時だつて、そりやとても立派なものゝ言ひ方をなさいますのよ。「アンナ・アンドレーエヴナ、わたしはたゞあなたの美點を尊敬するからです」なんておつしやるんですよ。それに立派な、ヘ育のある方でしてね。とても高尚な御考へを持つてゐらつしやいますの! 「アンナ・アンドレーエヴナ、あなたは本當になさるかどうか知りませんが、わたしは自分の命を一コペイカ位にしか見てゐないのですよ。それといふのもわたしはたゞ稀に見るあなたの御性格に敬意を拂つてゐるからです。」なんて仰しやつたりしましてね。 マリヤ あら、お母さん、それはあたしに仰しやつたことよ。 アンナ お默り、お前なんかなにも分りやしないんです。それに自分の事でもないのに口を出すものぢやありません。――「アンナ・アンドレーエヴナ、わたしはたゞ驚嘆するばかりです」などと、こんなお世辭を振り撒いたりなさいます……それで、わたしが「わたくし共はそんな名譽を決して望みはいたしません」と申し上げやうとしますと、あの方は急に跪づいて、とても氣高いやうな御樣子を爲さいまして、「アンナ・アンドレーエヴナ! わたしを不幸のどん底へ突き落さないで下さい! どうかわたしの感情に答へることを御承知下さい。でないと、わたしは死をもつて、自分の命を片附けてしまひます」と、斯う仰しやるんですよ。 マリヤ お母さん、ほんとに、それはあたしの事を仰しやつたのよ。 アンナ さうさ、勿論――お前のことでもさうおつしやつたよ。わたしは何も、さうぢやないとは言ひませんよ。 町長 いや全く驚いたよ。自殺すると仰しやつたもんだからね。「自殺する、自殺する!」つてね。 客人達大勢 へえ、さうですか! リャープキン えらい事だね! フローポフ これは全く運命の仕業です。 ゼムリャニーカ 運命ぢやない。運命は、君、七面鳥だよ。功績の結果がかういふふうになつたのさ。〔傍白〕こんな豚の口の中には、何時でも棚から牡丹餠が飛び込むものさ。 リャープキン ぢや、町長、あなたが負けろと仰しやつたあの犬を、あなたにお讓り致しませうかね? 町長 いや、今は犬どころの話ぢやない。 リャープキン おいやとあれば、他の犬で一つ話を※[#「纏」の「广」に代えて「厂」、186-12]めようぢやありませんか? コローブキンの妻 まあ、奧さん、わたし本當に奧樣の御仕合せをお喜び申上げますわ! どんなにかお喜びでございませうね。 コローブキン では、あのお客樣はただ今どちらにゐらつしやるのですか? 何かの御用でお立ちになつたやうに承りましたが? 町長 さうだ、一日の御豫定でお立ちになつた。極く重大な御用件でね。 アンナ 祝福をして頂くために、伯父さんのところへいらつしたのよ。 町長 祝福をしてもらひにさ。しかし明日は……〔嚏をする。祝辭を述べる聲は合して一つのどよめきとなる〕有り難う、有り難う! だが、明日は歸つて見える……〔嚏をする。祝辭を述べるどよめきの中に、他の聲を壓して次の言葉聞ゆ。〕 分署長の聲 ご健康を祈ります、閣下! ボブチンスキイの聲 百年も長命なすつて、金貨が一叺も出來ますやうに! ドブチンスキイの聲 四十年の四十倍も長命なさいますやうに! ゼムリャニーカの聲 くたばつてしまへ! コローブキンの妻の聲 畜生奴! 勝手にするがいい! 町長 どうも有り難う! 諸君も御同樣に。 アンナ 今度はわたし達もペテルブルグで暮らすつもりですの。こゝは、正直なところ、空氣が……あんまり田舍くさいものですからね!