事務局長のひとこと

06.2.14 2月11日、山森良一弁護士にお供して宮城県へ毒ガス弾を遺棄した元兵士の聞き取り調査に行ってきました。

その方は04年9月に高裁で証人となった小林利男さん、陳述書を提出した戸口好太郎さんの戦友で関東軍第一方面軍直轄第16野戦兵器廠技術軍曹(下士官)だった鈴木さん(83歳)です。

鈴木さんは大変お元気で軽自動車を自ら運転をして私達を駅からの送迎をして下さいました。また記憶もしっかりしていて当時の年月日を正確に覚えていました。

聞き取りは午後1時から5時までの4時間に及びました。
開口一番に麻生外務大臣が「兵士は天皇陛下万歳をして死んでいった」といっているがとんでもない。シベリアで寒さと飢えで死んでいった6万人の兵隊達は何も言わずに死んでいった。死ぬ間際に言ったとしても「お母さん」とは言ったかもしれないと怒っておられました。

今回の調査で得られた成果は
1)署名捺印し陳述書として裁判所に提出しても良いことを快諾していただいたこと。
2)所属兵士による戦友会があり、箱根で秋に戦友会を開催していることと、1984年11月に「追想」という会誌を発行していたことが判っかたこと。(会誌は山森先生が拝借してきました。)
3)会誌の中には毒ガス弾を遺棄した兵士の記述や小林さんの部隊がいた野積み弾薬庫位置が明記されたイラストもあったこと。
4)鈴木さんは兵器廠本部があった敦化市大橋(たいきょう)勤務であったために第一方面軍からの命令・伝達についての具体的証言が得られたこと。
5)大橋駅南方約1キロメートル地点から東側に沙河沿飛行場までの専用鉄道線が分岐していたことは前回の調査で現認していましたが(現在セメント工場でそのレールを使用している)大橋駅西側にも専用線が分岐されいて毎日弾薬を積み卸して野積みにしていた。
さらに敦化へのトラックが通れる作戦用道路を本部から奥の方につくっていたがその奥に洞窟を掘って弾薬庫にしていたこと。
6)8月17日に「一切の戦闘行為を停止する」第一方面軍依命通達があり、部隊長から天皇の終戦の詔勅を聞かされた。18日にジープに乗ってきたソ連の軍使と部隊長が会談をした後に小銃と銃剣の武装解除があった。19日20日21日22日の暗くなってから命令によって作戦用道路の脇に約2b四方、深さ約2bの穴を掘り、瓦斯弾を木箱の儘埋めた。トラックはライトを付けないで運んでいた。朝になると幕舎の中で寝ていた。瓦斯弾を選別したのは弾薬班である。川の橋の上から瓦斯弾を捨てたという話も聞いた。
以上遺棄した状況の証言が得られたこと。
7)敦化などに多数の弾薬(瓦斯弾も)が集積されたのは「ト号作戦」によるものである。「ト号作戦」とは本土、朝鮮半島に近接したラインまで防衛線を下げる大本営の作戦。大砲、戦車は本土と南方に運ばれたから弾薬だけとなったのであるとハッキリと説明された。

河東に部下10数名を連れての出張中にソ連侵攻となり戦車砲による戦死者戦傷者がでたが戦死者は牡丹江で荼毘に付して大橋まで持ち帰った。戦死者の遺骨は敦化に埋めてきた。遺骨収集に行きたいと思い厚生省、外務省に電話をしたが中国ではできないと言われたが諦めきれないし、心残りであると言われたことが重く印象に残りました。

詳細なことについては山森先生が陳述書原案として書かれると思います。
05.12.20 訪中報告 2005.12.20
毒ガス被害者をサポートする会事務局長 長谷川 順一

行程
12月11日(日)09時45分成田空港発。
         12時05分上海空港着。
         ホテル上海国際飯店で南典男弁護士に合流。
         17時よりホテル内で中国918愛国網関係者らと懇談。
   12日(月)13時10分上海空港発。
         17時05分延吉空港着。
         山田勝彦弁護士、菅本麻衣子弁護士(58期)、蘇向祥弁護士(北京市北人律師事務所)、通訳氏と空港で合流。ホテル延吉白山大厦に宿泊。

   13日(火)08時13分ホテルを専用車で出発。
         10時10分ハルバ嶺着。
         11時10分ホテル敦化京華大酒店に到着。羅麗娟弁護士(哈爾濱市黒竜江北辰律師事務所)も夜行列車で午前3時に到着。
         13時45分より周君、劉君と各々の父親から聞き取りを始める。
         14時05分聞き取りを中断。全員がホテルを出発。連花泡林場到着。雪原を約20分で被害現場に到着。川の中に入り少年二人から当時の説明を聞く。17時10分ホテル着。聞き取りを再開。
         羅弁護士は夜行寝台列車で哈爾濱に出発。

    14日(水)08時10分から9時25分まで劉君の父親と面談。その後周君の父と10時25分まで面談。
         13時ホテルを専用車で出発。
         昨年小林利男さん、戸口好太郎さんと調査した毒ガス弾を遺棄した大橋の谷に行く道路と沙河沿飛行場入り口にあるセメント工場を案内し、説明をする。
         16時ホテル延吉白山大厦に到着。蘇弁護士と通訳氏は夜行寝台列車で哈爾濱に出発。
   15日(木)06時50分ホテルを出発。
         08時延吉空港を出発。9時50分北京空港到着。14時50分北京空港を出発。19時成田空港到着。

