擬態(Mimicry):自然界のだまし合い
イギリスのナチュラリスト、ベーツ、はブラジルの森林を歩き回り、主にチョウの採集を行っていました。ある時、彼は
ドクチョウの仲間は非常に派手な色をしているのに鳥が食べないし、これによく似たシロチョウも鳥に食べら
れないことに気づきました。1862年の論文に、「どうしてこんなにシロチョウとドクチョウは似てい
るのであろうか?飛んでいるシロチョウとドクチョウをどうしても見分けることができない」と彼は書きのこして
います。その答えとして、彼は「シロチョウはまずくないのに、まずいドクチョウに姿かたちを似せることによって、
ドクチョウと同じ保護を受けている」という仮説をたてました。この場合、ドクチョウをモデル(model)
、真似をするシロチョウを擬態者(mimics)といいます。
この現象を初めて見つけたベーツに因んで、このような
何かの真似をして、自分を守る擬態を「ベーツ型擬態」と呼んでいます。その後、いろいろな型の擬態やカモフラージュ
が見つかっていますので、ここで簡単に説明しましょう。なお、この章の大部分は「擬態、自然も嘘をつく」(平凡社)の中から、
主に昆虫の
擬態に関するものを抽出し、要約したものです。もっと詳しく知りたい方は、W. Wickler著、羽田節子訳、
「擬態、自然も嘘をつく」(平凡社)を参照してください。
1. ベーツ型擬態
左図の左列の3種は味の悪い
(毒がある)チョウで、
上からカバマダラ(Danaus chrysippus)、シロモンマダラ属の
Amauris crawshayiおよびA. niaviusで、
これらがモデルになります。中列はオスジロアゲハ(Papilio dardanus)で、
毒を持たないし、味も悪くはありません。
この種は多型で、一番上は擬態していませんが、下の3匹は各々別のモデルに擬態しています。このような多型をモルフ
といいます。右列上段はメスアカムラサキ(Hypolimnas misippus)の雄(上)と雌(下)で、
雌は擬態していますが、雄は擬態していません。
右列下段はシロムラサキ(Hypolimnas dubius wahlbergi)で、雄も雌も
2種の異なるモデルに擬態し、これらのモルフは行動もそれぞれのモデルに似ているということです。
ベーツの仮説が正しいことを証明するためには、次のことを確かめなくてはなりません。
(1):ドクチョウはまずくて(毒があって)、鳥などの捕食者からあまり食べられないこと
(2):シロチョウは本当は味が良い(毒がない)のに、ドクチョウを真似て、まずく(毒がある)見せていること
(3):捕食者は両者を見分けることができないこと
多くの研究者がいろいろなモデルと擬態者を用いて、これらの仮説が正しいことの証明を試みました。そのうちの、いくつかの
例を紹介しましょう。
オオカバマダラ(Danaus plexippus)はきれいで、派手な色をしていますが、幼虫
時代の食草がトウワタ(ガガイモ科)で、トウワタが含んでいるカルデノライドという毒成分
を選択蓄積しているため、
鳥はオオカバマダラを食べません。ブラウワー博士は、オオカバマダラの幼虫をキャベツで飼育し、毒のないオオカバマダラ
を作ることに成功しました。これを研究室で雛から育てた鳥に与えると、鳥は喜んで食べます。しかし、
毒のあるチョウを与えて、一度中毒を経験させると、二度とこれを食べることはありません。この実験から、オオカバマダラは
毒があるので、鳥に食べられないし、毒がないチョウもこれを真似することによって、保護されていることがわかります。
また、鳥は生まれつき毒があるチョウを知っているわけではなく、学習によって得とくすることがわかります。
では、鳥はどの程度似ていれば見分けることができないのでしょうか?ブラウワーとアルコックは、全体が黒地で、前翅に
あざやかな赤の帯を持つドクチョウと、これによく似た無毒のチョウを準備しました。まず、無毒のチョウを鳥に与えると、
鳥は喜んでこれを食べますが、一度ドクチョウで苦い経験をさせると、無毒のチョウも食べなくなることが明らかとなり
