色々あって、教育言語学プログラムでの勉強を続ける事が出来なくなった。 二コールやクラスメート達との素敵な出会いは、決して忘れないけれど。。。 新学期からは、興味も勉強したくもない、別のプログラムに編入させられて、後ろ向きな日々を送っている。 全く、タイって奴あぁ。。。

7月29日(木)教育実習での授業スタート
今日は1時30分から50分間の教育実習。ポンとニットの担当だ。リスニングでポンはアメリカ映画の一部を見せて、how to describe peopleを教えたのだが、クラス全体に声を届かせるためか、彼は大声を出しすぎて叫ぶように授業を進め、まるで怒っているかのよう。クラスオーガナイゼーションもうまくいかず、中途半端のままにニットと交代。ニットはテープを使ったのだが、途中でポーズしないでスルー。だからか、生徒は混乱。実習初日は散々な結果に終った。ああ、まるで再来週に行う自分の実習授業を見るようだわ。。。でも、ちょっと驚いた。タイの田舎で7年間も中学校の英語教師をしていたニットでさえ、こんなしょぼい授業しかできないなんて。

火木の夜の日本語の授業が終ったので、今はとてものんびりとリラックスした日々だ。ギッティちゃんに、大学院での勉強が忙しいから、しばらく火木はパスして月水金だけ授業を入れたい、と希望を伝えた。毎日教えるのは、結構疲れるのよね。。。しかも、英語の教育実習も始まったし。土曜日も教えるのを止めたので、収入は半減したけれど、勉強の方が今は大事だ。

落第せずに単位を取得し、できるだけ2年で卒業できるようにしなきゃね。最初は、TEFLなんて興味無いと思っていたけれど、色々と調べたら、これって結構使える資格だった。日本語教師以外にも手に職を付けるのは、良いかも知れない。 2004年08月07日 23時20分23秒

7月27日(火)久しぶりに昔のバイト先へ
今日は、ほぼ半年ぶりに、以前のバイト先を訪ねた。ずっとずっとずっと受け取るのを忘れていたバイト代を取りに行ったのだ。マネージャーさんから2度ほど、未払いのバイト代があるから、取りに来てねと電話があったのに、いつも忘れていた。今日は久しぶりに日本語の授業の無い日だったので、受け取りに行く事にした。

また、バイトしませんか?と誘われたけれど、イミグレのチェックが厳しくなっている事を理由に、断わった。今年の3月に教育ビザを更新に行った際、今までは授業に8割以上出席していたら、バイトして良いと言っていたイミグレなのに、今年は「仕事はしません。」という誓約書にサインさせられた。だから、イミグレに顔が利く今の語学学校以外では、もうバイトはしないと決めたのだ。サイアムにあった日系の美容室が、同業者の密告で潰れたのは有名だし、某語学学校にもイミグレの手入れがあって、受付にいた日本人を不法就労で拘束したらしい。これも、同業者の密告と言われている。

卒業まで2年、働かなくても食べていける貯金は残っているけれど、「英語教授法」を学んでいる現在、教壇に立つ事は講義を理解する上で、非常に役に立っている。英語と日本語の違いはあるけれど、教授法の基本は同じだから。それに、教育実習が始まった以上、「教える」という経験は度胸が付くので、中学生の前に立った時にあがらずに済む。M1グループ担当の先生からは、デラの声はソフト過ぎる、教室の中ではマイクロフォンを装着した方が良いのでは?と言われて、英語だと私の声は小さいのか、と認識させられた。初級の日本語のクラスで、生徒から声が小さいと指摘された事があり、それ以来、教室の中では腹の底から声を出すようにしている。が、どうやら英語だと発声法が違うみたいだ。でも、叫ぶように声を出すと、喉が枯れて咳き込むし、何より生徒には怒っているように聞こえるだろう。マイクは装着したくないし(質が悪すぎるから)どうやって、生徒が43人いる教室で、後ろの方まで声を届かせるか、が私の最大の課題だな。 2004年08月07日 23時20分18秒

7月26日(月)今日から教育実習スタート!
今日は午前中はペタゴロジーの講義があり、午後からホワイクワンにある中学校での教育実習がスタート。対象は中学1年生。他の4人のクラスメート達と一緒だ。今年のTEFLプログラムの新入生は10人なので、5人ずつP5(小学校5年生)グループと我々M1(中学1年生)グループに別れて教育実習をするのだ。

P5グループの方は6月末から教育実習をスタートさせていたので、全部で3回見学に行った。で、我々M1グループは、P5グループの5人が小学生相手に四苦八苦し、格闘(?)しながら英語を教えているのを見て、慄然とした。『げ、私たちもあんな苦労するの?』って。。。P5は10歳から11歳の子達で、M1は12歳から13歳。つまり、2歳しか年が離れていない。クラスメート達の実習光景を教室の後ろに座って見学しながら、我々M1グループは「M1もきっと、騒々しくてうるさいよ、この子達と2歳しか違わないんだから。」「ああ、嫌だ嫌だ。教えになんか、行きたくないね。」なんてひそひそと囁き合っていたものだ。

それが、今日の午後学校に行き、教室に入って自己紹介したら、まあ小学生達とは全然違って、みんな礼儀正しい!我々が教室に入っていったら「起立、礼、着席。」の号令をかけるクラスリーダーがちゃんといたのだ。起立した生徒達にGood afternoon, class!と呼びかけると、ちゃんと声を揃えてGood afternoon teacher!と答え、How are you, class?には I'm fine thank you, teacher!と答える。次に座って良いと言うとThank you, teacher!と言って着席した。

正直言って、No diciplineで No manersの五月蝿いガキ(失礼!)を想像していたので、このちゃんと訓練された生徒達に、ちょっと感動した。

私はタイ語のニックネームで自己紹介したせいか、私がタイ人じゃないと気付いた生徒は多分、1人もいないだろう。

今日は授業はせず、アイスブレ−キングのためのゲームを20分ほど、その後彼らの英語力を知る為のプレテストをしたのだが、あまりの英語力の低さに、気が遠くなりかけた。。。日本でも英語の先生は日本人だし、日本語で英語を習うから、リスニングやスピーキングが出来ないのは同じだ。でも、文法はしっかり教えるので、いくら英語が苦手な生徒でも、中学一年生なら、一般動詞を使用している肯定文をDoやDoesを使って疑問文に変えたり、don'tやdoesn'tを使って否定形に作り変えたり、またはDoやDoesの過去形がDidである事は知っているだろう。なのに、タイでは小学校から英語を習うのに、中学1年生の彼らはDoやDoesやその否定形、過去形のDidを使って、肯定文を疑問文、否定文に作り変える事ができなかった。43人のうち、ちゃんと回答できたのは、わずか10%。。。

プレテストの結果を見ながら、もしかして私たちは、空っぽの太平洋にバケツで水を入れようとしてるんじゃないだろうか、と目の前が真っ暗になるような気がした。 2004年08月07日 23時19分12秒

7月20日(火)今日は筆記試験
先週は口頭試験だったけど、今日は筆記試験の日。どうかなあ?と思ったら、先週の口頭試験で3点しかつけられなかった大学生、筆記で48点だった。つまり合計で51点となり、合格。これで、この子が更に学校で勉強を続けようとしたら、今度は上級??何か間違ってないかい、学校の方針。彼よりも初級の上クラスの子の方が、文法も単語もできるのに。 2004年08月07日 16時02分29秒

7月15日(木)どうして試験でズルするの?
今日は、日本語の中上級クラスの上級1への進級試験の内、口頭試験の日だ。男子大学生の3人組のうち、1人は相当日本語ができるのだが、他の2人は全然授業を理解していない。これで、中級の中でも一番レベルが上の中上級にいる事自体、奇跡なのだが。コースの最後に進級試験を受けさせるのだが、これって50点以上で合格。だから、進級試験で80点や90点をマークして上に進んできた生徒と、常に50点から55点でギリギリのラインで上に上がってきた生徒では、上に行けば行くほどレベルに歴然とした差が現れる。

授業中の質問に全く答えられず、教科書の音読も満足に発音できず、それでも中上級クラスにいる大学生の2人。本人たちは、どう思っているのだろう。はっきり言って、この子達のレベルは初級のB3にいる子たちよりも低い。まあ、学校側は、少しでも多くの生徒を進級させた方がお金になるんだろうけど。。。

