2006-2007年までチックスの公式ブロガーを勤めたジュンイチ・セミツさん。彼のたくさんの記事のうち、前回のグラミー賞に続いて
今回はアンドレアさんという女性についてのものを翻訳しました。
元の記事はこちら
THE EVOLUTION OF AN ANTI-DIXIE CHICKS PROTESTER by Junichi P. Semitsu


ディクシーチックスに抗議した彼女が、学んだこ



子供に人を憎むことを教えた母親のストーリー
20071215日 文・写真 ジュンイチ・セミツ 

200355日の午後、アンドレア・SはディクシーチックスのCDを踏みつけながら
自分の2歳の息子に向かって言った。「くたばれチックスって言ってごらん!」

その時自分の人生が永遠に変わってしまったとは、彼女は知る由もなかった。
ディクシーチックスの人生もその時に変わってしまった。

4年前アメリカ合衆国はイラク侵攻を開始。同じ頃ナタリー・メインズは司令長官(大統領)を
" 外国滞在中に " 批判したことで、非難の的になった。
アンドレアの友人はフロリダ州タンパで地元のトーク専門のラジオ番組を制作しており、
チックスの抗議集会をやるからこないかとアンドレアを誘ってきた。
場所はセント・ピートタイムズフォーラムの前。トップ・オブ・ザ・ワールドツアーで
全米をまわるチックスの、次のコンサート会場だった。

2歳になる息子のコナーを連れたアンドレアは、行こうかどうか考えた。場所が家から近かったので、
彼女は行くことにした。というよりも、何をやるのか興味があったのだ。アンドレアはナタリーの発言
に関しては、軍に従事している人たちへの裏切りのような気がしてあまり好きではなかった。
しかしチックスを嫌いと思ったことは一度もなかった。

彼女は友人の誘いを尊重して、集会に行くことにした。のちの彼女自身の言葉で言えば、
「羊」のように行動したのだ。何も考えず他人についていって同じことをする、レミングのように。
彼女にはとりたてて支持政党や政治的な考えは無かった。
事実、共和党と民主党の違いさえほとんど知らなかった。

集会の会場に着くと、行き交う巨大なプラカードと繰り返されるチックス非難のスローガンに圧倒された。
そして彼女はその大騒ぎに加わった。誇らしげに国旗を振り、CDを踏みつけ、腕に息子を抱いて国家を歌った。
地元メディアが集会の様子を撮影し始めると、騒ぎはますますヒートアップした。
唯一子供を抱いて参加していたアンドレアの元に、数台のカメラが集まってきた。



仲間とともに彼女の抗議も熱を帯び始め、一斉に「くたばれチックス!」と言うと、アンドレアに複数のカメラが
焦点を合わせた。そして彼女は息子にもそれを言うよう促した。コナーは母親の言葉を繰り返さなかった。
彼がその時話せたのは、"ママ" "ミルク" "ねこ"というような基本的な言葉だけだったからだ。

翌日、アンドレアとコナーが国旗を振る姿がセントピーターズバーグ・タイムスの紙面を飾った。
しかし実際に歴史の行方を変えたのは、ニュースのビデオ映像のほうだった。

ディクシーチックスはニュースでそれを見て、打ちのめされた。
母親が息子に、自分たちを憎むよう命令するその姿が胸に焼きついた。
エミリー、ナタリー、そしてマーティーにとってそれは、
その後数年に渡って抱き続けなければならない怒りとなって心に残った。

ナタリーはCNNのラリー・キングライブに出演した際、その映像を見たときの気持ちを言葉にした。

「それから悲しいことが起きたわ。集会で子供たちがCDを踏みつけてたり、2歳児を抱いた母親がコンサート会場の外で
"くたばれチックス、くたばれチックス"って言うのを見たわ。彼女はそれから自分の子供に向かって
"くたばれチックスって言ってごらん"って言ったのよ。あれを見たときはもう、叫んでしまったわ。
だって、人が誰かを憎むことを学ぶ瞬間を目撃したのよ。あんな形の憎しみがあるだなんて思いもしなかった」。

チックスは別のインタビューで、一連の騒動で最も落ち込んだのは、アンドレアが息子に憎むことを教えるのを
見た時だったと言っている。彼女たちにとって殺人予告を受けるよりも耐え難いことだった。

チックスはこの気持ちを、のちにグラミー賞最優秀楽曲およびレコード賞を受賞する
"Not Ready To Make Nice"にぶつけた。この曲で最も盛り上がる部分ではこのように歌っている。

会ったこともない人を 憎めと
母親が娘に教えてる なんて悲しい話なの
(もちろん、子供の性別はチックスの意図によって変えられている)

