去年8月から今年1月までの日記を、HPに戻す事に成功!でも、位置がイマイチ変。まあ、これが今の私のHP作成技術レベルって事で、ご容赦願いまする。

4月30日(水)王宮付近をお散歩
水曜日は午後からバイトが無いので、友人と、スクムビットから王宮エリアに効率良く行ける方法を模索しに行った。王宮エリア(カオサンやバングランプ−含む)はBTSがないので、とっても不便。船でも行けるけど、逆にスクムビットには船着場が無い。バスはさっぱりわからない。タクシーで行くには、芸が無さ過ぎる。地図を眺め、タクシー以外で外国人がわかり易く行ける方法はないか、検討していて、BTSと船の乗り継ぎという方法を思いついた。

エンポリアム前からBTSに乗り、サイアムでシーロム線に乗り換え、終点のサパーンタクシン駅へ。乗り換え時間も含めて約30分強で40バーツ。この駅はチャオプラヤー河に接しているので、駅の階段を下りたら直ぐ船着場だ。船着場は左右両方にあるのだが、右がわは河を渡る渡し船専用の船着場なので、左側の船着場で待つ。スピードボートのチケットも売られていたが、庶民と同じ船に乗りたいので、観光客相手の船はパス。待つ事10分で、お目当てのボートが来る。カオサンまで8バーツ。安い!船は快適で、河の両岸の風景を眺めながら約40分。BTSと船と待ち時間を合わせると、スクムビットから王宮やカオサンエリアへは、約1時間10分の旅で48バーツ。船内に白人が乗っていれば、船の集金係りのおねえさんが、カオサン、バングランプ−と声を張り上げてくれるので、下りる船着場を間違える事もない。ただし、船に白人客が乗り合わせていない場合は、おねえさんが集金に来た時に、カオサン、カオサン、と連呼しておけば良い。

カオサン・バングランプ−の船着場に直結した地元のレストランで、河を眺めながら、軽く腹ごしらえ。それから王宮前広場方面に向って歩き出すと、日が暮れてきた。王宮前広場付近では、各寺院がライトアップされ、非常にロマンチックな雰囲気。女同士で歩くのは、ちょいと無粋ですなあ。でも、たまには良いですね、こんなゆったりした時間。しばらく夜風に吹かれながら、ライトアップされた寺院をはしごして、それからタクシーでスクムビットに戻った。夜の7時半にタクシーに乗ったのだが、渋滞はなく、30分弱でナナ付近に到着。63バーツなり。タクシーを降りたら、王宮前エリアの涼しい夜風がまるで嘘のように、モワアッと蒸し暑い空気で、ここは同じバンコクか!?と思ってしまった。
2003年05月08日 18時00分13秒

4月29日(火)友人、ゲストハウスに移る
今日は、日曜日に見つけておいたゲストハウスに、友人のYちゃんが引っ越す日。朝、一緒に朝食を食べようという事になり、彼女を連れて大学へ。学食で一皿10〜15バーツでご飯が食べられる、と知って、驚愕していた。そうだよね、屋台より安いもん。味も良いしね。

その後、引越しには、荷物がたくさんあるから、タクシーをつかまえるより、フジスーパーの前にたむろしているシーローが良い、との事で、シーローの料金交渉をしてあげた。フジ前のシーローは、アソ−クまでは片道40バーツだが、アソ−クを越えてソイの19より向うへは、料金交渉しないと行ってくれない。ふっかけてくるかなあと思ったが、こちらが考えていた通りの金額、60バーツと言うので、即オッケー。タイ語が話せると、こういう時は便利だわ。
2003年05月08日 17時58分51秒

4月28日(月)
今日は、久しぶりにスワディー先生の授業の日。この先生、優しいから大好き。それに、ニタヤ先生を始めとする他の先生達と違って、私のタイ語レベルを適正に評価してくれるので、気が楽でもある。つまり、過大評価しないのだ。最近、タイ語の文章をスラっと書けるようになってきたのだが、実はスペルミスがめっちゃ多い。他のクラスメート達の作文は、あやふやなスペルの単語は辞書でチェックしながら書いていくので超遅いが、スペルミスはゼロ。私の場合、さささっと書くが、いちいちチェックしないで、耳で聞いて覚えた発音のままに単語を書いていくので、早いけどスペルミスだらけ。だから、いつもスワディー先生に「このスペルミス、もうちょっとなんとかならないの?」と苦言を頂戴するハメになる。。。また、私の聴解力の弱点も知っていて、いつも訂正してくれる。それも、うれしい。
2003年05月08日 17時57分45秒

4月27日(日)アラブ人街探索
Yちゃん、今日はウィークエンドマーケットに行くという。私は暑いから、パス。4月にウィークエンドマーケットなんて、自殺行為だわ!彼女を送り出す前に、朝昼兼用のブランチを取る事にした。スパゲッティが残っていたので、それを固めに茹でて、ざるで水気を切り、麺がくっつかないように、オリーブオイルを少量垂らす。それから、ガーリック入りの塩をざっと振り、ここからが本番。永谷園の『納豆さまさま』と『梅干さまさま』ふりかけを2袋ずつ計4袋振り掛けてよく混ぜる。ふりかけの納豆なのに、粘りが程好く出て、美味いんだな、これが。即席納豆梅和風スパゲッティの出来上がり。これを、オーストラリア産の白ワインと一緒に頂く。朝からワイン。でも良いの、日曜日だもん。

お昼前にYちゃんが出かけた後、私はマッサージ屋に午後3時で予約の電話を入れる。2番を指名すると、今日も来ていないという。2週間以上も来ていないって事は、辞めたって事ね。「辞めたの?」と聞くと、ずっと来てないから、そうかも知れないという。タイ人って、辞める時にはっきり辞めるって言わない人が多いのよね。辞めたくなったら、行かない。それだけ。ま、いいんだけど。で、予約を受け付けるマネージャー女性に、「前回の若い子は良くなかったから、2番が辞めたんなら、今日はキャンセルする」って告げると、彼女は慌てて「今日はベテランの本当にうまい人を用意するから。」と引き止めにかかる。へーえ、じゃあ前回はやっぱりベテランじゃなかったのね、と突っ込みたいのを我慢して、とりあえずもう1人、試してみる事にした。

3時に行って、2番の代わりのおばちゃんを試して大正解。2番よりもっと上手いんだもん。短気を起こしてキャンセルしないで、良かった〜!!このおばちゃん、上手いだけじゃなくて、私の凝った部分を探り出し、一生懸命に凝りをほぐそうと、指と腕と肘を駆使してマッサージしてくれる。よし、このおばちゃんに決めたぞ!

5時過ぎに部屋に戻り、ヨーグルトを食べながらテレビを見ていたら、武蔵が始まってしばらくして、Yちゃんが帰ってきた。2人でそのまま武蔵を見終わり、それからアラブ人街(スクムビットのソイナナ)探索に行く事になった。ソイ11にあるゲストハウス見学も兼ねている。長く私の部屋に居られても、私の方も何かと都合が悪いので、BTS駅の近くで便利が良くて1泊500バーツ以内で良いところがあれば、と探す事になったのだ。シェムリアップで知り合った日本人達は、男も女もカオサンで1泊60バーツや80バーツのドミトリーに宿泊していたけど、カオサンはBTSが無いから不便だし、ドミトリーもいやって事で、候補はこのソイ11のゲストハウスか、サイアム駅近くのゲストハウス群。今晩、ソイ11のゲストハウスが気に入らなかったら、明日はサイアムの方の下見に行く事にして、まずはソイ11の方から。

入り口付近を見て、すぐにYちゃん、そのキッチュな雰囲気に飲み込まれてしまった。「かわいーい、素敵」を連発。フロントのスタッフのフレンドリーな対応も気に入り、しかも部屋も清潔。って事で、即決してしまった。サイアムの方もみて、比べた方が良くない?と聞いたけれど、こっちの方が駅に近くて便利だから、との事。共同のトイレとシャワーに一番近い部屋(つまりトイレ無しの部屋ね)で朝食付きで1泊450バーツ。部屋もゲストハウスのシングルにしては広いし、このロケーションでこの値段は破格。SARSの影響で観光客が減ったから、大幅に宿泊代を下げたようだ。Yちゃん、ラッキー!

予算内のゲストハウスが見付かり、大満足のYちゃんを連れて、ソイ7からナナにかけて、ぐるっとアラブレストランを探索。グレースホテルの手前に、ケバブ屋を発見。ビーフとチキンの肉塊を刺した棒をクルクル回している。どうやって食べるのか聞いたら、肉を削ぎ落とし、ナンのような薄いパンで、野菜と一緒に手巻き寿司のようにクルクル巻くという。1個50バーツなり。早速チキンの方を買う。お味は、うーん。。。作り置きしていたナンのようなパンがパサパサで、チキンもローストされ過ぎて、パサパサ。ちょっと失敗かなあ。次に、ソイ3と5の間の細いソイに、アラブ系のレストランが軒を並べているのを発見。外に出ているメニューを見たり、見本を見ながらお店選び。ぺトラというヨルダンレストランも発見。でも今晩は、その奥にある店外で豪快に肉を焼いていて、指差しでもメニューを選べるアラビックレストランにした。まずは、マンゴージュースを頼む。うわあ〜!完熟のマンゴーをミキサーで粗引きしたジュースで、マンゴーの果肉がたっぷり入っている。シェムリアップで飲んだシェイクを彷彿とさせる激美味ジュースだ。サイアムスクエアーのマンゴタンゴで飲んだマンゴージュースとは比較にならないほど、美味い。これで40バーツは安過ぎだぜ。

料理は、ナン1皿、ビリヤニライス(バターライス)1皿、ケバブ盛り合わせ1皿にマトンカレー。これに水を一本で計435バーツだ。安いか高いかは、個人の好みの問題だろう。
2003年05月08日 17時47分44秒

4月26日(土)疲れた日
今日は8時から10時間のバイトの日。昨日の疲れが全然取れていないよー。疲れてぐったりだけど、気力を振り絞ってバイトへ。バイト終了間際にYちゃんから電話が入る。なんと、予定をチェンジして1日早くバンコクに帰ってきたという。資金が底を尽いたので、明日まで居られなかったらしい。今晩は、ゆっくりのんびりお風呂に浸かりたかったのだが。。。

夜の9時過ぎ、ヨレヨレになってYちゃん到着。昨日行った、天空の城・ラピュタのモデルになったという遺跡・バンメイラは本当に素晴らしかったようで、余った時間で地雷博物館にも行ってきたそうだ。充実した日を過ごしたようで、良かった良かった。
2003年05月08日 17時43分14秒

4月25日(金)恐怖の移動日
朝、Yちゃんはアンコールワットでの日の出再びという事で、5時半過ぎに出発。私はそれからシャワーを浴び、荷物を整えて外の食堂へ出ると、既にバイクの運ちゃん達が食堂のお手伝いをしていた。こいつら、本当によく働くなあ。今日、プノンペンに出発という日本人の男の子も、早朝発のバスを待ちながら、朝食を食べていた。タイのぶっかけ飯みたいな朝食だ。私は、トーストとコーヒーを頼む。ああ、またやらかしてくれたよ、にーさんたち。トーストを頼んだのに、出てきたのはフランスパンのバゲット一本。カンボジアでパンと言えばバゲットしか無いのかい。トーストを知らないなら、メニューから消しなさいね。朝から脱力。ま、いいけどね。

最後まで名前は聞かなかったけど、この男の子、昨夜は近場のインディアンレストランでバングラッスィをやったとかで、それで昨日はろれつが廻らなくてごめんなさい、と謝ってきた。シェムリアップでもバングラッスィが手に入るとは、驚きだ。もう1人の日本人の男の子、K君は勧められてもその類には手は出さない主義だそうで、でもいつまできれいなままでいられるかなあ。2ヵ月半、又は資金が尽きるまで、と決めて、大学を卒業してすぐにパッカ−になって日本を脱出してきたけれど、時々とっても寂しくなる、と言っていた。寂しさから、つい手を出しちゃうって事もある。今、私の目の前にいるこの男の子のように。彼は相当溺れているのか、話は飛ぶわ、心ここにあらずわで、朝から既にジャンキーっぽい。この調子で日本に帰っても、社会復帰は難しそうだ。本人も自覚はあるようで、旅が終わったらバンコクに滞在するという。うーん、バンコクとは、そういう土地なのか?ちょっと複雑。

支離滅裂な彼の話に、どう相槌を打ったら良いのか、ちょっと困っていたら、バイクのにーさんがバスが迎えに来たと知らせにきた。ほっとして、彼に別れを告げた。パッカ−とはそんなに寂しくて、人恋しくなるものなのだろうか?ジャンキーになってまで、旅を続けるのはどうしてなんだろう。答えはきっと、無いのだろうが。

昨日の私のお抱え運ちゃん、ダンが「また来てね」と名残惜しそうにゲストハウスのカードを手渡してくれた。可愛い奴だ。今までは、日本人の女の子がバイクの運ちゃんと恋が芽生えて胸きゅん、なんて話を聞く度に馬鹿な子たちと思ってきたけれど、実際自分が丸1日バイクの後ろに乗って行動を共にしてみると、よっぽど相性の悪い嫌な野朗でも無い限り、親しみの感情が湧くのを実感。私が今より20歳若くて、1週間滞在すれば、ダンと擬似恋愛のおままごとを始めたかも知れない。一期一会の切なさが、若い2人の気持ちを盛り上げるだろうし。なーんて冷静にシュミレーションできる私は、やっぱり既におばちゃんね。

6時半きっちりに迎えにきた国境行きのバス、乗客は私1人。ラッキー、貸切だわと思っていたら、別のゲストハウスで白人3人を拾う。運ちゃんはそのまま、このゲストハウスで朝食。おーい、喰ってから来いよ!!全くカンボジア人ってのは、タイ人そのまんまやねん。結局、30分もこのゲストハウス前に駐車し、やっと出発。と思ったらこのバス、現地人の客を乗せ始めた。バス停なんか無い。乗りたい人が手を挙げ、バスの運ちゃんが行き先を聞き、同じ方向だと乗せるのだ。しかも、彼等は現地人料金だから異常に安いバス賃。一度、満員になって隣りに座った男の子の手に握られていたバス賃をみて、卒倒しそうになった。200リエル、約12円(約4バーツ)。カンボジア側の国境の町ポイペトからシェムリアップまでは、カオサン発のエアコン無し最激安でさえ50バーツするのに。しかも、この50バーツというのは、不安になるほど激安なのに、カンボジア人価格は更にその10分の1って事かい。頭がクラクラしてきたよ。

8時半を過ぎた頃、トイレに行きたくなった。が、トイレ休憩等の気遣いは、この運ちゃんには期待できそうもない。しかもこのバス、相当のおんぼろで、スピードも全く出ない。人をわんさか乗せたトラックにまで、追い越される始末で、国境まで170キロを時速45キロで走ったとして、今8時半だから、11時には着くだろうと計算。それまで我慢出来ると思ったけれど、不測の事態が起こるとも限らないので、やっぱりトイレには行っておきたい。座席はバスの中ほどで、満員だから運転手の元に行く事も出来ないので、隣りに座った男の子のお母さんに、運転手を指差し、ハンドルを握るジェスチャーをしてまた運転手を指差し、それからお腹を押さえてみたけど、うまく伝わらない。と、彼女、片言のタイ語で「プ、タイ、ダイ?」と言ってきた。おおお〜!確かにこれはタイ語だよ。「プーダイカ、チャンヤ−クパイホングナーム」とゆっくり言ったら、ホンナーム!と合点がいったようだ。「運ちゃんに、トイレに行きたいと伝えて」とゆっくり言って、運転手を指差したら、彼女、通路を挟んで隣りにいた現地人男性にカンボジア語で何か言い、その男性が前方に座っていたカンボジア人男性に何か叫び、前方に座っていたその男性が、バスの運転手にトイレと伝えてくれた。まるで伝言ゲームみたいだった。運ちゃんは、オッケーと言いながら、すぐに道路脇にある土産物屋の前に止まった。トイレのサインが出ている。トイレに入ろうとしたら、現地人女性が来て、5バーツという。ハーバーツ、タイ語だよ。しかもバーツだよ。さすがは強いね、タイ貨幣。でも、なんでリエルよりバーツの方が良いのだろうか?

ここで5分のトイレ休憩。バスから出てトイレに入り、またバスに戻る。外に出ていた時間は計50秒ほど。なのに髪の毛は舞い上がるほこりで、ごわごわになっていた。

強引にバスを止めて、トイレに行って良かった。この後、道の真中でエンストを起こした車を避ける為に、草原を突っ切る事になったのだが、前日の雨でぬかるんで、泥にはまって動けなくなったのだ。他の車やトラックも立ち往生している。最初はトラクターがバスの前方にロープをかけて、引っ張り出そうとしたのだが、うまくいかない。こうなったら人力しかない。現地の人がたくさん、スタンバイしている。10人近くがバスの後ろに回り、一斉に押し始めた。なかなか泥から抜け出せないが、泥に埋もれたタイヤの周りに、大きな枯草をたくさん敷き詰め、車輪が廻るように工夫して30分。やっと泥地獄から抜け出し、迂回に成功して道路に戻った。そして小1時間もした頃、また同じようにエンストした車が。。。また草原を迂回するのか、と暗澹とした気持ちになったが、強烈な日差しで泥が乾いたようで、今度は泥もなく、ぬかるんだりもせず、15分ほどで迂回が終了した。

カンボジア側は本当に悪路続き。しかも、運ちゃんが宅配便のような事まで引き受けて、途中で降りた現地人から預かった荷物を、どっかの家に届けたりするんだもん。わずか170キロの道のりを、6時間かけてやっとポイペトに到着した。カンボジアの出国手続きの後は、タイへの入国手続き。この時、SARSの影響か、健康問診表への記載も求められ、全ての書類審査が終了してタイ側に入ったのは、1時過ぎ。ところがどっこいしょ。タイ側のアランヤプラテートからバンコクまでのバスは、11人乗客が集まらないと出発しないという。現在は私とシェムリアップから一緒に来た白人女性の2人のみ。ひゃああ、何時間待つのやら。15分ほどで白人男性1人到着、これで3人になったけど、11人まであと8人必要。どうしようと思っていたら、更に40分ほどでパラパラと白人が到着して、2時15分には11人になった。やった!これでバンコクに向けて出発だよ〜!