さて、3人組のうち、一番日本語ができる子が先に口頭試験のために教室に入ってきた。彼が最初に入ってきたことで、すぐにピンときた。もちろん、彼は私が普通の速度で質問してもすぐに理解して答えるし、やり取りも滑らかなので、ほぼ満点の成績をつけた。彼の次は、別の生徒が入ってきて、間に3、4人の生徒を置いて、彼の仲間の1人が入ってきた。やっぱり。つまり、一番出来る子が先に試験を受けて、他の2人に質問内容を教えて受け答えの練習をさせていたのだ。質問の順番を変えてみたら、多分暗記したのだろう、先に試験を受けた大学生が最初に答えた内容を言うので、こりゃあダメだと思って、彼には質問の順番は違うという事を気付かせた。結局、それでも彼はなんとか質問を理解しようとし、なんとか答えようという姿勢を見せえたのだ、半分の点をつけた。そして、大学生の3人目。彼は、2番目に入ってきた子よりレベルが下で、全く話にならない内容。可哀想だが、20点満点で3点しかつけられなかった。

全体の結果としては、できる子はよくでき、そうじゃない子はそれなりの結果だった。それにしても、筆記試験のカンニングといい、口頭試験でのズルといい、全く。。。たかが語学学校の試験なのに、どうしてズルするの?すぐバレルようなズルなら、しない方が良いのにね。 2004年08月07日 16時01分32秒

7月9日(金)ギッティちゃんの嘘つき。。。
今日から、初級3のクラスがスタート。用意された名簿リストを確認したら、途中編入の新しい生徒が多いはずなのに、16人いる生徒のうち、途中編入の生徒は4人だけで、初級2から進級してきた子が12人。ギッティちゃんの嘘つき。。。

まあね。腹を決めた。初級3は、中級1とかなりクロスする部分が多いし、日本語もどんどん使っていかなければならない。クラスでの日本語で話す割合を前回の3割から7割に引き上げ、後はビシビシ厳しくやるっきゃない。次に進級する際には、もう絶対に受け持ちたくないしね。

夜は、新しく出た邦に加わった中国は天津に留学している李杏子さんが、バンコクにいる妹さんを訪ねて、母親と友人と一緒にバンコクに遊びに来ていたので、ちょっとだけ会う事になった。私は明日土曜日に彼女と会う約束をしたと思っていたんだけど、彼女は金曜日でコンファームしたと思っていて、メールを保存していなかった私は、今となっては金曜日が正しいのか土曜日が正しいのか、判らない。。。とにかく、授業が終ってから、夜の10時から11時までの1時間、ちょこっと会う事になった。

夜の10時から会うとなれば、喫茶店みたいなものは全て閉まっているし、もうパブに行くしかない。って訳で、先週の土曜日に入ったイングリッシュパブのロビンフッドに行く事にした。ソイ33/1の入り口で待ち合わせをした。夜10時前、突然激しい雨が。。。傘も飛ばされそうな激しい雨で、びっくり。なんとかソイの入り口まで辿り着くと、彼女は妹さんと友人と3人で待っていた。

若い!!本当にびっくりした。こんなに若いお嬢さんだったなんて。しかも、今ドキに髪を染めてて、それがまた良く似合ってる!そして、極めつけは、めっちゃ礼儀正しいのだ。タイ人のアバウトさに慣れていた身には、日本人らしい礼儀正しさに本当に驚いてしまった。1時間だったけれど、とても気持ちよくおしゃべりできた。 2004年07月17日 21時10分22秒

7月8日(木)ワイ・ワンクルー(先生に感謝する日)
今日は、院の2年目の学生達(先輩、ルンピー)と一緒に、TEFLの先生達に感謝するワイワンクルーだった。こういう形式的なことが好きなのよね、タイ人って。セレモニー自体は、へーえこういう事をするんだ、と物珍しさや初めてということもあって、楽しんだが、来年も今度は2年生として新入生と一緒にこれをやるのか、と思ったら、ちょっと憂鬱になった。

儀式も良いけど、今日1日だけ先生にワイして感謝するんじゃなくて、日頃からやるべき事があるんじゃない?授業に遅刻しないとか、講義中は携帯電話のスイッチを切るとか。形式ばかり重んじて、中身が伴わないタイ。満足そうな顔の先生とクラスメート達を見ていて、子供っぽいなあと思ってしまった。

今日は中級5のクラスを教える為に学校に行き、明日から始まる例のコースを確認したら、開講前日の夜だというのに、まだタイ人の先生が決まっていなかった。日本語コースは、日本人講師が発音や言葉の使い方練習を担当し、タイ人講師がタイ語で文法を説明するのだ。だから、タイ人講師が決まらないと困るんだよね。やったね、もし誰も決まらなかったら、開講は延期?うっしっし。 2004年07月17日 21時09分27秒

7月7日(水)持ち上がり???
今日で代講は最後。金曜日には、先生が日本から帰ってくるから、そうしたらもう月水金は授業がなくて、院の勉強に専念できる。今後は、代講専門で受けようかしら。責任もないし、すごく楽だし。

でも、学校に行ったら、事務のギティちゃんに呼ばれて「せんせー。金曜日から新しいコースお願いします。」と頼まれてしまった。どのコースか聞いたら、げろげろ〜!!!例の初級2から初級3に進級したクラスじゃない。速攻で断わった。終了試験の際に何があったかも話し、マイミーマラヤーッな子達にはもう教えない、と言ったら、初級2の試験、ほとんどの生徒が落ちたから、初級3では新しい生徒が多いですと言われた。信じられなくて、生徒の名簿リストを見せてと言うと、まだ出来ていません、という。一緒に組んでいたタイ人の先生は?と聞いたら、彼は都合が悪くてもう受け持てないという。怪しい、怪しすぎる。タイ人講師もこのクラスに、あまり良い印象を持っていなかったし、試験を採点したのは彼だから、初級2で何人が進級できたか知ってるはず。逃げたな。私だって逃げたいよ。あんなクラス、絶対にいやだ。でもギッティちゃんに「せんせー、お願いします。」と何度も言われ、半ば強制的にに引き受けさせられてしまった。態度の悪い生徒は、腐ったみかんと一緒で、クラスにおいておくと、他の生徒にも悪影響を与え、クラスの雰囲気が悪くなる。気が重いよ。タイ人の先生は、まだ決まっていない。 2004年07月17日 21時08分04秒

7月5日(月)久しぶりの学校
今日は、久しぶりに院の講義に出席した。TF501、ペタゴロジーだ。先生は博士号を持つ教授だが、講義の後に質問に行っても、答えがきちんと返ってきた試しがない。優しくて、個人的には好きな先生なのだが、なんというか、教育言語学でのワンナガーン先生に感じたのと同じ、じれったさを感じた。先生方の読書量は確かにすごく、自分の研究分野に関係ある書物はかなりの量を読破されている。そして、口癖のように私達に、たくさん本を読めとおっしゃる。それはそれで良いのだが、講義内容が物足りな過ぎる。だって、自分の意見が無いのだ。質問しても、答えられない。本は読んでいるが、咀嚼して自分の血肉にしていない感じなのだ。

今日の講義も、各論文のサマリー。だから何?このセオリーに対して、先生はどう思われたのか、タイにアプライできるのか、できないならどうしてそう感じるのか、その根拠は?それが大学院レベルの講義ではないのか。ただ自分が読んだ論文を纏めたものを、OHPに写して読み上げるだけじゃ、二コールの講義の時にクラスメート達が課題に出された論文をただ要約してプリントにまとめ、読み上げただけのプレゼンテーションと、何ら変わりは無い。っていうか、そもそもこれがタイの教育レベル?だとしたら、あまりに低すぎる。。。

今日も代講。初級1と中級3だ。初級1は生徒の反応がとても良く、教えるのが楽だし、中級3もこじんまりと良くまとまったクラスで、しかも授業スケジュールは、今日は復習の日だったので、生徒達と一緒にちびまるこちゃんを見た。 2004年07月17日 21時07分29秒

7月3日(土)おいしいインディアン
今日で中級2は終了。来週は試験だ。週に1度の授業だったせいか、最初の頃は生徒にあまり親しみを持てなかったが、さすがに5ヶ月も経つと可愛いと思えるようになっていた。全員、パスして欲しいなあ。

授業の後は、大学の図書館で文献探し。夜は友達とソイ11にあるインディアンに行った。Suk11というゲストハウスの左隣りにあるレストランがおいしい、とネットの情報で読んでいきたかったお店。でも、ゲストハウスの左隣りにはインディアンレストランが2軒並んでいて、どっち?!友人が、左端の方は何年か前に来た事あるけど、おいしかったよと言うので、左端の方に入った。うーん、確かに美味かった!年末に友人が遊びに来る予定なので、是非ここに連れて来よう!!

