ほら、見えるだろ
ずっと向こうからやってくるのが
女、酒、金、
いつかは払わなきゃいけないんだ
そうさ、雪だるま式に膨れ上がっていく
鬼のような造形の物体。
何かが鈍く光った。そして、それが目であることをすぐに思い出す。
そう、私はこれを知っている。
体は何かに捕らえられていて、如何に、もがこうとそのいましめを解く事ができない。
その鬼の彫像は、かっと口を開ける。ぬらぬらと、その牙を伝う液体。硬質な外皮と、柔らかく、生臭い生体組織。生理的な嫌悪感と純粋な・・・プリミティブな恐怖。
すっと体が持ち上げられ、体が、その口に向かって運ばれていく。
あっと思う間もなく、顔がその牙の列を通り抜け、暗闇が訪れる。足元の方向だけ明るい。今や、上半身はその化け物の口の中だ。
腹に、突き立てられる牙の感触・・・
叫び声を上げようとした瞬間に、碇ゲンドウは目を覚ました。
初号機に頭から丸齧りされる夢だ。
びっしりと冷たい寝汗をかいている。いつものことだ。
上体をベッドから起こして、時計を見た。午前2時。頭を振って、枕もとに置かれた水を飲む。
「ふ、私は負けん」
ベッドの傍らでは、ショートカットにした金髪の女性が、安らかな寝息を立てている。ゲンドウは暗闇で、透かすようにして、彼女の表情を伺った。赤木リツコ博士である。全く懲りない二人ではあった。
ゲンドウの思いは、サードインパクトというべきか、人類補完計画が失敗に終わった直後に飛んだ。
戦略自衛隊の影も形も無いジオフロント。それでも、ゲンドウは、何が起こったのか理解していた。SEELEの呼び出しの回線は応答しなかったし、あるべき初号機も弐号機も、月面に刺さってるはずの槍も、セントラルドグマのリリスも、そして、アダムも、全ては失われていた。二人のチルドレンはとんでもないところで見つかったが、レイだけは、どこを探しても所在が掴めなかった。
そして、思い出したのだ。人類補完計画が如何になされ、そして終わったかを。赤い海の世界は幻ではなかった。幸いなことに、常にゲンドウの良き理解者である副官、冬月コウゾウもまた、この世界に取り残されていた。
悪夢から覚めた直後のように、互いに状況を確認しあった後、ゲンドウは冬月に、ぼそり、と言った。
「どうも、私は見られてしまったらしい」
「何をかね」
「私の心を・・・今までの行動全てを・・・ユイに」
「あの時にか」
「そうだ」
ふうむ。冬月は深くため息をつく。
「まさかそれが補完計画失敗の理由ではないだろうな」
冬月が揶揄するように口を開いた。
「どういうことだ」
「つまり・・・ユイ君は、お前と一つになるのを拒んだのでは」
「あり得るかも知れんな」
ゲンドウの言葉は平静だったが、よく観察すると、上体がわずかに揺れているのに気付いただろう。
冬月は皮肉のつもりだったのだが、それが的のど真ん中に命中してしまったことに言葉を失って、絶句する。
「正直に言おう。ユイは怒っているはずだ。それも、とてつもなく。なにしろ、赤木親子との親子丼から、レイに関するあれやこれや、それが一気にバレてしまっているはずだから。特に、赤木ナオコの件については、ユイが居なくなる前からの話だったから、色々といきさつが」
ゲンドウの膝が小刻みに震えている。
「シンジに対する扱いだって、そうだ。ああ、そういえば、まだ、あんなことも・・・」
「謝ったらどうだ」
呆れたような冬月。ユイ君もまあ、なんでこんな男と。
「多分、今更、聞く耳を持つまい」
ゲンドウは珍しく動揺しているのか、声が上ずっている。
「もう駄目だ。怒ったユイには、もう手がつけられない。これを見ろ」
ゲンドウは右手の袖を捲った。そこには、今なお赤黒く変色した、歯型があった。
「噛まれたのか」
「本当に、あの時は、食いちぎられるかと」
ゲンドウはその情景を思い出して、再び恐怖の発作に襲われているようだ。サングラス越しでよく判らないものの、その瞳孔は開ききっていた。それに気付いた冬月は、吹き出したくなるのを必死にこらえた。二人の男が、身を寄せ合って、全く違った理由でぷるぷると小刻みに震え合っていた。
辛うじて笑いの発作を収めた冬月が口を開いた。
「・・・では、どうするのだ」
「ユイの出方は判っている。私を亡き者にしてから、もう一度補完計画を実行するつもりに違いない」
冬月は、正直なところ、このままゲンドウの側についていていいのか心配になってきたが、既に乗りかかった船である。ただし、その船は泥で出来ているような気もしてきたが、今更、人外の存在となった碇ユイに忠義だてしようにも、その方法すらわからない。
「とにかく、災厄は防がねばならない」
ゲンドウのユイに対する回答は、徹底抗戦だった。