ところがバスは、出発して10分もしないで、ドライブインみたいなところに入ってしまった。え、もうトイレ休憩なの?と思ったら、レストランからウェイターが2人、サンドイッチと水のボトルを抱えて持ってきて、我々に配ろうとした。後ろの白人達が、ドア付近にいた白人夫婦に「受け取るな!」と声をかける。「いくらチャージされるか判らないぞ」との声も聞こる。が、真中の列にいた男性が「いや、これはどうやらコンプリメンタリーらしいぞ。受け取っても大丈夫だ」と言い出して、やっと全員がサンドイッチと水のボトルを受け取った。と、私のすぐ後ろにいた白人女性が「初めてフリーでものを受け取ったわ」とボソっと呟いた。そうか、みんなカンボジアで相当やられたんだね。グリーディーとしか言い様のないカンボジア人達、多かったもんね。おかしくて、噴出しそうになっちゃった。

カンボジア側の悪路が嘘のように、快適に整備されたタイ側の道路。アランヤプラテートからバンコクまでは、シェムリアップからポイペトまでの距離の約2倍なのに、約半分の時間でバンコクに入った。運ちゃんからは、スクムビットは通らない、カオサン直行だと言われていたので、交渉して途中で降ろしてもらった。すぐにタクシーが来て、このタクシーの運ちゃんがまたとっても良い人で、近道を通ってくれたので、金曜日の渋滞に巻き込まれずにアパートに帰り着く事が出来た。シェムリアップのゲストハウスを出てから、13時間後の事だった。つ、疲れたよ〜〜〜!
2003年05月08日 17時39分51秒

4月24日(木)アンコールワットは世界の遺産です
ドンドンドン、ドンドンドン。ドーンドーンドーン。誰かがドアを叩く音に、はっと目が覚めた。やばい、今朝はアンコールワットで日の出を拝むんだ。バイクの運ちゃんが起こしに来たのだろう。急いで明かりをつけ、シャワーを浴びて支度を整える。隣りのイギリス人達の部屋からも同時にシャワーの音が聞こえてきた。彼等も行くのか。

支度を終えて外に出たら、もんちっちと歌舞伎の2人ではなく、バスの中でガイドと名乗ったウィ−と、その弟分のダンが今日の我々のお相手だという。昨日の2人組みは、バスで一緒になったチェコ人カップルのお相手を務めるらしい。Yちゃんはウィ−のバイク、私はダンのバイクにまたがって、いざ出発。どんどん日が昇っていき、アンコールワット遺跡への入り口で1日入場券を購入している間に、完全に日は昇ってしまった。私は明日帰るから1日入場券だけど、Yちゃんは日曜日まで滞在するから3日間の有効券。3日有効のチケットは顔写真がいるらしい。持っていないと言ったら、無料で写真を撮ってくれたそうだ。遺跡の入場券としては破格の高さ、1日券で米20ドル、3日券で40米ドルも取るんだから、写真くらいは無料にしなきゃね。Yちゃんが写真を撮っているのを待っていたら、昨日財布を擦られたと言っていた女の子も、バイクの後ろにまたがってやってきた。カードのキャンセル等、うまくいったようで、晴れ晴れとした笑顔で、じゃあまたね、と挨拶。良かったね。私たちもバイクにまたがり、遺跡の中へ。おおお、見えてきました、あれがアンコールワット。ほーっとため息が出た。ウィ−たちに、ここで待っているから1時間後にね、と言われ、アンコールワットに向って歩き出した。

入り口に向う表参道で、早くも朝食の客引きに会う。噂には聞いていたけど、君達ってホント、どこにでも出没するんだねえ。その内の1人が、丁寧に写真スポットを教えてくれたので、ありがとうとお礼を言ったら、バイクは要らないか、朝食は済んだかと言いながら、後ろをついてきた。「私たちは既にバイクを雇っているので、必要ないの。でも、ありがとう。」とお礼を言いながら丁寧に笑顔で断わったら、すぐに引き下がってくれた。笑顔で丁寧に。これがミソ。恨みを買わずに切り抜けられるからね。

階段を数段登って門をくぐり、中に入る。なんというか、わーっと声にならない感動が胸の底から湧き上がる。歴史の教科書でしか見た事のなかった遺跡。そこに今、自分がいると思うと、とても不思議な気持ちがする。素晴らしいとしか言い様のない、見事な建築物。忽然と歴史の表舞台から消えた建物。

回廊の途中には仏像があり、おばあさんがそれを守っている。見ていると、おいでおいでと手招きして、火の点いた長い線香を差し出す。でも、ここはカンボジア。受け取ったら最後、何ドル吹っ掛けられるか知れたもんじゃない。もしかしたら、心ばかりの寄進でよいのかも知れない。もしかしたら、無料かも知れない。でも、さんざんカンボジア人の、旅行者にたかる姿を見てきたので、条件反射で避けてしまう。そんな自分が、悲しい。でも、たった1日でそんな警戒心を旅行者に起こさせるカンボジア人が、もっと哀しい。

回廊を過ぎると、奥に中央本殿があった。幅の異常に狭い階段が上まで続いている。こういうのを見ると、登りたくなるのよね。ステップの幅が狭すぎて足場が悪く、登りづらいけれど、登り始めた。が、3分の1ほどを登ってふと下を見て、背筋に冷や汗が垂らりと。。。階段のステップの幅が狭いって事は、傾斜が急って事なのよ。つまり、たったの3分の1登っただけでも、相当な高さに感じるのだ。冷水を浴びせられたようにゾッとして、登るのを断念、一段ずつ滑らないように気を付けて下に下りた。Yちゃんは、さすがに若い。スルスルっと登ってしまい、上から「デラさーん、おいでよ〜!上からの眺め、絶景だよーっ!」と私を呼ぶ。「嫌だ、絶対ムリ。」と言ったものの、せっかくのアンコールワット。ここで登って上からの景色を肉眼で見ておかなければ、きっと残りの人生、後悔する(大袈裟な〜)と思い、決死の覚悟で再度登り始めた。今度は下を見ないように、上も見ないようにして、目の前のステップ部分だけを見ながら、這うように一段づつのぼり、やっと頂上に到着。ほっとしたのも束の間。階段のステップ幅の狭さが、今更のように目に迫り、身体が小刻みに震えてきた。こ、こ、ここを今度は下りるのか。。。

本殿頂上からの景色は、清々しいまでに素晴らしい、でも心はあの階段を下りる事を考えて、千路に乱れる。ふと脇を見ると、白人女性がペーパーブックを取り出して、読書を始めた。す、すごい。こんな絶壁で本を読むなんて。。。風景を堪能し終わったので、いよいよ下りる事になった。吸った息は吐くもの、登った階段は下りるもの。後ろ向きになって、階段のステップに這いつくばるように、一段一段足場を確認しながら、下り始めた。足だけじゃなく、全身が恐怖で小刻みに震えている。ステップを掴んでいるこの手が、汗で滑ったら。もし足を踏み外したら。。。文字通り、ブルブル震えながら、下りた。地面に足が届いた時は、安堵のあまり、涙が出そうになった。

時計を見たら、朝6時半過ぎ。日は昇ったが、まだ涼しくて空気もとっても清々しい。約束の7時まで、ブラブラと表参道を散歩する。アンコールワットの敷地から出たら、全然知らないにーちゃんが、あっちあっちと指を指す。なんやねん、と思っていたら、ウィ−とダンがいた。これから朝食を食べて、今日の観光コースを決めよう、という事になった。てっきりゲストハウスで朝食かと思ったら、遺跡の近くの屋台群へ。一番左端のお店に入ろうとしたら、子供達にわっと取り囲まれた。お店の人が出てきて、子供たちを追い払う。物乞いではなくて、物売りだ。アンコールワットに感動したので、絵葉書を数枚、後で買おうと決めた。まずは腹ごしらえ。メニューを見たら、ドル建て。もう、勘弁してよね。フランスパンのバゲットとバナナシェイクを頼む。バゲットもおいしかったけど、それ以上にシェイクの美味さに感激。いやあ、バンコクで初めてスイカのシェイクを飲んだ時の感動が蘇った。うまい、美味すぎるのだ。カンボジアで何故こんなに美味いシェイクが飲めるのだろう?誰が彼等にこの飲み物を伝授したのだろう??

朝食を食べ終わったところで、ウィ−がテーブルに来て、今日はバンテアスレイまで遠出して、そこからアンコールワットに戻りながら、途中に点在する遺跡を見て行こう、となった。早朝のアンコールワットを含め、バンテアスレイ、タプロム、バイヨンも見て、1日バイク貸切で15ドル。日系の手配ツアーがバンテアスレイのみの観光で40ドルをチャージしていた事を考えると、移動の手段がバイクとはいえ、充分に納得出来る料金だ。即決。

朝食の店を出たら、また子供達がわっと寄ってきた。5人の子達が持っている絵葉書の中で、一番小さい女の子の絵葉書集が一番気に入った。7歳くらいの男の子に渡された絵葉書を返そうとしたら、その子はツーダラーツーダラーと言って、受け取ろうとしない。女の子から買うつもりだったが、女の子もツーダラーと言う。おいおい、絵葉書に2ドルは吹っ掛けすぎだよ。男の子は私が彼の手に絵葉書集を戻そうとするのを、頑として拒否。そうか、そういう手もあったか。でもおばちゃん、買わないよー。男の子に無理やり絵葉書を戻し、それでも受け取ろうとしないので、彼が持っていた袋の中に強引に入れ、女の子にはワンダラー、と言った。女の子はツーダラーと言い続ける。4,5歳前後の幼女相手によくやるなあ、と思いながらも、シビアに料金交渉。ワンダラー、ノー?バイバイ。と言って立ち去ろうとしたら、慌てて袖を引っ張って、ワンダラーオーケー、ワンダラーと連呼するので、絵葉書集(10枚1セット)を受け取って1ドル紙幣を彼女に渡した。

バンテアスレイに出発する前に、一度ゲストハウスに戻ってもらう事にした。朝食で戻るって思っていたし、水等の補給が必要なのだ。Yちゃんは、近くの市場で長袖のシャツを買いたいっていうし。暑い日中に外を出歩く時は、半袖じゃなく、長袖を着た方が強烈な日差しを避けられて良いのだ。朝、薄い長袖のブラウスを着ていた私を不思議そうに見たYちゃん、太陽が高く昇って日差しが強くなるにつれ、長袖の意味がわかったらしかった。

市場はゲストハウスの斜め向いにある。そこで長袖のシャツをゲットし、その場でTシャツの上から羽織るYちゃん。さあ、バンテアスレイに向けて出発だ。ダンがバイクを運転しながら、市場で色んな人から「今日はカンボジア人を乗せてるのかい?」とか「彼女はカンボジア人か?」と聞かれたと教えてくれた。うーん、それは多分、私の服装のせいだろう。タイっぽいブラウスに足首までの長いインド綿のスカート。ぱっと見には、ローカルに見えるからね。小道を走っている途中、ダンが「あそこでタイゾウさんが死んだ」といきなり遠くの野原を指差した。タイゾウさん。。。タイの象さん?まさかね。どうも日本人男性の名前らしい。「ポルポトの地雷でボン、殺された。」とつたない英語で一生懸命説明してくれる。ダンは日本人なら全員タイゾウさんを知っていると思っているようだ。タイゾウ?泰三?泰造?あっ、やっと思い当たった。アンコールワットの写真を撮りに来たカメラマン。「地雷を踏んだらサヨウナラ」という映画にもなった人だ。そうか、彼はあそこで亡くなったのか。バイクはとうに現場から遠ざかっていたが、心の中で合掌した。

道の途中、潅木で道路を封鎖している場所があった。警備員らしきおっさんがいて、遺跡の入場券を見せろと言う。あ、そうか、朝買ったアンコールワットの入場券って、付近一帯の遺跡全ての入場券なんだ!そうだよね、20ドルもするもんね。全ての入場券を兼ねていないと、割に合わないよ。

小1時間ほどで、バンテアスレイに到着。ここには、東洋のモナリザと呼ばれる壁画がある。が、残念ながら現在は修復中で見学不可能だった。バンテアスレイ自体は、アンコールワットに比べると、拍子抜けしそうに小さいお寺。タイと同じオレンジの袈裟を纏った僧侶が、ある家族の為にビデオカメラにナレーションを吹き込みながらテープを回していた。家族はありがたそうに、頭を垂れている。っておいおい、僧侶がバイトして、いいんかい。

バンテアスレイは、そのほとんどが修復作業中で、あまり見るものがなかった。外に出たら、薄汚れた女の子が哀れな声を出しながらそばに来た。右手を差し出しているので「ギブミーマネー」と現地語で言っているんだろう。どんなに哀れな声を出しても、物乞いには決してお金はあげない。絵葉書や土産物等の物売りなら、興味があれば買うけど、旅行者と見ればそばに来て「金くれ」と言うだけの、芸の無い職業乞食は、全て無視する事にする。

結局その女の子は、遺跡から土産物屋まで「ギブミーマネー(現地語)」の哀れな声を出しながら、側にぴったりついて離れなかった。こちらが根を上げるのを待つ持久戦に出たようだ。ふ、甘いね。こっちはタイで鍛えられているんだ。見込み違いだったね、と思いながら、一旦は追い払った物売りの子供達の内、絵葉書の2倍弱のサイズの写真集を持っていた12歳前後の男の子を、他の子に気付かれないように手招きした。4,5人に取り囲まれるのは勘弁。男の子もこちらの気持ちを察したようで、仲間が見えなくなってから側に来て、写真集を差し出した。最初は3ドルという。1ドルと答えるデラ。頭の中で素早く計算、オールカラーの写真集だけど、このサイズだし、タイなら40バーツ前後だろう。結局1ドル半で手を打つ。男の子はお金を受け取りながら、最近は商売上がったりだよ。昔は5ドルでも売れたのに、テロや戦争で観光客が減って、3ドルに値下げしても売れない、とぼやくのが可愛らしかった。そうこうする間も実は、物乞いの女の子はずっと側に張り付いて離れない。ダンの元に戻ってバイクにまたがってもまだ、現地語で金くれと言って右手を差し出し続ける少女。その姿を見て、ダンがきまり悪そうな顔をした。旅行者にとっては屁でもない1ドルを恵まない私をケチと思ったのか、ずっと私に付き纏って物乞いを続けた同胞の女の子の存在を恥じたのかは、彼の表情からは読めなかった。

次はタプロム神殿。入り口で入場券を提示してから、中に入る。うっそうとした林の小道がしばらく続き、一瞬ここは公園かなと思ってしまった。が、遠くに遺跡が見えてきた。おおお!!これはまた、素晴らしい!!樹海に埋もれつつある神殿だ。何百年もの歳月をかけて、樹海の根が神殿の石を貫き、決して小さくはないこの神殿を飲み込もうとしている。あと千年も放置すれば、完全に樹海に埋もれて朽ち果てるだろう。

この自然の為せる業に、ただひたすら感歎。言葉少なになって神殿を後にし、元来た小道を戻っていたら、警備員が「どこから来ましたか?(英語)」と話し掛けてきた。日本からと答えたら、デラの方を見て「あなたはカンボジア人だと思いました。」だって。ダンに言われていたので、今更驚かないが、本当に私はカンボジア人に見えるんだー。遺跡前はどこにでも屋台があり、現地人の子供達が「おねーさん、冷たいのみものあるよー?おねーさあん、冷たいのみものー!」と日本語で叫ぶ。誰が教えたんだろう?

次はバイヨンや寺院が集まった一角で、ランチとなった。どの遺跡の前にもある簡易屋根付き屋台群。ダンたちの行き着けのお店に入り、ゆっくりとランチ。ここもドル建て。君達はアメリカの属国かい。ここで飲んだフルーツシェイクも、本当に激美味だった。作り方を聞いて、タイで作ったら馬鹿売れしそうな美味さである。

腹ごしらえし、バイヨンに行く前にトイレに行きたくなった。道路の脇を入った小道の先にある、小奇麗な山小屋風のトイレに連れていってもらった。屋台からトイレまでの3分ほどの道中、小雨になった。後からすぐYちゃんも来た。用を足して、バイクのところに戻ろうとしたら、ざーっと大雨になってしまった。ダンとウィ−は木陰で雨宿りしている。私とYちゃんは山小屋風のトイレに戻って雨宿りする事にした。ベンチがあるのだ。30分ほど経過しても、雨脚は一向に弱まらない。45分ほど経って、少し雨脚が弱まってきた。今がチャンス、とばかりに小道に飛び出すと、ダンとウィ−も雨脚が弱まって私たちがすぐに出てくると思ったようで、小道のすぐ脇にスタンバイしていた。すごいね、以心伝心とはこの事だよ。雨に濡れながら屋台に戻り、熱い紅茶を頼む。それで身体を温めてから、バイヨンに向う。屋台群のすぐ脇にあるから、歩いて行ける。

バイヨンには、4面に仏の顔が彫られた4面仏が有名で、仏の顔が少しずつ違う。この仏塔も登れるようになっており、ただしこちらは幅の広い階段が取り付けられていたので、興醒めだが私にはありがたかった。4面仏とは別に、所々に仏陀の石造があるのだが、顔の部分が削り取られている。最初は、神仏を否定したポルポト派の仕業かな、と思ったのだが、後で、当時この辺りに進駐していたベトナム軍の兵士達が、暇に飽かせて仏像の顔を標的に、銃で撃って遊んだからと知り、怒りを覚えた。

バイヨンの次は、屋台群の真正面にある遺跡。アンコールトムの一角だとは思うのだが。ここで、噂に聞いていたガイド小僧に出くわした。遺跡の説明をしながら案内し、最後に1ドルくれと言う子供達の事だ。Yちゃんに話し掛けた10歳くらいの子は、非常に達者な英語で、よどみなく遺跡や仏陀像の説明をしていく。私の側に来た子は、「あ、あれがスネークの像」「あれは池」と下手なガイドなので、追い払ってYちゃんの方の子供の後に従う。いくら生活費を稼ぐ為とはいえ、10歳でこれだけの内容を暗記するのは、大変だったろうというほどの量の説明をしてくれた。この男の子、静かにでも自信に満ちた声で説明してくれるので、チップを弾んであげようと思ったが、なんと5ドルを要求した。一瞬アホかこいつは、と思ったのだが、デラは自分で思った以上に、この男の子が気に入ったようで、これもタンブンだと思って5ドルあげた。本当は1ドルで充分なんだけどね。Yちゃんは頑として5ドルを拒否、5千リエル(約1.3ドル)を渡す。男の子はもっと金くれとずっと後ろをついて来る。なんだか段々、うざったくなってきた。せっかく、暗記した量と誰に習ったのか綺麗な英語に敬意を表してあげた5ドルを、取り返したくなった。カンボジア人は、引き際を覚えるべきだね。こっちのイライラした顔や空気を読めず、哀れな声でもっと金をくれとせびり、バンテアスレイで哀れな声で物乞いした女の子と、同レベルに成り下がってしまった彼。がっかりして、男の子を振り切って遺跡を出た。もっと毅然とした態度でいて欲しかった、と臨むのは旅行者の勝手な感傷に過ぎないんだろうけど。道路に面したところは、かの有名な象のテラスだった。

雨が降ったので、空が曇って綺麗な日没は拝めない、というので、ゲストハウスに戻る事にした。まだ時々小雨が降る。ゲストハウスに着いて、もし夜8時過ぎに雨が止んだら、ナイトマーケットに連れていって、とウィ−とダンに頼んでおく。夕食は、雨の中を出かけるのも面倒なので、ゲストハウスの食堂で食べる事にした。どうせなら、昨日の日本人の男の子も誘って一緒に食べよう、という事になり、私が先に食堂に行ってみたら、彼が1人で壁に向ってぶっかけ飯を食べている最中だった。良かったら一緒に食べませんか、と声を掛けたら、本当に嬉しそうな顔で喜んでテーブルを移ってきた。1人で食べるご飯ほど、おいしくないものは無いもんね。

メニューを見たら、なんとスパゲッティのミートソースとカルボナーラがある!!シェムリアップのゲストハウスにカルボナーラがあるなんて。これは是非、味見するしかないと、カルボナーラとバナナツシェイクをオーダー。さすがにカルボナーラを頼む人は少ないのか、なかなか出て来ない。やっと出てきたのは、スパゲッティミートソースだ。これは違う、これはカルボナーラじゃないというと、ウェイターも兼ねるゴリラ顔運ちゃんが慌てて、大丈夫、これは俺が食う。今度こそ、ちゃんとカルボナーラを作るように言ってくるから、と厨房になにやら言いに行った。で、戻ってきて、スパゲッティはおいしいよ、と言いながら、ムリにスパゲッティを食べ始めた。彼が食べ終わってしばらくして、カルボナーラが出来たようで、運んできのはしかし、スパゲッティミートソースだった。おーい、カルボナーラが作れないなら、メニューに乗せるなあああ!!!仕方なくミートソーススパゲッティを食べる。あら、麺の湯で加減はちょうど良い。ミートソースはいかにも手作りって感じの素朴な味。一生懸命作ったんだろうなあ。まあ、このゲストハウスで働く運ちゃん達の人懐っこい性格に免じて、許してやるぜ。

日本人の男の子K君は、3月に大学を卒業し、4月1日に日本を脱出したパッカ−で、お金が尽きるまで2ヶ月半か3ヶ月、東南アジアを旅行するそうだ。旅行資金は、往復の航空券を除いて17万円。1ヶ月6万円弱か。これには食費に宿代に移動のバス代まで全部含まれているらしい。すごいね。。。バンコクでは、カオサンで1泊60バーツのドミトリーに滞在したらしい。カオサン発だと、シェムリアップ行きバスの片道が250バーツというのは、衝撃だった。って事は往復で500バーツ?私もYちゃんも、往復のバス代千5百バーツは、激安だと信じていたのに。

名前は聞かなかったけれど、もう1人、日本人の男の子が夕食を食べに来た。彼は落ち着きなく、ソワソワして、饒舌になったかと思うと突然ボーっとなる。で、いつの間にか姿が消えていた。どうしたんだろう?