思いがけずに安かったし(一人400バーツ弱)時間もまだ合ったので、もう1軒どこかに行こうという話になり、フジスーパーに入るソイの入り口に新しく出来たイングリッシュパブ、ロビンフッドに入ってみる事にした。

行って驚いた。この辺りはパブ激戦区で、徒歩3分以内にブリティッシュパブのブルズヘッドとロンドナーズ、徒歩5分にアイリッシュパブのダブリナーズがあり、このお店で4軒目。なのに白人客でごった返していた。こういうパブって、集客率が良いのかしら。メニューを見たら、食事はイマイチかな。食事メニューが一番充実しているのは、この界隈じゃロンドナーズだろうか。ブルズヘッドは、常連で持ってるような老舗で、ビールの飲めない私はいつもワインなんだが、そこのグラスワイン、いつワインの栓を抜いたの?というようなひどい味だった。それ以来、行っていない。一番好きなのは、食事のおいしいロンドナーズだが、生演奏が始まるとうるさいので、純粋に飲みたい時はバンドの無い近所のドイツパブに行く。

新しく出来たばかりのロビンフッド、メニューを見た限りでは、ロンドナーズより安めだった。ここで、名前は忘れたけれど、アップルジュースに似た軽い飲み口のビールもどきを飲んだ。大きめのグラス(1パイント用?)で200バーツ。ビールの飲めない私にもおいしいく感じられ、ごくごくと水のように飲んでしまった。赤ワイングラス1杯とアイスクリーム一皿とこのアップルビールで400バーツ。懐に優しいパブですね。貧乏な学生が飲むのには、ちょうど良いかも。 2004年07月17日 21時06分46秒

7月2日(金)初めてのサボり
今日は、TF502の講義の日。クーラティップ先生の講義だ。朝8時から12時までの4時間の講義は、長いよなあ、まだ体調が良くないしなあ。で、結局休む事にしちゃった。まずいなあ。。。

昼過ぎに起き出す。なんだか、スパイス系のものが食べたくてたまらない。ヴィラスーパーに行ってみたけど、お目当てのポテトカレーは売っていなかった。残念!角切りにしたポテトたっぷりのカレー(スープみたいな奴だ)が、大好きなんだけど。

今日は1日中、ごろごろしていた。夕方から、日本に夏休みで帰った先生の代講をした。代講って、すっごく楽。だって、自分のクラスじゃないから責任ないしね。代講が終って帰宅してから、明日の授業の準備を少しした。毎週土曜日の朝に教えている中級2は、7月10日が終了試験なので、明日は試験前の総復習。本当はもう一つ、5月末にスタートして10月末に終了予定だった初級1も教えていたけど、土曜日は勉強に専念しないと宿題が大変なので、初級1は6月末で他の先生に交代してもらった。だから、土曜日はこの中級2が終了すると、もう授業が無くなる。早起きする必要もなくなり、身体もかなり楽になるわ。 2004年07月17日 21時06分28秒

7月1日(木)久しぶりに生徒に会って
時差って、おもしろい。ニューヨークに行った時は、乗り換えや待ち時間で合計23時間もかかったのに、同日に着いた。なのにタイに戻る時は、同じく23時間の移動時間なのに、日付は2日も変わっていた。

今日は夜、日本語のクラスがある。火曜日は休んでしまったけど、誰が代講してくれたのかな?初級3のクラスに入っていったら、生徒達が「わーい、お帰りなさい!」と拍手で迎えてくれた。なんか、意外ですごくうれしかった。別の日に教えていた初級2のクラスは、どうしても好きになれなくて、胃が痛くなりそうだった。最上級や中級5のクラスは逆に教えるのが楽しくて、本当にクラスごとに全く雰囲気が違う。初級2のクラスは、17人が終了試験を受けて、8人がカンニングした例のクラスだ。2度と教えたくない子達だ。初級3の方は、初級1からずっと持ち上がりで教えていたので、生徒達も私に慣れているんだろう。素直に可愛いと思えるクラスだ。私情を挟んじゃいけないんだけど、ほんと、生徒個々人というより、クラスそのものとの相性ってあるんだなあ、としみじみ感じた瞬間だった。 2004年07月17日 21時05分14秒

6月28日(月)リトルイタリーで考えた事
月曜日になって、やっと体調が回復。ほっ。今日は友人が有給を取って、市内観光に連れて行ってくれるのだ。朝はゆっくり寝ていたかったので、11時半にホテルのロビーで待ち合わせ。昨日、食べられなかったリトルイタリーのパスタ、今日こそリベンジで食べるぞ!

リトルイタリーって、本当に小さい一角。ここが、ゴッドファーザーの舞台になった地区なのか。映画は見てないけど。大通りを挟んだチャイナタウンと、全く雰囲気が違う。通りの向こう側は、コテコテの中国なのに、リトルイタリーのあるマルベリー通りは、まるでヨーロッパの街角みたい。通りを少し散歩して、ちょっとだけヨーロッパの香りを楽しむ。それから、お客さんで賑わっている一軒のレストランに入った。店員が超美形!うっわー、カメラもってくれば良かった。黒髪に青い目、俳優のボールドウィン兄弟の弟の方を、もっと整えた感じの顔で、イタリア系なのに背が高くて細い!ウェイターやウェイトレスは、客からのチップが大きな収入源だから、すごく愛想が良いとは聞いていたけど、サービスもばっちり、申し分ない。テーブルの側を通り過ぎる時は必ず、何か話し掛けて行く。いよっ、お兄さん。プロだねえ。

スパゲッティぺペロンチーネを食べたかったのだが、メニューに載っていない。バンコクでは、メニューに載っていなくてもアレンジオッケーなので、友達に「スパゲッティぺペロンチーネが載ってないけど、頼んでみようかな。」と言うと、えっ?と驚かれた。だって、メニューに載ってないよって。だから、頼んでみるんじゃない。え、それともアメリカじゃ、日本同様にアレンジは不可なの?

すごく意外な気がした。だって、アメリカといえばマックでさえ、客はマヨネーズやピクルスやレタスやら、バーガーに挟むものまで細かく指定するっていうし、レストランでオーダーする際も、ソースや付け合せの野菜等まで細かく指示するって聞いた。かなり昔に読んだ犬養某女史の著書『日本人が外に出る時』(タイトルはうろ覚え)にも、パリやニューヨークでは細かく料理を指示できたのに、東京の一流と言われるレストランでは丁重に断わられた、と憤慨している記述があった。だから、欧米人はうるさいくらい、自分の要求を通そうとするんだって思っていた。

ん?ちょっと待てよ。彼らが細かくうるさいほどに、時には調理法までリクエストするのは、既にメニューに載っている料理なのかな?載っていない料理を作ってと頼むのは、もしかしてマナー違反?バンコクじゃ、メニューに載っていなくても、材料があれば作ってくれるので、私はすっかりバンコクの優しさにスポイルされちゃったのかしら。友人が「メニューに載っていないものを頼むのは、ちょっと。。。」と消極的意見を述べたけれど、バンコクの我侭がニューヨークでも通じるか、試してみたくなった私は「聞いてみるだけよ。もしかしたら、シェフが作るのをオッケーしてくれるかも知れないでしょ。」

で、例の超美形のお兄さんに「スパゲッティぺペロンチーノが食べたいんだけど、作れるかしら?」と聞いてみた。ぺペロンチーネって、オリーブオイルとチリとガーリックであえたシンプルなあれかい?と念を押され、そうそう、それ!と言うと「うーん。うちはそれ、スパゲッティでは出してないんだ。でも、スパゲッティより少し太くて、幅広のパスタでならぺペロンチーネにするのは可能だよ。」と、代替案を出してくれた。お店は月曜日の昼だってのに、客でごった返している。しかも、ランチは定食で売りたい店側に、単品でしかもメニューに載っていないものを頼む客。それでも、客の要求をすぐには却下せずに、今日の定食で厨房にあるものの中から、似た味のものを即座に思い出して、代替案を考え出すウェイター。お兄さん、プロだねえ。気に入ったよ。

