徒然なるままに書き綴ってきた日記も、そろそろ9ヶ月目になろうとしています。継続は力なりじゃないですが、暇を見つけては、これからも更新していきますので、気長にお付き合い下さいませ。

6月17日(火)〜7月6日(日)
ただただ、ひたすらに勉強あるのみ。他に語る言葉無し、涙涙の日々を過ごす。 2003年07月27日 15時42分31秒

6月16日(月)おしょうがツー?
月曜日の午前中は、社会言語学。取るつもりはなかったけれど、心理言語学の方がおもしろかったので、先生が一緒なので履修する気になった。白人の先生だから、授業は英語だし。本当は、英語に逃げちゃいけないんだけど、人間、よりどころは必要だよね。

午後からは、隔週月曜日に講義のある「タイの中高等学校での英語教育について」だ。教育学部の授業である。教室に行くと、橙色の袈裟を来た僧侶が1人先に来て座っていた。3人いるタイ人生徒のうち、2人が僧侶と聞いていたけど、本当に僧侶を目の当たりにすると、なんだか現実離れした感がある。だって、日本と違ってタイでは、僧侶の戒律は厳しく、色んな制限もあるんだ。例えば女性から話し掛けてはいけない、女性が直接僧侶に触れたり、ものを手渡す事すら禁止されている。また、女性に限った事ではないが、僧侶に対する話し方というのもあって、単語が一般語とは違うらしい。僧侶と2人っきりになって、どうしよう〜と思っていたら、僧侶の方から気さくに話し掛けてくれた。名前を聞いたけれど、長い名前で覚えられない。ので、ペンを差し出してノートに書いてもらおうとしたら、僧侶はペンをテーブルの上に置いて下さいと仕草で示した。あ、そうか、女性はものを手渡しちゃいけないんだ。で、ペンをテーブルの上に置いたら、僧侶がそれを持って名前を書いてくれた。そうこうしているうちに、もう1人の僧侶も入ってきた。彼にも名前を書いてもらう。後から来たほうの僧侶は、最初の僧侶と違い、あまりフレンドリーではなく、ほとんど口をきいてくれなかった。先生が来る直前に、最後のタイ人生徒がやってきた。彼は、中学校で教えている先生だ。タイ人生徒が3人だけってのも、小規模で良いなあ。

英語教育だけれども、教える対象がタイ人の中高生なので、授業はタイ語。耳慣れない単語がたくさん出てきて、2時間一生懸命に聞き取りに専念した。頭がすっごく疲れたわ。。。 2003年07月27日 15時40分51秒

6月13日(金)心理言語学とは何か
朝、ケミーから携帯に電話があった。彼女は教育学部の方で授業があるはずなのだが、明日から姉の結婚の為に香港に帰国する準備で、今日は大学に行かれない、だから講義の終わる12時半に教育学部の教室に行って、教授にケミーは香港に3週間ほど帰るので、授業には出られないと説明して欲しい、と頼まれた。私の授業のある人文学部の建物から教育学部の建物は離れているし、お昼に外を歩くのは暑いし、水曜日に出された宿題を、タイ人のクラスメート達と一緒のチームでする為に午後1時に図書館の3階で待ち合わせしているし、その前にランチを取らなきゃいけない。なので、時間をみて教育学部に行けそうなら行ってみる、でも何も約束は出来ないと言っておいた。だって、私の時間もタイトだから。

9時前に3階の言語学講座のオフィスに、二コールを訪ねる。教室番号を聞く為だ。心理言語学(Psycholinguistic)は、本当は水曜日の午前中の授業なのだが、一昨日は休講だったので、今日は代講。私が一番乗り。大学院の講義は生徒数が少なく、この日は私を含めて8人。1人が休みらしく、全員で9人って事か。学部の生徒達の授業中のおしゃべりに、ぶっ飛ぶほど驚愕したので、大学院の小規模クラスが本当にうれしい。しかも、二コールの英語は非常に聞き取り易く、100%理解できる。タイ語で毎日頭を悩ませているので、二コールの英語での講義は、彼女には悪いけれど、私には良い息抜きだ。

他の生徒達が来るまで、二コールと2番目に来た学生ヌンと少しおしゃべりしたのだが、二コールが時々使う簡単なタイ語の単語(地名等)を、タイ人のヌンは外国人の発音のために理解できないのに、留学生達と一緒にめちゃくちゃなタイ語の発音で会話してきたデラには、彼女が使うタイ語がすぐに理解できた。これって、おもしろい現象だね。外国人発音のタイ語は、外国人の方が理解し易いって事だ。

心理言語学の授業、予想以上に楽しかった。これなら、続けられそうだ。

昼は図書館で、タイ語教授法のクラスで出された宿題を他の生徒達と一緒にする。宿題の内容は、外国人に120時間でタイ語を教える、その内容と時間配分だ。私より先に授業が終わって、集まっていたクラスメート達の原案を見せてもらったら、120時間では教える必要のない事や、逆に教えなければいけない事が抜けている。タイ人達は、まだ外国人にタイ語を教えた事がないから、何が必要で何が要らないか、優先順位が分かっていないんだ。実際にタイ語集中コースを終了した私には、判るけど。なので、タイ語集中コースで学んだ内容を教えたら、みんな喜んで聞いてくれた。ふーん、私でも役に立つ事があるんだ、と思うと、ちょっとうれしくなった。 2003年07月27日 15時40分01秒

6月11日(水)タイ語教授法の聴講許可がやっと下りる
午後1時、またタイ語教授陣のヘッド、ジンタナー先生のオフィスに顔を出す。先生は、私の顔を見るなり、まだ担当教授が来ないので連絡がつかないのよ、もう来たかも知れないからまた電話してみるわ、と電話を掛けるも、ずっと長々と話中。郷を煮やしたヘッドは、すぐ隣りの建物だから、私が今から行って直接掛け合ってくるから、あなたはここで待ってなさい、と言って出ていった。講義は1時半から。なのに、待てど暮らせどジンタナー先生は戻ってこない。1時半少し過ぎて、やっと戻ってきた。結果はオッケー。ただし、非常に難しい授業だから、履修登録の紙には書かない方が良いかもね、とアドバイス。げ、そんなに難しいのかあ。とりあえず、話はついたとの事で、教室に急いでいくように言われた。

5階の教室に行くと、生徒数が少ないためか、長い10人掛けのテーブル1台が置かれただけの小さい教室、タイ人生徒は5人だけ。最初に先生から、どうしてこの講義を選んだか、今までの略歴と今後の将来設計について書きなさい(多分、そういったような事)を言われ、A4ペーパーを渡された。げ、タイ語でいきなりエッセイか?もちろん、タイ語でスラスラ書けないので、辞書で単語を引き引き書き始めたら、先生が「あなたは辞書を見ないと書けないんですか?そんなレベルでどうしてこの授業に出るんですか?」と聞かれた。うー、いきなりの重量級パンチ。「私は1月から5月まで、この大学のタイ語集中コースでタイ語を勉強し、今も勉強中です。来年度から正式にこのコースを専攻したいので、その準備のためにも今年は授業を聴講し、耳を馴らしたいのです。」と、たどたどしいタイ語でなんとか説明し、書き終わった略歴を将来の希望を書いた紙を先生に渡すと、ざっと目を通した先生、「わかりました、あなたは聴講生なんですね。フックファン(聴解力の練習)としての出席なら、認めましょう。」と言ってくれたが、せっかく書いたエッセイは、受け取ってもらえなかった。厳し〜い!

授業の最中、先生は何度か経験に基づいた笑い話を聞かせてくれるのだが、最初のやつしか理解できず、授業の最後で先生に「わかりましたか」と聞かれ、てっきり授業の理解度を聞かれたのかと思って「70%くらいしか理解できません」と答えたら、「私が質問した事の答えになっていません。私はさっき、ピジンの意味が理解出来ますかと聞いたんですよ。」と言われた。「英語のピジンなら判ります。」というと、「そうです、英語のピジンランゲージの事ですよ。」と言われ、もう1度、どうしてさっき、タイ人生徒達が笑ったのかを説明してくれた。は〜、こんな事でやっていけるんだろうか?先が思いやられるよ。

最後に、宿題が出た。先生が「一人一人で考えますか、それともグループで考えますか」と聞くと、クラスメート達が「グループでやります。」と答えた。で、先生が「判りました、では5人でやりなさい。」と言ったのを受けて、生徒の1人が「ここには6人いますけど?」え、私も数に入れるの?先生もびっくりしたようで、私に「出きるの?」と聞いた。出きる訳ないじゃん、なんて答えられるはずもない。他の生徒達を見ると、云々と頷いている。一緒にやろうって事か?それを見た先生、私ができる・できないの返事をする前に「じゃ、彼女が出来そうなら、一緒にやるように。」と結論づけてしまった。あああああ〜!!

授業の後、クラスメート達と宿題をする時間を決める。お互いに時間があるのは金曜日の昼。「私のタイ語理解力は低いから、出来ないと思う。」と言ったのだが、「大丈夫、出来なきゃみんなが助けるから」と言われ、本当に一緒にやる事になってしまった。 2003年07月27日 15時39分07秒

6月10日(火)初めての授業、でも。。。
今日は8時半から10時半までと、1時半から3時半まで授業がある。新学期が始まり、聴講生となって初めての授業(国語の作文と読解)だ。アパートの入り口で、警備員が制服姿の私を見て、露骨に目を見張った。そうだよね、変だよね。おばちゃんだって、すっごく恥かしいんだから、あんまり見ないでちょ。

8時ちょっと過ぎに学部の建物に着いて、さあ困った。教室どこだっけ?あきちゃんの携帯に電話して「教室番号教えて」とアホな質問をする。教室に着くと、既にゆりが来ていた。8時半にはほぼ全員揃ったけれど、先生が来ない。9時になっても来ない。初日から休講か?でも、連絡受けてないしなあ。9時15分になってもまだ先生が来ないので、4階にある教務室に行って、先生が今日は来ているかどうか、調べてもらったら、来ているけれども会議中だって。多分、休講だよと言われ、がっくりと力が抜けた。教室に戻り、休講と告げて、図書館に移動。ここで、ヘッドとのアポがある11時半まで自習だ。

11時半にヘッドのオフィスに行ったが、まだ講義が終わっていないとの事で、先にランチを食べに行き、12時過ぎに戻ったら、ヘッドがちょうど私を探しているところだった。

タイ語教授法の担当教授とは、先方が忙しくてまだアポが取れていない、でもTEFLの担当教授とは連絡が取れた、12時半に面談したいと言っているから、今すぐ行きなさい。タイ語教授法講座のアポは、明日までになんとかするから、明日の午後1時にもう1度オフィスに来るように、と言われた。ヘッドって、キツイ事をたくさん言うけど、面倒見が良い。だから、ヘッドを任されているのか。

