発音は何故完璧にならないのか
| 日本人だけが下手なのか 別のコーナーでも述べているように、殆どの人は、ただ外国語の発音を聞いただけでは、上手く真似ることは出来ません。只聞いただけでその発音が掴める人は、多く見積もっても数千人に1人、或いはもっと少ないかもしれません。 では、数千人に1人の例外的な人以外の、絶対的大多数の人はどうしたらいいのでしょうか。結局、外国語の発音は完璧にはならないものなんだとあきらめる以外ないのでしょうか。 この問題は、勿論日本人に限った事ではありません。日本人は総じて外国語コンプレックス、若しくは外国人(白人)コンプレックスがあって、外国語の発音が下手なのは自分たち日本人だけだと思いたがる節がありますが、外国語の発音が下手なのは日本人だけではありません。 ドイツ人の話す英語はドイツ訛り、フランス人の話す日本語はフランス訛り、広東人の話す日本語だって広東語訛りなんです。外国語の発音に関しては、何処の国の人でも五十歩百歩であって、日本人だけが劣っているということはありません。 私がこう言うと、「いや、色々のデータでも、日本人の英語のレベルは世界的に見ても随分低い方になってますよ」と反論される向きもあるかもしれません。 確かに低いかもしれません。でもそれは、日本人の頭脳が他の民族より劣っていると言うことを意味しているわけではありません。原因は他のところにあります。 日本語は孤独 原因は、一つには勿論過去数百年にわたって、世界の大部分の地域が欧米の国々の植民地にされてきたのに、日本は幸運にもそのような立場に追い込まれずに済んだ(もっとも、戦後の日本はアメリカの植民地みたいですけど)という歴史的な経緯がありますが、今一つ重要な原因は、日本語が世界の多くの言語の中で、際立って孤独な言語であるという点にあります。 欧米の人達の中には数カ国語を操る人がざらにいます。と言うより、自国語以外の言葉は一言もわかりませんという人は殆ど存在しません。 なぜそうなのかと言えば、欧米の言語は互いに相当近い親戚関係にあるからなのです。一つの祖先から、長い年月を経て幾つもの言語に分かれてきたものに過ぎません。言ってしまえば方言です。 只、偶々別の国になっているために、「方言」とは言わないだけのことです。 先日テレビを見ていたら、日本のN自動車の建て直しのために入ってきた外国人社長(会長?)のG氏のことを「大変外国語に堪能な方で、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、英語を流暢に操ります」等と紹介していました。見ていて思わず笑ってしまいました。 日本人を紹介するのに「東京方言、大阪方言、東北方言をしゃべれる方です」と言っているのと大差ありません。 「スペイン人とイタリア人がお互いに自分の母国語で話をしていたが、お互いに相手は自分の国のどこかの方言を話しているとばかり思って、そのまま会話は進行した」という話しはよく聞きますが、まさにその通りで、方言に過ぎないのです。 ところが、日本語の場合は、「日本語と同一の祖先から分かれてきた別の言語」といえるものが存在しないのです。日本語はウラルアルタイ語族(語族と言うのは親戚同士の言語を集めたグループのようなものです)に属していることになっていますが、欧米の諸言語がインドヨーロッパ語族に属していると言うのとは全く意味が異なっています。 欧米の言語は、その共通の祖先である印欧語祖語の、いわば直系の子孫ばかりで、同じ親から生まれた兄弟のようなものあるのに対し、日本語の場合は、色々な系統の言語の雑種であるため、一つの祖先なる物自体存在していないのです。ですから当然、日本語と同一の祖先から生まれてきた別の言語といえるものは存在しないのです。 それがために、日本人には、欧米人が欧米の数か国語を容易くマスターできるというのと同じ意味で容易くマスターできる外国語はないのです。寂しいと言えば寂しいですが、こればかりは如何ともし様がありません。 但し、ここで言っているのは発音以外の問題です。発音に関してはインドヨーロッパ語族の中でも相互に相当の違いがありますから、欧米人が欧米の言語を学習するときにも、日本人が学習する場合と大差のない困難を克服しなければならないのです。 