……本當に不愉快で、しやうがございませんし……それに良人《たく》も……あちらに參りますと將軍の位を授かることになつてゐますから。 町 長 さうだよ。正直に白状するがね、諸君、わしはどうも將軍になりたくつてしようがないのだ。 フローポフ どうかさうなりますやうに! ラスタコーフスキイ 人間業では出來ませんが、神樣ならどんなことでもお出來にならないことはありませんからね。 リャープキン 大船でこそ大航海が出來るといふことですからね。 ゼムリャニーカ 功績に相當した名譽です。 リャープキン 〔傍白〕本當に將軍にでもたつたら、どんなことをしでかすか分りやしない! こんな男が將軍になつたら、それこそ牝牛に鞍を置いたやうなものさ! さうだ、そこまではまだだいぶ遠い話だ。そこら中には、お前なんかよりよつぽど偉い人間がゐるが、それでもまだ將軍になつてゐないんだからな。 ゼムリャニーカ 〔傍白〕いやはや、畜生、もう將軍になる氣でゐやがる! だが、事によつたら、本當になるかも知れんぞ。あの野郎なか/\堂々として、運の向きさうな樣子をしてゐるからな。〔彼の方に向き〕町長、その節は何卒我々のこともお忘れなく。 リャープキン 例へば、若し、お仕事の上で誰か手の要るやうなことでもありましたら、どうか御引立の程を! コローブキン 來年は伜を都へ出して國家の御役に立てたいと思つて居りますから、どうかあれを御引立下さいますやう、この親父に代つてどうぞ御面倒をお願ひいたします。 町長 わしもその積りでゐる。盡力するよ。 アンナ あなたはいつも安うけ合ひばかりして、第一そんな事を考へる暇があるでせうかしら。そんな約束をして義務を背負ひ込むやうなことは出來もしなければ、叉そんな義務を背負ひ込むやうな譯もないぢやありませんか。 町長 どうしてだね? 偶には出來るさ。 アンナ そりや、勿論出來ませうが、でも、どんな雜魚《ざこ》も一々世話してやる譯には行きませんわ。 コローブキンの妻 お聞きになりまして、皆さん、この方はあんまりのことを仰有るぢやありませんか? 女の客人 えゝ、あの女《ひと》はいつもあゝなんですよ。わたしはよく知つてゐますが、あの女《ひと》はテーブルの前に坐らせたら、それこそ足さへ載せ兼ねないですからね…… [#7字下げ]第 八 景[#「第 八 景」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々。郵便局長(開封した手紙を手に持ち、あわてて登場) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 郵便局長 諸君、驚くべき事件です! 我々が檢察官だと思つてゐた役人は、實は檢察官ぢやなかつたのです。 一同 ええツ、檢察官ぢやないつて? 郵便局長 全然檢察官ぢやありません――わたしはそれをこの手紙で知つたんです。 町長 何、何を君は言つてゐるんだ? どんな手紙だ? 郵便局長 あの男の出した手紙です。わたしの郵便局へあの男の手紙を持つて來た者がありましてね。宛名を見ると「ポチタムスカヤ街」としてあるぢやありませんか。わたしは氣が遠くなつてしまひました。「さあ大變だ。これは屹度郵便事務の方に落度があるのを見つかつて、その筋へ報告されるのだ、」と思つたので、その手紙を取り上げて開封したのです。 町長 どうして君はそんなことを? 郵便局長 いや自分でも分らないんです。何か、かう超自然的な力がさうさせたのです。わたしはその手紙を急いで發送しようと思つて、もう飛脚まで呼んでゐた位です。