TEFLの担当教授の名前とオフィスの部屋番号を聞いて、訪ねて行くと、どうやってこのTEFLの事を知ったのか聞かれたので、HPで見たと言うと、驚いた事に彼女はHPの存在を知らなかった。大丈夫か、モーソーウォー!彼女曰く、TEFLの受講必要最低条件は、英語を1年間教えた経験がある事だという。家庭教師でなら教えた事があるけれど、プライベートチューターでは駄目だという。どこでも良いから、1年間英語を教えて来なさい、今からスタートしたら、来年2月の願書受け付け時期には考慮できるから、と言われたけれど、いきなり英語を教えろっつってもねえ。で、HPからメモした興味のある科目一覧を見せながら、これらの科目を勉強したいんです、こちらで開講してるんですか、と質問したら「あら、これはうちの講座には無いわねえ。」とおっしゃる。どの講座で開講しているか聞くと「多分、MA in Englishじゃないかしら、あそこも講義は全て英語だから。」と言い、英語学講座の担当教授に電話を掛けて、そのオフィスまで連れていってくれた。

でも、英語学には興味がない。何故タイでMA in Englishなのよ?でも、せっかく案内してくれたので、話だけでも聞かなきゃ悪い。で、紹介された先生にメモを見せて「これらの科目は、こちらの講座で開講しているんですか?」と聞くと「あら、これはうちじゃないわ。上のヤニサーのところだと思うわ」との返事。一体、どこの講座が開講してるのよ!ちゃんとMed. in Linguisticsって書いてあるじゃない、リンギスティックはどこなのよ〜!!!と切れる直前のデラ。でも、先生方は親切で、いきなり舞い込んできた私のために、この英語学の先生も上の階のオフィスの先生に電話でこれから生徒が訪ねていくから、と前もって連絡を入れてくれた。いきなり行っても会ってくれるけれど、電話で他の先生が紹介した方が、すんなりいくからね、だって。ほんと、ヘッドを初め、みんな親切だね。ほろり。

で、上の階のオフィスに行き、ヤニサーという担当教授にメモを見せたら「そうよ、うちの講座で教えてるわ。」やった〜!!!やっと希望の講座に辿り着いたぞ。担当教授が続けて「必修のこの教科、今学期は開講しないけれど、選択のこの2つは開講が決まっているわ。二コル、ちょっと来て。あなたの講義を受けたいって生徒が来てるわよ、良いでしょ?」二コルと呼ばれて出てきたのは、ハリウッド女優のジェミー・リー・カーティス(シュワルツネッガ−と共演した『トゥルーライズ』が一番好き)がこっちにやって来た。でも、ジェミーより若くて綺麗。世界には同じ顔の人が3人いるっていうけど、本当ね。スイス時代の教え子には、ジョディー・フォスターのそっくりさんがいたし。二コルが笑顔で「いつでも歓迎するわ」と言ってくれたので、内容を聞いたら、次の授業で使うというプリントを渡してくれた。彼女の英語は非常に聞き取り易く、100%理解できる。良かった〜!これで7科目のうち、社会言語学と心理言語学の2教科だけは、英語で講義が受けられる。ほっ。

午後はスワディー先生の読解の授業だ。タイ語集中コースで教えてもらっていた先生だから、親しみがもてる。でも、授業はタイ人生徒達と一緒。タイ語集中コース時代から、タイ人大学生たちの授業中のおしゃべりは凄まじい、と先生達から聞いてはいたけど、確かにめちゃくちゃ煩い!まるで一斉に蝿がウワーンと羽音を立てたように耳障りなおしゃべり。しかも先生、タイ語集中コースで外国人に教えていた時とは、全く話すスピードが違う。10月末までの前学期で使用するテキストを配られたのだが、分厚い。しかも全く読めないよー。先生がテキストを読みながら解説、時々タイ人生徒と質疑応答をするのだが、テキストのどの部分を読んでいるのかさっぱり目がついていかない。驚愕の30分が過ぎた後、少しづつ先生の話が聞き取れるようになってきた。本を読むスピードは速くて、とても目で追うのは不可能と悟ったので、目を閉じて耳に全神経を集中。途中で先生が「私が話すのは早過ぎるかい?でも、これがタイ人生徒にとっては、普通の速度なんだよ」と。でもね、先生。私にとって問題なのは、話すスピードじゃないんです。スピードにはついていけます。問題は単語。単語の意味が判らなければ、早く話そうが、ゆっくりしゃべろうが、判らない事に変わりが無い。

授業が終わった後、先生の方から「補習を毎週2時間、やってあげようか」と言って下さった。うれしい! 2003年06月30日 01時56分12秒

6月9日(月)空振り
11時に14号校舎にヘッドを訪ねていくと、まだTTFL(タイ語教授法)の担当教授とアポが取れていない、と言われた。さすがはタイ、と思ったけれど、新学期が始まったばかりで、先生方も忙しいしね。で、ついでにHPからメモしたTEFL(英語教授法)とLinguisticのコースの責任者にも会いたいと言うと、ヘッドが怒り出してしまった。

「あなたは、一体何の勉強をしたいの?!タイ語教授法を聴講したいとのレターを人文学部長に出したから、大学院での聴講を許可されたのに、また別の学部に行きたいっていうの!?」

オーマイガッ、ヘッドはLinguisticもTEFLも人文学部にあるって事を知らないみたいだ。同じ人文学部でも専攻が違えば交流は無いって事なのかな?うーん、だとしたら教育学部にも潜り込んだのは、ある意味で別の保険に入ったようなもの。でも、1科目聴講するものの、興味ある科目は教育学部には無いんだよなあ。

とりあえず、目の前のヘッドの怒りを静める事が先だ。ひたすら自分の説明不足を侘びつつ、TEFLも Linguisticsの講座も人文学部にある事、また、聴講生の身分だからこそ、興味のある講座の授業をいくつか受けてみたい、色々と準備して来年2月の受験に備えたいと説明した。ヘッドは私の履修登録の用紙を見ながら、じゃあ学部のこの3科目は落としなさい、院と学部の両方は時間的に無理だと言い出した。「いい、怒っているんじゃないのよ、あなたの為を思って言うんだからね。」と前置きした上で、「履修科目が多すぎたり、勉強が大変で消化不良を起こし、退学届を出したり、無断で大学に来なくなってしまった留学生をたくさん見てきた。あなたも希望履修科目が多過ぎて、10月の学期末を待たずに消えてしまいそうで、それが心配なのよ。」と諭すように言ってくれた。

「だからこそ、色々な講座を履修したいんです。タイ語のバックグラウンドの無い私にとって、タイ語教授法の聴講は大変で難しいはず。私は自分の現在のタイ語能力で、この講座に付いていけるとは思っていません。もしかしたら、来年も無理かもしれない。でも、本当に落ちこぼれてしまったら、その時点で私には何も残らない。それこそ、大学から消えるしかない。でも、興味があるLinguisticsやTEFL、それに学部での国語(タイ語)3科目も履修しておけば、例えタイ語教授法の講座から落ちこぼれても、大学そのものから落ちこぼれる事は無いと思うんです。」と、現在のタイ語の能力不足とそれに対する不安、そしてタイ語教授法の講座から落ちこぼれても、タイ語学習は続けたいとの心境を正直に話したら、納得してくれた。

で、ヘッドは人文学部内の各ステーションに電話を掛けて、TEFLとLinguisticsの各担当教授の名前を調べ始めたが、昼休みが近いこともあり、うまく電話が繋がらないとかで、明日までに調べてアポを入れておいてあげる、と約束してくれた。明日11時半に、またヘッドのオフィスに来ないといけないのかあ。

制服等が売られている文房具ショップは、ヘッドのオフィスのある14号校舎の1階にある。で、ヘッドとの面談が終わった後、先週の金曜日に目星をつけておいたシャツをスカートを買いに行ったら、なんて事!タイトスカートは全て売り切れ、手に取って見る気も起きないダサいプリーツスカートが大量に残っているのみ、シャツもエスサイズは残り1枚、あとはエムとビッグサイズのみ。金曜日には、あんなにたくさんのタイトスカートやシャツがあったのに!!いつの間に売れたのかしら?キャッシャーのおばちゃんに、今度はいつ入荷するのって聞いたら、制服は年に1度の新学期にしか売られない、つまり今年はもう入荷無しだって。ダサいプリーツスカートは絶対に買いたくない。そういえば昔、エルのバーゲンで黒いスカートをエンポリで買ったっけ。膝丈のタイトスカート。そうだ、あれを制服用のスカートに転用しよう。シャツは、1枚で充分なはず。学部の授業は火木の2日だけなので、洗濯して乾く時間はたっぷりある。

夜、家でおしんを見ながら、シャツのボタンを校章入りボタンに付け替えた。ああ、明日はこれを着るのか。嫌だなあ。 2003年06月30日 01時55分25秒

6月8日(日)見つけたぞ!
モーソーウォーのHPをチェックして、やっと英語とタイ語の両方で講義を行っている講座を発見!しかもカナ・マヌサー!!なんてこったい、灯台元暗しとはこの事だね。MEd in Linguisticという修士号が取得出来る上に、講義はタイ語と英語が半々だ。また、TEFL(Teaching English as Foreign Language)の修士号もある。これは全て英語での授業で、タイ語教授法を専攻する際にもきっと役立つはず。ただし、TEFLの方のカリキュラムは、必修も選択も含めてあまり興味がない教科ばかり。同じ教授法でもタイ語教授の方が、バラエティーに富んだ教科で、興味がもてる。興味がある科目は、全てMEd. in Linguisticの講座のもの。うーん、タイ語教授法よりも興味があるかも知れない。どーするべ。 2003年06月30日 01時54分01秒

6月6日(金)運命の日?
今年1月から5月までタイ語の集中国際プログラムに参加した生徒の中で、そのまま大学で勉強を続ける事を希望する人は、朝10時に国際課(留学生課)集合。時間前に到着すると、やっぱりみんなタイ時間で、時間通りに着いたのは私1人。聴講生希望者12人のうち、9人が集まった段階で、留学生担当者から、希望者全員が聴講生として、新学期から受け入れられた旨、説明を受けた。けれど、私だけ大学院での聴講希望なので、最初は保留扱いだった。でも、挑戦するっきゃない。最初に学部の全教科を網羅した本(1年から4年までの全ての必修・選択科目一覧が載っている本)と履修登録用紙を渡され、私たち留学生が受け入れられた人文学部の、教科指導ヘッド(学部長より下のポジション)の教授の元に行くように指示され、その先生に会いに14号校舎に向う。大学構内って建物が多くて、移動が面倒なのよね。

教科指導のヘッドから、先生が私たちの為に選んでおいてくれた必修科目3教科を履修登録用紙に書くように、指示された。が、私も書こうとしたら、あなたはちょっと待ってと言われた。なんと、一生懸命に書いて提出した大学院聴講依頼レターが、ちゃんと人文学部の学部長の元に届いたようで、タイ語集中講座の先生からの推薦もあって、大学院での聴講が特別に許可されたというのだ。だから、私は学部での必修科目は履修しなくても良い、とも言われた。

