その一瞬の思考様式
 「2009年は、はるかの水瓶座が12年に一度のラッキーな年だそうよ。
そんな特別な年の、はるかの誕生日。
思い切り祝うわよ!」
 日頃からエレガントなみちるが、今、特別に美しく艶やかに装って、拳を突き上げんばかりの勢いで(エレガントなみちるなので、実際に拳を突き上げたりはしてはいないが)、宣言する。
 2009年の年明け早々、“拡大・幸運・発展”を司る星・木星が、はるかの星座・水瓶座に入り、これからたっぷり1年、その中にあるという。年の区切りと木星の水瓶座入りがほぼ一致したせいか、年末年始の新聞や雑誌に、そんな話題が登場する機会も多かった。特に占星術を信奉しているわけではないみちるだったが、はるかがラッキーと言われてうれしくないはずもなく、はるかの誕生日を盛り上げる格好の起爆剤と、今日この日まで記憶にとどめていたのだった。

 が。
 みちるの言葉に、はるかの表情がほんの一瞬、曇るようにブレた。
 表情が曇る、まではいかないわずかなブレを経て、次の瞬間、はるかは晴れやかな笑顔をみちるに返したが。
 みちるは、その微かなブレを見逃さない。

 その一瞬のはるかの思考を、みちるは冴えわたる分析力で解析する。
 12年前。
 1997年1月、ギャラクシアとの最終決戦のさなか、ウラヌスとネプチューン…はるかとみちるは、消滅した。
 もう、それしかないという状況の中で、自分達で選んだ、最期。
 はるかに触れたい、最後の最後にみちるに残った真実の気持ちから伸ばされた手に、はるかは触れ、幸福そうな笑みを浮かべた。
 その笑みを見てみちるは、はるかが最後に見るだろうものだから、最上級の微笑みを返しつつも、悲しくなっていたものだった。
 はるかの脳裏には、その出来事が、確実によみがえっている。
 二人で消えることができた、みちるがはるかを置いていかなかった、そんな12年前を思い出して。
 “確かに、12年前も、ラッキーだった”
 そんな言葉が、はるかの喉元まででかかっていたのだろう。

 そして、喉元まで出かけた言葉を、はるかはのみこんだ。
 その思考様式が、みちるを悲しませることを、今のはるかは知っている。
 その心の振動の兆候が、はるかの表情にほんの一瞬表れた、わずかなわずかな“ブレ”だった。

 “はるかの誕生日。思い切り祝うわよ!”
 きっかりその宣言部分にだけ、はるかは、笑顔で応えた。
 「それは楽しみだな」

 幸運の星が自分の星座になくても、みちるは幸福だった。
 はるかが、この12年の間に、みちるの感情パターンを覚えてくれたこと。
 はるか自身が自身を犠牲にするようなことをも“いいこと”と思うはるかの思考様式を、みちるがひどくひどく悲しむことを覚えて、その表れとなるような言葉を、のみこむまでになってくれること。
 それだけの変化をはるかがとげるのに十分な時間を、はるかがずっと、みちるの隣で過ごしてくれたこと。
 そして今、みちるの前に、はるかが確かに存在していること。
 それは気が遠くなるぐらい、しあわせなことだった。
 たとえ、はるかが心の奥底では、自分を犠牲にするような思考様式を、捨て去ってはいなかったとしても。

 みちるは、力いっぱいの笑顔で、はるかが受け止めた部分を、あらためて宣言する。
   「祝うわよー!
 さあ、行きましょう!」
 はるかの腕を取ってみちるは、とびきり優美に、しかし力強く歩み出す。
 “楽しみだな”と口ではいいながら、いったい何が待ち受けているのか、はるかが内心おそれているようなのが、たまらなく、おかしかった。