デラの秘密の日記にようこそ!

徒然なるままに日暮しパソコンに向かいて、心に移り行く由無し事を、書き綴っていこうと思います。どうぞよろしく!

1月31日(金)ニューイヤーパーティー
大学側が留学生全員を招待して、ニューイヤーパーティーを開いてくれた。料理は全て、学部の留学生達の手作りだ。海苔巻に味噌汁、生春巻きに餃子。最初は、延々と学長その他の挨拶が続き、でも後ろのテーブルからは、温められたお味噌汁の良い香りが漂ってきて、「ああ、お味噌汁を最後に飲んだのは、いつだっただろう。」なんてノスタルジーに浸ってしまい、来賓の挨拶を聞くどころじゃなかった。やっと、長かった挨拶が終了し、料理を並べたテーブルに突進。やられたあああ!!海苔巻は既に無し。のーりーまーきーと絶叫したら、親切な人が自分の取り皿から1個、分けてくれた。

お食事の後は、クイズとお遊戯。そう、大学生にもなって、お遊戯会だよ。タイの大学生って、幼いなあって思っていたけど、なんとなくその理由が判ったような。。。でも、留学生の相手をする為に呼ばれたタイ人学生達は、みんなとっても良い子たちだった。
2003年02月14日 01時52分17秒

1月26日(日)ああ、二日酔い
二日酔い。。。昨日はちゃんぽんで、たくさん飲んだからなあ。。。
2003年02月14日 01時51分38秒

1月25日(土)パーティー
今日は、クラスメートの家に集まって、みんなでお料理パーティー。彼女の住むアパートは、BTSのモーチット駅から更にバスに乗って行くので、とっても遠い。アパートの近くのロータスで待ち合わせ。日本人5人に韓国人4人と香港とベトナムが各1人、計11人だ。

日本人は焼きソバとサラダを担当、韓国人生徒達はチジミ(韓国風ピザ)とキムチチゲ。彼女達、まずチジミから作り始めたのだが、「おいしくない、まず過ぎる」を連発。いや、充分においしいと言っても、最初はお世辞としか取ってくれず、あっという間に皿が空っぽになったのを見て、やっと私達の口に合うと信じてくれた。なんと、チジミを作ったのは、この日が初めてだったとか。次のキムチチゲでも同様に、「まずい、こんな味になるなんて。こんなのを食べさせるなら、捨てた方がマシ」と口々に言う。で、本当に鍋の中身を捨てようとするので、止めて味見をさせてもらった。

別にまずくないじゃん。っていうか、これにうどんを入れたら、結構いける味かもと思い、韓国人生徒がギブアップしたキムチチゲもどきに、うどんを放り込んで煮る事10分。はい、おいしい韓国風鍋焼きうどんの出来上がりー!飲んで食べて、楽しい夜だった。
2003年02月14日 01時50分33秒

1月24日(金)
夜、髪を洗った。あら、髪が限りなくまっすぐに近いような。。。これって、パーマが取れちゃったって事?いやーもう、勘弁してよー。3千百バーツもしたんだからね。
2003年02月14日 01時49分25秒

1月23日(木)か、髪が。。。
朝、学校に行く前に鏡を見て、気がついた。髪の毛、右と左の長さが違う!昨日パーマかけた時は、気付かなかったけど、髪が完全に乾いた状態で見たら、左右の長さが違うのは、はっきりと判る。ふぇーん、しっかりチェックすればよかったよ。
2003年02月14日 01時48分51秒

1月22日(水)
バイト先が休みなので、エンポリアムにある美容室(BTS直通の出入り口すぐ横)に、パーマをかけに行った。あああああ、何て酷い。料金表にはパーマ1,500〜3,000バーツってあるのに、お会計の時に何と3,700バーツと言われる。私のタイ語能力が低すぎて聞き間違えた訳ではない、だって電卓で3,700の数字を見せられたんだもの。思わず「パーマは1,500から3,000バーツじゃないの、ここにそう書いてるでしょ」とメニューを指差したら、カット代600バーツは含まれていません、という。本当にアホだなあ、タイ人ってのは。パーマ料金の一番高いのは3千バーツだ。カットが6百バーツなら合計3千6百バーツじゃん。こんな計算も出来ないの?それとも、残りの百バーツは、自分達のチップのつもりかい?

普通、日本人は変だと思っても、つっこまない。言われた通りに払うだけだ。でも、私はつっこんだ。だって、腹立つじゃない?まず、「カット代6百バーツが別なのは、判った(でもそれならそれで、ちゃんと書いとけよ)、ところでパーマはいくら?」「2千5百バーツです。」「ここには1千5百バーツからって書いてあるけど、何で私の場合は2千5百なの?」「お客様は、髪が長いからです。」嘘つけ、10センチ近くもカットしてから、パーマかけたじゃん。「へーえ、じゃあこのお店は、ロング代に千バーツも取るの?」「そうです。」と平然と答えるスタッフ。ひっぱたいたろか、と思ったけれど、大人げ無いので止める。いや、もともと大人げは無いんだけど。嘘でも良いから、パーマの液が違いますって言えば、騙されるのに。ロング代で1千バーツなんで、聞いた事ないよ。そして、いよいよ突っ込みの佳境、ファイナルクエスチョーン!

「パーマが2千5百でカットが6百バーツなら、全部で3千百バーツでしょ。この3千7百ってのは、何?」ぐっとつまるスタッフ。ようやく出た台詞が、「じゃあ、3千百バーツで良いです。」おーい。

2度と行かない、行きたくないお店がまた一つ増えた。
2003年02月14日 01時47分36秒

1月20日(月)
アルバイトの初日。なーんて楽チンなんでしょ。お客さんは少ないし、やる事も少ないし。お客さんがいない時は、本を読んだり、好きな事をしても良いと言われていたので、授業の復習をする事にした。
2003年02月14日 01時46分34秒

1月16日(木)〜1月19日(日)
よく覚えていないけど、幸せに過ごした気がする。だって、ストレス無いもん。
2003年02月14日 01時45分38秒

1月15日(水)イミグレのオフィサーって奴ぁ。。。
授業の後、SATHONにあるイミグレに留学ビザの申請に行く。でも、私の場合は以前Bビザを持っていたので、在留期間の延長がされただけで、留学ビザという形では発給されなかった。

でもね、タイ人男性ってのは、なんでそんなに日本人の女が好きなんだろう。ビザ申請の部屋の一番後ろにデスクがある偉い肩書きのおっさんから、電話くれって名刺をもらった。どこでタイ語を勉強してるんだと聞かれ、モーソーウォーだと答えたら、今度は授業料を聞かれて答えたら、授業が週に2日しかなくて、授業料もすごく安くて、1年の留学ビザを取れる語学学校を紹介しようか、とも言われた。あのねー。こっちは不法就労しようとしてんじゃなくて、純粋に大学で勉強したいのよ。

まったく、タイ人の男ってのは。。。このお偉いさん、今まで何人の日本人女性に声かけたのかしら?ナンパの成功率は?不法滞在の方法より、そっちの方が聞きたいよ。
2003年02月14日 01時44分13秒

1月14日(火)バイトの面接に行く
アルバイトの面接。大学の授業は午前中だけだし、授業はまだ簡単で時間に余裕があるので、午後からの時間がもったいない。それに、家に居るだけってのも、思ったよりお金がかかるのね。これはもう、アルバイトでお小遣い稼がなきゃ。そりゃあね。働かなくても3年はゴージャスに生活できるとは思うけど、ただ貯金を食い潰すよりは、例え小額でもお小遣いを稼ぐ方が良いしね。

うーん、想像した以上に時給は安かった。仕事内容は日系の某サービス業での通訳(タイ⇔日とタイ⇔英の両方)と受付。会社を辞めてから、タイ人とタイ語で話す機会がほとんど無くなったので、バイトはタイ語を練習する良い機会になる。また、社長の人柄もとても気に入った。まあ、ウマが合ったんだな。面接なのに、2時間以上も世間話で盛り上がってしまった。で、20日からバイトスタートだ。
2003年02月14日 01時35分59秒

1月13日(月) タンマダー
授業の後、雑誌の編集会議。
2003年02月14日 01時34分23秒

1月12日(日) 怠惰な休日
さすがに、イタ飯が続くと、おなかまわりにありがたくもないお肉がついてくる。胃腸もちょいと疲れ気味。なので、近くのマッサージとハーブサウナに行って、極楽な休日を過ごした。ああ、幸せ。
2003年02月14日 01時33分17秒

1月11日(土) イタリアンな休日
昼間は、スクムビットソイ33にあるCafe Bonjiornoというイタリアンレストランのオーナーに招待されて、ランチをご馳走になった。取材とは関係ないので、純粋に美味いチーズとワインを味わう。イタリアから届いたばかりの赤ワイン REGALELI (2000年)を、昼間っから試飲させてもらったが、これがフルーティで美味いのだ。まだワインメニューに載せていない、初ものワインで、多分1本3千から4千バーツで提供する予定とか。あああ、オーナー様、ありがとうございます。このほか、タイでは滅多に食べる事の出来ないイタリア製のチーズ、パカリータとカショルタも試食。これはレストランでは売っておらず、たまたまイタリアの家族がオーナーに送ってきた個人用に食べるチーズらしいのだが、バンコクでイタリアのチーズはモッツァレラとパルメチザンチーズくらいしか知られていないんだから、この際、このおいしいチーズもメニューに載せるべきですよ、と心から誉めたら、そんなに気に入ってくれたんなら、とお土産に少し持たせてくれた。いやあ、美味いワインとチーズで、昼間っからほろ酔い気分で満足じゃー。

夕方5時からは、べラナポリへ取材に。昨日、食べたばかりだから、写真撮影と話を聞くだけのつもりで行ったら、なんとピザ2種類とスパゲッティが試食用に用意されていた。いや、お気持ちはありがたいんだけど。。。でも、オーナー(タイ人女性)がまだ来ないし、ウェイトレス達が「もったいないから、オーナーが来るまで、食べながら待ってて下さい」というので、とりあえず、まずは写真を撮る。と、中年の白人女性が話し掛けてきた。「何で写真撮ってるの?」「雑誌の取材なの。」「まあ、あなたもライターなの?私もライターで、ここバンコクで本を出版した事もあるのよ。」「ええ、私もバンコクで本を出した事あるわ。」って感じで、全然知らないおばちゃんと、話しが弾んでしまった。

私はド素人カメラマンなので、カメラマンも自分でこなすという彼女に、写真の撮り方を教えてと頼むと、デジカメの使い方は判らないけど、コツはこうやるのよ、とデジカメの画面を見ながら、レンズの角度等を教えてもらった。1人じゃピザ2枚とスパゲッティは食べきれないので、彼女に一緒に試食する?と聞いたら、「まああ、何て親切なんでしょう、是非!」と、とても喜んでくれた。でも、さすがは白人(イギリス人)女性、ピザを一口食べるなり、「駄目よ、これは。冷たいじゃないの!」えーと、そりゃあ写真撮影に時間がかかったから、冷めてるのは当たり前な訳で。。。と説明したけど、彼女はお構い無しにウェイトレスの子を呼んで、釜で温め直すように言いつけてしまった。良いのかなあ。。。あれ?考えてみれば、開店は6時から。今はまだ5時半過ぎ。おばちゃん、そもそも一体何しにべラナポリに来たの?聞いてみたら、彼女もイタ飯狂いで、新しいイタ飯レストランがオープンするたびに、客として味見に行くのだとか。で、このべラナポリも何度か来てみたが、いつも満席で、しかも予約も受けてもらえないとかで、今日は土曜日で仕事が休みだから、少し早めに来てみたらしい。ただし、この後用事があるから、ピザのテイクアウトの為に来たの、ですって。確かに、開店前なのに、既に客が白人のおばちゃん以外にも、2組客が入ってきた。安くて美味いとなれば、宣伝しなくても客で溢れるって事ね。
2003年02月14日 01時31分24秒

1月10日(金)べラナポリ〜!
今日も授業の後、2軒目の取材へ。スクムビットのソイ33にあるFINOという、一軒家を改装した雰囲気の良い、ハイソなイタリアンだ。夜は友人と、べラナポリという、スクムビットのソイ31に新しくできたピッツァリアへ。

こちらは、庶民的なお店でお値段も手頃。高いのは、1リットル以上入る大きなカラフ入りのハウスワイン(赤のみ)が680バーツだけで、料理は全てリーズナブル。客席から見える大きな黒い釜で、イタリア人シェフが作るピザが焼かれていく。デリバリーピザのような分厚いパン生地じゃなく、薄めの生地で、腹にもたれず、美味かった。パイ生地で蓋をして、ピザと同じ釜で焼くスパゲッティも、麺がもちっとした食感になって、イケる味。お勘定を済ませた後で、取材をさせて欲しいと頼んだら、すぐにオッケーで、明日の夕方、開店前にまた来る事になった。
2003年01月19日 02時19分14秒

1月9日(木)初めての取材
今日の午後、イタリアンレストランの1件目の取材に。イタリア人シェフ兼オーナーが、イタリアに帰国中との事で、タイ人マネージャーが応対。なので、タイ語での取材だった。タイ語で取材できるほど、しゃべれるようになったのか、とちょっと自分を誉めてあげたくなった。でも、よーく考えてみたら、こちらで用意していた質問に答えてもらうだけなので、あまり深いタイ語の知識は必要ない。それに気付いて、ちょっとがっかり。
2003年01月19日 02時15分25秒

1月8日(水)
今日は昨日の続きで、タイ語の読み書き。先生は曜日ごとに代わるので、今日も新しい先生。昨日の3時間で、タイ文字を一通りマスターした事になっているので、今日から、板書がタイ語になった。授業開始から5日目で、板書がタイ語になるなんて、嘘でしょー?!

昨日から授業に参加したルーマニア大使、昨日は緊張していたのか、先生の質問に対して、結構なボケをかまして、すぐにドロップアウトするんじゃないかって思っていたが、今日はなんとか授業についてきた。クラスの中で、大使を何て呼んで良いか判らなかったので、休憩時間中に「エクセレンシーって呼ばなきゃ駄目?」と聞いたら、ファーストネームで呼んで良いとのお許しが出た。まあね。クラスの中じゃ、みんな同じ『学生』だもんね。
2003年01月19日 02時14分36秒

1月7日(火)
今日から、また新しい生徒が加わった。これで1クラス13人になった。新しい生徒は、ルーマニア大使。ルーマニア大使館からは、大使と書記官の2人がこのコースに申し込んでいたらしいが、同時に2人が毎日抜けるのはマズイという事になったようで、結局、大使1人が授業に参加する事になったとか。初登校日の今日は、学長がクラスまで挨拶にみえた。すごいね、ちゃんとエクセレンシー、とタイトルで呼びかけてたよ。

今日と明日は、読み書きの授業。今日は3時間で、タイ語の子音・44文字を全て終了。進度がものすごく速い。タイ文字は独学でマスターしておいたので、まだまだ余裕で授業についていけるが、タイ文字を母国で学習していなかった生徒は、青ざめていた。学食でランチの後、日本人とベトナム人の5人で、図書館で授業の復習をした。

学食でご飯を食べたり、図書館で勉強したり、気分はすっかり大学生だ。

2月に創刊予定の、バンコクの在住日本人向け情報誌のライターの仕事を受けたので、夕方からその打ち合わせに。イタリアン特集を組む事になり、5店の取材をする事になった。好きなお店を自分でピックアップし、アポを取って取材に行くので、ライターとしての簡単な名刺を作ってもらった。
2003年01月19日 02時13分12秒

1月6日(月)
今日から、また1人生徒が増え、全部で12人に。8人くらいがちょうど良いのに。先週の金曜日は、先生が英語を使って説明してくれたのだが、今日の先生は、タイ語オンリー。でも、格別難しい事を説明する訳じゃないので、問題なくついていけた。授業の後、クラスメート達と、学食にランチに行く。めちゃ安くて、驚いてしまった。麺類か、ご飯の上におかずを乗せたぶっかけメシなんだが、おかず1品で10バーツ、2品で12バーツ。色んな店が出店し、デパートのフードセンターのような雰囲気。味はまあまあ。
2003年01月19日 02時12分19秒

1月3日(金)やっと大学初登校
今日から大学生。昨日はしっかり寝て、旅の疲れを取ったので、今日はちゃんと目を覚ます事ができた。8時半過ぎに、最初に大学のインターナショナルオフィスに行き、授業料の支払いを済ませる。私と同様、今日から授業を受ける韓国人の女子生徒と一緒になり、事務のスタッフに校舎(大学構内は各学部の建物が点在し、慣れない内は迷子になりそうだ)まで案内してもらった。クラスは、遅れてきた私達2人を含めて11人。ちょっと多いかな。
2003年01月19日 02時11分05秒

1月2日(木)寝坊しちゃったよ〜!
やばい。寝坊して、初日から欠席。ああ、自分の馬鹿。
2003年01月19日 02時09分54秒

1月1日(水)ニューイヤーだよ
明けまして おめでとうございます。

夕方の飛行機でバンコクに帰国。その前に、デリーで超有名という、シャナーズ女史のエステティックサロンで、フェイシャルとメーヘンディ(へナ)による髪染めを体験。このエステサロンを掲載した日本の美容関連誌は、白亜の大理石の床がゴージャスな、上流マダム御用達の超リッチエステ、と紹介していたが、施術用のベッドや機具がごちゃごちゃと置かれた、雑然とした美容院といった雰囲気で、どこがゴージャスやねん、と突っ込みを入れたくなるサロンだった。というか多分、タイのスパやエステが、豪華すぎるのかも知れない。

フェイシャルやヘアートリートメントの腕は、とても良かった。料金も、バンコクに比べて、格段に安かった。特にへナは、ずっと試したかったので、うれしかった。髪が、艶々すべすべになり、驚き!バンコクでも出来るように、空港に行く前に、へナの粉を大量に買い込んだ。

デリーの空港では、バンコクほど手荷物のチェックが厳しくなかった。帰りもやっぱり、圧倒的に日本人が多い。と思ったのも、当たり前。バンコク経由の日本行きだった。バンコクには夜の11時半に到着。入国検査等で、家に帰ってきたのは、深夜の1時だった。明日は、大学が始まる大切な初日。起きれるかなあ。
2003年01月19日 02時08分55秒

12月29日(日)〜12月31日(火)インドでゴージャスにホームステイ
ニューデリーでホームステイ。3階建ての白い豪邸で、2階が家族用、3階は使用人用の住居。20代前半くらいの若い男性2人と、14歳の少女の3人の使用人がいて、彼等が掃除から食事の用意までしてくれるので、家族の人達に気を遣う事もなく、のんびりと部屋で過ごす事が出来た。朝は、ミルクティーとビスケットをベッドまで運んでくれるし(その後、朝食はテーブルで取るが)リッチな気分で滞在できた。外出は全て、車で送迎してくれたので、物乞いや詐欺、騙す人、リキシャ等とは無縁の上流の暮らしを体験した5日間だった。デリーに居るのに、リキシャ(オートリキシャじゃなく、人力のリキシャ)をまだ見ていないと言ったら、わざわざ車で人力のリキシャ達がいるところまで連れていってくれたり、ホームステイ先の家族も、本当に親切だった。お金に余裕があるから、親切になれるのだろう、とふと思ったりもした。

さすがヒンデューの国。不味そうな水牛がいたるところにいて、家族のお父さんにあれは誰の牛か、と聞いたら、野良牛で自然発生的にどんどん増えるから、交通の邪魔になって困るんだよ、なんて言っていた。バンコクでは、野良犬と人間が共存しているが、デリーでは水牛と犬と人間が、共存していた。

大晦日は朝から雨で非常に寒く、翌朝の新聞には、凍死者が150人以上も出た記録的な大寒波と報道されていた。ほんと、冗談抜きで死ぬほど寒かった。外出時、車窓から、崩れかけた壁と屋根の一部が残っているだけの廃屋の中で、サリーを来た女性とその子供が焚き火をし、水牛も一緒に焚き火にあたっているのが見えた。バンコクもそうだが、貧富の差の激しさを実感した。同時に、生まれる国を選べないだけに、日本に生まれた事を心から感謝した。

今回のインド訪問の最大の目的、アーユルベーダも体験出来た。が、アーユルベーダを受けた施設の個室やタオルは、タイで豪華なスパ巡りをしている身には、清潔感がないように感じられ、また、アーユルベーディックマッサージも、期待したほどの腕ではなかった。ダッカのパンパシフィックホテルで受けたインド式オイルマッサージの方が、清潔でマッサージ師の腕もよく、しかも安かった。まあ、比べちゃいけないんだろうけど、これもインドって事か。
2003年01月19日 02時07分53秒

12月28日(土)旅立ちの日
夕方発のエアーインディアで、デリーに出発。空港でのセキュリティーチェックは、異常なまでに詳細かつ厳しく、驚いた。出国手続きを済ませ、免税品店でランコムの日焼け止めクリームを買い、後はゲートでゆっくり搭乗時間まで待とうと思っていたら、ゲートの待合室の前は長蛇の列。なんと、手荷物の中を全て開けてチェックしていた。その前にX線検査機を通ってきたのだが。NYCテロの後でさえ、バンコク発の飛行機搭乗の際は、こんなに厳しくなかった。私も手荷物のバッグと旅行カバンの両方を開けさせられ、化粧ポーチまで開けられた。乗客全員の手荷物の中身を、4人の係員でチェックするので時間がかかり、更に飛行機に乗り込む直前にも手荷物の数を数えられ、飛行機は1時間遅れで離陸した。

機内は、何故か8割が日本人。私は3人掛けの通路側だったが、窓側と真中に座っていた若いインド人らしき夫婦(だと思ったのに)から、「この飛行機は、どこ行きですか?」と尋ねられた。前後左右がほぼ日本人達で埋まり、もしかして間違った飛行機に乗ったのでは?と不安になったらしかった。

このカップル、フライト中はまるで新婚さんのように熱々で、頬を寄せ合って語り合ったり、狭い座席の中で互いに寄り添ったり、かなり窮屈な姿勢で互いの身体を抱き合うように、うたた寝したりしていたのに、デリーに着陸し、飛行機を降りる時になったら、お互い他人の振りをして、別々に降りていった。女性はゆっくり後方に、私の前には男性が歩いていき、女性を待つでもなく、一度も振り返る事なく、入国検査の窓口に早足に去っていった。何なんだ、一体?