パスタは思ったとおりの味で、茹で加減もきっちりとアルデンテだった。友人も定食ではなく、単品でパスタを一皿だけ。だって、ラテン系の定食ってすごい量なんだもん。バルセロナで初めて定食を頼んだ際、大皿一杯のスパゲッティを食べ終わり、ふー、次はデザートねと思っていたら、次にステーキが運ばれてきて驚愕したのを覚えている。定食ってサラダとスパゲッティとデザートだけと思っていたから。このレストランのパスタも、単品ながら巨大な皿に山盛り出てきた。すごくおいしかったんだけど、全部食べきる事は不可能だった。定食で頼んでいたら、どうなっていた事やら。。。私は、土日は体調を崩して1日1食しか食べていなかったせいで、胃が縮んでしまったのか、どんなにがんばっても半分も食べられなかった。体調が回復したお祝いに、白ワインも一杯だけ。シンプルなぺペロンチーネによく合って、美味かった。

おいしいパスタに胃は大満足、おまけに超美形のお兄さんに目の保養までさせてもらい、大満足でレストランを後にした。今日は、リトルイタリーとエンパイアステートビルとセントラルパークでのお散歩が、観光のメイン。じゃ、まずはエンパイアステートビルに登ろう、という事で地下鉄に乗った。わーい、地下鉄だよ。危険で汚いってイメージが強かった地下鉄だけど、近年はかなり改善されたとか。ま、昼間だし一人じゃなかったから、危険って気はしなかったけれど、電車が入ってきて、真中の車両に乗ろうとしたら、友人から前の方の車両に乗ろうと言われた。(その時は意味不明だったけど、バンコクに戻ってからNHKの海外安全情報を見て、NYの地下鉄で乗客の銃撃事件が相次いで起こっていた事を知った。真中よりは、警備員が時々乗る前方車両の方が安全らしい。)

エンパイアステートビル。色んな映画に登場したビル。でも正直、似たような背の高いビルが多くて、どれがエンパイアステートビルなのか、最初はよく判らなかった。なので、感動も薄めだった。実は、バンコクを発つ少し前、テレビでスリープレスインシアトルって映画を見たのだ。テレビで5回以上は見ているけれど、大好きな映画の一つ。だから、メグライアンが登ったビル、是非見たかったのだ。

で、驚きました。展望台に登るのにお金が掛かるのだ。「メグライアンは、お金なんて払ってなかったわよ!」と文句を言ったら、友達に「それは映画でしょ。ニューヨークはね、何でもお金を取るんだよ!」と言われた。とほほ。そういえば、タイでも高いビルやタワーはお金、取ってるもんなあ。展望台へのチケット売り場は地下なので、降りていくと長蛇の列!!「メグライアンは、ビルの入り口に駆け込んで、エレベータボーイの制服を着たおじいさんに泣きついて、すぐに展望台行きのエレベーターに乗り込んだのに。」と愚痴をこぼしながら、列に並ぼうとして、すーっと血の気が引いていくのを感じた。やばっ、倒れる!と友人が倒れる寸前に身体を支えてくれた。「大丈夫!」「。。。ダメ」目の前は緑のフラッシュを通り越して、真っ暗。しかも、冷や汗が出てくる。「座ったら気分がよくなると思う。」と言い、車の展示物の台座に座りこんでしまった。とりあえず、友人には列に並んでもらい、チケットをゲットしてもらう。だって、せっかく来たんだもん。やっぱ展望台には登りたいよね。30分くらいで友人がチケットを買って、戻ってきた。冷たい水を買ってきてもらい、それを飲んで更に15分、やっと眩暈が治まったので、展望台に登るエレベーターに行く事にした。

「白ワイン、飲まない方が良かったね。」と言われ、「うん。赤ワインにすれば良かった。」と答えたら、呆れられたが、本当だよ。白ワインはしばらく飲んでいなかったから、飲みなれて胃にも優しい赤ワインにしとけばよかったんだ。いや、そんな問題じゃないか。エレベーターに向って歩いていったら、そこも既に長蛇の列。すごい、凄すぎるよ。40分並んでやっとエレベーターに乗った。頂上に着いた、と思ったら、降りてからがまた長蛇の列!実は、展望台は更に上で、エレベータを乗り換える必要があったのだ。ここでも15分強並び、やっと展望台へ。

ニューヨークを一望しての第一印象は、灰色の街。曇りだった訳じゃないんだけど、どうしてかなあ。タイのぎんぎらぎんの太陽と、ニューヨークの太陽は同じ太陽なのに、こんなに色が違うなんて。友達が、あっちがアストリア、あちらがクイーンズ、そこがブルックリン、あれがハドソン河でニュウワーク空港はあれ、向こうがJFK空港、その向こうがラガーディアだよ、と展望台を1周しながら、教えてくれた。摩天楼とは、よく言ったものだ。多くの日本人が憧れるニューヨークだけれど、何がそんなに良いのか、わずか数日の滞在じゃ、その魅力は判らなかった。

エンパイアステートビルの展望台に登るだけで2時間半かかったしまい、すっかり疲れてしまったので、セントラルパークはパスしてホテルに戻って休む事にした。やばいなあ、体力がゼロに近いよ。。。 2004年07月17日 21時04分35秒

6月27日(日)半病人
バンコクとニューヨークの時差は、夏時間の現在は11時間。でも、来る直前まであんまり寝ていなかったせいで、逆に時差はそれほど感じなかった。夜には眠くなるし、朝にはちゃんと目が覚めた。昨日は絶不調で昼過ぎから寝込んでしまったけれど、今朝は少し気分が良くなった。初めてのニューヨーク、観光客らしくしなきゃ!よし、まずはリトルイタリーでランチ、その後はチャイナタウンをブラブラ歩こう!とガイドブックに載っていたマップで位置を確認し、いざ出発。

げっ、寒い!太陽があんなに照っているのに、どうして寒いの?!おまけに、灰色っぽい空。晴れているのに、灰色に感じるのは何故?私の身体は、すっかりタイ仕様って事・・・?

リトルイタリーに辿り着く前に、チャイナタウンの方に紛れ込んでしまった。リトルイタリーは道を挟んですぐ向かい側なんだけど、ランチには時間が早いので、チャイナタウン探索を先にする事にした。クラスメート達へのお土産も買わなきゃ。土産物屋はたくさんある。

えええ〜!すっごく高い。なんでこんなチープな絹もどきのサテンのブラウスが40ドルもするわけ?40ドルといったらあーた、千6百バーツでしょ。勘弁してよ、こんな安っぽいサテンのブラウスが千6百バーツだなんて。しかも、メイドイン台湾やタイランドのタグが。。。サテンとビーズのベトナム風のシューズや、アイラブNYのベタなデザインのキーホルダーも、泣きたくなるほど高い。ニューヨークの夜景を表紙にあしらったメモ帳なんか、表紙に堂々と「台湾製」と書かれてあった。

ニューヨークの中でも物価が安い、といわれているチャイナタウンで、物価の高さに目を丸くしている私は、すっかりタイ人!?そうこうしているうちに、また目の前が緑や赤色でチラチラしてきた。まずい、こんなところで倒れちゃいかんぜ、と自分を叱りながら、リトルイタリーを諦めてホテルに戻る事にした。でも昼どころか朝ご飯もまだなのを思い出し、デリを探した。食欲ないけど、何かお腹に入れないとね。だって昨日、クロワッサンのホットサンドを半分食べたっきりだし。

デリを探していたら、スターバックスのサインを見つけた!おお、本場のスタバ。ふと通りの向こうに目をやると、マックのあの黄色いMが見える!おお、本場のマック。でも、ニューヨークくんだりまで来て、スタバとマックじゃ悲し過ぎる。更に大通りを見廻すと、マックのちょっと先にヘルシーサンドイッチのチェーン店、サブウェイの看板が!おお、本場のサブウェイ。バンコクのランドマークホテルの近くで食べたサブウェイのサンドイッチがおいしかったのを思い出した。よし、サブウェイでサンドイッチをテイクアウトしよう!あはは、マックとサブウェイじゃ、50歩100歩かな?

