遺伝子組み換え作物
遺伝子組み換え作物の栽培は、1996年北米とアルゼンチンで始まり、栽培面積は急激に増して、現在は1億ha以上に及んでいます。これはわが国の耕地面積の
約20倍の広さです。果実の成熟期の調節、光合成能の改変、耐冷性、病害虫抵抗性、除草剤耐性などさまざまな形質を導入した作物が開発され、一部は商業栽培されていますが、このうちで最も多く栽培されているのは害虫抵抗性および除草剤耐性の組み換え作物です。作物としては、ダイズ、トウモロコシ、ワタ、ナタネで、全体の99%を占めています。アメリカのダイズの90%、トウモロコシの75%、カナダのナタネの80%は遺伝子組み換え作物です。北・南米をはじめ世界22ヶ国で遺伝子組み換え作物は栽培されていますが、EUと日本ではほとんど栽培されていません。
EU加盟国では、スペインとフランスの一部で組み換えトウモロコシが栽培されていますが、栽培面積
はEU全体のトウモロコシ栽培の2%以下に過ぎません。日本では、花卉を除いて栽培実績はまったくありません。では、どうして国によって、このような違いがあるのでしょうか?最近、
Nature誌に、EUでの遺伝子組み換え作物の動向が掲載されていましたので、ここで遺伝子組み換え作物について考えて見ましょう。
1. 害虫抵抗性作物
日本で養蚕が盛んな頃、卒倒病として恐れられていたカイコの病気があります。この病原体
がBacillus sottoと呼ばれる細菌で、これに近縁
のBacillus thuringiensis(Bt)という細菌が広く昆虫類に病原菌として存在することが分かりました。Btは細胞内に結晶性のタンパクを作り、このタンパクが昆虫に毒性を発揮します。このタンパクの遺伝子を一部改変して、植物体に導入し、植物がこの昆虫毒性タンパクを作るようにしたものが、害虫抵抗性作物です。Btには多くの系統があり、昆虫種によりBtの系統が違うので、害虫の種に応じて最適系統の遺伝子が植物に導入されています。最近は、これ以外に毒性のある非結晶性タンパクの研究も進められています。
2. 除草剤耐性作物
除草剤耐性作物ではグリホサート、グルホシネートといった非選択性の除草剤に耐性の作物が主流です。これらの除草剤は、植物にとって重要なアミノ酸の合成に必須の酵素タンパクを阻害することによって植物を枯死させます。植物によっては、これらの除草剤に全く影響を受けないものもあります。このような植物では、この酵素タンパクは同じ機能を持っていますが、構造が少し違っているため除草剤が結合できないからです。この除草剤に反応しない植物から酵素タンパクの遺伝子をとり、これを導入したものが除草剤耐性作物です。これらの除草剤は非選択性であるため、雑草ばかりでなくトウモロコシやダイズなどの作物も枯らしてしまうので、作物が生育している間は使用できません。遺伝子組み換え作物は、これらの除草剤に反応しないので、いつの時期にも除草剤の使用が可能です。
3. 遺伝子組み換え作物の安全性評価
それぞれの国が定めた安全性評価試験を経た上で、遺伝子組み換え食品の輸入や組み換え作物の栽培が許可されます。
例として、アメリカで害虫抵抗性トウモロコシの認可で義務付けられている安全性評価についてみてみましょう。
1. 人の健康への影響:アレルギーも含めて精査されます。
2. 非標的生物・環境への影響:非標的生物はオオカバマダラ(チョウ)、ミツバチ、クサカゲロウ、テントウムシ、寄生バチ、トビムシ、ミミズ、ミジンコ、コリンウズラ、ハツカネズミなどで、これらに及ぼす悪影響を調べます。
3. 遺伝子流動による近縁野生植物への影響:花粉を通じて、導入遺伝子が近縁野生種に流動するかどうかを調べます。
さらに、抵抗性管理として
4. 非組み換えトウモロコシの栽培(緩衝帯):害虫が毒性タンパクに抵抗性を獲得するのを防ぐために、組み換え作物の近傍に、その20-50%の面積の非組み換え作物栽培帯を設け、組み換え、非組み換え帯で育った害虫が自由に交配できるようにします。このようにすると、抵抗性遺伝子は薄まって、群としての抵抗性の発達が進みません。
5. 抵抗性発達のモニタリング調査