ところが、これまで一度も感じたことのないやうな好奇心が、わたしを捉へてしまつたんです。我慢出來ない、我慢出來ない、どうしても我慢出來ないといふ聲が聞えて、何かがわたしを引つ張るんです。ずる/\と引つ張るんです! 一方の耳には「おい、開くんぢやないぞ。開《あ》けたら最後、鷄みたいに身の破滅だぞ」といふ聲がするかと思ふと、又片方の耳では、「開けろ、開けろ、開けろ!」と、惡魔でも囁くやうに聞えるぢやありませんか。そして、封蝋をはいだ時には――體中の血管が火のやうになりましたよ。しかし封を開いた時には――體中ぞつとしました。いや全くぞつとしましたよ。手はぷる/\顫へて、周圍《あたり》のものはぼうつとして了ひました。 町長 君はどうしてあんな特命を帶びた名士の手紙を大謄にも開封したのだ? 郵便局長 さ、そこが問題ですよ。あいつは特命も帶びてゐなければ、名士でもないのです! 町長 ぢや、君は、あの方を何んだといふのだ? 郵便局長 何でもかでもありません。どこの馬の骨だか分つたものですか? 町長 〔怒つて〕なに、何でもかでもない? 君はよくも、なんでもかでもないなんて言へたものだ? おまけにどこの馬の骨だか分らないなんて? わしは君を捕縛するぞ…… 郵便局長 誰が? あなたが? 町長 さうだ、わしだ! 郵便局長 さうは行きますまい! 町長 君は知つてゐるか、あの方はわしの娘と結婚なさるのだ。そしてわしも貴族になるんだ。わしは君をシベリヤヘ追放出來るんだぞ! 郵便局長 へえ、町長! 何んですつて? シベリヤですつて? シベリヤは遠いでせうな。それよりか、まあこの手紙を讀むことにしませう。諸君! どうでせう、この手紙を讀みませうか? 一同 讀み給へ、讀んでくれ給へ! 郵便局長 〔讀む〕「親愛なるトゥリャピーチキン君、取急ぎ御通知する。僕の身の上に實に不思議なことが起つたのだ。途中ある歩兵大尉の爲にすつかり丸裸にされた。そして宿屋の亭主はあぶなく僕を監獄へ叩き込まうとしたのだ。ところが突然、僕のペテルブルグ流の容貌と、服裝を見た町の者達は皆僕を總督と思ひ込んだのだね。それで今僕は町長の家に泊り込んで、氣樂に日を送りながら、町長の妻君や娘を相手にふざけてゐる。どつちから手をつけやうか、まだ決つてはゐないが、お袋の方から先にしようと思ふ。何故なら、どんな御用でも直ぐにきゝさうだからね。君、覺えてゐるかい。僕ら二人は貧乏して、無錢飮食をしたことがあるね。それから、一度など饅頭のロハ[#「ロハ」に傍点]食ひをした爲に、菓子屋に襟首をふん掴まへられた事があつたぢやないか? ところが、今度は全くその反對さ。誰でもお望み次第に金を貸してくれるんだ。みんだ實に奇妙な奴等で、もし君だつたら笑ひ死《じ》にしてしまふだらう。君が文章を書いてゐるのを僕は知つてゐるが、一つ文章を書いてみないか。まづ第一に、町長は去勢馬みたいな大馬鹿者だ…… 町長 そんなことがあるものか! そんなことは書いてありやせん。 郵便局長 〔手紙を見せ〕御自分でお讀みなさい。 町長 〔讀む〕「去勢馬みたいな。」こんなことがあるものか! これは君が自分で書いたのだ。 郵便局長 どうしてわたしがそんなことを書く譯がありますか? ゼムリャニーカ 讀み給へ。 フローポフ 讀み給へ。 郵便局長 〔續けて讀む〕「町長は去勢馬みたいな大馬鹿者だ……」 町長 畜生! 二度も讀み直すことがあるか! まるでそれがなければ、讀む値打が無いかのやうに。 郵便局長 〔讀み續ける〕ふむ……ふむ……ふむ……ふむ……「去勢馬みたいな」と。