サブウェイの店員、アラブ系にしてはあっさり顔のお兄さんだった。すごく人懐っこくて、私がグリーンサラダも注文すると、どうして?野菜ならサンドイッチにたくさん入れてあげるよ、と遠まわしにお金を無駄遣いするなと言ってくれたけど(良いのか、店員!)サラダも好きなの、と言って作ってもらった。サラダとサンドイッチの両方とも、食べきれないほどにたくさん、具を入れてくれ、合計8ドル98セント。お金を払っている時に「ハズバンドはいるの?」と聞かれたので、「来年結婚予定だよ。」と答えたら「じゃあ、まだ恋人なんだね。一緒に住んでるの?」と聞かれ、「そうだよ、あの通りの向こうのアパートにね。」とツラッと大嘘をついた。あなたこそ、恋人いるの?と聞いたら、今探している最中なんだ、と照れながら答えてくれた。会話の糸口がAre you Japanese?じゃなくて、Do you have a husband?と直球でくるのは、国民性の違いか。素敵な恋人が見つかると良いね、と言うと、本当にうれしそうな顔で頷いていた。

ホテルに戻ると、もうダメ。目の前が緑色にちかちかとフラッシュが。。。ベッドに倒れ込むと、そのまま意識が無くなったみたいで、電話のベルで目が覚めた。時計を見たらもう夕方4時過ぎ。友達だった。調子はどう?と聞かれ「今日もだめ、このまま寝るからまた明日。」と言ったら、昨夜からずっと寝続けていたの?と言われた。え?昨夜って?友達曰く「昨夜、様子が気になって電話したんだよ。デラは『はーい、ごめーん、今寝てるからまた明日。』ってすごく眠そうな声だったよ。」ひぇええ〜!全然覚えていないぞ。記憶がプツッと途切れている。記憶が無いのに電話に出て、しかも受話器をちゃんと元に戻すなんて、すごいぞ自分。 2004年07月17日 04時25分18秒

6月26日(土)立ち眩み
まっずいなあ。ニューヨークに来る前、院で出されたアサイメントを全て終らせようとして、寝不足気味だったんだ。飛行機では、極力眠るように努めたけれど、エコノミーの座席じゃ熟睡は無理だもんなあ。大学院での毎日でも相当ストレスが溜まっていたし、ここ2週間は睡眠時間が4時間から5時間だった。ああ、私のお肌はもうボロボロ。。。

だからか、明け方に目が覚めてトイレに行き、さてベッドに戻ろうとベッド脇まで来たら、激しい眩暈で失神しそうになった。ところが、倒れたのがベッド脇だったため、ラッキーなのかアンラッキーだったのか、背中をベッドのサイドテーブルの角にしこたまぶつけ、その激痛でなんとか気を失わずに済んだが、眩暈と背中の激痛で、目の前の視界が赤と緑に点滅した。なんとかベッドの中にもぐり込み、横になって目をつぶっても、何故か眩暈は治まらない。目を閉じているのに、全身がぐるぐると回っている感じがする。ひゃああ、回ってるよ〜と思いながら、なんとか寝るように努力した。

昼前に友人が心配して、出張先を抜け出して様子を見に来てくれ、その時は少し眩暈が治まっていたので、近くのデリでブランチ。食欲はほとんど無かったけれど、それでもアメリカンなデリでの朝食が珍しくて、クロワッサンにハムと目玉焼を挟んでトーストしたものと、オレンジジュースとカプチーノを頼んだ。クロワッサンのホットサンドはとっても美味しかったけれど、半分も食べられず。その時に嫌な予感はしていたんだよね。

出張先のフィラデルフィアに戻る友人を見送って、ホテルの部屋に戻ったらもうダメ。ベッドに直行して横になった。あああ、頭がぐるぐる回ってるよ〜! 2004年07月17日 04時24分16秒

6月25日(金)初めてのアメリカ
今日から1週間、アメリカはニューヨークに行ってくる。飛行機は昼発なので、10時半までに空港に行けば良い。最近、ずっと忙しくて自分へのメンテを忘れていたので、出発前に爪と髪のお手入れをする事にした。7時半過ぎにソイ39のゲーガイに行って、シャンプーブローにペディキュア・マニキュアをしてもらう。うーん、他人の手で身体の一部をお手入れしてもらのうって、本当に気持ちが良い。特に、ここはお客さんが多いから、スタッフも熟練している。ヴィラスーパー近くの美容室でマニキュアをしてもらった時は、爪からはみ出るように塗られて、しかも厚ぼったい仕上がりになって卒倒しそうになったけど、ゲーガイはうまい。手だけマニキュアの上からお花模様をネイルアートしてもらったけれど、とても綺麗に仕上がった。でもここはチープだから、長持ちはしないんだけど。以前、さつきさんが「ゲーガイには2度と行かない!安っぽいし、1週間でネイルアートがはげたのよ。」と怒っていたけど、1週間もてば良いと考えなきゃ。実際、安いしね。それに、例のヴィラスーパー近くの美容室では、マニキュアしかしなかったけど、4日ではげたからね。

シャンプーブローとマニキュアとネイルペインティングとペディキュア(足はネイルアート無し)で、たったの360バーツ。しかも、シャンプーは頭と首のマッサージもしてくれて、頭がすきっとするのだ。

今日は朝からついていた。一旦家に戻り、荷物を持ってタクシーをつかまえるため、スクムビット通りに出て、向い側に渡ったら、なんとエアポートバスが信号待ちの渋滞で停まっているじゃない!!ラッキー!去年、パースに行った時は、道を渡っている時に目の前をエアポートバスが通り過ぎていってしまい、アンラッキーだなあと思ったけれど、今日はラッキー♪

シアトル経由の飛行機だったので、入国審査はこのシアトルで行われた。入国審査、女性の一人旅には厳しいと噂には聞いていたけど、そこそこでした。台湾系の飛行機を使ったのだが、機内で配られた入国カードは台湾人用で日本人用は違っていたらしく、外国人用の窓口の方で台湾人に混じって並んでいたら、私のパスポートの赤がちらっと見えたのか、白人のオフィサーが側に歩いて来て「パスポートとエントリーカードを見せて。」と言われ、渡したら、エバエアのグラウンドスタッフに「彼女は日本人だ!入国カードが違う!」と叫んで、正しいのをもってきてくれた。エバエアのスタッフが「あら、日本人だったの?全然気付かなかったわ。」だって。私、すっかり台湾人の間に紛れ込んで馴染んでました。

イミグレ窓口でもカスタムでも、同じ質問を何度も何度も少しずつニュアンスを変えて聞かれ、いい加減うんざり。そりゃ、みんな言葉は丁寧だったけどね。

で、やっと入国して出発ゲートに行き、搭乗開始を待っていたら、寝ちゃったようだ。「ニューヨークに行きますか?」と話し掛けられてはっと目が覚め、はいと答えたら、エバエアのグランドスタッフの女性が、トランシーバーに向って「見つけたわ、彼女はここにいるわ!」と叫んでいた。どうしたのかな、とぼーっとしていたら「もうみんな、搭乗を済ませていますよ。」だって。4時に離陸予定なのに、時計を見たら3時59分。あら、失礼しました〜!でも、エバエアのスタッフはとても丁寧で、私を急かすことも責める口調もせずに、さあ、あちらからどうぞ、と入り口を指し示してくれた。ありがとう!

23時50分、予定より10分遅れてやっとニューヨークに着いた。おお、疲れたぞい。

タクシー乗り場に直行して、友人が予約してくれたホテルに向った。ニュウワーク空港からホテルまで、深夜という事もあってか、25分で着いた。途中、運ちゃんにあとどれくらい?と聞いたら「今日は渋滞だからなあ、あと10分はかかるよ。」と言われたけど、渋滞はトンネルの入り口付近だけで、本当に早く着いた。でも、ホテルのフロントが最悪!!!