中国人の方が英語が上手 「でも待てよ、中国だって、一部の地域、或いは一部の時期を除けば、外国の植民地にはなっていないはず。」確かにそうですね。 「それに、中国語だって、日本語と同様、インドヨーロッパ語とは無関係の言語だよ。だったらどうして一般的に言って中国人のほうが英語が上手いんだい?あんたの説明じゃ矛盾するんじゃないの?」 そうですね、確かに中国人のほうが一般に英語は上手ですね。(勿論,ここでも発音は別問題で、中国人も日本人同様、訛っています) 中国語は一応シナ・チベット語族に属していますが、日本語と同様孤独な言葉です。少なくとも、インドヨーロッパ語族とは何の関係もありません。その点では日本語の立場によく似ています。 では、何故中国人のほうが日本人より英語が上手いのでしょうか。 理由は、中国語の単語の並べ方と英語の単語の並べ方とが非常によく似ているからなのです。何故、全く無関係の言語の単語の並べ方が似ているのか。その理由もちゃんとあるのですが、その説明をはじめると長くなりすぎるのでここでは控えておきましょう。 相手が広東語を話しても、聞こえているのは日本語の発音 さて、ここまでは、日本人だけが外国語が下手なのだという根拠のないコンプレックスを、皆さんの頭の中から払拭するための、言わば前振りです。ここからが本題。 最初に述べたように、殆どの方は模範発音をいくら聞かされても、正確な発音が出来るようにはなりません。発音に関しては、模範発音を聞くだけでは意味がないのです。 皆さんが外国人に日本語を教えるとします。模範発音をして聞かせました。でもその外国人の発音はへんちくりんです。そのとき皆さんが何回日本語の正しい発音をして聞かせても、フランス人にはフランス語の発音が聞こえているだけであり、香港人には広東語の発音が聞こえているだけなのです。 実際には日本語は聞こえていません。日本語が聞こえていないのですから、日本語の発音がマスターできるはずがないのです。 同様に、皆さんが広東語の発音を何回聞いても、皆さんの耳に聞こえているのは日本語の発音なのです。広東語の発音が聞こえていないのですから、広東語の発音がマスターできる道理がありません。 問題は、何故広東語なら広東語、ドイツ語ならドイツ語の正しい模範発音が発せられている(と言うことは、日本語の音は全く出ていない)のに、その外国語の発音が聞こえずに、日本語の発音が聞こえてしまうのかという点です。 人間の動作はアナログ・・・だから無限 人間が発することの出来る音の種類は無限です。母音だけに限っても無限の音を発することが出来ます。 人間の動作は元々アナログで、デジタルなものではありません。無段階に動きます。1の次は2、その次は3というように途中が無いのがデジタルですが、人間の動作は全てアナログです。 一方、CD、コンピューター、ロボット、デジカメ、ファックス等は全てデジタルの世界です。デジタルの世界には、「無段階に綺麗に曲がった曲線」などというものは存在しません。そういう曲線を手で描いて、ファックスを通すと、ギザギザの線になってしまいます。どれ程解像度を上げても、ギザギザである事に変わりはありません。 ロボットの動作を正確にコントロールするには、ステッピングモーターを使用します。ステッピングモーターというのは回転量(回転の角度)を正確にコントロール出来るようになっているモーターで、1回転を細かく切り分けて回転量をコントロールしています。 例えば1回転を360ステップに切り分ければ、1度づつ回転量をコントロールできるわけですから、かなり細かいコントロールが可能ですが、それでも1度未満の回転量のコントロールは出来ません。これがデジタルの世界です。ステップの中間は無いのです。 しかし、人間の動作はアナログですから、完全に無段階に動きます。唇や舌、顎などの調音器官の形や位置を無段階に変化させて、無限の音の変化を作り出すことができます。 ではその無限の音を正確に発音し分け、聞き分けることが出来るでしょうか。 