P.T.S.D.を生きる

すこし手に入れた自由




治療に専念中

だいぶこのホームページを更新していませんでした。考えるということがパニックやフラッシュバックを引き起こしそうで、ボーッとして過ごしていました。カウンセリング中心の生活を送っています。自分の過去の扉を開けてしまった今はカウンセラーの下でないと自由に考えるということが危険な気がして、表現したいことがありません。この間に希死念慮に襲われてしまったり、どこからか湧き上がってくる感情に振り回されていました。喜怒哀楽を取り戻したとかんじたり、何も感じなくなってしまったと思ったり、安定していません。

そうそう、このところ彼女ができて、そっちにも振り回されてる。



記録からの逃避 

ここ2年ほど、記録らしきものをほとんどつけることが出来なかった。いわゆるお小遣い帳のような金銭の出入りに関するものから日記などまで、きっと記憶が自分を苦しめてきたからか、頭の中を空っぽにしたかった。ボーッとしていることが出来るとなんか安心感がある。

だが、ボクを根本から揺らす恐怖感が時々、空っぽにしているはずの記憶の中をよぎる。今でも狂気と怒気を伴って父親が現れそうな気がする。もう七回忌の法要を済ませたというのに。

でもね。
カウンセリングがだいぶ進んで心の重石が取れてきたからなのだろうか。今は自分のため、好きな彼女のために生きているからなのだろうか。少年時代の自分や青年時代の自分を思い出すとまるで別人を見ているかのようにかわいそうに思えてくる。小学校の一年生の時にはもう自分のことは誰にもわかってもらえない。誰にも伝わらないと思っていた。そのあとは自分のためになどとは考えずにひたすら気まぐれな親の心を読み取ろうとして、その期待に応えようとして自分の心や自分の喜びやを無くして、生きてきた。なにひとつ自発性のない日々。「おい。君は何が楽しくて生きているのかい。」と今のボクなら声を掛けたくなるような昔の自分。実際、高校生の時のバイト先の人から「何かいいことないのかい」と真顔で言われたりした記憶があるけれど、その時のボクには何のことかさえわからなかった。あんな孤独の日々をある種、距離感を持って見つめている今の自分。ボクは変わってきたのだろうかと思う。



夫婦ごっこ

文章の更新としては久しぶりになります。あれからボクにはいろいろなことがあったのか?はたまた、別に変わったことはなかったのか?

彼女とは数ヶ月同棲し、夫婦ごっこでもしていたのかな?
彼女はクスリを飲まなくなっていった。徐々にエキセントリックな行動が目立つようになり、ボクはクスリを欠かさなかったものの、だんだん疲れてゆき、自分ではストレスと思わなかったものが過食という行動に走っていった。

時々、不安になって飲むクスリで気分が悪くなったと激しく怒り狂う彼女のそばで、解離なのか拒絶なのかボクはすぐに眠り込んでしまうようになった。それでいて、睡眠時間はどんどん短くなっていき3〜4時間しか眠れなくなっていった。起きている時間は朦朧として、行動は単純化していきコンビニに行っては、千円以上買ってはその日のうちに食べてしまい、この一年で10キロも太ってしまった。

クスリを飲まなくなった彼女は行動が短絡化していきそばにいると身の危険を感じるようになって二日ほどボクは身を隠した。その間に彼女は入院していた。

それが半年ほど前のはなし。時間がある程度経ってからでしか記憶をまとめるができない。



ギター部 

このところ、作業所で今までギターを弾いた事の無い人たちと一緒にギターを弾く会をやっています。週に一回、一時間ほどやっています。きっかけは週に一度、作業所に調理ボランティアに来てくださっている方が「ワタシもギター弾きたい。」って言ってくださったのをスタッフのギンガムさんが話を具体的なものにしてくださったのが軌道に乗って今年の四月からはじめてもう四ヶ月になる。何か物事が続くというのは自分には不思議な気持ちで、毎週行われるその集まりに「ギター部」という名が付いて、参加者も多い日があったり少ない日があったりして、とにかく続いているというのが自分にとって確かな手ごたえのある出来事として存在している。スタッフはボクの精神的体力を心配してくださるのだが、ほんの少し「頑張るってこと」があってもいいのではないかと思うような気がしてきた。いままで「頑張る」とか「頑張れ」という言葉が精神に病を持つ人を崖っぷちに追い込むような脅迫的な言葉と思ってきたけれど、ほんの少し頑張っている、頑張れている自分が新境地を開拓したのではと錯覚?しかかっている。



