P.T.S.D.を生きる

理由の分からない日々




自分の病気の始まりのを振り返

思い出すということがそもそも苦手だ。 自分では、23歳のときに勤務先のマイクロバスに乗っていた時の交通事故の後の調子悪さがいつまでも抜けないということから、病気は始まった。今ならば事故直後のカウンセリングなど対処の方法は思いつくが、当時はインターネットなどの情報に辿り着く手段もなかったし、PTSDという言葉も無かったと思う。PTSDという言葉を聴いたのは阪神の震災の後になってからで、精神科医でも社会的に認知をされていない症状に対して厄介者扱いをせざるを得なかった。そんなことを知らない患者は苦しさを伝える度に薬の量が増えるだけだと気づいて、医者に理解して貰うということを諦めてしまう。最初に掛かった医者がなんともないと言えば医者に掛かることさえ臆病になる。患者はもう医者を治療者と見なくなって、果てしなく続く過覚醒から逃れるための睡眠薬を貰うためだけに通い続けた。ドクター・ハラスメントやパワー・ハラスメントは誰に知られることも無くきっと毎日、診察室では起こっていたと思う。ボクはそんな時代を生きてきた。



雑感なのか日記なのか

たとえば、精神の障害を持った人が街でわりあい普通に暮らしています。いろいろな人の手を借りながら、あなたの思うより当たり前に暮らしています。傍から見てすぐに障害者とわかる人もそうでない人も、特別な美談に彩られるわけではないけど、凡人の障害者として普通に生きてます。そんな凡人の障害者の雑感なのか日記なのか、ある日、書き始めたのです。



たとえば待ちぼうけ

今日はH氏と釣りの待ち合わせ。朝十時に某駅ということで。 僕はすこし早く着いて駅前のコンビニでお茶のペットボトル二本とリポビタンDを買って、準備万端。 しかし、定刻を過ぎても彼は来ない。 三十分過ぎまで待って、彼の家へ電話を掛けてみるが出ない。 もしかして、せわしない彼のことだから、定刻まで待ちきれなくて、 先に釣り場に行っているのではないか・・・ と思っていつもの釣り場を見回ってみるが、いない。

多摩川のこの場所は平日なのに釣り人で一杯。 この混雑した釣り場に割り込んで、一人で道具をひろげるのも億劫で、 作業所へ戻ってのんびりしようと決め込む。

午後、作業所の職員からH氏に電話を入れてもらうと彼は起きられなかったということ。 なぜ自分で電話しなかったかと言うと、彼の耳の遠いお母さんが電話に 出たりしたら、僕は何一つ伝えることができないからだ。 で、やはり、退院したばかりの彼が「起きられなかった」ということに安心した。 どこかで行き違いになっているよりずっと安心した。 退院したばかりの時って薬がキツイのだからね。



平穏

僕はどうも波乱万丈には生きられないみたい。 もしかしたら人生にこれ以上、出来事が起こらないように、自分の限界を 低く見積もって生きているのかもしれない。

この一歩を踏み込めば、人生だいぶ違ったものになるのにって時に、 どうしてもその一歩が踏み出せない。 どうも自分の人生を変えたいのだけれど、本当に変わってしまうことが 恐いみたい。心の中のシュミレーションがどうも悲観的みたい。



幸福って、どうして手にいれるの?

たとえば、ハンディキャップのある人にとって幸福って、どんなものなのだろう。 人に理解されるということも幸福の一歩ではあるけれど、 我々がこの人にだけは理解してもらいたいと思う対象に医師がある。

ネット上のある精神科医に僕の「病気」は 心理的葛藤の抑圧を感じると言われたことがある。 人に理解されたいと言う気持ちが少なくて、絶望感さえ感じるとまで言われた。

確かに主治医に恵まれたと感じたことは少なく。 今まで十人変わった主治医の中でコミニケーションがしっかり取れた医師は少ない。 それでもその医師たちのもとへ通い続けたのは眠剤欲しさからだったからで、 理解=治癒という構図はとうにあきらめていたのかも知れない。 そんな中で幸福って、人に恋をするみたいに自分の力で掴み取ろうとしなければ、何も見つからないだろうと思う。 思うとおりにならない他人に恋をすることのように。