仮にそれが出来れば、或る一つの言語体系の中にどれほど沢山の沢山の語彙があろうと、100万であろうと、1000万であろうと、複数の音を組み合わせて一つの語彙を構成する必要はなく、一つ一つの語彙は全て一つの音だけで作ることができることになりますから、音声によるコミュニケーションは極めて短い時間の中で多くの情報を伝達することが出来るでしょう。 でも、実際にはそれは不可能なことです。人間は、発することが出来る無限の音を、正確に発音し分け、正確に聞き分けることは出来ないのです。 50音表には母音として5つの字が当てられています。取り敢えずこの五つを日本語の母音としましょう。 そうすると日本人は5つの母音を使っていることになりますが、常に全く同じ音を出しているのでしょうか。 当然、或る母音はその前後に来る音の影響で変わってきてしまいます。「か」と言った時と「ぱ」と言った時とでは、どちらも「あ」という母音が含まれてはいますが、その「あ」の音が同じにはなっていないのです。 ならば、その影響をカットして、母音だけを単独に発音すれば、常に同じ音を出すことが出来るのでしょうか。 答えは勿論ノーです。風邪を引いているとき、寝ぼけているとき、ハイになっているとき、落ち込んでいるとき、起こっているとき、ささやいているとき、泣いているとき、元気なとき、くたびれているとき・・・・・・ 常に完全に同じ音を発することは出来ません。 1人の人間に限っても同じ音を発することは出来ないのですから、複数の人間が同一の音を出すことなど出来るわけがありません。 それでも私達は言葉を話して、相手に意思を伝えることが出来ますし、相手の発する音を聞いて意味を理解することが出来ます。なぜでしょうか。 それは、色々な人が色々な状況で発する色々な「あ」が全て同じ「あ」という分類に含まれるように、「あ」という音に相当の幅があるからなのです。勿論これは「あ」という一つの母音に限った話しではありません。一つの言語体系で使用される全ての音(ここでは本当は「音素」と言うべきなのですが、「音素」の意味を説明していると話しの流れが分かりにくくなるので略します)について言えることです。 恣意的な選択・・・子音はまだまし、母音が曲者 このように、一つ一つの音(音素)はそれぞれ相当の幅を持たざるを得ませんし、複数の音(音素)相互を確実に識別するためには,相互に相当離れていなければなりません。 その結果、一つの言語体系の中で使用できる音の種類はあまり多くはならないことになります。 そして、無限の音の中からどの音を採用するか、そしてその音にどの程度の範囲を持たせるかは全く恣意的で、言語によって好き勝手に決められているのです。何処にも切れ目が無く無段階に変化する音を切り分けるのですから、切り分ける対象である音そのものには、どの位置で切り分けるべきかの根拠は存在しません。 根拠が無いのですから、切り方は恣意的です。色々な言語が各々勝手に決めているのですから、その切り方が複数の言語の間で相互に一致する可能性はないのです。 その中で、音の流れの節目となるのが子音ですが、その変化が限られてい、異なる言語の間で一致する可能性が相当程度にあると言えます。そして、その子音の中でも破裂音は、音を作り出すポイント(専門用語では「調音点」と言います)極めて限られているため、相互に一致する可能性は極めて高くなります。 破裂音を作り出すことの出来るポイント(調恩点)は通常3種類しかありません。即ち、1.両唇 2.舌先と上あご 3.喉 の3つです。(他に声門もありますが、一般的ではありません) 3箇所しかない上に、この3つとも、接触して空気の通路が完全に遮断されなければ破裂音にならないのですから、変化のつけようもありません。 例えば、両唇を例に挙げれば、両唇が完全に閉じなければ破裂音にはならないのですから、両唇が完全に閉じた破裂音の他に、少し離れた破裂音、かなり離れた破裂音、大きく離れた破裂音等というバリエーションは有り得ないのです。 勿論、そうは言っても、日本語に無い破裂音もたくさんあります。例えば、舌先を上顎に付けて出す破裂音でも、上顎はかなりの面積がありますから、舌先を付ける位置によって音色は変わってきます。日本語の場合は、上顎と言っても、歯茎に付ける音しかありませんが、言語によっては舌先をもっと後ろの方に付けるものもあります。 しかし、いずれにしても「接触」させる訳ですから、位置としてはきわめて限定されるわけです。 