ました。この場合、無毒のチョウは黒地で、後翅に赤い紋があっても、全体に赤い線があっても、黒と赤が目立てば、鳥は
識別することができません。勿論、黒地に黄色の紋や帯があっても、鳥は何のためらいもなく、これを食べてしまいます。
ベーツ型の擬態をチョウで説明しましたが、チョウ以外にもベーツ型の擬態は多くあります。ナナホシテントウやカメノコテントウ
は脚の関節部分から黄色の苦い液を出すので、鳥がきらいます。イタドリハムシはテントウムシに似た赤と黒の縞模様を持って
いますが、苦い液は出しません。それでも鳥は両者を識別できないので、イタドリハムシを食べません。
ミツバチとハナアブも同様な関係にあります。ミツバチは膜翅目で翅が4枚、ハナアブは双翅目で
翅は2枚ですが、ミツバチの前翅と後翅はくっついているため、2枚
に見えます。これを識別するには、手で捕まえてみるのが最も良いとのことです。
刺されたらミツバチです。
2. ミュラー型擬態
味が悪いとか、毒や針を持っているので、捕食者に襲われないもの同士がお互いによく似ている場合があります。
左図の上段の4匹はいずれも
毒のあるチョウですが、全て別種で、しかも非常によく似ています。このような擬態をミュラー型擬態といいます。下段
の2匹はシロチョウの仲間で、毒はありません。従って、上段のチョウとの関係はベーツ型擬態
となります。
では、何故毒のあるチョウ同士が似る必要があるのでしょうか?ドイツのミュラーがこれを理論的に説明しました。彼の
説明によると、上段の4種のチョウが全く似ていなければ、各群の1
匹が犠牲になりますが、図のように、よく似ていると、全体の1匹が犠牲になるだけですみ、全体と
して犠牲は1/4ですむことになります。
スズメバチやアシナガバチなどが黒と黄色の縞模様を持つのもこの例で、ミュラー型擬態です。工事現場で黒と黄色の縞模様の
看板をよく見かけますが、これは「危険」を現すものです。
3. ベッカム型擬態(攻撃擬態)
ベーツ型擬態は「有利なもの(モデル)に自分を似せて身を守る」ものですが、ベッカム型擬態は「モデルに化けて、何かの
目的を達成する」ものです。
左図はランカマキリ(Hymenopus coronatus)
で、ランの花にとまって虫を待ち、これを捕食します。どこに
カマキリがいるか分かりますか?
また、枝に逆さにぶらさがって、自分自身を花に見せかけるハナカマキリもいます。この
ような擬態をベッカム型擬態あるいは攻撃擬態といい、一種のカモフラージュ(後述)でもあります。
擬態は色や形だけとは限りません。光、音、化学物質などによる擬態も多くあります。
ホタルは光によって交信していることは誰でも知っていることですが、夜空を舞って、光を発しているのは雄で、雌は草むらに隠れ、
雄が来るのを待っています。雄が光を発すると、雌はこれに呼応して光を返し、この光を目指して雄が舞い降り、交尾に至り
ます。勿論雄の発する明滅信号と雌が返す閃光は、ホタルの種によって決まっているので、種を間違えることはありません。
ところが、Photuris versicolorというホタルの
雌は、Photinus属の多くの種の雄の明滅信号に対して、その種の雌が発する閃光を
返すことができます。Photinus属の雄は、騙されているとも知らず、喜んで雌に
近づくと、がぶりと食べられてしまいます。これもベッカム型擬態の一つと考えられます。
ちなみに、種名のversicolorは「光の色調を変幻自在に変える」という意味です。
また、Photinus属のホタルは、毒物質を持っています
が、Photuris versicolorはこの毒を持っていないの
で、Photinus属のホタルを食べて、この毒を選択蓄積し、ツグミやクモなどの天敵から
身を守っています。この毒は、卵を通じて、次世代の幼虫に伝えられ、幼虫の防御物質としても働いているとのことです。
実に見事な進化を遂げたものです。
化学物質による擬態については、アリの社会の居候を見てください。
4. カモフラージュ
