ハチの世界の不思議
ハチは世界で20万種を超えるといわれています。その中で、ミツバチやスズメバチなどはカースト制度、
社会性行動、情報交換など他の昆虫に見られない独特の進化をとげています。最近、セイヨウミツバチのゲノム解析
が完了し、社会性行動のメカニズムに関心が集まっています。ここでは、ハチに関する最近のトピックスを紹介しましょう。
1. セイヨウミツバチ(Apis mellifera)の行動
ミツバチの群は1匹の女王バチと多数の働きバチ(多い時は数万)と少数の雄蜂(繁殖の時だけ)
からなります。
女王バチと働きバチは受精卵から生まれ、女王バチになるか、働きバチになるかは、幼虫時代に与えられる餌の違いによって決まり
ます。これに対して雄蜂は未受精卵から生じ、半数体となります(半数倍数体)。
女王バチは1日に1,000個以上の卵を産みますが、
働きバチは生殖、産卵は行わず女王バチの産んだ卵を育てます。
働きバチの仕事は日齢によって変わり、羽化したての若いうちは巣作りや掃除などを行い、日齢がすすむと口から乳を出して、
子を育てます。この乳がローヤルゼリーといわれるもので、将来女王バチになるものにはたっぷりと与えられ、働きバチになるもの
には、少量しか与えられません。与えられる乳の量はこのように違いますが、質は同じなのか、違うのか分かっていません。
さらに日齢が進むと、これまでの内勤から餌探しや巣の防衛など外勤に変わります。ミツバチが刺すのは年老いた外勤蜂で、
若い内勤のハチはあまり刺すことはありません。それは、ミツバチは一度刺すと自分も死んでしまうからです。
働きバチは餌場から巣に帰ると「尻振りダンス」を行って餌場の方向と距離を他の働きバチに伝えます。この一連の行動については、
「昆虫のさまざまな情報交換」で述べたとおりです。フリッツ博士はこの「尻振りダンス」の発見で
ノーベル賞を受賞しましたが、この行動の解釈に疑問を抱く人もおりました。
Riley(2005年)らは、
巣箱から200mに餌場を設け、餌場から帰ってきたハチから情報を得た
他のハチたちは、巣箱を移動して出発地点を変えても情報どおりの方向に、ほぼ同じ距離飛行することを確かめ、
フリッツ博士の説が正しいことを証明しました。
ミツバチのダンスは他にも意味があることが最近の研究から分かってきました。餌を集めてきた働き蜂が、内勤の
働きバチに集めてきた餌を受け渡す時、内勤バチの多くが暇であれば、「shakingダンス」で、
もっと多くの働きバチが餌を求めて外に出かけるよう促します。逆に、内勤バチが忙しく働いているならば、
「trembleダンス」で、もっと多くの働きバチが餌の管理に従事するよう促します。
昨年(2006年)セイヨウミツバチのゲノムのDNAが全解読されました。
これまで、ショウジョウバエ(Drosophila)とハマダラカ
(Anopheles)でゲノムが全解読されていますので、昆虫では3番
目ということになります。昆虫以外では、ヒトとシロイヌナズナ(Arabidopsis)
で解読されていますので、5番目の生物ということになります。
ミツバチの働きバチは、上に述べた通り、羽化してから日齢とともに仕事(行動)が変わりますが、これらの行動変化
や複雑なダンスはゲノム中にプログラムされていると考えられます。事実、これらの社会性行動のプログラムと考えられる
遺伝子群がミツバチで見つかっています。これらの遺伝子群はショウジョウバエやハマダラカには存在しません。
これらの遺伝子群はヒトのものと類似しているとのことです。遺伝子の解析が進むと、これらミツバチ社会の不思議な行動の
メカニズムが明らかになるものと期待されます。
2. 女王バチの形成を誘導する物質
ミツバチ(Apis mellifera)女王は生殖力を持ち、生殖力のない働き蜂に較べて、体の大きさが
1.5倍、寿命は
20倍も長く生きます。この違いは、幼虫時代に与えられる餌の違いから生じます。女王蜂の幼虫はローヤルゼリをたっぷりと与えられますが、働き蜂の幼虫は僅かな餌(ワーカーゼリー)が与えられるに過ぎません。ローヤルゼリーとワーカゼリーが同じもので、与えられる量のみが違うのか、質的に違うのかもわかりませんでした。
ローヤルゼリー中には特別な女王誘導物質が含まれているのではないかと長年研究が行われてきましたが、これまで特別の物質は見つかりませんでした。私もこの問題に取り組んだ一人で、ミツバチ幼虫にローヤルゼリーを与えて、人工飼育することを試みました。しかし残念ながら、女王蜂を誘導する特別の物質を見出すことはできませんでした。もう50年近く前のことです。