6. 抵抗性の発達が確認された場合の救済措置:抵抗性が認められた場合に、どのような措置をとるか、具体的計画の提出が求められています。
その他の作物、除草剤耐性作物でも、ほぼ同じような審査が行われますが、必要に応じて審査項目の追加および削除が行われるようです。
EUでは、EU全体としての枠組み(指令)と加盟国独自の規制があります。安全性の評価はアメリカとほぼ同じですが、2001年に組み換え作物の栽培許可に関する新しいルールが作られ、組み換え作物の生態系に及ぼす長期の累計的影響や間接的影響を重視することが明記されました。それ故に、このルールのもとで栽培の許可を受けた作物は1例もありません。
日本も欧米とほぼ同じと考えてよいのですが、有用昆虫や土壌生物種への影響あるいは害虫の抵抗性発達の管理対策が求められていません。
4. 組み換え作物の環境に及ぼす影響
1996年に組み換え作物の大規模な商業栽培が始まって以来、組み換え作物や組み換え食品に対する懸念や拒否行動が世界各地で高まっています。この原因は、昆虫など非標的生物への悪影響、土壌生態系への悪影響、抵抗性の発達、耐乾性・耐塩性作物の雑草化、近縁野生生物との交雑、予期しない遺伝子の発現などに関して、1998年以降トピック的に報告された事例を根拠とし、これが一人歩きしたためです。それ以後、組み換え作物問題は「科学的問題」から「社会的問題」に移行してきました。これらの環境影響についてのいくつかの例を紹介しましょう。
1.害虫抵抗性作物の環境に及ぼす影響
1999年Loseyらは、Btトウモロコシの花粉飛散により、オオカバマダラの幼虫が悪影響を受けるということを報告し、世界中に大きな衝撃を与えました。彼らの実験は誠にお粗末なもので、野外で飛散する花粉量をはるかに超えた量のBt花粉を実験室内で幼虫に与え、その後の生長や死亡を観察したものです。この実験は、その後の詳細な追試により完全に否定されています。
現在栽培されているBtトウモロコシの花粉に含まれるBt毒素タンパクは0.09 mg/g程度で、この花粉1,000
粒/cm2をトウワタの葉に付けてオオカバマダラ幼虫に与えても影響は全くありません。野外で、最も多く花粉が飛散しても、葉に付く花粉は20
粒/cm2程度ですので、オオカバマダラ幼虫の成育に影響するとは考えられません。
2. 土壌生態系に及ぼす悪影響
1999年SaxenaらはBtトウモロコシを栽培すると、Bt毒素は土壌中の有機物質と結合して、長期間生物活性を保持するため、土壌生物相に悪影響を及ぼすことを報告しました。しかしその後の追試の結果、Bt毒素は土壌中で急速に分解し、土壌生物には全く影響しないことが確かめられています。
3. 近縁植物との交雑による悪影響
組み換え作物が近縁な野生種と交雑して、生態系の遺伝的撹乱や新たな形質を獲得したスーパー雑草の出現が懸念されています。日本にはトウモロコシ、イネの野生種は存在しないので問題は生じませんが、ダイズの近縁種としてツルマメが存在します。ダイズは自家授粉ですので、交雑する確率は低いと考えられますが、ツルマメの分布する近傍では栽培に注意する必要があります。しかし、ナタネなどで組み換え作物と野生種との交雑が認められてはいますが、このような交雑種は自然界での適応度が低いので(他の個体よりも弱いので)、組み換え作物が野生植物集団に悪影響を及ぼした例は報告されていません。
むしろ同種の非組み換え作物との交雑が懸念されています。アメリカでは、有機農産物を求める消費者から組み換え作物の栽培が拒否されています。遺伝子を組み換えた牧草やシバが花粉や種子を通じて非組み換え牧草やシバ栽培地に広まると、イメージダウンになるというので、裁判沙汰になっています。日本でも組み換えイネやダイズの試験的な野外栽培に対して市民団体や生産者から強い抵抗が起こり、栽培が中止されています。これは食品が「組み換え体でない」ことを消費者にアピールして、付加価値を付けているためで、科学的な根拠から拒否しているものではありません。このような消費者意識が組み換え作物の導入を阻む最大の障壁となっているようです。
4. 除草剤耐性作物の環境に及ぼす影響
