P.T.S.D.を生きる
想像の中の治癒と
少し調子もどったかな
少し体調が戻ってきたと自分で感じられる。それは生活パターンが一定になってきて、もう昼夜逆転ではないし、7,8時間の睡眠を一日一回とればもうその日はそれ以上眠る必要がなくなってきたからだ。でも時々揺り戻しというか動けなくて横になったままの日もある。
調子の量り方
朝、起きて、10分以内にその日の自分の調子が分かるような気がしてきた。200メートルくらい離れた「近所のコンビニ」をイメージしてみて、「遠い」と感じた日はだいたい丸一日家から出ることがない。500メートル離れた銀行でさえイメージできる日は必ず外出できる。先週、かなり遠くまでイメージできた日、作業所へ行ってみた。スタッフルームに行っただけの、いわゆる「保健室登校」みたいなものだった。
人間関係とひとことで言っても
ボクの通っている作業所のホームページの掲示板にどこでも人間関係は難しいものですねと書き込んでくださった方がいる。非常にありがたいことだ。でも、時として程度問題を超えた人間関係が作業所という場所ではあり得る。だから、顔も見たくないほどこちらが苦しくてエネルギーをなくしてしまったときには、しばらく作業所から遠ざかるほかに方法はないような気がする。生産の社会の現場からはじき出されてしまったボク等の中にだって立派に程度問題は存在します。作業所に新しく人が入ってきた時に、積極的に受け入れようとする人とか、遠巻きに様子を観ると言うスタンスの人とか、なるべく変化に係わりたくない人とか、メンバーはそれぞれ個性的な方法で対応します。ボクはいつも積極的に受け入れるという立場をとってきました。でも程度を超えて個性的な人にはただ徒労感だけがボクのココロの中に返ってきた返事。ここからは楽しそうな予感はなにも生まれない。この人といかに係りを持たずに過ごせるかがこれからの問題。影響もされずに、影響もせずに。無視もせずに、意味も探らずに。・・・・・・・へんかな?
本当の自分という幻想?
心的外傷の治療の先に「本当の自分」になれるって目標をぼんやりと思い描いていた。いままでの不自由で不遇な自分は過去の不幸な心的外傷を自分で意識することも整理することも出来ずに、ただ漠然とした不安にいつも押さえつけられて、安心のない世界の中でもがき苦しんできた。追い立てられるように行動しても、悲観的な目標しか思い浮かばず、破綻した人生しか心に描けない。その中で進めて来た外傷治療で「振り返り」と言う名で行われてきた自分の覚えている過去を言葉にして語ると言う作業。これは辛い。今からでも逃げ出してしまいたい。自分自身を表現さえしなければ「いい人・いい子」でいられたのに、「いい人・いい子」も居心地が悪くなって、表現しはじめた自分自身はマイナスイメージの塊で、居心地はさらによくない。なんか「本当の自分」はそうやさしくなんてないし、父親のロボットとして自分の考えを自ら押し殺していた時の方が自己イメージはもっと良かった。せめて他人が怖がらない程度の自己イメージを描きたいものだ。今のボクはとんでもない腫れ物で「取り扱い注意の危険物」。人のやさしい言葉でさえ素直に聞けない。現段階の自分が「本当の自分」ではなくて形態不安定なる過渡的な塊だと信じたい。このままだととても安全な形をしているとは言えない凶器である。せめて他人を巻き込まない凶器でありたいが。
伝わらない。または伝えるということ。
心的外傷の治療中にはよくあることらしいけど、他の人に何も伝わらないという気持ちになってしまうことが度々あることであるらしい。でもどこかで語らねば。胸の中に溜め込んだ言葉ほど精神衛生上悪いものはないみたいだから、ここで書く。誰にも何も伝わらないという気分の時に、人に会うのは苦しい。言っても伝わる言葉にならないし、感情の形として内なるものをそのまま伝えたら、相手を困らせたり、怖がらせたりするにちがいないし、いままで作業所の中では穏やかな人柄という役割を期待されていると思い込んでそうしてきたのだから、この内なる変化をそのまま投げつけるのは「ココロの安定」を目的とした施設では相応しくない。小さな子供の頃からずっと父親の感情爆発の聞き手及びサンドバッグの役目を引き受けざるを得なかったので、他人には決して漏らしてはならぬ人を罵る言葉の数々がこの胸の中またこの身体から抜けてくれないで、一面で怒りの感情として、また別の一面では身体的な多発的疼痛としてまだこの身の内にある。しかしこれは今という瞬間には誰にも原因も症状も見えない。そう。語らねば存在さえしない。しかし語ったとて伝わらない。きっと共感する感情がないのだから。