「郵便局長も矢張りお人好しだ……」……〔讀みやめる〕ふむ、わたしの事まで、失禮なことを書いてゐる。 町長 いや、讀み給へ! 郵便局長 だつて、何のために讀むのです?…… 町長 いけない、いけない。馬鹿な。讀むなら、讀むなら、ちやんと讀みたまへ、みんな讀み給ヘ! ゼムリャニーカ ちよつと、わたしが讀みませう。〔眼鏡をかけて讀む〕「郵便局長は役所の番人ミヘーエフと瓜二つだ。きつと御同樣碌でなしの飮んだくれだらう……」 郵便局長 〔見物席に向ひ〕忌々しい小僧ツ子奴、笞でひつぱたいてやらにやならん。それだけのことさ。 ゼムリャニーカ 〔讀み續ける〕「病院長……」え……え……〔口籠る〕 コローブキン 君どうしてよしたんだ? ゼムリャニーカ えゝ、その、字が讀みにくいので……だが、どつちみちあいつは惡黨には違ひない。 コローブキン わたしにお貸し! わたしの眼の方がよささうだから。〔手紙を取らうとする〕 ゼムリャニーカ 〔手紙を渡さないで〕いや、なに、そこんところは飛ばしてもいい。先はよく分るのだから。 コローブキン まあ、拜見。わたしにはもう分つてゐるよ。 ゼムリャニーカ 讀むくらゐなら、自分で讀みますよ。先の方は全く分りよいから。 郵便局長 いや、すつかり讀み給ヘ! 前の方は殘らず讀んだぢやないか。 一同 渡し給へ、ゼムリャニーカ君、手紙を渡し給へ! 〔コローブキンに向ひ〕さあ、讀んでくれ給へ。 ゼムリャニーカ 今すぐ。〔手紙を渡す〕では、こゝは……〔指でかくし〕こゝから讀んでくれ。  〔一同彼の方へ集まる〕 郵便局長 讀み給へ、讀み給へ! くだらない、殘らず讀み給へ! コローブキン 〔讀みながら〕「病院長ゼムリャニーカは――まるで頭巾を被つた豚だ……」 ゼムリャニーカ 〔見物の方を向き〕馬鹿な! 頭巾を被つた豚だつて! どこの世界に頭巾を被つた豚がゐるんだ? コローブキン 〔讀み續ける〕「視學は葱の腐つたやうな匂ひがする……」 フローポフ 〔見物に向ひ〕いや葱なんか口に入れたこともないのに。 リャープキン 〔傍白〕有難い。どうやらおれのことはないぞ! コローブキン 〔讀む〕「判事は……」 リャープキン しまつた……〔大聲に〕諸君、この手紙は長つたらしいと思ふ。こんな紙屑みたいなものを讀むなんて馬鹿々々しいぢやないか! フローポフ いけない! 郵便局長 いや、讀み給へ! ゼムリャニーカ いや、すつかり讀み給へ! コローブキン 〔讀み續ける〕「判事のリャープキン・チャープキンといふ男は、とてものモーヴェートン〔惡趣味〕だ……〔止める〕これは屹度フランス語だらう。 リャープキン その言葉なんかどんな意味だか分りやしない。惡黨といふ位の意味ならまだいい方だらうが、恐らくもつと惡い意味なんだらう。 コローブキン 〔讀み續ける〕「だが、みんな親切な善良な人々だよ。では左樣なら、親愛なるトゥリャピーチキン君。僕も君に倣つて文章を書きたいね。こんな生活をするのは君、退屈だ。つまり、心の糧が欲しくなる。どう考へても全く何か高尚な仕事をする必要がある。僕の方へも手紙をくれ給へ、サラトフ縣だ。ポトカチーロフカ村だよ。〔手紙を裏返しにして宛名を讀む〕セント・ペテルブルグ市ポチタムスカヤ街、九十七番邸、裏庭向き三階右側、イワン・ヴァシーリエヴィチ・トゥリャピーチキン」。 婦人の一人 まあ、何て思ひがけない報ひでせう! 町長 よくも人に一杯喰はせやがつた。破滅だ、破滅だ、全く破滅だ! なんにも見えない。