グリホサートやグルホシネートなどの非選択性除草剤は作物の生育期間中は散布できませんが、組み換え作物の栽培では、これらの除草剤の散布時期の制約はありません。そのため雑草相が貧弱となり、これらの雑草に依存する昆虫類、さらにこれらの昆虫を摂食する鳥類や小動物などに影響することが示唆されました。詳細な調査の結果、作物の種類によっては、実際に農耕地生態系の植物および動物相に影響が見られています。このような作物の栽培では間接的な環境影響を最小限にする必要があり、研究が進められています。
最近、グリホサートやグルホシネートに耐性の雑草が出現しているようです。まだ問題となるほど抵抗性は進んでいないようですが、将来は抵抗性が発達してくる可能性は高いと考えられます。その対策として、作用機構の異なるブロモキシニル耐性組み換え作物の開発が進められています。
5. 最近のEUの動き
組み換え作物に対して「組み換え作物や食品についてはまだわからないことが多いので、これを栽培あるいは食すのは危険である」と懸念する意見と実験や野外調査から得た「現段階での知見」を基にこれを支持する意見とが対立しています。
EUはまさにこの2つの意見の対立で揺れています。
EUでは遺伝子組み換え医薬品は多く承認されていますが、組み換え作物の栽培は
Btトウモロコシ
1品種が認められているに過ぎません。この品種も2001年のルール改正前に承認されたもので、スペインとフランスで僅かに栽培されている程度です。2001年以降は1品種も栽培は許可されていません。
2007年11月、新たに申請された2品種の害虫抵抗性作物と除草剤耐性作物の栽培許可申請がヨーロッパ委員会で拒否され、アメリカとの摩擦となっています。
EUで組み換え作物の栽培許可をとるには、ヨーロッパ委員会に申請しなければなりません。ヨーロッパ委員会は、安全性評価をヨーロッパ食品安全機関に依頼し、科学的評価結果に基づいて結論を出すことになっていますが、今回申請された2品種については、ヨーロッパ食品安全機関の評価を無視して結論を出したことで、ヨーロッパ委員会の中での対立が生じてしまいました。ヨーロッパ委員会の委員長であるDimasはヨーロッパ食品安全機関からの科学的アドバイスを無視し、環境に対してリスクがあるという報告のみを重視して拒否の結論を出したわけです。これに対して、他の委員からクレームがつき、両者の議論が続いています。最終的にはDimasの結論は覆される可能性が高いということです。
ヨーロッパ委員会がゴーサインを出しても、加盟国がこれに従うとは限りません。加盟国の国民の一部に、科学的な「安全」よりも感覚的な「安心」を求める声が大きく、これが「組み換え作物反対」の声になっているからです。従って、加盟国政府は科学的判断よりも政治的判断を迫られています。オーストリアは組み換え作物の栽培はもとより組み換え食品の輸入も禁止しています。フランスのサルコジ大統領は環境重視を打ち出し、ヨーロッパ委員会と対決する姿勢を見せています。このような状況から見て、
EUが組み換え作物の栽培に踏み切るのはまだまだ時間が掛かると考えられます。
6. 日本の状況
イネゲノムの解読は日本が主導し多大な投資を行って、すばらしい研究成果をあげてきました。しかし、この成果を遺伝子組み換えイネの開発に利用することには二の足を踏んでいます。日本は組み換え技術に関する諸規制が厳しく、また組み換え農産物が国内市場に受け入れられないことが大きな理由で、組み換え作物の研究・開発から撤退した企業も多くあります。研究成果は世界共有財産として誰でも利用できますので、日本が手をこまねいている間に他の国に一方的に利用されてしまいます。そればかりか、遺伝子組み換え技術で世界に遅れをとることが懸念されます。日本はトウモロコシの90%、ナタネ
の80%を遺伝子組み換えを許可しているアメリカ およびカナダから輸入していて、遺伝子組み換え食品は私たちの生活に深く関与しているにも拘わらず、国民の間に十分な認識がないことが残念です。
2008年6月30日の読売新聞によりますと、米国の農家は、手間のかかる非遺伝子組み換えダイズの栽培をやめて、除草剤耐性ダイズに変えています。