ちょっと待ったあ!それは困る。私は自分のタイ語能力不足を、嫌になるほど自覚している。教科指導のヘッドが我々留学生の為に選んでくれた必修科目3つは、タイ人にとっての国語に相当する「読解」「作文」「スピーチ法」で、つまりタイ語の読み・書き・スピーチ。どれも今の私には必要な科目ばかり。大学院と学部の両方を聴講するのは、時間的にキツイし無理だと思うとヘッドから言われたが、無理でもやらなきゃ、タイ語は上達しない。ヘッドから「人文学部の学部長からは大学院での聴講は許可されたが、次に必要なのは聴講する講座の担当教授の許可(履修登録用紙へのサインも含めて)だ。でも、学部長から許可が下りたのが今朝で、まだあなたが希望する講座の担当教授へのアポを取っていないので、来週月曜日の11時にもう1度会いに来るように。」と言われ、その場を辞した。

11時にケミーが教育学部の学部長にアポを入れていたので、それにくっついて私も学部長に会いに行った。ケミーは、まだ就職か修士号かで悩んでいたが、まずは修士号取得を目指す事にしたようだ。国際課の担当者は、タイ語集中国際プログラムを開催している人文学部と緻密に連絡を取り合っているが、他の学部とは疎遠だ。ケミーはそこに目をつけたようで、国際課の目が届かない教育学部から大学院に入り込む方法を考え付いたらしい。彼女も、既に大学を卒業しているのに、何でまた学部からスタートしないといけないの?と考えたクチらしい。でも、タイ語能力不足の私に輪をかけて、ケミーのタイ語は不十分。タイ語集中講座時代の先生の推薦状も無いし、大丈夫かしらと思ったけれど、教育学部の学部長を訪ねていって、疑問が氷解した。だって、英語で会話してるんだもーん。

教育学部の学部長はとても親切な女性で、勉強したければ来なさい、歓迎しますと言ってくれた。人文学部と違って、あまり外国人留学生が多くはないようで、先生方の中には外国人を歓迎しない教授もいるので、聴講を受け入れ易いクラスも紹介してくれた。それが『ウィティー・ソーン・パーサーアンクリッ:マタヨン』つまり『中・高等教育における英語教授法』、タイの中・高等教育現場でどうやって英語を教えるかという講義だ。

最初は英語での講義だと思っていたが、甘かった。担当の教授のオフィスに行って話を聞いたら、英語教授法だが、講義は全てタイ語で行うという。ただしクラスの人数が少ないから、あなたがた外国人が落ちこぼれないように、ヘルプする事は出来ると言ってくれた。私とケミーはそれぞれ、彼女にとって初めての日本人と香港人の生徒との事で、歓迎するからタイ語での授業でも恐れずに出席なさい、と言って下さり、とても心強くてうれしかった。

でも!英語で講義をしてくれる講座もなんとかして見つけたい。そりゃあね、タイ語は必須だし一生懸命に勉強するつもりだけど、万が一タイ語での講義についていけず、来年2月に正規院生として申し込む際、もう1年聴講生をやりなさいと言われたら、更に1年を棒に振る事になってしまう。来年6月には、何としても聴講生から正規院生に格上げされたいので、英語は滑り止めの保険みたいなものだ。だから、英語で講義をする講座をなんとか見つけ出し、そこのクラスも聴講させてもらうつもりだ。もう1度モーソーウォーのHPをチェックして英語での講義がある講座を見付け、来週の月曜日に人文学部のヘッドに会いに行く際、その講座担当教授にもアポを入れてもらうつもりだ。

大学内の生協みたいな小さい雑貨売り場に、制服を買いに行った。大学院は私服通学だが、学部は制服着用が義務付けられている。国語3科目は学部での聴講だから、制服を着なくてはいけない。この歳で制服を着たら、仮想大会か、タニヤの制服バーのママさんになっちゃうよ。やだやだ(涙)

制服は、真っ白の半袖シャツに黒のスカート。シャツのボタンは大学の校章入りボタンに付け替えなければならず、ベルトと大学の校章入りバックルも必需品。そして、大学の校章バッジを胸に付けて正装完成。正式には校章入りのピンを襟に付けなければならないけどね。学生用のシャツもスカートも、生地はしっかりしているのに、激安だ。シャツは1枚90〜100バーツ、スカートはタイトが160バーツ、プリーツスカートもあったが、ウエストがゴムで見るからにダサダサなんで、手に取る気も起きなかった。学部の授業が始まるのは火曜日の10日から。別に今日買わなくても、月曜日にヘッドに会いに行った帰りに買えば良いや、と思って、欲しいシャツとスカートのサイズだけチェックして、この日はボタンとベルトとバックルだけ買った。 2003年06月30日 01時53分00秒

6月5日(木)一足お先にバンコクへ
8時半過ぎに目が覚めた。シャワーを浴びて身繕いを整え、朝食を取りに1階に降りた。朝食は、トースト2枚にサニーサイドエッグと小さいウィンナー2本。後はコーヒー(ネスカフェね)とオレンジジュースのシンプルなもの。トーストを食べて心から驚いた。まずい!!今までの人生で、こんなに衝撃的に不味いトーストを食べたのは初めてだ。なんとも形容し難い不味さ。パサパサしているわけじゃないんだ。湿気の多い場所(雨の日の窓際とか)に2、3日放置して、今まさにカビが生える直前のような、とにかく口に含んでうっとくる不味さ。ケミーも、こんなに不味いトーストは初めて、と大半を残していた。食べられたのは、目玉焼きとウィンナーだけ。パンは野良犬にあげてしまった。

時計は10時を回ったが、誰も降りてくる気配が無い。早朝2時にあっこからの電話の着信記録があったから、2時過ぎにホテルに戻ってきたんだろう。多分、ぎりぎりまで寝ているつもりなんだな、みんな。

ケミーと一旦部屋に戻り、すぐにチェックアウト出来るように荷物をまとめてから、外に出た。ATMでお金を下ろすケミーに付き合い、その後、パタヤで一番美しい海の景色を堪能出来ると噂の、スタバで口直しのコーヒーを飲む事に。2階のテラスから見る海は、確かにすっごく綺麗。とても、汚染された海とは思えないほどの美しい青。でも、外のテラス席は暑いので、エアコンの効いている屋内の、海の見える窓際に座る。

そこで、ケミーが現状についての不安=モーソーウォーに残って勉強を続けるか、仕事を探して早く社会経験を積むか、を語りだした。私は既にリストラで早期隠居を決め込んだ身、娘と言ってもおかしくない年齢差のケミーの話を、ただ聞くだけ。彼女は大学を含む研究機関で、社会学のリサーチャーとして働くのが第一目標だという。または、マルチナショナルな大企業でマネジメント職につきたいという。おいおい、23歳になったばかりで就職経験の無い小娘を、いきなり経営陣に迎える大企業は、どこにも無いだろう。香港では、卒業した大学の研究室で、社会学を教えるイギリス人教授の元、リサーチャーのアルバイトをしていたそうだが、すぐにタイ留学を決めたから、社会経験はこのアルバイトの半年間だけ。それでも大学の研究室勤務だから、現地でのステイタスは相当高かったようで、だから企業でもいきなりマネジメント職に付きたいと思ったらしいのだ。

うーん、気持ちは良く判る。良く判るけれど、まずは彼女に何が出来るのか聞いてみた。どんな仕事でも、教えてくれて、やらせてくれたら出来るという。故郷の香港ならいざ知らず、他国でビザや労働許可証の申請その他をしてまで、未経験の外国人を雇うメリットが、企業にあるかどうか。マリチナショナルな国際企業を目指すのであればなお更、あなたの今の英語力じゃ使い物にならないし、国際研究機関での研究職を目指すのならば、英語力だけじゃなく、最低でも修士号は必要だとも言うと、大学院で修士号を取ったら、国際機関や企業に就職出来るのか、その保証は無い、じゃあ今から本腰を入れて、就職活動をした方が良いと思わないか?と言う。志が高いのは良い事だが、気ばかり焦って実力が伴わなければ、海外での国際機関や大企業への就職は、不可能に近いだろう。

実際、華僑の友人に紹介されて、先週末にバンコク郊外にある米系企業に面接に行ってきたらしいが、知人の紹介にも関わらず約束の時間から1時間以上も待たされた挙句、年齢相応の扱いしかされず、現実の厳しさを味わったようだ。それでもメゲる事無く、目標を高く掲げて邁進する彼女のバイタリティーは、尊敬に値する。私は、彼女のそんなガッツが好きなのだ。

ケミーからは逆に、他の日本人の子達の事をどう思うかと聞かれた。ケミー曰く、日本人のクラスメート達は大好きだし、こうやって旅行したり、一緒に遊ぶのは楽しい。でも、彼女達には将来設計やビジョンがあるようには見えない、と言う。確かに、気ばかり焦っている今のケミーには、他の同年代の日本人クラスメート達は、ただ毎日つるんで遊んでいるだけに見えるのだろう。でも、私は(私以外の)日本人達がケミー以上に勉強している事を知っている。日本人って外国人相手に『私はこれだけ努力しているのよ!』とパフォーマンスしないし、努力している姿を見せるのはダサい、と考える傾向にある控えめな国民性だから。 

”急がば廻れ”とは、まさに今のケミーにぴったりの諺だ。

12時10分前にホテルに戻り、部屋から荷物を運び出して階下に行くと、他の子達もチェックアウトの為に下りてきた。先に部屋代を清算し、疲れたから先に帰りたい旨を告げる。ケミーも先に戻りたいというので、2人が先にバンコクに戻る事になった。残り6人はこれからシーフードレストランに向い、それからラン島に渡って海水浴をするとか。みんな、元気だなあ。

3時過ぎにエカマイバスターミナルに到着し、ケミーと別れて自宅に帰り着いたのは3時半。ふー、疲れたけれど、とっても楽しかった。気心の知れた仲間と旅行するのって、とっても楽しいね。

夜10時ちょっと前に、みっちゃんから電話が入った。今、やっとバンコクに着いたという。で、これからアソークにある韓国料理屋で夜食(夕食はパタヤで済ませたらしい!)を食べるので、出て来ないかとのお誘い。ああ、若さが欲しい。おばちゃんはとてもとても、20代のパワーにはついて行けませんわ。。。 2003年06月30日 01時51分05秒

6月4日(水)パタヤだよー
エカマイバスターミナルで朝9時集合。でもみんな、すっかりタイ時間。BTSのプラットフォームからあっこの携帯に遅れるかも、と電話を入れてみたら、彼女もまだオンヌットだという。やっとエカマイのターミナルに到着したら、あっこの姿が見えた。彼女は5分の遅刻、私は7分の遅刻。あっこがみっちゃんの携帯に電話してみたら、みっちゃんとあきちゃんとあきちゃんのアパートの受付のお兄さんが一緒にターミナルに着いたらしく、「ちゃんと時間前に来てたのよー、あたしたち!」と言われてしまった。ターミナル近くの屋台で朝食を食べている最中だというので、その屋台に合流しようとしたら、みっちゃんが迎えに来た。屋台はすぐ近くにあるみたい。で、あきちゃんとアパートのお兄さんが待っている屋台に行ったら、男性がもう1人、こちらに背を向けて座っていた。あれ?トシは来られないって言ってたのにな。と思ったら、なんとジョンフーだった。韓国人男性の名前って発音が正確には判らないので、日本風にショウグン(将軍)と呼ぶ私たち日本人。でも、どんな発音で呼んでも、ちゃんと返事をする彼は、本当に良い奴だ。ヒロは日本に一時帰国で来られない。って事は、ルアンとケミーで8人か。