最近、富山県立大学の鎌倉昌樹博士が、ローヤルゼリーの中のroyalactinというタンパクが女王誘導作用を持つことを見出しました。発端は、ローヤルゼリーの女王誘導作用は温度に依存し、
40oCでは徐々に劣化し、30日で完全に女王誘導力を失うことを発見したことです。この女王誘導物質が分子量57,000のタンパク質である
royalactinです。
royalactinを精製し、室内試験でミツバチ幼虫に与えると、これまでに知られている
3つの女王形質、すなわち幼虫期間が短い、体が大きい、卵巣が大きい、を示しました。
2つ目の突破口はショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)でも、この3つの女王形成効果が起こることを発見したことです。
遺伝子解析の進んだショウジョウバエを参考に、royalactinの作用機構の研究が進められ、
royalactinは上皮成長因子受容体
(Epidermal Growth Factor Receptor; EGFR)を介してシグナルを伝達し、各種女王誘導作用を示すことが明らかになりました。ショウジョウバエでも、royalactinは上皮増殖因子受容体に作用し、その下流シグナルを活性化させることで、体サイズ、産卵数、寿命を増加させることも分かりました。
このように、royalactinは、種を超えて、同じ遺伝子型をもつ個体を全く異なる表現型をもつ個体へと誘導する画期的な因子であることが明らかとなりました。
3. 血縁選択(kin selection)と包括適応度
(inclusive fitness)
行動生態学では、行動も他の形質と同様に遺伝し、この行動を支配する遺伝子が自然選択(淘汰)される事により、
適応度(fitness)の高い行動(分かり易く言えば有利なもの)が進化すると考えられます。
働きバチのように自分を犠牲にしても仲間を助ける行動(これを利他行動といいます)は適応度が低い(不利なもの)
ために自然淘汰によって排除されるはずです。
何故このような利他行動が進化してきたのでしょうか?
この問題を解決したのがハミルトンで、彼の理論が今日の行動生態学の基となっており、血縁選択(淘汰)と包括適応度の考えが
基礎となっています。
個体が持つある遺伝子を他の個体も持っている確率を血縁度(relatedness)といいます。
子の遺伝子の半分は母親から、残りの半分は父親に由来しますから、親子で特定の遺伝子を共有する
確率は1/2となります。兄弟姉妹の間では、母親を経由して遺伝子を共有する確率
は1/2 X 1/2=1/4、同様に父親経由の確率も1/4ですから、
全体としての確率は1/4 + 1/4=1/2となり、血縁度は1/2
ということになります。ところがミツバチ、スズメバチ、アリなどの半数倍数性の生物では、雄は未受精卵から生まれるので
母親のゲノムの片方だけを持ち、雌は母親のゲノムの半分と半数体の父親のゲノム全部を受け取ります。その結果、
姉妹(働きバチ、働きアリ)は母親の遺伝子を1/2の確率で共有し、父親のゲノムは全部を共有する
ことになり、その血縁度は(1/2 X 1/2)+(1/2 X 1)=3/4と
なります*。
以上のように遺伝子から考えると、働きバチや働きアリは自分が産卵するよりも、自分の妹を育てたほうが多くの遺伝子を子孫に
伝える可能性があります。このように、血縁者の子を残すことによって働く自然選択(淘汰)を血縁選択(淘汰)といいます。
*:女王蜂は生涯に一度しか交尾をしませんが、相手の雄は1匹とは限りません。
種によって、相手の雄の数が異なります。血縁度が3/4となるのは、相手の雄
が1匹の時で、相手の雄の数が増すにつれて、血縁度は低くなります。
生物は適応度が1よりも大きくならないと進化しません。働きバチは自分の子を産まないので
適応度は0ですが、遺伝子から考えると、血縁者(姉妹)もその遺伝子を持っているので、
姉妹を含めた適応度で考えなければなりません。このような適応度を包括適応度といいます。
4. 血縁度と利他行動(altruistic behabiour)
利他行動は血縁選択で進化してきました。そして、利他行動の進化は血縁度で説明されてきましたが、
必ずしも血縁度が直接関与していないことが最近明らかにされています。
Malaysian hover wasp(スズメバチの1種でしょうか?