カモフラージュも擬態の一種で、いろいろな例が知られているので、その代表的なものを紹介しましょう。
工業黒(暗)化
オオシモフリエダシャク(Biston betularia
左図)
は黒班と黒條を持つ白っぽいガですが、19世紀、産業革命
以後のマンチェスターで、このガの95%以上が黒色型に変化しました。この原因を調査した
ところ、石炭によるススで木や壁などが煤けたため、変異として少数生存していた黒色型が背景と溶け込み、捕食者に捕まり
にくくなったためであることが明らかになりました。すなわち、背景が黒い条件では、黒色型が生存に有利となり、適応度が高
まったためなのです。ススによって、突然変異が誘発されたものではありません。これらの黒色型も他地域の母集団に戻せば、
適応度は低下し、もとの出現頻度に戻ります。
これと似た現象が薬剤抵抗性で見られますので、ここで簡単に説明しておきましょう。
病原菌や害虫が薬剤抵抗性となり、薬が効かなくなることはよくご承知のことと思います。薬によって、突然変異が誘発されて
抵抗性になったのか?あるいはもともと変異として薬剤に強い固体が存在していて、薬の環境下では、薬に強い個体の適応度が
高まったためなのか?真剣に議論が戦わされました。薬剤に一度も触れないで、抵抗性が桁違いに高い菌や害虫が選抜される
ことが証明され、この議論は後者に軍配があがりました。すなわち、もともと薬に強い個体が選抜された結果、その個体群全体が
薬剤に対して強くなったもので、突然変異が誘発されたものではありません。突然変異はランダムに起こり、方向性をもって
起こるものではありません。
カモフラージュ行動
カモフラージュのためには、昆虫の色彩がその背景に溶け合っていなければなりません。従って、自分の体色をその背景に適応
させるものと、自分の体色に合った背景を探し出す、あるいは作り出すものとがあります。
キアゲハ(Papilio machaon)は、蛹化する場所が茎であると緑色の
蛹(左図、大日本図書HPより許可を得て掲載しました。
八木澤薫氏の撮影によるものです)になり、
木の幹や塀などでは、灰色の蛹(右図)になり
ます。これは自分の体色をその背景に適応させる例で、蛹化直前の感受性の高い時期に当たった光の影響を受けるからと考えられて
います。しかし、褐色でも表面が
つるつるしていれば緑色の蛹になり、緑色でもざらざらした表面では灰色の蛹になることが示されました。
もともとは光を感じて蛹の色を決めていたのを、触れた感触に置き換えてしまったのでしょう。詳しいメカニズムはまだ
わかっていません。
自分の体色に合った背景を選ぶ昆虫の例と背景を作り出す例を示しましょう。
マツクロスズメ(Hyloicus pinastri)の幼虫(左図)
は、若齢の時は青緑色で松葉に止まりますが、終齢幼虫になると茶色になるので、茶色の小枝に止まるようになります
(左図はhttp://www.schmetterling-raupe.de/art/pinastri.htmから拝借しました)。
ヨナクニサンの1種のAttacus edwardsiiの老熟幼虫は
葉を半分に折りたたんで、その間に繭を作ります。葉を糸でくっつけた後、葉柄を噛み切るので、蛹は枯葉に包まれて
ぶら下がります。緑の葉の間に枯葉がぶら下がっていては目立つので、鳥にすぐに食べられてしまいます。それを避けるために、
蛹化する前に周囲の葉の葉柄を噛み切ってぶら下げ、どれに蛹が入っているか分からないようカモフラージュします。
カモフラージュ多型
アフリカオナシアゲハ(Papilio demodocus)幼虫には2
型あって(実をいうと、私はこの幼虫を見たことがありません)、一つはミカン科を、他はセリ科の植物を食べます。
この2型は全く違う形をしていますが、
どちらの型になるかは遺伝的に決まっています。食草とは全く関係はありません。従って、間違って不適当な食草にとまると、
すぐに鳥に見つかって食われてしまいます。
カマキリには緑色のものと茶色のものとがいます。これらは同じ種で、交尾をして産卵します。色が変わるのは、遺伝的なものか?