(1)上海では中国918愛国網のサイト関係者らと懇談した。
 中国における戦後補償関連サイトと中国人戦争被害者の要求を支える会、毒ガス被害者をサポートする会、ABC企画などのサイトも中国簡体文字版をアップし日中共同の運動をさらに有機的に発展させることが至急求められていることを痛感した。

(2)吉林省敦化市では昨年7月23日に小川で遊んでいるときに川の中から拾った日本軍が遺棄した毒ガス弾から漏れだしたイペリット液によって被害を受けた周君(13歳)と劉君(9歳)の少年二人とお父さんに会い、零下20度の雪原をかき分けながら被害現場まで行って調査をした。【中国の新聞報道
 周君のお父さんがお祖父さんから聞いたことによると現場には3軒の民家があったが日本軍は立ち退かせた後に軍用倉庫を建設したそうである。ですから敗戦後軍用倉庫に保管していた毒ガス弾を敗戦時に土中に遺棄し、その内一本が雨で川の中に流されたと考えられる。周君の行為によって大量の遺棄弾が発見されたことになるのである。この現場は日本軍が「遺棄する時間的余裕が充分にあったこと」を見事に証明しているのである。
 飲用の井戸水も汚染されている。これまでに村で亡くなっている人の90%が癌で死亡しているそうである。そのことが疫学的にも証明されたならば大変な被害である。
 周君のお父さんが「60年前には日本軍に侵略され、今、息子が4世代目になっても侵略戦争の被害を受けている。その痛みに悲しくてたまりません」と言われたことが印象的であった。
 入院中の病室へ訪ねてきた日本外務省の某氏は中国語で「対不起」(トエ ブ チー・ごめんなさいの意)とたった一言だけ二人のお父さんに言って帰ったそうであるが余りの誠意の無さに呆れるばかりである。

 来年3月にチチハル被害者の健康調査が哈爾濱の病院で行われ事が準備されているが、周君と劉君もこの時に健康調査のため哈爾濱に行くことを約束してくれた。さらには5月の政府交渉のためにも訪日してくれるようにもお願いをした。
 今後は山田弁護士を主任とし、菅本弁護士など新進気鋭の弁護団が結成されることを期待すると共に我々サポートする会も「化学兵器CEARみらい基金」など他団体と連携を強め、被害者の救済と化学兵器廃絶の運動を発展させる決意を新たにした訪中であった。
05.11. 4 自民党の山谷えり子議員が7月5日に参議院外務防衛委員会で中国における遺棄毒ガス問題を質問しました。質問要旨と同じようなことを産経新聞が10月24日に「遺棄化学兵器 今後も厳密な確認調査を」と題する主張を掲載しました。
これらの論調は第一次訴訟の勝利判決後に雑誌「正論」に掲載された稲田朋美弁護士(現在は衆議院議員)と同じものです。
この論調に対する明快な回答が吉見義明教授の証言でした。担当した大江京子弁護士との主尋問は裁判史上に名を残すであろう切れ味鋭く、迫力あふれる素晴らしい証言でした。

但し中国ハルバ嶺における遺棄処理事業に関わる日本企業の不透明さと中国側の問題は別途解決しなければならないと考えます。
05. 7.30
 中華全国律師(弁護士)協会は29日、「対日民間賠償請求法律援助専門基金」を設立したことを発表しましたが、このことの持つ意義は大変に大きいと言えます。  それは同基金は、国務院の管理規定に従って管理・使用されると報じられていますので、中国政府が本格的に戦後処理の「慰留問題」を支援することになったことです。
05. 7.26 チチハル弁護団のページをアップしました。
05. 4. 8 最近の裁判状況について私の所感を掲載しました。
05. 4. 5 環境省は25日、「念のため日常生活上の安全性を確認する必要がある」として来年度、環境調査を実施する10カ所を発表しました。環境省に電話で尋ねたところフォローアップ調査後の新たな情報として▽山形県米沢市郊外と宮崎県都城市があったので追加しこれまでの8ヶ所に加え10ヶ所としたと答えました。米沢市は新宿区百人町の6研が疎開した場所だそうです。
ニュースリリースをご覧下さい。
05. 3.10 2004年の活動報告と2005年の活動方針をアップしました。会の活動
05. 3. 7 原告代理人が哈爾濱郊外で毒ガスを遺棄した元軍属の証人を申請した。国側代理人は本件事故を関連がないとから証人申請に拒否の発言をした。それに対し裁判長はそんなにぴったりした証拠はありませんよねー。と国側を批判した。ニュースリリースをご覧下さい。
05. 1.20 16日17日の毒ガス3弁護団新春大久野島ワークショップに参加してきました。会の活動に報告概要をアップしました。
05.21.15
  • 茨城県神栖町の毒ガス被害で環境省が調査をしていましたが汚染源と見られるコンクリートが見つかりました。
  • 明日16日から毒ガス3弁護団新春大久野島ワークショップがあり私も参加します。神栖の弁護団と今後の対応について打ち合わせをしてきます。
  • ニュースリリースをご覧下さい。
04.12.10 12月9日に東京高裁で元日本兵に対する国側の反対尋問がありました。東京新聞が10日付朝刊で報道してくれました。
またアップが遅れましたが11月8日付人民日報日本語版の記事を転載します。この記事は関東軍野戦兵器廠哈爾濱支廠で毒ガス弾を遺棄した元兵士の証言で、吉林省敦化市における証言と並ぶ重要な証言です。ニュースリリースをご覧下さい。
04.12. 2 今日から「事務局長のひとこと」のページを新設しました。毒ガス被害者をサポートする会の活動やサイトの更新情報を主な内容と致します。
1