私にもよく分かりません)では、ある一団の働きバチは他に較べてよく働き、女王蜂との血縁度ではこの差が説明できません。
すなわち、この種の女王バチと働きバチは形態的には違いがなく、働きバチのランクは日令で決まります。二番目に年をとった雌が
後継者となるため、危険の多い餌集めの外勤を減らします。
二番目のランクの雌を取り除くと、三番目のランクの雌がこれに代わって外勤を減らし将来に備えます。これを取り仕切っている
のは、女王バチです。すなわち女王への道を閉ざすのは血縁度ではなく、女王の支配力による強制です。
ミツバチやスズメバチの仲間では、体の大きな女王バチのみが生殖・産卵を許されていますが、働きバチもチャンスがあれば
産卵し始めることがしばしば見られます。しかし、他の働きバチが取締りを行い、働きバチの産んだ卵を全て殺してしまいます。
10種類の血縁度の違うミツバチやスズメバチを比較してみると、利他行動は血縁度には直接関係なく、
働きバチが生殖を束縛することによって保たれていることが分かりました。取締りが厳しいほど、働きバチは子育てに専念するよう
です。このように、働きバチはいつも利他行動、すなわち「女王の産んだ子」を育てるよう、仲間の働きバチに強制されているのです。
取締りが強化されると、違反が減るのは、人間社会も同じことです。
では、これらのハチはハミルトンの血縁選択には当てはまらないのでしょうか?これらのハチも自分のコロニーから
血縁者以外を排除しようとするし、兄弟(半数倍数体)よりも姉妹を圧倒的に多く育てることにより血縁度を高めています。
女王の産んだ卵だけは大事に育て、働きバチの産んだ卵はことごとく殺すので、産卵する働きバチの出現率は低下します。
このように、働きバチの産卵を取り締まることによって、より多くの働きバチを子育てに従事させるよう圧力をかけているのです。
この取締りが血縁選択となっています。
ミツバチやその近縁種では、一度に沢山の女王バチを作らないよう制御されています。女王バチに事故があった場合か、
コロニーを2つに分けなければならない時にのみ、新女王は作られるますが、
オオハリナシミツバチ(Melipona)の仲間は例外で、女王バチの道を歩むか、
働きバチとしてもくもくと働き続けるかは、自分で決定します。そこで何も規制がなければ、みんな女王バチの道を選ぶことに
なるので、これを規制する新しい方法が進化しました。余分な女王をすべて虐殺するという方法です。
従って、女王の道を選ぶのは大きな賭けとなります。
これは大変無駄なことのように思えますが、女王の数を正常に保つために進化した血縁淘汰なのです。そのため、
大部分の雌は利他行動をする働きバチの道を選び、その割合は血縁度が高い種ほど高くなります。
ハミルトンの血縁選択説は、利他行動そのものではなく、利他行動をする働きバチの特性がどのように進化してきたかを
説明するのに役立つものです。
ミツバチの祖先がはじめて社会性昆虫に進化したとき、働きバチは「尻振りダンス」でお互いに情報交換をしていなかったで
しょうし、敵を撃退するのに針を敵の体に残して死んでしまうことも、産卵をお互いに取り締まることもなかったでしょう。
これらの特徴は、これらの特性の遺伝子を近親者に伝えるという間接的な影響を通じて、
血縁選択によって進化したに違いありません。
社会は勝者と敗者を作り出します。敗者を有効利用して、有用な任に着かせるよう進化させたのは血縁関係
だけでしょう。ミツバチの働きバチは針が抜けると死ぬかも
しれませんが、血縁は守ることができます。
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