1996年に遺伝子組み換えダイズの生産が始まって以来、非組み換えダイズの栽培は年々減り、今年は
1割まで落ち込んでいるとのことです。
食用ダイズの国内消費は年間約100万トンで、その内の80%を米国から輸入しています。
日本では、組み換え食品を食べることに不安を感じる人が66%いるため、食品メーカーは非組み換え体を調達していますが、非組み換えダイズの入手は年々困難になっています。
トウモロコシも非組み換え体は27%程度ですが、トウモロコシは他家授粉なので、非組み換え体の管理が難しく、その栽培も減少しつつあります。
7. 遺伝子組み換え作物の栽培状況
2007年現在、1億1,400万ヘクタール以上の遺伝子組み換え(GM)作物が栽培されています。主な作物はダイズ、トウモロコシ、ワタ、ナタネです。どの国が、どんな作物を栽培しているか?世界のGM作物の99%を生産しているトップ8カ国を紹介します。
@ 米国(栽培面積:5,770万ヘクタール)
ダイズとトウモロコシが2大GM作物です。除草剤抵抗性作物の栽培が広まったため、19州で除草剤グリホサート抵抗性雑草が見られ、除草剤の使用量が増え、例えば、ダイズ栽培に用いられる除草剤グリホサ−トのエーカー当たりの使用量は1996年の2倍以上となっています。
A アルゼンチン(栽培面積:1,910万ヘクタール)
1996年にGM技術を導入して以来、アルゼンチンでは従来の非組み換えダイズ品種は実質的に栽培していません。トップクラスのGM作物生産国でありながら、モンサント社の除草剤耐性ダイズを認可していません。ブラックマーケットから得た種子を用いているようです。
B ブラジル(栽培面積:1,500万ヘクタール)
トウモロコシの輸出では、世界第3位ですが、生産量でも、米国、アルゼンチンの
2大生産国に迫ろうとしています。2008年2月、ブラジル政府は新たに2種のGM作物品種の栽培を承認しました。
C カナダ(栽培面積:700万ヘクタール)
ナタネ輸出の第1位ですが、さらにGMナタネの栽培面積を、
2006-2007年の15%1増に増やしています。
GM品種はカナダのナタネ生産の約90%を占めており、これがバイオ燃料産業を活気づけています。
D インド(栽培面積:620万ヘクタール)
インドはGMワタの栽培では世界第一ですが、GM食用作物は商業栽培をしないで、輸入しています。現在害虫抵抗性のGMナスを試験的に野外栽培しており、これが最初の
GM食用作物となるかもしれません。
E 中国(栽培面積:380万ヘクタール)
中国では、政府が主体となってGM研究プログラムを進めてきました。現在、ワタ、コメ、トウモロコシ、コムギなど少なくとも12種の食用作物の野外試験栽培が実施されています。
F パラグアイ(栽培面積:260万ヘクタール)
パラグアイでは、2004年まではGMダイズの栽培を認めていませんでした。その後GMダイズの栽培が始まり、現在は全ダイズ作付面積の半分以上となっています。
その94%は除草剤抵抗性ダイズです。独自の安全性に関する法律を持っていないので、主な取引国であるブラジルの法律を適用しています。
G 南アフリカ(栽培面積:180万ヘクタール)
アフリカ大陸で、唯一商業GM作物を承認している国です。アフリカ南部でのGM規制の標準化を押し進めています。2008年3月ケニヤ(GM作物を承認していない)へ向けた南アフリカのトウモロコシ種子にGM種子が混入していることが発見され、問題となっています。
8. 遺伝子組み換え技術の応用
これまで遺伝子組み換え技術の農業面での応用は、生産者に有利な害虫や除草剤に抵抗性の作物に限られてきましたが、現在は消費者に有利となる作物への応用にも目が向けられてきています。現在どんな研究が進められているか、いくつかの例を示しました。
1. バイラス病に抵抗性のパパイヤ
パパイアには、ringspot virusを病原菌とするバイラス病があり、これに罹ると果実は変形し、終には木が枯れてしまいます。このバイラス病に抵抗性の遺伝子を導入したGMパパイヤが、ハワイで始めて商業栽培され、バイラス病害からパパイヤ産業を救ってきました。このGMパパイヤは安全性においても10年間の実績をもっています。しかし、ハワイ以外でのGMパパイヤの将来性は不透明です。このバイラスはパパイヤが栽培されている所ではどこでも脅威となっていますが、環境グループが、