見えるものは人間の顏ぢやなくつて豚の鼻つ面みたいなものだけだ……それだけしかみえない……呼び返せ、彼奴を呼び返せ! 〔手を振る〕 郵便局長 何で呼び返せるものですか! わたしはわざ/\一番いい三頭馬車《トロイカ》を出すように驛長に言ひつけたんですから。おまけに先々でもさうするやうに手配したとは、よくよく惡魔に馬鹿にされたもんですよ。 コローブキンの妻 まあ、本當に大變な騷ぎになりましたわねえ! リャープキン それに諸君、忌々しいぢやないか! 奴はわたしから三百ルーブリも借りて行きやがつたぜ。 ゼムリャニーカ わたしからも三百ルーブリ。 郵便局長 〔溜息を吐く〕あゝ! わたしも三百ルーブリやられた。 ボブチンスキイ わたしはドブチンスキイと二人で六十五ルーブリ取られましたよ。紙幣《さつ》でねえ、はい。 リャープキン 〔兩手を擴げ、訝しげに〕これは一體何んといふことだらう、諸君? 一體我々は何んといふ間違ひをしたものだ。 町長 〔自分の額をうつ〕おれは何といふ――いやおれは何といふ馬鹿な耄碌だらう! この間拔め……おれは智慧から見放されたのだ。おれは三十年も勤めてゐるが、どんな商人でも、どんな請負師でも、一人としてこのおれを騙すことは出來なかつた。おれは惡黨の惡黨さへ騙してやつた。世界中を盜みかねないやうな惡黨や詐欺師さへ、釣針でひつかけてやつたものだ。縣知事だつて三人も騙してやつた。……いや、縣知事が何んだ! 〔手を振つて〕縣知事のことなんか言つたつてしようがない…… アンナ だつて、あなた、そんな筈はありませんよ。あの方はマリヤと婚約をなすつたのですもの…… 町長〔怒つて〕婚約をした! 婚約も何もあつたものか――馬鹿にするのも程がある! 婚約なんかで人の目を誤魔化しやがつて!……〔逆上して〕さあ、見てくれ、見てくれ、世界ぢゆうの人も、ありとあらゆるキリスト信徒も、この町長がどんなに馬鹿にされたか、みんな見てくれ! このおれは大馬鹿だ、この老耄れ惡黨は大馬鹿だ! 〔拳を固めて、我と我身を脅す〕やいこの獅子ツ鼻奴が! あんな氷柱《つらゝ》や雜巾をよくも偉い人物と思ひ込んだものだ! 奴は今頃行く先々で鈴《ベル》を鳴らして觸れ廻つてゐることだらう! 世界ぢゆうにこの話を云ひふらすことだらう。物笑ひの種子になるばかりぢやない――三文文士やへぼ作家が出て來て、このおれを喜劇に仕組むだらう。それが癪に觸るんだ! おれの官位や身分には頓着せず、みんな齒をむき出し、手を拍《う》つて笑ふことだらう。何を笑つてゐるんだ? 自分を笑つてゐるんだ!……やい、此奴等は!……〔腹立ちまぎれに床を踏み鳴らす〕このへぼ文士共、みんなどうなるか覺えてゐろ! うう、三文文士共、自由主義者の畜生共! 惡魔の卵共! 貴樣達はみんな一束に縛り上げて、貴樣達をみんな粉にひいて、惡魔の着物の裏へ押し込んでやるぞ! 惡魔の帽子の中へ突き込んでやるぞ!……〔拳をぐいと突き出し、靴の踵で床を踏み鳴らす〕  〔暫らく沈默が續いた後〕 まだおれは正氣に歸ることが出來ん。神樣が罰を當てゝやらうとなさる時には、前もつてこんな風に理性を奪つておしまひになると云ふことだが、確かにさうだ。實際、あの粗忽者《そゝつかしや》の何處に檢察官らしいところがあつたんだ? そんな點は少しもなかつた! 小指の先程もそんな點はなかつた――それにみんなが突然檢察官だ、檢察官だ! と云ひ出しやがつたんだ。さあ、一體誰だ、あの男を檢察官だなんて云ひ出した奴は? 返事をしろ! ゼムリャニーカ 〔兩手をぱつと擴げて〕どうしてこんなことになつたのか、殺されたつて説明がつきやしない。