H氏と今度は釣堀

昨日はH氏とまた釣りの約束。H氏は退院した当時よりだいぶ体力が付いてきたみたい。 三日ほど前に一人で釣りに行ってきたようで、元気そうだったので約束をした。 約束の時間の三十分前に着いて、タバコを一服していると彼は着てくれた。 二人で黙々と釣って、アッという間に二時間がたった。 僕は三枚、H氏は六、七枚。さすが子供の頃から釣ってるだけはある。 帰りにミニストップでラムネ&おしゃべり。 安心感に満ちた一日。僕は炎天の下、スクーターのエンジンをかけ、彼は電車で帰る。


友達って 

僕には昔からずっと親しかった友達っていない。 ある時、すごく親しく付き合っても、なにかある瞬間を境にパタと付き合いが終わってしまう。 あれだけ親しかったのに、あれだけ楽しかったのに、 付き合いは終わってしまう。 なにか性格的病理で説明できるのかも知れないけれど、そういう病理を説明する人は 僕レベルで理解できるようには説明してくれないし、理解できないものは理解できない。 僕はある段階で相手を攻撃してしまうみたいだ。 なにか追い詰められたような気持ちになって、とどめの言葉を言ってしまう。 親しさって何だろう。 そういう友人関係が壊れてしまう時、相手が僕を追い詰めたのか、 僕が突然、攻撃モードに入ってしまうかは、今でも解らない。 時々、ふと思うのは「なんとなく共依存の苦しさ」という思い。 相手が僕をある鋳型にはめ込もうとしている苦しさ。 「いい人」とか「絶対味方」とかなれない。 だけれども、「いい人」とか「絶対味方」って言われるのはまんざらでもない。 はじめはちょっと嬉しい関係だけど、段々苦しくなってくる関係、 そんな関係しか築けなかった。 「共依存とか甘えは日本では必要なもの」とある先生は言っていたことがあるけど、 そんな関係にどっぷりの人間関係は苦しい。 せめて皮肉をたっぷり言葉にして、僕としてはその場を中和しているつもりでも、 相手が傷ついてしまったら、本意ではない。 この僕の態度そのものが、共依存的なのかな。


ここのところ情動不安定

僕は長いことたぶん怒りという感情を知らずに過ごして来たのだと思う。 だが、三年程前から丁度恋愛感情のもつれ始めた頃から「怒りのモード」に スイッチが入ってしまった。 今まで、いつも人に対して怒りの感情を向けたことはなかったのに、 いつもへらへら笑ってられる自分だったのに、 そういう今までの自分ではなくなってしまった。 「怒りモード」の自分に慣れていない。怒りっぽい自分をコントロールできない。 このままじゃ、僕の周りに人がいなくなっちゃう。 孤独は好きではない。やはり、誰かといつも話していたい。 三年前のあの時、こちらが明確に怒りを表現しなければ、なにも伝わらない相手に 出会った。「三角関係のもつれね」と主治医には軽くいなされてしまったけれど、 そう状態の人が僕が彼女を口説いてると知った翌日から彼女の側に近づき始め、 口説き始めた。恋愛感情もないのに。僕の前で彼女を口説けば男らしいかのように。 病気はかわいそうと思うけど、その躁病の男には憎悪さえ感じた。 何も伝わらない人間に初めて出会った。どんな婉曲な表現で伝えても 彼には何も伝わらなかった。だから僕は怒った。そして脅した。 今まで人を脅したことなどない。だが僕は脅した。 憎悪。 それから、僕は怒りっぽくなったらしい。自分でもわかる。 でも、明確な意思表示が出来るようになったと言ってもいいのかも知れない。 すこし感情が先走りしすぎる感じもする。 感情の暴走が止められない。 今度、主治医にあったらテグレトール(情動安定剤)を増やしてもらおうか。 できれば薬ではなく、自分を取りまとめたいものだが。 関係のない人に怒りが向いてしまうのをなんとかコントロールしたい。