占領された國 日本
国 体
国体。国民体育大会のことではない。国家の体質とか国柄と言っていいかも知れない。あの『神皇正統記』の冒頭が我が国の国体を的確に表現しているのではなかろうか。
それは、「大日本(おおやまと)は神の國なり、天祖(あまつみおや)はじめて基(もとい)をひらき、日の神ながく統を伝え給う」との言葉である。
この言葉の出てくる根底には、古事記 日本書紀の神話があり、日本の歴史があるといえよう。
高天原(たかまのはら)を治めておられる天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、天孫邇邇藝命(てんそんににぎのみこと)を、この葦原の中つ国、即ちわが日本國を治めさせる為に、天上からこの地上に派遣する、即ち「天孫降臨」がなされたところに我が国の由縁がある。
この天孫降臨(てんそんこうりん)に際して大御神が述べられた
・天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅(しんちょく)、
・同床共殿(どうしょうきょうでん)の神勅とか、宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅といわれる
・斎庭稲穂(ゆにわのいなほ)の神勅
世に言う三大神勅が、日本を日本たらしめてきた根幹であり、日本の国体そのものである。
さらに、同段で天照大御神が臣下の天児屋命・太玉命に下した「侍殿防護の神勅」「神籬磐境(ひもろぎいわさか)の神勅」の二つの神勅を併せて「五大神勅」という。
この神勅を理解するところから、真の日本人の自覚が出て来る。そのような日本人によって、我が国の国体が護持されてきたのである。
歴史に根ざした日本人の自覚が、今ほど強く求められている時はない。
平泉澄博士の「国体といふことが忘れられますときには、国家はその存立の基礎を危ふくするのであります。」(『先哲を仰ぐ』「国家の命脈」405ー406頁)との名言を味読し、国家存立基盤が不安定な現状から盤石な日本国家にしたいものである。
一、「天壤無窮の神勅」(てんじょうむきゅうのしんちょく)
葦原千五百秋之瑞穂國、是吾子孫可王之地也。宜爾皇孫、就而治焉。行矣。宝祚之隆、當與天壤無窮者矣。
『書紀』天孫降臨章第1の1書
葦原の千五百秋瑞穂(ちいほあきみづほ)の国は、これ、吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。よろしく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。さきくませ。宝祚(あまつひつぎ)の隆えまさむこと、まさに天壌(あめつち)と窮り無けむ(なかるべし)。
二、「同床共殿の神勅」(「宝鏡奉斎の神勅」)
吾兒、視此宝鏡、當猶視吾。可與同床共殿、以為斎鏡
吾(あ)が児(みこ)、此の宝鏡(たからのかがみ)を視まさむこと、当に吾(あれ)を視るがごとくすべし。与(とも)に床(みゆか)を同くし殿(みあらか)を共(ひとつ)にして、斎鏡(いはひのかがみ)となすべし。
三、「斎庭稲穂の神勅」(ゆにわのいなほ)
吾(あ)が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以(も)て、亦吾(あ)が児(みこ)に御(まか)せまつるべし。
■神籬磐境(奉齋之)神勅[紀]
高皇産靈尊、よりて勅(みことのり)して曰(のたま)はく、吾(あれ)は則ち天津神籬(あまつひもろぎ)た天津磐境(あまついはさか)を起樹(た)てて、當(まさ)に吾孫(すめみま)の爲(みため)に齋(いは)ひ奉らむ。汝(いまし)、天兒屋命(あめのこやねのみこと)・太玉命(ふとたまのみこと)、宜しく天津神籬を持(たも)ちて、葦原中國(あしはらのなかつくに)に降(くだ)りて、亦吾孫(またすめみま)の爲(みため)に齋(いは)ひ奉(まつ)れと。
■防衞奉護之神勅[紀]
「天照大御神、天兒屋命(あめのこやねのみこと)・太玉命(ふとたまのみこと)に勅(みことのり)すらく、惟(ねが)はくは、爾二神(いましふたはしらのかみ)、亦(また)同じく殿(みあらか)の内に侍(さもら)ひて、善く防(ほせ)ぎ護(まも)ることを爲(な)せ」と。
上記の神勅等が基となり、日本の国体が形成されていく。
その国体の眼目の中に宮中祭祀 神社祭祀 神宮祭祀がある。
ことに宮中祭祀、神宮祭祀は皇室と切っても切れない関係があり、これを理解しないと本当の意味での国体理解者とはならない。
又、神社祭祀は、国民の精神生活の上で欠くべからざる存在であり、日本精神の核となっている。
宮中祭祀(皇室祭祀)
宮中において行われる祭祀のことである。この祭祀のよってきたる由縁となっているのは、上記二の「同床共殿の神勅」(「宝鏡奉斎の神勅」)である。
宮中祭祀は、万世一系の天皇が代々これを継承されて今日に至っている。その由来は極めて古く、我が國体と不可分の関係を有している。
祭る第一の神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)である。大御神は、皇室の皇祖(こうそ)であり、国民の大御親神であらせられる。