国内被害者の状況

03年8月13日の記者会見当日、お盆で実家に帰られて出席できなかった、青塚さんが寄せられたメッセージをご紹介します。

「毒ガス被書者の尊厳を回復し毒ガス兵器の完全廃絶を求めるアビー.ル」活動と「旧軍毒ガスホットライン」開設に寄せて

 私たち家族は、茨城県神栖町で起きた旧日本軍の毒ガスによると.思われる健康被害に現在も苦しんでおります。このたびの「毒ガス被書者の尊厳を回復し毒ガス兵器の完全廃絶を求めるアビ….ル」活動と「旧軍毒ガスホットライン」開設に際し、私たちの受けた健康被害と精神への苦痛ににご理解をいただき、早期の原因究明を目指した取り組みへのご協力、ご支援をお願いをしたく、お訴えをさせていただきます。
 
 私たち家族が住んでいた自宅アパートの井戸水から水質基準の450倍のヒ素が検出されたと知ったのは、ことし3月20日でした。その後、そのヒ素が旧日本軍の毒ガスの分解成分のジフェニルアルシン酸と知ったのですが、この化学物質は、実に1年半以上もの間、私ども夫婦と、7歳の長女、1歳の長男の、家族生活をむしばみ続けていたのです。 長男は8月で1歳11カ月になりました。生後2カ月から、問題の井戸水で溶いたミルクを飲み、生後半年で医師から発育の遅れを診断されました。喉に夕ンが絡む症状もあり、流動食以外口にすることができくなくなりました。1歳の誕生日が過ぎたころには、脳性まひの疑いとまで診断を受けました。
 
 身体がが弱ったまま、.立つことも、歩くこともできない長男を抱え、病院に通い、辛いリハビリを受けさせる日々が続きました。昨年の暮れからは、喉の症状がひどくなりはじめました。肺炎の症状が4カ月近く続く中、泣き叫ぶわが子を押さえつけ、毎日、薬を飲ませ続けました。しかし、症状は重くなるばかり。とうとう呼吸困難を起こすようになり、鼻から管を入れて、タンを取るようになりまし.。
 体重も増えず、顔色は青白く、子どもらしさがまったくと言っていいほど無い、わが子の痛々しい姿に、「同じ年ごろの子どもたちは元気に歩いているのに、なぜ、うちの子だけが」と悲嘆に暮れました。

 被害は長男だけでなく、長女や私、夫までも襲いました。
 長女は、手足の震えやけいれんが出て、病院で検査を受けても原因が分からず、はじめ「精神的なもの」と診断されました。震えが止まちず、お箸を持つこともままならない症状が日に日に重くなり、寝ていても、布団が飛び上がろほどのけいれんが起きるようになりました。熟睡もできず、集中力もなくり

、小学校に進学したばかりの長女の学力はみるみる低下しました。
 親の私たちも、原因不明の目まいや震え、ひどい頭痛に悩まされるようになり、家族全員の身体がおかしくなった家庭生活は、暗く沈み、「なぜ、私たちばかり、こんなに苦しく辛い思いをしなければいけないのか」と、涙を流す日々を過ごしまし..た。そんな時、私たの病気はヒ素が原因だったと知ったのです。
 
 原因が分かって良かったのと同時に、行き場のない怒りが込み上げてきまた。戦争を知らない我が子が、今になってなぜ、戦争の被害に逢わないといけないのか。国が、戦後にちゃんと兵器の処理をしてさえいれば、こんな被害に逢わなかったはずではないのか。いまだ憤りは治まりません。私達は、中東やアジアなど、世界各地で今も地雷や遺棄兵器の犠牲となっている市民と同じ、.戦争の被害者なのです。

 国は、今回の健康被害者に対し緊急の支援策をもって対応しました。しかし、その名目は「調査協力金」で「補償」ではありませんでした。また、3年という期限付きの支援の在り方にも、.私たちは納得できませんでした。国は、ジェフニルアルシン酸が旧軍の毒ガス成分と分かっていながら、「原因究明ができていない」として、いまだに責任を認めてはくれないのです。私たちは、この怒り、この悲しみを、いったいどこの誰にぶつけたらよいのでしよう。

 子どもの人生を返しほしい。私たちの平凡で幸せな生活は、いつになったら戻ってくるのでしょうか。

 今回開設された「旧軍毒ガスホットライン」は、原因究明に向けた貴重な取り組みになるものと信じています。国内外の皆さまには、どんなささないな情報でも結構です。旧軍の毒ガスに関する情報を寄せていただきたく思います。そして、国は責任を認め、被害者に対して謝罪し.ていただきたいく思います。日本や、戦地となった世界の各国に、これ以上の犠牲者を出さないためにも、私たち家族の訴えに耳を傾けてほしいと心から願っています。

                      003年8月15日 青塚美幸