やっとこさっとこ少し落ち着いた。
何か動き出せないくらいココロにわだかまっていた物の原因がが気に入らない誰かのことではなく、気に入らない誰かに迎合しようとしてしまった自分自身を記憶から追い出そうとしたという無理が祟ってのことだったようだ。心的外傷の治療に入る以前のボクなら迎合しているということにさえ気が付かなかっただろうに、今は意識化できたのに抑圧しようとしてしまって居心地が悪く半年もがいた。もう自分は少なくとも誤魔化せないなと思った。ここでは薬が変更になったということも関係あるかも知れない。SSRIがデプロメールからパキシルにかわっている。この変更は肝数値を慮ってのことだがタイミングが良かったのだと思われる。
すこし振り返ってみて。
ほんのわずかな余裕がてんてこ舞いの日々にもあって振り返って思うことがいくつかある。自分が統合失調症(精神分裂病)と診断されていた頃には障害基礎年金が精神の障害二級として貰えていた。しかし、統合失調症という診断名が外れた今は現在もある症状の(幻聴・妄想などなくなりはしない)一部である妄想症という診断名で診断書を提出したところ、障害三級という裁定で年金は貰えないということになった。生活能力など向上した訳でもないけれど、そこがまだ政治的な理由で公式に認められていない病名ComplexPTSDの辛いところで経済的支援が絶たれた。覚悟はしていたものの、ショックは大きかった。次にココロの有り様としてのことですが、まだ周りに振り回されたり、思い切り巻き込まれたり、サヴァイヴァーレベルに留まっているが、目標としてのスライヴァーがあるということで絶望ばかりの日々ではなくなった。この目標があるということがかなり大切なことで、まだ喜怒哀楽のすべてを取り戻したわけではないけれども、まだ出来ない悲しくて泣くということなど、目標がなければ予期不安が先行して自分の中でタブーとしてしまうだろう。喜怒哀楽の中で今自分で意識できるのは「怒り」とか「皮肉っぽさ」とかかなり偏った感情だけだ。他人から見るとニコニコしているとか、ニヤニヤしているとか言われるが、感情をすべて押し殺して生きてくるうちに自然に身につけた仮面の笑顔で、感情のない顔では誰も周りにいなくなってくるから無意識で身に付けた表情。周囲の評価を気にせずに自分らしく生きたりはまだできていない。
精神障害者と交通事故
バイクで交通事故ってやつをやってしまった。2月の雨の午後、いつもどうり雨の日は動くのが億劫で出掛けるのが遅れてしまった。少し急いでいたのかも知れない。いつもなら気をつけているはずの濡れたでかいマンホールの上で滑って、気がつけば上下左右も判らず宙に浮かんでいた。あとはスローモーションのように路面に叩き付けられて行く。・・・・・・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・。「おい!」と人の声がする。「おい。起き上がれるかあ」・・・・そうだ、起きよう。ん?左手が動かない。なんとか起き上がってみると左腕が首の辺りから真っ直ぐ下に垂れている。あっ、思ったよりヤイ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・転んだのが運良くタクシー会社の運転手詰所の前、雨が降っているからと運転手さんたちに招き入れられて救急車を呼んでくれた。駆けつけた救急隊員は左腕の様子を診たあと、なにか薬を飲んでいますか?と軽く聞いてきた。「ええ、安定剤を飲んでいます」と答えるとしばらく無線で話した後、A病院へ向かいますと告げて車を発進させた。ボクは大量の汗をかいていて目に沁みて強く目を閉じて痛みに耐えていた。着いたA病院では多くの質問と励ましの声が取り巻いて全部は覚えていない。ただ覚えているのはレントゲンを撮る前に医師が肩の脱臼と考えて痛い腕を引っ張り始めたこと。救急隊員が喉に指を入れて胃の内容物を吐かせようとしていたこと。あとは麻酔注射と笑気ガスでボクは意識が遠くなっていった。翌日なのか翌々日なのか少しずつ入ってくる話がまとまり始めると応急処置をした医師はその晩に退職し、肩は脱臼ではなくて脱臼+粉砕骨折で整形外科医が一人の病院では手術が行えないこと。