YちゃんとK君と3人で話していると、ゲストハウスで働いているバイクのにーちゃんたちが、日本語の歌を教えてくれ、と歌いかけてくる。私たち日本人の会話がちょっと途絶えると、チャンスとばかりに話し掛けてくる。邪魔をしないように、でもこちらの呼吸を呼んでちょっかいをかけてくる、とても人懐っこい彼等。きのうのモンチッチ坊やが、ウィ−の次に英語が達者のようで、色々な雑用や通訳を一手に引き受けていた。すごい働きもんだ。「ここに泊り込んで働いてるんでしょ、朝から晩まで大変だね」と声を掛けたら、「楽しいから全然気にならないよ」との答え。意外な事に、食堂その他で通訳やウェイターの仕事を手伝っていても、給料はゲストハウスから出ていないという。びっくりして、じゃあどうやって稼ぐの?と聞いたら、バイクで宿泊客を遺跡見学に連れて行ったり、レストランに連れて行って、そこからコミッションを貰うんだ、と教えてくれた。やっぱり夕べはアプサラダンスショーのレストランで、コミッションを貰っていたんだね。良かった良かった。

このゲストハウスに集うバイクの運ちゃん達は、旅行者と見れば金を取る事しか考えない人達と違い、グリーディさが感じられない。みんな、心から宿泊客との交流を楽しんでいるようだ。で、おもしろい事に、白人の宿泊客にはビジネスライクに接し、食堂に居ても一人旅以外には話し掛けない。が、日本人は顔が似ていて親近感が湧くのか、とにかくあれこれと世話を焼きたがる。K君も言っていたが、着いた晩にこのテーブルに座ってボーっとしていたら、あっという間に運ちゃんたちに取り囲まれ、日本語の歌を歌ったり、簡単な英語でジョークを言って笑わせてくれたりと、1人旅を忘れさせてくれるほど人懐っこく接してくれて、初日から寂しくなかったと言っていた。女性だけじゃなく、男性にも人懐っこく暖かく接するという事は、本当に日本人が好きなのかな?

夜9時過ぎ、ウィ−が来て、雨が止まないけどナイトマーケット、どうすると話し掛けてきた。そうか、1日貸切って事は、こっちが部屋に戻って寝るまでって事だもんな。でも、もう出かける気が無くなっていたので、今晩はもう出かけないと言ったら、良かった、これでビールが飲めるとうれしそうだった。

旅に出て、人恋しくなっているのか、K君といつの間に戻ってきたのか、もう1人の日本人の男の子が、名残惜しそうにいつまでも部屋に戻ろうとしない。でももう11時過ぎたし、おばちゃんは眠いし、明日は早いのよん。誰かがもう寝ると言い出さない限り、みんな部屋に引き上げない雰囲気だったので、「明日早いから、もう寝るね」と言って、腰を上げたら、ようやくみんなも立ち上がった。

長い長い一日が、やっと終わった。お休みなさーい。
2003年05月08日 17時28分14秒

4月23日(水)アンコールワットに向けて出発!
朝6時半に起きて、コーヒーを飲み、7時20分に家を出た。バスはスクムビットソイ22のジェードパビリオンホテルに迎えに来るのだ。Yちゃんと歩いてホテルに向い、7時半ちょっと過ぎに着く。バスはまだ来ていない。8時近くなってもバスが来ないので心配になり、緊急連絡先とあったJTSの日本人担当者の携帯に電話を入れた瞬間、バンが到着。アーミーの迷彩色のパンツに黒いTシャツ姿の運転手が降りてきた。多分このバンだろう、と思っていたら、そうだった。バンには既に、6人の白人が乗っていた。国境に着いて判ったのだが、6人のうち、軽装の2人はビザ延長の為に国境へ行く在住者だった。

8時5分にスクムビットソイ22を出発。8時半に高速に乗り、9時15分にはチャチェンサオ県に抜ける通りのガソリンスタンドでトイレ休憩。10分ほどの短い休憩ですぐに出発、運転手がびゅんびゅん飛ばすので、11時半過ぎに国境のタイ側の町、アランヤプラテートに到着した。バンを降りたら、20前後の若いにーちゃん2人に、降りたすぐ先の飯屋のテーブルに案内された。1人は黒いTシャツ、もう1人は若いのにちょび髭を生やしている。タイ人かと思ってタイ語で話し掛けたら、俺たちはカンボジア人だからタイ語は判らない、と英語で言われた。ちょび髭が、渡したパスポートを見ながら、隣りに座ってビザ申請用紙に代筆してくれたのだが、すっげー汚い字。黒Tシャツに、ビザ申請料1300バーツと言われる。予めこの金額をJTSのタイ人スタッフに聞いていたので、日本人料金かと悔しかったが1300バーツを渡す。と、次に白いTシャツの若いにーちゃんが来て、ゲストハウスは予約しているのかと聞かれた。

Yちゃんと、シェムリアップ行きのバスはウィンザーって名前のゲストハウスに着くから、そのゲストハウスを見て、気に入らなかったら他のゲストハウスを探そう、と話し合っていたので、まずは終点のウィンザーゲストハウスを見てから決める、と答えた。すると、ウィンザーゲストハウスは聞いた事がない、自分はシェムリアップ行きのバスの運転手だが、バスは契約しているゲストハウスにしか行かない。そこを紹介出来るけど、もしウィンザーゲストハウスに連れて行って欲しければ、自分の行き先リストの中に入っていないので、1人100バーツ払えと言う。ビザ代行のにーちゃん2人も、そうだそうだとうなずいている。うーん、彼等には我々日本人女性って、カモがネギ背負っているように見えるんだろう。代理店で確かにカンボジア側のバスの終点は、ウィンザーゲストハウスだと言われた。なのに、さらに100バーツ払えとは。まるで威嚇するように大きな声で、ウィンザーは知らない、他のゲストハウスを紹介する、どうしてもウィンザーに行きたければ、あと100バーツずつ払えとまくし立てるのを、余裕の笑みでふふーんと笑うデラ。そして、おもむろに携帯電話をバッグから取り出した。えっという顔をするにーちゃん達。

今から代理店に電話して、バスの行き先がウィンザーかどうか確認すると言うと、兄貴分らしい黒Tシャツが、その必要は無い、その携帯電話を貸してくれたら、自分のボスに電話してバスの行き先を確認すると言い出した。ちょび髭と白Tシャツも、自分達はシェムリアップの出身で、現地のゲストハウス全てを知っているが、ウィンザーというのは聞いた事が無い。ボスに電話して確認するから、その携帯を貸してと言う。うふふ、何をそんなに慌てているんだい、君達。もちろん「貸さない」と断わる。自分の携帯で電話すりゃあ良いじゃん。

JTSの日本人担当者に電話して事情を説明すると、すぐに確認して折り返し電話すると言うので、電話じゃなくて携帯にメールで送って欲しい、と頼んで電話を切った。5分もしないうちに、まずちょび髭の携帯電話が鳴る。ちょび髭、自分は知らないとかなんとか英語で言っている。次に兄貴分の黒Tシャツの携帯電話が鳴った。白いTシャツのにーちゃんは、この段階で忽然と姿を消す。黒Tシャツは私に「行き先はウィンザーゲストハウスで良いのか。」と焦ったように早口で聞くので「電話が鳴ってるよ、出たら?」と突き放す。仕方なく電話に出る黒Tシャツ、はいはいと返事している。私の携帯にも、メール着信の合図が。JTSからだった。簡潔な内容で、行き先は確かにウィンザーゲストハウス、100バーツは払う必要は無いとの内容。やっぱりね。

電話を切った黒Tシャツ、きまり悪そうな顔で、ウィンザーゲストハウスで良いんだねと言った。だから、何度もそう言ってるじゃん。居心地悪そうな黒Tシャツから、「タイに何年住んでいるんだ?」と聞かれたので、約10年と答えたら、長いため息を吐かれた。ネギを背負ったカモじゃなかった、との深い失望のため息か。そうよ、あなた達に妥協するのは、ビザの申請料だけ。まったく吹っ掛けやがって。

12時半過ぎ、タイ側のオフィサーが昼食から戻ったというので、まずタイの出国手続きに行く。それから歩いてカンボジア側へ。カンボジア王国と書かれたクメール様式の大きなゲートをくぐると、そこはポイペト、カンボジア。わーお!そして、入国審査。ビザのシールが貼られ、入国が許可される。ちょっと感動。それから、バンコクから一緒だったイギリス人2人連れと同じソンテウ(軽トラックの荷台を改造した小型乗合バス)で、カンボジア側の受け入れ代理店に向う。シェムリアップ行きのバスは、この代理店前で発着するのだ。着いたら、来る時に一緒だった別の白人カップルが既に着いていた。我々を入れて6人。時計は既に1時半近くを指しているのに、なかなか出発しない。2時になって、イギリス人の1人が、いつになったら出発するんだとスタッフの1人に聞いたが、ちゃんとした説明がないまま。2時半になって、やっとバスが出発すると言われた。日本語で○Xレストランと車体に書かれた20人乗りの小型バス。中には既に白人が4人、乗っていた。つまり、乗客が10人を超えないと出発出来ないので、ぎりぎりまで待っていたって事だ。

乗り込んですぐ、20歳くらいの若いにーちゃんが、これから皆さんをシェムリアップまでお連れするガイドのウィ−です、質問があれば何でも聞いて下さい、となまりはあるけど、聞き易い英語で挨拶。私たちの通路を挟んで隣りの席に座ったので、リエルとドルの交換レートやゲストハウスの事などを聞く。ネットで見付けた旅行記の作者が宿泊したBopha Angkor Hotel、1泊朝食付きで33ドルは安いと思っていたので、そのホテルの事を聞くと、33ドルは高いという。え、33ドルが高いなんて。。。って事は、ゲストハウスはもっと安いの?ウィンザーゲストハウスの宿泊料を聞くと、1泊エアコン付きで12ドルという。1人6ドルだ。うっわー、安い。Yちゃんと、ウィンザーに決めちゃおうと話し、ウィ−に部屋が空いているかどうか聞くと、大丈夫だと思うとの答え。後ろにいたイギリス人2人も、ウィンザーに決めたという。ここで、小さな訂正があった。ゲストハウスの名前は、ずっとウィンザーと聞いていたが、正確にはウィンターというそうだ。タイ側のスタッフの聞き間違いだったようだ。

1時間ほどでレストランに到着、ここで30分ほど休憩するという。おいおい、トイレ休憩に30分は長過ぎるよ、早くシェムリアップに着きたいのに。ところがウィ−は、運ちゃんや後から到着した別のバスのガイド・運ちゃんと一緒に、ご飯を食べ初めてしまった。参ったなー。カンボジア人って、タイ人と全く同じじゃん。40分経っても腰を上げる気配の無い運ちゃん&ウィ−に、早くしてよと催促して、先にバスに乗り込む。と、パッカ−らしき日本人女性が、バスの乗降口から「日本人の方ですか。」と声を掛けてきた。バスの乗降口まで近づいて「そうですが?」と答えると、「さっき、国境でお財布を掏られたんですが、別のバッグに入れておいた1万円は無事だったんです。この1万円を、細かいお金に崩せませんか。」と聞かれた。バーツとドルしか持っていないと答えると、顔面蒼白と云った顔で泣きそうになり「あ、判りました。」とタラップを降りていった。

Yちゃんと一緒に、大丈夫かね彼女、パスポートは無事だったのかなと話していたら、その日本人女性がレストラン前のベンチに茫然自失の呈で腰掛けているのが、バスのフロントガラスから見えた。日本円は小さい紙幣に交換してあげられないけど、話し相手になって気を紛らわせる事は出来る、と2人でバスを降りて、彼女の元に行って一緒におちゃべりした。本当にものの3分ほど、バッグから目を離した隙にお財布が抜き取られていたそうで、お金よりもカードが心配だ、早く国際電話の掛けられる場所でカードのキャンセルをしたい、と云っていた。お金と2枚のカードは、それぞれ別けて持っていたので、現金1万円ともう1枚のカード、及びパスポートは無事だったとか。話しているうちに少し気分が落ち着いたのか、顔に血の気が戻ってきた。我々のバスの隣りに止まったバスで来たらしく、カオサンでは80バーツのドミに宿泊していたとか。シェムリアップでも5ドル前後のゲストハウスを探す予定とかで、これが正統派パッカ−の宿の予算なのか。1泊33ドルで安いと浮かれていた我々は、彼女を見習わなければ。

結局、1時間もレストランでトイレ休憩した後、やっとバスが出発。彼女に別れを告げて、バスに乗り込んだ。バスに揺られてうつらうつらし、はっと目を覚ますと、バスはなんと道じゃなくて、草原を突っ切っている!げ〜!これがカンボジアか?道路が整備されたなんて、誇大広告じゃんかと思ったら、エンストしたトラックが道をふさいでいたので、脇の草原を走って迂回している最中なのだとか。そうそう、整備された道というのは、地雷の心配が無くなったという意味でもあるんだ。以前なら、草原の迂回なんて自殺行為だったからね。5時半過ぎには土砂降りの雨になった。6時少し前にトイレ休憩で、民家兼雑貨屋みたいな処にバスは止まる。と、その家の娘なのか、背の高い少女がバスのタラップに足をかけて、「ギブミーテンダラー、アイゴーツースクール」と歌うように堂々と物乞い。いやあ、笑ったよ。少女は果たして、ギブミー〜の意味を知っているんだろうか?!もちろんバス内の乗客全員が、少女のあまりの明るさに笑い出す。他にも小さい子供達がジュース、ジュースとかフルーツ、バナナと物売りに来た。バスのタラップには登ってくるが、中には決して入ってこない。乗客の誰からもお金を取れないと判ると、バスの外に出て、滝のようにザアザアと降る雨の中、窓の外で楽しそうに「ギブミーテンダラー、アイゴーツースクール」とふしを付けて歌いながら、踊りだした!もうびしょぬれなのに、楽しくってしかたがないって顔で、でもしっかりギブミーマネーと歌いながら、天真爛漫な笑顔を見せてくれる。旅行者の感傷に過ぎないのだが、少女達の雨の中でも弾けるような笑顔を見ながら、あの「ギブミーマネー」さえ無かったら、と残念だった。

15分ほどのトイレ休憩の後、バスは再び一路シェムリアップへ。7時過ぎには雨も止み、7時半ちょっと過ぎ、ようやくウィンターゲストハウスに到着した。家を出てから12時間後の事だった。

バスから荷物を降ろしていたら、入り口脇のソファに座って待つように言われた。乗客全員がこのゲストハウス宿泊を決めたようで、申し込んだ順番から空いている部屋を見せている。我々が申し出たのは、一番最後だったからなあ。ウィ−がやってきて、エアコン付きの部屋は全部塞がってしまったという。げげ、今更夜の町に放り出されたら困るなと思って、どこか良いゲストハウスを紹介してと頼むと、エアコン無しの部屋なら、ここにもあると言う。部屋を見せてもらったら、清潔そうで綺麗、しかもトイレとシャワー付き。天井にはファンも回っている。どうせ寝るだけの部屋だし、エアコン付きの方の部屋は見ていないので、比較の対象もない。予想以上に良い部屋だったので、即決。料金を聞いたら1泊4ドルという。1人1泊2ドルだよ〜!生まれて初めてのゲストハウス、こんなに安く泊まれるんだなあって感動した。

部屋で顔を洗ったら、もう8時。お腹も空いたし、晩ご飯を食べに部屋を出て外へ。ゲストハウス付随の食堂は白人だらけ。ローカルのものが食べたいなあ、と歩いて行こうとしたら、バイクの運ちゃんに止められた。もんちっちみたいな顔だ。ゲストハウスの敷地内にバイクがたくさん駐輪してあったので、ここで働いているんだろう。食堂で食べないのか、と聞かれたので、ローカルのレストランに行きたいと云うと、じゃあバイク代は無料で連れて行ってあげる、と言われた。もんちっち、君を信用して良いのかね?でもその時は不思議とバイクの運ちゃんを疑うって事はせず、素直にじゃあお願いと言ってしまった。で、もんちっちのバイクにYちゃん、その相棒の歌舞伎役者系の顔をしたにーちゃんのバイクに私が乗り、いざ、夜のシェムリアップへ。く、暗い。街灯がほとんど無いせいか、町は全体的に暗い。ローカルのレストランに行きたいと言ってあったのに、連れていかれたのは、アプサラダンスショーを見せるレストラン。店に入る前にメニューを見せてもらう。げ、ドル建てだ。しかも高い。ダンスショーなんて、バンコクでも欠伸が出るほど退屈なだけなんで、興味が無いから出ようとしたら、Yちゃんはせっかくだから、見たいという。ビュッフェは高いから食べられないけれど、スペシャルフライドライス(カオパッドね)なら3ドル。バイクのにいちゃん達、ショーが終わる頃に迎えに来るからね、と言って去っていった。

デラはスペシャルフライドライスにグラスワインの白。この白、フルーティーな香りが口中に広がり、瑞々しい少し甘口のワインで、カンボジアでリースリングタイプの白が飲めるなんて、ちょっと感激。スペシャルフライドライスは、予想した通りのカオパッド。でも、ホームマリという高級米を使ってあり、油も控え目でおいしかった。ダンスショーも、思いがけず楽しいもので、ワインと併せて6ドルで充分楽しめた。特筆すべきは、お金が無いからご飯1皿と飲み物1杯しか頼めない、とはっきり最初に言ったにも係わらず、ウェイターやウェイトレスの態度は非常に丁寧かつ親切で、我々以外は全て高いブッフェの白人客だったが、全く区別ない態度で接してくれた事。ありがとさん!