10時発のバスに乗り、一路パタヤを目指す。平日だから道も空いていて、2時間弱でパタヤに着いてしまった。バスの中で途中、ジョンフーが乗り物酔いになってトイレで吐いてしまったようだ。ちょっと可哀想だった。

パタヤのバスターミナルに着いて、真っ先にする事。それは宿探し。出来れば8人一緒に泊まれる大きなバンガローがあれば良いのだけれど、パタヤでバンガローって聞いた事無いしなあ。で、アパートのお兄さんの出番。ソンテウの運ちゃん達と交渉を始めてくれた。お兄さんはパタヤを知らないとはいえ、タイ人なんだから、情報集めくらいはしてもらわなくっちゃ。あきちゃんが持っていた地○の歩き方に紹介されていた安宿が第一候補。でも、バンガローに泊まりたいと言ったら、運ちゃんがバンガローあるよ、と言い出したので、そのバンガローに連れて行ってもらう事に。そこはビーチに面していて、ロケーションは良い。ホテルアンドバンガローのサインが出ていたけれど、でも、一体どこがバンガローなの??ただのツインルームじゃん。しかも、エレベーター無しの4階。部屋を見せてもらったけれど、こんなに古くてエレベータもなくて一泊750バーツは冗談じゃない。ツインだから2人で375バーツ。それなら、ガイドブックに載ってた安宿の方がまだマシ。で、ソンテウの運ちゃんに、もう一つの方に連れて行ってもらう事にした。

こっちもビーチのすぐ近く。名前は忘れたけど、ノースパタヤのソイ10だったと思う。ここもエレベータ無しの4階だけど、ツインで1泊400バーツ、1人200バーツだ。古くて狭いけど、お湯シャワーだし、エアコン付きだし、なんたって寝るだけの部屋だしね。で、ここに決めてチェックイン。私はケミーと一緒だ。部屋でちょっと落ち着いてから、ランチを食べに行く事に。ホテルからブラブラとビーチ沿いに歩きながら、ショッピングセンターの最上階にあるクーポン食堂へ。ここでのんびりとランチを取り、水着を持って来なかった子達と、水着代わりの短パンを買うためにお店をブラブラ。タイでは女性はTシャツに短パンやサロンで泳ぐのだ。着替えのためにホテルに戻る途中、40バーツでビーチサンダルを購入。

私は水着を持ってきていたので、水着に着替え、その上に巻きスカートを巻く。ケミーはセパレーツの水着の上にTシャツと短パン。さて、みんな着替えが終わり、ビーチにレッツゴー。でも、パタヤの海は水が汚いので、泳ぐ気はしない。ビーチでパラソル付きのチェアを6つ借りる。一つ20バーツだ。8人だけど、男2人は砂の上で充分だよ。デッキチェアに横たわったら、すっごく気持ちが良くて、動きたくなくなってしまった。ビーチでは、ジョンフーがお決まりの、女の子を抱えて水の中に落とす遊びを始め、キャーキャーと賑やかな事。それを尻目に、午睡でまどろむ私。実は、水着は持ってきてたけど、夕べからプラジャムデュアン。だから、水には入りたくない。

しばらくして、ジョンフーがスピードボートを借りて、みんなを1人づつ後ろに乗せ始めた。海の水は汚いのに、全員沖の方で潜ったり、泳いでいる!!うへー。それぞれがスピードボートに乗せてもらった後、私も乗る事になり、おばさんも重い腰を上げた。水着の上にサロンを巻いたままでボートの後ろに乗る。結構、乗り心地が良い。で、みんなが固まって泳いでいる沖まで、スピードボートで連れて行ってもらった。もちろん、海に入る気は無いけどね。ところが、私1人が濡れていないんで、海にいた6人が、ボートの回りに集まってきて、ボートを揺らして私を海に落とそうとし始めた。勘弁よ〜!お兄さんも足を引っ張るので、プラジャムデュアンだから駄目!と言ったら、すぐに手を離してくれた。でも、他の子達は容赦が無い。ジョンフーに私をボートから落とせと囃し立てるので、ジョンフーが猛スピードでジグザグに運転したり、途中でいきなり止まったり、斜めにボートを傾かせたりと、私を落とそうと荒い滅茶苦茶な運転を始めたけれど、私がしがみついてボートから落ちないものだから、見ていたみんなは、おーとーせーっと益々囃し立てる。結局、落とされる事なく無事、浜辺に戻った。後は、またデッキチェアで一眠り。4時になり、ケミーが一足先にホテルに戻りたいと言い出したので、一緒に戻る事にした。途中のセブンイレブンでシャンプーのミニボトルとアイスクリームを買う。

シャワーを浴びて、ほっと一息ついてから、晩ご飯を食べに行くために階下に集合。が、ざんざん振りの大雨になっちゃった。ホテルの受付の人から、安くておいしいレストランを紹介してもらったけれど、ちっとも雨脚が緩くならない。と、ここでもジョンフー大活躍。いきなり「俺、ソンテウ拾ってくる。」と言って、大雨の中を駆け出して行った。大丈夫〜?と、待つほども無く、ソンテウがやってきて、助手席からジョンフーが降りてきた。でかしたぞ!

ホテルのフロントお薦めレストランだけあって、確かに安くておいしかった。おなか一杯食べて、一人230バーツだ。まあ、お酒は頼んでないからね。デザートは、ショッピングセンター内のアイスクリームショップに行く事に。そこでアイスを食べながら、ダラダラとおしゃべり。アルカザールのオカマショーまでの時間潰しだ。最終ショーは10時からと聞いていたけど、早めに行った方が良いとの事になり、またソンテオをつかまえる。ソンテオは1人10バーツだ。交渉次第でどこでも行ってくれるので、とっても便利。9時ちょっと前にアルカザールに着いたら、最終ショーのスタートは10時じゃなくて、9時半という事が判明。おお、早めに来てホントに良かった。最初は1人500バーツ(VIP席は600バーツ)と言われる。ホテルのフロントでは1人300バーツと言われた、というと、それはタイ人料金ですと告げられる。働いていた頃、接待で何度も見ているしなあ。別に見なくても良いや、と言うと、あきちゃんとアパートのお兄さんも別に見たくないと言い出した。残り5人で、見る見ないとやってるうちに、開演時間が迫り、なんと半額の250バーツで良い事になった。じゃあ、見ましょうか。

1年ぶりにアルカザールショーを見て、かつてはあった日本の演目が無くなっているのに気付いた。中国や韓国の歌はあるけど、日本の歌はカットされていたのだ。つまり、それだけパタヤに来る日本人観光客が少ないって事なんだね。ちょっと寂しかった。

アルカザールの後はディスコへ。タイの田舎のディスコって、つまんなくて大嫌い。前方にステージがあって、やたら露出度の高い衣装に身を包んだセルロイド人形みたいなタイ人女性歌手と、甘い顔のタイ人男性歌手が交代で歌って踊り、客は所狭しと並べられた丸テーブルでお酒やつまみをオーダーし、気にいった曲の時には、イスから立ち上がってテーブルの周りで縦揺れするだけ。曲っていっても、ほとんどがタイポップス。興味無いしなあ。30分でげっそりしてきて、もう眠いから先に帰ると断わってそこを出たら、ケミーも眠いからと一緒に出てきた。

ディスコのすぐ横でたむろしていたバイタクの運ちゃんに、ホテルの名前を言って10バーツと交渉したら、1人20バーツだという。ぼったくり。でもたかが20バーツ、とっととホテルに戻って眠りたかったので、20バーツで即決。が、即決したのがいけなかったようだ。何も知らない観光客と思われ、なんとパタヤの北のはずれまで連れていかれ、私たちの説明が悪かったから道を間違えた、ここからホテルは遠いので、30バーツじゃなきゃ行かない、と言われたのだ。20バーツだろうが30バーツだろうが、大した違いは無い。でも、その時は金額じゃなくて、彼等の汚いやり方に猛烈に腹が立った。道を間違えた(わざとね)のはそっちでしょう、ちゃんとホテルまで連れていきなさいと言うと、こっからホテルは遠いから30バーツじゃないと行けないと言いはるバイタク運ちゃん。遠い訳ないじゃん、パタヤは小さい町なんだから。ノースパタヤからジョムティエンに行けっていうなら、話は別だけど。バイクの運ちゃんも、女2人と馬鹿にしていたのが、意外な抵抗に遭って驚いたのか、30バーツ出さないなら、お金は要らないから元の場所に戻ると言い出した。それで結構。戻ってもらおうじゃないの。この後、他のバイタクやソンテウに例え100バーツぼられても、こいつにだけは30バーツ払いたくない。結局、元のディスコ脇に戻った。そこで客待ちしているバイタク運ちゃんらは、こいつらの仲間だから、もうここからは乗りたくない。道路を挟んだ向かい側で、客待ちしているソンテウの運ちゃん達がこっちにおいでと呼んでいるので、道を渡ってソンテウと交渉開始。やっぱり観光客料金で、200バーツと言われた。道の反対側ではバイタクの運ちゃん達が、200バーツとか300バーツ取れと囃しているのが聞こえる。私たちを、わざとパタヤの北のはずれまで連れて行き、騙そうとした運ちゃんも、絶対に料金を下げるなーと叫んでいるのが聞こえた。

ソンテウの運ちゃんに、私たちはバンコクに住んでいるのよ、だから騙すのはやめて、と穏やかに話すと、気の毒そうな顔はしたけれど、道の反対側で叫んでいるバイタクの運ちゃん達の方も気になるようで、「ここにいるソンテウはタクシー代わりだから、一律200バーツなんだ、でも2人で70バーツで良いよ。」と譲歩してきた。来る時は10バーツだったのよ、と言うと、それは流しのソンテウでタクシーじゃない、我々はタクシーだから、という。じゃあ、流しのソンテウに乗るわ、バイバイと手を振って歩き出したら、それまで囃していた道の反対側のバイタク運ちゃん達、急にシーンとなっちゃった。彼等にしてみれば、私たちが彼等が騙し取ろうとした1人30バーツより、更に高い料金でソンテウに乗ることを望んでいたのに、流しのソンテウに乗る事にした私たちの考えが判ったようで、おもしろくなくなったのだろう。