ゲンドウは国連で必死の熱弁を振るい、生命の樹を『最後の敵』として認識させることに成功した。時間が無かった。各国軍部を丸め込むや否や、ゲンドウは、地球上に存在する、あらゆる核兵器をその手にまとめた。そしてICBMのブースターを超特急で改修し、次々に核弾頭を衛星軌道に投入した。ついに、人類は核の恐怖を克服した、と高らかに歌い上げた新聞もあったが、これを書いた記者は、真実を知ったらどんな顔をするだろうか。
「生命の樹とて、所詮、初号機だ。人の造りしものだ。怖れることは無い」
表面上はそんな理由にならない理由でスタッフを鼓舞していたゲンドウだったが、その裏にはしたたかな計算があった。
・・・ユイのことだ。いきなり無茶はすまい。しかし、チャンスはその一度だけだ。
ゲンドウの予言どおり、地球に向けて、無防備に生命の樹が接近してきた。
指令所は緊張に包まれていた。
「生命の樹、グリッド31-K7に接近中。予想コースはケース62の軌道!」
「接近コースを取れる弾頭をリストアップしろ」
「現在、5つの弾頭が指向出来ます」
「時間軸をずらしてもいい、もっとかき集めろ」
「爆発の影響のシミュレートがかなり困難です・・・」
「近似計算でいい。ただし、最初の5つは完全に同期させて爆発させる。それで条件を固定しろ」
ゲンドウの指示に従って、オペレータ達は式を作り直し、次々にMAGIに投入していく。
「アルファ、チャーリー弾頭の軌道修正完了!ブラボー、デルタ、エコーの位置は計算中」
「タイムスライスはアルファ基準に固定しろ、位置は・・・」
「20秒後まで時間を拡大すれば、あと4つの弾頭が投入できそうです。初弾の影響を確定させなければ判りませんが」
「計算結果が出ました。最初の爆発は2時間10分後。続いて25秒後に2つ、48秒後に3つの弾頭が投入できます」
「よし、全て投入しろ、出し惜しみをするな」
「ターゲット、軌道に変化なし」
「まだ気付いてないな、よし、カウントダウン開始」
「55秒前・・・」
最初の爆発の影響は、ほぼ計算通りだったが、第2波以降はそうはいかなかった。
第2波の弾頭のうち、某国製の怪しい弾頭が、提示されていたデータの2割増しのエネルギーを撒き散らしたため、第3波以降の弾頭は見事に故障し、軌道を外れ、あさっての方向で炸裂した。
それでも計算上は、常識を超えるエネルギーを叩きつけたはずだった。
「センサー、回復します」
各種データから合成されたリアルタイム画像がスクリーンに写された。生命の樹は、半ば崩れ落ちつつも、まだその姿を保っていた。おお、と声にならないどよめきが上がる。
「ターゲット、軌道修正中。地球から離れる軌道に移行しつつあります」
「やったぞ、逃げているんだ!」
喜びに湧く発令所で、独りゲンドウだけが浮かない顔つきで呟いた。
「失敗だ」
耳ざとくその一言を聞きつけた冬月が、いぶかしげに目だけをゲンドウに向けた。
「いや、とりあえず、大きなダメージは与えた。本体は逃げにかかっている。成功と言って良いのではないのか」
「いや、駄目だ、初手で殲滅できなければ、更に怒りを膨らませて、何を始めるか、想像もつかん」
「・・・」
冬月は、一人の男の浮気に端を発した、単なる夫婦喧嘩が、人類の存亡をかけた戦いになってしまっているこの狂った現実に恐怖した。
核反応は収束していく。どれだけの災いを地上に引き起こすのか、見当もつかない。それをモニターしていた、冬月の直属の部下である青葉二尉は、ふと振り返って自分の上官を仰ぎ見たが、その顔は、泣いているようでもあり、笑っているようでもあった。
その後、生命の樹は、火星を回る軌道で傷を癒していたようだったが、こちらは火星に届く宇宙船を持たなかった。建造を急がせてはいたが、間に合いそうにもなかった。やがて、生命の樹は、手当たり次第に隕石を地球に降らせ始めた。いくつもの都市が蒸発した。
「そう来たか」
「碇、やけに落ち着いているな。リオデジャネイロは壊滅したんだぞ」
「ユイの怒りの第2段階。手当たり次第に物を投げるんだ。だが、これなら怖くない。何かを狙っているわけではないからな」
「・・・」
「問題は次だ。ヒステリアが一度、収まった後。冷静さを取り戻した後が一番怖い」
「それも経験済みか」
「ああ、シナリオ通りだ」
「どういうシナリオだ?」
「赤木ナオコとのことがバレた時には、そうだな。包丁を持ち出してきて・・・」
「包丁!」
「だから、冷静さを取り戻す前に、機先を制する」
こうして、宇宙戦艦は建造され、後に第一次火星海戦と呼ばれる戦いが始まるのであった。
回想から醒めたゲンドウは、リツコを起こさないようにベッドから降りた。
そっとドアを開け、一人になってから、もう一度呟いた。
「ふ、私は・・・負けん」
つづく・・・かな?