ショーが予定より早く終わったせいか、もんちっちと歌舞伎はまだ迎えに来ていなかった。で、歩いて数分の大通りに出たところ、向いの角にコンビニ発見。水を買おうと思っていたら、もんちっち達が目ざとく我々を見つけてくれたので、あのコンビニに行きたいと指さした。コンビニ店内に入って驚いたのは、モノに定価が無く、全部ドル建てだから、一々交渉しなければいけない事だった。ひゃああ、疲れそう。水は1リットルのボトルが0.6ドル。バーツで約26バーツだ。バンコクじゃ9バーツ〜12バーツだよ。「おやじ、一番安い水をくれ。」と冗談っぽく頼むと、おやじもさるもの、ボルビックのボトルを指す。おおお、輸入もののボルビックが一番安いのお?と歓喜してハウマッチと聞くと、1.5ドル。げ、一番高い水じゃん。おやじ、冗談はよせ。おやじは私の顔の反応を見ながら、はっはっはと笑う。うん、こりゃいけそうだ。実は店内に入った時、日本人男性2人連れが、何やら交渉しており、おやじはずっと首を振り続けていたのだ。男性達は諦めて、ムスッとした顔で店内で何を買うか物色中。カンボジア人がタイ人と似た性質なら、店でこちらの要求を通すには、持ち上げて笑わせてお願いするのが一番。

タイでの水代とカンボジアの物価を考えれば、水1リットルは多分、1000リエル前後だろう。おやじに一番安い水はリエルで幾らだ?と聞くと、0.6ドルをそのままリエルに換算して2250リエルと電卓に弾く。1500リエルにしようかとも思ったが、一応旅行者だし、2000リエル(約22バーツ)で手を打ってやるよ、おやじ。タイも観光地に行けば、1リットル1本40バーツ以上チャージするしね。おやじ、2000リエルにしろと言うと、笑いながら駄目駄目と首を振る。構わずに2000リエル渡しながらタイ風にワイをしたら、大笑いしながら受け取った。水を私に渡しながら、「カンボジアは長いのか」と聞いてきた。いや、カンボジアは初めてだと答えると、カンボジアに住んでるのかと思ったよ、と言う。カンボジアが長ければ、2000リエルじゃ水は買わんだろうと言ってやると、更に笑うおやじ。タイに住んでいると言ったら、納得したような顔をされた。

ゲストハウスに戻ると、食堂横の石の丸テーブルに、日本人らしき男の子2人が、バイクの運ちゃん達とおしゃべりしていたので、「こんばんは!」と挨拶したら、うれしそうにこんばんは!と挨拶が返ってきた。特に1人はとても人懐っこい笑顔だ。私たちが持っている水を見て「それ、1本1ドルだったでしょ?」と聞かれた。お、おやじ、1ドルもボッたのかい?「いいえ、リエルで買ったの。2千リエルだよ。」と言うと、彼等は顔を見合わせて、やられたって顔をした。まあね、ここはカンボジア。

一旦は部屋に戻ったが、時計はまだ10時前。もうちょっとシェムリアップの夜の町を徘徊したい。そうだ、マッサージに行こう!とYちゃんと話して、また外に出ると、目ざとくもんちっちが見つけて「どうした?」と話し掛けてきた。マッサージに行きたい、どこか良いところを知らないかと聞くと、カンボジア式か日本式かと聞くので、カンボジア式が良いと答えると、日本人が現地の盲人達に指導したマッサージがある、1時間3ドルだという。ほほう、面白そうだ。しかも1時間3ドルなら、バンコクよりちょっと安い。そこに連れてってと頼むと、よっしゃあとばかりに歌舞伎にも声をかけ、またYちゃんがもんちっち、私が歌舞伎の後ろに乗って、盲人マッサージ屋へ。

ここは、受付のおばちゃんからマッサージ師まで、本当に全員が盲人だった。演技じゃないのは、目を見れば判る。マッサージ室は、広い部屋にベッドがたくさん並べられた病院の大部屋って感じだ。部屋の両脇にカーテンを釣った着替え室がある。そこでパジャマみたいな服に着替え、ベッドの上に。タイ式マッサージは床の上でするが、カンボジア式はベッドの上みたいだ。最初は微妙にツボをはずしていて、イマイチだなあって思っていたけれど、そのうちツボにきちんと入るようになって、気持ち良さのあまり眠ってしまったようで、1時間後に肩を揺すられて起こされた。眠ってしまったのは悔しいが、バスに長時間乗った疲れは、ほぐれていた。お会計のところで3ドルを渡すと、受け取ったのも盲目のおばあちゃん。1ドル札を一枚づつ触って確認している。彼等は健常者には無い感覚が発達している、というから、触っただけで、偽札かどうかわかるのだろう。もんちっちと歌舞伎は、ベンチで眠りこけていた。それを起こして、もうどこも行かないよ、ゲストハウスに帰って寝ると言うと、ほっとした顔をされた。

ゲストハウスに戻る途中、歌舞伎から歳を聞かれた。うっ、言いたくない。「あなたのお母さんと同じ歳だよ」と冗談で紛らすと、いくら何でもそれは嘘、それはありえない、ときっぱりと言う歌舞伎。うふふ、可愛いじゃん、こいつ。ちょっと気を良くして「じゃ、お母さんは幾つなの」と聞くと、本当にデラと同じ歳だった!!!顔が引きつる。ははは。。。歌舞伎自身は2日前に22歳になったばかりという。ま、カンボジア人は早婚って事で。

ながーい一日が終わり、11時過ぎにベッドに入った。お休みなさい。
2003年05月08日 17時26分49秒

4月22日(火)Yちゃん到着
朝、大学に行く前にJTSに行き、予約しておいたカンボジア行きのバスの往復代金を払いに行く。日本語の上手なタイ人スタッフが対応してくれた。国境でのビザ申請は、代行料含めて1300バーツという。先週の日本人男性は1千バーツと言っていたのだが、多分、女性だし足元見られた日本人料金なのだろう。逆に、1300バーツ以上(例えば1500バーツとか)要求されたら、交渉すれば良い。なんとかなるさ。

今日はYちゃんが到着する日。バイトがあるので、7時半にノボテルのロビーで待ち合わせ。1年ぶりに会った彼女、オーストラリアの食事で太ったとメールにあったように、去年よりはたしかに横幅が増えていたけど、若いからか、太ったという感じはしない。私は去年と違って今年は無職の学生だから、贅沢は出来ないからと伝えてあったので、夕食は屋台料理をテイクアウト。見栄を張るのは疲れるだけだもん。1日限りならレストランに行くけど、彼女はしばらく滞在予定だしね。3つの屋台でテイクアウトしてきた料理に、オーストラリア土産の白ワインを頂く。冷凍庫で急いで冷やしたのだが、ほんのり甘くておいしいワインで、料理にも良くあう。不思議だね、ワインを添えただけで、屋台料理が豪華に見えたよ。

明日は朝早い出発なので、今晩はおしゃべりもそこそこに、ベッドに入った。明日からカンボジア。ふふふ。とっても楽しみ。
2003年05月08日 17時25分02秒

4月21日(月)アンコールワット行き決定
朝、Yちゃんからメールが入っていて、バスでのアンコールワット行きが決定した。初めてのパッカ−的旅行だ。こうなったら、おもいっきり楽しむしかない。うーん、楽しみになってきたぞ。
2003年05月08日 17時23分28秒

4月19日(土)久しぶりのアイオントー
今日も、朝から晩まで10時間のバイト。本来ならば2シフトなのに、午後からのバイトさんが見付からないという。ところが!!今日、別シフトの通訳女性が朝、訪ねてきて、ちょこっと話をしていたら、彼女、土曜日は空いてるからバイトしたい、というのだ。私は日曜日はお休みなので、彼女が日曜日の午後から出ているのだが、土曜日はデラさんがいるからいらない、と社長とマネージャーに言われたらしい。

え〜〜!!!そんなの聞いてない。10時間は長過ぎ、きつ過ぎるって言ってあるのに。そりゃあね、去年まで工場で不良対策してたから、クレーム処理は慣れてるし、タイ人の扱いも慣れている。だからか、社長やマネージャーは、他の若いバイトさん達には言わないような事を、時々私に愚痴ったりする。でも、それって困るのよ。使い捨てのバイトなのに、マネージャーから頼られて、でも時給は他と一緒ってのは、絶対に避けたいパターンだ。もちろん、時給分の仕事と責任は果たすけどね。

夜は、フジスーパー近くの旅行代理店で、カンボジアまでのバスの料金をチェックしてもらった。パキスタンから帰ってきたばかりで、疲れも完全に抜けていないのに、来週半ばからアンコールワットに行く事になったのだ。オーストラリアでワーキングホリデーを終えた友人が、日本への帰国途中に立ち寄るのだが、その際にお隣りカンボジアまで足を伸ばそうか、という事になった。でも彼女、資金があまり残っていないとかで、往復バスのバックパッカ−的旅行を希望している。私にとっては、飛行機で行ける国にバスで往復する貧乏旅行は、生まれて初めて。バスで行くついでに、宿泊先もホテルじゃなくて、ゲストハウスにしようかしら。もちろん、現地に着いてから探すのだ。安くするなら、徹底的安さに挑戦してみようじゃないか!という訳で、生まれて初めての貧乏旅行。どうなる事やら。でも実は、彼女が「やっぱり資金が足りないから、カンボジアは諦める」というのを、かなり心密かに期待しているのである。だって、往復バスは、おばちゃんには辛いのよーん。日本人相手のバスツアーならば、片道6時間でシェムリアップに着くらしいのだが、我々が目指すのはそれより更に安いパッカ−相手の乗合バス。それは、カンボジアでの国境で自分達でビザ申請しなきゃいけないらしく、そこでビザをゲットしたら、バスを乗り換えてアンコールワットを目指すのだ。到着までに、何時間かかる事やら。。。考えただけで、おばちゃんは気が滅入る。

タイの真夏日に、顔がちょいと黒くなってきたので、代理店から帰る途中、近所のメディクリニックでアイオントーを受けた。1回400バーツだが、5回コースで申し込むと、1回300バーツになる。ここはエステじゃなくてクリニックなので、安いのだ。アイオントーは、細い電極棒を顔に当てるので、ちょっとピリピリするけど、痛くは無い。直接皮膚の深部に働きかけるので、終わったあと数日は皮膚の奥から潤ってくるのを実感出来る。ビタミンCも肌の奥に届くらしいので、美白効果も高い。でも、本当は美白より弛みをなんとかしたいんだけど、弛みは加齢のせいだから、どうしようもない。
2003年04月22日 11時23分05秒

4月18日(金)タイ人のパキスタン嫌いはどうしようもない。。。
今日はニタヤ先生のスピーキングの授業。ソンクラン休みをどう過ごしたのか、一人一人スピーチする事になった。私がパキスタンに行ったというと、何しに行ったの、あんな国!?と他のタイ人と同じ反応。しかも「友人がパキスタン人男性と結婚して住んでいる。」と言った途端、顔をしかめて「その日本人女性は可哀想、なんで結婚したの、パキスタン人は臭いのに!」と大きな声で言った。

ニタヤ先生は50代で、色々な経験を積んで来られた人生の先輩。タイ語講師としても熱心で、私達留学生の事を常に気にかけてくれ、大学の行事があると、率先して招待してくれる。とても尊敬して好きな先生だ。その先生でさえ、パキスタン人をよく知らなかったり、偏見の無い生徒達の前で「パキスタン人は臭い」と言い放ってしまう。タイ人学生は特に、先生に対して絶対服従だから、もし私達が全員タイ人学生だったら、パキスタン人と接した事がなくても、先生の言う事を鵜呑みにして、ああ、彼等は臭いんだと偏見を持ってしまうだろう。

「彼女のご主人も子供も、ホテルやみやげ物店の従業員にさえ、臭い人はいませんでしたよ。」というと、先生が何かの会議で隣りに座られて辟易したのは、ドクターの称号を持つ男性だったらしく、「階級も教育レベルも関係なく、ドクターでさえ臭かった。」と言う。確かにそのドクターは臭かったのだろう。帰りにカラチ空港で手荷物検査をした係員の1人が、やはり強烈な腋臭があり(生の玉ねぎの臭い)私もその人が側にいる間は、息を止めてしまったから。でも、滞在中にたくさんのパキスタン人と接して、私が遭遇した強烈な臭いの持ち主は、その人たった一人。日本人だって腋臭の人はいるし、フランス人のゲイの友人にも、腋臭があった。でも、ニタヤ先生の口から、日本人は臭い・白人は臭い、との意見は出ない。タイ人とは、インド系の話はしない方が良い、と改めて悟った。

今日の授業には、珍しく(?)韓国人の3人も遅刻しながら出席した。彼女達はアンニュイな雰囲気で、授業中は声も小さい。私は、彼女達には授業内容が簡単すぎて退屈だから、休みがちになるって事を知っている。きっちりと基礎を習得済みなのだ。でも先生には、アンニュイな雰囲気はシャイに、発表の声が小さいのは、答えに自信が無いからと映るようで(ニタヤ先生に限らず、他の先生にもそう思われてしまっている)なのに授業中に質問しない、との不満があったようで、今日はとうとうニタヤ先生、ちょっと爆発してしまった。

文法の説明の後、1人ずつ習った文法を応用して例文を言うのだが、例文がすぐにパッと出て来なかったり、自分が考えた例文を、他の生徒が先に言っちゃう事もよくある。ミジョンがすぐに例文を作れなかったので、ニタヤ先生は「理解していないのに、どうして判らないと手を挙げなかったの!」と、とうとう怒ってしまった。ミジョンは「カウチャイカ、テー、プラヨーク。。。キットマイオークカ(理解してるけど、例文が思い浮かばない)」と答えると「理解しているなら、すぐに例文も作れるはずです。あなた達は旅行ばかり行って、ちっとも大学に来ないから、授業について来れなくなるんです!」と怒りに火を注いだ形になってしまった。なんだかミジョン達3人が、可哀想になってしまった。彼女達は、先生からタイ語レベルが高いと誤解されている私より、基礎がしっかりしていて、よっぽどよく出来るのだ。よく出来るから逆に授業が退屈で、休んでしまう。儒教精神が強く、目上を尊重する韓国人だから、先生に「授業が簡単すぎる」とも言えない。これは、レベルの違い過ぎる私達留学生のクラス分けをせず、文字を知らないレベルの子もスラスラと書ける子も全て一緒のクラスに入れた、大学側の落ち度だと思う。

休み時間に国際課に走って行き、留学生担当の先生に、パキスタン大使館宛てにレターを出してくれたお礼のお土産を置いてきた。パキスタン嫌いのタイ人でも、パキスタンで取れる石の価値はよく知っているようで(ニタヤ先生も、パキスタンの石細工はベタ誉めだった。)石作りの小箱をお土産に買ったのは、大正解だったようだ。タイでも手に入るスパイスや布を買わなくて、良かった。ほっ。

夜は、友人と一緒にスリランカレストランに行ってきた。オープンして約1ヶ月らしいけど、内装がおしゃれで、お客さんもたくさん入っていた。しかも、おいしい!前菜を1品、ギーライス一皿にロティ一皿、カレーは魚とチキンとラムの3品(魚のカレーは不味かったけど、チキンカレーとラムカレーは美味かった)デザート2品と紅茶2つとロゼワインのボトル1本で、合計2,048バーツと値段もお手頃。スクムビットソイ8の入り口から100メートルほど中に入った左手にある。興味のある方は、是非どうぞ。
2003年04月22日 11時21分59秒

4月17日(木)まだ眠いよー
朝起きたら、ちょっと頭がフラフラする。寝不足が完全には解消されていないようだ。学校に行きたくなかったが、久しぶりの授業だし、休みたくない。疲れて頭陀袋のように重い体を引きずって、大学に行った。午後からはバイト。平日はそんなに混まないはずなのに、ソンクラン開けのせいか、とっても混んで大変だった。ふーっ、疲れちゃった。今夜は早く寝ようっと。
2003年04月22日 11時20分43秒

4月16日(水)ただひたすらに惰眠を貪る
日付が変わって深夜1時。無事に出国審査も済んで、面倒な手荷物検査も身体検査(女性はカーテン付きの小部屋で女性係員にチェックを受ける)も済んで、予定より早い時間に搭乗手続きが始まり、機内に入ってびっくり。カラチ始発じゃなくて、中東のどこかの国からの経由便だったらしく(既に乗っていた乗客の大半がイスラム服だった)その乗客たちの半分以上が、マスクをしていた。マスク!!カラチから乗り込んだ人は誰1人としてマスクをしていなかったのに。。。とりあえず、東南アジアに戻るんだなあと実感。うとうとしているうちに飛行機は離陸。乗ってすぐに機内食が出たのには驚いた。タイ時間では早朝6時だから、朝食として出されたんだけど、半分しか食べられなかった。無事、定刻通りにバンコク着。相変わらず空港はがら空きで、入国審査もすんなりと済み、タクシーに乗り込む。アパートの手前で子供2人に、バケツで乗っていたタクシーに水を掛けられ、ああ、タイはソンクランだったなあと気が付いた。もし、子供達がいなかったら、ソンクランって事も忘れていただろう。その3分後、10時20分に家に着いた。

本当は、今日は日中は寝ないでがんばって夜まで起きていよう、と思っていたのに、ちょっとだけ横になるつもりでベッドに入ったら、もう眠くて眠くて眠くて、メールのチェックもそこそこに寝てしまった。
2003年04月22日 11時20分06秒

4月15日(火)パキスタンの一般的料理は何故にこんなに美味いのだ??
朝から、私の大好きなジャガイモのカレースープと、薄いナンみたいなパンの朝食。わざわざ、美味しいお店から買ってきてくれたらしく、感激の美味さ。このジャガイモのスープ、インドでホームステイした時も、使用人さんがある朝作ってくれて、美味い!と身振り手振りで絶賛したら、それから毎朝作ってくれたスープだ。インドのは、ほのかに酸味がついていて、パキスタンのとはまたちょっと違う味わいだが、それはそれで美味い。

お昼は要らないと断って、2階に上がった。食べ物の消化が間に合わず、体内に溜まる一方で、お腹が空かないのだ。タイ料理よりオイリーだから、お腹持ちも良いしね。2階の広い踊り場にある応接セットのソファが、とっても座り心地がよく、しかも明るいので、天上のファンを回して涼みながら、宮部みゆきの文庫本2冊と、「王家の紋章」36巻目から45巻目までを読みふけった。適当な頃合に、使用人さんがチャイを持ってきてくれる以外は、「夕方までは本を読んで過ごしたい」とのこちらの意志を尊重して、ほっといてくれたのが、とてもありがたかった。タイで、暑い時間帯は外出を避けて体力消耗を防ぐ、という事を身を持って学んでいるので、昼間はどこにも出掛けたくないのだ。途中、運んでくれたチャイと共に、昨日買っておいたパキスタン製のビスケットとアイスクリームをおやつに食べる。ご飯は胃が重くて食べられなくても、甘いものは別腹なのである。クーラーもあるけど、天上で回る大きなファンの方が、自然な風で身体に気持ち良い。何もせず、のんびりゆったりと時間を過ごす。これほどの贅沢って無いわよねーと満足しながら、宮部みゆきの2冊を読み終わり、「王家の紋章」に取り掛かった。最後に記憶に残っていたストーリーは、アイシスがメソポタミアのラガシュ王に嫁いだあたり。犬も卒倒しまくりのワンパターンなんだけど、なかなか終わらないから(作者が死ぬまで完結しないだろうなあ)つい読んでしまうのだ。36巻目では何故かエーゲ海が舞台になっていた。おいおいって感じだけど、意外と楽しみながら読んでいる自分。いくらワンパターンと云っても、これだけ色々な事件が起こっているんだから、それなりに月日は流れているはずなのに、キャロルはいつまでたっても「初々しい小娘」のままだし、メンフィスは「女と見紛うほどの美少年王」すでに結婚したんだから、小娘と美少年はないでしょうにねー。と、パキスタンに今、自分がいる事をすっかり忘れ果てているデラであった。るびさんは、私がいる間に、せっせとメルマガのバックナンバーアップの練習。やっとマスター出来た時は、うれしかった。

夕方4時過ぎに、るびさんとご主人が、ジンナー廟に連れていってくれた。観光スポット・ナンバルワンらしい。これは、周りを美しい緑の庭園で囲まれた白亜の建築物で、ライトアップされる夜は特に、幻想的で美しい。パキスタン人にとっても人気の高い観光地のようで、現地の人がたくさん来て、写真をとっていた。私はこの時、レース地の足首までのワンピースを着ていたが、身体の線が隠れるようにとカーディガンを用意していたのに、廟に着いたら肝心のカーディガンを車の中に置き忘れてしまった馬鹿な私。るびさんに、ジロジロ見られてるねと言われるまで、見られている事すら気付かなかった。だって、ダッカの時よりも視線が穏やかっていうか、ダッカでは「凝視」レベルでじっくりと見られたから、それに比べたら「チラチラ」見られるのは、ほとんど気にならない。第一、若くて綺麗なお嬢さんならまだしも、「40のおばちゃん見たってねー」というのが頭にあるせいか、あまり視線は気にならなかった。でも、身体の線は隠した方が良いのは、イスラム圏では当たり前の事。車に戻ってからは、しっかりとカーディガンを握り締めた。次は、ご主人のご両親のアパートに、ちょこっと「タイから来ました〜!」と顔見世に行くのだ。高齢のご両親に、不快感は与えたくないからね。

お母さんに挨拶を済ませた後、是非食べておきたかった軽食を買いに連れていってもらった。これ、パキスタンにあるとは期待してなかったんだけど、ネットで検索したヨルダン旅行記に、熱々の羊肉のカバブと刻んだ野菜を、小麦粉で作られたパンでくるっと巻いた軽食(シャワルマーって名前だと思う)が登場して、ずっと食べたいと思っていたのだ。パキスタンはヨルダンと同じイスラム圏だし、ケバブもあるから、きっとシャワルマーに似た軽食があるだろう、と思っていたら、ビンゴ!ケバブの方はお休みだけど、チキンティカを巻いたのならあるというので、それを買って帰った。

も〜う、ほっぺた落ちそうなほど、美味かった。これ、バンコクのアラブ人街でも売っていそうだわ。だって、ケバブ屋はあるからね。この味、日本人のクチには絶対に合うと思う。チキンを巻いたロール以外に、チキンティカ(胸の部分)も入っていて、夕べ食べた腿肉の部分とはまた違った味で、スパイスがピリッと効いて辛めで美味い。好き嫌いのあまり無い人間に育ててくれた母に、感謝しなくちゃね。

夜の7時頃、出たっきり邦人のメルマガを読んでメールを下さった読者さんが、会いに来られた。るびさんとはお友達だそう。この読者さんは、カラチにはもう16年ほど住んでいるとか。ご主人は、色白長身のアフガン系らしく、話に聞く限りでは、かなりの美男子とみた。サンデーマーケットでも多く見たが、アフガン系は日本人よりもはるかに顔の彫りが深く、でもパキスタン人に比べたらあっさり目で、10年後の君に会いたいよ、と思わせる美少年ばかりが目につき、民族的にアフガン系は美形度が異常に高いと思った。パキスタンにいて、唯一自分の年齢を残念に思った瞬間だ。あの美少年の1人を日本に連れて帰りた〜い、とすっかりおばちゃん丸出しのデラであった。

次に、るびさん家の門番の奥さんがマッサージに来た。昨日、お礼のお金でゴタゴタしたせいか、今日はまるっきり力が入っていない。何度もあくびをしながら、適当って感じで手足を揉む。次に身体を仰向けにして、と身振りで言われたので、背中と腰をもっと揉んで、とこちらも身振りで示すと、背中と腰をぐわっしぐわっしと揉み出した。うーん、ツボにはまってるね。やっと気分が乗ってきたところで、彼女が背中の上に乗って、足踏みしだした。あ〜〜〜、気持ち良い〜〜〜。止めないで〜と思ったけれど、背中の上でバランスを取るのは疲れるのか、息がちょっと切れたようで終了。時計をみたら、20分ちょっとしか経っていなかった。最初がおざなりだったけど、最後の背中と腰のマッサージは圧巻で、身体がすっきりと軽くなっていた。今日はどっちみち、50ルピーをあげるつもりだったので、50ルピーを渡すと、慌てたようにジェスチャー込みで色々と何かを語り始めた。でも、何を言いたいのか、全くさっぱり100%判らない。どうも、態度が悪かったのは○○だから、と何か言い訳している感じだったけど、全然違う事を言っていたのかも知れない。とにかく今日は、昨日と違って満足そうに帰って行ったので、終わり良ければ全て良しだ。

夜10時過ぎに、るびさんの方の日本食料理屋さんのお客さんが帰ったので、空港に行く時間まで、色んなおしゃべり。で、11時半頃に空港に向けて出発。タイ航空は帰りの便の出発が明け方2時55分発なのだ。空港まで送ってもらい、名残惜しいけど、これでるびさんとお別れ。今度はバンコクに来てね〜!