1階にいたセキュリティのおじちゃんに、チェックインしたいんだけど、と言ったら、フロントは2階だといわれ、エレベーターで2階へ。フロントには人っ子一人いなかったけれど、バックオフィスにナイトドゥーディーのマネージャーがいるらしいのは、男性の低い話し声がもれ聞こえてきたので判った。そこで、何度も呼び掛けたのだけれど、出てきやしない。こっちが向こうの話し声が聞こえるって事は、向こうにも私が呼びかけている声が聞こえるはずなのに。10分、声をかけ続けても無視されたので、また1階に下りて、セキュリティーのおじちゃんに「フロントに誰もいないよ。予約してるんだから、誰か呼んでよ。」と頼んで2階に戻ったら、今度はアジア系の女性がフロントにいた。やっぱ、いるじゃん。

どうやら、この日は満室だったようで、深夜1時近くに来る客は、どうせウォークインだから無視しよう、とでも思っていたのだろう。対応してくれたおねえさんじゃなくて、その上司のナイトマネージャーに、むちゃくちゃ腹が立った。満室なら、満室ですって札でも下げとけよ。それでも声を掛ける人がいれば、予約があるんだろうなって判るだろうに。普通、こういったフロントにおいてあるはずの、呼び鈴も置いてないし。どうして満室と判ったかというと、私がチェックインをしている最中に、どんどん白人男女の5人グループやら、アラブ系の4人親子やら、白人の男性客やらがフロントにやってきて、部屋を求め始め、私のチェックイン作業をしていたアジア人女性が、後ろのオフィスに向って「I need your help!」と上司のおやじを呼んだからだ。出てきたのは、でっぷりと太った背の低いちょび髭の白人男性。これが、私を無視しようとしたおやじね。むかつく〜!で、彼がそれぞれの客に「満室です、申し訳ございません。」と断わってお引取り願っていた。

後でホテルのマネジメントに苦情のメールを出そうかと思ったけれど、友人に愚痴ったら「まあまあ」となだめられてしまった。まあね、中級クラスのホテルだし、バンコクのホテル並みのサービスは期待できないって事ね。しかも!!部屋は悲しいほど小さくて、これで6千バーツ?ニューヨークのホテルの貧しさは噂には聞いていたけど、ここまで酷いなんて。。。まあ、私が払う訳じゃないから、愚痴もあまり言ってはいられないんだけど。

部屋で荷物を解いて、バスタブにお湯をため、ゆっくりとお風呂に浸かってベッドに入ったのは、既に2時半だった。ふー、疲れたよ。。。 2004年07月02日 17時56分53秒

6月24日(木)
明日から、所要でニューヨークに行く為、今日中に全ての課題を提出しておかないといけない。でも、金曜日のクラスの課題だけ、どうしても終わりそうになかったので、先生にお願いしたら、来週タイに戻ってきてからで良い、とのことになった。助かった。 2004年07月02日 17時56分20秒

6月23日(水)またカンニング?
今日は、日本語の初級1と2が終了する日。初級1の方は、組んでいたタイ人の先生が試験監督に入り、私は初級2の方の試験監督に入った。

で、驚いた。たかだか語学学校の試験なのに、カンニングの多い事!17人試験を受けた生徒のうち、なんと8人がカンニングだよ。ほとんどは隣りの生徒の答案用紙を覗き込むレベルの可愛いものだけど、中の一人はなんと、堂々と後ろを向いて、答えを聞いているのだ。彼女には「自分でやりなさい。」と注意したのだが、注意されたのが気に障ったのか、その後も後の生徒たちに答えを聞きつづけ、そのうちにおしゃべりしたり、声を出して笑い出したので、終ったなら出ていきなさい、と追い出した。まあ、素晴らしい生徒さんだこと。

後で、タイ人の先生に苦情を言ったら、最近の若い学生は甘やかされて育っているから、仕方無いですよ、とヘンな慰め方をされた。仕方ないってもねえ。カンニングが多かったのも、それだけ堂々とカンニングする子がいて目立ったから、他の生徒もカンニングしないと損だと思ってしまったんじゃないですか、と。どうでも良いけど、このクラスが例え進級しても、もう受け持ちたくないと思った。でも、他の日本人に言わせると、私がナーバス過ぎるようだ。笑って見過ごせカンニングってかい。 2004年07月02日 17時55分03秒

6月21日(月)初めてのマタヨン訪問
とうとう、マッカサンにある中学校は連絡が取れないままに逃げ切ってしまい、担当の先生はラチャダにある中学校を代わりの実習校として見つけてきた。で、今日は昼からこの中学校を表敬訪問。

最初にスクールダイレクターの女性が出てきたのだが、うっわー派手!と思った。全く似合わない水色に白の大きい水玉模様のスーツ、お揃いの金とパールで出来たネックレスとイヤリング、指には巨大な宝石のリングが3個づつ。そして、濃いお水系メーク。でっぷりと太った体。すごいぞ、強烈だ。

うちらの担当の先生は、この中学校にも断わられたら、また別の学校を探さなきゃいけないから、何とか受け入れて欲しくて、何を言われても「インディーカ、ダイカ!」とニコニコ笑って答えている。で、やっと実習のお許しがでて、それでも7月末から10回だけと制限された。教育実習なんてやりたくない私は、もちろん大歓迎でございますぅ!その後、実際に授業を担当している上品な中年女性の英語教諭に案内され、彼女の職員室に向った。そこで、使用するテキスト等の案内を受けた。和やかな雰囲気のまま、最初の打ち合わせが終了し、担当の先生と他の4人のクラスメート達と一緒に、私達が7月末から教える予定の中学1年生(M1)のクラスを見にいった。

2時半過ぎていたせいか、既に授業は終っており、一部の男子生徒が残って掃除をしていた。うっわー、可愛いじゃん。みんな坊主頭だよ。何故か女生徒は一人も残っていなかったが。で、うちの先生が戸口のところにいた男子生徒4人に話し掛けたところ、4人の男の子達はまるで申し合わせたようにぴたっと声を揃えて返答するのが、可愛かった。しかもうちの先生ってば、生徒達があんまり可愛いから、からかいたくなったようで「女子生徒がみえないけど、このクラスの女子はみんな可愛いかな?」と質問したのに対し、男の子達がこれにも声をそろえて間髪入れずに「バーンコンクラップ!」と一斉に答えたのが、笑えた。 2004年07月02日 17時53分58秒

6月19日(土)久し振りに二コールと会う
午後2時に二コールのアパートに電話して、具体的にロケーションを説明してもらい、産まれたばかりの赤ちゃんを見に行ってきた。途中、フジスーパーでベジタリアンの二コールのために、フルーツをしこたま買い込んで。アパートはうちから歩いて15分ほどの距離だった。彼女、妊娠中もヨガをやっていたせいか、お腹の部分以外は全く贅肉がなくて驚いたものだが、出産からちょうど2週間が経過した今日、彼女は少し疲れているように見えたが、身体は相変わらず細かった。まだ少し出血が続いているそうで、なのにもう来週から出勤しろと大学から電話がかかってきたそうで、怒り爆発って感じだった。タイ人なら90日間の産休が認められているのに、と。ビザと労働許可証をもらって正規の教員として働いているのに、二コールの場合は2週間半しか産休がもらえなかったようだ。

イギリス人のご主人は外出中で、赤ん坊は、ベッドの上でバスタオルに包まって眠っていた。うっわー、可愛い!綺麗な金髪だ。眠っていたので、目の色は判らなかったけど。彼女に思わず「小さいのね。」と言ったら、「え、そう?たった2週間にしては、すごく大きい方だと思うんだけど。」といって、赤ちゃんに掛けていたバスタオルをめくったら、うん、確かに大きかった。長身の夫婦から産まれた赤ちゃんも、きっと長身に育つんだろうなあ。

それから、大学での待遇のことやビザのこと、タイ人のことなんかをいろいろと話した。話したい事はたくさんあったけれど、二コールはまだ出血が続いていて、産後の疲労が激しいようだったので、30分ほどでその場を辞した。

それから、少し約束の時間には早かったけれど、エンポリ隣りのナラヤに向った。ゆりと睫毛パーマをかけに行く約束をしているのだ。雨も降ってきたので、早々にナラヤに駆け込む。可愛いバックを見ていたら、ゆりが来たので、タオビューティにレッツゴー!