これとは反対に、母音は舌の位置が何処にあろうと、唇の形がどうなっていようと、母音は母音なのですから、変化は無限に考えられます。 その結果、母音に就いては、異なる言語の間で完全に一致する可能性は殆どないということになるわけです。 外国語の母音の習得の難しさは、「一致しない」という点にもありますが、日本語とは一致しない破裂音を習得する場合と比較しても、母音の習得の方が難しくなります。 何故かと言えば、日本語と一致はしなくとも、破裂音の場合は調音器官の位置は非常にはっきりしているのに対し、母音の場合には掴み所が無いからです。 このように、外国語の学習において、発音に関する限り、母音の習得は最大の難関に成るのです。 さて、ここまでの話しはよく分かりましたか。ここから先は、ここまでの説明がよく理解できていないと分かりませんから、もしまだ分からないようでしたら、もう一回読みなおして下さい。 言語による意思の疎通は不可能!? さて、以上のことがよく分かったら、話しをその先に進めます。 上で見たように、人間の発しうる音の種類は無限です。そして各々の言語は、その無限の種類の音の中からごく限られた種類の音を取り出して使っています。一つ一つの音の幅も、言語によってまちまちです。 よく、「ネイティブでも人によって発音が違うから、誰の発音を真似たら良いのか分からない」と言う人がいますが、それは上で述べたように、音(音素)には相当の幅があり、しかもその前後にくる音によっても変化するからなのです(外国語の学習において、この問題を確実に解決する方法はありますが、話の筋が見えなくなってしまうので省略します)。 皆さんの母国語である日本語においても、当然同じ事で、実際に発音されている音は千変万化です。同じ「あ」という音(音素)でも、実際には無数の異なる音が飛び交っているわけです。 勿論、これは「あ」だけに限ったことではありません。「い」も「う」も「え」も「お」も、その他の子音も全く同じ状況です。無限のバラエティーを持った音が縦横に飛び交っているのです。 これは恐ろしい状況です。考えても見てください。無限の変化を持った音が飛び交っているのですから、その無限の種類の音を只そのまま耳に入れていたのでは、相手の意図した音が何なのか、「あ」なのか「え」なのか、「か」なのか「が」なのか、全然分からないことになるじゃないですか。 そうなったら、言語による意思の疎通は全く不可能になってしまい、言葉が存在する意味もなくなってしまいます。考えただけでもゾッとしますね。 大人の脳は完成された超高性能コンピューター でも実際にはそんな恐ろしいことは起こっていません。何故なのでしょうか。 それは、どんな音が飛び込んできても、「あ」なら「あ」の引き出しに、「い」なら「い」の引き出しにぶち込まれるからなのです(ここでは例として母音を挙げましたが、子音であっても全く同様です)。 これは、言語が意思疎通の手段として成立する上で絶対欠くことのできない、極めて重要なプロセスであるということは、お分かりになりますね。このプロセスがあるからこそ「あ」が「あ」として認識されるのであって、このプロセスが無ければ、言語は無意味な音の流れに過ぎないのですから。 そして、驚くべきことに、これほど重要なプロセスが、全く躊躇することなく、全く意識することも無く、完全に自動的に、瞬時に実行されるのです。これがキーポイントです。 無限の変化を持った、全く掴み所の無い音の流れを、無意識で、瞬時に分析して、「あ」なら「あ」の引き出しに、「い」なら「い」の引き出しにぶち込んでしまうのです。 これだけでも驚くべき能力ですが、更に驚くべきことは、その無意識の間に瞬時におこなった分類が、殆どの場合、その音を発した話者の意図する分類に完全に一致してしまうという点です。 全く、信じられないほど素晴らしい能力です。皆さんは、この信じられないほど素晴らしい能力を持っているのです。皆さんは、おぎゃ―と生まれてから大人になるまでに、徹底的な訓練を受けて、この素晴らしい超高性能コンピューターを脳の中に作り上げてきたのです。 言語はまさしくこの能力によって成立しているのです。 