まるで靄か何か、みなの目を霞めてしまつたんだ。魔がさしたのだ。 リャープキン 誰が云ひふらしたかつて? ――それは、此奴等ですよ、この二人の利口者ですよ! 〔ドブチンスキイとボブチンスキイとを指す〕 ボブチンスキイ いや、決してわたくしぢやございません! そんな事は考へた事もございません…… ドブチンスキイ わたくしは少しも、全く少しも…… ゼムリャニーカ いや、無論、お前達だ。 フローポフ 勿論さうだとも。まるで狂人《きちがひ》のやうになつて宿屋から駈けて來て、「見えました、見えました。金もお拂ひになりませんから……」なんて吐かしやがつた。大した鳥を見つけたもんだ! 町長 勿論、貴樣達に相違ない! 町内の法螺ふき共! 忌々しい嘘吐き奴! ゼムリャニーカ お前達は自分の云ひ出した檢察官と駄法螺とを脊負つて、何處へなと失せてしまへ。 町長 貴樣達は町ぢゆうを駈けづり廻つて、みんなに大騷ぎをさせる、實に忌々しい饒舌漢《おしやべりや》だ! 駄法螺を吹き廻る尻尾の短いかさゝぎ奴! リャープキン 忌々しい金棒引きめ! フローポフ 間拔け奴! ゼムリャニーカ 腹でかの菌奴! 〔一同二人を取り卷く〕 ボブチンスキイ いいえ、決してわたくしぢやございません、ドブチンスキイさんです。 ドブチンスキイ そんなことがあるものか、ボブチンスキイさんが一番先に…… ボブチンスキイ いや、さうぢやない。最初に言つたのはお前さんだ。 [#7字下げ]最後の場[#「最後の場」は中見出し] [#ここから4字下げ] 前景の人々。憲兵登場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 憲 兵 特命によつてペテルブルグから御到着になりました官吏の方が、只今皆樣をお召しでございます。官吏の方は旅館に御投宿になりました。  〔この言葉に一同は雷に打たれたやうに驚く。婦人達の口からも驚愕の叫びを擧げる。一團は急に位置を變へて、化石したやうになる〕 [#ここで字下げ終わり] [#9字下げ]だんまりの場  町長は兩手を擴げ、頭を後方へ投げて、柱のやうに中央に立つ。その右側には妻と娘、全身を前へ突出し、町長の方へ駈け寄らうとする態。彼等の背後には郵便局長、見物人の方へ向ひ、全身疑問記號に化したやうな形。その後方にはフローポフ、茫然として罪のない樣子。その後方の舞臺の端のところに、三人の婦人客、町長の家族に皮肉を浴せるやうな表情をし、お互に凭りかかつて立つ。町長の左側には、ゼムリャニーカ、幾分頭を側へ傾げ、恰も何かに聞き惚れてゐる形。その後方には判事、兩手を擴げ、殆ど床のうへに蹲むやうな恰好をし、口笛を吹きたいのか、それとも「さあお婆さん、ユーリイの記念日が來たぜ!」とでも云ひたいのかと思はれるやうに唇を動かす。その後方にはコローブキン、見物人の方に向つて片目を細くしながら町長に對して鋭い皮肉を浮べる。その後方の舞臺の端にはドブチンスキイとボブチンスキイ、お互に向き合つて手を突き出し、口をあんと開き、目をむき出して立つ。他の客人等は柱のやうに立つ。化石したやうなこの一團は、殆ど一分半ばかりかうした姿勢を續ける。(幕) [#地から2字上げ](昇 曙 夢 譯) 底本:「ゴオゴリ全集 第3卷」日本図書センター    1996(平成8)年3月25日 復刻第1刷発行 入力:阿部哲也 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。