■ 主体性の欠如と祖国日本について!!

 最近感じることの一つに「主体性の欠如」に関することがあります。もっと言うならば自ら物事を深く考えることなく、ただ周りに流されて動くような受動的な面が目に付くのです。日本の全ての世代にこのような傾向が窺われますが、特に若者の世代にこの傾向が強く現れているのではないかと思っています。

 この問題をもっと突き詰めていくと教育に係わる問題にぶち当たります。昔の教育と今の教育で根本的に変わったのは、「自由」とか「ゆとり」のような言葉で表されている民主主義のある種の美しい幻想に踊らされているような気がしてなりません。

 義務教育においては自由ではなく、昔の「読み、書き、そろばん」のような基本的なことをどちらかと言うと強制的に学ぶものだと思います。このような重要な時期に「自由」や「ゆとり」というような、ある種の成熟した過程に係わる要素を取り入れてはならないと思うのです。

 基礎を学ぶ時期は、厳しい環境のなかで基礎をみっちりと学ぶことが大切なのです。このような時期を過ごすことにより、主体性をもって行動したり考えたりすることを学ぶのだと思います。優しさやゆとりは、これらの基礎が確立したあとに導入すべきものなのです。

 先日「国家の品格」の著者である藤原正彦氏の講演を聞きましたが、内容に関して非常に興味をもちました。いままで世の中で騒がれている事象を全て否定した面から述べており、考えさせられるものがありました。

 特に気になったのは、「論理」に係わる考え方です。科学万能的な考え方で進むと「論理」が正しければそこから導き出される結果は全て正しいとなりますが、人間に係わることをこの論理の考え方で展開すると、誤った結論に導かれることがあるのです。従ってこの場合でも、人としての主体性が明確に出されないと、正しい判断や行動が出来ないことになります。

 1980年前後を境にして、日本は経済成長期に入り経済的な豊かさだけでなく、国民の多くが物質的な豊かさを享受できるようになり、米国のように極端な貧富の差が生じることなく、国民総中流化が加速されました。しかしその一方で、精神的な面での成長が進まず、仮にあったとしても、それは表面上のものでしかなかったのではないかと思います。

 精神的な面での成長を阻害した一つに、TVや新聞や雑誌のようなマスメディアの力が大きく係わっているのだと思われます。これらは一方的に事象の内容や考え方を勝手に、それも毎日大量の情報を吐き出している、まさに情報の怪物のような存在になっていました。

 受けとる側はこれらの事象の事実や信憑性を自ら確認する術を持ち合わせていないことから、全てを正しいものと判断し精神面での自己の確立が出来ないまま育ってしまったのです。

 また1990年代にはインターネットの急激な技術伸展により、これまでに考えられなかったような仮想の世界がその中に出来あがり、現実の社会から逃避しその中で精神的な幸せを享受するようになってしまったのです。このようにマスメディアの一方的な流れに対して、自ら情報を選択して考える機会が少なくなったことが、大きな問題なのです。

 いまの日本という国は、国全体がこの主体性が欠如した状態になっています。なぜならば、国民ひとりひとりに主体性がなく、周りに流されているからです。恐ろしいことに民主主義では、ものを申さぬ国民で構成された国家は、今の状態が正しいと判断され、国民の総意として国が勝手に動いてしまうのです。

 主体性を取り戻し、あるべき姿の国家にする必要があると思います。そのためには、我々は常に主体性を持って考え、そして行動する必要があるのです。そうでないと世界でも有能な国民で構成されている祖国日本が、崩壊してしまうことに繋がるのです。


以上、メールマガジン 「ゆうちゃんの独り言」 NO.225 7月17日号  転載許可承諾済み


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■ 中流・平等神話からの脱却と現場・実力主義のすすめ!!