道を歩き始めたら、すぐに流しのソンテウがホンホンとクラクションを鳴らして近づいてきた。ホテルの名前を言ったら、頷く運ちゃん。本当は10バーツなんだけど、無事に着いたのがうれしくて、20バーツ払っちゃった。深夜だしね。もし、タイ語が全くわからない観光客だったら、パタヤの北のはずれまで連れていかれた段階で、騙されたとは気付かずに、不安のあまり30バーツで納得しちゃうんだろうな。タクシーは密室だから、そんな事されたら怖いけど、バイタクなら怖くない。

それよりも、たかだか10バーツ余計に欲しい為に客を騙そうとするなんて、バイタク運ちゃん達にとっての10バーツの価値の重さを、改めて実感させられた。 2003年06月18日 19時38分36秒

6月3日(火)
昨日は朝からバイトに行ったので、せっかく書き上げた大学院の聴講許可依頼レターを提出できなかった。今朝も9時からバイト。大学のオフィスは8時半から開いているので、まずは大学に行き、レターを提出。でも、いつものアホな担当者は「こんなレターを貰っても、誰にどう話を回してよいか判らない。」と言い出した。「でも、ニタヤ先生が推薦して下さり、レターを書けと薦めて下さったんです。先週の金曜日、ニタヤ先生があなたに電話で、私の希望を伝えて下さったはずですけど?」と食い下がったところ、ぶつぶつ言いながらも受け取った。でも、せっかく書き上げたレターを、彼女が自分の机の引出しに仕舞い込んでしまわないか、それがとってもとってもとっても心配。

オフィスを出て、速攻でバイト先へ。なんとか9時1分前にタイムカードを押す事が出来た。

午後、ケミーから携帯にメールが入っているのが判った。着信時刻を見たら、なんと朝の8時半と9時半の2回。大学院の件でモーソーウォーに行くけど、興味があったら一緒に行かないか、という内容。あちゃー、ケミーも午前中、大学に来ていたのか。急いで彼女の携帯に電話して、まずはメールに気付いたのがついさっきで、返事が遅れてごめんと謝る。それから、私も今朝大学に行った事を話し、互いに情報交換。ケミーは、教育学部の学部長に会って、院の方の聴講をお願いしてきたそうだ。で、教授を1人紹介してもらったらしい。その教授の授業が、私にも興味があるんじゃないか、という事だった。また、今日はあきちゃんの誕生日だから、ハッピーバースデーのメッセージを送ったら?と教えてもらう。院での聴講について詳しい事は明日、パタヤに行きながら話そうという事で電話を切る。そうそう、明日はパタヤだったんだ。で、バイトが終わった後、あっこの携帯にメールで明日のパタヤ行き、変更が無いかどうかを確認。あきちゃんにも、誕生日おめでとうメールを送信。明日のパタヤは全部で8人らしい。カコは来ないのに、8人って一体誰と誰?? 2003年06月18日 19時37分29秒

6月01日(日)
なんとか、レターの下書きを終える。頭が疲れたよ。ふーっ。。。 2003年06月10日 20時03分27秒

5月31日(土)
朝早くから10時間のバイトだ。夕方6時過ぎに帰宅してから、英語でエッセイのレターを書く事にした。タイ語で書いた方が心象が良くなるとは思ったが、今の私のライティング能力は小学生レベル。小学生レベルのタイ語でTTFLコースを受講したい、と書いても納得されないだろう。で、英語で書く事にしたのだ。結構、頭使うなあ。 2003年06月10日 20時02分41秒

5月30日(金)劇、そして打ち上げパーティー、でもまだ試験は終わらず
朝、8時ちょっと過ぎに教室に着き、劇の台詞の最後の暗記をしていたら、珍しく韓国人の3人組が朝から来た。どうしたの、こんなに早く!と驚いて聞くと、劇の練習をちょっとしたくて、との答え。まあ、彼女達は火曜日の試験を放棄したから、劇はやらなきゃまずいだろう。で、劇のほかにスピーチの事を聞くと、それは知らないと言う。そうか、月曜日は彼女達、授業に出なかったから、知らないんだ。スピーチも原稿を清書して提出しないといけない、と教えたら、慌てだした彼女達。何を書いたら良いか判らないというので、本当に何でも良いのよ、私は日本の国旗についてだし、日本のお茶や蕎麦についてスピーチする生徒もいるし、韓国だったら、キムチとかアリランとか韓国の山や風景について書いても良いんじゃない、と適当に言ったら、彼女達、本当に書く事が思いつかなかったようで、それぞれキムチ、アリラン、韓国の山と風景、という題でスピーチ原稿を書き始めたようだ。スピーチの発表まで後1時間ちょっと。間に合うかな?

9時ちょっと前に先生がきて、5階の舞台がある広い教室に移るように言われた。そこにビデオを設置してあるそうだ。うーん、いよいよだわ。

まずは、清書してきたスピーチ原稿を先生に見せ、再度添削してもらう。それから、1人ずつ前に出て、発表するのをビデオ撮り。緊張するよおお。幸い、原稿を見ながらスピーチしても良い事に。でも、発表を始めたルアンやゆりを見ていると、全く原稿から顔を上げず、ただ棒読みするだけ。ああ、みんな緊張しているんだなあ。原稿で顔が隠れてしまった生徒もいた。私の原稿は、簡単で短いので、内容の粗末さを補うには、スピーチのテクニックしかない。人前でのスピーチ法なんて、習った事はないけれど、昔、教壇に立った経験を思い出し、出来るだけ原稿は読まないように、皆の方を向いて話すように努める。また、日本の国旗についてだから、青と赤のホワイトボード用のペンも用意し、日本の国旗は描くのがとっても簡単です、と最初に描いてみせた。こうすると、聞き手の注意を引く事が出来るしね。粗末な内容をカバーするには、小細工が必要なのさ。手は、緊張でぶるぶると震えちゃったけどね。

いよいよ劇。韓国人グループはシンデレラで、お笑い風にアレンジ、最後まで笑いっ放しだった。一番受けたよ。他の日本人グループは、日本人観光客が屋台でぼったくられる、という寸劇だったが、日本語の台詞が多過ぎた。私たちは、全部タイ語だったけど、ナレーションでの情況説明が多過ぎて、登場人物の会話が少な過ぎと言われた。うーん、でもね、正味3日で準備した劇だし、結果は粛々と受け止めよう。

今日は夜、カコの家で試験終了記念パーティー兼カコのバースデーパーティーだ。早めに集まって騒ごう、という事で、昼は学食で軽くランチ。その後、各自一旦家に戻り、BTSのモーチット駅で5時集合という事になった。学食でランチの後、私とケミーはニタヤ先生に今後の勉強について、相談しに行く事にした。まず、先生の携帯に電話を掛けて都合を聞くと、午後は授業が無いから職員室に来ても良いとのお返事。早速先生の部屋へ。で、TTFLのコースの件を確認。私は今の自分のタイ語力じゃ、院に入ってもついていけるとは思っていない事、でも今年1年は来年以降の為の準備期間として、講義を聴講したい旨を説明し、やる気があるなら大丈夫、といわれ、先生は2本、どっかに電話を掛けて私の事を話してくれている。

そう、やる気がある以上、自分から動かないと何も始まらない。これは、タイに限った事ではない。授業料を払うんだから、世話してくれて当然、と全てをお膳立てしてもらおうと思っていては、後悔するだけ。

電話で何か話しを終えたニタヤ先生、これからレターを書けという。どうしてもこのコースで勉強したい、という熱意を理解してもらう為の、売り込み(?)小論文だ。えええ、今日で試験は終わったと思っていたのにぃ〜〜〜!来週の早い段階でそのレターを留学生課に提出し、後は結果を待てとの事。でも、推薦しておくから、と援護射撃を約束してもらって、ほっ。

家に帰って靴を替え、BTSでモーチットまで。他の子達と落ち合い、カコの家に着くと、韓国人の男子生徒ジョンフーが先に来て、カコのお手伝いをしていた。このジョンフー、レベル2から参加した生徒で、1ヶ月半しか一緒に机を並べていない。学校も休みがちで、割りと陰の薄い存在だったのだが、同じくレベル2から参加した日本人男子のヒロと、コース終了間際に仲良くなったようで、日本人の中に積極的に入ってくるようになった。とっても良い奴だ。今日も、韓国人の女の子3人がソファに座っておしゃべりしている間、ジョンフー一人でトッポギ、ビビンバ、プルコギを作ってくれた。これがまた、めちゃ美味いのよー。

飲んで食べて、でも明日は朝早くからバイトだし、ニタヤ先生に言われたレターの用意もしなきゃいけない。みんなは今日で試験が終了して、はしゃいでいるけど、私も今日で終わりだと思っていたけど、レターという余計な荷物を背負ってしまったしなあ。どうしよう。やっぱ、タイ語で書かなきゃまずいのかな。でも、今のレベルでは、英語の方が自分の考えをコンパクトに表現し易い。なんて考え始めたら、気もそぞろになって、パーティーの途中で帰る事にした。早く帰って、草稿練らなきゃ。 2003年06月10日 20時01分05秒

5月29日(木)ズキズキ痛む顔
昨日の注射から一夜明けたけど、まだズキズキと注射跡が痛む。今日はポンちゃんの授業で、簡単だから助かるけどね。こんなにヒエアルロン酸の注射が痛いものだとは、本当に思っても見なかった。。。

夜、バイトが終わった後、明日の劇の台詞の練習と、月曜日に発表した日本の国旗のスピーチを清書。国旗についてのスピーチは、多分清書した原稿を提出するだけで良いと思うんだけど、劇の発表が大変。台詞の暗記って、本当に記憶力が減退した身には堪える。40代以降の女優さんって、凄いなあと思った。どうやって台詞を全部、覚えるんだろう?もちろん、適当な事は出来るけど、劇は卒業試験の一環だし、志望した大学院の講義が聴講出来るかどうかの判断材料にもされるんだ。あああ。。。 2003年06月08日 23時35分02秒

5月28日(水)ヒエアルロン酸注射は涙が出るほど痛い
最後のライティング発表。すっごおおおく頭が疲れた。。。でも、明日はポンちゃんの授業だから、簡単。だってポンちゃんだけは、小学校1年生の教科書使っているんだもん。今日の先生は、新聞の記事を使うってのにね。先生によってホント、教える内容に差があり過ぎ。

授業の後、学食でみんなで一緒にランチ。その後、グループごとに別れて、劇の練習。私たちのグループは、エンポリスイートのラウンジで、お茶を飲みながら台本作り。最初はイソップやグリムの童話をやろうという話だったけど、舞台準備が必要でパス。最終的に、モーソーウォーの大学案内を広告仕立てで作ろうという事になり、一度内容が決まってしまえば、すらすらと台本が書きあがり、最後にくじ引きで役を決めた。私はタイ人Cの役。外国人留学生にそれとは知らずに道を聞き、留学生が上手なタイ語で答えたので、どこでタイ語を勉強したのかを聞き、留学生がモーソーウォーと答える、そこで『あなたもタイ語を勉強しませんか?連絡先はこちらです』とナレーションが入るのだ。台詞はちょっと長いけど、アドリブでいくらでも替えられるから、安心。だってタイ人の役だもーん。