GMパパイヤの栽培に強く反対しているからです。反対の理由は、このバイラスが作るタンパクに対するアレルギーと在来種への遺伝子汚染ですが、これらの脅威の確たる証拠はありません。
現在GMパパイヤはフィリピン、ベトナム、タイワン、マレーシアなどで研究され、試験栽培も始まっています。最終的にGMパパイヤを受け入れるか否かは、政治と経済に依存しています。ブラジルは、パパイヤをヨーロッパや日本(遺伝子組み換え作物を否定している)に輸出しているので、GMパパイヤを栽培することはないでしょう。これとは反対に、メキシコはGM作物を容認している米国が主な輸出国なので、GMパパイヤの栽培が許可されるでしょう。2004年、グリーンピースの反対で、タイ政府はGMパパイヤの試験栽培を中止しましたが、
中国がGM作物の規制を解除すれば、タイはGMパパイヤの規制を弱めると考えられています。
2. 黄金米によって、ビタミンA欠乏を防ぐ
1999年、ドイツの植物バイオテクノロジストPotrykus教授らが、種子中にベーターカロチン(体内でビタミンAに変わる物質)という分子を生産するコメ品種を作出しました。ラッパスイセンから、ベーターカロチンの産出に必要な遺伝子を取り出し、これをイネに導入したもので、コメが、ベーターカロチンを含んでいるために、黄金色をしていることから「黄金米、ゴールデンライス」と名付けられました。
黄金米はビタミンA欠乏を解消するのに画期的な効果を持つと考えらています。発展途上国では、
毎年2億5,000万人の子供たちがビタミン
A欠乏により、網膜や角膜の障害を持ち、はしかや他の感染症にも罹りやすくなり、命を落としているということです。WHOによると、毎年25-50万人の子供たちが視力を失い、その半数は死亡しているとのことです。肉、バター、ミルク以外にもトマトやニンジンなどの野菜に
ビタミンAあるいはその前駆物質であるベーターカロチンが含まれていますが、貧しい国の多くの家庭では、これらを十分に摂ることができません。コメの胚乳にベーターカロチンを含む品種ができれば、
これはビタミンA欠乏症の解決に大きく貢献することでしょう。
ベータカロチンはイネの緑の部分には含まれていますが、種子(胚乳)にこれを含む品種はありません。従って、従来の掛け合わせによる育種法ではこのようなコメを作ることはできません。イネの種子中で、ベーターカロチンの生産に必要な酵素を発現させる遺伝子組み換え技術によって黄金米は作出されました。
それから約10年を経た今も、黄金米は未だに見込みの状態にあり続けています。
ビタミンA欠乏症に効果はあっても、GM作物栽培の反対運動によって、黄金米は普及していません。生産者や農薬企業に利のある従来の遺伝子組み換え作物と違って、黄金米は発展途上国の貧しい消費者のために作られた作物なので、グリーンピースのような遺伝子組み換えに反対する団体も、黄金米に反対するにはある種のジレンマがありましたが、「この程度のベーターカロチン含有量では、何の役にもたたない」との理由をつけて反対運動を続けてきました。他方では、ベーターカロチンの含有量を高める研究が進められ、トウモロコシの遺伝子を用いることによって、従来の
20倍以上のベーターカロチンを含有する品種が作られています。
それでも、ビタミンAを含む食品やサプルメントを支給したり、ニンジンなどの野菜を育てる技術を教えたりする方が、問題の解決には期待が持てると反対者たちは主張しています。
2008年4月、フィリピンの国際イネ研究所の研究者が、黄金米の野外試験栽培を開始しました。しかし、これが実際に栽培される日はまだ先のことのようです。
3. 植物が作る医薬品