あるいは生育環境で変わるのか?私も知りません。
デイ・ケスノラは、緑色のカマキリ45匹と茶色のカマキリ65
匹(合計110匹)を準備し、70匹はよく目立つように、他
の40匹は保護色になるように、木につないで鳥に与えました。その結果、目立つ方はどんどん
食べられ、10匹にまで減りましたが、保護色の方は1匹も
食べられなかったことを報告しています。多分自然界では、目立たない背景を選んで棲みわけているのでしょう。
集団擬態
アフリカ産のハゴロモ(Ityraea nigrocincta)には緑色のモルフと黄色のモルフ
がいて、これらが枝にとまると、花のように見えます。このように集団で花に擬態することによって、捕食者の目をごまかす
ものを集団擬態といいます。
左図
はItyraea nigrocinctaに近縁の
ハゴロモ(I. gregorii)の集団が群れをなしてとまっているもので、花のように
見えますが、花序ではありません。近づくと、ハゴロモが一斉に飛び立ち、後には茎のみが残ります。(リンクを見てください)
目玉模様
ヤママユガ(左図、撮影者の川邊 透氏の許可を得て掲載)、
クスサン、ウチスズメなどの大型のガは、人間や他の哺乳類の目にそっくりの「目玉模様」を翅に持っています。休んでいる
時は翅をたたんで、保護色で目立たないようにしていますが、鳥などの捕食者が近づくと翅を広げて目玉模様を現します。
捕食者はこの目玉模様にびっくりして、たじろいでいる間に逃げだします。鳥を用いて実験を行ってみると、鳥は=や+の
マークには驚きませんが、○や◎などには驚きます。中でも、○を目の形にすると、最も怖がることが確認されています。
大きな布に目玉模様を書いて、田圃に集まるスズメに見せると、スズメは一斉に逃げ出すそうですが、すぐににせものである
ことを見抜いて、戻ってくるようです。自然界では、一時的に驚かせるだけで、逃げるだけの時間的余裕が得られ、十分に
目的は達成されるのでしょう。
逆に、小さい目玉模様(むしろ水玉模様といったほうがよいかもしれませんが)を持つものもいますが、これには驚かせる効果
はなく、むしろ攻撃の対象になります。動物が他の動物を襲うときは必ず頭の方を狙うので、小さい目玉模様
を攻撃させる間に、多少は傷はついても逃げ延びる確率は高くなるのでしょう。
にせの頭
体の後端に小さい目玉模様を持つ動物は、ここに攻撃を受けたとき、予想と反対方向に逃げることができるので、逃げ延びる確率は
高くなります。
カラスシジミやアシブトウンカの仲間には、一見してどちらが頭なのか分からないものがいます。すなわち、体の後端に
にせの頭を持っているのです。鳥などに襲われると、予想と反対方向に逃げることができます。
ミズナラやブナの林に、シタバと呼ばれる大型のガがいます。前翅はミズナラの木の皮にそっくりで目立ちませんが、前
翅を広げると、後翅は赤や黄色の目立つ美しいガです。
シタバの中で、比較的小型のマメキシタバ
(左図、撮影者の川邊 透氏の許可を得て掲載)は、
頭を下向きにして木の幹にとまっています。これは鳥に襲われたとき、予想に反して下に飛び立ち、鳥から逃れる確率を
高めるためです。更に鳥につつかれたとき、前翅を広げ、後翅のあざやかな色を出して、鳥を驚かせます。
5. カッコウ(Cuculus canorus)の托卵
昆虫以外にも、擬態をする動物や植物は数多くいます。中でも、カッコウの托卵は有名なので、簡単に説明しておきましょう。
カッコウは自分では巣を作らず、他の鳥の巣に卵を産んで、自分の子供を里親に育てさせます。里親になる鳥は
セキレイ、ニワムシクイ、セアカモズ、ヨシキリ、ビンズイ、マキバタヒバリ、ジョウビタキなどです。里親が産卵して
卵を温め始めると、里親の留守に産卵します。通常は1個の卵を産みますが、2
個の卵を産むこともあります。
カッコウの卵は産卵後11-13日で、里親の卵よりも早く、孵化します。孵化した雛は
里親の卵あるいは孵化したての雛を巣の外に放り出して、自分一人が里親に育てられます。2
匹のカッコウが孵化しても、どちらか1匹のみが残ります。自然は全く残酷なものです。
ヨシキリはカッコウに最も適した里親で、ヨシキリが年々減って問題となっている地域もあります。
里親の種類によって、卵の大きさ、色、模様などに違いがあります。カッコウが不適当な里親を選んだなら、托卵の成功率
は当然低下します。では、カッコウは適切な里親をどのようにして選ぶのでしょうか?同種のカッコウでも、個体によって、
卵の模様や色が異なり、これは遺伝的に決まっています。すなわち、その遺伝子は雌の性染色体上にあり、雄とは関係が
ないと考えられます。ヨシキリの巣で育てられたカッコウの雌は、ヨシキリの巣に産卵すれば間違いはありません。この場合、
相手の雄の出身は関係がありません。
6. 擬態はどのようにして生じたか?