20代くらいの新しいお姉さんが、睫毛パーマをかけてくれた。彼女は結構腕に自信があるようで、私は睫毛が短くて、何度か失敗してるのよって話をしたら、自分の場合は大丈夫、決して失敗なんかしないからって。確かに、きれいなカールに仕上がった。でも、久し振りの睫毛パーマだから、最初はまた3週間くらいしかもたないんだよね。何度か継続して掛けてると、長持ちするようになるんだけど。来月もまた来ようっと! 2004年07月02日 17時52分30秒

6月16日(水)キャンセル
今日は午前中4時間の講義だけだ。お昼過ぎに語学学校に電話をかけて、昨日教えた日本人の生徒さんは、日本語でタイ語の文法を説明してくれる先生より、声調や発音をチェックしてくれるネイティブの先生の方が必要だと思うと告げると、妙に納得された。きっと、生徒さんの方も日本人の先生がこのまま続けてくる事に対して、学校に何か意見を言ったのかも知れない。生徒さんは、決して安くはない授業料を払っているのだから、ベストを求めるのは当然の権利だ。そして、私はベストを与える事が出来ない以上、教師の交代は必須だ。 2004年07月02日 17時51分49秒

6月15日(火)聞いてた話と違うじゃん
朝、日本人宅にタイ語を教えに行ってきたが、聞いていた話と全然違っていて、初級どころか既に初上級レベルだ。今まで教えたタイ人の先生が良かったのか、それともご本人が勉強熱心だったのか、多分その両方なんだろうけど、基礎文型がしっかりと入っているのだ。声調はめちゃくちゃだったが、文型の正確さは本物で、彼に必要なのは日本語でタイ語の文法を説明する日本人の先生じゃなくて、彼の弱点である声調を訂正できるタイ人の先生だ。

授業を始めて20分くらいで、生徒さんのレベルと弱点がわかり、こりゃあ日本人教師は及びじゃない、と焦ってしまった。それにしても、日中は仕事をしながら、よくここまで基礎文型が入ったもんだ。自分の頃と照らし合わせ、その駐在員さんの努力に、素直に頭が下がった。でも、以前は英語圏に駐在していて、ある程度は英語が理解できます、とおっしゃったのを聞いて、なるほどと思った。脳が既に日本語以外の言語にアジャストしているのだ。大学院で心理言語学を勉強した際、脳が第2、第3の言語を習得する際に果たす役割の大きさを勉強していたので、彼のタイ語の習熟度の高さが理解できた。ご本人は多分、自分のレベルを正確には把握していないだろうけれど。。。私がこれ以上教えるのは、失礼に当るなあ、なんて漠然と考えながら、なんとか残りの授業を終えた。

9時を3分過ぎて教室に入ったら、先生が既に来ていて、どうやら全員がそろうのを待っていたようだった。私がワイをしながら入っていくと、「これで全員そろいましたね。では、これから皆さんに守ってもらいたい事を指示します。」といって、話し出した。

教師として相応しい服装をする事、ついては女子学生のスラックスやパンツルックは厳禁、とのお達しだった。そうそう、タイ語集中コースにいた頃から、先生方の服装の派手さ(?)には注目していたのだが、まるでカクテルパーティーに出席するかのように豪華なスーツや、タイ風のスーツ。アクセサリーも豪華にジャラジャラ。タイの大学の先生って、服装が派手なのねえと思っていた。院で聴講生を始めてからは、先生方の多くがタイ風のスーツ(明らかに仕立物)を着用されていて、地味だけどやっぱりおしゃれね、と思っていた。でもまさか、ズボン禁止だったとはねえ。ま、私はズボンを持ってないから構わないけど。

午後は、教育実習のための準備クラスなんだけど、今日の午前中もまだ、マッカサンにある中学校の担当者と連絡が取れない、と盛大な溜め息を吐きながら先生が入ってきた。私達のクラスは10人なので、5人が小学校、5人が中学校と半分に分かれ、それぞれに先生が付くのだが、小学校は大学のすぐ裏にあるサワッディースクールに実習に行く事がすぐに決まったようで、ポー5グループは着々と授業計画その他を進めている。でも、我々が実習予定だったマッカサンの中学校では、受け入れを後悔したのか、担当者が先週から突然電話に出なくなってしまったそうで、今日も朝からずっと電話をかけ続けたけれど、不在としか言われず、私達のM2グループ担当になった先生は、頭を抱えていた。

うーん、電話に出なくなるのって、いかにもタイ人的で笑ってしまった。一言、受け入れる事が出来なくなったと言えば良いのに。電話で言うのが苦痛なら、ファックス1枚で済むのにね。 2004年07月02日 17時51分57秒

6月14日(月)日本人にタイ語?
プライベートの生徒さんを紹介してくれる語学学校から、また生徒がいるとの電話があったので、講義が終ってから話を聞きに行ったら、なんと生徒さんは日本人。え?と思ったら、タイ語を教えてくれという。あのお。。。どうやら、今までは日本語を話せるタイ人の先生が受け持っていたそうなのだが、田舎に帰る事になったとかで、あと4日分のレッスンが残っている。英語しか話せないタイ人の先生より、タイ語の話せる日本人の方が良いと思うので、行ってくれないか?と頼まれたのだ。

うーん。。。生徒さんは初級で、基礎を教えるだけだから大丈夫、とは言われたけれど。。。今までも、タイに来たばかりの駐在員さんに、初級のタイ語文法説明を日本語で教えた事はあったけれど、既にタイに住んでいる人で、タイ人の先生に習っている日本人にタイ語を教えるのは、正直いって激しく躊躇われた。でも、担当者に「他に先生がいないの、助けると思って何とかして!」と拝み倒され、教えてみる事になった。出勤前の1時間半なので、朝7時から8時半までの授業だ。火曜日は朝9時からの講義だから、30分あればシーローで大学に着けるだろう。でも、本当に大丈夫なのか、私で?! 2004年07月02日 17時50分04秒

6月11日(金)履修登録
今日は午前中、4時間で講義が終了なので、午後からプラちゃんのオフィスに履修届を出しに行った。そして、聴講生じゃなくて正規の院生として受け入れられていたと報告したら、え?と意外な顔をされた。そりゃそうだよね。だってTEFLの入学試験、受けてないもん。。。

よく判らないんだけど、教育言語学が私をTEFLにトレードに出したような形みたいで、教育言語学コースに残ればタイ語で必修科目を履修しなければならない私に同情したヘッドが、TEFLコースの先生に私を受け入れ可能かどうか相談した事があったらしい。で、TEFLの方のヘッドが、1年も教育言語学で聴講生をやったんなら、もう充分でしょ、と判断したらしいのだ。入学試験は受けなかったけれど、受け入れを決めたのは、私との英語での面談と、教育言語学の方の先生の推薦だったようだ。

そりゃあ、院生だと言われて私だって驚いたけどさ、プラちゃんは私以上に驚いたようで、そんな事が認められるなら、他の聴講生に対して不公平だとかなんとか言っていた。うん、そうだよね。でもさ、私は一応教育言語学でオールAの成績取ったんだし、願書もちゃんと提出して、正規の手続きは踏んであったでしょ。それを、○○先生の回答が遅いから、とかXX先生は事務の手続きを知らないから、なんて人のせいにばかりしていたおばはん、あなたのせいで私は大学内で行き場を失いかけたんだからね! 2004年07月02日 17時49分25秒

6月10日(木)ちょうど一週間が過ぎて。。。
うーん、大学院は時間的にキツイぞ。毎日講義がある上に、宿題も全ての科目で毎回出される。おまけに次の授業までに読んでおかないといけない資料も毎回指定され、なのに私は毎日夜は日本語のクラスがあるため、全然時間が取れない。週末も土曜日は教えているし。。。おまけになんと、月末から2ヶ月半、タイの中学校で英語の教育実習をしなきゃいけない、という。ひょえ〜、あっしは日本語教師だぜい。そりゃあTEFLコースに入ったけれど、それは自分の意志じゃないし、第一聴講生ってのは、もっと時間に余裕があって、自分の好きな講義だけ受講できるはずじゃなかったっけ?