台本が仕上がり、役も決まって安心して小腹が空いたので、みんなで近くのラーメン屋「雷」へ。ここは、一番安い雷ラーメンが一番おいしいと思った。私は坦々麺を頼んだけれど、挽肉じゃなくて焼肉を刻んだのが上に乗ってて、がっかり。

ラーメンの後、エンポリに戻って4階のスキンクリニックへ。レーザーでシミ取りをしてから、今日でちょうど2週間。2週間後に来て下さいとバムルンで言われていたけど、アポを入れられた時間は午前中で、試験中だから当然行けない。で、バムルンの先生が個人で開業しているスキンクリニックの方に、レーザー治療の経過を見せに行ったのだ。

レーザーの跡はすっかり良くなり、もうシミなんて陰も形もない。本当に、6年間も悩んでお金を注ぎ込んできたのが、嘘のよう。で、次に気になっていた頬の弛みについて、話を聞いてみる事にした。先生曰く、ヒエアルロン酸注射が良いという。1本1万2千バーツなり。決して安くないし、効果は最初は3〜4ヶ月しかもたないという。でも、それで弛みが改善されるなら、と清水の舞台から飛び降りるつもりで注射を受ける事にした。

痛かった。もう、めっちゃ痛い!!!先にケミカルピーリングをしてもらい、次に注射をする部位に麻酔薬を塗布してもらったのだが、麻酔が全然効かないほど、痛くて痛くて痛くて痛くて堪らない。なのに先生、1本じゃ足りないからもう1本、と言って、更に注射を続行。ひょえ〜!今は無職の学生の身、1万2千バーツの注射1本だって高いのに、それが2本だと。。。2年分の学費だよ〜!!!

注射は1箇所だけじゃなく、点々と10箇所ほど注射していくのだが、アシスタントが氷で注射跡を冷やしていく。でも、すっごく痛い。終わった後、鏡を見たら、点々と広がるそれぞれの注射跡から血がにじみ出て、顔面スプラッターの状態。5分ほど氷で顔を冷やし、やっと血が止まった。家に帰っても注射跡がヅキヅキと痛んで、情けなくなった。鏡を見ても、ちっとも効果が出ておらず(まあ、2〜3日後から効果が出るらしいけど)しかも注射針の跡が点々と広がる顔を見て、もう2度とヒエアルロン注射はしない!!と心に誓った。

そういえば、あさっての金曜日は劇の発表会。しかも、それをビデオで撮るんだ。この顔が今後10年間、ビデオの中でさらし者になるなんて。。。 2003年06月08日 23時32分51秒

5月27日(火)テストの結果は。。。
今日は筆記テストなのに、韓国人達は全員放棄。そうか、放棄という手もあったか。でも、それって敵前逃亡だよ。この筆記テストは、タイ語コースの5ヶ月間、自分が何を勉強したのかを知る良い機会でもあるしね。テスト終了後、すぐに採点してくれたので、自分の点数が分かった。7割しか出来なかったけれど、私より点数の低い20代の子も数人いたから、すっごくうれしかった。

このテストの結果は、留学生課と学部の両方に送られるらしい。それを知ったルアンとカコが、なんで先にそれを言ってくれなかったの、と猛烈に抗議を始めた。で、先生が、点数は関係ない、ただあなたたちがどれだけ勉強したかを知る為の参考にするだけよ、となだめにかかった。そうだよ、どんなに悪い点数でも、テストを放棄した生徒達よりは、先生方の心象は良いはず。

テストが終了した後は、すぐに帰って良いと言われていたのだが、今まで溜まっていた不満が出たのか、テストを受けた生徒は全員居残って、留学生課(特にアホな担当者)に対する疑問や不満を言い始め、先生1人じゃ手に負えなくなったので、彼女は自分の先輩格の先生を助っ人に連れてきて、我々留学生達の不満に応えてくれた。でも、クラスメート達の不満を聞きながら感じたのは、人任せじゃなくて、もっと自分から動かなきゃ、という事だった。スイスのインターナショナルスクールで働いていた頃、日本人留学生が、学校は何も世話してくれない、日本の大学では学生課がちゃんと就職の世話をしてくれたのに、といつも不満たらたらだったのを思い出した。日本が過保護なんとちゃう? 2003年06月08日 23時31分42秒

5月26日(月)え、劇の発表??
今日はスピーキングの授業。身の周りの事を何でも良いから発表する事になり、取り合えずはテキストから語彙を拾いながら、トンチャートジープン(日本の国旗)についての説明にした。今週でタイ語コースは終了、明日から試験だ。で、先生が金曜日の最終日に、劇を発表してもらうと言い出した。げ、劇!!!今から劇なんて、台本作って役決めて練習したって、金曜日までに時間が足りないよ。

また、今日発表したスピーチ、先生に訂正された部分を書き直し、きちんと清書してくるようにとも言われた。とりあえず、5人一組で劇のグループ分けをしていく。私は、カコとケミーとユリとヒロと一緒のグループ。劇の内容の話し合いは、火曜日の最大難関のテストが終了してから、という事になった。そう、火曜日に科されたテストが一番大変なんだ。水曜日と木曜日は先生の話を聞いて、授業中に発表するだけだから、それほど難しくはないんだけど、明日のテストは筆記テスト。記憶力の低下と戦う身には、辛いのよね。 2003年06月08日 23時29分41秒

5月25日(日)二日酔い。。。
最近、どうもお酒が弱くなったようだ。夕べは、ワインをグラスで3杯程度しか飲んでいないのに、朝起きたら軽い頭痛があり、ぐるぐると頭が回っているような感覚。グラスで、たったの3杯だよ。なのに。。。これって、歳取ったって事かしら。まずいなあ。 2003年06月08日 23時28分51秒

5月24日(土)おいしいイタリアン発見
バイトの後、友人とそのご主人と一緒に、スクムビットのソイ1にあるイタリアンに行ってきた。小さいお店だったけど、おいしくて、雰囲気もオーナーのおやじさんの人柄もよく、とっても楽しめた。途中で美声も聞かせてくれたしね。あんまり上手いから、テープかと思っちゃった。前菜にパスタに家庭料理を2皿付けてくれ、ワインを2本にピール1本、デザートも3皿にコーヒーも3皿で、5千バーツ以上6千バーツ弱。友人のご主人が払って下さったんで、詳しく代金のチェックは出来なかったけれど、あれだけ食べて飲んで1人2千バーツ以下なら、素晴らしいと思う。日本で同じように飲んで食べて楽しんだら、お会計が怖いもんね。 2003年06月08日 23時27分58秒

5月19日(月)〜22日(金)
大学やバイトに行く時は、しっかり患部を伴奏膏で保護し、日光にさらさないように気を付ける。夜は伴奏膏を外し、患部に皮膚呼吸を思いっきりさせ、空気に触れさせる。早くピンクの色が落ち着いて、普通の肌色にならないかなあ? 2003年06月08日 23時26分43秒

5月18日(日)レーザーで焼けた皮膚の残骸
今日、午後から思い切ってお風呂に入ってみた。レーザー治療の後は、ちょっと怖くて入浴は控えていたのだ。患部にはしっかりと伴奏膏を貼って保護すれば、大丈夫だろう。

ゆっくりのんびり、1時間かけてお風呂を楽しんでいたら、湯気でふやけたのか、患部に貼った伴奏膏がぺロッと落ちた。拾い上げたら、ガーゼ部分に黒っぽいものがついている。げろげろ〜、これってもしかして患部の焼け爛れた皮の残骸?慌てて鏡を見たら、なんとシミのあった部分が、ピンク色の皮膚に再生されているぅ〜!シミのかけらも残っていない。うーん、この感動をなんと表現したら、良いのだろう。。。 2003年06月08日 23時25分59秒

5月17日(土)
今日は、バイトから帰ってきた後、思い切って家の中では伴奏膏を外す事にした。患部を空気に触れさせた方が、早くカサブタになって治りが早くなるしね。伴奏膏の下から現れたシミのレーザー跡は、赤黒い点になっていた。こんなんで、大丈夫なんだろうか?また、今晩は初めて、コットンによる拭き取りじゃなく、きちんと石鹸で洗顔してみる。水を患部につけても、痛みは全くない。早くよくなってくれないかなあ。 2003年06月08日 23時24分41秒

5月16日(金)アユタヤ遠足
今日はクラスメートと先生達と一緒に、アユタヤ遠足。家を出る前には、しっかりと肌色の伴奏膏を2枚重ねで貼る。だって、日差しが怖いもん。

バスは、大学構内の時計塔の向いに待っている事になっている。8時5分前に着いたら、既に数人のクラスメート達が乗っていた。見慣れない顔もある。日本語を話しているから、日本人だ。誰だろう?と思っていたら、自己紹介が始まり、東京外語からの留学生らしい事が判った。タイ語が専門の割りに、自己紹介の時に話したタイ語は、あまり上手じゃない。なんて、人の事は言えないけどね。

アユタヤには1時間弱で到着。暑い、暑すぎる。しかも、アユタヤは会社員時代に、何度もお客さんのアテンドで来た場所だから、うれしくもなんともない。バンパインの離宮見学からスタートしたが、バスの中で寝ていたいよー。

お昼は、おいしいクイティアオ屋で、ナムトックムーセンレックを食べた。すっごくおいしくて、2杯も食べてしまった。その後、お寺を2箇所周り、自由行動になったので、すぐさまアイスクリームを探す。暑いんだもん。それに、お寺なんて何回見ても、どこで見ても一緒だし。それより、水とアイスだよ。

という訳で、あんまりありがたくないアユタヤ遠足であった。暑過ぎだもん!!行くなら11月過ぎだね。 2003年06月08日 23時24分06秒

5月15日(木)
今日は大学はお休み。でも、バイトがある。伴奏膏でしっかり患部を保護して、朝から出勤。家にあった普通の白い伴奏膏を貼ったので、さすがに目立った。バイト先でもどうしたのか聞かれたので、説明が面倒で「ネコに引っかかれた」と説明。みんな、納得してくれた。 2003年06月08日 23時22分37秒

5月14日(水)レーザーでシミ取り
6年前のある日の事。ふっと気付いたら、出来ていたんだな、シミが。右目の鼻寄りの下に、オーロラの如く浮かび上がった縦5ミリ弱、横3ミリほどのシミ。最初は薄かったのに、アトピーがまだ酷い時期で、日焼け止めが塗れなかったせいで、いつの間にかファンデを塗っても隠し切れなくなったシミ。まあ、場所が場所だけに(右目下、鼻の付け根)あまり目立たなかったけれど、でもファンデを塗る度に、憂鬱になったシミ。コラーゲンマスク、ホワイトニングマスク等のフェイシャルコースに美白化粧品等、更にはフォトフェイシャルまで。一番高かったのが、コラーゲンマスク(アトピーにも優しいから)のフェイシャル10回コース。○万バーツだった。そして、フォトフェイシャル5回コース。その他シミを薄くする為に、日本に3往復できるほどのお金を費やして、それでも消えなかったシミ。憂鬱の種だったんだ。で、朝学校に行く為に家を出て、ほとんど衝動的にバムルンラート病院に行ってしまった。ほんと、衝動的だったんだ。でも、それで良かったと思っている。だって、考えていたら、きっと絶対に病院に行かなかったと思うから。

バムルンでは、友人がシミ取りをしてもらった先生を指名、シミを見せて料金を聞いたら、2千5百バーツだという。おおおおお〜!ほんまかいな?!だって、○万バーツもかけて、ちっとも消えなかったシミだよ。半信半疑だったけど、友人のシミの無い頬を思い出し、思い切ってレーザーで切り取ってもらう事にした。ちょっと痛いのを我慢できるなら、アイスで冷やすだけですぐに治療できるけど、無痛を望むなら、麻酔薬をつけるから、40分待つ事になる、といわれ、40分掛かっても良いから、麻酔薬を塗ってもらう。で、40分後に小部屋に案内され、ベッドに横になる。すぐに先生が入ってきて、アーユーレディ?と元気一杯に聞かれる。とりあえず頷いたら、目を保護するために目隠しをされ、いきなり治療開始。顔の前で、梱包在のプチプチの空気穴を潰すようなパチ、パチという音がし、ものの40秒ほどで終了。え〜、もう終わったの???だって1分も経ってないじゃん?