結局、到着予定時刻より1時間半も遅れ、ホームステイ先の人と会えるか心配だったが、ちゃんと待っててくれて、ほっと安心した。

友人から借りた『地球の○き方』2000年版には、空港でいかにインド人に騙されたか、夜に着く飛行機の場合は、こんな事に注意するように、この名前の銀行は避けるように等々、騙しのテクニックがたくさん紹介され、注意を呼びかけていたが、2年経って少しは改善されたのか、2002年の年末のデリー空港には、初心な観光客を騙そうと虎視眈々と狙う、客引きらしきインド人の姿はなく、拍子抜けした。
2003年01月19日 02時04分42秒

12月24日(火)波斯への道はスクムビットに有り
波斯と書いて、ペルシャと読む。スクムビットのソイ20にあるペルシャ料理のお店に行ってきた。オーナーはイラン人夫婦。イランはイスラム国だが、レストランの中には何故かクリスマスツリーが飾ってあった。さすがは在タイ。お酒もメニューに載っていて、助かった。お酒抜きのディナーなんて、考えられない。

イラン料理なんて初めてなので、サービス係りの女性に色々と相談しながら、料理を決めた。グラスワインを各2杯づつ、前菜はイラン風のサラダとヨーグルト、メインは、チキンケバブが1皿に、マトンとビーフのケバブが1皿。それぞれ、細長いお米(タイのマリとは絶対に違うお米だ)がたっぷり添えられている。デザートは、イランから持ってきたという紅茶(アイスクリームとかメニューに載っていたが、紅茶しか無いと言われた)を2人分。まず、前菜のヨーグルトがおいしかった。酸味がぴりっと口内を刺激し、ついでに胃袋も刺激してくれる。グラスワイン(赤)も、さっぱりと口当たりの良い飲み口。ケバブの内、チキンはスパイスがほど良く効いて、でも決してくど過ぎず、絶妙な美味さ。マトンのケバブも、マトンにありがちな臭みが無く、とても美味しかった。ビーフだけは、イマイチ。タイの牛肉はおいしくないからね。ただ、炊き上げたお米はとってもおいしくて、山盛り出てきたのが、ほとんど食べ尽くしてしまった。

料理は、ビーフ以外は満足できる美味さだったが、レストランのサービスが全然なっていなかった。多分、お金持ちのイラン人が、サービスの事など何も知らず、ただ金に飽かせて作ったレストランなのだろう。まずグラスワイン。シャンペングラスに入れるのは、やめて欲しい。開店したてで、お皿やグラスが揃っていないのか、ワインのお代わりを頼んだら、今まで飲んでいたグラスを急いで洗って、ワインを入れたらしく、水滴がグラス上部にたくさんついていた。うーん、せめてキッチンペーパーで拭いてから出して欲しかったな。メインのお皿が運ばれてきた後、前菜のヨーグルトやサラダのドレッシングで汚れた取り皿も、こちらから言うまで取り替えてくれなかった。しかもその取り皿は、料理のボリュームに反比例して小さい。

じゃあ、居心地が悪かったかというと、そうでも無いんだな。客が全然入っていないレストランってのは、普通は居心地が悪いもんだが、サーブしてくれた女性の人懐っこい世話好きな性格のお陰で、居心地良く食事を楽しむ事が出来た。バンコク在住の中東の人達が客層のターゲットであるなら、皿やグラスやサービスは気にしなくて良いのだろうが、バンコク在住の日本人や白人をもターゲットにするなら、少しはサービスの質も向上して欲しいと思った。

お勘定は〆て1165バーツ。1人6百バーツで、お釣りの35バーツはチップね、と計算して払ったら、お釣りは5バーツしか持って来なかった。チップってのは、客が置くものであって、店主が先にお釣りの中から取るものでは、断じて無い。サービスしてくれた女性に、お釣りの金額が違うと突っ込みを入れると、「オーナー夫人はまだタイバーツに慣れていなくて。ごめんなさい、すぐにオーナーに言ってきます。」と言って、お釣りを入れた皿を下げようとしたので、引き止めた。やっぱり、オーナーの奥さんが、レジを扱っていたのか。タイバーツに慣れる、慣れないの問題では無い。日本人は普通、お釣りを誤魔化されても、突っ込まないしね。

結論としては、お薦めレストランである。安いし、美味いのがその理由。お釣りとチップは、各自で突っ込めば良いからね。
2002年12月25日 15時10分00秒

12月22日(日)ジョギング記念日
今朝6時、近くのベンジャスィリ公園(通称クイーンズパーク)にジョギングに行った。毎朝6時前には目が覚めるし、近くにはジョギングトラックが整備された公園がある。運動不足解消にはもってこいの条件が揃っている。って訳で、今朝から走る事にした。朝6時はまだ暗いのに、既に走っている人が老若男女を問わず、結構いた。ほとんどがタイ人で、びっくり仰天。タイ人が走るなんて!!また、華僑の中年女性達が、タイチー(太極拳?)をしていた。実はタイチーにも興味はあったのだが、おばちゃんたちは、お揃いのTシャツを着ていて、なんだか新参者が中には入っていけない雰囲気だったので、諦めた。

目算だが、ジョギングトラックは多分、1周600mくらい。周囲の縦横が200MX2+100MX2だと思うのだが、もしかしたら1キロ(300MX2+200MX2)なのかも知れない。とにかく初日の今日は、2周しただけで息が上がってしまい、3周目はウォーキングにした。これで大体30分だ。適度に汗をかき、とても気持ちの良い1日のスタート。家に戻ってシャワーを浴び、朝食を食べ、健康的な1日のまさに理想的スタートだ。

シンガポール駐在の友人が今日、本帰国した。もう1人、シンガポールに駐在していた友人は、ヨーロッパに転勤となり、これでシンガには友人がいなくなってしまった。不思議なもので、知り合いが誰もいなくなった途端、シンガポールが遠くなったように感じた。地理的にはとっても近いのにね。
2002年12月25日 15時08分33秒

12月20日(金)ホメオパシーへの扉を開く
今日でホメオパシーの講義が終了。5日間じゃ、全然足りない。もっと深く勉強したい。講師の先生は、通信教育もやってますとおっしゃっていたが、インターネットで先生の学校を検索し、料金をチェックしたら、通信教育とは思えないほど高かった。通学コースの方は逆に、通学とは思えないほど安いのだが。まあ、日本は物価が高いので、仕方が無い。

インターネットってのは、本当に便利だ。検索すれば、図書館等に行かなくても、知りたい情報が簡単に入手できる。インドやバングラデシュでもホメオパシーが盛ん、と聞いていたので、年末年始を過ごすインドなら、物価も安いだろうと検索したら、ニューデリーでホメオパシーの学校がヒットした。早速この学校に、訪問したい旨のメールを送ったら、翌日直ぐに返事がきてアポが取れた。ホメオパシーとの最初の出会いから、自分の望む方向に物事がうまく進んで行く感じで、うれしい。
2002年12月25日 15時06分56秒

12月18日(水)最低のマッサージ屋
筋肉痛が辛いので、ホメオパシーの講義が終わった後、マッサージ屋に行った。フジスーパー1号店のすぐ近くにあるマッサージ屋だ。これが最悪。マッサージ師の教育が全然出来ていない。フジスーパー2号店の向かい側に、先月オープンしたばかりのマッサージ屋のように、他所でしっかり教育されたマッサージ師を引き抜いてくれば、あまり経験の無い若いマッサージ師への良い教育係となる。でも、今日行ったところは、開店してから2年は経つのに、私を担当したマッサージ師のレベルは酷かった。

お店に入る直前から、教育が出来ているかどうかは判る。普通、マッサージ屋の入り口はガラス張りで、お客さんが来るのが一目で判る。客がドアに近づいてきたら、ドア付近にいる誰かが、さっとドアを開けてくれる。ドア付近に誰もいなくて、客が自分でドアを開けて入ったとしても、すぐに中の誰かが、挨拶する。が、今日行ったマッサージ屋は、私がドアに近づいているのに、ドア付近のソファに座っているマッサージ師たちは、黙って見ているだけ。ドアを開けて中に入っても、やっぱり無言でこっちを見ているだけ。すごく居心地が悪かった。自分から、ヌワットナンマン(オイルマッサージ)と言ったら、ソファに座っていた女の子の1人が、受付を指差した。で、受付まで行って、1時間コースを指定。非常に居心地が悪い。ドアの内側にソファが2つあり、そこに座って待機していたマッサージ師4、5人は若い娘ばかり。場末の飲み屋に間違って入ったような雰囲気だ。一瞬、男性専用のあっち方面かと思ってしまったほど。

オイルマッサージなので個室に案内され、熱いお茶か冷たいお茶かを聞かれたので、熱いお茶を頼んだ。彼女が部屋を出てから戻ってくるまで、10分かかった。しかも運んできたのは、冷たいお茶。理由はお湯が沸かなかったから。お茶を飲みに来た訳じゃないので、別に構わないが、彼女は携帯電話を持ってきた。勘弁してよ、こっちは金払うってのに。案の定、途中で彼女の携帯に電話が入った。当然、彼女が携帯で話している間は、マッサージはおざなり。しかも、下手。エアコンはびんびんきいて寒いので、寒いと言ったが、口の中でなにか呟いただけ。しかも、バスタオルでマッサージしていない部分を覆ってくれないので、仕方なく彼女の手を止めて、自分でバスタオルを身体にかけた。最悪だったのは、1時間指定なのに、40分で終了。なんとなく嫌な予感がしたので、枕元に時計を置いてチェックしていたのだ。まだ20分ある、と言おうかと思ったが、2度と来る事はないと思ったので、早々に着替えた。個室を出る時に、エアコンのスイッチを見たら、HIGH-MID-LOWと調節できるようになっており、それがHIGHになっていた。つまり、客が寒いと言っているのに、LOWにしなかった訳だ。

在タイ9年で、マッサージ師にチップを渡さなかったのは、今日が始めてだった。
2002年12月25日 15時06分04秒

12月17日(火)筋肉痛
うーん、身体が痛い。日曜日の引越しで、全身を使ったからだ。4人で半日がかりだったからなあ。しかも、翌日の月曜日じゃなくて、1日置いて火曜日に痛くなるとは。歳だなあ。
2002年12月25日 15時04分41秒

12月16日(月)ホメオパシーとの出会い
昨日、新しいアパートに引越した。以前住んでいた部屋は、120平米の2ベッドルームだったが、これから学生になる身には贅沢過ぎるので、もっと安いところに引っ越した。今度はちょうど半分の60平米、LDKで1部屋+1ベッドルームにお風呂という間取り。収納スペースが少なくて、引っ越してからも、服や飾り時計、ポスター等、置き場所が無くて捨てざるを得ないものが出てきた。引越し前と引越し後で、相当なものを捨てた。持っていても使わないもの、着ない服が捨てる目安だったが、自分はつくづくものを溜め込む性格なんだなあ、と思った。

ドアを開けたらすぐに台所とか、リビングよりベッドルームの方が広いとか、間取りは好きじゃなかったが、このアパートを敢えて選んだ理由は、ひとえに立地の良さ。フジスーパー1号店、ビラスーパー本店、BTS(スカイトレイン)の駅にエンポリアムデパートまで、全てが徒歩3〜4分以内なのだ。セキュリティーもしっかりしている。おまけにUBC & NHKが無料で見られるテレビ付き。部屋を最初に見学した際、デスクトップのコンピュータを置く場所が無い、と言ったら、新品の机と椅子のセットを買ってくれたオーナーの太っ腹も気に入った。(タイでは、駄目元で何でも言ってみるもんだ。)そんなこんなで、入居を決めた。狭いのは仕方ないが、すぐに慣れるだろう。

午後から、プラカノンにある日本人向けのカルチャースクールで、同種療法・ホメオパシーの講義を受けに行った。今日から金曜日までの5日間のコースだ。実は、このコースに申し込むまで、ホメオパシーが何なのか、言葉自体も聞いた事がなかった。

健康を損ねてから、薬に頼らない自然療法に興味を持ち始めた。タイにも、有名な古式マッサージやハーブマッサージという、世界に誇れる素晴らしい療法がある。各種ハーブの効能を利用した自然療法もあるが、どちらかといえば、病気を予防するのに効果を発揮し、既に発症してしまった病気を抑えるには、限界があるように感じていた。インドのアーユルベーダに興味を持ったのは、この為だ。その後、たまたまスーパーに置いてあるちらしで、ホメオパシーのコースが開かれる事を知って、申し込んだ。で、今日が初日。テキスト3冊分を渡され、家に帰ってからじっくりと読んだ。今まで、何となくあやふやだった知識が、しっかりと裏付けされたように感じ、うれしくなった。
2002年12月25日 15時03分38秒

12月14日(土)引越し前夜
朝から、引越しの荷造りで大変だった。ずっと家具付きの部屋に住んできたので、自分のものは少ししか無いと思っていた。が、それは錯覚だった!!まず服の量が凄まじく多い。ここ20年、体型が変化していないためか、女子大生の頃に買ったスカートやブラウスまで出てきた。物持ちが良いというか、日本の服って質が良いよ、やっぱ。取り合えず、1度も手を通していないTシャツ二枚と2、3度しか着ていない青い刺繍柄のブラウス、白の総レースのブラウスに青いシャツ、全て洗濯・アイロン済みの綺麗なものをメイドにあげた。彼女が着なくても、古着屋で売れば良い。その他、何度も着て、襟や裾がほころびたワンピースや黄ばんだシャツなど、人にあげるのはちょっと、というのは捨てた。相当な量を捨てたのだが、それでもスーツケース大2小1計3つと、ボストンバック大1中1が全てパンパンに膨れ上がるほどの服だった。買ってから1度も着ていないワンピースや、オーダーメイドで作らせて、1度も着ていないワンピースも数枚出てきた。まさに箪笥の肥やしだね。

箪笥の肥やしと言えば、ダッカで買ったイスラムのドレス。当地で買った時は、バンコクでも着られそうな色やデザインのものを選んだはずなのに、やっぱバンコクじゃ着ていくところがなくて、まだデビューしていない。ベトナムのアオザイも1度も着ていない。インドに行っても、決してサリーには手を出すまい。

昼は気分転換に、フジスーパー2号店の中の軽食コーナーで、コーヒーとサンドイッチを食べた。斜め後ろにおばあちゃんが座っていて、買い物した袋の中をごそごそし始めた。そこへ、顔見知りらしい若い男性(もしかしてフジスーパーの日本人社員さんかな?)が来て、隣りに座って話し始めた。このおばあちゃんも、前に雨宿りで一緒になったおばあちゃんと同じく、最近バンコクに来たばかりらしく、バーツでの金銭感覚がイマイチ掴めないようで、1千円は何バーツかと何度も聞いていた。それから、話し相手に飢えているのか、青年相手に色んな話を始める。それを、ちっとも嫌がらずに、うんうん、と聞いてあげる青年。若いのに、人間が出来てるねえ。このおばあちゃんは、来年の8月でちょうど80歳になるという。人生を巻き戻せたら、絶対に結婚はしない、と言い切るのが面白かった。(背中一面を耳にして聞いていた)おばあちゃん曰く、彼女の結婚は、北朝鮮に拉致されたも同然、無理やり嫁がされたので、嫌で嫌で堪らず、1週間はご飯が食べられなくて泣いていたそうだ。う〜ん、人生色々だ。雨宿りで遭ったおばあちゃんと、このおばあちゃん、日中は1人で話し相手がいないようなので、ここに買い物に来るって事はご近所さん同士。うまく出会って仲良く茶飲み友達になれたら良いのになあって思った。

帰ってから、また荷物の整理。なんでこんなに物が一杯あるんだろうか??疲れたので、6時半にサウナに行く。サウナも今日で最後だなあ。引越し先は、屋上にプールがあるだけ。しかも家族連れの駐在員100%なので、子供が多そう(部屋を見に行った日も、子供達の嬌声が廊下に響いていた)なので、プールも子供達の遊び場で煩そう。。。そんなこんなで、じっくりゆっくり1時間、最後のサウナを楽しんだ。
2002年12月15日 00時52分24秒

12月13日(金)バカな選択。。。?
前の会社で取引のあった家電メーカーの社長さんから、メールが入った。会社を辞めた後も、たまには飲みに行きましょうね、なんて言っていたので、飲み会のお誘いかと思ったら、仕事のオファーだった。

そのメーカーの下請が、来年タイに進出してくるので、立ち上げを手伝わないか、とのお話。本当に、涙が出るほどありがたいお話だが、大学に通う事に決めたので、午後からのアルバイト程度の仕事しか出来ない旨を説明し、事実上、断った。私はもしかして、とてもバカな事をしてしまったのだろうか?この就職難のご時世に、こんな良い話(給料保証+車)を断るなんて。。。でも今は、フルタイムで働くより勉強がしたい。
2002年12月15日 00時48分13秒

12月12日(木)ビザ受取狂想曲
午前中、インド大使館にビザの受け取りに行ってきた。3日に申請に行った時とは別の道(裏道?)を通って行ったら、とても早く着いた。DACOのスクムビット拡大マップを見ていて、この裏道を見つけたのだ。もっと早く気付けば良かったよ〜!

ビザ受け取り窓口は9時半から開く。9時25分に着いたが、前回同様、この窓口は既に長蛇の列。自分の前に何人いるかなんて、チェックする気も起きないよ。前回、ビザ申請に来た時、隣りのこの受取窓口で、何人もの人がパスポートを出す度に、1時間後に来て下さいと言われていた。スーツを来た白人のお姉さんは、また並び直す時間が無い、何とかならないのか、と交渉していたが、何ともならなかった。今日は私も、あと1時間後に来て下さいって言われるんだろうか。列の前方に見覚えのある顔が2,3あった。同じ日に申請した人達だから、同じ日に受取窓口に並ぶのは、当たり前か。

50分強並んで、やっとデラの番が来た。前回、ビザの申請代を払った時にもらったレシートとパスポートを差し出したら、クリアファイルの中から私の申請書類を取り出し、「あと1時間後に受け取りに来て下さい。」と言われる。あああ、やっぱり。一応「どうして1時間後なの?」と聞くと「手続きにかかる時間です。」だって。レシートは戻してくれたが、パスポートは預けたまま。きっと、これから誰かがあのパスポートにビザを貼るかスタンプを押すんだろう。また1時間も列に並び直すのか。やれやれ。部屋の後方にはソファーセットが幾つか置いてあるので、そこに座ってしばらく足を休めた。いくつか見覚えのある顔が。。。彼等も、1時間後って言われて、ここで待ってるんだろうなあ。

10分ほど座っている間にも、どんどん新しい顔が並んで行く。と、1時間後にと言われた白人とインド系の男性2人が、列に並び直した。彼等は最初、私のずっと前に並んでいたから、今から並び直したら、ちょうど1時間くらいなのかな。彼等の後ろに新しく来た人達2人が並んだところで、よっこらしょと私も腰を上げた。これだけの人数だもの、2度目の順番が来るまで1時間はかかるだろう。が、しかし!!

2度目に並び直したら、列の進み具合が結構早くなっていて、30分ほどでデラの前にはあと5人って状態になった。まずい、あまり早く順番が来て、「まだ1時間経ってませんよ。」と窓口担当者に言われたら、どうしよ〜う。と、白人とインド系男性2人連れの横に、これまた見覚えのある4人が入り込んできた。1時間後にって言われた人達だ。よかった、これで少しは時間が稼げる。後ろに並んでいる人たちにとっては、横入りに過ぎないからきっと気分悪いだろうけど。が、再びしかし!!

インド系男性とタイ人女性の中年夫婦(2回目に並んだ人達)が、まだビザの準備が出来ていない、と断られた!オーマイガッ。他の白人達もオーマイガッ状態。彼等は自分達の後ろ(デラの前)にいたタイ人男性と日本人青年にお先にどうぞ、と順番を譲り、窓口待機の態勢に入った。私のビザもまだ出来ていなかったら、彼等と一緒に窓口付近で待機しなきゃ。白人のにーちゃんが私にも「お先にどうぞ。」って言うので、「私もこれで2回目なの。」と言うと、「じゃ、ビザが下りたかどうか試してみて。」というので、担当者に戻って来たよとレシートを見せたら、超ラッキー!ビザが下りていた。全くインドって奴ぁ、行く前から疲れる国だね。

夕方4時過ぎ、フジスーパー2号店にビデオを借りに行ったら、帰りに夕立にあった。夕立だよ、12月に。今年で在タイ9年目だが、12月に雨が降ったのは、今年が始めてだ。異常気象だね。空は明るいのに、ザーザーと土砂降りの雨。スーパーの入り口で雨が止むのをぼーっと待っていたら、おばあさんに話し掛けられた。神戸出身でバンコクに来たばかりだという。息子と孫の住むバンコクに引き取られたようだが、日中はフジスーパーに買い物に来る以外、話す相手もいないし、する事がなくて寂しい、神戸に帰りたい。でも帰りたいって言うと、息子に叱られるんですよって話していた。86歳になる、とっても可愛らしいおばあちゃまだった。若い頃はさぞ綺麗な人だっただろう。いつまでもお元気で、と祈らずにはいられない。は、いけない、他人の母親を気遣う前に、まず自分の母親を気遣わなくちゃね。って訳で、雨が止んで家に戻ってから、母に葉書を書いた。
2002年12月15日 00時46分37秒

12月7日(土)スカンジナビアへの道
スクムビットソイ18にある、スカンジナビアンレストラン、アドミラルに行ってきた。雰囲気・味共に花丸だ。スカンジナビアン料理って、スモークサーモンやニシンの酢漬くらいしか知らなかったので、他にローストビーフ(ビーフだったのかな?バンビだったりして)や、タラのフライ、よく判らないパテ等、オードブル形式になったものを頼んだのが、正解だった。飲み物・デザート・チップも入れて、2人で1200バーツ。お財布にも優しいレストランだ。たまには、変わったものが食べたいという時に、ぴったりだ。

昼間、コンドーのサウナで日本人の奥さんたちと一緒になった。4年近く住んでて、日本人の奥さんたちと一緒になったのは初めてだった。彼女達もびっくりしていた。その子供達も、びっくりして「知らない日本人がいる〜!」って顔されちゃったわん。

お昼ちょうどにサウナに入ったのだが、12時半過ぎに、1人の奥さんの息子さんがサウナの入り口にきて「お母さん、お父さんがお昼ご飯どうするのって言ってるよー!」と呼びにきた。お母さんの答え「フジスーパーに行って、適当にお弁当買ってきてって、言っといて!」すると隣りにいた奥さん「おばちゃんのも買ってきて欲しいな〜!」なんだか和気藹々とした雰囲気で、勿論フジスーパーってのは冗談で、奥さんは「もう、仕方ないわねえ」と言いながら、出ていった。ずっと知らなかったのだが、子供のいる駐在員が住むコンドミニアムでは、それぞれ奥様会みたいなのがあって、自分の子供だけじゃなく、他の人の子供達の面倒も見合っているようだ。相互扶助?だから、子供達は「このおばちゃんちは、○階のx号室、このおばちゃんは、○△ちゃんのお母さん」とちゃんと認識している。だから、私を見て「この日本人、誰?」となったようだ。

子供達は外で自由に遊べないから、必然的にコンド内のプールや遊戯室で駆け回るしかない、その子供達を通じて奥さんたちも仲良くなっていく。だから、子供のいない奥さんは、ちと辛いだろうなって思った。
2002年12月10日 10時27分06秒

12月6日(金)私の中の知らない私。。。?
今日、J-Waveの取材に応じた時の番組の収録テープが届いた。6ヶ月ほど前の取材だったので、忘れていたが、なんだかとっても懐かしかった。

今年は面白い年で、日本のラジオ局からの取材申し込みが、応じたJ-Waveも含めて3件あった。内1件は、依頼内容のメールを読んだだけで削除、もう1件は返事を出したのだが、生放送だったのでお流れに。そしてJ-Wave。一番対応が良かったのがここ。事前準備もしっかりとしてくれて、でもドキドキだったので、直前にワインをグラス一杯喉に流し込んで、気分をハイにしてから収録に望んだ。だからか、届いたテープを聞いたら、『おいおい、この女だれ?』というほど、まるで違う女がしゃべっていた。声も違うし、話し方も全然自分じゃないみたい。え、私こんな事言ったっけ?えええ?って感じで、今更ながらドキドキしたよ。ふーん、これが関東圏に流れたのかあ。冷や汗。
2002年12月10日 10時08分29秒

12月3日(火)インドへの道
朝6時半に起きてストレッチをし、納豆・海苔・梅干にコレステロールを下げる(別に高くないんだけど)桑の葉茶を飲みながら、朝ご飯を食べる。そして、日焼け止めを塗って8時50分、いざ出発。インド大使館は、スクムビットのソイ23のずずずいっと奥にある。うちから歩いて推定20分。引越し先の新しいアパートから大学までも、歩いて推定20分。だから、どのくらい歩けるか試してみたのだ。

インド大使館に到着したのは、9時15分ちょっと前。うん、これなら充分歩ける距離だ。中は既に混んでいた。バングラデシュ大使館とは、大違いだね。

窓口が3つあり、一番左端がビザ申請用窓口で9時〜12時、真中がビザ・パスポート受け取りで9時半〜12時、右端がパスポート申請用窓口で9時〜12時。パスポート申請窓口はガラガラ。でも、9時半から受付の受け取り窓口が、まだ15分前なのに一番人が多く並んでいた。

ビザの申請用紙を見つけて記入しようとして、ペンが置いていないのに気付いた。サービス悪いなあ。受付業務のタイ人女性に、ボールペンを借りて記入、一番左の列に並ぶ。この窓口は9時から開いているはずなのに、列が全然進まない。長蛇の列にもめげず(?)のんびりゴーイングマイウェイで仕事をするインド人たち。おお、これが悠久の国・インドかあっ!行く前から、眩暈でクラクラしてきたよ。

私の前に並んでいたのは、どっかの旅行エージェントらしく、パスポートの束を抱えたメッセンジャー達が5人、白人が2人、インド系の若い美女が1人で、私で9人目。50分立ちっぱなしで待たされた。もうおばちゃん、歳だし、軽くて便利な携帯用折り畳み椅子があれば欲しい、と思ってしまった。インド系の推定年齢19〜22歳の綺麗な女性は、私の3人前にいる。彼女の後ろ(私の前)にパスポートの束を抱えたメッセンジャーが2人。彼女の前に白人2人、さらにその前にまたメッセンジャー達がいるのだが、白人の2人目は、なにやら入国予定日よりもビザが下りる日の方が遅いらしく、賢明に何か交渉していたが、駄目だったようだ。白人のおやじも、出来るだけ丁寧な態度で接していたが、係官も丁寧に応対していた。どんなインド人かと窓口の担当係官の顔を見たら、おお、クラークケントのそっくりさん!!