そこで、コースヘッドの先生に、聴講生なんだから全ての講義に出席しなくても良いでしょう?教育実習もしなくて良いでしょう?と、昨日相談に行ったら、先生は外出中で他の先生に用件を言ってみた。他の先生2人は、ヘッドじゃなければ良く判らないけど、あなたの要望は伝えておくわね、と言って下さった。

この時、私は八方美人的な事をしてしまった。プラおばはんのせいで、大学内で行き場を失っていた私を拾ってくれたTEFLのヘッドに、スケジュールがキツイとか、教育実習をやりたくないとか我侭を言うのが躊躇われたので、逆説的に話を持っていったのだ。

「この1週間はTEFLコースで本当に学ぶ事の多い日々でした。しかも、教育実習まで経験させてもらえるそうで、心から感謝しているのですが、私は聴講生なので、コースへの参加に何らかの制限を加えられるかも知れない。多分、聴講生の身分では教育実習は無理だと思うので、その辺のところを相談したかったんです。。。」と殊勝に言ってみたのだ。

で、今朝はそのヘッドの講義のある日。朝、教室に入るなりヘッドが言うには「何か誤解があるようですが、あなたはもう聴講生じゃありませんよ。正規の院生として受け入れましたから。」

ぎゃあああ〜!!!って事は、教育実習をしなきゃいけないって事?毎日大学に来なきゃいけないって事?ショックのあまり、青ざめながら先生にワイをしてコップンカと呟く私の肩を、隣りの席のサンさんが「良かったね、おめでとう!」と軽く叩いた。 2004年07月02日 17時49分20秒

6月3日(木)初登校
サンさんが、タイ語教授法からTEFLコースに移っていたので、彼女から教室番号を聞いて、朝9時前に登校した。クラスは私を含めて10人、日本人は他に1名いる。TEFLコースは、英語を教えた経験が2年間必要との最低入学基準が設けられており、でももう一人の日本人は勿論教えた経験はなく、特例扱いでの入学だったそうだ。それでも、ちゃんと入学試験は受けたというから、偉い!!タイ人学生達は、元々が経験のある英語教師だからか、二コールの講義で一緒だった教育言語学のクラスメート達よりも英語が上手だった。

二コールといえば、図書館脇の道でばったり彼女と会った。「え〜!もう出勤して良いの?赤ちゃんは誰が面倒見てるの?」と聞く私に、彼女は「ベイビーは、まだここにいるわよ。」とお腹を指差した。え、先々週に産まれたんじゃなかったの?彼女、ヨガをやっているせいか、スタイルが良くて身体も細く、驚く事に出産予定日から2週間も遅れていながら、お腹の部分以外に全く贅肉がついていない。彼女が「まだ生まれていないのよ。」と自分のお腹を指差すまで、まだ妊娠中だとは本当に気付かなかったくらいだ。多分彼女は、5キロか6キロしか体重が増えていないんじゃないかな。

さて、TEFLで今学期の講義スケジュールを聞いて、たまげたよ。月火木は朝9時から夕方3時過ぎまで、水金は朝8時から昼までの4時間、毎日学校に来ないといけないんだ。ひょえ〜、結構キツイなあ。確か私は聴講生のはず。なのに、院生達と一緒に全ての講義に出なきゃいけないのお?今は月曜日から土曜日まで毎日、日本語を教えているし、時間が足りないよ。。。 2004年07月02日 17時49分17秒

6月1日(火)メイドの借金依頼、まただよ
午前中に、アパートの管理人室に6月分の家賃を払いに行った。その時に、今年に入って既に2度、借金を頼んできた現在のメイドさんについて、管理人さんに相談してみた。1回目の借金申し込みは5千バーツで、2月末。この時は、事故のどさくさで断わった。2回目は5月末で3千バーツ。ある日、帰宅したら居間のテーブルの上に、借金依頼の手紙が置いてあったのだ。

1回目の借金申し込みの理由は、母が田舎に戻るのでお土産をたくさん持たせたい、だからお金が必要という嘘臭い理由だった。『母が入院して手術にお金が掛かる』という有名な定番理由じゃなかったので、少しは頭を使って考え出したのか。でも、現金収入がほとんど無いイサーンの田舎に帰るのに、5千バーツも要らないでしょ。だって、2万バーツで娘を買春宿に売る村だからね。

2回目は『とにかくお金が足りない』という理由で、苦しい現状が切々と綴られた手紙をテーブルに置かれた。タイに来たばかりの頃、最初に勤めた日系コンサル会社の運転手が、どんなにお金が足りないか、何に幾らお金が掛かるか、現状の苦しさを車に乗る度に切々と訴えるのを、当時は『可哀想に』と同情して耳を傾けたものだが、在タイが長くなるにつれ、こういった哀情たっぷりの訴えは、話半分に聞くものだと学んだ。お金が無いのに月賦で家電製品(不必要に贅沢な巨大スクリーンのテレビだったり、CDコンポだったり)を買い捲り、挙句に借金を踏み倒して一家で逃げる下層タイ人達の姿を目の当たりにして、同情する気持ちは更に吹っ飛んだ。子供のいない夫婦2人だけの生活に、1万バーツ以上も必要とするメイドさんたちの消費感覚の方がおかしいのだ。近所に月2千5百バーツのタイ人向けアパートがあり、以前のメイドさんにその部屋を見せてもらったが、40平米近くある部屋は新しくて綺麗だった。田舎に2千バーツ仕送りしたって、夫婦で月に1万バーツもあれば暮らしていけるだろう。もしかしたら、田舎の兄弟達が飲んだくれて働かず、妹夫婦の稼ぎを当てにしているのかも知れないが(最初のメイドさんが、このケースだった)そんなのは、私の知ったこっちゃない。

で、管理人さんにメイドさんがテーブルに置いていった借金申し込みの手紙を見せ、これが2度目で1度目は2月だった、その時は事故のどさくさで断わったと説明。彼はじっくりと手紙を読んで「マイディー」と一言。今年に入って2回目の借金依頼で、しかも理由があやふや。日本人は金持ちだから、金を引き出そうとしているだけじゃないのか、というのが管理人さんの意見だった。「で、どうするの?断わるのも貸すのも、貴方次第ですよ。」

3千バーツが惜しい訳じゃなくて、1度貸すと、金額と頻度がエスカレートしていくのを危惧している、と以前のメイドさんのケースを説明したら、それは悪い方の部類に入るメイドさんだね、と。月々渡しているお給金が少ないとメイドに遠まわしに言われた事も言うと、私が払っている給金は多過ぎず少な過ぎず、全く妥当な金額である事も判明。管理人さん曰く、その金額ならメイドはすぐに見つかるよ、紹介しても良いですよ、とも言ってくれて、気分が軽くなった。私の上の階の部屋は、奥さんが自分で掃除をしている、2LDKや3LDKの広いユニットでも、メイドを置かずに奥さんが一人で掃除していますよ、とも言われたが、私には奥さんがいないし(当たり前か)フローリングの床の手入れは自分じゃ出来ないし、シーツ等の交換や洗濯も大変。1回外食する程度の給金でメイドさんが雇えるなら、それに越した事は無い。ま、とりあえず今回の借金も、無視する事に決めた。それでメイドさんが腹を立てて辞めたなら、後は管理人さんが別の信頼できる人を紹介してくれるって事で、話がついた。

夕方になって、今日も大学のプラちゃんから電話が無かったので、こっちから掛けてみた。「すみません、大学院の教授の返事は、まだですか?」と聞いたらプラちゃん、「あっ!」だって。ほらね、私に連絡するのを完全に忘れてたんだよ。「○○先生からは、引き受けますとの返事を貰ってますよ。でも、まだ書類で回答をもらってないので、次の手続きには進めないんだけど。」っつーかさあ、教授から返事を貰った段階で、私に連絡くれる約束だったじゃない。おばはんの方から私に「連絡する。」って約束したんだから、ちゃんと守ってよね。全く。明日は祝日なので、あさって水曜日から登校する事になった。私を受け入れてくれたのは、TEFLコースだ。理由は簡単。全ての講義が英語でなされ、タイ語でレポートを書く必要が無いからだ。去年1年間受講した教育言語学は、必修科目の中にタイ語で受けなければならない講義もあり、コースヘッドの先生と面談した際に、院生として受け入れても卒業出来ない可能性の方が高いとの話になり、あと半年だけの聴講生という事で話は一応ついたのだが、プラちゃんの頭が固い+仕事が遅いせいで、今年度は教育言語学での聴講が不可能になってしまったのだ。で、勉強したくもなく、興味もないTEFLコースだよ。全く。。。 2004年07月02日 17時47分53秒

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