あまりの早業に驚いている間もなく、先生は今後の必要な処置と留意点を口早に説明し、じゃあねっと出て行ってしまった。後は、看護婦さんがレーザー治療の後を氷でしばらく冷やし、薬を塗ってテープを貼っておしまい。ふー、こんなんで本当に取れてるのかなあ?

時計を見たら、11時ちょっと過ぎ。もう学校に行くには遅すぎるので、ソイ43のネットのプロバイダーにお金を払いに行く事にした。ついでに、その近くのトップスでお買い物。12時半に家に着き、鏡でよーく見たら、白い薬を厚めに塗りつけていただけで、テープはなんと透明なもの。げげげ〜!日光を通す透明なテープだけで、ソイ43から家まで歩いて帰ってきたかと思ったら、ぞっとしてしまった。レーザー治療直後は、シミになりやすいので決して日光に患部を晒してはしけないのに!

ガーゼ付きの小さい伴奏膏に貼り替える為、そっとテープを剥がす。病院でもらった塗り薬を付ける前に、レーザーでシミを取った後を見ると、赤くぽつっと焼け爛れた状態になっている。こんなんで、大丈夫なのかなあ。しかも、今になって思い出した。明日は祝日で大学は休みだけど、あさっての金曜日は、学校行事でアユタヤ遠足の日だよ。大学がバスを貸し切って、留学生を連れて行ってくれるのだ。今の時期、アユタヤはバンコクより暑い。って事は、バンコクより日差しが強いって事だ。どうしよー!後先考えずに、衝動的にバムルンラート病院に行っちゃった事、ちょっぴり後悔した。 2003年06月08日 23時21分45秒

5月13日(火)ナチュラル
バイト先のスタッフに、「夕べ、自分でやったんだよー!」と、ストレートパーマの仕上がり具合を自慢したら、スタッフの1人に「真っ直ぐになってないよ、どうしてお店でやらないの!時間のある時にストレートにしてあげるって言ったのに。」と言われた。でも、お店ナンバーワンの先生は、私の髪がくせ毛だと知っていたので「直したかったら、お客さんの居ない時にやってあげるけど、そのままでも自然に見えて良いよ。」と言ってくれた。そう、完全に真っ直ぐじゃないから、かえって自然に見えるんだよね。と、自分を慰める。くせ毛は仕方ない。 2003年05月21日 22時51分16秒

5月12日(月)ホーム・ストレートパーマ記念日?
今日は抜き打ちで小テスト。先生が読み上げるエッセイを、タイ語で書いていくディクテーションだ。A4用紙に15行ほどの短いエッセイを、ゆっくり4回繰り返し読んでくれたので、全て書き取る事は出来たが、スペルミスばかり。あーあ。。。

バイトが終わった後、フジスーパーに寄って、ストレートパーマの液を買った。WELL製で165バーツ。WELLAかロレアルのどちらかを買おう、と決めていたので、WELLA製があって良かった。ケミーがストレートパーマ用の液を買って、自分でストレートに戻した髪を見ているので、ストレートなら自分で何とかなりそう。バイト先で社員割引があり、ストレートパーマは200バーツで出来るんだけど、時間が無いのだ。お客さんがいる間は当然、出来ないし、自分がバイトじゃない時間帯に行けば良いんだけど、午前中は学校。日曜日は混むから駄目。となると、せいぜいカットくらいしか、してもらえない。

さて、家に帰り、万全の準備をしてから、まず1液を髪に馴染ませる。10分置いてから櫛で梳かすと、ストレートになってる!完全にまっすぐのストレートじゃなくて、ちょっとふんわり感を残したかったので、15分弱で1液を洗い流した。水気を拭いて、次に2液。これはニュートライザーなので、素手で髪に塗り込んでいく。置く事20分で洗い流す。計45分でストレートの完成。しかも、完全に真っ直ぐではなく、思ったとおりの自然な仕上がりだ。元々くせ毛で、本当に真っ直ぐにしようとしたら、今流行りの縮毛矯正パーマをかけるしかない。これ、バイト先でかけるとすっごく高い。ミディアム以上の長さで9千バーツする。現地製のロレアルを使う他のお店と違い、液も道具も全て日本から輸入しているから、他店の3倍近い値段になってしまうのだ。それでもお客さんがいるから、やはり現地製よりは日本製の方が、髪には良いって事なのだろう。 2003年05月21日 22時50分26秒

5月11日(日)ネット検索に明け暮れた日
友人のレーザー照射によるシミ取りの話を聞き、その効果の程を実際にこの目で見て、自分でも思った以上に感銘を受けたようで、お昼過ぎからインターネットで、タイの美容情報を検索する事にした。バムルンラート病院のHPによると、一番高いフェイスリフトのパッケージがあり、1泊2日食事付きで11万バーツほど。顔と首のリフトアップ。円で30万円ほどか。や、安い。。。日本でフェイスリフトの手術を受けたら、100万円近くするよ。手術代も高いけど、入院費用も高いからね。

他に、性転換手術で有名なヤンヒー病院とバンモット病院、それにピチェット先生の病院もチェック。ヤンヒー病院は、タイ人の間で絶大な人気と実績を誇っているし、ここの料金が他の病院と比較する上で、タイ人料金の目安に出来る。うーん、やっぱり安いね。実績もあるから、信用できるし。あと、ピチェット先生は、日本語の無料情報誌にいつも広告を大きく載せているので、日本人料金適用のただの医者かなって思っていたんだけど、友人によると、タイ人にも腕が良いと評価が高いとか。日本人の評判はあんまり当てにならないけど、美容に詳しいタイ人の間で評判が良いなら、信用できるかな。そう思ってHPで料金をチェックしたら、ヤンヒー病院とそれほど変わらない料金。日本人料金じゃないって判って、ちょっと安心。次はやはりよく広告を見かけるバンモット病院。院長先生が、美容整形の専門だとか。HPで料金をチェックすると、これもヤンヒーとほぼ一緒か、施術の内容次第では、ヤンヒーより安い。

判ったのは、デラ一番のお気に入り・バムルンラート病院が、群を抜いて高いって事。レーザー治療なんて、他の2〜2.5倍だよ。最初は安いと思ったフェイスリフトも、ヤンヒーの1.5倍の料金。各病院のHPをチェックするだけで、なんとなくお腹が一杯になったような満足感を覚えた。 2003年05月21日 22時49分38秒

5月9日(金)申請書提出
朝、ちょっと早めに行って、ニタヤ先生に推薦書を書いて下さいとお願いしに行った。あきちゃんとみっちゃんの2人がニタヤ先生にお願いした時は、推薦書を書いた後、封筒に入れて糊付けしてから渡されたそうで、だから何を書かれたか判らないって言っていたけど、私のは封筒に入れずに、そのまま手渡された。でも、びっしりと書かれていたので、読む気が起きなかった。。。封筒に入れて無いって事は、読んでも良いって事だから、悪い事は書かれていないはずとは思うんだけど。。。

申請書自体は、ユリに提出してねってお願いして、授業後にすぐにバイトに向った。ヘルプで行ってる支店は、こじんまりと小さいお店で、タイ人スタッフも3人だけ。いつも和気藹々とした雰囲気で居心地が良い。でも困るのは、とにかく食べ物を勧められる事。タイ人は食べるのが大好きってのは知っているんだけど、とにかく食べる。客がいないと、ずっと食べている。太りたくないから、とお菓子を勧められても、3度に2度は断わっているんだけど、普段はおやつを食べていないから、午後の間食のせいで、ちょっと太ってしまった。

今日もフルーツを出されたので、「太ったから、もう食べない」宣言をしたら、フルーツは太らない!と断言され、結局はつまむ事に。食べたくないって言うと、哀しそうな顔されちゃうし。あーあ。。。

夜は、友人とシャワルマーを食べにピタパンレストランに行った。いつもテイクアウトだから、店内で食べたのは初めて。中東系の料理なのに、客は白人ばかり。お店の作りがファーストフードっぽいから、気軽に入って来れちゃうんだろうね。サラダバーとシャワルマーやケバブ盛り合わせピタパン付きにロゼワインを一本で、1人500バーツ。すっごくおいしかった。

食事の最中に、友人がバムルンラート病院で、レーザーでシミを取ってもらったと言い出した。彼女の頬を見たら、確かにシミが無い。彼女は週に3回はゴルフに行くから、強烈な日差しで肌がダメージを受けていたのに、シミを除去した個所は、白い綺麗な肌になっていた。す、すごい。。。私は2年前にフォトフェイシャルを5回も照射治療して、シミもそばかすもちっとも消えなかったのに。。。 2003年05月21日 22時48分43秒

5月8日(木)祝日
今日は祝日で授業がお休み。バイトもスタッフ達が社員旅行に行ったので、休み。きちんと起きて、しっかり勉強するつもりだったのに、つもりで終わってしまった。。。反省。

夜、明日締め切りの学部進学用の申し込み書を記入。パヌポン先生に推薦書を書いてもらっていたけど、ニタヤ先生にも書いてもらいたいので、明日はちょっと早めに学校に行かなきゃ。 2003年05月21日 22時47分18秒