クラークケントといっても、色んな俳優が演じているが、彼はクリストファーリーブが演じたクラークケントそのもの。ワイシャツ・ネクタイ姿から髪の別け方、ずり落ちる眼鏡を指で押し上げる仕草、全てがクラークケントなのよ。私って、スーパーマンに変身したクリストファーリーブより、クラークケント姿の方が好きだったのよね。でもこの係官ってば、生真面目な顔で書類を受け取って仕事をこなしているが、どうしてこんなに時間がかかるの〜?

ところが!インド系の若い女性は、あっという間に申請受付が終了。若い女性には親切なのね、きっと。ふんっ!!でも、私の2人前のメッセンジャーのパスポートの束を受付始めた時に、どうして異常に時間が掛かるのか、判った。窓口に並んでいる人達以外に、各種『コネ』の申請が何度も入るようで、どっかのオフィスの女性達が列に並ばず、直接担当室に入って行き、窓口の受付作業をしている彼に横から申請書類を差し出すのだ。なので、並んでいるメッセンジャーに「悪いがちょっと待ってくれ」と断って、しばし作業を中断し、どっかのお偉いさん、またはそのコネで持ち込まれた申請書の処理を先にする。だから、私の前には8人しかいなかったのに、私の番がくるまで50分も掛かったのだな。目の前に並んでいる人以外に、姿の見えない申請者がごっそりいたのだ。

デラの番がきた。クラークケントってば、にっこりと笑顔で受付してくれ、わずか3分で済んでしまった。近くで見ても、クラークケントだったよ。ガイドブックには、申請の5日後に受け取りって書いてあったけど、彼がカレンダーを指差して言った受取日は12日だ。ま、いいけどね。だって、ケントの笑顔が爽やかなんだもの。

因みにビザ申請に必要なものは、2インチサイズの写真2枚とパスポートの写真のページのコピー1枚、パスポート、そして申請費760バーツ(タイ人は1700バーツで、国籍によって代金が違う)

帰りはゆっくりと歩いたので、30分弱かかった。両足に小さな水ぶくれが計5個所もできてしまい、しかも久しぶりに往復で1時間近くも歩き、大使館でも50分立ちっぱなしだったので、足が悲鳴を上げてしまった。脛がパンパンに張ってしまったのだ。なので、お風呂に入って足を少し休ませ、それから近くに新しく出来たマッサージ屋にいった。そのうち、平気で1時間は歩けるようになるだろう。リハビリさえしっかりすればね。
2002年12月10日 10時06分47秒

12月1日(日)
会社を辞めた。でも、12月分は給料全額、出してくれるらしい。ワークパーミットも、2年先まで更新してくれたので、2004年の12月末までビザの心配は要らない。

今は、少しずつ身体が回復していくのを、実感している。でも、まだ睡眠障害は解消されていない。今朝も、日曜日なのに6時5分に目が覚めた。それ以前に、うっすらと覚醒していたのだが(鳥の鳴き声とか聞こえてたし)目を開けて時計を見たのが6時5分。睡眠時間が短くて、熟睡できないのが、とても辛い。

色々考えたが、今の身体の調子じゃ、9時5時の会社勤めが不安。いくつか派遣会社に問い合わせたら、私に紹介できる仕事があるというじゃあーりませんか。年齢制限にひっかかると思っていたけど、工場での生産管理や顧客クレーム処理の経験があれば、まだまだ仕事はあるらしい。でもね。しばらくは、あの怒涛の日々に戻るのは無理。まず、身体を健康で正常な状態に戻さなくちゃね。幸い、退職金と今までの貯金で、数年は働かなくても大丈夫だし。

もちろん、何もせず手をこまねいて、貯金を目減りさせるつもりは無い。学生に日本語を教えたり、翻訳や通訳でちょこちょことお金を稼ぐつもりではいる。また、タイ語を話すのは何とかなるし、独学で文字もマスターしている。でも、語彙が少ないので、すらすら読めるって訳じゃない。今まできちんと学校でタイ語を習った事が無かったので、良い機会だから学校に通う事にした。

で、選んだのは大学。歩いて通える距離に大学があって、留学生にとっても親切なのだ。実際、自分で行って色々と相談したが、対応は良かった。生徒達も、のんびりしている。今から5年ほど前、チュラロンコン大学・大学院の経済学修士課程に合格した事があり(奇跡みたいなもんだ)担当教授との面談と入学手続きに行った。で、私の前に、これからクラスメートになるはずの女子生徒が教授との面談を待っていて、彼女を見て、こんなのばっかりだったら、学校生活は大変だろうなーと思ったのだ。チュラ大は国立だけど、学費が異常に高い。これも、チェック漏れだった。で、通ってくる学生も、オツムは当然良いが、家もお金持ちじゃなければ通えない、当然、その女子大生も上から下までブランドで固め、しかも、にっこり笑って会釈した私に、ふんって顔でちょっと頷いてそっぽを向いてしまった。気位も相当高そうだ。なんで?考えてみれば、チュラは政治、タマは経営、マヒドンは医学で人材を輩出している。どれもお金に密接に結びついている。でも、うちの近くの大学は教育大学で、良い意味での「かっぺちゃん」的のどかさがある。おばちゃんには、ぴったりだ。5ヶ月のタイ語集中コースを終了したら、そのまま大学院に進んでも良い、とも言われた。大学時代の成績は、自慢じゃないが優秀だったからね。えっへん。

って訳で、来年1月から花の女子大生である。正式には、タイ語講座を修了してからだけど。

12月から、毎日じゃないけど、時々は日記を更新していくつもりだ。数年後に自分を振り返った時、当時の自分が何を考え、どう行動したかを知る為にもね。
2002年12月01日 10時14分27秒

11月24日(日)しばし更新をストップします。
日本に一時帰国し、リフレッシュしたはずだったが、時間と共にまた、疲労感が蓄積し始めた。疲れた。もう、どうしようもないほど、疲れてしまった。肉体的にも精神的にも。一番堪えたのは、やはり10月に起きた不良だ。

日本で、母親に頼んで睡眠薬を2種類、かかりつけの病院でゲットしておいてもらったのだが、飲んでも効かない。いや、飲んで15分もすると、身体がぐらぐら揺れるほど、激しい睡魔に襲われるのだが、朝は5時過ぎに目が覚めてしまう。休みの前日は、目覚ましを9時にセットしているのに、6時前に目が覚めて、その後眠れないのはとても辛い。

11月一杯で仕事を辞める事になった。会社の都合もある。今は、とにかく休んで体内時計を正常な状態に戻し、睡眠薬に頼らなくても眠れるように、健康を取り戻したい。

日記はしばらく更新しません。メルマガの方は、12月に1度、近況をお知らせすべく発行致します。書く事は基本的に好きなので、これで止めるって事はありません。でも、今はとにかく何も考えずに休みたい。。。

では、しばらくの間、お休み致します。
2002年11月24日 19時46分31秒

11月9日(土)〜13日(水)
日本でーす。
2002年11月19日 01時17分35秒

11月8日(金)行ってきまーす。
今朝、知らない女性からメールが届いた。げ、私が彼女の夫と浮気したって勘違いしてるよ、この人。嫌だなあ、こういうのって。なんか迷惑。

今日は、久しぶりに帰国する事になんだか興奮しちゃって、仕事が手につかなかった。やっと5時。まだ荷造りが全部済んでいないから、今日は残業しないでとっとと帰りたい。と、上司に「デラさん、ちょっと会議室に来て下さい。」呼ばれた。帰る前に打ち合わせをしたい、という。勘弁してよー。時間は一杯あったのに、何で5時過ぎてから言うわけ?会議室には、他の日本人同僚達もお茶を飲みながら、5時から20分間の休憩で和んでいた。何を言われるのかと思ったら、まず上司が口を開いた。「塩辛、買ってきて下さい。」同僚1「北海道はタラバ蟹が美味いんだっけ。俺、たらば蟹で良いや。」同僚2「あ、俺はイクラで良いよ。」同僚3「えっと、俺は。。。」最後まで聞かずに会議室を辞した。アホか、付き合ってられんわ。

夜10時半発のJAL便。直前まで荷造りでバタバタし、晩ご飯は食べられなかった。ま、いいか。機内で軽食が出るだろうしね。では、行ってきまーす。
2002年11月19日 01時16分41秒

11月7日(木)出発前夜でドキドキ
来週月曜日から水曜日まではお休みするので、その間の在庫管理や下請に出す製品の納期管理をチェックしておかないといけない。ああ、面倒臭い。日曜日にダイエットの薬を止めてから、まだ食欲は押さえ気味。甘いものを食べたい欲求も無いしね。良かった。夜に、明日の夜から帰国するための荷造り開始。
2002年11月19日 01時15分29秒

11月6日(水)日航決定
全日空、とうとう駄目だった。出発の2日前になってもまだキャンセル待ち。後は、リスクを覚悟の上で発券し、日本に戻ってからもキャンセル待ち状況を直前まで調べるか、諦めて日航で帰るか。そんなの、日航に決まってる。

でも、一応上司に報告。「すいません、全日空だと帰国便がキャンセル待ちで、今日現在でも駄目なんです。なので、日航で帰って良いですか?」上司は『何でそんな事聞くんだ?日航も全日空も一緒だろう?』という顔で「全日空のマイレージカードしか無いんですか?」と聞く。「いえ、日航も持ってますが。。。」「じゃ、別に日航でも良いんじゃない?一々私に聞く事じゃないでしょう。」「そうですね、じゃあ日航で帰ります。ありがとうございます。あ、それと日航のチケット代、全日空より1万バーツ以上高いんですけど、宜しくお願いします。」と応えたら、あっという顔をされた。まあ、ケチケチしなさんな。私の代休申請していない休日出勤分だけで、日本にあと2回は往復できるんだから。
2002年11月19日 01時14分19秒

11月5日(火)まだ駄目
今日の昼過ぎ、期待を込めて代理店に電話を掛けたが、まだ全日空は帰国便の席が取れない。あーあ。本当はチケットの発券って、出発日の1週間前に発券が原則なんだけど、この旅行代理店の担当女性、入社したばかりらしく、ものすごいポカミスをして、その弱みがあるので、出発ギリギリまで発券を待ってくれている。以前の担当者は、辞めたと言われた。自分の在タイ年数が長くなるにつれ、こういうケースが増えてきた。現地採用は責任感がない、長続きしない、雇っても何かあるとすぐ日本に帰ってしまう、というのはよく言われる事。だが、駐在員に比べて待遇が悪すぎるのも、長続きしない原因の一つじゃないかと思う。以前の担当者の、てきぱきした対応ぶりを思い出す。何故辞めたのか、日本に帰ったのか、もっと良い条件の職場に転職したのかは知らない。でも、あの仕事ぶりなら、どこに転職しても大丈夫だろうと思う。

知り合いの女性などは、2年間に8回もバンコクで転職した。知り合った1ヵ月後には、また会社を辞めたと言われた。どっか良い会社、知らない?と。うーん、それだけ転職を繰り返した女性を取引先に紹介するのは、ちょっと怖い。でもね。3万バーツレベルの給与で転職を繰り返すのは、本人に3万バーツの価値しか無いから上のレベルにいけないのか、単に現地採用の待遇が悪すぎるのか。多分、後者だろうなあ。
2002年11月19日 01時12分48秒

11月4日(月)全日空が満席〜!
朝、早速いつも使っている旅行代理店に電話して、北海道までのチケットの予約を頼んだ。結果は、全日空は帰りの成田ーバンコクだけ、キャンセル待ちという。日航は日程通り、全て予約出来たと言われたが、チケット代がなんと1万バーツ以上も違うのだ。全日空は、国際線と国内線を合わせて買うと、国内線が一律料金で大幅な割引が適用になる。私のように地方在住者には、非常にありがたい。だが、日航はそのサービスが無く、国内線の割引チケットは国内でしか販売していない。母に電話して買っておいて、と頼んでも、それを私に届ける手段は無い。時間も無いしね。だから、バンコクー成田ー北海道の往復は、全日空だと2万6千バーツ強(税込み)だが、日航だと3万7千バーツ強(税込み)となってしまう。1万バーツの差は大きい。例え、全額会社が払うとしても。年に1度は、国内線の電車・バス・タクシー代も含めて交通費は全て会社が出してくれる。ありがたやー。だからといって、仕事じゃないので、あまり高い費用では請求しずらい。ああ、なんて気の小さい私。代理店からは、明日の朝までに発券しなければ間に合わない、と言われる。それをあーだこーだごねて、発券を水曜日の午前中まで待ってもらう事にした。全日空のキャンセル状況を待つ為だ。それに、全日空の方が、乗り継ぎ便の待ち時間が少なくて、時間のロスも小さいしね。

今日から、また新しい運転手がきた。9月末に「来月辞めます」と言った前の運転手、本当は辞めて欲しくなかった。道はよく知っているし、運転も上手いし。それに、こちらに新しい運転手を探す時間を与える為に、辞める1ヶ月前に私に言ってきたのも偉い。彼はもう46歳。彼の前の運ちゃんは23歳で、とんでもなく子供だった。遅刻は多いわ、借金は多いわで、うんざりし切ったところで、スピードの出し過ぎで車が1回転する事故を起こしたので(事故はこれで2度目)その日でクビにし、代わりに派遣されたのが、この運転手だった。最初は、早朝出勤(朝の5時スタート)や深夜までの残業(帰宅が午前3時、でも朝はいつも通り6時15分スタート)という勤務時間に、46歳という年齢で勤まるのか不安で、運転手派遣契約をしているレンタル会社の社長(日本人)に、もっと若いのが欲しいと直談判したのだが、この運転手は大丈夫、いまだかつて派遣先とトラブルを起こした事がない、とにかく彼を使ってみて欲しい、責任は取るからまずは彼を、というので、渋々承知したのだが、彼の運転する車に乗って、すぐに前の運転手との違いに気付いた。とにかく上手いのだ。さすがに30年近くも運転手で食べてきただけの事はある。また、前の運転手と違って、お金がない、お金貸してと一言も言わないのも気に入った。だから、本当に辞めて欲しくなかった。実は彼で9人目の運ちゃんだった。私はタニヤで毎晩酒を飲まないし、週末もゴルフをしないので、基本給が異常に低く、残業代で稼ぐ運転手には、貧乏神のようなご主人様なのだ。だから、私の運転手になると判った時点で、すぐに辞めた運ちゃんもいた。最短で半日。9番目の前の運転手は5ヶ月勤めてくれたが、やはり辞めた理由は「残業代が少ないから」だった。

新しく来た運ちゃんは、31歳で11人目。10人目は3日間だけの繋ぎの運ちゃん。この11人目(名前はまだ知らない)の運ちゃんは、何ヶ月もつかなあ?
2002年11月19日 01時10分31秒

11月3日(日)2キロ減
朝起きて体重を量ったら、2キロ減っていたので、薬を飲むのを止めた。2日で2キロか。でも、これ以上は身体に悪いしね。食欲が抑えられれば、しばらくは大丈夫だろう。9ヶ月前、仕事が忙しくて身体を壊し、43キロになった頃に買ったワンピースは、45キロまでは着られた。ところが、タイの服ってメーカーによっては、表示サイズより小さめだから、46キロを超えた段階で、腰の辺りが窮屈で着られなくなってしまった。お気に入りのワンピースだったので、ショック。このワンピースが体型の基準って事だな。43キロの頃に久しぶりに会った友人から、不健康に見える、あと2キロくらい太った方が良いよ、と言われていた。あと2キロって、45キロ。私のベスト体重だ。彼女は鋭い。確かにあの頃は、仕事のストレスで、自分でも怖くなるほど、体重が減った時期だった。髪の毛もごっそり抜けた。ハゲには至らなかったが、パーマをかけに行く度に、美容師に「多いですねえ」とため息を吐かれるほど多かった髪は、大量に抜けて、髪留めで留めなくても広がらない・邪魔にならないほどになった。まあね、それはそれで良いんだけど。

今日は、月末棚卸の資料作成のため、休日出勤。でも、11時に家を出て12時に会社に入ったので、半日だけの出勤。だってね。日曜日にまで、6時15分に出発したくないや。
2002年11月19日 01時09分29秒

11月2日(土)安眠障害
朝、ものすごく早く目が覚めた。というか、昨日飲んだ薬の副作用。睡眠が浅くなるのだ。時計を見たら、まだ早朝4時。このダイエット薬は、穏やかな効き目の睡眠薬と、下剤(人によっては、便秘の副作用が出る人もいるらしい)の3つで1セットになっている。私に出る副作用は、便秘じゃなくて睡眠障害の方。寝覚めはやけにすっきりしているが、4時から起きる気はしないので、なんとか寝ようと努力する。やっといつも通り、5時50分に目覚ましが鳴り、ベッドから起き出す。

会社に行く前に、また薬を1個飲む。本当は、夜も別の薬を飲まなきゃいけないのだが、私には効き過ぎるので、この薬に頼る時は、朝しか飲まない。会社に着いて、社食でいつも通りにタイ飯の朝食。朝はまだ薬が効き始める前なのか、食欲があってたくさん食べられる。昼はまた、全然おなかが空かないので、ご飯を半分に減らし、おかずも1品だけにする。昨日と同じ量。でも、お腹が空かないのでこれで充分。夕方5時の20分の休み時間。いつもなら、麺類や揚げ物の軽い軽食を取るのだが、昨日も今日もお腹が空かないので、パス。夜もお腹が空かないので、お陰でやっとケーキやアイスクリームの誘惑から開放された。食べなきゃ身体がもたないので、軽めにフルーツとたっぷりの水を取る。お腹が空かないから、と食べないと、逆に代謝が悪くなって、体重は減らないのだ。きちんと食べて、でも少なめに。そして間食をしない。基本的な事なんだけど、それが難しいのだ。

増加する一方の体重とは別に、疲労感が一向に抜けないので、一度日本に帰ろう!と思い立った。考えてみれば、今年は何度も一時帰国願いが却下された。4月、5月、8月。それぞれ忙しい事を理由に「11月頃まで我慢して下さい」と言われ続けた。今、11月じゃん。来週の週末から帰ろう。第一、同僚男性達は、実家の稲刈りとか、タイに来る前に建てた家への引越し(奥さん1人じゃ出来ないとか)って理由で、6月や9月に1週間一時帰国している。そうか、ただ一時帰国したい、じゃ駄目なんだ。稲刈りが一時帰国の理由に認められるなら、私はそうね、法事にしよう。これ、実は本当なの。母から電話で言われていたのだ。よし、と今日のお昼前、有無を言わさず上司に「法事があるので、来週金曜日の夜便で帰ります。」と言った。言い切ったぞ!上司の反応。「法事?良いけど、飛行機取れたの?」あああああ、忘れてた。家は北海道。飛行機を成田ー羽田で乗り継がなきゃいけないのだ。早く代理店に電話しなきゃ。あ、今日は土曜日。もう間に合わない。と、頭の中はパニクるも、平然と「はい、大丈夫です。」と応えておいた。この機会を逃したら、次は来年まで帰れないもんね。来週は忘れずに代理店に電話しなきゃ。
2002年11月19日 01時08分13秒

11月1日ダイエット開始
夕べ、体重計に久しぶりに乗って、針が限りなく47キロに近い点を指している事に、ショックを受けた。本当に、ショックだった。なので、今朝は会社に行く前に、ピムが買って来てくれた、食欲を抑える薬を飲んだ。この薬は、効き過ぎて病院に運ばれる人も多いらしい。一月平均で8キロは痩せるらしい。私の場合、3キロ前後落とせば良いので、2〜3日しか続けて飲まないようにしている。さて、今日半年ぶりにこの薬を飲む。結果はいかに?

