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マニフェストのあるべき姿かな
映画『子猫をお願い』 2004.7.1. Wac@映画生活に投稿 改稿2004.9.7.
始まって1,2分、タイトルが出るころにはもうノックアウトされていたんだけれど、過酷なのはそれからなのだった。
あっという間に少女たちの生活圏に引きずり込む手練手管。で、生活圏は世界へ世界へと抉じ開けられていくんだ、知らず知らずのかの女たちの歩みにのせられて。
老練ではなく、さりとてしゃかりきでもなく、ましてや鼻白むことも知らない。
孤独を背負い込んで一歩一歩踏み出すことは、アイデンティティを世界に投げつけ、また引っぺがす繰り返し。
でも、経済的自立の意味するところは、生まれ変わりつつ、サヴァイヴァルすること。
この映画自体がまるで、その作業そのもの。固有の映画たらんとするよう、映画が生まれつつある時、既に一分一秒のサヴァイヴァルを強いられているのだ。
仁川の閉塞した空気が、果てしなく続いていくような無限の世界へ膨張していく。
未来は君たちのものだけれど、わたくしたちは、ちゃんと置いていかれるのね。さようなら。
少女5人の生き様はどれもが痛い輝きを放っているけれど、ペ・ドゥナさんの動物的な魅力が炸裂というか、大爆発していて、登場する子猫を凌ぐ勢いなものだから、どうしようもなく際立ってしまう。
それが、この世界へのジャンプを一層高らかなものにしていることには違いないが、チョン・ジェウン監督がそれだけ腹をくくって鷲掴みにして、全身全霊で投擲してくる全き世界を、わたくしは正面から確実にキャッチすることが出来ない。
ああ、こんな世界観もあるのだなぁ、などと感心している訳にはいかないのである。
少女たちは、一見普遍を体現するかのようだし、どこかわが国のフリーター階級をも映し出しているかにも見えるが、何しろ、(韓国の)女子商業高校を出たての、大学に進学する選択肢など無い、実刑判決のような突端の刻を生き抜こうとしているのだ。
この映画を到るところで元東大総長が絶賛していることの、断固たる政治性にもう少し繊細に付き合いたい。
だが、全身で受け止められないものに、恐れ多くも全面共感などとは言われないのですよ。堪忍してください。
ペ・ドゥナさんが、ギョーザみたいなものを食べさせられるシーンが大好きだ。この人はまるでフランコ・チッティのような神話性を纏っているよ。どうしよう。
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映画『子猫をお願い』(2001、チョン・ジェウン監督 Take
Care of My Cat)
2004.6.30.ユーロスペース2にて
ペ・ドゥナさんのオフィシャル・ホームページ(何でそこにリンク張るか!)
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ペ・ドゥナさんと動物
元稿を映画生活に投稿してから、HN:kusukusuさんから、ペ・ドゥナさんの主演作は犬、猫、クマなど動物がタイトルに含まれるものが多く、動物に縁があるのか、と指摘されました。
いや、全くなるほどその通りです。わたくしは、この『子猫をお願い』がペ・ドゥナさんの初体験だったのですが、その後、『ほえる犬は噛まない』(2000、ポン・ジュノ監督)も観ました。
確かにこの映画でも、既に動物的な魅力は大爆走していますね。だからやっぱり縁があるんですよ。動物には。だって、普通映画に登場する動物って手ごわくって、俳優さんを食っちゃうでしょう。ペ・ドゥナさんは逆。完全に、動物を喰っちゃってる。(食べてないですけど、勿論。)表情も仕草もほば全身全力だし。一度走り出したら、止められるものなんて(ある例外を除いて)あったもんじゃありません。本当に全身で生きてますっていう感じです。容姿や仕草などだけ取り出せば、日本にも似たタイプの女優さんもいるかもしれませんが、その存在感やセンサー(猫でいう髭の部分)に関しては、比べられる人を知りません。
この『子猫をお願い』でも、野良猫の散歩のように世界が広がっていきますよね。
今後ちょっと目が離せません。
わたくしがフランコ・チッティ氏を引き合いに出したのは、非常に恣意的かつ独善的な喩えのように思われたかもしれませんが、要するにその存在感が人間離れしているってことが言いたかったのです。だから神話性を纏っていると。
ちなみに、フランコ・チッティ氏はパゾリーニ監督のデヴュー作『アッカトーネ』で主役に抜擢されたスラム街の一チンピラだった人物で、後のパゾリーニ作品ではオイディプス王を演じるなど重要な俳優として活躍しました。
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