5月7日(水)久々の健康診断
授業の後、バイトが休みなので、久しぶりにクラスメートと学食でお昼を食べた。その後、留学生課に学部進学用の申し込み書一式を貰いに行った。留学生担当の教授に「今頃来て、遅すぎるわよ!」と叱られた。申請書の中には、健康診断書も入っている。どこで健康診断受けようかなあ。そうだ、近所のメディ33クリニックに行こう。あきちゃんに電話をしたら、まだ学食に居るっていうので、一緒に健康診断に行かないと誘ったら、行くっていうので、一緒にクリニックへ。問診だけなのに、200バーツも取られた。ユリは近所のタイ人相手の病院で、30バーツで書いてもらったというから、200バーツってのは日本人料金なんだろう。別の生徒は40バーツって言ってたし。健康診断ったって、最近手術しましたか?と聞かれただけ。後は脈を計り、喉の奥を懐中電灯で照らして覗かれ、はい、終わり。え〜、血圧くらい計ってよ!しかも、身長と体重欄が未記入のままだったので、看護婦さんに計って下さいとお願いしたら、ボールペンを渡されて「自己申告だから、自分で書いて下さい。」だって。これで200バーツよ。バムルンラート病院は250バーツだったけど、血圧くらいは測ってくれたよ。身長と体重だって看護婦さんが測ってくれたし。

あきちゃんと2人で、こんなんで健康診断って言えるのかしら、なんてブツブツ言いながら、クリニックを出た。そこから家まで10歩ほどなんで、彼女を誘って帰宅。昼間っから2人で酒盛りしてしまった。。。

夜、あきちゃんから携帯に「今日はお酒をありがとう」メールが入った。深きょんと署名されていたので、私も藤原紀香の名前で返信。いやあ、お互いよく言うよね。 2003年05月21日 22時46分29秒

5月6日(火)タイ人ってどうしてこんなに国際情勢に無知なの?
今日、授業中に話題がたまたま香港の事になった。先生が「香港は中国の一部なのに、何故昔のニュースでは、プラッテ−ホンコン(香港国)という言い方をしていたのか、判らない。」とのたまった。目が点になった。香港出身のケミーが、「香港は以前はイギリスの植民地だったんですよ。1997年のビッグイベントは覚えているでしょう?」と香港返還の事を説明しようとしたら、先生ってば「1997年?香港返還?なんで中国の一部の香港が中国に戻されるの?」と超お馬鹿発言。せ、先生。あなたは。。。

そう、彼女は香港がイギリスの植民地だった事も、1997年に中国に返還された事も知らなかった。これが、大学を卒業して、外国人にタイ語を教える先生だよ。しかも「台湾も中国のジャンワット(県)の一つでしょう。」と、台湾人が聞いたら卒倒しそうな事も、つらっと言う。無知にもほどがある。。。ベトナム人のルアンが、台湾情勢を説明始めたが、先生は「えー、そうなのおー。」と子供じみた反応を見せるだけ。終いにルアンが「あなたは、外国人にタイ語を教える先生なんだから、国際的な政治や経済の事を多少は勉強すべきだ」と呆れたように言うと「それはそうなんだけど、外国の事をいちいち調べるのって、面倒臭いのよねー」と投げやりに言って、話題を変えてしまった。だから彼女は、我々留学生の中で、一番人気が無いんだよね。 2003年05月21日 22時45分47秒

5月5日(月)痩せたと言われても。。。
今日から、バイト先が別の支店のお手伝いに変更。以前も時々手伝いに行っていたが、今日はほぼ1ヶ月ぶりに顔を出したら、スタッフ3人から「痩せたね!」と言われた。正直、びっくり。だって、体重は変わってないし。。。太ったって言われたなら、納得なんだけど。でも、彼女達いわく、私は最後に会った時より、確実に痩せたという。うーん。。。だったら、どうしてその結果が、体重に現れないんだろう?? 2003年05月21日 22時42分41秒

5月4日(日)
ゆっくりと朝寝をして、午後3時にアロマセラピーに行く。2時間で590バーツ。平日の午後6時までに行くと、490バーツなんだけど、日曜日の方がリラックスできる。リラックスはお金じゃ買えないからね。前回良かったおばちゃんを指名。彼女も私が前回頼んだ手順をちゃんと覚えており、極楽の2時間。マッサージでは、いつも100バーツのチップを渡すのだが、このおばちゃん、本当にぴょんと飛び上がらんばかりに、うれしそうに受け取る。チップを当たり前のように受け取るマッサージ師が多い中、これほどうれしそうに受け取ってくれると、なんだかこっちもうれしくなる。 2003年05月21日 22時41分57秒

5月3日(土)久しぶりの土曜日休
土曜日はいつも、朝8時から夕方6時まで10時間のバイトだが、今週は友人が来る予定だったので、先週のうちから今日休む許可を得ていた。けれど、SARSの影響で友人がドタキャン。でもせっかくもらったお休みなので、そのまま休む事にした。久しぶりの週休2日、とってもうれしい。朝、ケミーから携帯にメールと電話があり、サイアムで映画(X-MEN2)を一緒に見ないかとのお誘い。この映画、ハル・ベリーが出ているんで、とっても見たかったけれど、昨晩は遅くまで眠れなかったので、身体がだるい。誘ってくれてうれしかったけど、ごめんねと断わりの電話を入れた。今日は、何もしないでぐーたら過ごすのだ。

お昼は、目をつけておいたシャワルマーを買いに行った。エンポリアムデパートの向い側、BTS駅に上る階段のすぐ脇にあるお店で、隣りはコーヒー屋さんだ。ここは、ピタという中東のパンを、フジスーパーやヴィラスーパーに卸している。お店の名前はずばり、ピタパン(Pita Pan Restaurant)だ。ピタ自体は、CEDARというレバノン・レストランが卸しているピタの方が、薄くて柔らかくて、おまけに直ぐにカビる添加物ゼロの見本のような生地のパンで、いつもこっちを買っていたので、ピタパンレストランのピタは、今まで興味がなかった。でも、先週、たまたまレストランの外に書かれたメニューを見ていたら、なんとシャワルマーがあるじゃありませんか!シャワルマーとは、中東で広く食べられているスナックで、食べたいとずっと思っていたものだ。

ヨルダンのシャワルマーで良ければ、こちらをどうぞ。http://www2s.biglobe.ne.jp/~sae/jordan/jordanfood/jordanfood.html

カラチにも、似たようなものがあった。熱々のチキンティカを、薄めのナンのようなパンで手巻き寿司のようにクルクルと巻いたもので、スパイス系・ケバブ系が好きな人には、堪らない軽食だ。先週末はソイ・ナナの路上でも、チキンのシャワルマーもどきを食べたが、チキンも小麦粉を焼いたパンもパサパサで、熱々なのにイマイチだった。

ピタパンのシャワルマーは、パンはもちろんピタなので、ヨルダンのシャワルマーとは見た目は全くの別物。ふわふわの白いピタパンに挟まれたチキンケバブ。さてさて、お味は如何に?

清潔感漂う店内は、マクドナルドを高級にした雰囲気。シャワルマーはスモールが95B、レギュラーサイズが125Bと、決して安くは無い。チキンのシャワルマーとラムのケバブ(これもピタに挟んだもの)のスモールをオーダーした。お味の方は、チキンシャワルマーは、きゅうりをヨーグルトソースっぽいもので和えたものとチキンに染みたスパイスが絶妙のコンビネーションを醸し出し、かつ、それを挟むピタパンがまたふんわり柔らかくて、美味い。チキンはすこし濃いめの味付けだが、ピタの淡白さがそれを和らげていた。ラム・ケバブの方は、チキンとは違ったスパイスの味で、これも美味い。チキンのスパイスと食べ比べてみるのも、面白いかもしれない。2つとも激美味で、至福の午後の一時となった。 2003年05月08日 18時34分26秒

5月2日(金)進路について
今日はニタヤ先生の授業。ニタヤ先生は、私のタイ語能力を過大評価してくれており、それが時々重圧となる。でも、今日は先生の誤解を、心からありがたいと思った。大学では、Graduate DiplomaにTeaching Thai as Foreign Language (TTFL)のコースを新しく開設する事になり、その第一期生にならないか、と勧められたのだ。心理学や人文科学に興味があり、そういった方面の勉強をしたかったのだが、自分のタイ語能力では、学部の授業についていくのは大変だろう、と暗澹とした気持ちになっていたので、TTFLに推薦してもらえるなら、手に職を付けられるし、一石二鳥だ。

タイ語での授業よりは英語での授業の方が簡単だろう、とチュラ大にも行ってきたのだが(以前も院に合格した実績があるので楽)授業料がめちゃくちゃ高い。高過ぎる。で、諦めた。今の大学なら、チュラの一番安いコースの約10分の1の学費で済む。タイで最初の国立教育大学だから、海外から直接大学に、又はタイ政府にタイ語講師派遣の正式要請があった場合、まずはうちの大学に話が来る。で、そういう依頼があった場合、成績優秀者に限って推薦してくれるという。つまり、タイ人の先生は海外に行きたがらず、人手が足りないらしいのだ。だから、今年になって急遽、TTFLを開講する事になったのだろう。

バイトは、今日はとっても暇だった。 2003年05月08日 18時32分58秒

5月1日(木)制服(もどき)デビュー
今日はメーデー。でも、モーソーウォーは国立大学なので、教職員は公務員。公務員はメーデーは関係ないとの事で、大学は休講にならなかった。一般の会社では、日本のゴールデンウィーク並に、5日(Coronation Day)まで5連休で有給を取ったり、会社自体が連休になったりするところが多いが、モーソーウォーの職員も休む人が多かったようで、学部の入り口は珍しくシャッターが下りており、一瞬、大学が休みかと思ってしまった。まあ、1階の廊下部分がオープンエアー状態で誰でも出入り自由だから、入り口だけシャッター下ろしても、あまり意味が無いかなって思った。

今日は、初の制服もどき姿。白の半袖開襟ブラウス+黒の膝上丈スカートに、黒のカーディガン。校章は20バーツで売っているけど、まだ買ってないんで付けられなかった。髪の毛も、学生風にまっすぐストレートにブロー。鏡の前で、へーえ、40のおばちゃんでも制服+ストレートロングにしたら、充分女子大生に見えるじゃん、とご満悦。まさに自己満足の世界。若い学生達は化粧をする子も多いけれど(特にアート系の学部)、おばちゃんがこの格好で化粧すると、タニヤ辺りの制服バーのママになっちゃうので、口紅だけにしておいた。この姿で登校すると、クラスメート達に超うけた。みんな本物の制服と思ったようで、ブラウスもスカートも日本で別々に買ったもので、制服じゃないというと、驚いていた。とりあえず、この制服姿が似合うように、太っちゃいけないと肝に銘じた。中年太りで制服を着たら、それこそ夜のあぶないおばさんになっちまう。

今日は木曜日で、大学構内に市が立つ日。付近に住む日本人の奥さん達もたくさん買出しに来る。それを当てにするシーローのあんちゃん達も、木曜日だけは大学の入り口付近でたむろする。いつも私は「乗ってかないかーい?」と声を掛けられるのだが、今日は「シーローマイ?」の声が全く掛からなかった。顔見知りのシーローのあんちゃんさえ、視線は私の上を素通り。あ、そうか。今日は制服姿だから、全くのアウトオブ眼中なんだ。へっへっへ。私はタイ人学生に見えたんだね。おばちゃん、まだまだいけるじゃんって思った。ああ、自己満足の塊のような女、それは私。 2003年05月08日 18時24分02秒

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