朝食は普通に会社のキャンティーンで食べた。が、昼食時は全然お腹が空かない。やけに喉が渇くので、水を大量に飲む。当然、トイレが近くなる。また水を飲む、トイレに行くを何度か繰り返した。夜もお腹が空かないので、チェリートマト1パックだけ食べた。これを食べると、お通じが良くなるのだ。明日の朝が、楽しみである。
2002年11月07日 02時21分25秒

10月31日デブ一直線か?!
朝、会社に行って靴を履き替えようとして、サンダルが昨日壊れて、捨てた事を思い出した。まあね、通勤時もサンダルだし。でも、通勤時のサンダルは、ヒールが高くてちょっとおしゃれな奴。オフィス用のサンダルは、底がぺたんとした走り回りやすいサンダル。でも、このオフィス用のサンダルを買うのをすっかり忘れていたんで、今日は通勤用のサンダルを履き続けるはめに。

昼過ぎに、ビーがビニール袋を下げて、机にやってきた。これ、どうぞ、と袋から取り出したのは、なんとビーチサンダル!!午前中に配送に出た運転手に、途中で買いに行かせたようだ。ビーは大卒なのに、本当に細かいところに気が効く。昨日、私の机横のゴミ箱に捨てらていた汚いサンダルと、今朝はヒールの高いサンダルを履いているのとで、サンダルが壊れたけれど、買い忘れたと気が付いたようだ。この細やかな気遣いを、デリバリーコントロールにも発揮してくれたら、仕事が楽になるんだけど。最初は、サンダルのお金を受け取ろうとしなかったが、お金を取らないなら要らない、と言ったら、やっと値段を教えてくれた。

タイ人スタッフって、日本人とは気遣いの仕方が違う。日本人は、会社に付くといわれる。社名にステータスを感じて会社を選ぶのが、その顕著な例だ。でもタイ人は、社名よりも人に付く。サヌック・サバーイ・サドゥアック(楽しい・気楽・便利)な職場であれば、社名や会社の規模には拘らない。楽しい仲間と優しい上司がいて、お給料が高ければそれで良い。あ、私もそうだな。

1年以上も気付かなかったのだが、ビーと他のスタッフが交代で、椅子にかけて帰る私の制服の上着を、月に1度、洗濯してくれていた。私は、月曜日に新しい制服を持ってきて、代わりに今まで着ていた奴を持って帰る。朝は彼女達より早く出社し、帰りは彼女達が帰ってからオフィスを出るので、彼女達は、私が制服を毎週ちゃんと取り替えている事に、気付かなかったのだ。もし私が男性なら、俺の制服をこっそり洗ってくれるなんて、この子は俺に気があるんじゃないか、と誤解したと思う。実際、誤解から不倫になるケースもあると思う。相手の女の子がその気になった場合だけど。

彼女達が交代で私の制服を洗っているのに気が付いた日、ビー達に、メイドが洗ってくれるから、私の制服は洗わなくて良いからね、と言っておいた。彼女達は、会社の仕事をして給料をもらっている。私の個人的用事をする為じゃない。でも、タイ人って人の世話を焼くのが好きみたいで、今後は洗わなくても良いと告げたら、ちょっと悲しそうな顔をされた。えーと、私はそんなに優しい上司じゃないんですけど。よく怒鳴るし。

今日も甘いもの症候群。帰宅途中にフジスーパーに寄って、「サンタの作りたて工房」という日系のお菓子屋さん製のシュークリームを5つ買って帰り、全部食べてしまった。不二家のシュークリームの半値で小さいから、つい食べ過ぎちゃう。まずい、非常にまずい。寝る前に恐る恐る体重計に乗ったら、針は何と限りなく47キロの近くを指しているではないか!158センチで47キロは、危ない。まずい。何とかせねば。。。
2002年11月07日 02時13分45秒

10
2002年11月07日 02時08分55秒

10月30日(水)誕生日
今日は誕生日だった。つーか、最近の体調不良で忘れていたんだけど、親切な読者さんが誕生日のE-Cardを送ってくれて、そうだったんだ、と気が付いた。そのメール、最初は件名が文字化けしてて、しかも添付ファイルも付いていたから、てっきりウィルスだと思って削除したんだけど、ファイルのサイズがウィルスとは違うし、それに送られたメールアドレスは、HPにしか使ってないやつ。ウィルスじゃないかも、と慌ててゴミ箱に拾いにいったら、誕生日のカードで、やっと自分の誕生日に気が付いた。何歳になったかというと、ふっふっふ、韓国で男性たちがみんな親切だった訳はね、みんな、私を28歳だと誤解していたからさ。後で聞いて、びっくり仰天。出張した時は、気合入れて化粧したからなあ。女は化けるのよ。だから、実年齢なんて、関係ないのさ。ふっ。

シンガポールの友人からも、誕生日おめでとうのメールが届く。でも、これは強制的に私が言わせた。

今日、オフィス内で履いているサンダルが、とうとう壊れて、履けなくなった。甲の部分がパカッと剥がれてしまったのだ。3年半履いたサンダル。さようならー。
2002年11月04日 00時23分51秒

10月29日(火)会社を休む
朝、起きたらひどい立ち眩み。なんとかシャワーを浴びて、会社に行く支度をするも、頭もガンガン。変だなあ、昨日はアイスクリームはたくさん食べたけど、お酒は一滴も飲んでいない。酒が切れたから、頭痛かするとか?まさかね、それじゃアル中だよ。わたしゃ、そこまでオチてないぞ。熱を計ったら、なーぜでしょ、風邪でも無いのに38度もあるじゃない。きっと、知恵熱ね。という事で、上司の携帯に電話を入れて、休みを貰う事にした。それから、ベッドに戻る。でも、変なの。さっきまであんなに具合悪かったのに、会社を休む事になったら、なんだか寝ている時間がもったいなく感じる。熱がなきゃ、こっそりデパートにでもショッピングに行くのに、熱があるせいか、身体がだるい。残念。でも、おなかが空かないので、昼過ぎまで寝ていた。

汗をかいて寝たのが良かったのか、夕方になって熱が下がる。そこで、フジスーパーに買い物に行った。で、買ったのは、ハーゲンダッツのマンゴーシャーベット。ノンファットだから、昨日のドリアンアイスよりは健康的だと思うな。で、これも500cc全部食べきってしまった。誘惑に負けやすい性格なんだなあ。でも、固形物は食べたくないのだ。
2002年11月04日 00時13分11秒

10月28日(月)
参ったなー。本格的に体調不良だ。おまけに、食欲が変なのだ。やけに甘いものが食べたくてたまらない。まあね、酸っぱいものが欲しくなるよりは、安全といえよう。いやいや、そんな問題ではない。この倦怠感と甘いものへの渇望をなんとかせねば。。。

夜、帰宅途中にフジスーパーに寄って、ドリアンアイスクリーム1パック(500cc)を購入、少し食べるつもりが途中で止められず、全部食べきってしまった。500cc全部だよ。おかげで、晩ご飯は食べる気にならなかった。当たり前だよね。
2002年11月04日 00時03分49秒

10月27日(日)ハプニングは楽しい
今朝はチェックアウト前、10時にボディーマッサージの予約を入れていたので、8時半に起きて朝食を取り、荷造りを済ませてから、スパに行った。このマッサージ、結構良かった。昨日は、実は疲れていた為に熟睡してしまい、マッサージが良かったか悪かったか、何も覚えていないのだ。でも、今日のボディーオイルマッサージは良かった。でも、バンコクで受けるマッサージの方が、テクニック的には上だと思った。

マッサージを終えて、急いでチェックアウト。空港に着いたのは12時ジャスト。飛行機は13時5分発。なんだか、いつもギリギリだなあ。通路側の座席を指定したのだが、すでに一杯で無いとの事。だったら、出来るだけ出口に近い席に、とお願いしたら、38の席をもらった。やったね。

免税店は素通りし、早めにゲートに行く。そこでボーディングチケットをふと見たら、なんと私の名前じゃない!!いつもは、ボーディングチケットのゲート番号しかチェックしないのに、その時はムシが知らせたとでも言おうか。本当に、ふっと見たのだ。オノダさんになっている。しかもこれ、ミスターじゃん。全然違うよ。ゲートのカウンターにいた係員に、名前が違うとパスポートを見せながら言うと、慌ててチェックすると言ってくれた。どうせ、通路側の席はないんだし、これでずっと後ろの席に廻されたのでは、適わないと思い、チェックインカウンターで交渉して、入り口近くの38にしてもらったと説明しておいた。20分ほどして、大変失礼しました、と言って渡された新しい座席番号は32のA。さきのより、ずっと入り口に近い。さてさて、飛行機に乗り込んだら、この席は入り口から2列目だった。荷物を座席の下に入れて、ほっと一息ついたら、白人のおっさんからそこは自分の席だと言われた。彼の差し出したチケットは、プリントされたもので、確かに32のA。私のはカウンターの係員が手書きした32のA。自分の席だと言い張るには、ちょっと弱い。スチュワーデスを呼んで、対処してもらった。結局私は、32のBで落ち着いた。

なーんかハプニング続きだったけど、楽しい経験ね。バンコクについたら、何故か熱が出てきた。早く寝なきゃ。
2002年10月29日 23時09分48秒

10月26日(土)ゴージャスにシンガポール
7時40分発のフライトなので、運転手に6時に迎えに来させた。ところが、シャワーを浴びたりぐずぐずしているうちに、気づいたら6時半過ぎ。慌てて、家を出た。空港に着いてチェックインしたのは、既に7時5分過ぎ。でも、空いていたので問題無し。席も自由に選べた。

実は、シンガポール航空を利用するのは、初めてなのだ。過去のシンガ出張は、すべてタイ航空を使っていたから。噂に聞くシンガポール航空のサービスと機内食。ドキドキだね。機内は異常に寒く、毛布をもらってもまだ寒かった。機内食は、うーん、普通かな。意外なんだけど、タイ航空の機内食は、結構うまいんだな。少なくとも、噂に聞こえたシンガポール航空の機内食より、おいしいと思った。シンガポール航空の機内食は、トレイが大きいので、カップや使わないナイフ等を置く場所に困らず、これは便利だと思った。そういえば、911のテロの後、機内食に供されるナイフは、プラスチック製に変えたところが多かったのだが、シンガポール航空の場合、いつも通りのナイフだった。実は、ナイフだけプラスチックに変えても、意味がないなあって思っていた。だって、フォークの方が先がとがっている分、よっぽど凶器になるからね。

12時ちょっと前にホテルにチェックイン。ノンスモーキングの部屋は、とっても綺麗で広かった。バスルームも、バスタブとウォークインシャワーと別れていて、デラックス。窓の外にはバルコニーもあり、景色は最高。とてもリッチな気分に浸れる5つ星だ。シンガポールには、フルトンという6つ星ホテルがあるが、マーチャントコートでも良いじゃん、と思った。ホテルの横には川が流れ、そのほとりにはレストランやパブがたくさんあり、まるでセーヌやヴェニスの運河のほとりを思い出させる。シンガポールって、ほんと、アジアって気がしない。とにかく多国籍の無国籍といった印象だ。

12時半きっちりに友人が迎えに来る。マーライオンが見たいと言っておいたので、マーライオン近くのレストランでランチだ。しかも、バクテ(肉骨茶)というシンガポール華僑のスープも飲みたいとのりクエストにも応えられるよう、ファーストフードっぽい中華レストラン。味は、よかった。バクテって、本当においしい。その後、友人はサッカーをやっているので、2時半から試合があるという。対戦相手を聞いたら、イングランド。絶対負けるよ、と言ったら、いや、絶対勝つと宣言された。まあね。恋人でもない男の出る試合。このクソ暑い炎天下、応援する気は無かったので、友人がサッカーの試合をしている間、私はホテルのスパで、マッサージ三昧と決め込んだ。夜は7時にピックアップに来てくれるというので、それまでスパでゆっくりのんびり過ごす。

7時きっちりに迎えに来た。本当に、感心するくらい、時間に正確だ。タイにいると、日本人でも時間がいい加減になってしまう。これは、反省。夕食は、色んなチョイスがあったが、ブカラというインディアンレストランへ。ブカラって、インドに本店があり、タイにもブランチがあった。ここの味、私は好きなんだな。食後は、ボートツアーへ。ボートから見るシンガポールの夜景は、ため息の出るほど、美しい。なんだか、セーヌのボートツアーを思い出した。つまり、それほど両岸の風景が、アジアっぽくないのだ。マーライオンの周りをボートで1周したのが、圧巻だった。素晴らしい。ボートツアーの後は、シャングリラホテルの最上階にあるバーへ。そこの夜景が最高なのだとか。とにかく、色々と私を連れて行く場所の計画を立ててくれたようで、感謝感激。シャングリラの車寄せにタクシーで乗り付けて、おやっと思った。バンコクのシャングリラとほぼ同じ造りだ。中に入って、気分はすっかりバンコクに飛んだ。だって、ロビーの雰囲気とか同じなんだもの。シャングリラは、どこの国でも同じような設計なのだと、友人が教えてくれた。最上階のバーからの夜景は、ため息が出るほどに美しかった。今晩は、何回ため息をつくのやら。今までの所、全て友人が払っているので、ここは私が払うと言ったのだが、払わせてくれなかった。男のプライドって奴ですか?確かに、友人の方がはるかに年収は高い。副業もしているし。でも、全て払ってもらうのは、正直言ってちょっと居心地が悪かった。

お次はチャイナタウン。驚いた。さっきからずっと、シンガポールにはアジアを感じないと思っていたのだが、ここはコテコテのアジアだった。しかも、雰囲気がとっても良い。綺麗に改築された中国式の建物の1階に、イタリアンやフレンチレストランがオープンしており、それがしっくりと馴染んでいるのだ。シンガポールに来て、やっとアジアを発見した気になった。このチャイナタウンに連れて来てくれた友人には、大感謝だ。そうでなければ、シンガポールはアジアを忘れ、欧米に魂を売り渡したと誤解したまま、帰国した事だろう。チャイナタウンからホテルまでは、ぶらぶら歩いて戻った。思いがけず、楽しい1日だった。
2002年10月29日 23時03分50秒

10月25日(金)ババアと実感する
明日は、シンガポールだ。それだけを楽しみに、仕事をこなす。なんでこんなに、次から次へと問題が起こるの?しかも、信頼して倉庫を任せていた女性が、突然辞めてしまった。勘弁してよ。最近、ずっと忙しくしていたから、まともにスタッフと話をする機会が無かった。それもあるだろう。ローカルスタッフが何を考え、何を望んでいるのか、理解してやるのも私の仕事。なのに、全然話をしていなかった。反省。倉庫の責任者だったスタッフの家に電話をかけさせ、説得を試みる。とりあえず、明日土曜日に来る事になった。私は出社しないけど。大丈夫かしら。本当に、来るかなあ。

8時頃帰宅し、サウナに直行。色んなものを、汗と一緒に洗い流したい気分だ。それから、ゆっくりアロマエッセンス入りのお風呂に入る。肩も背中も痛い。参ったなあ。すっかりババアだよ。
2002年10月29日 23時04分01秒

10月24日(木)L氏と再び
韓国でお世話になったL氏が今日、タイに出張で来る。昼過ぎに到着予定。空港ピックアップは、同じグループメーカーのタイ会社がアレンジしているとの事で、うちは午後からの簡単な観光と、下請のT氏も交えて、夕食を一緒にという事になった。昼到着のフライトだから、ホテルへのチェックインは1時過ぎ。なので、2時にホテルロビーで待ち合わせる事にし、12時過ぎに会社を出た。うちからL氏が宿泊するホテルまでは、車で5分ほどなので、最初に家に帰る。コーヒーを飲んでちょっと休息して、ホテルに行ったら、まだチェックインしていないという。2時半過ぎに、ようやくL氏から携帯に電話が入った。飛行機が遅れ、今空港だという。これから迎えの車に乗って、ホテルに向かうとの事だったので、5時にロビーで会う事にして、また家に戻った。近くて良かった。4時にホテルに行き、ロビーからお部屋に電話を入れる。今度は、ちゃんとチェックインしていた。少し、ロビーバーで飲んで、それからエンポリアムデパートとその隣りにあるリボンバックの専門店に案内する。奥さんと大学生の2人の娘さんのお土産用だ。6時半に下請のT氏がロビーに来ることになっていたが、雨のためひどい渋滞で、遅くなりそうとの電話が入る。ので、先にレストランに行く事に。

レストランは、ソイ33にあるオムトンというタイ料理のお店。まるでフランス料理かイタリアンのような雰囲気のレストランだ。クラシックな中にもモダンテーストがちりばめられた、おしゃれな内装で、タイ料理を希望するお客さんの接待には、満足してもらえそうだ。料理もとてもおいしく、また、グラス売りしているワインも、とってもおいしくて、おもわずボトルを見せてもらったほど。1時間ほど遅れて、T氏も到着。彼はタイ人だが、このレストランはおいしい、と言って、ライスをおかわりしていた。8時過ぎに、T氏お薦めのカラオケラウンジへ。へー、スクムビットにもこんなに広くて高級そうなカラオケラウンジがあったんだ。

まず、個室に案内され、T氏のボトルが出される。それから、お決まりの女の子の品定め。そのお店でまだ客がついていない女性、20人ほどがワイをしながら入ってきた。個室は、一気に女の子で溢れ返ってしまう。L氏は恥かしがって、なかなか選ぼうとしない。やっと、目があってしまったという理由で、ちょうど彼の真向かいに立った女の子を恥かしそうに指名した。ここは、タイ人が接待で使うラウンジなのか、日本人が好みそうな女性はいない。というか、化粧とドレスと若さでごまかされそうだが、女性のレベルはタニヤほど高くはない、というのが、並んだ女性達を見た最初の感想だった。でも、L氏はそんな事はわからないだろう。タイは2度目で、タニヤは行った事がないそうだから。L氏がやっと女の子を選んだので、私はお役ご免にしてもらい、1曲だけ歌って、その場を辞した。後は、好きにやってちょ。
2002年10月29日 23時02分47秒

10月23日(水)お休みだよ
今日は、タイは休日だ。うれしい。ゆっくり休んで、早くこの倦怠感から抜け出さなければ。
2002年10月29日 23時00分18秒

10月22日(火)まだ駄目
今日も、疲れが抜けていない。まずい、なんとかしなきゃ。確実に歳を取ってしまったって事なんだろう。もう、以前のように無理はきかない。明日は、会社がお休みの日。それを楽しみに、なんとか今日一日を頑張ろう。

先週の月曜日、夜に家で適当にネット検索していたら、シンガポールのマーチャントコートホテルで、癒しパッケージがあるのを見つけた。5つ星ホテルのスパで、2つのマッサージが受けられるパッケージ。朝食込み、アーリーチェックイン・レイトチェックアウトも可能らしい。こりゃあ、良いや。しかも、料金もシンドルで199++とお手ごろ。航空券は、今回の出張手当で買えるし。さっそくシンガポール駐在の友人に連絡をして、週末空いているかどうか聞いくと、今日、日曜日は夕方5時からマレーシアに出張するが、それまではフリーとの返事がきた。よしよし、週末はシンガポールで遊ぼう。気分転換でもしなきゃ、やってられない。
2002年10月29日 22時58分01秒

10月21日(月)会社を辞めたくなった日
どうしたんだろう。まだ、疲れが抜けない。仕事に全然集中できない。しかも、頭がふらふらする。酒が抜け切っていないとか。まさかね。でも、自分の中で何かがポキッと折れてしまったような気がする。やる気が出ないのだ。そうこうするうちにも、色んな客先クレームは溜まっていく。韓国やフィリピンの客先とは、トレーディング関係のお付き合いだが、うちの本業は製造業。その本業の方で、クレームがどんどん溜まっていく。急いで決断しなきゃいけないケースが、どんどん溜まっていく。

もう、こんな分刻みで胃が痛くなる仕事は駄目。心底、疲れてしまった。どんなに仕事で成果をあげても、感謝の言葉もねぎらいの言葉も無く、昇給は凍結され、ボーナスは3年連続で無し。キャリアとか追い求める気はサラサラ無いのよ。ただ、日々を精一杯生きるだけ。でも、人間だもの。たまには、よくやったとか、誰かに誉めてもらいたい。これだけやったら、ボーナス出しますよって、鼻先ににんじんぶらさげて欲しい。やって当たり前、給料払ってやってるだろう、リストラされないだけでも、ありがたいと思え。今年の5月に、上の人間から言われた言葉だ。リストラ。この言葉をいわれると、弱い。

ああ、仕事を辞めたい。誰か、仕事下さい。
2002年10月29日 22時56分40秒

10月20日(日)寝るだけ
疲れた。何もしたくないほど、疲れた。
2002年10月29日 22時48分08秒

10月19日(土)再び長〜〜い1日
9時にモーニングコールを頼んでいたので、なんとかベッドから抜け出し、また熱いシャワーを5分以上肩から打たせ湯状態で浴び(これ、とってもリラックス出来る)着替えて1階の食堂へ。その前に、ちゃんとトイレでお仕事。普通、旅行に出ると、それが海外でも国内でも、必ず詰まって便秘になるのだが、今朝はすっきり。夕べ、焼肉を食べる時、L氏から韓国式だと教えてもらった通り、手の平大の大きさのレタスの上にシソの葉を1枚置き、そこにさっとタレにくぐらせた焼肉を乗せ、刻んだニンニクとライムを一かけらを乗せ、味噌状のタレをちょっと置いて、葉っぱで巻いて食べたのだ。これ、結構気に入ったので、その後ずっと焼肉はレタスとシソの葉で巻いて食べた。野菜をたっぷり採ったのが、良かったようだ。タイで焼肉を食べると翌朝、胸焼けに悩まされたものだが、それも無い。恐るべし、野菜パワー。

食堂の朝食は、ご飯と味噌汁とキムチだけで済ませた。このホテルのキムチは、昨日客先工場のキャンティーンで食べたキムチより、味が濃い。私はもうちょっと酸味がある方が好きだなあ。ところで、昨日も思ったのだが、どうして韓国のコーヒーはおいしいのだろう。もちろん、韓国でコーヒー豆が取れる訳がないから、どっかから輸入しているんだろうけど、工場で出されたコーヒーも、ホテルの朝食に出たコーヒーも、とにかく美味しかった。味は一緒だったので、同じところから輸入された豆だろう。是非、この豆を知りたいと思った。

ホテルから釜山空港までの車は、夕べのうちにL氏が手配してくれ、2時出発なので、それまで部屋でゆっくり寝ていよう、と思ったら、10時にL氏から電話が。ロビーにいるから、これから一緒に朝食を、と誘われる。もう、ホテルで食べたと言ったが、特別な朝食だからと誘われ、断るのも悪いので、ロビーにおりた。T氏も、眠そうな顔で下りてきた。聞けば、昨晩は2時まで飲んだとか。しかも、ウィスキー3本を空けたらしい。飲みすぎだよ、それ。ホテルのレストランで朝食かと思ったら、車に乗せられ、どこかに連れて行かれた。飲みすぎた翌朝にはよく効くという、ふぐ鍋の店らしい。高級だなあ。でも、ふぐより鮭の方が好きなんだけど。そのお店で突き出しに出されたキムチは、あっさりした白キムチで、涙が出るほどおいしかった。ふぐはいらないから、この白キムチと熱々ご飯と味噌汁に、お茶が欲しい。この朝食は、L氏からの奢りだった。良いのかなあ。T氏はすっかり恐縮してしまっている。

朝食の後は、市内を車で案内してくれた。この街は、眼前に海、後ろには山があり、私の故郷・函館に似ている。山の方には、高層アパートが建っており、景色は良いだろうなあ、さぞかし家賃は高いだろうと思ったら、L氏曰く、下りるのに不便だから、山にあるアパートは以前は平地よりも安かった。でも、香港の情報が入ってきて、「景色」というものがお金になると判ってからは、家賃が上がったそうだ。面白いなあと思った。最初は海の方にドライブし、それから山に車で登れるところまで上がった。車を降りて、少し登山用の道を歩くと、映画に出てきそうな、風情あるお寺があった。いいなあ、この感じ。バンコクも大好きなんだけど、車の排気ガスや騒音、24時間眠らないエキサイティングな街に、ちょっと疲れていたのかも知れない。静寂な山、澄んだ空気、ひっそりと佇むお寺。なんだか、自分が癒されていくように感じた。

12時半にホテルに戻り、L氏に最後のお礼を言って別れた。韓国の人って、集団だとナショナリズムが強くなって怖いけど、個々人は気持ちが熱いんだなあ。

釜山の空港は2つ隣接してあり、私は国際線空港(ソウルのイチョン国際空港に直行できる)で、T氏は国内線空港(ソウルのギンポ国内線専用空港へ、それからイチョン国際空港に移動)なので、ここから別々に帰国となった。お疲れ様。

ソウルーバンコクの飛行機は、昨日のよりは新しかったけれど、座席の座り心地はあまり改善されていない。でも、機内食は朝食よりははるかにマシだった。ワインもおいしかったしね。

深夜にバンコク着。運転手が私の顔を見て、ぎょっとする。多分、疲れてひどい顔だったと思う。何も言わずに私の手からバックを受け取ると、車を出口まで廻すから、ここで待っていてと言われた。いつもは駐車場まで一緒に下りて、かなり歩いて車のところまでいくのだ。

12時半に家に着いた。疲れた。
2002年10月29日 22時44分32秒

10月18日(金)韓国は人情が熱かった
ほとんど眠れない内に、朝がきた。座席が固くて、しかも座り心地が悪く、全然眠れなかった。スチュワーデスは、みんな韓国語で話し掛けてくる。まあね。日本人と韓国人は似てるからね。朝食サービスの時にも、韓国語でミールのチョイスを聞かれたので、無表情のまま(だって疲れてたんだもん)肩をすくめたら、あっと気づいたようで、英語で言い直してきた。でも、韓国語の発音のまま、英語を話すので、彼女が何を言っているのか、全然理解できなかった。とにかく、パンやオムレツではなく、米のご飯が食べたかったので、ライスが欲しいというと、沢庵キムチっぽいお漬物と一緒に、パック入りのお米がトレーに乗って出てきた。お米だよ、本当に。次にフィッシュかヌードルかを聞かれたが、食べたくなかったので、ノーサンキューと言ったつもりだったのだが、スチュワーデスは問答無用にヌードルをトレーの上に置いていった。ヌードルって。。。カップヌードルじゃん。辛という字の書かれているカップヌードル。バンコクにも売っていて、結構好きな銘柄のカップ麺だが、朝からこんなものは食いたくない。無視して、ご飯とお漬物だけで朝食を済ませた。

9時に釜山着。入国審査を終えて到着ロビーに出ると、客先が手配してくれたお迎えの人が待っていた。女性で良かったとしみじみ思った瞬間だ。というのも、今年3月に上司が初めて韓国に出張した時は、釜山空港からホテルまで車の手配を依頼したら、空港からバスが出ているからそれに乗って下さい、と冷たくあしらわれた経緯があったから。今回、私が行くと知らせたら、女性が来るのは大変でしょうと言って、頼みもしないのに、客先の方で車を手配してくれたのだ。ありがたい。別の飛行機で遅れて到着するダイレクターは、当然バス。客先は釜山ではなく、車で1時間ほど離れた別の市にあるのだ。

下請工場のダイレクター、T氏には、ホテルで僕が到着するまで待ってて下さい、一緒に客先工場に入りましょう、と言われていたのだが、ホテルにチェックインすると同時に、フロント女性が客先工場の担当者のL氏に電話を入れて私の到着を告げ、L氏から一緒に昼食をと誘われたので、ダイレクターのT氏には置手紙を残して、一足先に客先工場へ。この車の手配も、L氏がやってくれた。ありがたいのお。

工場に着いて、キャンティーンで一緒に昼ご飯を食べた。キムチが美味しい!この工場では、部長も課長も平も、みんな一緒にキャンティーンで食べるようで、座席は空いているところにさっと座り、食べ終わったら次の人のためにさっと立つ。なんたって、3千人が一緒に食べるのだ。圧巻だ。我々も空いている席を見つけて食べ始めた。キムチが美味い!!ご飯とキムチだけで充分なのに、おかずの豚とイカの炒め物もおいしい。隣りにいたおじさんが、韓国は初めてですかと日本語で話し掛けてきたので、初めてですと答えると、韓国の感想を聞かれたので、キムチがとってもおいしいと答えたら、ではお土産に持たせましょう、といわれた。社交辞令と受け止めて、ありがとうと答えておいた。

さて、1時過ぎ。下請のダイレクター・T氏も到着したので、品管のある第2工場に向けて出発。そこで今回の不良対策会議があるのだ。でも、おいしいキムチに満足、おまけに担当者のL氏も会議に同席してくれるというので、すっかり大船に乗った気分。案ずるより生むが易しとはまさにこの事で、前回、上司が直面した机バンバンで怒鳴りまくられ、という場面にはならず、怖いと聞かされていた品管課長のK氏も、ニコニコ笑顔で、おまけに不良によるダメージへの請求も、今回はチャージなしという事で落ち着いた。こんなに簡単に事が運んで、良いのかしらん???