相手が広東語を話しても、貴方の耳に聞こえているのは日本語 外国語の発音を学習しようとしたとき、いくら模範発音を聞いても正しい発音が出来ないのは、まさにここに原因があるのです。 どんな音が飛んでこようとお構いなく、瞬時に「あ・い・う・え・お」のどれかに分類して、各々の引き出しにぶち込んでしまうのです。勿論、子音についても全く同様であることは言うまでもありません。 「どんな音が飛んでこようとお構いなく」、日本語の「あ・い・う・え・お」のどれかに分類されて聞こえていて、元々耳の鼓膜を振動させた音が具体的にどのような音であったのかは全く意識されない訳ですから、どんな外国語の音が流れてきても、日本人の耳に聞こえているのは日本語の発音だということになる訳です。 耳が訛っている(アウトプットの問題ではなくインプットの問題) 外国語の発音は訛ってしまいます。日本人が発音した場合、外国語はどんな感じに訛りますか?カタカナを読んでいるような感じに訛りますよねえ。日本人の発音がカタカナ式になってしまうの原因はここに在るのです。 日本人が外国語を聞いたときには、それが何語のどのような音であろうと、日本語の音として捕らえてしまいます。「right」であろうと「light」であろうと、貴方が認識したときには「ライト」という音になっているのです。「right」も「light」も聞こえていません。 貴方は「ライト」と認識しているのですから、発音するときにも当然「ライト」と発音することになります。何回聞こうと、「ライト」と聞こえているのですから、「ライト」と発音するしかありません。 上で、「相手が広東語を話しても、貴方の耳に聞こえているのは日本語の発音だ」と書かれているのを見て、「まさか!そんな馬鹿な」と思った方も、ここまで読んできて、納得できましたか。広東語の発音は聞こえていないのですから、広東語の発音がマスターできるはずがないのです。 「発音が正しく出来ない、訛ってしまう」とは誰でも感じているでしょう。でもその原因がこんなところにあろうとは、想像もしなかったのではありませんか? 「訛る」と言うと、何となく「口」の問題のように感じますが、訛る原因は、「口」のようなアウトプットの段階にあるのではなく、インプットの段階にあるのです。それは鼓膜を振動させた音をどう捉えるかの問題ですから、「耳」の問題ではなく、脳の問題です。 従って「耳が訛っている」という表現は正しくありませんが、インプットの問題なのだと言うことを端的に表現するために、私はよくこの表現を使います。 外国語の発音の習得は理論的に不可能か? 大人の脳には上述の超高性能コンピューターが完成しているからこそ、言語による意思の疎通が可能になるのであり、言語はこの能力によって成立しているのですが、言語の成立に不可欠なこの能力を持っているからこそ、逆に外国語の発音の習得は理論的に不可能という結論になってしまうのです。 では、これを克服する方法は存在しないのでしょうか? 無限の宇宙空間に浮いている発音 部屋の中で、天井から紐でボールを吊るしたとします。皆さんはそのボールの位置を認識することが出来ますか?当然出来ますよね。天井からの距離、右の壁からの距離、床からの距離などから、そのボールの位置は一目瞭然ですよね。 では、もしそのボールが、星も何もない無限の宇宙空間にあったら、そのボールの位置を認識できるでしょうか。全く不可能ですよね。 このボールが何を意味しているか、もうお分かりですね。外国語の発音を意味しています。外国語の発音は、星も何もない無限の宇宙空間に浮いているボールのようなものです。 幼児は、他のものとの相対的な位置関係に頼ることなく、絶対的にその位置を掴むことが出来ます。でも、大人は相対的な、位置関係に頼らずに絶対的にその位置を掴むことは出来ないのです。 このような状況で大人がやれることは、どんな音が飛び込んでこようとお構いなく、全て日本語の音として認識することです。でも其の侭では、上に述べたように外国語の発音の習得は理論的に不可能と言うことになってしまいます。どうしたら良いのでしょうか。 (以下、継続執筆中) |
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