空港で、さすがは女性を大切にするイスラムだなあ、と実感したのは、例えばチェックインカウンターで並んでいた時。係員が来て、あっちにどうぞと空いているカウンターを指す。そこはビジネスクラス専用カウンター。私のはエコノミークラスだというと、構わないからと連れていかれた。男性達はエコノミークラスのカウンター前で列を作っているけど、誰も私の後には続かない。これがタイなら、女という理由だけで順番が早まる事はないので、周りの人はもう一つ窓口が開いたんだと思って、後ろに殺到して並ぶだろう。出国審査の窓口でも、最初は空いていたのだけれど、私が書類を一部書き忘れて、それを書いてからまた並んでと言われて列を離れ、書き終わって戻ると、いつの間にやら長蛇の列。げっそりして並んでいたら、また係員が来て、空いている窓口(外交官用)に連れていかれた。私の後に、子供を連れたカミ−ズ姿の女性が連れてこられたので、外国人だから優遇されたのではないと思う。一般的に、イスラム圏では女性は虐げられている、とのステレオタイプな見方しかないけれど、女性として感じたのは「女性であるだけで、こんなに甘やかされて良いの?」だった。これは、女性じゃなければ実感できない事だと思うけど。
2003年04月22日 11時19分41秒

4月14日(月)青いガラス細工のグラス
今朝は忙しいぞ。正午にチェックアウトする前に、またサウナとマッサージを堪能するつもりだから。8時過ぎに起きて髪を洗い、お風呂に入る。湯船に浸かって朝風呂を堪能し、9時ちょっと過ぎに朝食に行く。今朝は、大好きなジャガイモのカレースープの代わりに、ダ−ル(豆のスープ)とキーママター(グリーンピースと挽肉のカレー)だった。洋食コーナーのオムレツは、昨日で懲りたのでパス。甘そうなチョコパンやクロワッサン、チーズもパス。コーンフレーク関係もパス。朝からキーマもねえ。でも、ダ−ルはあんまり好きじゃないので、キーママターを味見。しっかりスパイスが効いて、結構美味い。後は、オレンジとミックスフルーツとグレープフルーツのジュースをそれぞれグラスに1杯づつと、コーヒーをポットで一つ。やっぱり温めたミルク付きで、とてもうれしい。水分をたっぷりと取ったのは、これからサウナに行くから。その前に、昨日見た青いグラスを探すために、ショッピングアーケードに行ったけれど、10時前だったせいか、ビューティークリニック以外、お店はほぼ全部閉まっていた。

10時ジャストにフィットネスセンターへ。おばちゃん、うれしそうな笑顔を見せる。はいはい、来ましたよ。右側のフィットネスルーム、今日は山のように太ったおばちゃんが4人、せっせと汗を流していた。宿泊客じゃなくて、フィットネスジムのメンバーのようだ。フィットネスは私は興味が無いので、まずはロッカーの鍵をもらい、全裸になってバスタオルを身体に巻き付け、サウナへ。先客がいたが、私が入っていったら、すぐに出て行った。昨日と同様、水を熱した石に打つと、ハーブの良い香りがふわあっと広がる。ああ、極楽。きっちり25分入って汗を流し、シャワーを浴びてマッサージ室へ。でもおばちゃん、のんびりとチャイを飲んだり、バスタオルを片付けたりしている。最初はベッドに寝て待っていたが、マッサージの後もサウナに入りたいので、おばちゃんに、早くしてと急かせる。やっと重い腰を上げたおばちゃん。それでも歳のせいか、動作がイマイチ遅いのよね。やっとマッサージが終わったのは11時半。急いでサウナに駆け込む。15分。最後のサウナ、15分をじっくりと堪能。シャワーを浴びて部屋に戻ったのは、12時5分前。急いで荷物を持ってロビーへ。12時1分前にチェックアウトの声を掛ける。まあね。5分や10分オーバーしたくらいで、追加料金を課すほどあこぎな真似はしないと思うけど、やっぱり12時までにはチェックアウトの声を掛けたい。清算が済んで、フロント脇のソファで、るびさんを待つ。今晩は、るびさんの家に泊めてもらうのだ。

12時半少し過ぎに、るびさんとお友達が迎えにきてくれる。最初は、ホテル内のアーケードで青いグラスを探すが、無い。仕方ないので、お友達の紹介で、アフガンカーペットの土産物ショップへ。綺麗な建物で、かわいいグッズがいっぱい。やっぱり青いグラスはなかったけれど、代わりに天然石や大理石のお皿やコースター、小物入れを見た。とても可愛い。大きいのは重くて持ち帰るのが嫌だけど、小さい箱や動物なら持てる。本物の石だけあって、昨日のサンデーマーケットよりはるかに高いお値段。お土産に、小さい箱や動物の重しを買う。その後、お友達を送ってから、るびさんの家へ。タイの家みたいに、門番さんがいる。タイも一軒家の場合は、門番を置かないと物騒だもんね。応接セットの脇の本棚に、思わず歓声を挙げてしまった。まだ読んでいない宮部みゆきの文庫本や、王家の紋章、日出る処の天子、生徒諸君等々、昔懐かしい単行本もいっぱい。でも、まずは水が買いたいので、歩いて数分のガソリンスタンド内のコンビニへ。ローファットアイスクリームとか、ビスケットも仕入れる。ふっふっふ。これらをつまみながら、漫画や本に読みふけるつもり。家に戻って、軽いランチの後(キムチスープがおいしくて、おかわりしちゃった)暑い午後は本を読んで過ごしたい旨を告げて、本を抱えて2階へ行く。ああ、幸せだわ〜。

夕方、門番の奥さんが、マッサージに来てくれた。るびさんに頼んでおいたのだ。マッサージを正式に習った事は無いようだが、揉んでいるうちにツボにはまってくるので、彼女には多分、天性のツボ押し才能があるのだろう。お礼は10分で10ルピー、30分で30ルピーくらいと聞いていたので、終わって時間を見たら、35分弱。微妙なところだけど、40バーツを渡したら、身振り手振りで何か言い始めた。何を言っているのか、全然さっぱり100%完全に判らない。でも、顔の表情はしぐさから、少ないと言っているような気がして、るびさんに助けを求めるべく階下に降りようとしたら、慌てて私を引き止め、シーっと口を押さえる門番の奥さん。そして、頭を振りながら帰っていった。すっごく気持ち良かったのに。それに、マリオットのマッサージのおばちゃんと違って、若い分、とっても力強いマッサージで、終わった後は本当に全身がすっきりしたのに。マリオットのおばちゃんには100ルピーのチップをあげた事を考えたら、門番の奥さんには、40バーツじゃなくて、もっとあげれば良かった。でもるびさんからは、あんまりあげ過ぎると、次から私が困るわーっと言われ、次は50ルピー渡そうと決めた。そう、街中のエステに予約を入れてもらっていたけど、この奥さんの方が良いもん。エステはキャンセルで、奥さんに明日も来てもらうようにお願いしてもらった。

日が落ちてから、砂浜にラクダを乗りに連れていってもらった。結構、乗り心地が悪かったのね、ラクダって。象の方が良いや〜なんて思っていたら、振動で左の人差し指にはめていた22金のデザイナーズリングが、抜けてスカートの方へ。あ、やばいとスカートを押さえたけれど、下の砂浜にころりと落ちちゃった。急いで「ストーップ!」と叫んでラクダを止めて、下に降りたら、わらわらと他のラクダ引きが集まってきた。指輪を探そうとしたけど、日が落ちて全然見えない。ラクダ引きの一月の稼ぎを聞いて、タンブンと思って諦める事にした。あの指輪を見つけたら、彼等なら1年以上は遊んで暮らせるもんね。願わくば、波にさらわれて海に沈んだり、砂に埋もれたりせず、子沢山のおじさんに拾ってほしいな。

ラクダの次は、大好きなチキンティカを食べに行った。ここで、バンコクでいつも食べているチキンティカと、パキスタンのチキンティカは違う事が判明。パキスタンのチキンティカは、スパイスに浸けたあと、骨つきのまま炭火焼にするようだが、バンコクのチキンティカは、タンドーリチキンの骨無しなんだな。味も、タンドーリチキンそのものだしね。カラチで食べる初めてのパキスタン版チキンティカは、色はイサ−ン料理のガイヤーンそのもの(同じ炭火焼だからか?)だが、スパイスが違う。ピリッとして美味い。さすがはお薦めのお店だけはある。チャイもおいしくて、満足。

お次は、るびさんのご主人のお姉さん一家を訪問する事に。お姉さんには男の子3人と女の子1人の計4人の子供がいて、女の子がお人形さんみたいに綺麗で可愛いの!天使みたいに愛らしくて、びっくり。お姉さんも、かなり太めではあるけれど、若かりし頃の美貌がまだ残っている。長男はすごく痩せているけど、顔はお姉さんそっくり。だから、もうちょっと肉がついたら、もっと美形になると思う。次男は一番しっかりした体格で、愛嬌のある顔。そして3男坊は、おばちゃん好みのあっさり系。長男や次男ほどクドイ顔じゃなくて、でもしっかりと彫りは深い。いやあ、バンコクに連れて帰りたいよ。

お姉さんの家のリビングの飾り棚に、なんと青いグラスを見つけた。欲しかった青いグラス。しかも、ガラスに厚みがあって、色も深みがあり、サンデーマッケットでみた安物のグラスとは、明らかに質が違う、かなり上等のグラスだ。あ、青いグラスがあったよーなんて話していたら、お姉さんが持って行って良いという。え〜そんな、いくら大学では女王様と呼ばれてタカビーぶりを発揮している私でも、ここではお客さん、そんなずうずうしい事は出来ないわ、と珍しく遠慮してたら、るびさんが、くれると言ってくれたものは、素直に貰ってあげた方が、相手も喜ぶのよ、と助け舟を出してくれたので、遠慮無く貰って行く事にした。まてよ。欲しそうにしたら、プレゼントしてくれるのなら、あの3男坊が欲しいよ。冗談で、グラスより3男坊が欲しい、日本に連れて帰りたいと言ったら、長男と次男が面白がって、遠慮しないで持ってって良いですよ、どうぞどうぞと言う。うーん、本当に連れて帰ってきたかったなあ。

さて、お腹も満足して、青いグラスも思いがけずに手に入って、ハッピーな気持ちで家に戻った。客室には、お湯シャワーを用意してくれたのだが、試しに水シャワーにしたら、十分に気持ち良いので、水シャワーで済ませた。水シャワーって、結構気持ち良いのよ。これで、長い一日が終わった。
2003年04月22日 11時18分00秒

4月13日(日)マッサージ三昧
朝は9時のモーニングコールでベッドから起き出し、シャワーを浴びて朝食へ。品数はイマイチのビュッフェだが、コーヒーはポットで、温めたミルクポットと一緒にサーブしてくれた。これはうれしいサービスだ。何を食べるか迷ったが、大好きなジャガイモのカレース−プがあったので、それとロティ。後はチーズ2種類とオムレツ。オムレツとチーズは失敗だったが、ジャガイモのカレースープは美味かった!

朝食の後、まずはホテルのショッピングア−ケ−ド内にあるエージェントで、明日の観光ツアーや、リムジンとガイドを1日借りた場合の料金等をチェックしようとアーケードに行ったら、全部お店が閉まっていた。朝10時前だからかなあ。開いていたのは、マリオット・ビューティークリニック1軒だけ。

仕方無いので、ビューティークリニックに入り、サービス内容と価格表を見せてもらう。おお!へナがある。よし、へナとアクネトリートメントフェイシャルにしよう。でも、ホテル1階のプールサイドにあるフィットネスセンターの、マッサージ施設もチェックせねば。パキスタンのビューティー事情をチェックしなければ、来た意味がゼロだもんね。ビューティークリニックの方には、1時にアポを入れておき、エレベーターで1階のフィットネスへ。

プールで泳ぐ人の姿は、まだない。なんだか風情のないプール。うちのアパート屋上のプールの方が、緑を配置してまだ南国っぽい風情がある。でも、ここはイスラム圏。外にあるって事は、男性専用プールなんだろうなあ(実は翌朝、この屋外プールで泳ぐ現地人女性が1人いて、たまげました。彼女は、水着の下にスパッツを着けていたけど、そこまでして屋外で泳ぐ彼女の気が知れない。。。)女性の更衣室はどこかな、とちょっとうろうろ。奥の方にありました。

更衣室だと思ったドアを開けたら、そこは別天地。おお、女性専用のフィットネスジム、ジャグージ、サウナにスチーム、マッサージルーム、そして情緒たっぷりのプール(なんじゃそれ?)以前、ふぁてぃさん@イランが、女性専用プールで、のびのびと泳ぐ事が出来ていた、と出た邦のメルマガに書いていたけど、その意味がやっと判ったわ。男性の目がないから、のびのびできるのよね。

そこにいたおばちゃんに、マッサージ師は誰って聞いたら、そのおばちゃんがそうだった。大丈夫かな、かなりのお年だけど。とりあえずおばちゃんに、11時にマッサージに戻ってくるからと予約して、部屋に戻る。急いで支度して、プールサイドに戻る。おばちゃんが、まだ11時じゃないよって顔で笑っている。はいはい、知ってますよ。マッサージの前にサウナに入りたいんだもんねー。おばちゃんにそう告げて、ロッカーの鍵をもらう。全裸になって大きいバスタオルを身体に巻き付け、いざ出陣。サウナはとっても居心地がよく、しかも焼いた石に打つ水には、刻んだハーブが入っているようで、石に水を打ったら、ふわっとハーブの良い香りが広がった。おお、この香りはハーブサウナ!!極楽、極楽。

10分ほどでじんわりと汗が滲んでくる。30分ほど入ってシャワーを浴び、それからマッサージルームへ。おばちゃん、待ってましたとばかりにもみ始める。でも、お年だから、持続力がないのよね。最初は良いんだけど、途中は手が休みがち。それを知っているのか、45分のはずなのに、1時間半近く(約倍だよ)も、うだうだとトントンマッサージされた。マッサージの後、今度はスチームに入る。気持ち良いよー。こんな贅沢、ああ、ずっとここにいたい。

12時半過ぎにシャワーを浴びて、ちょっと早いけど、ビューティークリニックへ。今度はへナとフェイシャルだ。へナは450ルビーだから、バンコクの方が安い。アクネトリートメントのフェイシャルは1千ルピー。バンコクとどっこいどっこいか。でも、内容はイマイチだった。これなら、バンコクの240バーツの激安エステの方が、フェイシャルマッサージの腕ははるかに良い。でも、圧巻は顔そり。剃刀を使わず、木綿糸で顔のうぶ毛を抜いていくのだ!!バンコクでも、中華街のおばちゃんに出来る人がいる、とは聞いていたけど、カラチでこれをやってもらえるとは。眉毛も綺麗に整えてくれる。いや、お見事。でも、剃るんじゃなくて抜くので、やった後、40分くらいは顔が赤くなっちゃった。

時計を見たら、やばい!3時5分前だ。急いで時間がないから、と言ってお会計を済ませ、ロビーに向って走る。るびさんと3時にロビーでとの約束なのだ。サンデーマーケットに連れていってもらう予定。ロビーには、果たしてカミ−ズを来た東洋人女性が座っていた。るびさんだ!すぐに判った。まずは、すっぴんの言い訳をする。だって、フェイシャルの糸での初心毛抜きの直後だから、口紅すら塗ってなかったのよね。まずは、るびさんにも部屋に来てもらって、へナで洗いっぱなしの髪とすっぴん顔をなんとかする。髪をピンで留めて、口紅も塗ったら、少しは見られる顔になった。薄い藤色の足首までのワンピを着ていたのだが、せっかくだから、ダッカで買ったカミーズを着てみる。ふふふ、気分はすっかりモスリマね。

るびさん運転の車で、サンデーマーケットへ。小さい子供達がたくさん、荷物もちとして働いていた。私達もたくさん声を掛けられる。でも、持ってもらうほど買う気は無いしなあ。でもでも、子供たちの美形ぶり!私がおお、これは!と思うのは全部アフガン系。パキスタン人とは顔が全然違うから、すぐに判る。彫りの深い顔なんだけど、くどさが無いのよ。持ってもらう荷物は無いけど、お金はあげるから、おばちゃんのところにいらっしゃい、なんて危ない台詞が口元まででかかる。は、いけない、いけない。理性を失ってはいけない!と自分を戒める。

売られていたのは、バンコクでも手に入りそうなものばかりだったので、ブラブラと見ているだけだったがペルシャンブルーの異国情緒たっぷりのグラスを発見!欲しい〜!!!でも、近くで良くみると、細工の粗がとっても目立つのよね。もうちょっと高くても良いから、しっかりしたグラスが欲しいといったら、るびさんが、きっとホテルのアーケードで見付かるよ、ホテルの方が品質は良いからとのアドバイス。考えてみりゃ、そうだよね。結局、マーケットではグラスは買わなかった。

マーケットでアフガン系の美少年達を堪能した後は、るびさんちにちょこっと寄ってチャイをご馳走になり、ホテルに送ってもらう。ホテルでまだしなければいけない事が、残っているのよね。それは、イタリアンを食べること。スパゲッティ狂いの身としては、異国に旅行したら、その国のスパゲッティを味見しないと気がすまないのだ。ダッカでも食べたしね。デリーでは、イタリアンに行く時間がなくて、タイ料理になっちゃったけど。なので、夕飯の心配をしてくれたるびさんに、事情を話してホテルに送ってもらった。

さて、ホテルのルームサービスに、イタリアンが載っていた事はすっかりチェック済み。早速、スパゲッティアラビア−タとブルーベリーチーズケーキを頼む。出てきたのは。。。るびさんから警告は受けていたけど、確かに茹で過ぎた麺。。。アラビア−タソースは美味だったのに、惜しい!ブルーベリーチーズケーキも、ちょっとねえ。朝食のチーズの不味さを思い出した。オーダーする前に思い出せよ>自分!