世の中には不可解な現象が数多くあります。例えば、猫はマタタビで興奮しますが、これが何故なのか?まだ分かっていません。
ミカンコミバエの雄はメチルユージノールという化合物に誘引されます。沖縄では、この性質を利用して、ミカンコミバエの防除に
用いています。しかし、この化合物はミカンには含まれていません。ホシカメムシはトドマツに含まれるジュバビオンという
化合物に触れると、ホルモン異常を起こし、正常な成虫化が妨げられます。しかし、ホシカメムシはトドマツにはつきません。
これらの例のように、二つの生物間の関係は全く分からないのですが、それぞれの生物にとって、何の利益にもならないことは
確かです。このような関係からは、擬態は生じません。
キノコのネバネバに小さい虫が脚をとられて死んだり、植物の一部に溜まった水で虫が溺れ死んだりしますが、これだけでは、
植物にとっては何の得にもなりません。植物が、偶然に、虫の死体から栄養を得る能力を得たならば、なるべく多くの
虫を捕まえるほうが有利となり、捕まえ易い構造を進化させて、ウツボカズラのような食虫植物ができたと考えられます。
このように、どちらにも利用されなかったものが、片方が著しい利益を得るような特殊な適応が発達したときに、擬態が生じた
と考えられます。
木の葉に似た昆虫の化石がジュラ紀後期の地層から見つかっていますが、この時代にはまだ広葉樹は進化していませんでした。
広葉樹の葉がモデルで、コノハチョウが擬態者であることは間違いありませんが、擬態者の方が古くから存在していたことに
なります。すなわち「擬態者がモデルよりも新しい」とは限りません。
7. 種と種の形成
この章の擬態とは直接の関係はありませんが、「種」と「種の形成」について考えてみましょう。
「種」とは抽象的概念で、いろんな本で調べてみてもはっきりと定義されたものは見当たりません。
勿論私自身もよく理解しておりません。特に植物種を調べると、今まで自分なりに描いていた種の概念と違うことが多く、
頭が混乱してきます。
一つの種は、他の種とはっきりと違う形質を持っており、その形質は一連の遺伝子によって
決定されています。従って、一つの種には、その形質を決定する一つの遺伝子集団があり、他の種にはまた別の遺伝子集団
があると考えられます。種は他の種と生殖的に隔離されており、通常は雑種を作りませんが、仮に
雑種ができたとしても、二つの異なる遺伝子集団が入り混じるために生殖能力がなくなってしまいます。ウマとロバの
子供がラバやフィニーで、生殖能力がないことはよくご存知のことと思います。このような事実から、
「種とは一つの調和のとれた遺伝子系である」と考えられています。
「種の形成」には、ある種の個体群の一部が、何らかの理由によって、他の大部分から生殖的に隔離されたときに起こります。
大陸の一部が切れて島になり、個体群が二つに分かれ、その両個体群間に生殖交流が途絶え、各々の個体群に
長い年月の間に変異が蓄積してくると、新しい種として進化します。これが地理的な生殖隔離です。
時間的な生殖隔離も考えられます。気候変化の激しい温帯では、昆虫などの変温動物は冬を休眠状態で乗り切らなければなり
ません。冬の到来を知るのは日長の変化で、あるものは幼虫の成長を早め、蛹や成虫となって越冬し、あるものはさらに卵を産み、
卵の形で冬を越します。また、日長変化に対応して幼虫の成長を止め、幼虫で越冬するものも現れます。このように越冬形態が異なる
昆虫は、春になって活動を開始しても、これらの間で生殖する可能性はなくなってしまいます。形や色が同じで、しかも同じ地域に
生息していても、生殖が時間的に隔離されるため、長い年月の間に新しい種となります。
Nasonia属の寄生バチやショウジョウバエなどでは、寄生する微生物(ボルバキア)
の違いによって、卵と精子の間の不和合が起こり、生理的に生殖隔離されます。
詳しくは昆虫に寄生するボルバキア(
Wolbachia)を参照してください。
以上のように、種の形成は、ある個体群の中で生殖隔離が起こり、長い年月の間の変異の蓄積から、新種へと進化するのが
普通ですが、最近種間雑種が新しい種へと進化したのではないかと思われる例がドクチョウの仲間で見つかりました。
これについて、簡単に紹介しましょう。