救急隊員が胃の内容物を吐かせようとしたのは、ボクが安定剤を飲んでいると言ったことが救急隊員にオウヴァードウス(薬の大量服用)を連想させてしまったらしく胃洗浄と脱臼整復だけはできそうな病院に運ばれてしまったらしいことに気がついた。実は総合病院でも二人以上の整形外科医を投入して手術ができる病院は少ないし、さらに精神障害者であることをカミングアウトした上で手術のお願いをしてもほとんど断られる。断られてもさらに足を運んで病院周りをしてくれた弟と作業所スタッフ、そして個人的なコネでいろいろな病院の先生に受け入れをお願いしてくれたA病院の看護師さんたちに感謝、感謝です。事故を起こしてから手術をしてくれる病院に転院出来たのは九日後。今の日本で精神障害とカミングアウトするのは自己満足を除けばメリットはないようです。あとはもっと多くの人がカミングアウトした上での緊急入院をして病院側に慣れてもらうしかないと思う。
手術は粉砕した骨片を丹念に取り除き、デリケートな腋窩神経のあたりに折れて落ち込んだ上肢骨関節部分を取り出し、上肢骨の無事な部分の中に穴を開け人工骨頭を差し込んで砕けた骨片になんとかついている筋肉の結節を縛り付けるというシビアなものだった。
言葉にして伝えられたら
言葉にして伝えるまでが、ラベリングとか医学用語ではなく、自分の記憶を探って出てきた自分自身の言葉で語れるようになるまでが、かなりキツイ。理由の分からぬ恐怖に襲われる日々。言葉にするにはごまかさずに追体験できればいいけれど、途中で怖くなって記憶を空っぽにしようとしてしまう。ある意味で、ごまかさないと潰れてしまうか、極端な行動に走りそうになる。ここに書いたことの多くはかなり時間が経ってからかかれたもの。気持ちが「もう、誤魔化さなくていいよ!」という状態になってから書かれたもの。例えば直腸ガンの手術を受けて4年経つけれど、そのことについて詳しく書くには気持ちの整理ができていないことが多すぎて、言葉にならない。
伝える能力などないけれど。
昔からと言っても、23歳の時の交通事故からなのだけれども、身体の強張りと痛みと酷い臭気がボクを襲うときがある。初めは医者に救いを求めたのだけれど、医者の前でその症状がすべて起こるわけではないにで、神経じゃないかとか、人間の身体はそんな風にはなっていないとせせら笑いをされたり、僕に何をしろっていうのと医者に尋ね返されたり、でボクは知らぬ間にそれを医者に伝えることを諦めてしまった。破裂しそうな気持ちを完全に抑え込んで生きるように努力してきたけれども、無理に抑え込んだものは時々小爆発を起こす。それが自分の外側に伝わるものなのか伝わっていないのかボクにはわかっていない。ただ最悪な状態を考えると外出さえできなくなる。伝わるか伝わらないものなのか自分にはわからないから、外出は必要最小限の食料品の買い出しくらいになってくる。もう医者に笑いのめされるのはたくさんだから、医者の前では言えないし、そのことを主訴として医者にいくことはない。別の病気で入院しても、自分の身体がどうなってるか分からないとだけはさり気なく言っておく。看護師に「まあ、自分の身体がどうなってるかさえわからないなんてねえ!と呆れ声を出されても、慣れているはずなのに打ちのめされる。世界は経験を積み重ねて知識としていく。しかし、毎日経験のない新人たちはやってくる。もう何も伝えないほうが自分のためだけなら、安全なことだ。経験が身に着く人とつかない人がいるから用心して生きないと、医療関係者に潰されてしまう。
ボクの身体の中でよく起きること。緊張すると腸の中にガスが溜まり始める。そしていつも便秘気味の腸が活発に動き始め、溜まったガスはすぐに我慢の限界を超えて、放出され続け、排便は水様の下痢になるまで続く。そういう経験のない人には、笑い話になってしまい易いことだから、うかつに人には言えない。下痢が収まる頃には疲れ果て、自分の部屋に戻ると、ストンと眠り込んでしまう。疲れが取れるまで眠り続け、たとえば6時間寝たのか、18時間寝たのか自分では想像のできない時間に目が覚める。従って生活時間が安定することはない。なぜ緊張するのか、なぜそれが腸にでるのか、自分でも分からない。ただ全身の神経がそういうパターンを覚えこんでしまったとしか言いようがない。笑う人、驚く人、怒る人、周りの反応はそれぞれで、こちらにはパターンがない。
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