不意に 

友人と何気ない話しをしている時に、気持ちの中で整理の出来ていない事を思い出して話していた。その時に恐怖感が不意に襲ってきた。気持ちは焦るように動け動き回れと逃走を命じているようだ。そして二日くらい動き回ったけれど、人がいる場所では怯えてしまう。次のカウンセリングまで、クリニックが夏休みなので一週間ある。怯えて部屋にこもっている。記憶が解放できるようになったのはいけれど、やはり、カウンセラーさんの下でないとあぶない。



傷つけ虫 

ボクのココロのどこかに「傷つけ虫」とでもいうものが棲んでいるみたい。ココロがいつも壊れそうだから壊れそうなエネルギーが覆い隠そうとしても溢れ出るみたい。相手を傷つけるつもりがなくてもボクの言葉の裏側に昔の辛い時代には存在を意識することも、表現することも出来なかった出来事がもう目の前にその事象はないのに今、意識でき、表現までしてしまう。今、目の前にいる人には見えないものと戦うドンキホーテみたいに思える。ドンキホーテを笑う人、恐れる人、あきれる人。いろいろいる。でもボクは伝わらないということを覚悟はしていても、落ち込む。傷つけ返そうとするあさはかな言葉がどこかに貯まっていく。仕舞いこもうとしても仕舞いこもうとしてもどこかから溢れる。



生活習慣病 

今年も静かな正月を過ごしている。ここ何年かは正月は風邪を引いて熱を出して寝ていることが多かった。今年は寒い正月でも風邪は引いていない。去年のあの暑い夏あたりから疲れやすく、基本的に部屋で横になって寝ていることが多くなったものだから、いつもなら過覚醒で緊張し過ぎて過ごす日々も今年は少なくなった。区役所で行っている成人病検診でコレステロール値やら尿酸値やら尿蛋白などが一昨年以前はは「要指導」という結果だったのだが、最近は「要治療」ということになって精神科の薬以外に内科の薬まで「命に係わる」ということで飲まなければならなくなって身体的なだるさまで、どこから来るのか増えてしまった。苦しみの中心がカラダのだるさや痛みに移ってくると、ココロはとても楽でよく眠れる。眠剤よりよく眠れる。



また人間関係が 

また人間関係がおかしくなってしまったようだ。作業所で誰にも馴染めない。いわゆる唯一緒にいるだけのギャザリングも落ち着きが悪い。友達の家に行っても30分位で出てきてしまう。どこへ行ってもだめだ。それに自己臭念慮だか妄想だか分からないけれどひどくて自分の部屋にいても緊張して固まっている。まあ今という時期だけかも知れないけれど、今が長くて抜け出せない。

そんなことを書いてから何日も経った。事態は変わらない。このまま加速度をつけて壊れていくのかと時々思う。どうして自分が周囲とすれ違ってしまったのか。なんとか修復出来ないか。そこから先は考えられない。自分が悪いといつものように引けば、意味も考えずに謝れば、今、つかみかけていた自分をまた見失うような気がする。

また何日か過ぎました。事態の変わらないことに疲れて、今、ちょっと自分を捨てています。そう捨てたもんじゃないと思って続けてきた連続性は少し窮屈で一休みしようかという自分なりの気分転換。引きこもりなんて言葉か一般語になる前からこちとら引きこもりやってんだい。お手の物だい。でも、今、判断すると悲観的な結論しか出ないから、判断とか結論とかはしばらく控えよう。



FU-ANN-TEI

「壊れないために」と題してこのサイトを立ち上げて自分自身の意識向上のためと外傷治療の記録として維持してきました。それは可逆的に治癒へ向かうのだと根拠の無い確信を持ち続けていたからで、自分の治療過程の不安定さを甘く見ていたからでした。

以前、参加していた精神医療系のメーリングリストで心的外傷の治療を続けていてその時の医師とのやり取りや自分の心境の変化をレポートしてくれていた人がいましたが、途中でピタッと治療を中断してしまわれて、その苦しさを語っておられたが、自分の中の過去の一部の意味の書き換えを行うと現在の自分の依って立つ根拠が揺らぐ。人は突き詰めて考えなくて済むように記憶を解離させたりしているのに、それを再構築しようとするのは、よほど認識力や構築力が備わっていない限り長期の不安定さに人は耐えられないと思う。