会議の内容をまとめたメモを、上司宛てにファックスして、4時半には全ての仕事が終了。L氏から、彼の部下のJさんに案内させるから、ホテル近くのデパートでショッピングしたらよい、と勧められ、お言葉に甘えていったんホテルに戻る事に。と、Jさんが、客先のロゴ入りの袋を持ってきた。総務部長からのお土産だという。キムチだった!キャンティーンで隣りに座ったおじさんは、総務部長さんだったのだ。韓国の人って、熱いとは聞いていたけど、気持ちが熱いんだなあ。とってもうれしかった。

ホテル近くのデパートでは、明太子(安い!!)と韓国のり(激うま)とインスタントヌードルを買った。で、6時半にホテルロビーに迎えに来たL氏と、Jさんと下請のT氏と4人で、牛肉専門の焼肉屋へ。うまかった。でも、疲れた。この一連の不良騒動で、1週間ほどよく眠れなかった上に、夕べは一睡もしていない。早くホテルに戻って寝たいけれど、韓国式接待は凄まじい。何杯飲んだか覚えていないほど飲んだ。で、次はホテル近くのカラオケ屋へ。でも、最初に1曲だけ歌い、後はソファで寝てしまった。普段はあまり飲まないというJさんも、隣りで寝ている。で、女性2人はもう沈没との事で、お開きとなり、まずJさんがタクシーに乗るのを見送り、次に私がホテルの部屋に戻り、後はL氏とT氏で飲みに行ったようだ。部屋に戻り、熱いシャワーを5分以上ただボーッと打たせ湯のように肩から浴び、ベッドに直行した。
2002年10月29日 22時42分43秒

10月17日(木)長〜〜い1日
今日は、ナコンパトムにある下請工場に、明日の韓国での会議の打ち合わせに行く予定だったが、同行するダイレクターの方が、来ると言う。夕べは、飛行機が遅れてマニラに缶詰状態で、明け方3時にバンコクに到着した、と上司から聞いていたので、疲れているはず。それでまた、今日の深夜、韓国に向けて出発しなければならないのは、いくら不良を出した責任があるとはいえ、ちょっと可哀想だと思った。うちは、フィリピンから戻ったばかりで疲れている上司の代わりに、私が韓国に飛ぶが、彼の会社では、不良対策で他国に飛べるのは、営業の彼しかいない。

2時過ぎに到着した彼と、韓国での会議内容を打ち合わせ、説明して良い事と、聞かれるまでは話さない方が良い事を、一つ一つ確認し、2時間ほどで彼はナコンパトムに戻っていった。後は、明日の朝、客先が予約してくれたホテルで落ち合うだけ。

私は大韓航空で行くが、彼は国際線はタイ航空、ソウルー釜山の国内線は大韓航空使用だ。往復ソウル乗り継ぎ。しかも、成田−羽田のように、国際線と国内線の空港が離れているらしく、結構不便だ。私の場合、行きはバンコクー釜山の直行便、帰りはソウル経由だが、往復共に大韓航空使用なので、釜山からソウルの国際線空港直行で、移動に掛かる時間は、極力抑えた。つまり、ダイレクターの方が、タイ航空使用を大前提にしているので、移動にひたすら時間がかかるのだ。

今日はいつも通り、夜8時半に帰宅。飛行機は深夜2時発。最初は、ベッドで仮眠を取ろうかとも思ったが、熟睡して飛行機に乗り遅れるのが怖かったので、まずはサウナに行ってリラックス。それから、荷造りし、11時半過ぎに家を出て空港へ。深夜2時まで待つのは辛かったが、仕方無い。

やっと飛行機に乗り込んだ。大韓航空って9年ぶりに乗ったが、釜山への直行便に使用される機体は古く、座席は座り心地がとても悪い。こんな座席に5時間半も座ってなきゃならないなんて。。。
2002年10月29日 22時40分54秒

10月16日(水)絶対絶命か?
朝から何度も、上司から電話が入る。事態が昨日の楽観的モードから一転して、先行き不透明な危機的状況に逆戻りしたというのだ。

下請の出すデータの裏付けを取る為、客先も認定機関に、禁止された環境関連物質が使用されているかどうか、その含有量の測定依頼をしたらしい。その結果が、上司&下請が不良再発防止のプレゼンを行う今朝早くに、出たらしい。なんと許容値の8倍のカドミウムが見つかってしまった。ああ、カドミウム。またお前かよ。でもね、製造ロット番号を聞いたら、うちが不良だと断定したロットじゃない。そりゃ、高い数値が出るわな。

まずは、フィリピンにある在庫全てを代替する事になった。そりゃそうだ。で、フィリピン国外に出てしまった製品を、市場回収するかどうかの決断は、韓国の客先の判断に委ねられる事になったらしい。え、ちょっと待って。だって、私の韓国出張は、単なる不良のお詫びと挨拶だけじゃなかったの?え、プレゼンするの?え?話がなんだか大きくなってない?え?え?え?勘弁してよー。

因みにフィリピンの客先は、この家電メーカーにとっては、子会社筆頭の位置付けだが、韓国の客先は、そのメーカーの名前を社名に冠する、もろ親グループの一員だ。ああああ、胃が痛いなあ。上司が行けば良いのに。だって、日本出張は来週に延期されたじゃない、だったら自分で出張すれば良いのにね。ああ、ため息。

夜6時頃、上司から電話が入る。え、何でまだ飛行機に乗ってないの?と聞くと、飛行機が遅れてもう6時間もマニラの空港にいるという。今晩何時にバンコクに着くか判らないので、明日は重役出勤させて欲しい、だって。全く甘ちゃんだねえ、うちのジュニアは。で、電話を切る前に、韓国には気を付けて行くように、心配だと何度も言われる。あのですね、昨日マニラのホテルから、担当者の携帯に電話が繋がらないと泣きの電話を掛けてきたあなたにだけは、心配されたくないんですけど。それに、私の事をうるさいババアとか怖い女だと、他の人に愚痴っているのは、どこの誰っすか?そのあなたが、心配してくれるの?ふーん。で、高らかに上司の心配を笑い飛ばしたが、バンコクに雪が降るくらい意外な事に、上司は本当に私が韓国に行くのを、心配していた。だったら、自分で行けば良いのに。。。
2002年10月21日 00時36分20秒

10月15日(火)
お昼前、上司がフィリピン出張の為、空港に向けて出発した。不良問題も一段落つきそうだし、不良対策会議も楽勝だぜ、うまくいけば、在庫の代替もしないで済むかも知れない等々、上司はかなり楽観的観測の元に、フィリピンへと旅立った。上司が出発した後、フィリピンにある客先の日本本社の担当者から、メールが入った。この担当者は市場回収派で、今回はフィリピンに出て来ない。今回、上司と下請の味方をしてくれる穏便派の担当者とは、犬猿の仲らしいのだ。メールの中でも、穏便派のその人とうちが話しを進めた事についての不快感が表明されていて、こりゃあまずいと、自分の判断で彼に国際電話を入れた。

今回の不良が韓国で発生し、フィリピンに飛び火した時、この担当者から説明を求めるメールが下請のダイレクター宛てに入り、うちにもccで入った。下請がどう回答するかと見ていたら、すっかり逃げ腰だったので、私の方から、不良が発生した日付けと経緯とカドミウムの数値を、正直に書いて送った。「全員に返信」をクリックして送信したので、そのメールは担当者だけではなく、下請の人々にも行く。当然、ダイレクターからすぐ電話が入り、どうしてバラすんだと詰め寄られた。あのねー。もう、バレてんの。不良発生がバレた以上、変に隠し立てすると信用を失って、得るものは何も無い。

電話で担当者に、彼をのけ者にして話を進めた訳じゃない、と経緯を説明すると、わだかまりが解けたのか、現在の内部事情を色々と話してくれた。間に入っているうちの会社には、責任を問うつもりは無いとか。良かった、ほっ。また、下請を切るつもりも無いとか。あらら、切っておさらばして欲しかったのに。今回、市場回収との強行姿勢を取っているのは、最終納入先である家電メーカーへの、「うちはこれだけやってますよ。」とのパフォーマンスという事も教えてくれた。

そうだよなあ。客先には、この家電メーカーから、たくさんのOBや出向者を迎えているそうで、本社の副社長やフィリピン現地の社長にも、この家電メーカーからの出向者や退職者を迎えているらしい。そして意外な事に、この家電メーカー天下り出身者の方が、事を荒立てたくない、穏便に済まそうとの穏便派なのである。市場回収で騒いでいるのは、家電メーカーに「うちの会社は、こんなに一生懸命やってます」パフォーマンスを見せたい、古参の古株役員・社員らしい。もう、そんなんどうでもええから、うちの会社を巻き込まんでくれー。
2002年10月21日 00時09分56秒

10月14日(月)ショック!!
月曜恒例の幹部会議の前に、上司から頼まれていたフィリピンと韓国出張のフライトスケジュールを報告すると、「フィリピンから直接日本に出張しなければいけなくなった。韓国は、デラさん行ってくれないか。」あああああ!!机をバンバン叩く激高した客先韓国人の姿や、寒風吹きすさぶ秋の風景が、脳裏を過ぎる。気温は寒そうなのに、なんだか熱そうな韓国に「はい、行きます。」と即答できない自分。一呼吸どころか、3呼吸くらい置いて、やっと「はい。」と返事した。

会議を途中で抜けて、上司と一緒にナコンパトムにある下請の工場に。まず、眼前に迫ったフィリピンでの会議の内容を打ち合わせ。客先でプレゼンする前に、口裏を合わせておくべき内容の確認だ。環境関連物質が混入した原材料は、全て廃棄したかどうか、材料置き場の管理、スクラップ置き場の管理、スクラップする時は誰が承認するのか、材料及び完成品の先入れ・先出しがきちんと管理されているか、また材料が製造ラインに投入されてから完成品になるまで、ちゃんとトレースできるかどうか。こういった内容で工場監査も実施。不良再発防止対策のプレゼンは、下請のダイレクターに任せても、対策の裏付け確認は、うちの責任だ。実際に自分の目で見て確認しておくと、客先を納得させるべく、力強く説得出来る。ああ、でもまさか、私が韓国に行くなんて。。。

上司曰く、今はフィリピンの客先の方が、『フィリピン国外に出荷された製品を回収・代替しようという市場回収派』と、『出荷先は日本とアメリカで、特にアメリカはカドミに関して、全くと言ってよいほど無関心だから、市場に出てしまったものの回収は必要ない、フィリピン国内にある在庫の代替だけで充分との穏便派』とで真っ二つに割れている。フィリピンの方が、内容的に交渉が難しい。でも、韓国の方は既に落ち着いてきているから、こっちはお詫びとこれからも宜しくとの挨拶だけで済むという。だったら良いんだけど。取り合えず、明日の昼に上司はフィリピンに向けて出発。水曜日は朝から対策会議らしい。下請企業のダイレクターも一緒だ。うまく話がまとまれば、良いのだけれど。。。
2002年10月20日 23時50分33秒

10月13日(日)
今日も休み。ああ、幸せ。何もしたくない、今日は1日家でごろごろしていよう。夜は、ドリュ−・バリモア主演の映画(タイトルは忘れた)を見る。赤ちゃんが出来て、駄目男と結婚し、人生めちゃくちゃと思いながらも、進学や仕事の夢を諦めず、最期に作家デビューした女性の話。ドリュ−はこの役がどうしてもやりたかったそうだ。夢を諦めずに生きる女性は共感できて、とても好きなのだが、あまりに自我の強い母親で、思わず自分の母を思い出してしまい、感情移入できなかった。
2002年10月20日 23時46分01秒

10月12日(土)リラックス
今日と明日は、久しぶりの2連休。もう、幸せ〜!したい事がたくさん有り過ぎて、何をやったら良いのか判らないほど。まず、朝は11時まで寝て、それからサウナに入って汗を流し、風呂で垢を落とし、ゆっくりと玄米を噛み締め、2時に運ちゃんに迎えに来させ、伊勢丹デパートへ。6階の紀伊国屋で、新刊や雑誌を見て回る。それから、漫画コーナーで単行本【ガラスの仮面】を立ち読み。これって、まだ連載が終わってないのかしら?それとも、もう終わっているけど、まだ最終回の本がバンコクに届いていないだけかしら??連載が開始した頃って、私は確か小学校の高学年だった。すごく長いなあ。マヤと姫川亜由美のどっちが紅天女の役を掴んだのかしら?小野寺真澄とマヤは、結ばれたのかしら?

伊勢丹で1時間半ほどぶらぶらした後、ソイ55にあるマッサージ屋・ビーコーナーへ。ここのマッサージ師は、誰にやってもらってもレベルが高く、いつも満足。オーナーのビーさんが、きちんと面接してマッサージ師を採用しているのだろう。特に、アロマオイルマッサージは途中で寝てしまうほど、リラックスできる。まだ、記憶に残るダッカでのオイルマッサージと比べてみたい、との気持ちもあった。結果は、どっちも良くて比べるのは不可能。白人女性とアジア人女性と、どっちが美くしいかを比べて、好み次第としか言えないのと一緒だ。変な例えだが。
2002年10月20日 23時44分09秒

10月11日タイ人の首を絞めたくなる瞬間
とうとう上司の『不良のお詫び行脚』が決定したようで、外出先からフライトをチェックして欲しいと電話が入った。あたしゃ、あんたの秘書かい。ま、良いけど。で、こういったフライトの時間チェックや予約を担当するタイ人女性のオイちゃんに、とっても急いでいるから、大至急調べるように指示した。言ってから15分後に、どう?と声をかけると、大丈夫、後15分もしないで、エージェントが調べた結果をコールバックするから、と笑顔で言われる。15分後。フライトチェックの結果を言いに来ない。1時間後。「まだなの?」と催促すると、あともうちょっととの答え。信じられない、フライトの時間を調べるのに、タイ人は1時間半もかけるのか?私が自分でバンコクの日系旅行代理店に電話を掛けると、よほど込んでる時期でもない限り、20分以内にコールバックが入るのに。2時間経って、いい加減にしろよと思いながら、まだなの?と強い調子で聞くと、まだフライトを書いた予定表がファックスされないと言う。アホか、おめーは。急ぎだって何度も催促してるだろう。電話で聞いた便名と時間を報告すりゃ良いのに、何でファックスを待つんだ?

「電話の内容はメモしていないの?」怒鳴りたくなるのを抑えて聞くと、「えー、だって急いで書いたから、ぐちゃぐちゃだもん。」とケラケラと明るく笑う。思わず、「急いでるって、何度も催促してるでしょう。電話で聞いた便名と時間を書いたメモ、こっちに回しなさい!!」と怒ると、「え、メモでも良かったの?」と慌てて自分の机に走っていった。その後姿に、思わず日本語で「バカ野朗」と呟いた。

タイ人は、見掛けに非常に拘る。急いでいる時は、手書きのメモでも良いのに、時間を掛けてワードで打ったり(私の方が、あなたの5倍は早く打てるわよ}オイのように、エージェントにタイプさせた文書を送らせる。タイプされた文書が悪いと言ってる訳じゃない。急いでいると何度も催促されているのに、しかも、1時間半以上も前に、自分は電話で便名と時間を聞いていたのに、エージェントからタイプされた予定表がファックスされるのを待ってる神経が、判らない。ああ、仕事の出きるタイ人部下が欲しい。いや、タイ人はもう沢山だ。自分1人で何でもやる方が、よっぽど仕事が捗る。アホはもう。たくさんだ。

夜は、ブリトニー・スピアーズ初主演映画、クロスロードを見た。あ、ビデオでね。で、思い出したのが、マライア・キャリー初主演映画の『グリッター』いやあ、記憶に残る駄作だった。高校生のお遊戯かいってレベルで、ストーリーもお粗末。だから、ブリトニーのも期待しないで見た。あらら、結構良い味出してるじゃん。女の子の友情と恋と夢満載のロードムビーで、それなりに楽しめた。
2002年10月12日 01時36分07秒

10月10日ロードオブザリング
今日は、ビデオ屋で借りたロードオブザリングを見た。これ、日本語訳の小説は『指輪物語』だから、カタカナでタイトルを見てから、ずっと指輪の道、つまりロードはRoadだと思っていた。ああ、勘違い。ビデオでタイトルを見て初めて知った。Loadだったのねー。指輪の主か。失礼致しました。

これ、長過ぎたって言ってたのは、さくらさんだっけ?うーん、確かに長かった。しかも、あれほど長くて完結していない。続編でどうぞって、ちょっとあんまりじゃないの?あのスターウォーズだって、その昔の『帝国の逆襲』だけは、続きは続編でどうぞって不親切な終わり方だったけど、それ以外はちゃんと1話完結方式で終わってるじゃない。

でも、特撮は良かった。あと、リブタイラーが痩せてて、びっくりした。ちょっと前に借りた『ドクターTと女達』って陳腐な映画で、リチャードギア(すっかり中年のおっさん、特にあの腹。あれで、まだモテ男の役をやるんだから、勘弁してよ)の長女のレズの相手役をやったんだけど、その時はムチムチだった。この映画では、とても綺麗なエルフだったけどね。ケイト・ブランシェットは、相変わらず痩せてるね。ギィネス・パルトロウと同じ系統の顔で、特にあの細い目がそっくり。2人が『リプリー』で共演した時は、区別がつかなかった。世界には同じ顔が3つあるというが、納得。

で、不完全燃焼で見終わったこの映画、原作はトールキンの世界的ベストセラー『指輪物語」で、高校生の頃に借りて読んだ。すごく長い話で、読み終わった感想は、「どうしてこれが古典的名作なの?」だった。わーいと胸がすくような感動もなければ、じっくりと浸る余韻も無し。だからか、原作を読んだという記憶はあっても、ストーリーは全く記憶に無い。良い機会だから、また読もうかな。でも、あの長さに途中でくじけそう。どうでも良いが、フロドと共に旅する金髪長髪のエルフ役の男優、超好み。あの女みたいな顔が特によろしい。エルフの役だから、中性的魅力を出すように演じているのかも知れないが、彼の普通の男性として演じている映画があったら、見てみたい。だれか、知らないかな?

映画のお供は、昨晩買ったカントンヴァレーの赤ワイン。若い軽口の赤で、すっきりした飲み心地。これに、カマンベールとイングリッシュマフィン。ああ、不健康な食事。週末は、ちゃんと玄米を食べよう。
2002年10月12日 01時05分20秒

10月9日頭と胃が痛い
先週から引きずっている不良対策、もうどうしようもないところまで、追い詰められている。うちは良いが、下請は下手したら倒産だ。だって、市場回収なんて事態になったら、いくら損害賠償を請求されるか、判ったもんじゃないからだ。うちは、そんなものを被る気はない。どっかでこのそりの合わない下請と、手を切る事を考えなければ。

最後の望みの綱だった、第3機関による薬物測定も、基準値を上回る結果だった。これが客先に出れば、間違いなく下請工場は信用を失い、仕事が激減するだろう。先方のダイレクターからは、連日泣きの電話が入る。でも、同情しない。だって、あんまり仲の良い下請じゃなかったしね。(既に過去形。冷たい?)でも、うちの会社のイメージを守る為にも、お詫びに各国を周らなくちゃいけない。机バンバンで怒鳴りまくる韓国と、客先の隣りの工場の日本人駐在員が、流れ弾に当たって頭をぶち抜かれたらしいフィリピン。どっちも、色んな意味で熱い国のようだ。

帰りにフジスーパーに寄って、ワインを買い、お会計の時にふと左手の棚を見たら、なにやらおもしろいラベルの貼られた赤ワインが。手にとってみたら、なんと!!!!!スイスのワイン。スイスはワイン天国で、ちょっとでも空き地があれば、ワイン用の木が植わってるくらい、ワインの産出量が多いのに、政府が厳しく輸出規制しているので、あまり外国には出回っていない。それが、なんでバンコクに?もしかして、スイス政府はワインの輸出を奨励しはじめたのかしら?赤の隣りは白ワイン。赤ワインは、カントンヴァレー(ヴァレー州)産。カントンヴァレーって、私が住んでた州じゃない。涙が出るほど懐かしい!で、白ワインの方は、カントンシオン。これまた良く飲んでた甘ったるいワインじゃなーい。という訳で、衝動買いしてしまった。2本も。
2002年10月11日 02時17分01秒

10月8日飲み過ぎたのは自分のせいよ〜♪
今日、夕方5時過ぎに、取引先の某大手家電メーカーの社長さんから、電話が入った。久しぶりにこっちに出てくる、という。じゃあ、飲みましょうか。夜8時半に、ホテルのロビーで待ち合わせ。それから、会社の同僚が良く利用する居酒屋「姉妹」へ。名前通り、タイ人姉妹がやっている。で、お姉さんの方が妹より綺麗で、ずっと若く見える。可哀想な妹さん。

ここでお給仕している女の子、全員しっかり化粧をしているが、どう見ても15、6歳にしか見えない。でも全員、19歳から21歳だという。とにかく、全員が綺麗で可愛い。いつも、日本人のおじさん・おにいさんで満杯、というのもよく判る。私もこんな可愛い子を集めて、小料理屋でもやろうかしら?

この晩は、1人で日本酒の熱燗、1合徳利に6本飲んだ。まだ飲み足りない気分だったけど、明日も仕事があるので、10時半にその場をお開きにして、家路に着いた。うーん、日本酒も久しぶりに飲むと、おいしいね。一升瓶に1本くらいは平気なんだけど、さすがに翌日も仕事がある晩は、ちょっとね。
2002年10月11日 01時59分40秒

10月7日また雨だよ
昨日はあんなに快晴だったのに、今朝起きたら、土砂降りの雨だった。朝、シャワーを浴びて着替えている間にも、ピカピカと稲妻の閃光が、窓から射し込む。いやだなあ。朝からの雨って、憂鬱。また、河や運河の水位があがるよ。

午後、客先に用事があって外出した。途中、バンコクの上を通ったが(市内を通らなくても良いように、高速道路が張り巡らされている。これも渋滞対策の一環。あんまり役には立っていないが)雨は止んでいた。これなら、洪水はないだろうと思ったら、甘かった。というか、既にバンコク市内でもはずれの方は、冠水していたのだ。モーターウェイからふと遠くの木立を見て、疑問に思ったのだ。どうして、あの木々は川の中に立っているんだろう。川から屋根だけ出した家を見て、やっと気が付いた。あれは川じゃない!!!洪水。

帰宅途中、パタナカーンの辺りから道路の端にまだ水が溜まり、川のようになっていた。心配した通り、水が引くのが、遅くなってきているようだ。ところが、一般庶民のみなさんは、タフでたくましい。水が引いた道路には、早速屋台が出ている。今日は、しばらく見かけなかった象さんも見たぞー。
2002年10月11日 01時46分01秒

10月6日からりと快晴
今日は朝から、気持ち良いほど、からりと晴れ上がった空だ。うーん、爽やか〜な朝だわよん。これで、バンコク水没の危機はとりあえず脱したって事かしら。

気持ちよいので、朝10時には起きだして(遅すぎる?だって休みだもん)玄米を炊き、炊いている間にサウナに行った。30分ほどで汗を出し、部屋に戻って、夕べ借りておいたビデオを見ながらのブランチ。見たのは、モンスターインク。ずっと見たかったんだ。で、見て良かった。素直にとっても楽しめた。また、最後のエンドロールで、よく実写の映画ではNG特集なんかを見せているが、それをやってて、細かなところまで手がこんでるなあ、と感心してしまった。ぶーは何人なんだろう?アジア系の子供に見えたなあ。でも舞台は当然、アメリカ?画面に登場するお知らせメモとか注意書きは日本語だったけど、あれはまさか吹き替えじゃないよね?