とりあえず、カラチのイタリアンには不完全燃焼のまま、お風呂に入った。ふ〜っ、充実した一日だった。
2003年04月22日 11時17分01秒

4月12日(土)カラチへゴー!
夕方発の飛行機なので、ゆっくりのんびりお買い物したり、お風呂に入ったりして、荷作りが済んだのは、午後3時過ぎ。お昼前にアッコから携帯にメールが入る。彼女は午前便で日本に一時帰国する為、空港に着いたらしいが、マスクをしている人はほとんどいない、という内容だった。私も4時過ぎに家を出て、空港へ。着いてみて、びっくり仰天。いつもはあんなに人で賑わい、活気溢れるドンムアン空港なのに、人影はまばらで閑散としているのだ。マスクをしている人も、ほとんどいない。チェックインカウンターでも、マスクをしている人はゼロ。ま、心配いらないって事なんでしょ。

機内食で出たラムのカレーは、インドレストランも真っ青ってくらい、激美味だった。もう、何でこんなにおいしいの?ってくらい、美味かった。で、飛行機は予定より20分遅れでカラチ着。うふふ、カラチだよーん。マリオットホテルに2泊するのだが、ちゃんとホテルのバンは待機してるかな?ドキドキで入国審査を終えて、到着ロビー(っていうか、外だった)に出たら、マリオットのロゴ入りボードに私の名前を書いた紙を持ったスタッフが、ちゃんといました。良かった!さあ、私をマリオットに連れてって。でもでも、なんでこんなに寒いの?ひょえ〜、真夏のバンコクから来たせいか、暑さを覚悟して来たカラチは、寒くてびっくりだった。まあ、夜だしね。太陽の出ている昼間は、暑いらしい。

マリオットホテルは。。。拍子抜けするほど小さくて、外観は3つ星ホテルみたいだった。バンコクのマリオットと比べちゃいけないって事ね。でも、部屋は広くてとっても綺麗だった。部屋からの眺めも最高。って、夜だけどさ。疲れていたけど、お風呂で湯船に浸かってリラックス。30分ほど湯船に浸かった後、オペレータに電話して、明日のモーニングコールを9時で頼む。では、お休みなさーい。
2003年04月22日 02時18分25秒

4月11日(金)ソンクランの気分は高まる
今日でレベル1は終わり、明日からソンクラン休暇が始まる。12日が大晦日、13日がお正月、そして15日までが3が日、16日は振り替え休日。5日間の連休だ。うれしいよー。
2003年04月22日 02時17分09秒

4月10日(木)ソンクラン行事
今日は10時まで授業をしたあと、大学主催のソンクラン行事に招待されて、お客として参加した。ひな壇みたいなところに大学関係者の長老達14人がずらりと並び、その人達の手に「スカパープ ソンブーン ケンレン」と呟きながら、香りの良い水を1人ずつ掛けていくのだ。こうやって目上の人に静かに尊敬を込めて水を掛けるのが、本来のソンクランの水掛けらしく、それを私達外国人生徒に見せたい、との意趣だったようだ。本当に、うちの大学は留学生の面倒見が良い。参列者は全員、タイ風の綺麗な衣装を着ている。私達も、今日は足首までの長いスカートに肩を隠す上着着用で、礼儀を正す。郷に入れば郷に従え、だもんね。美しい文化や習慣は、尊重しなくちゃ。お昼ご飯も出た。もちろん、タイ料理だけれど、みんなで食べるとおいしいのよね。

昼過ぎに旅行代理店に電話して、フライト情況を確認。タイ航空しか空いていないとか。がーん。タイ航空は行きも帰りもフライトの時間が悪すぎ。行きは夜の10時半着だし、帰りは早朝3時発だもんね。絶対に避けたい飛行機だったけど、これしか空いていないなら、仕方ないや。キャセイにはあと1週間、踏ん張ってもらいたかったなあ。。。
2003年04月22日 02時16分19秒

4月9日(水)ヘイウォンとアンチャン、最後の日
ああ、今日はヘイウォンとアンチャンの最後の日、今晩の飛行機で韓国に帰国しちゃう。きっともう、一生会う事もないんだ、と思うと、悲しくなる。綺麗なアンチャン、ホンワカしていたヘイウォン。寂しくなるなあ。授業を終えた後、新大黒へ。途中、大学の裏道を抜けるのだが、キョンスーがドブに落ちてしまった。後ろの方からきゃーという悲鳴が上がったのは聞こえていたけど、まさかドブの羽目板を踏み外す人がいるとは。。。笑っちゃいけないとは思いつつ、笑ってしまった。

新大黒は、夜は企業の接待で使われる高級料亭の一つで、日本風の家屋で、玄関前には池なんかもあって、風情がある。夜は高いが、昼はランチが手頃な料金で食べられる。新大黒、初めてのコばかりで、みんな歓声を挙げていた。私は日替わり定食を頼んでもらい、その間にパキスタン大使館に直行。なにしろ、ビザの受取時間は午後1時から2時までの1時間しかないのだ。速攻でタクシーにのり、大使館に直行。パスポートを受け取って新大黒に戻ってきたら、まだ定食はきていなかった。良かった。

久々の日本食だあああ。食べ終わって一息吐いた頃に、アンチャンが「今日はありがとう、みんな本当にありがとう(タイ語でね)」とお礼を述べて、うるうると泣きそうになったので、どうしようかと思っちゃった。しっかりデザートのフルーツとアイスコーヒーも飲んで、お会計。その後、韓国人の5人は別の場所に移動し、残った我々で近くのマックでコーヒー&おしゃべりタイム。ちょっと寂しいコーヒータイムになった。マックから、旅行代理店に電話して、ビザが取れたから予約していたキャセイ、発券して下さいとお願いしたら、なんとなんと!キャセイは飛ばなくなったといわれる。がーん。どこまで不運なの?そんなに、そんなにパキスタンは私に来て欲しくないって事なの?とりあえず、エミレイツとタイ航空でフライトがあるか、調べてもらう事になった。

夜10時過ぎ、ヘイウォンから電話が入った。空港からだという。実は、空港でマスクをしている人がたくさんいるか、教えてと頼んでおいたのだ。ヘイウォン曰く、出国ロビーも入国ロビーも、マスクをしている人はほとんどいない、との事だった。やばい、これ以上話をしていると泣きたくなる。ヘイウォンも同じだったようで、「チョークディーナカ〜!」と明るく言って、電話を切った。1月3日、私が始めて話をしたクラスメートが、ヘイウォンだったのよね。。。元気でね、ヘイウォン!
2003年04月22日 02時16分00秒

4月8日(火)
ヘイウォン、本当に明日韓国に帰国しちゃうんだ。アンチャンは身体の調子が悪いとかで、今日もお休み。明日はみんなで、お別れの昼食会をする事になった。何が食べたいって聞いたら、日本食だって。近くに新大黒があるので、そこのランチセットを食べに行く事になった。アンチャンにも伝えてくれるって。明日が最後だもん、アンチャンにも来て欲しいわ。
2003年04月22日 02時14分45秒

4月7日(月)
今日はタイの祝日です。静かにまったりと過ごす。
2003年04月22日 02時14分12秒

4月6日(日)
今日は、昼過ぎにアロマオイルマッサージへ。いつも指名する女性がお休みで、代わりに若い女性が担当してくれた。うーん、イマイチ。次からはパスだわ。

夜は、ミモザというスクムビットソイ39にある1軒家のレストランへ。メニューが新しくなっており、食事は更に充実。うまかった。でも、デザートがイマイチかなあ。
2003年04月22日 02時12分31秒

4月5日(土)
10時間のバイトを終え、家でぐったりしていたら、ケミーから携帯にメッセージが入った。SARSの感染者の為に、香港時間の夜9時(タイ時間の夜8時)に1分間の祈りを捧げたいから、祈りの輪に参加して、という内容だった。ヘイウォンとトシにケミーのメールを転送し、夜8時にとりあえずは感染者の回復とこれ以上感染が広がらないように、祈った。みんなの思いが伝わりますように。。。
2003年04月22日 02時11分52秒

4月4日(金)
朝8時35分に家を出て、大学の留学生着は45分。それからレターを持ってパキスタン大使館到着は9時ジャスト。ところが受付窓口スタッフがまだ来ていないとかで、9時20分過ぎにやっと申請。が、領事が私の書類を取り上げると、大学の書類を入念にチェックし始め、何か見つけたようで、タイ人スタッフに無言でレターの中の何かを指差した。スタッフが私の元に来て、ここに大学のハンコが必要です、と指差した個所には、学部長の直筆サイン。普通は直筆サインでしょう??でも、領事は問答無用にだんまり。仕方なく大学の国際課に戻り、担当の先生にハンコを下さいとお願いし、またパキスタン大使館に戻ったのが10時ちょっと前。さすがにタイ人担当者と領事の双方ともに、呆れていた。「え!また戻ってきたのか!」と。そう、戻ってきたのよ、悪い?とにかくこれ以上、難癖付ける個所が無かったようで、やっと申請書類を受理してもらった。で、受領日を書いた紙を渡されたのだが、これがタイの祝日。祝日に開いてる訳ないでしょ?いちいちムカツク対応だ。でも、ごちゃごちゃ言いたくないので、大学にとんぼ帰り。教室に入ったのは、10時10分ちょっと過ぎだった。ふー。

お昼に旅行代理店に電話を掛けて、月曜日にチェックしてもらったフライトのうち、バンコクーカラチの往復をキャセイ航空で予約してもらった。キャセイがバンコクーカラチ間を飛んでいるとは、意外だった。ビザ申請に時間が掛かりすぎて、ヨルダンはもう間に合わないので、行くのはパキスタンだけになった。
2003年04月22日 02時11分27秒

4月3日(木)
朝、学生証のコピーと、招聘状の内容を書き写した紙(うちはプリンターはあるのにインクがないので)と写真を持って、パキスタン大使館にいざ出陣。でも、またもや玉砕。まず、大使館にはるびさんがカラチからファックスしてくれた招聘状がちゃんと届いていた。でも、要らないって突っ返された。はっきり言って、むっとしたよ。それは無いんじゃない?で、学生証のコピーじゃ駄目だ、ちゃんと大学からサイン入りの在籍証明書を発行してもらえ、それを持ってきたら、ビザを出そうといわれる。電話の感じも悪かったが、顔を合わせたらもっと感じが悪いおやじだった。領事だった。

急いで大学に戻り、国際課の留学生担当の先生に、パキスタンのビザ申請のために、在籍証明書を発行して下さいとお願いした。この先生、自分が知らない事や初めての事をするのは嫌がる性格で(知らない事を生徒に知られるのが、極端に怖いのだろう)案の定、どうして大学が在籍証明書を発行しなきゃいけないのよ、とごね始めた。そして、部下にパキスタン大使館に電話かけさせている。あーあ、時間の無駄なのに。で、今度は「あなたは既に教育ビザを持っている、パキスタンのビザまで取ったら、パスポートにビザが2つもある事になる、それはまずいでしょう?」と訳の判らない事を言い出した。ああ、頭が痛い。これが博士課程を修了して、長年留学生のビザ関係を担当してきた教授の台詞だよ。彼女に、わたしのパスポートを渡して、インドやバングラのビザを見せながら、国によっては、入国するのにビザが必要なのよ、と説明すると、今度はそんなのおかしい、ベトナムやラオスにスタディーツアーでここの学生も行くけれど、ビザなんか必要なかったわよ、と言い出した。日本人はベトナムに入国するにはビザは絶対必要だ。多分、そのスタディーツアーに参加した日本人は、自分で書類を準備してベトナム領事館にビザの申請をしたから、この担当教授は気付かなかったのだろう。それにベトナム領事館は、パキスタンと違って、大学側の在籍証明書提出を義務付けなかった(普通は必要ないでしょ)に違いない。困ったちゃんだよ。終いには、パキスタンのような危ない国に行かせる訳にはいかない、あなたに何かあったら、大学は責任持てないとまで言い出した。あああああ、叫びたいよ、もう。でも出来るだけ静かな声で「私は既に大人です。私の年齢を知っていますか?」と言ったら、さすがに彼女も黙ってしまった。

やっと明日の朝、一番でレターを発行してくれる事になり、ほっとして時計を見たら、既に11時過ぎ。10時には授業に出られると思っていたのに!でも、せっかくだから、授業に出席。朝から疲れたよー。

昨日までは、週末はクラスのみんなでパタヤに行こうか、なんて話していたのに、今日、ヘイウォンとアンチャンの2人が、韓国に帰国すると言い出して、びっくり仰天。パタヤどころじゃなくなってしまった。SARSが怖いから、急遽帰国を決めたというのだ。えええええ???
2003年04月22日 02時09分52秒

4月2日(水)イランレストラン
今日は、授業の後、トシと2人でサイアムスクエア−に行って、若者に混じってぶらついた。マンゴタンゴでマンゴアイスも食べる。本当は、トシの奥さんの方とおしゃべりしたかったんだけど、携帯に電話したら、暑いからシェラトンのプールで涼んでる、2人で行ってきて、だって。おーい、夫を放っといて良いのかあ〜?

夜は、友人とイラン料理レストランへ。去年の12月末に行ったレストラン。今日はお客は我々以外、来なかった。イラク戦争の影響でもあるまいに。ワインは買い置きが無くて、じゃあ買ってきてと頼んで、買ってきたのは良いけれど、今度はコルク抜きが見付からないようで、裏でガタガタと引き出しや棚をチェックしている音が、客席の方まで響いてくる。可哀想に、もうすぐ潰れるね、きっと。私達が最後の客だったりして。前回、感激しながら食べた付け合せのバターライスも、今回は固めに炊いたご飯と小さい一人用パックのバターとに代わっていた。良い意味に解釈すれば、バターライスはコレステロールが高いから身体に悪い、だから、バターとライスを別けて出した、と。でも、バターをケチっただけって気がするんだよなあ。

ケバブだけはおいしかったけど、もうすぐ潰れそうな哀愁が漂うレストランだった。。。
2003年04月22日 02時07分42秒

4月1日(火)学生証
朝、メールをチェックしたら、夕べのうちにるびさんから『招聘状を送ろうか』という返信が入っていた。ありがたくレターを送ってもらう事にする。何が必要になるか判らないもんね。それと、改めてパキスタン大使館に電話をかけ、旅行者じゃなく居住者だ、今は大学で勉強していると伝えたら、じゃあ、大学で勉強している事を証明できる書類を持ってきたら、ビザを出すと言われた。やった!学生証のコピーを出せば良いって事ね!それに、るびさんから送ってもらう招聘状も添付すれば、鬼に金棒だ。
2003年04月22日 02時04分21秒

3月31日(月)
ショック!!パキスタン大使館に電話を入れて、ビザ申請について問い合わせたら、ワーパミ保有者じゃなければビザを出さない、と剣もほろろに電話口で却下。うーん、感じの悪いおやじだわ。

夜、るびさんにメールして、申請を却下された旨、伝える。やっぱ、旅行はヨルダンだけにしようかな。
2003年04月22日 02時03分27秒

3月24日(月)〜 3月30日(日)
旅行代理店に電話して、バンコクーアンマンと、アンマンーカラチの往復チケットを調べてもらったり、ヨルダンのビザ取得法について、チェック。ヨルダンは簡単そう。日本人は、空港で到着時にビザ申請できるようになったらしい。いつからかな?多分、去年くらいだとは思うけど。そんなこんなで、気分はすっかりタイ正月の旅行気分。なんだか、ウキウキするのよねえ。
2003年04月20日 21時55分38秒

3月23日(日)
早く、戦争終わってくれないかなあ。4月のソンクランはバイトを7日か8日ほど休んで、ヨルダンとパキスタンはるびさん@カラチを訪問する予定だったのに。でも、戦争がなんだかあれよあれよという間に始まってしまい、ヨルダン旅行の計画がまとまらない。あーあ、早く戦争終わってよねえ。
2003年04月20日 21時53分19秒

3月22日(土)久々のゴージャスを楽しむ
今日は、10時間びっしりバイト。さすがに10時間は、疲れるなあ。しかも、明日はお休みの日なのに、他の日本人通訳が休むので、代わりに半日だけ出て欲しいと社長に頼まれた。最初は6時間、と答えたが、考え直して5時間にしてもらった。だって、午後からアロママッサージの予約が入ってるからね。

帰ってきて、ここ2、3日のタイの新聞記事をチェックしたら、タイ政府がイラク大使館の外交官に国外退去を求めたとの記事があった。まあ、戦争だからね。タイ政府は、アメリカ支持を表明してるし。在タイのイラク外交官は、3人しかいなかったらしい。今週の月曜日、私に電話で「力になれなくて、済まない」と言ってくれたのは、どの人だったんだろう。強制退去と言っても、祖国はドンパチやってる最中。彼等はどこに帰るんだろう、とふと思ってしまった。亡命?

夜はなんだか疲れたので、薔薇のエッセンス入りお風呂と、アロマポットでローズオイルを焚く。寝室と浴室には薔薇の香りが溢れ、うーん、ゴージャス。身体も心もとろとろになりそう。。。
2003年03月23日 22時29分08秒

3月21日(金)寝坊した!
寝坊して、学校に行けなかった。ああ、授業料がもったいない。日本での女子大生時代、親が学費を出すのが当たり前だと思っていたので、よく自主休校で大学をサボった。あんまり熱心じゃない教授の講義は、友人と交代で代返したりもした。あの頃が、まるで嘘のようだ。

人間って今まさにその時、渦中にある時には、物事の重要性が見えていない事が多い。私の学生生活のように。本当に、今考えると私は何と時間とお金を無駄遣いしてしまった事だろう。。。せっかく希望校に合格し、教育を受ける場と機会を得たのに、入学した段階で安心してしまい、その後の4年間を無為に過ごしてしまった。入学したことで教育が終わったのではなく、それからが教育の始まりだったのに。でもね。トシを経た今だからこそ、時間とお金を無駄にしたと思えるのであって、当時は毎日が楽しく、遊び暮らしたものだった。

ちょっぴり自戒を込めて。
2003年03月23日 22時28分07秒

3月20日(木)イラク空爆開始
17日〜19日と、先生たちの都合で3連休だったので、久しぶりの大学。久しぶりにあうクラスメートは、みんな元気だった。でも、韓国人は1人だけ登校し、残り4人はそれぞれ旅行に出て、まだ戻ってきていないようだった。

クラスメートの1人、トシはラオスに行ったそうだが、白人(特にフランス人)観光客だらけだったとか。ラオスはフランスの旧植民地だったせいか、フランス人の態度がでか過ぎて、ムッとしまくりの旅行だったらしい。具体的に聞くと、例えば長距離バスで、名前を書いた紙をチケット売り場に渡して、名前入りのチケットを受け取るシステムだったらしいのだが、フランス人バックパッカーが自分の紙片を渡し間違えたのに、隣りにいたこいつ(トシ)のせいで、変な名前のチケットを渡された、こいつを調べろ、といきなりバス乗り場で指差さしでクレーム付けられたらしい。トシが自分の名前が書かれたチケットを皆にみせたら、今度はそのバスに乗る全員のチケットの確認を始め、結局最後に判ったのが、フランス人自身のミス。ところがそいつは、自分のミスと判ると、ふんっと鼻を鳴らしてそれっきり、ソーリーの一言も無し。また、バス等の公共交通機関が混んでいて、自分の隣りがアジア人だと判ると、露骨に嫌な顔をされたり。トシも1度、本当に嫌な顔をされたらしい。うーん、さすがは旧宗主国。その理由無きプライドは、どこから来るのだろう??