20年前、治療用タンパク、抗体、ワクチンなどを広く植物から安価に作り出すことを、多くの研究者が心に抱いていました。これを行うには、標的とする遺伝子を取り出し、Agrobacteriumというバクテリアに導入すします。このバクテリアは容易に植物に感染し、その遺伝子を植物遺伝子に移して、標的タンパクを作ります。そればかりでなく、この遺伝子は植物遺伝子の一部となり、次の世代へと受け継がれ、あたかも自分の遺伝子のごとく、外来タンパクを大量に生産します。例えば、ワクチンを作るよう操作されたジャガイモは、「食べるワクチン」として、特に発展途上国では有望であると考えられました。
しかし、これには技術的な問題以外に、「GM植物が圃場から逃げ出し、食用作物に悪影響を及ぼす可能性がある」という反対運動により、その後の研究は進みませんでした。
その後、十分な量の機能性タンパク(薬品)が安定して得られ、しかも導入遺伝子が野外に流失しないことを目指した研究が広く行われ、いくつかの薬品が臨床試験の段階まで進んできています。その一つがゴーシェ病の薬です。ゴーシェ病とは、酵素(glucocerebrosidase)の欠損のために起こる先天的代謝障害で、肝臓や骨に異常が出ます。この患者は2週間おきに、この酵素を注射しなければなりませんが、これに
年間20万ドルの費用が掛かります。
イスラエルのProtalix 社は、この酵素を、GMニンジン細胞の培養で生産することに成功しました。人の培養細胞で生産するよりも安価で、副作用も少ないようです。この薬剤が認可されれば、多くの患者が救われることになります。
4. ブドウゲノムの解析
ブドウは全ゲノムが解読された最初の果実植物で、4番目の顕花植物です。経済的には世界でトップの果実で、生食あるいは干しブドウ、ジュース、ワインとして世界中で愛されています。
19世紀の終わり、吸汁昆虫のフィロキセラ(ブドウネアブラムシ)が北米からヨーロッパに入り、ヨーロッパのワイン産業は激甚な被害を蒙りましたが、フィロキセラ抵抗性のブドウを台木にすることによりそれを解決しました。現在ワイン産業は、同じく北米からヨーロッパに入った「べと病」と「うどんこ病」という新しい脅威と闘っています。ワイン用のブドウ畑はヨーロッパの農地の約5%に過ぎませんが、これに用いられる殺菌剤は
全体の70%に及びます。
ブドウのゲノム解析を行う主な目的の一つは、ゲノム情報から、これらの病気や害虫、あるいは乾燥などに対して強いブドウを作り出すことです。しかし、ブドウ栽培学がゲノム時代に入っても、ワイン産業、特にヨーロッパの保守的な企業、が従来の育種法を遺伝子組み換え(GM)育種に変える勇気があるかどうかが問題です。ワインの消費者、特に高級ワインの消費者、にとっては歴史と伝統が非常に大切で、GMブドウから作ったワインは、彼らの心を著しく傷つけることとなるようです。
世界中には夥しい数のワインがありますが、一つの種Vitis viniferaの果汁から作られます。何世紀にもわたるV. viniferaの育種のお陰で7,000種の栽培品種があり、これらから、赤ワインから白ワインまで、いろいろな味、香り、色のワインを作ることができます。
このV. viniferaのゲノム解析は1990年代の中頃から始まりました。最初の目的は各種ブドウ品種を見分けるのに遺伝子を用いることでした。
Chardonnary、Cabernet Sauvibnon、Pinot Noirなどの優良品種も、遺伝子以外の方法では見分けがつきにくいとのことです。違った品種から作られるワインの値段は著しく違うので、ビジネス上では、正しく見分けることが非常に重要なのです。
2005年、フランスとイタリアの2つのグループがゲノム解析を開始し、2008年全ゲノムが解読されました。
このV. viniferaのゲノムには3万の遺伝子が含まれ、病原抵抗性に関与した遺伝子やワインの色、香り、味の決め手となる諸化合物の生産に関与する遺伝子が徐々に明らかにされてきています。このゲノムデータを病原菌抵抗性ブドウの作出や品種の判別などに用いようとしています。
5. 燃料作物の遺伝子解析
かつて植物育種家は味、見かけ、栄養素、収量などの点で優れた品種を作り出すことを夢見てきました。しかし、現在はバイオ燃料生産に適した植物品種の作出を目指した研究が進められています。