次は、助太刀屋助六という、真田広之主演の邦画を見た。これはちょっとねえ。だって、40の真田さん、いくら若く見えたって、24歳の青年の役はないんじゃない?
2002年10月11日 01時36分59秒

10月5日飛び火
韓国で発生した不良が、フィリピンにも飛び火した。可哀想に、上司は韓国・フィリピンと2カ国をお詫び行脚に周らなければならなくなりそうだ。

うちの会社の不良じゃなくて、下請工場の不良なのにね。うちは、製造業の他にトレーディングも出きるように、BOI(投資委員会)に許認可申請をしてあるので、商社活動もできるのだ。だから、下請から購入した製品を第三国に輸出している。そして、この製品から不良が出ちまった。日系同士ならまだしも、下請は中国台湾系。中国は、環境関連物質の使用を禁止しても、証明書には不使用と謳いながら、信用できない怖さがある。そう聞かされてきたが、まさかうちの会社が、その被害に遭うとは。。。

今日もモーターウェイで渋滞。原因は、昨日と同じく、オーバーヒートした車が点々と路上に放置されていたから。参ったなあ。しかも、今日は昨日より道路の水位が上がってる。しめしめ、このまま大洪水って事になったら、会社を休む口実が出きる。うっしっし。
2002年10月11日 01時27分17秒

10月4日洪水警報
私の会社は、うちから120キロ離れた辺鄙な他県にあるので、日中のバンコクの天気は判らない。でも、ここ2,3日は北部から南下してきた水害が、バンコクに到達しそうだというので、気が気でない。夜、高速を下りて家路に向かう道路は、しかしそれほどひどく水がたまっている風ではなかった。水が引くのが早いからだろう。

だが、それも限界がある。いつか、水が引く速度より、水が溜まる速度、もしくは雨量がおおまわったら、うーん。水没だろうなあ。なあんて考えて、いよいよ家の近くまできたら、あららららー。道路が川になってたよ。車のそこにちゃぷちゃぷと水が跳ねるのが、不気味に感じ取れる。ここでエンジンがヒートしたら。。。それは勘弁。そういえば、今日はモーターウェイ上で珍しく渋滞だと思ったら、オーバーヒートした乗用車が、道路を塞いでいたから。それも1台や2台じゃなく、4台見かけた。点々と。それだけ激しく雨が降ったのだろう。

あともう少しで雨期は終わる。あと、ちょっとの辛抱だ。
2002年10月11日 01時18分43秒

10月3日集中豪雨
参った。今日も、とんでも不良を出した下請の会社から、ダイレクターが来社して、午後はずっと不良対策会議。下手したら、上司は韓国に飛ばなきゃいけなくなりそう。

今年3月の不良で上司が韓国を訪れた時は、客先のQCが激怒状態で、上司がオフィスに入るなり、激怒激怒で怒鳴られたらしい。おまけに机をバンバン叩くエキサイトぶりだったようで、韓国人てのは、熱いなあ。

でもね。対応が遅すぎる!と机バンバンで怒鳴られても、うちは下請が製造した製品を購入し、韓国の客先に輸出しているだけなので、自社の不良とは違う。なので、イマイチ力が入らないのだ。

多分、今週中もしくは来週の初めには、上司の韓国出張が決定しているはず。合掌。
2002年10月08日 00時35分25秒

10月2日雨
昨日は、とんでもない不良で、その原因となった下請の工場に飛んでいった。ナコンパトムにある台湾系企業の工場だ。今日は、逆にその工場からダイレクターが来社して、ミーティング。この不良は、本当にしっかりと対策しなきゃ、とんでもないことになる、リコール問題にだけは、発展しないで欲しい、と切に願う。

今日は、豪雨でバンコク市内を流れるチャオプラヤー河(日本の教科書では以前、メナム河と教えていた)の水位が上がり、堤防から水が溢れ出てバンコクは水没する、なんて言われたが、私が帰宅する頃には雨も止みかけ(ぽつぽつとしか、降っていなかった)いつも渋滞するコンドミニアム前の小路も、水が引いた後で洪水ってほどじゃなかった。バンコクは海抜がゼロなので、雨が降るとすぐ洪水になる。でも、水が引くのも早いのだ。
2002年10月08日 00時29分01秒

10月1日不良対策
3日の連休を終えて会社に行くと、土曜日も月曜日も携帯電話が繋がらなかったと嫌味を言われた。だって、連休中でしょ?何しようと勝手でしょ?ところが、そうでもないようだった。

まず、土曜日。客先2社が、不良により製造ラインストップ。ひょえ〜、幾ら請求されるやら。同僚は、朝からゴルフをしていたらしいが、タイ人スタッフから携帯に電話をもらった時は、それほど重要な件ではないと思ったようで、ゴルフを終えてから会社に行って、実はとんでもない不良と判り、結局その日は工場に泊り込みで金型を作り直したとか。

そして月曜日。別の客先で不良が発生、うちの会社から選別スタッフを出したのだが、間に合わなくて、ほんのちょっとラインが止まってしまったらしい。

うーん。だってねえ。会社が休みの時の不慮の不良は、基本的に対応できる人に対応して欲しいよ。いつも私じゃ、不公平。工場長が工場に泊り込みで不良対策、と聞いても『そんなの、高い給料貰ってる日本人にとっては、当たり前の事でしょう?』としか思わなかった。不良が出ると、平日の残業や早朝出勤、休日出勤は当たり前の私の勤務状況が、少しは判ったんじゃないかしら?君たち、甘いよ。もっと働いてちょんまげ(古い?)

ところが、今日も新たな不良が発生。しかも、とんでもない不良。うちの下請のアホ台湾系工場が、とんでもない事をしでかしてしまったのだ。なんと報告した数値の100倍にあたるカドミウムが検出されたと、海外の客先から連絡が来たのだ。これ、下手したらリコールで、数億円の賠償問題になる。そしたら、会社は潰れるか、縮小を余儀なくされる。あああああ、明日はご飯を食べられるのか?!
2002年10月06日 23時24分36秒

9月30日最後までショッピング
夕べは、知らない間に寝入ってしまっていたが、夜中に何度か目が覚めた。外で誰かが喧嘩していたり、トラックか何かの轟音、明け方にはコーラン斉唱の音。これって、ダッカに来て初めて聞いたような気がする。バングラデシュはイスラムの国なのに、あんまりイスラムっぽくないなあ。

夜中に数回目覚めたせいで、ちょっと寝不足気味。頭に鈍痛もある。(二日酔いとは関係ない)喉もひりひりするので、もしかしたら風邪かも。今朝はゆっくりと朝風呂に浸かった。小原庄助さんの歌が、頭にこだまする。

今日の朝食は、おかゆとクロワッサン。おかゆは、米じゃなくて、オートミールのおかゆだった。はああああ。甘いおかゆって、口に合わない。クロワッサンは、バターたっぷりの本格的なクロワッサンじゃなく、ちょっとパンっぽいクロワッサン。これもほんのり甘いけど、パンだから甘くてもおいしい。

レストランを出る時に、受付に座っていたスタッフから、バングラデシュの感想を聞かれた。誰もかれも、観光で来たとは最後まで信じていないようだった。観光で来る国じゃないって、自分達でも思っているのかなあ。でも、すっごく楽しかったんだけど。あーあ、2泊3日なんて、短すぎる。来る前は、バングラデシュみたいな国は、2泊で充分なんてちょっとバカにしたように思っていたけど、百聞は一見に如かずで、こんなにこの国が好きになるとは、思ってもみなかったよ。でも、相変わらず、噂好きだなあ。だって、昨夜レストランで話した内容を、既に朝食担当のスタッフが知っているんだもん。よっぽど日本人女性の2人連れが珍しかったんだねえ。私も、彼等に話題を提供できて、うれしいわ。

部屋で荷造りを済ませ、最後にちょっとショッピングしようという事になった。飛行機は午後2時発。時間は既に11時。チェックアウトのためフロントに行き、まずは空港までの車を手配してもらう。500タカだ。で、空港に行く前に、ショッピングセンターに寄ってと頼んだら、2デスティネーションになるから、あと200タカ追加料金がかかるといわれる。えーそんな、と言うと、別に値切った訳でもないのに、判った判った、500で良いよですって。なあんて優しい人たちなんでしょ。最初は外国人地区グルシャンのマーケットに行くつもりだったが、フロントのスタッフは、アーロンの方が良いと勧めてくれた。最初の日に言ったお店だ。「私達、もうタカを持ってないの。カードは使えるかしら?」と聞くと、横で聞いていたスタッフが、異常にウケて大笑いしている。レストランだけじゃなく、フロントのスタッフも朗らかなのね。きっと、日本人の女は直前までアーロンで買い物していた、とまた瞬く間に広まるんだろう。対応してくれたおじさんスタッフは、大丈夫、カードも使えると教えてくれた。優しくて親切なスタッフばかりだった。エレベーターに乗ったら、ドアが閉まるまで、フロントのスタッフ達が、笑顔で手を振ってくれた。うーん、フレンドリーだわ。

ホテル入り口のセキュリティーのおじさんにも、チップを渡したかったのに、その日はいなかった。残念。このおじさんは、私達のためにオート力車の料金交渉をしてくれたり、メータータクシーを捕まえてくれて、メーターを倒すように言ってくれたり、とても親切にしてくれて、チェックアウトしたら、おじさんにも絶対チップをあげようね、と友人と話していたのに。名残惜しい気持ちで、ホテルを後にする。さあ、アーロンでショッピング!

30分の予定が、1時間近くもショッピングしてしまい、飛行場につくのが遅くなってしまった。何を買ったかというと、きれいなバラの形のキャンドルと、ガ−べラのような花のキャンドル。バンコクより安い。それと、白に薄いブルーの刺繍の施された、さっぱりしたカミ−ズ。イスラムの女性達が着ているこのドレス、本当に可愛い。この白っぽい色だと、普段着にも良い。欲しかった白のカミ−ズも手に入れて、大満足の旅行だった。

そして、飛行機は無事にバンコクへ。あーあ、明日から会社だよ。楽しい時ってのは、すぐに終わるんだよね。
2002年10月06日 20時26分57秒

9月29日ダッカでエステ
夜中に1度も目覚めず、起きたら9時だった。やばい、朝食は10時まで。あと1時間しかない、と焦ったら、時計をダッカ時間に合わせていなかっただけ。ダッカ時間では、まだ8時だった。ベッドで少しウダウダしてから、シャワーを浴び、友人も起きてシャワーを浴び、2人とも支度が整ったのが、ダッカ時間で9時半。それから朝食を食べに、最上階(12階)のレストランへ行った。部屋でも無料でルームサービスしてくれるようだが、なにしろ窓の外が工事中で、カーテンを開けられない。閉塞した空間で食べるよりは、開放的な空間で食べたいからね。

レストランには昨日のルームサービス青年がいて、朝食を準備してくれた。バングラデシュブレクファーストというのを選ぶ。豆と野菜のサラダに、薄く焼き上げたパン。結構、おいしかった。あと、紅茶もおいしかった。暖めたミルクを入れてくれ、カフェ・オ・レならぬテ・オ・レだ。

朝食の後は、エステとショッピングへ。昨日、地図でダッカの説明をしてくれたフロント青年に女性用のオイルマッサージを受けられる場所を聞いたら、多分FU-WANGだろう、といわれ、夜、パンパシフィックホテルで飲んだ後、部屋に戻る途中でこのFU-WANGの大きな電光看板を見かけたので、あそこなら歩いていける、と思ったのだ。バングラデシュのエステなんて、一体どういうのだろう?

しっかりと日焼け止めを塗って、いざ出発。昨晩見たFU-WANGのサインを掲げたビルを目指して歩いていったら、なんとそのビルは、単にFU-WANGの看板を掲げているだけで、FU-WANGのビルでは無かった。ガ−ン。

仕方が無いので、ワンブロック戻ってパンパシフックホテルで道を聞く。ああ、歩ける距離で良かった。パンパシではまず、トイレでお化粧直し。って、化粧はしてないけど、ちょっと歩いただけで、車の排気ガスその他で顔が真っ黒になっているのだ。これも、数年前のバンコクと同じだ。顔を洗って日焼け止めを塗り直し、いざホテルのコンシアージュ(日本ではコンシェルジェ)デスクへ。そこで、オイルマッサージを受けられる場所を探してもらう。ホテルのゲストじゃ無いけど、まあ日系のホテルだし、日本人には優しいようで、ゲスト係りのマネージャーが応対してくれた。色々と電話をかけてくれたが、結果、FU-WANGは、今はメンバーズオンリーになって、ビジターは受け付けないとか。結局、パンパシのホテル内でマッサージを受けられる事になった。本当は、ホテルのゲスト以外は駄目なのだが、彼がフィットネスセンターに電話して、VIPと言ってくれたので、受けられたのだ。VIPですって、ほっほっほ。

50分で800タカ(税込み)。パンパシフィックがバングラデシュ最高の5つ星ホテルである事を考えると、この料金は破格に安い。(1タカ=約0.8バーツ)タイの5つ星でオイルマッサージを受けたら、1500バーツは取られるから。ここのオイルマッサージは、超素晴らしく良かった。いやあ、タイのオイルマッサージも良いけど、これは本当に素晴らしい。タイでは1時間コースでも、正味50分くらいしかやってくれないが、ここではきっちり時間一杯やってくれた。マッサージ師の腕は、素晴らしく良い。極上の蕩けるような気分でプールサイドに戻ると、フェ−シャルマッサージを終えた友人も、ちょうど戻ってきたところだった。ああ、このまま眠ってしまいたい。

この後は、グルシャンという外国人地区でショッピング。シャロワカミ−ズという、イスラム女性達が着るドレスを買った。黒色に金の刺繍が施されたチュニック風のパンタロンスーツで1550タカなり。これなら、バンコクでも着られそう。ドレスも良かったが、そのお店で働いていた男の子が、すごい働き者で、くるくるとよく立ち働く。いやあ、ドレスより、あの子が欲しいくらいだ。歳を聞いたら11歳。タイ人にも見習って欲しい働き者だった。ドレスの支払いが済むと、男の子が私達のドレスを入れた袋を持ち、ショッピングセンターの入り口まで送ってくれた。外に出て何か探しているので、気づいた。彼は、私達がここグルシャンに住む在住外国人だと思っていたのだ。それで、私達の車&運転手を探していたようだった。たしかに、このグルシャンは外国人地区だけあって、運転手付きのビジネスマン風の人を数人見かけた。男の子に、私達はタクシーで帰るから良いのよ、と袋を受け取り、1ドル紙幣をチップに差し出したら、最初はなかなか受け取ろうとしなかった。タカじゃなくてごめんねー。

ホテルに帰って、早速今買ったドレスでファッションショー。女ってのは、こういうことが好きなのよ。ふわふわのベールを被ったりして、気分はすっかりお姫様。しっかり写真も撮り合った。

夜は、ホテルのレストランでお食事。最上階のレストランは、イタリアンも出すのだ。いよっさすがはイタリアとの合弁ホテル!まずは、イタリア産のロゼをボトルで頼む。料金を見たら、結構高いので、既に税金が入っているのだろう。夕べ飲んだパンパシフィックホテルのバーでは、37.5%の税金を取られたけど、私達が泊まったホテルでは、酒類には最初から税込みの料金で表示されているようだ。

料理は、イタリアンとインディアンの両方を頼むことにした。イタリアンの方は、私はスパゲッティぺペロンチーネ、友人はペンネ。それに、チキンティカ(骨無しタンドーリチキン)、プレーンプラウ(プラウは炊き込み御飯)、ビーフカレー(だってインドじゃビーフカレーはご法度だもん)を頼んだ。食事の順番を聞かれ、最初はスパゲッティ、それからインディアン料理で良いかと聞かれたので、いや、最初はチキンティカ(だってワインのおつまみが欲しいじゃない?)、次にスパゲッティ、最後にカレーとプラウを持ってきて、と言ったら、何故か超ウケてしまい、楽しそうに笑いながらウェイターは去っていった。

ロゼワインは水のようにしまりの無い味で、よくいえば、料理の味を壊さない。はっきり言えば、おいしくなかった。でも、料理は最高に美味かった。まず、チキンティカ。スパイスがほど良く効いて、もうほっぺたが落ちそう。次にスパゲッティが運ばれてくる時に、レストランの主任らしきお兄さんが話し掛けてきた。どうしてバングラデシュに来たのか、興味があったようだ。日本人女性が2人、宿泊している事は、なんだかホテル内のスタッフ全員に知れ渡っているようで、しかも前日、アーロンに買い物に行った事まで、このレストランの主任は知っていた。きっと、娯楽が少ないから、噂話も娯楽の一つなんだろう。カミ−ズを1550タカで買ったと言ったら、フフフ−ンと笑って、高い料金を払ったと言われる。まあ、旅行者だからね。ダッカに知り合いやバングラデシュ人の友人はいるか、と聞かれて、誰も知らないと答えると、だから高く言われても判らないんだね、と言われる。バングラデシュ人と友人になりたくないか?ときかれ、もちろん友達は欲しいけど、明日帰るから、友達を作る暇が無いと答えておいた。

スパゲッティを食べ終わった頃、先ほどの主任がきて、紅茶かコーヒーは如何か、ホテルからのコンプリメンタリーだと言う。そこに、先ほど我々のオーダーを取ったウェイターが来て、いやいや、彼女達の食事はまだ終わりじゃない、これから更にライスとカレーを食べるんだ、と説明すると、よく食う女達だなーというように、また楽しそうに笑われた。朗らかなスタッフの多いレストランだ。

プレーンプラウは、単品で食べても良いくらい、美味しかった。昨日、地元のレストランで食べたライスと違い、明らかに上等の米を使っている。タイでいえば、新米のマリだろうか。ビーフカレーは、肉がかたくてイマイチ。でも、カレー自体は良い味だった。さっきの主任とウェイターがきて、おいしいかと聞くので、大満足で美味しいと答える。ダッカに来たのは、ビジネスではなく、タイ航空の無料チケットがあったから来た、と言うと、旅行業界で働いているのかと聞く。マイレージで無料チケットが手に入ると説明したが、飛行機に乗らない人に、マイレージの説明は難しいと悟り、無料チケットは適当にクジで当たった事にしておいた。また、日本は夫と妻はそれぞれ1人づつか、と聞かれたのでそうだと答え、でもあなた方は奥さんが4人持てるんでしょう?と聞いたら、一人だと言う。彼は1人しかいないし、隣りにいたウェイターもうんうんと頷く。このウェイターも奥さんは1人だけとか。でも、あなたがたは奥さん4人まで持てるって聞いたよ、あと3人はどこにいるの?とからかうと、楽しそうに笑い出して、4人は無理だよ、この国は多分1%から2%くらいの人しか、複数の妻は持っていないはずだ、なんて説明してくれた。でも、何か言うたびに、本当に楽しそうに声を出してはっはっはと笑うので、私達2人は、彼等の良い娯楽になったようだ。

食事が終わり、部屋に戻ったのは9時半。まだ少し遊び足りない。少ししたら、どっこに飲みに行こうか、なんて思っていたら、いつの間にか寝てしまったようだ。疲れていたんだなー。
2002年10月06日 18時49分09秒

9月28日フレンドリー攻撃
寝坊した。まずい。夕べは遅くまで荷造りして、寝たのは夜中の3時。運転手が迎えに来るのは9時。なのに、起きたのは8時40分過ぎ。一緒に行く友人とは、9時半に空港のチェックインカウンター前で待ち合わせ。どう考えても遅刻だ。急いでシャワーを浴び、髪を洗って着替えると、既に9時10分。ひゃー。

結局、朝食を食べずに車に飛び乗ると、悪い事ってのは続くもんで、運転手から辞めたいと言われてしまった。がーん。またかよ。

10時10分前に空港に到着。友人と落ち合い、無事に機上の人となる。朝ご飯抜きだったせいか、機内食が異常においしく感じられた。海老のカレーライス。でも、サラダは生臭くて食べられなかった。飲み物は、赤ワインとりんごジュース。ふーっ、おいしかったよ。

入国カードが配られ、内容を見て笑ってしまった。ビザの申請用紙もそうだったけど、両親の名前を書く欄がある。これ、90歳のおじいちゃんでも書くんだろうな。

約2時間半でダッカに到着。入国審査の外国人パスポートの列は、ノロノロと進みが遅い。順番がくるのに、ひどく時間がかかった。かつてのタイみたいな非効率さだ。友人と「きっとまだオンライン化されていないのよー」「そうねー」などと話ているうちに、やっと私たちの番に。で、係官がいるブースの中を覗くと、立ってパスポートをチェックしている係官が2人、その横でなんとパソコンにパスポートのデータを入力している係官が1人、いるではないか!おおおおお!バングラデシュの入国審査はオンライン化されていたぞ!なんてアホな事を言ってる場合ではない。こいつの人差し指入力のせいで、列の進みが超遅かったのだ。左手にパスポートを持ち、右手の人差し指一本で入力しているんだ。これで、オンライン化って言えるのかなあ。何か違うような気がするぞ。

出口から外に出ると、ホテルからのお迎えが。良かった、来てて。車に乗る前に、まずは両替しなきゃね。1ドル57タカ。バングラデシュの通貨は、タカって言うんだ。響きが可愛い。とりあえず、50ドルだけ替える。で、車に乗って、ホテルへ。途中の町の様子は、世界最貧国の一つ、とのイメージを覆すに充分な発展ぶりだった。10年前のバンコクみたいに活況に溢れている。

さて、ホテルに到着。Best Western La Vinciというイタリアとバングラデシュとの合弁のホテルで、経営はアメリカ系のチェーン、ベストウェスタ-ンが入っている。3つ星の小さいホテルだ。チェックインして、部屋に案内してもらう。とっても可愛いミニスイート。でも、カーテンは開けられなかった。だって、窓の外は工事現場。スーツケースを運んできてくれたベルボーイ2人に、ありがとうと最小単位の紙幣、2タカづつ差し出すと、驚かれてしまった。

「エクスキューズミー、マダム。1ドルは50タカです。」と言われる。ゲロゲロー。彼等の正直さに感謝。「私たち、バングラデシュは初めてなので教えて欲しいんだけど、普通はチップっていくらなの?」と聞くと、「気持ちだけで良いです。」と優等生的答えが返ってきた。嘘つけ、2タカに驚いたくせに。「一般的な事を教えて」と言うと、「1ドル50タカだから」とさっきと同じ事を言う。面倒なので2タカを返してもらい、1ドル札を1枚づつ渡した。すると、とても喜んでくれて、コンプリメンタリーで紅茶かコーヒーを出しますと言い出した。じゃ、紅茶を頂戴と言うと、ルームサービスに電話して、紅茶を頼んでいる。そうこうするうちに、今度はフロントのスタッフが登場。チェックイン時に預けたパスポートを届けに来たのだ。彼は、ベルボーイ達がまだ部屋にいるのを見ると、何をしてるんだ、と叱り付けた。ベルボーイ達は、コンプリメンタリーの紅茶をルームサービスに頼んでいた云々の言い訳をしたが、フロント青年はベルボーイ達を部屋から追い出してしまった。で、友人になにやら部屋の説明を始めた。うーん、チップが欲しいのかしら。でも、適当にあしらって、お引取り頂いた。

