| 2011年9月5〜9日に、平成23年度科学研究費補助金(研究活動スタート支援)によって、台北の故宮博物院図書文献館に史料調査に行ってまいりました。「中国史料調査2008」のページで説明しましたように、北京の中国第一歴史档案館では原件档案が閲覧できなくなってしまい、デジタル化された档案で特に見たいものも現時点ではないので、今回は、前々から気になっていた、台湾側の軍機処議覆档について調査しようと考えた次第です。ちなみに、宿泊したのはサンルート台北です。地下一階の大戸屋でブッフェ形式の朝食をいただきましたが、まさか海外で大好物のとろろを食べられるとは思っていませんでした。 『満族史研究』第6号(2007)に掲載し、拙著にも収録した研究ノートで述べていたように、私はこれまで、中国第一歴史档案館が作成したマイクロフィルム「議覆档」を基本的に“漢文議覆档”とみなした上で、その前半部分(乾隆まで)が本来の姿の漢文議覆档であるのに対し、後半部分(道光以降)の満漢文混在の档冊は、軍機大臣からの文書での議覆が激減したために満文議覆档と漢文議覆档が一本化されたもの、と推測していました。そして、そのように档冊の性格が切り替わった時期は、台湾側の議覆档(主に嘉慶・道光・咸豊のもの)を見ればわかる、と考えていました。それゆえ、今回の調査は、切り替わった時期さえ確かめられればいいということで、実質3日間という短期のものとしたのでした。 ところが、嬉しい誤算というべきか、台湾側の議覆档は私の予想を裏切るものでした。その内容は、今後、継続調査を実施し、きちんとした活字にして公表する必要があるので、まだここでは述べられません。現時点での中途半端な知見でいいから聞きたい、という方は、個人的にお問い合わせいただければ、現時点での調査の成果について情報提供いたします。別にもったいぶるほどの内容ではないのですが、既に活字にした私見を訂正する以上は、まずはきちんと活字で新しい見解を述べなければならないと思うわけです。 あと、これは単なる散発的なトピックとして、光緒3年の議覆档に、グルカの王位継承に関する満・蔵・デーヴァナーガリー・漢の四体合璧の上諭の写しが出てきました。史料的価値の有無は私には全くわかりませんが、とりあえずコピーはとってきました。興味のある方はお問い合わせください。 この他、今回は、軍機処档冊戸部档なる档冊群(計8冊)もちらっと調査してきました。これは、嘉慶の大清会典を編纂する際に作成した档冊のようで、庫蔵、塩法などの分野について、乾隆41年から嘉慶6年までの上奏や上諭をまとめ、嘉慶8年に完成させたものです。そのひとつが「銭法上清冊」で、乾隆41年から同54年までの記事が収められています(下冊は現存しないようです。あるいは、中冊・下冊が現存しない、のかもしれません)。朱批奏摺や上諭档では見られない独自の史料が存在するかどうかはこれから確認しますが、最低でも目録的な便宜は得られると思います。ただ、規定により全体の3分の1までしかコピーできないので、とりあえずベン銅関係ははずして、乾隆末年の私鋳銭問題に関する記事をコピーしてきました(それでも3分の1を超過してしまい、10ページ削減しました)。 そんなこんなで、私の初めての台湾史料調査はそれなりの成果を得て終了しました。今後は、議覆档の継続調査を行い、議覆档の全体像を明らかにするとともに、議覆档収録の貨幣史関係档案の収集を進めたいと思います(道光の銀貴銭賤や咸豊の鈔法に関する档案の存在が今回確認されました)。 |