敦化・広州弁護団が現地調査へ
敦化・広州弁護団は昨年12月15日〜18日まで吉林省敦化市に現地入りをして被害者の二人の少年に聞き取り調査を行いました。(下記報告を参照)弁護団は引き続き広州の現地調査を3月3日から行う予定です。【写真左】日本政府の遺棄化学兵器処理施設がある吉林省ハルバ嶺の峠で(気温は零下20度)。左から南典男、菅本麻衣子両弁護士。【写真右】は敦化市内のホテルで被害者の周君と劉君を囲んで。
敦化・広州事件被害者弁護団のページ
| 敦化毒ガス被害事件の概要 敦化・広州弁護団弁護士 菅本 麻衣子 2005年7月23日、夏休みの初日。中国は吉林省、北朝鮮との国境に近い町敦化市街から50kmくらい離れた農村、蓮花泡の小川で、4人の子どもが遊んでいました。 その一人周桐君(13歳)が、川の岸近くに砲弾が刺さっているのを見つけ、抜いて対岸に運んで、小枝で泥を取り、砲弾の先端に開いていた穴の泥も取りました。そして他の場所に運ぼうとしたところ、砲弾の先端の穴から液体が出てきて、ひざ上あたりから足にかけてかかったのです。 そして、周君が穴の泥を取った小枝についていた液体は、隣にいた劉浩君(8歳)の足にもかかりました。 劉君は足に付いた液体を手で拭いてしまったので、手にも液体が付いてしまいました。 次の日劉君は手と足が痛み出して痛くて眠れなくなったので、村の診療所に行って診察を受けました。それでも痛みが引かないので市民病院に行った所、入院となり、毒ガス被害である事が明らかになったのです。 周君は、足のひざ上と、足の甲に水泡ができ、つぶしても後から後から水泡が出てきて針で刺すような痛みを感じました。 入院して最初の1週間は眠れませんでした。水疱をつぶすと膿が出てきました。水疱のできたところを洗うととても痛みました。 劉君は、右足のひざ下と、右手の中指と薬指の間が焼けただれ、水疱が次から次へと出てきました。右手の中指と薬指は、水疱でくっついてしまいました。家では痛くて泣いていました。とても痛い思いをして水疱をつぶすと膿が出てきました。入院中は手をかきむしらないように手をベッドにくくりつけられていました。 周君と劉君は61日間病院の火傷科に入院し、一応水疱はなくなりました。しかし劉君にも周君にも水疱ができたところに痕が残っており、寒くなったりすると痛みます。 【写真は周君の足】 また、心肺機能の低下も見られます。育ち盛りの二人ですが、咳き込むことが多くなり、走ることに障害が生じています。 周君も劉君も、しょっちゅう風邪を引くようになりました。 周君は、私たちが聞き取りをしたときも風邪を引いて咳をしていました。 周君は入院によって学校の授業に遅れてしまったことを不安に思っています。 毒ガス被害は、どのくらい症状が悪化するかわからない進行性被害ですので、本人たちも本人の親たちも非常に不安を抱えています。 その後、周君が拾った砲弾が、日本軍の毒ガス砲弾(きい弾)である事が、2005年8月に日本政府が派遣した調査団によって確認されました。このとき、調査団の外交官らしき人物が周君と劉君の病室を訪れて中国語で「対不起」(トエ ブ チー・ごめんなさいの意)と一言だけいっていますが、謝罪はそれだけです。 |
| 遺棄ガス弾の破裂で漁民夫婦ら三人が重傷 中国南部の珠江に大量の遺棄化学兵器遺棄の疑い! 和仁 廉夫(ジャーナリスト) 【写真】地元警察によって立ち入りが禁止されている陳夫婦の自宅(撮影和仁廉夫氏) 昨年6月21日朝、中国第三の大河、珠江のほとりの水上家屋に住む石婆さん(78)は、いつものように家の前の路上に放置してあったくず鉄の整理をしていた。「まったく、おかしなものを拾って来たね。奇妙な形をしているよ」。婆さんはぶつぶつ言いながら、作業の手を休めなかった。 婆さんは夫の陳爺さん(81)と二人で魚を取って生活していた。年々珠江の汚染が進み、目に見えて漁獲が少なくなるなか、零細漁民の間では大きな磁石で川底をさらってくず鉄を集める商売が流行していた。婆さんがいじっていた赤錆びた鉄塊も、一昨日爺さんが虎門水域で引き上げてきたものだ。 婆さんが鉄塊の頭をコンコンと叩いたところ、鉄塊が突然破裂して黒い気体が勢い良く吹き出してきた。気体は周囲7〜8メートルに飛び散り、婆さんは顔や頸に気体を浴びてしまった。家から出てきた爺さんも頭や顔に気体を浴びたが、二人は「大したことはない」と思い、石鹸を付けて全身を洗い流した。 おりしも、子どもを小学校に送ってきたばかりの梁夫人が自転車で帰ってきた。夫人の自転車のハンドルやサドルにも気体が付着したため、梁夫人は掌やお臀に激しい痛みを感じた。 事件が発覚したのは、梁夫人が地元の病院に駆け込んだからだ。夫人の掌は爛れ、水泡が出来てじゅくじゅくになっていた。医師は今まで見たこともない症状になすすべも無く、人民解放軍廣州総病院に連絡。現場にはサイレンを鳴らしてたくさんの警察車輛が集まってきた。なかには防毒服に身を固めた人民解放軍核化学戦処理班の姿もあった。三人は広州総病院の集中治療室に移送され面会謝絶の状態にある。 6月25日に被害者を見舞った日本政府の調査団は、26日に現地入りし、日本の遺棄化学兵器「きい弾」によるものと認めた。この時に現場付近で視認した化学弾の除去も、翌7月の19〜24日に行われ、ひとまず周辺住民の危険は取り除かれた。 中国南部はこれまでは遺棄化学兵器が希薄な場所だと見られてきた。ところが現地報道を精査すると、過去数年だけでも、珠江沿岸で散発的に化学砲弾発見の報道がある。厚生労働省が保管している南支派遣軍参謀山津善九郎大佐の復員記録にも、敗戦時に「特殊弾などを川に捨てた」と記録されていた。広州で日本軍の武器倉庫を接収にあたった米軍のジョン・ゲイ大尉も、ガスマスクなどが大量に発見されたのに比して化学弾がほとんど発見されなかったことを、「日本軍は我々が到着する前に密かに運び去ったのだろう」と本国に報告していた(05年11月30日付「サポートニュース」所収の吉見義明教授証言参照)。 このように、漁民らの被災は氷山の一角にすぎない。三人の被災者への医療・生活補償とともに、珠江河底の全面精査なくして幾千万人にも及ぶ珠江三角州沿岸住民の危険と不安は取り除けないだろう。 |