と、すぐにまた誰かがドアをノック。今度はルームサービスだ。コンプリメンタリーの紅茶を運んできたという。でもカップが一つしかない。もう一つカップを持ってきてもらい、さて、紅茶を頂こうとするが、ルームサービスのお兄さんは、色々と話し掛けてきて、なかなか去らない。そのうち、歳を聞かれたので、友人が「10歳くらいサバよんでも良いよね」と言って27歳と答えたので、私も30歳と言うと、もっと若く見えるとお世辞を言うお兄さん。ほっほっほ、純朴な青年だこと。

名残惜しそうに、ルームサービスの青年が去って5分もしないで、また誰かがドアをノック。今度は、フロントの別のスタッフだ。ダッカの地図を持ってきたという。袋には100タカの値札が。どうせ買わされるなら、色んな情報を聞かなきゃ損、とばかりに、近くのショッピングセンターやハンディクラフトを買えるお店の場所を、地図で教えてもらう。フロントの青年は、椅子に座り込んで、色々と説明を始めた。いやあ、ありがたい。と、また誰かがドアをノックする。さっきのルームサービス青年が、コンプリメンタリーだと言って、今度はフルーツを持ってきた。オーバーフレンドリーというべきか。でも、フロントのお兄さんに地図でダッカ市内の説明をしてもらっている最中で、ルームサービス青年の話し相手をしてあげる暇は無い。それに、ホテル内には職場階級があるので、ルームサービス青年は、フロント青年を見て、何も言わずに去って行った。

しばらくして、また誰かがドアをノック。ここまでくると、爆笑だ。すぐにドアを開けず、誰?と聞くと、ハウスキーピングと言う。ドアを開けると、最初に部屋に来たフロントのスタッフが立っていた。どこがハウスキーピングだよ。最初のフロント青年は、同僚が部屋にいるのを見て、ドアの外から同僚を呼び出そうとする。フロント青年その2は適当に、ああ、そのうちいくよ、とかなんとか答えている。と、フロント青年その1が、ちょっと声を荒げて呼び立てる。フロント青年その2がうるさそうに何か答える、更にフロント青年1がドアの外から言って、初めてフロント青年その2が「GMが呼んでいるようなので、行かなきゃいけないです。」と立ち上がった。ドアの外にちょっと出て、同僚の青年1に何か言い、また戻ってきて、地図の説明を手短に続けてくれた。それを青年1がイライラとドアの外で待っている。そして、やっと彼等は去っていった。ほー。なんてフレンドリーな人たち。っていうか、オーバーフレンドリーだ。私はこれを、フレンドリー攻撃と呼ぶ。だって、フレンドリーに攻撃されると、避け様がなくて、被弾してしまう。危ない、危ない。

夕方、フロント青年その2が教えてくれた、アーロンというショッピングセンターに行ってみる。異教徒の女が珍しいのか、男性から声がかかる。最初は「スリランカから来たの?」と。おいおい、のっぺりしたこの和風顔の、どこがスリランカなんじゃい。次は、東京で働いているという男性から、日本語で「あれ、どっかでお会いした事ありませんか?どっかで見た事あります」という、ナンパの常套句を言われる。ニコニコ笑って違います、人違いですと言って、お引取り願う。「かわいいね」と日本語で話し掛けてきた男性もいた。あのね、おばちゃんはきっと、あなたより年上よ。

夜は、KASTURIというローカルのレストランへ。ライスはタイの屋台で出されるお米のようで、おいしくなかったけれど、それを上回るカレーやおかずの美味さ。チキンカレーも海老のすり身団子も美味かった。でもね。ウェイター達が、私たちの後ろに陣取って、じっとこっちを見ているのだ。衆人環視の中での食事は、なんだか落ち着かない。そんなに日本人の女が珍しいのかな?空港でも、気持ち悪いほど我々を見つめる男がいた。本当に、気持ち悪いほど。

食後は、パンパシフィックホテルのバーに、お酒を飲みに行った。イスラムに敬意を表して、普段は着なれない、くるぶしまでの長いスカート(タイのサロン、巻きスカート)で足を覆い、カーディガンで腕も隠して慎ましやかにしているんだから、ご褒美に酒くらい飲ませてよ、といった心境。パンパシフィックホテルは、夜は煌びやかな電飾が木々にほどこされ、非常に美しい。いよ、さすがは5つ星。

11時過ぎにホテルに戻った。こうして、無事に第1夜が過ぎた。バングラデシュの人達って、本当にフレンドリーだ。
2002年10月01日 01時26分00秒

9月27日出発前夜は大忙しさ
帰宅途中に突然、イギリス人の友人から電話が入った。今、バンコクにいるという。勘弁しろよなー。マレーシアのペナンに出張で来たのは知っていたけど、バンコクに来るなんて、一言も言ってなかったじゃん。それが、パンティーププラザで急にパソコンを仕入れる事を思い立ち、ロンドンに帰る前に急遽、バンコクに立ち寄ったとか。で、1人で飯を食うのが嫌だから、と電話をかけてきたのだ。あーあ、明日からダッカなのに、まだ荷造りしてないよー。

あまり遅くまでは付き合えないから、と事情を話して、ノボテルロータスのロビーで待ち合わせ。そこでデラは、エスコート嬢に間違われた。旦那、あっしは半袖のブラウスにロングスカートにカーディガンという、露出の少ない格好ですぜ。柱をはさんだ隣りの椅子には、細い肩ひもの薄いペラペラのスリップドレスを来た、いかにもなお姉さんが座っているじゃん。普通は、そっちだろう。あー、むかつく、この白人野朗。ハッ、いけない。わたくしとした事が、なんてお下品な言葉遣い。

友人が少し遅れて到着。タイ料理が食べたいと言うので、嫌だと断る。毎日タイ料理なのに、何が面白くて外食までタイ料理なのだ?で、ノボテルロータスの斜め向かいのビルの地下にあるブリティッシュパブに行こうと言ったら、今度は奴が嫌だと言う。イギリス人の俺が、わざわざバンコクくんだりまで来て、何が面白くてブリティッシュパブに行かなきゃいけないんだ、と。そりゃそうだ。でも、タイ料理食べたいなら、私は帰ると言ったら、渋々ブリティッシュパブに行く事に同意した。ワインをグラス1杯だけ飲んで、悪いけどやっぱり荷造りしたいから、と断り、彼をホテルの近くまで送って帰宅。ホテルの近く、というのは、奴はソイ・ナナのネオンを見て、そわそわしだしたので、あのネオンの向うには、綺麗で若いおねーさんがいっぱいいるんだよ、と教えてあげて、車から降ろすと、奴は喜んでネオンの洪水の中に消えていったから。全く、男って奴は。
2002年09月30日 23時58分12秒

9月25日ダッカに向けてカウントダウン
あと3日で、ダッカ。ドキドキしてきた。よく、何でダッカなの?と聞かれる。で、いつも答えに困る。なんとなくダッカ。カレーが食べたかったし。最貧国だから、物価安そうだし。で、今とっても困っている。だってだって、ガイドブックが売ってないんだもーん。バンコクの日系書店には、売ってなかった。ショックだったのは、シリアとかイエメンでさえ、地図やガイドブックが出ていたのに、何故に無いのだ、バングラデシュ。

インターネットで検索して、ホテルは何とかブッキングしたけど、気候とか天気とか服装とか、ダッカ市内の主要観光情報とか地図とか、なーんにも情報が無いの。はらひれふりへろ〜、迷子になったらどうしよう。ホテル紹介にあった、「当ホテルはマーケットに近く」という一文だけが頼り。ま、どのくらい近いか判らないけど、チェックインしたら、ホテルのスタッフに聞いてみよう。何か買えるでしょ。
2002年09月26日 21時16分39秒

9月24日はるが死んだ
会社帰りに、フジスーパー2号店3階のビデオ屋で、「利家とまつ」を借りた。がーん!はるが死んだ。「源氏物語・千年の恋」という駄作を見て、彼女のファンになったのだが(変な表現だが)もう彼女が画面に登場しないなんて。ちょっと寂しい。

「利家とまつ」は、毎週欠かさずレンタルビデオを借りている。といっても、日本の放映日の2週間遅れだが。で、実はこのドラマで初めて実物を見たのが、利家の弟・佐脇良之を演じた俳優。名前が出て来ないよー。で、すっかり彼のファンになって、ビデオで「冷静と情熱の間」を見た。その時、わかった。

私は、彼のファンになったのではなく、彼が演じた「佐脇良之」のファンだったんだ。回想シーンでも良いから、また出てくれないかなあ。親しんだ登場人物が亡くなるのは、悲しい。でも、秀吉が死んでも悲しくないと思うけど。秀吉役の俳優、どうでも良いけど、うまいね。あ、これも名前、忘れた。男優で覚えているのは、緒方・高倉のダブルケンさんと、その昔、宮本武蔵を演じた萬屋錦之助に、高橋英樹。あとは、聖子の元旦那、えーとほれ、あの人。ああ、日本が遠くなる。
2002年09月26日 21時06分22秒

9月23日旅の便り
きょきーとさんから、ラ・パスから旅の模様を綴ったメールが届いた。彼女は今、中南米を一人で旅行しているのだが、女性があんまり治安の良くない国々を一人で放浪するのって、すごいと思ってしまう。中南米は、私には「誘拐」「麻薬」「クーデター」の3点セットで「危険」という、ステレオタイプ的イメージしかない。そこを旅行するのだ。私ならきっと、ツアーでも参加を躊躇うと思う。あ、無料なら別だけど。

スイスに住んでいた頃は、私もよく一人旅に出た。夜行列車に飛び乗り、翌朝は見知らぬ外国というのが、休暇の過ごし方の定番だった。一人旅で一番嫌だったのが、食事時。一人で食べる食事は味気ないからね。そのうち、現地のスーパーでワインと食材を調達し、ホテルの部屋で食べるようになった。その方が安上がりだしね。あーあ、一人で放浪した頃の事を思い出してしまった。懐かしいなあ。
2002年09月26日 20時50分57秒

9月22日朝寝朝酒映画三昧
今日は一歩も外に出ず、朝からサウナ⇒風呂⇒朝食⇒レモン酒飲みながらビデオ3巻、という日を過ごした。ブランチと夕食は、言わずと知れた玄米。おかずは、梅干とかぶ漬とワカメの味噌汁だけ。超健康的な粗食だ。

映画のビデオは、まず「アメリ」のオドレイ・トトゥ主演「ミシェル」。彼女って、もしかして大根?って思うほど、アメリと同じ演技だった。つまんない。ってーか、フランス映画って、コメディ以外はあんまり好きじゃない。

気を取り直して、次はWASABI。ありゃりゃ、これもフランス映画。リュックベンソン監督、広末涼子がジャンレノと共演した映画。フランスではヒットしたらしい。よく判る。自分が外国に住んでいると、海外から見る日本の若者ファッションや、ゲーセン等の文化風俗が、とっても新鮮で興味深いもの。

前評判の割に、しかし日本ではヒットしなかったとか。それも判る。広末への嫉妬はすさまじかったからね。島田陽子が「ショーグン」に出演した頃とは、もう時代が違う。外国映画に出たから大女優、の時代は終わったから。日本の「WASABI」評は、酷評ばかり読んだけれど、重箱の隅をつつくような批評が目についた。タイトルと内容に関連性が無いとかさ。ジャンレノがワサビ食っただけでも、別に良いじゃん。日本だって、たんぽぽの育て方を描いた訳じゃないのに「たんぽぽ」ってタイトルの映画があったし。ま、酷評の割には、楽しめた映画でした。

最後は「HARD BALL」麗しのキアヌ様主演。借金で首が回らない飲んだくれの役。借金取りから逃げまわり、週500ドルで野球のリトルリーグのコーチになるのだが、一発逆転で借金を返済し、しかも唐突に良い人になっちゃう。ハリウッドのご都合主義的ストーリー展開は、やっぱり安心して見ていられる。いいの、キアヌ様が出ているだけで、あたしゃ幸せだよ。
2002年09月26日 20時30分05秒

9月21日二日酔い
夕べは、シャドネを1本空けたので、二日酔いになるかと思ったけど、全然平気だった。それはそれで、複雑な乙女心。

会社帰りに、フジスーパーのワインコーナーに寄って、タイ産の赤、シャドードルイを買おうとしたら、既に売り切れ。これは、タイで作ったにしては、レベルの高い赤だ。白はものすごく甘くて、ドイツのリースリングみたいだが、赤はシラー種の葡萄でとってもすっきりした飲み心地。ファンが多いんだろうなあ。で、タイ産の別の赤、カオヤイを買ってみた。一番人気のシャドードルイの赤は1本410バーツ。なのに、カオヤイの赤は1本425バーツ。1999年のシラーだ。この強気の姿勢が良いねえ。で、その心意気に感じ入り、買ったのだが、とてもあっさりすっきりの赤。カベルネタイプのフルボディが好みの人には、多分水みたいで口に合わないだろう。でも、若いワインが好きな私には、ぴったりだった。さすが425バーツ。
2002年09月23日 01時12分04秒

9月20日夜に雨
今日は、シンガポール駐在の友人がバンコクに出張で来たので、一緒に晩ご飯を食べた。彼は月に1度は出張で来る。とても良い友人だ。もし晴れていたら、スアンルムナイトバザールに連れて行きたかったが、残念ながら雨。エンポリアムスイートに泊まっているので、エンポリアムで食事と相成った。だって、雨だもの。8時に約束が雨で渋滞で、到着は8時半。もう、いい加減疲れていたので、エンポリアム3階の歌行灯へ。本当は葵に行きたかったのだが、金曜日に予約無しは無謀だ。20分待つといわれ、歌行灯に変更。葵の方がおいしいんだけど。

歌行灯は、うどんや蕎麦がおいしい。この日は、おろしもちそばを頼んだ。メニューには「おろしもちうどん」になっていたが、うどんをそばに替えてもらったのだ。タイ人は、メニューに乗っていなくても、変更してくれる柔軟さがある。これは、ポイントが高い。東京の高級料理店は、メニューにない事をするのは嫌がる。バンコクでは、歌行灯より高級な葵ですら、客の我侭を聞いてくれる。だから、タイは住み易い。でも、このおろしもちそばは失敗。おろしもちが油で揚げてあるので、その油が汁に染み出て、くどくなり、そばの味が半減。しかも、運ばれてきた段階で、そばがのびていた。あーあ。ざるそばにすれば良かった。

ご飯を食べ終わり、近くのアイリッシュパブ、ダブりナーに飲みに行く事にしたが、途中でワインセラーを見つけ、カリフォルニアワインのシャドネを1本仕入れ、部屋で飲む事に。だって、お腹も満杯だったし。そのワインセラーは、オカマショーで有名なマンボのすぐ隣りにあり、開店したばかりのようだったが、カリフォルニアワインしか置いておらず、しかも種類も少なくて、大好きなホワイトジンファンデルが置いていなかった。仕方なく、1200バーツのシャドネを一本買う。ワイン1本に1200バーツは高いと思うが、シンガポール駐在の友人にすれば、とても安いらしい。シンガって物価が高いからなあ。
2002年09月23日 00時46分05秒

9月19日花の色は。。。
ふーっ、疲れた。出来るだけストレスを溜めないように、マッサージやアロマエッセンス等で、ゴージャスに気分転換を図っているのだが、それを上回るように仕事がたまっていく。

優秀なタイ人が欲しい。今いる部下は、工場のワーカーから引き上げたから、どうしても能力に限界がある。数字(データ)が読めない、掴めない。だから、全体的な売上予測を出せない。過去3年の受注量を元に、翌3か月分の受注予測が出来ない。彼女達の仕事は、全て点で追っている。点で追うから全体が見えない。どんなに教えても、その場限りで忘れていく。怒っちゃいけない、怒っちゃいけない、怒っちゃいけない(涙)と、自分に呪文をかける。最近、自分が一気に老けたと感じる。

美貌の小野小町でさえ、容色の衰えに慄き、

花の色は 移りにけりな いたずらに 我が身世にふる ながめせしまに

と嘆いた。ましてや私は、平凡な容貌。それでも、衰える事への恐怖に変わりわない。灰になるまで、女は女。疲れた。。。
2002年09月22日 02時39分25秒

9月18日ビザゲット
朝、会社に行く前に、スクムビットソイ55(トンロー)にある、バングラデシュ大使館に、ビザ取得に行ってきた。

バングラデシュに行く人って、そんなに多くないだろうなあ、と思っていたら案の定、その時間帯にビザ取りに来た人は、私以外に誰もいなかった。ビザの申請用紙には、入国目的を書く欄があり、Sightseeingと書こうと思ったら、こちらの心を見透かしたように、先手を打たれていた。欄の下に『具体的に書くように。単に観光というだけでは、ビザを発給しない事もある』と注意書きがあった。あーあ、仕方が無いので『未知なる文化や食べ物に非常に興味があります』とエッセイを書いた。これは、嘘から出た真ちゃん。本当に、興味はあるんだもん。
2002年09月22日 02時15分38秒

9月17日
自宅で使用しているプロバイダが不調で、プロバイダのメールは使えるのに、ヤフーもmsnもホームページが開けなくて、イライラしっぱなし。ヤフーやmsnが開けないと、ホットメールのチェックが出来ないし、この日記の更新も出来ない。やれやれ。

右肩と右腕が痛い。40肩か?いや、多分枕のせいだ。バンコクに、安眠枕って売ってたかなあ。
2002年09月22日 01時47分16秒

9月16日ちょっぴり贅沢
フジスーパーに、輸入桃がまた入荷していた。最初の値段、125バーツで。でも、贅沢はしないと堅く心に誓っていたので、素通りしようとした。後ろ髪を引かれる思い、とはこの事か。やれやれ。が、とうとう清水の舞台から飛び降りてしまった。ジャーンプ!そう、125バーツで1個、買っちゃったのだ。でも、今晩は食べないで、とっておこう。

今日で2日経ったが、スアンルムナイトバザールで一目ぼれしたチンチラの坊やが、まだ忘れられない。欲しいなあ。でも、桃と違って、あのコは生きてるからなあ。しかも、引っ越さないと飼えないしなあ。やっぱり、諦めるしかないか。
2002年09月17日 23時36分54秒

9月15日だんだん美味くなる玄米
今日は朝、また玄米を炊いた。だんだん、この味にも慣れてきて、もう食べるのがそれほど苦痛ではない。ただ、玄米は炊き上がるのに時間がかかる上、今朝は多めに炊いたので、1時間以上かかる。なめ茸が切れたので、炊飯器のスイッチを入れてから、フジスーパーにおかずの調達に行った。フジスーパーは朝8時から開いているので、とっても便利♪

おかずに買ったのは、お漬物「かっぱのきゅうちゃん」23バーツ。その横上の棚にはなんと、現地生産の梅干が新登場!製品紹介を見ると、青年海外協力隊の隊員がチェンマイの方で生産とある。230グラムでたったの100バーツ。無添加で健康にも良さそう。同じく現地生産の納豆2個で21バーツ。日本からの輸入納豆もあるけど、値段が3倍。赤だし味噌汁6個1パック73バーツだ。ふっふっふ、粗食で健康的でおしゃれな生活だ。

家に帰ったら、まだ玄米が炊き上がっていなかったので、待ちきれずにチェンマイ産の梅干をぱくり。うーん、紀州梅にも、普通の輸入梅にもちょっと負けてるね。まず塩味が、次に酸味が口に溢れる。が、味に深みとコクがなく、単調な味だ。でもでも100バーツだもんね。海外協力隊が、がんばって技術指導して作ったんだもんね。ありがたく頂こう。

午後遅くに、ソイ39入り口にある写真屋さんに、ビザ用の写真を取りに行った。ここは、ブスに写るから嫌い(え、モデルが悪い?ほっといて!)でも、早いしね。10分で全て終了。2インチサイズで2枚。月末、バングラデシュに遊びに行くので、必要なのだ。ダッカで食べるイタリアンとカレーとアフガン料理がとても楽しみ。
2002年09月15日 20時23分42秒

9月14日一目ぼれ
初めて見た時から、心が惹かれた。彼の鼻筋の通ったきりっとした顔、愛嬌たっぷりのしぐさ。たった1度しか会っていないのに、もう彼を忘れる事が出来ない。久しぶりだ、こんな感情は。。。彼と一緒に暮らしたい。おかしいだろうか、初めて会った相手に、このような感情を抱くのは。彼と暮らし、彼の食事を用意し、彼を抱いて眠りたい。でも、うちはペット禁止なんだよなあ。

夕べ行ったスアンルム・ナイトマーケットで、2ヵ月半のチンチラ(多分、雑種)が売られていた。雑種と思ったのは、顔がきりっとしていたから。チンチラ等のペルシャ系は、顔がくしゃあっと潰れているほど、良い血統なのだ。でも、雑種でも良いから、あのコが欲しい。まだ2ヵ月半。とっても人懐っこくて、檻の中から手を出して、おいでおいでしているしぐさが愛らしかった。まるで、僕を連れて帰ってよ、と誘っているようで。

スアンルムナイトバザール、噂には聞いていたが、行ったのは初めて。チャトチャックより便利(駐車が楽)で、奇麗(まだ新しいから)で涼しい(夜だから)というのが、第一印象。ナイトバザールの方が、家から近いし、これからはちょくちょく来よう。お気に入りのアロマグッズも安いし。

昨日買ったのは、アロマオイルエッセンスのマンダリンとレモンで100バーツ、小さなグラスに入れられたアロマキャンドル6個100バーツ(3個だと50バーツ)、別のお店でアロママッサージオイルが大ビン200バーツ、オイルエッセンスのローズが80バーツ。また、別のお店でかわいいブラウスが190バーツ。これだけ買っても合計670バーツの安さ。エンポリではオイルエッセンス1個で900バーツなんて、アホみたいな値段を言われたので、このナイトバザールは超お薦め。

この日、バザールに出かける前に行ったのは、ランスアン通りにある「大の樹」という和食レストラン。トルコで日本食レストランを開いていた日本人夫婦が、トルコに骨を埋める気はない、と移ってきたらしい。トルコでもタイ人シェフを雇っていたので、タイに親しみがあったようだ。

ここは、フリーコピー誌に紹介されていたのだが、一般的にフリーコピー誌に紹介されたレストランは誇大広告が多く、おいしい!と思うより、がっかりする事の方が多い。まあ、こういったフリーコピー誌は、お店の広告宣伝をして稼いでいるわけで、誇大広告にならざるを得ない部分もあるのだろう。でも、この大の樹の料理は、おいしかった。お客さんもひっきりなしに来て、満席まではいかないけど、そこそこ客が入っている。おいしいからだろう。料金は、大の樹ステーキ(大根おろしの乗った和風味)450バーツ、たこの柔らか煮・200バーツ、デザート3種(好きなものを3種類選べる)150バーツ、冷酒1本300mlで350バーツ、これしか覚えていない。一緒に食べた友人のご主人が、お財布係りになってくれたので。いよっ、太っ腹。
2002年09月15日 19時08分31秒

9月12日お休み
今日は朝、病院に行くつもりだったので、運転手には8時に迎えに来るように、昨晩の内に言っておいた。お陰で、朝はゆっくり7時に起きた。ああ、幸せ。それからシャワーを浴びて、玄米を炊飯器で炊いた。前回は、お鍋でリゾット風に煮たので、おいしくなかったのだと思う。炊飯器でちゃんと炊いたら、きっとおいしいよ、うん。

半合のカップひとつ分の玄米に、白米の2倍弱の水を入れて、スイッチ、ポン。半合とは、白米だと15分くらいで炊き上がる量。玄米でも、せいぜい30分くらいだろうと思ったら、なんと炊き上がったのは8時5分。1時間もかかるとは。運ちゃんには、あと30分待てと携帯に電話を入れる。炊き上がった玄米と一緒に、豆腐と若芽の味噌汁(もらいもの)、紀州梅(もらいもの)となめ茸(自分で買った)だけの質素な朝食を食べた。うん、炊飯器で炊いた方がおいしい。でも健康になるのも、結構大変だな、こりゃ。