午後、バイトに行ったら、社長から「ちょっと前に、米軍によるイラク攻撃が始まったようだよ。」と教えられた。ああ、とうとう始まってしまったか。今、私に出来る事といえば、一般市民に極力被害者が出ないよう、祈るだけ。メール交換で知り合った日本人女性(イスラムに改宗済み)が、まだバグダットにいるのだ。。。彼女は3月13日に日本を発ち、最初は、戦争を絶対に止めるとの決死の覚悟でイラクに入ったのだが、ここ数日の状況激変で、自分が人間の盾として日本から連れてきた若者達には、出国するように説得して一緒に国境まで行ったそうだ。が、彼女自身は、バグダッドに戻ってしまったらしい。ケンやクリスのヒューマンシールズが瓦解した現在、そしてイスラエルのガザ地区で、人間の盾運動で活動していた米人女性が、イスラエル軍の戦車に轢かれて亡くなった現実。『人間の盾』の意義・効果を今更のように、考え始めている。この方法での平和的解決には、そもそも限界がある。そして、その限界を見極める迅速な判断と冷静さが必要なのだが、普通は、あまりに現地の人達に感情移入し過ぎて、自分の命を危険にさらしてしまう。それって、本末転倒ではないだろうか。イラクの人々の命も一つしかないけど、あなたの命だって一つしかないのよ。。。

人間の盾に参加していた日本人のほとんどは、アラブの言語どころか、英語さえままならない、こんなんだから、国際情況が見えないのだ、と批判する声も耳にする。

私に言えるのは、快適な居間で、冷えたビールやワインを飲みながら、テレビニュースを見ているだけの人には、人間の盾としてバグダットに残った彼女の心情は、理解できないだろうという事だ。
2003年03月23日 22時27分12秒

3月19日(水)久しぶりの極上アロママッサージ
今日は、大学のお休み最終日。しかも、バイトもお休み。なので、午後からアロマオイルマッサージに行ってきた。ここは、サウナは付いていないが、平日午後6時までは、2時間で490バーツと格安なのだ。でも、電話で予約を入れた時には、千バーツと言われた。え、平日午後6時までは490バーツじゃないの、と突っ込んだら、ああ、6時前までだったら490バーツで良いですよ、と言う。じゃ、最初に言った千バーツって何だったの?と再度突っ込むと、2人で個室を使う時の料金です、との答え。えーと、誰が2人って言ったの?そっちもお2人様ですか、なんて聞かなかったじゃん。全く。。。でも、ここが気に入っている理由は、とっても清潔で綺麗だから。アロママッサージはパンツ1枚になるんで、清潔感ってのは大切なのだ。また、マッサージ用のアロマを選ぶと、それと同じ香りのエッセンシャルオイルを、アロマポットで焚いてくれる。ホテルのスパ並に清潔な個室でアロマを焚いてくれた上に、マッサージまで。極楽でごじゃる。今日はちょっと疲れ気味なので、アロマはエナジャイジングを選ぶ。ミントを基調にした香りで、すきっとさわやか、今の体調にぴったりのアロマだ。

予約の時に、マイチョープバオバオ(緩いマッサージは嫌い=強く揉んで)と言ってあったので、マッサージのお姉さんは最初、少し力を入れてくれたが、足の腿から脛に下りてきたら、ほとんど撫でる程度の、まるでぬるま湯のようなマッサージ。ま、本来、アロマセラピーってのは、アロマの芳香でリラックスするもので、マッサージはおまけみたいなもの。でも、やっぱり強く揉んで欲しいから、お姉さんにバオバオは嫌いと言ったら、やっとまた少し力を入れてくれた。でもやっぱ、自分の中では不完全燃焼的に弱いマッサージ。やだなー、こんな下手なおねえさんには、チップ挙げたくないなあと思いながら、我慢。仰向けでの足とお腹のマッサージが終了し、次にうつぶせになって、背中と腰の番になったら、意外としっかりツボを押さえたマッサージ。もみ具合が、めちゃ上手いのだ。こ、これは日本人相手の肩腰背中のマッサージ屋で働いた事があるんだろうか、と思うほど、ツボにちゃんとはまってる。

彼女が次に腕をマッサージしようとしたので、腕はしなくても良いから、もっと腰を揉んでと頼んだ。ついでに、さっき腰を揉んでくれたの、すっごく上手だったよと誉めたら、喜んで力強く背中と腰を揉み出した。そうそう、この力具合よ。タイ人落とすに刃物は要らぬ、だね。「すごく凝って、こんなに固くなってますよ。」と言いながら、タイ古式マッサージの要領で揉んでくれる。この凝りをほぐすなら、古式マッサージの方が効きますよ、と言った後、彼女はちょっとしまった、という雰囲気に。古式マッサージの方が、アロママッサージの半額なんだもん。でも、彼女には古式マッサージは強すぎるから嫌い、と言ったら、「じゃあ、アロマオイルを使いながら、古式マッサージの要領で揉んであげるわね」と、正に私が望んでいたマッサージを始めてくれた。残り40分だったが、非常に満足。お会計の時に、日曜日も来るからね、と彼女指名で予約を入れた。最近、色々と考える事が多かったので、リラックスしたいしね。

夜、ヨルダン行きについて、私はドロップアウトする旨、日本にメールを打った。でも、日本側からは、それでも行くらしい若者が、7人ほどいるという。深夜には、数日前までバグダットに人間の盾として滞在していて、現在はアンマンにいる人からメールが転送されてきた。現状ではもう、イラクへの再入国はほぼ不可能だろう、でもイラクとの国境付近まで行こう、そこで何かパフォーマンスをやって、世界をあっと言わせてやろう、というメッセージだった。20日に日本を発ってアンマン入りする7人と、現地で合流するようだが、多分、アンマンの日本大使館員が馬鹿な真似は止めろと説得に入るだろう。みんな若い。若気の至り、若気の過ち、馬鹿な真似をして命を危険に晒すな。いくらでも、分別臭い事は言える。でもね、彼等はバグダットで親切に世話を焼いてくれたり、各種行事で触れ合った一般市民達への思いをそれぞれが抱え、アメリカへの義憤に燃え、そういった様々な感情が自分の心の中できちんと消化されていないだけ。出来ないのだ。だから、人間は弱い。でも、だから人間は素晴らしいとも言える。
2003年03月23日 22時25分44秒

3月18日(火)ヨルダン行き、とうとうキャンセル
今日、とうとうヨルダン行きをキャンセルした。昨日、アホブッシュが48時間以内にフセイン大統領は亡命しろって演説したけど、フセイン君はそれを拒否。で、今日のCNNで、48時間の期限後、アメリカは直ちに宣戦布告をするだろう、とのニュースを見て、こりゃもう駄目だと諦めた。

それに、日本からの連絡によると、私のイラクビザは東京ではまだ下りておらず、週末にもアンマンで下りる可能性があるという。ただ、こんな情勢なので、大使館のスタッフも確実にアンマンでビザが下りるかどうか、保証出来ないとの事らしい。まあね。戦争が回避され、平和的に入国出来るなら、くらいの軽い気持ちで申請したイラクビザだったが、アメリカが最後通告を突きつけた今、イラクに入国するのは、人間の盾に利用されるか、爆撃に曝されるのがオチで、シャレにならない。なので、旅行代理店に予定変更の電話を入れた。4月のタイ正月には、絶対にアンマンとぺトラ観光を実現させるぞ!
2003年03月23日 22時24分21秒

3月17日(月)今日から3連休
今日から水曜日まで、先生達の都合で大学が3連休になる。やったね!

朝、イラク大使館にビザの情況を確認に行こうと、最寄のBTSアーリー駅まで行き、そこから大使館に電話を入れてみた。日本人女性からの突然の電話に、驚きと戸惑いが電話を通して伝わってきた。電話の対応自体は、声の調子といい、話し方といい、非常に丁寧で親切だった。ただ、こんな情況(タイ時間の今朝8時、ブッシュ大統領の『48時間以内にフセイン大統領は亡命しろ』との最後通告がニュースで流れた)だから、本国とも連絡がなかなか取れなくて、我々も実は指示待ちなんだ。だから、開店休業状態でね。東京でビザを申請したなら、東京側の回答を待った方が良い、力になれなくて、残念だ、済まないと言われた。意外だった。イラク人と話しをしたのは生まれて初めてだったが、想像していたような横柄さは微塵もなく、こんな情況になってもまだビザを申請してくれてありがとう、という言外の思いが伝わってくるような(思い過ごしかも知れないけど)声に暖かさを滲ませた対応だった。

まあね。個々人は良いのだ。どこの国だって。
2003年03月23日 22時23分22秒

3月16日(日)
ラットがバンコクに出てくるので、セントラルチットロムのスターバックス(スタバ)で待ち合わせた。本当は、まだ身体も気分も回復しておらず、人に会える状態じゃないのだが、ナコンパトムに住むラットとは、いつでも会える訳じゃない。しかも彼女は妊娠6ヶ月。安定期に入ったから、久しぶりにバンコクに出て来るのだ。今、会わないと、次はいつ会えるのやら。

スタバに現れた彼女、6ヶ月というよりは8ヶ月か9ヶ月に見えた。電話で、医者に太りすぎと注意されているんだ、と聞いていたが、確かに日本で見慣れた6ヶ月の女性とは明らかに違う。タイの妊婦は一般的に、日本の妊婦より太り過ぎが多い。ラットも毎月2キロづつ増え続け、今月は既に3キロ増になりつつある、生まれる頃には何キロ太っているのやら、とため息を吐いていた。彼女の友人が3人目を妊娠した時は、月に4キロづつ体重が増えていったそうで、赤ちゃんが生まれた時には友人の体重は80キロに達していてとか。で、産後のダイエットに励まなかったら、夫が直ぐに浮気して、他の女に走ってしまったらしい。ああ、タイの男って全く。ラットには「大丈夫、出産後は赤ちゃんその他の分で、最低4キロから5キロは痩せるから。」と変な慰め方をしたら、噴き出された。

やっぱりまだ、体調が完全には回復していないせいか、ラットと話していても、ボーっとする事が多くて、会話が弾まない。悪いなあと思っても、注意力も散漫になり、自分の心ここにあらずで、どっかに飛んでいっちゃうような感じ。でも、久しぶりにラットに会えたのは、嬉しかった。
2003年03月23日 22時22分30秒

3月13日(木)〜15日(土)
久しぶりに不正出血があった。ふ〜。体調も悪い上に、輪をかけて気分も落ち込む。。。
2003年03月23日 22時21分11秒

3月12日(水)自分の思い込みを正論として教える教師はエライ迷惑
今日、パヌポン先生から、明日とあさっては授業があるから休まないように、と言われた。あああああ、全くこの計画性の無さ。大学といえど、やっぱりタイモードって事なんだね。先週からずっと、13日から19日まで休みだって言い続けてきたのに。だから、ほとんどの生徒は、旅行の計画立てたのに。前日になって、休みじゃないって言われても、はっきり言ってすっごく迷惑。あきちゃんやトシ、ミジョンやヘイウォン達は、それぞれに旅行の計画を友人達と立てていて、今更キャンセルも出来ない、と怒っていた。

私達のコースには、教師が5人いる。教師の都合で続けて数日休む場合は、5人で顔合わせてしっかりと打ち合わせしろと言いたい。○○先生とXX先生が話し、それを△△先生に伝え、□□先生が反対したら、またそれをXX先生に伝え、みたいな子供じみた伝言ゲームをやってるから、前日に全てが覆るんだよ。

この先生達の相互連絡の悪さと段取りのまずさに、ちょっとムッとしたのが原因だと思うんだけど、今日はやけに授業の粗が目立った。

タイの小中学校では、先生が一方的に教え、生徒は決して異議や反対を唱えない。教室の中では、生徒は教師に絶対服従だ。大学はさすがにもっとオープンだが、それでも小学校から教師への絶対服従に馴らされているから、大学に入っていきなり、質問しろとか議論しろと言われても、何も言えずにだんまりになるタイ人生徒が多い。スイスのインターナショナルスクールで教えていた時も、タイ人の学生が一番静かだった。うるさくて辟易したのは地中海系。ま、それは良いんだけど。

パヌポン先生が、「ファランの文化ではこうだけど、タイは違う、タイはこうなんだ。」と、またしょうもない思い込みファラン(白人)文化を例に出して、タイとの比較を論じたので、一番前に座っていたベトナム人のルアンが、それは違う、ファランはそんな事はしない、と反論した。すると、パヌポン先生はルアンこそ間違っていると決め付け、黒板にファランはこう書くだろう、と書き始めた。やっぱりパヌポン先生の思い込みだ。もちろんルアンは納得しない。だが、他の生徒達は2人が何の事で言い合っているのか、よく理解していない雰囲気で(それくらい、教室内での生徒同士のタイ語レベルが違う)これ以上、先生の思い込みファラン文化論に付き合う気がなかったので、「先生、ルアンの言ってる事の方が正しいです。ファランはそんな書き方はしません。」と、うんざりして先生に言ったら、若いルアンの反論には頭っから否定して耳を傾けなかったくせに、おばちゃんの私に言われたら、何となく自説の信憑性が不安になったようで、今度は黒板に自分で書いた内容をごまかしにかかった。鼻について、余計にうんざり。自分のミスを、誤魔化すなよ。

「ごめんごめん、先生の誤解だったよ。」とか、「おっ、そうなのか?先生はずっとこうだと思ってたよ、はっはっは」とか言えば、可愛げがあるのに。因みに、パヌポン先生のしょうもないファラン文化論、この日のは『ファランの時間の書き方では、バイソンモーン(午後2時)は14:00PMと書く。』ね、全くしょうもない誤解でしょ。PM付ける場合は2:00PMだろ、14:00と書いたら、PMは要らないんだよ。そもそもPMの意味を理解していないから、こんなアホみたいな事を言い始めるんだよね。
2003年03月23日 22時20分16秒

3月11日(火)
授業中にスパッ先生が、3月13日から3月19日まで、教師達の会議が地方で開かれるから、授業は休みだからね、と再度言われる。また、この1週間の休講とは別に、3月24日から26日も授業が休みになる、と言われた。ただ、13日からの1週間は確実に休みだが、24日からの3日間の休みは、まだ確定じゃないから、と言われた。うーん、休みが多くてうれしいなあ。クラスメート達は、それぞれ旅行の計画を立てている。私も、バイトが無ければビーチに行って、のんびりしたいんだけどなあ。。。
2003年03月23日 22時18分23秒

3月9日(日)ちょっとがっかりなアフタヌーンティー
エンポリアムスイートのロビー階にある、小さいレストラン(っつーか、廊下を仕切っただけのようなコーナー)に、アフタヌーンティーに行ってきた。うーん、3段重ねのタワーに盛られて出てくる軽食が、貧弱なんだなあ。しかも、ケーキは1種類しかないという。ハイティー・デビューした、ロンドンのフォートナム&メーソンのハイティーの軽食が、内容が素晴らしく充実していて、紅茶も薫り高くておいしかったので、ついついそれと比較してしまった。オリエンタルホテルのオーサーズラウンジのハイティーは、ケーキも選べるし、軽食も充実しているんだけど、紅茶が香りが全然しなくて不味いんだ。今はどうか知らないけれど、よく日本からのお客さんや友人を連れて行った頃は、ここでアフタヌーンティーをする時は、紅茶じゃなくてコーヒーを頼む方が良い、と通の間では密かに囁かれていたものだ。個人的には、ハイアットのケーキ軽食ビュッフェが好きだ。

エンポリタワーのハイティーは、内容が貧弱なのに、オーダーしてから運ばれてくるまでに、30分近くも待たされたのも×。ただし、窓からの景色と、ウェイター達のサービス対応は、とっても良かった。
2003年03月23日 22時16分49秒

3月6日(木)宴の後は。。。
朝、クラスに現れたルアンもアンチャンも、ボーっとしていた。聞けば、パーティーは11時前に1度、お開きになって、他の日本人達や香港人は帰ったそうだが、ルアンは帰るのが面倒でアンチャンちに泊まる事にしたそうだ。それが、深夜1時頃になって、別のパーティーに参加していた韓国人達が4人ほど遊びに来たそうで、結局明け方5時まで飲んでいたらしい。うーん、韓国人女性は、酒に強い!!なのに、なんで韓国人男性の前では飲まない・飲めないふりをするんだろう。

いつもは、先生の質問には、それが他の生徒への質問であっても、自分の順番じゃなくても、答えて先生の顰蹙を買うほどにうるさいルアンが、今日は異常に静かだった。アンチャンは、授業には出てきたけど、机に突っ伏して寝ている。ポンタダー先生は、ちょっと困ったみたいだ。で、昨日は何をしたか、一日の流れをタイ語で一人一人に聞いていき、全員が全員の名前を出して、買い物したとかパーティーしたとか答えるので、やっとアンチャンの家で全員が集まって誕生会を開き、それで今日はクラス中が昨日の飲み疲れで静かなんだ、と判って先生もほっとした顔だった。
2003年03月23日 22時15分56秒

3月5日(水)アンチャンの誕生会
今日は、アンチャンの誕生日パーティーの日だ。授業が終わった後、学食でランチ。その後は、アンチャンとヘイウォンはパーティーの用意があると先に帰り、トシは仕事、あきちゃんとルアンとみっちゃんは、学食が暑いので、クーラーの効いたマクドナルドで授業の復習、あっこは午後からは中国語教室、私とケミーは足のマッサージと喫茶店でのケーキ&お茶でおしゃべり、待ち合わせの5時まで時間を潰す事に。4時過ぎにトシに電話を入れ、BTSトンロー駅で待ち合わせる。アンチャンの家はRCAの近くなので、午後5時にRCA内のスーパーマーケットで待ち合わせなのだ。で、トンロー駅からタクシーでRCAまで。スーパーマーケットには、ヘイウォンしか来ていなかった。アンチャンは?と聞くと、今晩のパーティーの料理の準備中という。誕生日の主役がそんな事しちゃダメだよ、私達が作らなきゃ、と言ったら、主食は既に近所の韓国レストランに出前を頼んであるそうで、彼女が作っているのは、チジミとか。前回、カコんちでやったパーティーで、韓国人たちが失敗したと言うチジミを、我々日本人がチジミをおいしいと言って食べ尽くしたからなあ。韓国人たちによると、あの時のチジミは国辱モノの恥かしい出来栄えだったそうで(でも、おいしかったのに!)今度こそ、本当においしいホームメードチジミを私達に食べてもらいたいようだ。うーん、うれしいなあ。また、韓国もタイと同じで、誕生日の主役がお金を払ってパーティーをするらしい。そこで、私達はジュース、酒、スナック、バースデーケーキを用意する事にした。

アンチャンの住むコンドーは、とっても広くて綺麗だった。同じ韓国人の先輩と一緒に住んでいるそうだが、彼女は今、通訳のバイトで1週間ほどプーケットに行ったらしい。キッチンの部分が広く、テレビ(NHK付き!)のある居間も居心地よく、2人で住むのには充分な広さ。でも、寝室にはベッドが一つだけ。あ、もちろんアンチャンと先輩はレズの関係じゃないけど、私だったら、いくら女同士でも、いくらキングサイズで巨大なベッドでも、友人と一つのベッドで毎晩一緒に寝るのは、シンドイなあと思った。

いつもはうるさいルアンが、今晩は借りてきたネコのように、おとなしい。最初はあんまり盛り上がらないので、歳の功じゃないけど、ここはおばちゃんが盛り上げましょか、とまずはガンガン飲んで自分を解放、それからみんなの変な写真をデジカメに撮りまくり、デジカメの利点はすぐに写した画像を見られる点だから、それで皆でぎゃーぎゃーと笑い騒ぎ、日本・韓国・香港・ベトナムの共通言語はタイ語なので、仕事でよく使っていたタイ語のギャグやジョークを連発、盛り上げるだけ盛り上げて、おばちゃんは夜更かし出来ないからと、10時には惜しまれつつアンチャン家を辞した。
2003年03月23日 22時15分03秒

2月27日(木)久しぶりのへナ
木曜日の朝は、大学構内に市が立つ。1日限りの市場で、スクムビット界隈の日本人主婦達にも密かに知られる、有名な市だ。フルーツや野菜を売る屋台、ジュース屋、豆から挽いたコーヒー屋、お惣菜屋、服や小物、時計、アクセサリー等を売る屋台が所狭しと立ち並び、学生や職員、近所の人達でとても賑わう。朝、学部のある建物に向う途中、この市を通るのだが、先々週にムーピン(豚串)とネーム(発酵させた米と豚の挽肉を混ぜて焼くつくねみたいなもの)とカウニャウ(もち米)を買った屋台を発見。先々週と同じものを注文。朝からしっかり〜みたいな朝食メニューだ。豚串を焼いてるおばちゃん、タイ語で注文する日本人、という事で2週間前に会ったきりなのに、私を覚えていてくれた。「ああ、あんたかい。はっきりしたタイ語の発音するから、判り易いよ(歯の浮くようなお世辞をさらっと言えるおばちゃんも、すごいね)」とうれしい事を言ってくれる。「先週、おばちゃんの屋台を探したけど、いなかったから、他のムーピン屋で買ったら、一本10バーツもしたのよ。先週はどうして売りに来なかったの?」と聞くと、隔週でしか売りに来ないとか。毎週売りに来ると、場所代が高いのかも知れない。

最近、髪型を頻繁に変え、その都度ドライヤーで髪を乾かすし、1月23日にかけたばかりのパーマをまた昨日かけて、髪が痛むのがとっても気になった。昨日の美容室ではロレアル製品を使用していたようなので、髪はそれほど痛まないだろう、と安心していたのだが、家に帰ったら髪がごわごわして、手ぐしの指のすべりもとても悪い。すーっと指が流れないのだ。そこで、即効作用のある天然トリートメント、へナをする事にした。