アンドレアの映像は次第に重大な意味を持ち始め、ついにはディクシーチックスの
ドキュメンタリー映画"Shut Up and Sing"にも登場する。

2006年に友人が電話でアンドレアに「あなたとコナーが"オプラ(米で高視聴率のトーク番組)"に出たって知ってるの?」と知らせるまで、
彼女は事態に気づいていなかった。友人の言ったのが何のことだかもさっぱり分からなかった。
番組に出演したチックスが、"事件"へのリアクションを記録したこの映画について話していたのだ。
そしてまさに、オプラで紹介されたクリップのうちのひとつに、アンドレアとコナーが映っていた。

アンドレアはショックを受けた。あまりのショックで、彼女自身がその映像をしばらく見れなかった。
やっと勇気を振り絞って見たとき、彼女は自分の見たものにぞっとした。「穴があったら10年は隠れていたい」と思った。
自分が「無学で、字も読めなくて、太っていて、頭ごなしに物事を決め付ける、典型的な貧乏白人」に見えることに辟易した。
そして息子が10年後にこれを見たときどう思うか考えると怖くなった。



そしてついに"Not Ready To Make Nice"を聞いて"Shut Up and Sing"も観た時、彼女はさらに罪悪感でいっぱいになった。
自分がしたことでチックスに辛い思いをさせたことを考えると、アンドレアは何度も涙を流して泣いた。時が経っても
悲しみと後悔の気持ちは癒されない。自分と同じように子を持つ母親を、そんな風に感じさせたことがやりきれなかった。
"あんなふうにはなりたくないわ"と言って、自分を悪い手本にしてくれる人がいるんじゃないかと
考えた時だけ、気持ちが楽になった。

スクリーンに映し出された彼女自身の「醜い」姿からようやく立ち直ると、彼女は息子のために良い手本になることを誓った。
決め付けず、その人の意見を尊重し、尊敬を持って人々に接すること。彼女は世の中で起きていることを知るために
時間を費やし、自分の頭で考えることを学んだ。数ヶ月の後に、異議を唱えることも国旗を振ることも、同じように
アメリカ人であることなのだと考えるようになった。そしてもう付いて行くだけの羊ではなくなった。

そして時が経ったが、アンドレアにはまだやるべきことが残っていた。ディクシーチックスに謝ることだった。
連絡手段が分からなかったのでオプラやNPRなどのメディアに尋ねてみたが、どこからも情報は得られなかった。
チックスへの謝罪の機会が閉ざされようとしていた時、彼女はこのウェブサイトを見つけ僕にメールをした。
事の一部始終を話した後、僕がチックスに彼女の言葉を届けようと申し出ると、喜んで同意した(この記事を書くことも)。

僕は先月チックスと会ってアンドレアのことを話し、彼女からの長いメールをプリントアウトしたものを渡した。
最初にそれを読んだのはナタリーだった。彼女はそれを、じっと黙って読み続けた。

僕はナタリーが泣いたのを二回見た。一回はグラミー賞を受賞した時。
そして後の一回は、彼女がアンドレアからの手紙を読み終えた時だ。

ナタリーはアンドレアの成長、告白、謝罪に心を動かされた、と言うだけにしておこう。
チックスとは本当にたくさんの時間を一緒に過ごしたが、手紙を読んだ後のナタリーの様子は僕の心にとても強く残った。
マーティーとエミリーも手紙を読み、ナタリーと同じような様子を見せた。
子供に人を憎むことを教える母親が一人でも減ったことを、チックスは喜んだに違いない。

僕はアンドレアに、チックス(とその家族も)が謝罪の手紙を読んだことを伝えた。
彼女は心の重荷が取れたかのような、大きなため息をついた。
「ありがとう」彼女はそう言って、自ら汚点と呼んだ人生の一幕を閉じた。

現在31歳になるアンドレアは今でもフロリダに住み、マッサージセラピストとして働いている。息子のコナーは7歳になった。
周りの人に"Shut Up and Sing"(彼女はDVDを持っている)見たよ、と言われると、アンドレアはこう答える。
「あれは以前の私で、今はもう違う。本当に勉強になった。感謝してるわ」

確かに、母が子に人を憎むことを教えるなんて本当に悲しい話だ。しかしアンドレアの場合はハッピーエンドになった。



その母と子は、発言の自由という基本的な権利を今でも行使している。集会にはたくさん行ったそうだ。
なぜなら、「発言するのが好きだから」。でももうディクシーチックスのCDを踏みつけたりはしない。

20071月、アンドレアとコナーはワシントンDCで胸を張って行進に参加した。戦争の終結を求めて。
行進への行き帰りに二人がカーステレオのボリュームを上げて一緒に歌ったのは、ディクシーチックスの曲だった。


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