頭痛が3日続いたので、風邪だと思ったが、医者の口から出たのは、「ストレスでしょう」

なので、今日は会社に行かず、病院から家に直行で帰った。だって、この頭痛がストレスなら、その元凶である会社には、行っちゃいけないのだよ。ふっ。

家に帰ってきて、まずサウナに直行。リラックスしなきゃね。1時間くらいぐだぐだとサウナ室に寝ていたら、お肌がしっとりすべすべになった。うん、気持ち良い。
2002年09月14日 02時57分13秒

9月11日
昨日は二日酔いだったので、お酒は飲まなかったのに、今日も頭が痛い。鋭い痛みじゃなくて、頭に誰かが乗っているような重い鈍痛。寒気もするので、風邪かな。

夜、今までの食生活を反省する。スモークサーモンとエダムやブリ等のチーズが大好きで、これらをつまみに、毎晩赤ワインをグラス1杯飲んでいた。赤ワイン自体は、ポリフェノールの働きで身体に良いらしいが、つまみがよくない。(と思う)もっと、おしゃれで健康的な食事に切り替えよう、と一大決心して、会社帰りに食材を買った。玄米と紀州梅。これだよ、日本人。

鍋に水と玄米を入れ、コンソメスープの元を入れて煮る。煮立ったら弱火にして10分煮てから、野菜サラダ用に切ってあるカット野菜を入れる。更に10分煮込み、野菜がくたーっと柔らかくなったところで火を止め、10分蒸らす。さて、頂きます。げっ、まずい。

玄米って、初めて食べたけど、こんな味だったのか。早くも白い精米が恋しくなる。ああ、健康的な食事って、苦行なのね。この味に馴れるまで、食べ続ける事が出来るのかしら??
2002年09月12日 15時19分52秒

9月10日桃よ、さらば
朝、ベッドから下りたら、ひどい立ち眩みがした。頭の右後頭部も痛い。思わず、ベッドにしゃがみこんでしまった。ああ、もう私は長い事ないのかも知れない、美人薄命っていうし、もうすぐ天に召されるのかしら、ヨヨヨ、と悲劇的気分で1人芝居に酔って、気を紛らわせなきゃいけないほど、ひどい頭痛なのだ。

二日酔い。

ゆうべ、家に泊まったラットと遅くまでワインを飲んだのだが、彼女はあまり飲まないので、私が1人でほぼ一本空けてしまったのだ。水みたいなロゼで、水のようにごくごく飲んでしまったのだが、やっぱ水じゃなかったって事ね。なんとかシャワーを浴びて服を着て居間に入ると、ラットが既に支度を整えてソファに座っていた。良かったね、帰る気になって。

会社でもずっとずっと頭痛。痛みが薄れた時でも、頭の上に誰かが座布団敷いて座っているんじゃないか、と思うほどに頭が重い。おまけに仕事は緊急のものばかりで、全部ほったらかして寝たくなる。ああ、今晩は酒を飲むのはやめよう。

会社の帰りにフジスーパーに寄った。桃が置いてあった列には85バーツの文字が!やったあ!と思って棚に近づくと、そこにあったのは柿。え、ピーチ君ってば、どこに行ってしまったの?とあたりを探したが、もう無い。ああ、ピーチ君。私の口に入る前に、あなたは行ってしまったのね。しくしく。来年、会おうね。
2002年09月12日 14時35分16秒

9月10日(9日分・プチ家出)
サウナの熱地獄で汗をすっきりと出し切り、さわやかに目覚めた月曜日。しっかり仕事をしてさあ帰ろう、とバッグを掴むと、中で携帯電話が鳴っていた。ラットからだ。今、バンコクにいるという。彼女は、ご主人の両親と同居する為に、ナコンパトム県(ローズガーデンがある)に引っ越していた。実家は万国だが、月曜日に里帰りするなんて珍しい。いつもは、週末に来るのに。今週の土曜日は休みだから、一緒に出かけようと誘うと、そんな先の予定は判らないと言う。なんだか様子が変なので、今から会社を出るから、バンコクで待っててくれるなら、ご飯を食べようか?と誘うと、ホッとしたように、今晩は泊めて欲しいと言われた。

3歳の息子がいる、子供思いの母親なのに、うちに泊めてとは。ははーん。8時半にソイ33のノボテルロータスで落ち合い、彼女を連れて、ソイ39にあるタイ料理屋アロイジャンへ。食欲が無いと言いながら、タイ風牛ステーキをペロリと食べるラット。これなら大丈夫。家に連れて帰り、まず彼女用にベッドを整えてかあ、居間でロゼワインの口を開けた。

その間にも、ご主人から数回、彼女の携帯に電話が入る。今晩は家に帰ってくるか、と聞くご主人への返事は「さあね」だ。可哀想に、彼はラットが実家に泊まると思っていたらしい。まさか、自分の妻の家出先が、日本人宅とは思ってもみないだろう。普通は、同じ華僑の友人宅に行くと思うはず。

今日はたくさん買い物したのよ、と言うので、何を買ったのか見せてもらうと、彼女の服と共に出てきたのは、子供用の可愛いシャツ。やっぱ母親じゃん。家出の理由は聞かずに、馬鹿話で笑っていたら「明日は家に帰るね」と言い出した。

雨降って地固まるになれば、良いのだけど。
2002年09月10日 21時21分18秒

9月10日(9月8日分)
今日は久しぶりに、エンポリアムデパートに下着を買いに行った。綺麗な下着を見ていたら、母を思い出した(まだ生きてます)

母は、服装や下着に凝る。特に下着は、美しいデザインを選ぶ。下着泥棒が見たら、私のではなく、母の下着を盗むと思う。下着に凝る理由を聞くと「交通事故なんかで病院に運ばれた時、服は立派でも下着が古かったり、ぼろだと恥ずかしいでしょう。見えない所に気を使うのが、本当の身だしなみなんだよ。」と言っていた。

転ばぬ先の杖って奴ですか。

夜、サウナに行った。更衣室のドアを開けると、メイドさんが3人、床に座り、ジャクージではしゃぐ3〜5歳の子供達を見守っていた。はしゃぐ子供達とは対照的に、メイドさん達は退屈そうに無言で見ている。多分、それぞれの子供の家の住み込みなのだろう。時間は既に夜の9時。住み込みは、休みが無いも同然だから大変だ。

サウナの中には先客がいた。ジャクージではしゃぐ子供達の母親らしい、日本人の奥さん3人で、1人は抜けるように色の白い、綺麗な女性だ。

サウナの中は、異常な暑さ。いつもは30分くらいかけて、じっくりと汗を出すのだが、この日は入って数秒で汗が滝のように噴き出した。暑い。と、彼女達の会話が耳に入るともなく入り、驚いた。イントネーションは日本語なのに、全く理解できない!!私の頭もとうとうイカレたか、と愕然としたのも束の間。彼女達、韓国人でした。サウナと垢すりが有名な韓国だから、こんなに暑くても平気なのか?髪を触ると、熱い!

3人のうちの1人が、蒸気を出す為に熱した石に水を打つ。と、すさまじい熱気が!4人で悲鳴を上げた。勘弁してよ〜!温度調節間違ってるよ。温度は3に設定したかと、3人にタイ語で聞くと、タイ語は判らないと怪訝な顔をされたので、英語で聞きなおすと、3だと皆うなずく。温度調節のダイアルは1から9まで。3で充分に熱いので、9の熱さは想像もつかない。一番綺麗な女性が、(蒸気が熱くて)ごめんねと謝るので、大丈夫と笑顔で答えがが、当然やせ我慢。3人は、しばらくして逃げるようにこの熱地獄から出ていった。彼女達が退却してから、ドアの外にある温度調節を確認したら、最大値の9の更に上、Maximumになっていた。ひゃあ、死んじゃうよー。
2002年09月10日 20時42分28秒

9月7日象さんを見たぞ〜
今日、会社の帰りに象さんを見かけた。というか、今週は毎晩見かけた。雨期なのに雨が少なく、象と象使い達にとっては、過ごし易い月になっているようだ。

今週、毎晩見たのは小象。象使いが1人だけ付き添い、パタナカン通りをエカマイに向かって歩いていた。夜8時から9時にかけて、毎晩である。どこに稼ぎに行ったのかな?トンローはおしゃれなバーや飲み屋が多いので、そこに愛嬌を振りまきに行ったのだろうか。小象と言っても、軽自動車くらいの大きさである。

東南アジアの象は、アフリカ象に比べて、体が大きいのが特徴らしい。でも、アフリカ象は気性が荒く、馴らすのが大変だが、タイ近辺にいる象は、気性が穏やかで人によく馴れる。しかも、小象の頃はやんちゃで、呼べば犬のように走ってくる。本当だよ。象使いとの絆も非常に強い。タイの象使いは、一流なのだそうだ。象と象使いの関係を見ていると、マキャフリーの「パーンの竜騎士」シリーズを思い出してしまう。

3日ほど前には、親らしき象2頭も見かけた。象は体が大きくて歩道に収まりきらず、車道にはみ出すようにして歩くため、渋滞を避ける為か、集団で歩く事はしないようだ。
2002年09月08日 00時35分08秒

9月5日 ピーチ君再び
ふっふっふ、へっへっへ、ほっほっほ、ぐふふふ〜!

ああ、笑いが止まらない。今日、フジスーパーに行ったら、なんと!2日に涙を飲んで諦めた日本直輸入のピーチ君が、早くも値下げされているではないか!たった3日過ぎただけで、125バーツが95バーツになっていた。3日で30バーツの値下げ!!!という事は、10日後にはフリーに?(ならないよ、と自分に突っ込み)

ま、無料というのは冗談にしても、80バーツまで下がったら、1個だけ買おうと思う。桃なんて、傷むのが早い果物だからね。スーパーだって、痛んだものを捨てるよりは、出血大サービスで売った方が、良いでしょ?

でも、2日に見た時より、数がかなり減っていたなあ。125バーツでも買う人がいたって事ね。ああ、悔しい。いやいや、他人を羨んではいけない。出来る範囲で見栄を張らずに。うん、この精神を忘れちゃいけない。そうじゃなくても、無駄遣いが多すぎるんだから。
2002年09月06日 01時00分41秒

9月3日、豚さんとドナドナ
ドナドナドーナ、ドオナア〜、儚い命♪

別に気が触れた訳では無いので、ご心配なく。今日、会社からの帰途、モーターウェイで、豚さんをぎゅうぎゅう詰めに満載した、ピックアップトラックとすれ違った。豚さんはまだ100%生きていたが、これからバンコクで堵殺され、解体される運命にあるのは、一目瞭然。で、冒頭のフレーズと共に物悲しい旋律が、頭の中でしばらく奏でられた。豚さん達だけではない。アヒルを満載したトラックとすれ違う事もある。やっぱりアヒル達の行き着く先は、我々の胃袋だ。

高校3年生、まだお下げ髪の似合う清純な乙女だった頃(私にも、そんな時期があったのよ、突っ込まないでよね!)に、60年代の古い映画をテレビで見た時の事。戦争直後の貧しい時代を描いた社会派映画だったのだが、牛飼いが連れていた牛を、主人公達のグループがかどわかして、殺して食べてしまうシーンがあった。もちろん、実際に殺す訳じゃないし、腹を切り裂いて飛び出た腸も、その牛のものじゃないのは、頭では理解していた。が、あまりに衝撃的なシーンで、多感な乙女はその後、半年ほど、牛だけじゃく、全ての肉類を見ると胃がむかついて、肉類を食べられなくなった。

あれから20年が過ぎた現在、豚やアヒルの堵殺予備軍を見ても動じない、可愛気の無いおばちゃんになった。生きる事は食べる事。生き物を殺すのが嫌でベジタリアンになった人もいると思うが、それを言えば、植物だって生きている。泣き叫ぶ動物の命は奪えないが、もの言わぬ植物の命は奪っても平気なのか?健康等の理由でベジタリアンになる人達には、その意志を尊重するけど、肉食を悪として非難する狂信的なベジタリアンには、共感出来ない。

草食獣にしろ、肉食獣にしろ、他の命を奪って自分の命を紡いでいる。弱肉強食は自然の摂理だ。だから、これから堵殺される豚を見ても、可哀想などと甘ったるい感傷には浸ら無い。代わりにおいしいポークソーセージやジューシーなベーコンを想像し、感謝して残さず食べようと思う。それが、一番の供養だと信じているから。だって、人間の胃袋を満たすために屠られたのに、それを食べ残したら、彼等はそれこそ犬死じゃないか。

ああ、なんと可愛気の無い女になったもんじゃ。
2002年09月04日 01時13分38秒

9月2日串揚げを喰う
今日は、午後2時過ぎに会社を出て、上司と一緒にナコンパトムの外注先に行った。いつもは別々の車で行くのだが、今日は、午前中は外出予定が無かったので、私の車はアユタヤ方面の用事に出してしまい、まだ戻って来なかったので、上司の車に同乗した。しゃーないや。

上司の運転手は、もとは私の運転手だった。性格が穏やで、運転手にしては英語が流暢というので、窃盗事件を起こした運転手をクビにしたばかりの上司に、デラさんの運転手が欲しい、と言われ、仕方なく手放したのだが、久しぶりに彼の運転する車に乗って、思った。手放して良かった。いやあ、運転が下手なんだな。自分で使っていた頃は、性格の良さに免じて、細かい事は気にしないでいたのだ。彼の運転の下手さに気付いたのは、現在の私の運ちゃんが非常に運転が上手くて、かつ道をよく知っているから。9人目にして、やっと良い運転手に巡りあえた、9という数字はやっぱり縁起が良いわと思ったが、あんまり今の運ちゃんを人前で誉めると、また上司にデラさんの運転手が欲しい、と言われかねないので、「今の運ちゃんは、運転が荒くてねえ」と心にもない事を言って、ため息をついて見せる。

帰りは意外と早くバンコクに着いたので、上司が珍しく晩飯をおごってくれる事に。でも、お互い疲れていたので、家の近くという事で、フジスーパー2号店3階の串揚げ専門店、プロ-シェットへ。私は串10本セットコース、上司は同じもの+カレーライス。男ってのは、食うなあ。ここの食事は、串揚げも定食も、結構おいしい。日本人シェフの目がきちんと行き届いているからだろう。成犬と生まれたばかりの子猫を一緒に飼うと、子猫はミャアミャアと泣かずに、ミャワン、ミャワンと限りなく犬に近い泣き方をする、というようなアホな話をしていて、ふと上司の隣りを見ると(プロ-シェットはカウンター席のみ)一つおいた隣りに見覚えのある顔、見覚えのある工場のユニフォームが。ああ、外注先のIさんだ。全くバンコクの日本人社会は狭い。前回、上司とラーメン亭に行った時も、取引先の人とばったり会った。やっぱ、フジスーパーは日本人の社交場ってのは、本当だね。
2002年09月02日 23時49分35秒


9月2日(9月1日分だよ)
今日は、朝10時に起きて、まず6階のサウナへ直行。1時間ほど、体中の水分を搾る。でも、水分補給も忘れずに。

実は、金曜日に浅漬けのキュウリとカブの漬物をそれぞれ1パック、ぺろりと平らげちゃったのだ。浅漬けといえども、いっぺんに食べるとものすごい塩分摂取量となる。で、この塩分がクセモノなんだな。身体中がむくんでしまったのだ。土曜日も出勤日だったので、我慢して会社に行き、今日、サウナで汗と共にむくみをも流し去ろう、との魂胆。これは成功。身体(特に足の脛)は余分な水分が抜けてすっきり、その後のお風呂では、垢がたっぷりと擦れた。垢すり後のお肌は、すべすべに。うふふ。

それから、カマンベールとエダムチーズ、コーヒー、クロワッサン&スモークサーモンという、いかにも健康に悪そうな高カロリーの朝食(兼昼食)を取る。なんて無節操な私。そして、近所のマッサージ屋へ。先週、アロマポットをもらったところだ。今日は、ただのオイルマッサージ。新人さんが担当してくれたが、下手だったので、私は強めのマッサージが好き、今日のはよくなかったとオーナーさんに言って、来週は別の人にしてねと頼む。チップは、あげなかった。だって、リラックスしに行ったのに、下手でイライラしちゃったんだもの。

マッサージが終わって、お隣りのフジスーパー2号店へ。なんと!!新着アイスあり。イタリアからの輸入アイスクリーム&ジェラートだ。バンコクでジェラートが買えるなんて!!!!300グラムで通常140バーツのところ、新着プロモで99バーツに。ジェラートじゃなく、アイスクリームのティラミス味を買う。2,3日かけて、ゆっくり味わおうと思ったのに、スプーンで一匙すくって口に入れた瞬間、そのうまさに、止められない止まらない状態に。ぺろりと食べきってしまった。カロリー高いけど、ま、いいや。食べたいもの我慢して、ストレス溜めるより、よっぽど健康的だよ、と自分を慰める。

125バーツ。百二十五バーツ。ひゃくにじゅうごバーツ。ああ、1個125バーツだよ、日本から輸入された桃。フジスーパーの果物売り場で見つけた。柔らかそうで、おいしそうで、でも手が出ない。桃1個に、125バーツは、ちょっと高すぎ。生活は豊かにゴージャスに、でも出来る範囲で見栄は張らずに、がモットーだからね。桃1個に125バーツは、私の金銭感覚が許さない。ゴージャスな生き方ってのは、金さえ払えばだれでも出来る。下手すれば、とても下品な生き方になる。だから、見栄は張らない。泣いて諦めよう。ピーチ君、さらばじゃ。来年、縁があったら会おうね。
2002年09月02日 22時34分02秒

9月2日(8月31日分だよ)
先週は、金曜日の夜からほとんどヤフーもMSNもホームページが立ち上がらなかった。つまり、ホットメールのチェックは出来ないし、この日記の更新も出来ないし、出た邦の掲示板も、はなちゃんのモントリオールの日記も、Narumiさんの日記も、全部読む事が出来なくて、超イライラした。プロバイダのメールは送受信出来たので、ネットには繋がっていたはずなのに、これは一体どういう現象だったんだろう。

さて、土曜日の夜にフジスーパー2号店3階にある「宅配ビデオ」で、「千年の恋」を借りた。千年の駄作かと思った。いや、別にね。国文学出身といっても、古代前期が専攻だったから、畑違いの源氏物語には、特別な思い入れは無いんよ。でも、ありゃあひど過ぎるね。見ている人への説明不足、時代考証のいい加減さ、史実を無視した後宮の描き方とかさ。おまけに、なんで松田聖子が歌いながら、ひらひらと空を飛ぶわけ?わざわざ松田聖子を出す為に、架空の人物を作ったっていうけど、なんじゃありゃ。物語の流れに全然沿ってないじゃん。それに、紫式部自体をも美化し過ぎ。式部日記を読めばわかるけど、彼女って根暗で嫉妬深くてナルシストのおばちゃん。まあね、吉永小百合主演だから、素晴らしい人物にする必要があったのは仕方ないけど。ああ、レンタル料の55バーツ、損しちゃった。

元宝塚の男役に光源氏をやらせた英断には、拍手を送ろう。パチパチパチ。
2002年09月02日 11時49分48秒

8月29日夜に雷雨
今朝、部下の1人、ピムが胃痙攣を起こして机につっぷしてしまったので、早退させて病院に行かせた。先週火曜日の夜は、ディーという別の子が肺炎で入院したし、うちの部署は今、満身創痍でぼろぼろの状態だ。最高に忙しかった時期に、誰も倒れなかったのは、きっと気が張っていたからだろう。最近、少し時間に余裕が出てきたので、身体が、体調不良を訴える体内の声に、耳を傾け出したってところかな。

上司は、先週ディーが入院した時、「タイ人ってのは、日本人に比べて我慢やがんばりが足りない。S工場長は、どんなにひどい二日酔いでも決して会社を休まないだろう?」とぬかした。おいおい、入院するほどひどい肺炎と、飲み過ぎの二日酔いを同レベルに比較するなよ。こいつは、ディーの入院に絡めて、さんざんタイ人は根性無しだとぶー垂れたくせに、今日は「気分が悪いから早退します。」だってさ。全くこれだから、お坊ちゃまは。。。

帰りは、久しぶりに雨期らしい雷雨&豪雨だった。まるで、巨大なバケツを空の上からひっくり返したような豪雨。工場を出て高速に乗ってしばらくは、晴れていたが、バンコクが近づくにつれ、バンコク上空を覆うどよーんとした真っ黒い雲が見えてきた。げ、やばいと思ったら、降り出した。もう、道路は川状態。こりゃあ、家まで3時間かかるかも、と覚悟を決めたが、幸いペッブリ通りまでは渋滞が到達していなかったようで、すいすいすいとスムーズに車が走れた。日ごろの行いが良いからかしらん?
2002年08月30日 00時37分20秒

8月28日
今日は、なんだか風邪気味だわ。特に、午後から気分が悪くなり、寒気もしてきた。ああ、早退したかった。でも、そういう時に限って、急な仕事が入るんだなあ。

一般的なタイ人って、どうして理解力がこんなに足りないのだろう。。。10説明して、やっと2か3理解出来るって感じ。もちろん、能力の高いタイ人は、その辺の日本人以上に使い物になる。だから、全てのタイ人が馬鹿とは言わない。でも、平均的な日本人と、平均的なタイ人を比べたら、圧倒的に日本人の方が、理解力は高いし、教えなくても、自分で創意工夫が出来る。ああ、ここはタイ。風邪に加えて、胃まで痛くなってきたよ。
2002年08月29日 00時07分16秒

8月25日(日)晴れ午後くもり
今日は、いつも行くマッサージ屋さんで、アロマポットをもらった。アロマオイルエッセンスを焚くポットの事で、アロマポットの上部に水を張り、そこにアロマオイルを5滴垂らす。そして、下の方に丸型容器入りの蝋燭に火を付けて置く。上の水が温まると、オイルの凝縮エッセンスが香りだす仕組みだ。

このポットは200バーツほどだが、マッサージ屋のオーナーさんの好意で、無料で頂いた。決して、脅し取った訳ではない。タイアンティーク風で、チーク材の家具が置かれたデラの部屋に、しっくりと合う。セラミックの白磁に薄いピンクの花模様の入ったアロマポットもあり、こちらは300バーツ。アロマを焚くには、容器入りの蝋燭とアロマオイルエッセンスも必要。前者は10個入り50バーツ、後者はそのマッサージ屋の使いかけ(8割は残っていた)を150バーツで譲ってもらった。計200バーツの出費で、予想した程には高く無かった。当初の予算は、アロマオイルエッセンスも含めて、800〜1000バーツだったので、得した気分。

帰宅して、早速ディナー時にラベンダーエッセンスオイルを焚く。う〜ん、これこれ、この香り。ああ、極楽じゃ。
2002年08月28日 00時32分57秒

8月24日良いお天気
今日、生まれて初めて自分のホームページを持った。自分で作った手作りホームページ。

これからは 電脳オンチと呼ばせない 8月24日はホームページ記念日 (なーんてね)

さて、今日は日本から友人がお姉さんと2人でバンコクに遊びに来た。で、ブラウンアイズに行った。ソイ39にある日本風の喫茶店。サーモンマリネとスパゲッティペペロンチーノは普通に美味かった。アンチョビのサラダも○。そしてそして、薄い生地のシーフードカレーピザ。これは座布団10枚の美味さ。薄い生地に、カレー風味のソースがよく効いていた。食事にはハウスワイン(スペインの赤)、食後のデザートにデラはケーキとコーヒー、姉妹はシンハービールを2人で1本。これで1418バーツ。

その後、スクムビットソイ11奥にあるQ BARへ。ここは週末になると、在バンコクの白人とタイ人のお金持ちで賑わう、おしゃれなバー。夜11時を過ぎると、1階は芋洗い状態のディスコと化す。デラはおばちゃんなので、ディスコはパスして、2階のテラス席へ。う〜ん、良い風だなーと思ったら、扇風機の風だった。ま、こんなもんか。
2002年08月25日 23時42分05秒

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