シロオビドクチョウ(Heliconius cydno)とメルポメネドクチョウ
(H. melpomene)は近縁な種で、前者はアメリカ大陸中央部、
ニカラグア、コスタリカ、パナマ、コロンビア西部に、後者はコスタリカ、パナマ以西に広く分布しています。従って、コスタリカ、
パナマ、コロンビア中部では、両種は共存しています。両種の相違は翅のパターンにあり、
右図に示すように、シロオビドクチョウ(図の右端)
は黒地に白と黄色の、メルポメネドクチョウ(図の左端)は黒地に赤、黄、オレンジのマークを持っています。
この両種は翅のパターンを認識して、調和配偶(同種内交尾)を行いますが、異種間の交尾が自然界でも低頻度ではあるが
見られます。
(右図はスイス大学のRussell Naisbit博士の許可を得て、名古屋大学分子遺伝学講座のホームページ、
http://biol1.bio.nagoya-u.ac.jp:8001/~hori/03NaisbitRE.htmlから拝借しました)
コロンビア中央部にまた別のヒュリッパドクチョウ(H. heurippa)*が
メルポメネドクチョウと共存しています。
*:本来は学名をそのまま使うべきですが、分かり易くするために、私が勝手に種名を日本語にしたもので、
一般に認められている和名ではありません。
ヒュリッパドクチョウはシロオビドクチョウとは共存はしていませんが、生存域は隣接しています。
ヒュリッパドクチョウの翅のパターンは、右図中央に示すように、シロオビドクチョウとメルポメネドクチョウの中間型を
示しています。染色体数はシロオビドクチョウとメルポメネドクチョウの両種と変わりませんが、両種の遺伝子が混じり合っている
ことから、ヒュリッパドクチョウはこの両種の雑種ではないかと考えられてきました。
最近、南アメリカとイギリスの研究者が共同して、ヒュリッパドクチョウは、シロオビドクチョウとメルポメネドクチョウの
雑種で、これが新種として独立したことを証明しました。このような種間雑種が新種を形成するのは非常に稀で、動物では
初めての実験的証明です。
シロオビドクチョウとメルポメネドクチョウを実験室で交配すると、その雑種F1
が得られますが、F1の雌は
Haldanの法則(雑種不稔性)通り不稔で、その子孫を得ることはできません。
F1雄は生殖能があり、どちらの
種の雌と交配しても、子供を作ることができます。このF1雄と
メルポメネドクチョウの雌を掛け合わせると(このように、F1と親系統を
掛け合わせることを戻し交雑といいます)、子供は得られますが、何回戻し交雑を繰り返しても、
ヒュリッパドクチョウに似た個体は得られません。F1雄をシロオビドクチョウ
の雌に戻し交雑すると、わずか2世代でヒュリッパドクチョウに似た個体が得られます。
勿論、F1雄を野生のヒュリッパドクチョウ雌と掛け合わせても、
同じような個体が得られます。このことから、ヒュリッパドクチョウは両種の雑種であることがほぼ確実になりました。
新種形成の次のステップは生殖隔離を証明しなければなりません。シロオビドクチョウ、メルポメネドクチョウ、
ヒュリッパドクチョウの雄に3種のいずれかの雌をあてがって、交尾に至る割合を調べると、
3種とも調和配偶を好み、ほとんどが同種内で交尾しました。すなわち、
この3種間ではほぼ完全な生殖隔離が成立していると考えられます。
では、何に基づいて種を確認しているのでしょうか?紙にそれぞれの種の翅のパターンを書いて、ヒュリッパドクチョウ雄
に示すと、ヒュリッパドクチョウ以外の翅のパターンにはほとんど反応を示しません。他の種でも同様の結果が得られています。
このことから、ドクチョウの雄は同種の雌を、フェロモンなどの化学的な情報ではなく、翅のパターンの認識で選んでい
ると考えられます。
他にもH. pachinnusとH. timareta
の2種が同じような雑種パターンを持つことが報告されています。
従って、このような雑種による種形成は他にもありそうですが、ドクチョウに特有なものなのか?あるいは自然界ではよく
起こっているが、動物では研究が進んでいないために見つかっていないのか?今後の研究を待たねばなりません。
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