今日はバイトが終わって速攻で帰宅し、へナの粉を熱湯で練り始める。普通はこれにコーヒーの粉を少々、シシカイとアムラという2種類の髪に良い粉末状のハーブも混ぜ、オリーブオイルとアロマエッセンスも少々加えて冷蔵庫に12時間寝かせて、かなりリッチなへナトリートメント剤を作るのだが、今晩はそんな暇はなし。へナの粉だけ練り、それを刷毛と素手で髪に塗りこんでいく。3時間ほど置いてから、洗い流したら、パーマでダメージを受けていた髪の毛が、ツヤツヤになっていた。夜だから、光の加減で髪がどんな色に光るか、まだ判らない。明日の朝が楽しみだ。
2003年02月28日 10時02分32秒

2月26日(水)フェイシャルでリラックス
学食でランチしている時、クラスメートの1人、クリス(ルーマニア大使)が先々週、先週と2週間休み、今週も既に3日お休み。このまま来なくなるのかなって話になり、しばらく休むと、もういいやって思っちゃって、何かきっかけが無いと来づらくなる、という話になった。で、ケミーと一緒に大使の携帯に電話して、『コラ!いつまでサボってるの?!はやくクラスに来い!』と説教する事に。お昼なら、公務の邪魔にならないしね。で、電話をかけたら、とっても喜んでくれ、金曜日から都合をつけて来る、と約束。まあ、職業が職業だから、忙しければ来られないだろうけど。

ランチの後、みっちゃんがフェイシャルを受けてみたいというので、WTC(ワールドトレードセンター)5階にあるフェイシャルマッサージのお店に行く。あき、カコ、トシ、ケミーも一緒だ。最初、トシは男がフェイシャルなんて、と一緒に来るのを拒んだが、ケミーが、足マッサージもあるから一緒に足マッサージをしようと誘ったら、ついて来た。

6人いるからタクシーで行こうという話になり、誰が前に乗り、後ろはどうやって座ろうかと相談。だが、1台に6人で乗ると、タクシーの運ちゃんは確実に嫌がるだろうし、せっかく大学(モーソーウォー)の裏はセンセープ運河が流れているので、WTCのあるプラトゥナームまで水上バスで行く事になった。臭くて有名な運河で、大学の構内を船着場に向う途中から、臭気が漂ってくる。大学裏の船着場からプラトゥナームまで7バーツ。走ってくる水上バスを見て、げ、これに乗るの〜?と思ったけれど、ハイヒールのサンダルに膝上丈ワンピースでも乗り降りは簡単に出来た。乗り心地は、意表を突いて良かった。風が気持ち良いのだ。臭いもあまり気にならなかった。ベニスで乗った水上バスを思い出した。ベニスの運河も、水が緑色でいっぱいゴミが浮いてて、しかも暑くなると臭ったのよね。

フェイシャルマッサージのお店に辿り着いたら、白人のおっさん3人がフェイシャルマッサージを受けている最中で、それを見たトシが、男もフェイシャルするんだーと興味を持ったようで、女性陣と一緒にフェイシャルを受ける事に。ここのフェイシャルマッサージ、高級化粧品は使わず、ライムやキュウリを活用するので超格安。顔の汚れ落としマッサージに始まり、スチーム当てながらの毛穴を開かせるマッサージから、毛穴の汚れを吸引するポンズケア、最後のキュウリパックまでで1時間、途中眠ってしまうほど気持ち良くて、これで240バーツ。ベッドを仕切るカーテンすら無い、高級エステの対極にあるような美容院だが、学生は高級な雰囲気より料金重視。6人でまぐろのように並んでマッサージを受ける。終わった後、タイミング良くトシの携帯に奥さんから、ゴルフが終わったと電話が入る。普通は夫がゴルフで妻がフェイシャルなのに、トシのとこは、妻がゴルフで夫がフェイシャルなんだーと皆で爆笑。

顔がつるりと一皮向けた後は、ミスタードーナツでおしゃべりタイム。この時、またトシの奥さんから電話が入る。スティーブン・セガール最新情報で、今、プールサイドに来たという。みんなで「今晩は、どこで晩ご飯食べるのかな?」「バジル(タイレストラン)で食べるわけないから、ロッシーニ(イタリアンレストラン)じゃない?」「じゃ、そこの受付で、今晩スティーブンのディナー予約が入ってるかどうかチェックしようか。」「セガールって日本人女性が好きっていうから、ハーイ!なんて言って、勝手に同席しちゃおうか〜?」等、ひとしきりセガール(の話題)で盛り上がった後、伊勢丹6階の紀伊国屋へ行く組と、帰宅組に別れる。私は疲れたので帰宅組。だが、BTS駅まで一緒に来たケミーが、サイアムスクエアーに行こうよ、と誘うので、一緒に。若者の街・サイアムスクエアーに行くのは、何年ぶり?!最初はサイアムセンター内でぶらぶら。ケミーが一度もパーマをかけた事が無いというので、パーマをかけよう!という話になり、ケミーのパーマデビューに付き合って美容室へ。今年に入って、私は何回髪型を変えたんだろう?!

パーマをかけた後はMBKに移動して、8番ラーメンで8ちゃんラーメンを食べる。40バーツ!なのに、昨日食べた120バーツの○○ラーメンとは比べ物にならないくらい美味しくて、それが哀しかった。最後は、MBK隣りの東急でワンピースを買って、9時半に帰宅した。学生ってのも、結構出費が嵩むのね。
2003年02月28日 01時06分24秒

2月25日(火)こんな不味いラーメン、初めて!
朝、起きてまず思った事。ドライヤーが無いから、ブローできない!!せっかく、ストレートに戻りつつあった髪だけど、ブローする必要の無いように、またパーマかけようかなあ。。。

バイト中、友人から電話があって、急遽、夜はインドカレーを食べる事に。タンドーリチキンとかスパイスの効いた料理が大好きなので、とってもうれしい。スクムビットソイ11にあるインディアンレストランに行く。写真では豪華なイメージだったが、実際に行ってみたら、タウンハウスの1階程度の広さで、写真とのあまりの格差に驚く。が、居心地の良さそうな雰囲気のお店ではある。ここの料理って、出前でしか頼んだ事が無かったが、熱々で食べると、やはりおいしい。タンドーリフィッシュは、普通の味だったが、チキンティカ(骨なしタンドーリチキン)のカレーはとってもおいしくて、大満足。その後、近くの○○ラーメンに行った。よく食うなあ、と自分でも感心する。先週の土曜日に飲みすぎて、お酒はしばらく飲みたくない気分なんで、食べる方が盛んになってるようだ。

さてラーメン屋。お味の方ですが、こんなに不味いラーメンを食べたのは、本当に久しぶりだ。丸ちゃんで出している、生の味タイプのノンフライ面使用・インスタントラーメンの方が、はるかに美味しいと思った。一体、どうやったらあんなに不味いラーメンが出来るんだろう、と思ったが、そこそこ潰れない程度には客が入っているようで、不思議っちゃ不思議だなあ。
2003年02月28日 01時04分48秒

2月24日(月)また髪を切る
今日、バイト先に別の支店でナンバーワンの先生がヘルプで来ていて、チャンス!と思い、彼女に髪を切ってもらった。やっぱ、うまいわ。

女子大生の頃は、聖子の懐かし・ぶりっ子ヘアとサーファーカットの中間みたいな、たくさんレイヤーを入れたロングの髪形だったが、これってお手入れとブローが大変。特に朝は、時間がもったいない。で、社会に出てから、レイヤー部分の髪を半年以上かけて伸ばし、洗いっぱなしOKのソバージュパーマをかけ、それ以来、ずうっと同じ髪型だったんだ。。。今回、ほぼ20年ぶりくらいに、髪に段(レイヤー)を入れて、後ろに流れるような髪型にしてもらった。

出来上がりに満足していて、ふっと思い出した。まずい、うちにはドライヤーもブラシも無い!ずっとソバージュだったからね。明日からのブロー、どうしよう。。。(冷や汗)
2003年02月28日 00時59分50秒

2月23日(日)ホームページのお手入れ大失敗!!
昨晩飲んだ酒のせいか、異常に早く目が冷めたので、ホームページの更新という、無謀な試みに挑戦。

日記帳自体を、昨年のものと、今年のものに別けたいのだが、どうやってファイルを2つに別けたら良いのか判らず、今年1月31日までの分をまずは保存。でも、バックアップの仕方がよくわからないんだけど、最初のファイル名を変更し、それをアップロードしてみる。あれ、ファイル名は別だけど、同じ内容のファイルが2つになっちゃった。って事は、どっちか片方が駄目になっても大丈夫って事かな?

でも、日記帳のツール自体を更新したら、ひゃああああ!今までの分が全部、ホームページ上から消えちゃった。

ま、良っか。一応ファイル自体は残っているし、もうちょっとホームページ作成法を勉強して、今年1月分までの日記もホームページに戻せるよう、がんばろうっと。いつの事になるやら。ああ、HP作成の家庭教師が欲しいよー。
2003年02月23日 11時03分55秒

2月22日(土)たくさん飲んで食べた夜
クラスメートのトシが、私のバイト終了1時間前に来て、サービスを受けながら、私のバイトが終わるのを待つ。バイトが終わってから、さつきさんと3人でご飯を食べに行くのだが、他のクラスメートも誘おうという事になり、あきちゃんとあっこの2人に電話。5人でBTSとエンポリの連絡通路前で待ち合わせ。それから、近所のレストランへ。

あっことあきちゃんの2人は、予算が厳しいとの事で、1人500バーツ以内で食べられるところに行ったつもりだったが、たくさん食べて飲んだせいか、1人800バーツに。あれだけワインをがぶ飲みしたら、800バーツは仕方ないんだけど、2人の予算を予め知っていた私は、罪悪感に。。。ごめんね。

その後、トシとさつきさんと3人で、近くのアイリッシュパブに行く。あっことあきちゃんは、予算オーバーのためか付き合わず、そのまま帰宅となった。

スクムビットの一軒家の雰囲気の良いレストランで、5人でご飯とワインをたらふく食べて飲んで、1人800バーツは高いか安いか。私は普通と思い、トシとさつきさんは安いと言い、あっことあきちゃんは高いと感じる。難しいなあ、お財布の中身が違う人達と、一緒にご飯を食べるのは。。。
2003年02月23日 11時01分03秒

2月21日(金)
バイト先に、週末3日だけ、キャッシャーとして働いているパートのタイ人女性がいる。仕切るのが大好きな女性で、しかも日本語が少し判るので、正社員で働くタイ人スタッフ達のご機嫌を取る為か、社長(日本人男性)とマネージャー(タイ人女性)が朝、どんな会話をしていたとか、2人の様子を面白おかしく話し、笑いものにする。私は、仕事で使うタイ語以外はよく判らない振りをしているので、私の前でも平気で私の悪口を言う。何を言われているか判っているが、無視する。私がここでバイトを始めるまでは、日本語が少しでも判るタイ人は、うちの支店では(マネージャー以外は)彼女1人で、社長から頼りにされていたので、日本人の私が通訳で入ったのが、面白くないのだ。

他のタイ人スタッフ達は、このキャッシャーが社長とマネージャーの関係や、私について何か言うたびに、面白そうに笑うけれど、彼女が望むように、私を除け者にはしないので、面白くないようだ。他の子たちは、私を除け者にすると仕事に支障をきたすって事を判っているから、除け者にしないだけ。タイ人って、平気で裏表の2つの顔を使うからね。タイ人の笑顔を、純粋に心からの笑顔と誤解してはいけない。あの笑顔には、色々な意味や思惑が込められているのだ。

現在は、時給に見合う程度の関わり合いしか、タイ人とは持たないようにしている。所詮、バイト上の付き合いでしかないしね。もう、タイ人との人間関係で神経をすり減らしたり、ストレス貯めるのは、ごめんだわ〜。

タイ語が理解出来るようになればなるほど、ムッとする事も多くなる、と実感した日だった。
2003年02月23日 10時55分40秒

2月20日(木)
先週から無断欠勤していた日本人女性、ずっと連絡が無いらしく、携帯に電話しても出ないとか。社長が、彼女はタイ語もあまり上手じゃないようだし、もしかしたらタイ人スタッフにいじめられたんだろうか、と心配していた。確かにここのタイ人スタッフ(全員女性)は、気が強かったり、クセのある子が多いからなあ。

この間なんか、お客さんのいないときに、スタッフの1人が自分より格下の女の子の両肩に手を置いて、突き飛ばしたしたしね。びっくりした。タイ人女性はカーッとなると、人前でも相手の胸倉を掴んで取っ組み合いの喧嘩を始める、とは聞いていたけど、本当に目の前で突き飛ばすのを見たのは、初めてだった。突き飛ばされた方は、自分の方が格下って事で諦めているのか反撃せず、その場は収まった。

無断欠勤の女性は、先週末のお給料日にも受け取りに現れなかったので、無断欠勤というよりは覚悟の失踪か?私は、一緒に住んでるタイ人の男が悪いと思うんだが。又聞きでしか知らないが、なんで彼女のように可愛い女性(外見しか知らないが)が、そんな男にくっついてるんじゃ?
2003年02月23日 10時39分43秒

2月19日(水)腹痛
おなかを壊して、学校を休んでしまった。原因は、昨晩食べたサラダに入っていた、スライスした卵だろう。朝はお腹が痛くて目が冷めたほど。あーあ。
2003年02月23日 10時24分58秒

2月18日(火)連休明け
連休明けの大学。みんなに会えて、うれしいよ。でも、先生が来なかった。タイだよなあ。代わりの先生が来たけどね。
2003年02月23日 10時24分00秒

2月15日(土)〜17日(月)3連休
バイトで連休とは無縁の日々。
2003年02月23日 10時20分43秒

2月14日(金)バレンタインだよ
当日は、バラの花の値段が3倍から5倍に跳ね上がるのに、今年も飛ぶように売れたらしい、タイのバレンタインデー。バラの花束を得意そうに抱えた女性とも、すれ違う。日本と違って、男性が恋人や妻、又は好きな女性バラの花を送り、彼女の携帯に電話を掛けて「ハッピーバレンタイン!」と囁くのが、タイ式バレンタインである。なので、この日は例年、携帯が繋がり難くなる。一昨年は回線がパンクしたらしいが、去年・今年とパンクまではいかなかった。

バイト先は、顧客の99%が男性(およびその予備軍)なので、この日はみんな早く帰宅するか、デートに繰り出すだろうから、客は来ないだろうなーと思っていた。が、予想に反して客は来た。良いけどね。

バイトが終わって家に帰ったら、電子メールでバレンタインカードがいくつか届いていた。日本のバレンタインデーは、チョコを贈る日になっているが、この日にカードを送る習慣は無い(少なくとも私が日本に居た1992年までは)ので、カードをもらっても、イマイチ嬉しくない。

夜にクラスメートのあきから、電話が入る。3連休を利用して、カンチャナブリに遊びに行かないか、とのお誘い。カンチャナブリはもう行ったし、暑いしで、興味が無かったので、バイトを理由に断った。海ならバイトを休んでも行きたいので、機会があったら、次はパタヤかチャアムのビーチにしてね、と要望を伝えておく。
2003年02月23日 10時19分11秒

2月12日(水)のんびり放課後
授業の後、クラスメートのケミーが直ぐに帰りたくないらしく、扇風機の品定めをしたい私にくっついて、エンポリまで来た。先月初めに250バーツ弱で買ったケミーの扇風機は、1ヶ月ももたずに壊れたそうで、品質に信頼のおけるメーカーの製品を選んだ方が良い、とのアドバイス。経験者は語るか。そこで、日系の会社の扇風機を品定め。東芝ので持ち運びに便利な小型の扇風機を見つける。値段も手頃なので、後は2月末のバイトの給料日を待つのみ。扇風機の品定めの後、ケミーとお茶。ケミーは香港出身で、ベトナム出身のルワンより年下なのに、ルワンよりずっと大人で話が合う。私とは20歳近くも離れているんだけどね(親子だよ、この年齢差は!)

5時過ぎ、『ためしてガッテン』が見たいので(タイでの放映時間は夕方6時)ケミーにさよならを言って帰宅。ムンムンと蒸し暑い。エアコンの調子が悪く、一度スイッチを入れると、消してもモーターが回り続けてしまうのだ。先月、2回も修理に来てもらったのに。。。アパートのエレベータの前で、管理人のおじさんから、共通の知り合いの日本人が、2月10日に自殺したといわれ、びっくり!住んでいたアパートの部屋から、飛び降りたらしい。多いなあ、バンコクでの日本人の自殺者。今年はこれで3人目だよ。

ためしてガッテンを見た後、今一番お気に入りのマッサージ屋(ハーブサウナがあるのだ!!)に、サウナとオイルマッサージに行く。ここは、マッサージ師の腕が良く、毎週通っているが、今までに下手な人に当たった事が無い。いつもはサウナ、マッサージの順なのだが、今日はマッサージが先になった。極楽の1時間が終わった後、服を着る為に起き上がったら、マッサージ師のおばちゃんてば、暑さに負けたのか、女性客だと安心したのか、はたまたその両方か、なんとユニフォームのTシャツを脱いで、ブラ姿だった。うーん、ボンレスハムみたいで、見たくなかったなあ(他人の事は言えないけど)
2003年02月23日 10時18分04秒

2月11日(火)バイトさんの無断欠勤
私のバイト先は、日本人の通訳は2シフト制。朝から昼ころまでと、午後から夜まで。お金が欲しい人は、もちろん全部1人で出ても良いが、長時間労働になるので、結構キツイ。私は午前中は学校があるので、午後からの5、6時間前後で良い今のバイト時間が、気に入っている。

バイト先の別シフトにいる日本人女性が、無断欠勤したと聞いた。日本人が無断欠勤するのは珍しいので、ちょっと心配。
2003年02月23日 10時15分56秒

2月9日(日)取材は楽しい
スクムビットソイ39のソイ入り口から200メートル弱入った左手にある、MIMOSAというレストランに取材に行く。一軒家を改造した居心地の良いレストランで、タイ人2人とフランス人の計3人で共同経営している。地中海料理(南仏・南伊・西・ギリシャ)が専門。ここのスパゲッティ・カルボナーラはめちゃ美味で、超お薦めだ。味と雰囲気の割には料金設定がリーズナブルで、イタリア産のハウスワインも、安くておいしい。ドリンクも入れて、1人500バーツもあれば、十分に満足できるお店で、1月末の編集会議の時に、イタリアンじゃないのにイタ飯が美味いお店の紹介も載せたい、との編集長さんの意見に、真っ先に浮かんだレストランがここだった。
2003年02月23日 10時10分57秒

2月8日(土)バイトは今日も暇
月末月初が週末に当たると、もうめちゃくちゃ忙しい。お給料が出た後だから。でも、第二と第三の週末は、客の数が減って比較的暇な休日となる。今日はお客さんが30人くらいしか来なくて、忙しくは無かった。多い日は40人を超えるので、結構キツイ。お客さんが待ってる時は座れないから、ほぼ立ちっ放し。足が浮腫むのよねえ。
2003年02月23日 10時09分26秒

2月7日(金)初めて感じた登校拒否
2日連続して休んだら、今朝は大学に行くのが辛かった。怠け癖ってのがついちゃったみたい。学校休みたくてぐずぐずしたけど、熱はないし、喉も痛くない。結局、8時20分過ぎに家を出て、大学に行った。自分で稼いだお金で、授業料を払ってるからね。休んだらもったいない、と自分を叱る。
2003年02月23日 10時08分19秒

2月6日(木)まだ風邪気味
今朝も少し熱があったので、大学はお休み。でも、昼頃には良くなったので、バイトに出かける。平日はお客さんが少ないから、客がいない間は、座って休めるしね。
2003年02月23日 10時07分30秒

2月5日(水)風邪でダウン
大学を休んでしまった。風邪。最近、暑くなってきたとはいえ、まだ明け方にとても涼しい日がある。4日の夜、髪を洗った後、よく乾かさないうちに寝たら、寝冷えして風邪を引いたようで、5日は朝から喉が痛くて、鼻水もじょーろじょろ。クラスメートのあきちゃんの携帯に電話して、授業で配られるプリントを確保とノートをお願いしておく。入学して以来、初めての休み。今日はバイトが休みの日で、良かった。
2003年02月23日 10時06分13秒

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