現在はトウモロコシやサトウキビなど食用作物の糖をエタノールに変えてバイオ燃料を作っていますが、これが食糧供給の脅威となっています。従来は捨てている茎や葉の細胞壁からとれるセルロースを利用するのが、燃料作物のオイル含量を高めることと並んで、農地の有効利用となります。
米国では、バイオ燃料を最も多く含む植物種を探し、単位面積あたり最も多くのエネルギーを引き出すために、ゲノム専門家と植物学者が協力して、ゲノム研究や野外栽培試験を展開しています。すなわち、
すでにゲノムの塩基配列の分かっているシロイヌナズナ、コメ、ポプラ、トウモロコシの遺伝子情報から、よりよいエネルギー作物を得るための手がかりを得るとともに、これまでは誰も注目していなかったスイッチグラス(Panicum virgatum、キビ属)やススキ(Miscanthus sp.)のゲノム解析も行われています。この両者はセルロース含量が高いので、エネルギー作物としての最適候補となっている植物です。世界中から品種を集めて、この中から最適の品種を得ようとしている研究者もいます。
人間は過去1万年の間食用作物を育ててきましたが、農地を利用して燃料を作り出すことはまだ初期の段階に過ぎません。細胞壁形成を支配する遺伝的因子の研究は活発になりつつあり、重要な発見が次々と報告されています。例えば、Keegstraらはシロイヌナズナで4つのヘミセルロース
の1つを作るのに必要な酵素の遺伝子を見つけました。ヘミセルロースはセルロースとリグニンと共に、細胞壁を形成している物質です。ヘミセルロースを多く含むように遺伝子組み換えを行えば、バイオ燃料を多く、しかも容易に作ることができます。
これ以外にも、ポプラも注目されています。ポプラは最初にゲノム解析された樹木で、樹高や幹の太さを変えるよう遺伝子操作した変異体が実験的に作出されています。枝を短くすれば、木を密植できるので、バイオマス密度を高めることができます。セルロースやヘミセルロースから効率よくバイオ燃料が得られる技術が開発されれば、これらの組み換え技術も一段と花を咲かせることでしょう。
9. 不妊の蚊を放って、デング熱を防ぐ
マレーシアは、遺伝子操作で不妊にした蚊を放して、デング熱と闘おうとしています。デング熱の媒介昆虫であるネッタイシマカ(Aedes aegypti)のDNAにLA513という遺伝子を挿入すると、次世代の幼虫は、テトラサイクリンを与え得ない限り、死滅します。この原理を応用してネッタイシマカを根絶しようとするものです。すなわち、遺伝子を組み換えた幼虫にテトラサイクリンを与え続け、LA513遺伝子を持ったネッタイシマカ雄成虫(不妊雄)を大量に育てます。この不妊雄を大量に野外に放すと、これが野外の健全雄を数で圧倒し、野外の健全雌と交尾するのは大部分が不妊雄で、次世代の出現数が激減します。これを何回か繰り返すと、野外の個体群は消滅します。このような不妊虫放飼技術は過去にも成功例があります。例えば、カリフォルニアから地中海ミバエを根絶し、北アメリカおよび中央アメリカからヒツジバエを根絶した例などがあります。日本は沖縄のウリミバエの根絶に不妊技術を応用し大成功を収めました。現在ゴーヤが簡単に手に入るのはこのお陰で、沖縄からゴーヤを自由に持ってくることができるからです。これらの例では、雄成虫を放射線で不妊化して、これを野外に放すのですが、放射線を用いる方法には特殊な放射線照射装置が必要です。また、ネッタイシマカは放射線照射により、雄の活力が弱まり、野生の健全雄を押しのけて健全雌と交尾することができなくなるため、放射線の方法は応用できません。
遺伝子操作で不妊化して、害虫を防除しようという試みは、さらにマラリヤ防除にも広げられ、研究が進められています。
しかし、この計画に対しても、地域の環境保護者たちが、生態系に及ぼす長期の悪影響が懸念されると反対を唱えています。
世界保健機構によると、1970年代以降2億
5,000万人がデング熱の危険にさらされ、毎年5,000万人の患者を出していると推定されています。この方法により、一日も早く、デング熱さらにはマラリヤから開放される日がくることを願っています。
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