 以前から感じていたことですが、現在の世の中は何故か先が見えない、ただ時間が流れていて誰もが知らないうちにストレスが溜まる一方で、一向に改善の兆しが見えない状況ではないかと感じています。

 確かにかなりの企業がリストラを推進して経営が好転している傾向は見受けられますが、これは真に企業や社会の力によって改善されたものではないと思っています。あくまでも一 時的な措置からのものであり、恒久的な対策の結果ではないのです。

 経済は人間のバイオリズムと同じように成長と衰退の過程があります。これを上手くコントロールして急激な変化をさける仕組を作ったり、また有効な対策を策定するのが経済学で すが、この経済学も最後は市場の中の人間の心理行動も含んだ行動様式により左右されます。 ですから有効と思った施策を実施しても、常に期待される効果が出るとは限らないのです。
 現在の停滞感のある社会の何処にその根本的な原因があるのだろうかと考えることがありますが、明確な答えが見つかりません。これは正に、酒を飲みすぎた翌日の二日酔いの状態 であり、頭の中に雲がかかってよく分からない状態です。脱力感というのか虚無感とういか、体に気合が入っていない状態のように思われます。夢が真剣に語られていないし、個人個人 が夢を持っているのかどうかも分からない状態だと思います。

 高度成長期の日本では、「努力をすればなんとかなる」とある程度の夢が実現できた時代 でした。現に労働者階級出身の子どもである凡夫の私でさえも、高度成長の中で二流の私立 大学であってもなんとか出れば、すんなりと職を得る事が出来ただけでなく、最終的にある程度の管理者までなるという夢を実現することが出来ました。自分自身ではとても運が良く 時代の巡り合わせがよかったのだと思っています。自分の実力以上の結果だと思っています。

 本当の意味で言えば、何事も努力でなく実力で判断するのが合理的な方法だと思います。本当に個人の実力を発揮して出来るのであれば誰もが問題なく納得できますが、兎角世の中はそのようにならないのが常であって、大きな声の人が最終的に勝つのです。ですから、実 力があり夢をもって生きている人間にとっては、とてもやりにくい世の中だと思います。

 高度成長期にある程度の夢を実現可能とした背景には、経済成長がありました。高度成長時代から安定成長時代には、どの企業も右肩上がりの業績拡大を可能とすることができたことから、必然的に組織拡大を続けられたのです。これに伴い専門職や管理職のポストも増え、多くの人間が上層のホワイトカラーになることができました。

 しかし、バブルがはじけ低成長時代となり多くの企業が組織の見直しを通してリストラを実施、あるいは基幹業務以外をアウトソーシングすることによりコスト削減を推し進めてきました。その結果、昔のように多くのポストはなくなり、組織自体もスリム化されました。今後は、本当の実力主義にならないと働く人間のモチベーションが維持できなくなりますし、次の世代に円滑な受渡が出来なくなると思います。

 仮に今の世の中に自分が生まれたら、到底現在の自分と同じようなレベルまで達する事が出来なかったと思います。これまで日本の社会は急速に中流化や平等化が推し進められたために、経済が低迷すると多くの問題が表面化してきます。従ってこれらを推し進める場合に は、事前に適切な社会システムつくりを行うべきだったのです。

 どのような時代でも餅屋は餅屋の考え方があってしかるべきだと思います。特に重要なことは、現場の業務を理解した人物がホワイトカラーの中にいないと駄目だということです。その企業で実際に金を稼いでいるところはサービスを提供している、あるいは物を作っている現場なのです。

 この現場でどのような事が起きているのか、あるいはどのようにして製品が製作されているのか、また実際のお客さま接してサービスを提供しているのは現場なのですから、これらをきちっと把握する必要があります。これらを把握して始めてホワイトカラーの中で企画や戦略が生まれると思います。

 ですから、ホワイトカラーとブルーカラーはきちんとその役割分担を行い、それぞれの中では、実力による人物評価の判断が下されて組織運営が円滑に動くようにすべきであると思います。このようにはっきりと役割を分けるのは不平等ではなく、反対に平等だと思います。

 この意味から言えば全ての人間に対して通常の高い学歴は必要とされず、ある分野に特化した専門知識を持った人間の育成が必要となるのです。その意味では専門学校等に期待するところは大きいものがありますし、これらをもっと充実する必要があると思います。

 勉強が嫌いな人間に無理やり勉強させて大学に行かせても意味がなく、仮に手先が器用であれば、昔のドイツにあったマイスター制度のように物づくりの基本となる専門技術を身につけ、その分野のエリートになることが重要だと思うのです。また手先が器用でなくアイディアや企画が得意な者は、ホワイトカラーの仕組みの中で頑張れば良いのです。

 以上より、ホワイトカラーやブルーカラーの仕組みの再強化を行い、それぞれの中で個人の夢が達成出来るようなシステムを構築し、努力よりも実力を重点に置いた評価システムで物事を判断することが重要なのです。このようにすることにより、意識あるものは努力し実力をつけるようになります。

 また、今後は従前のような全ての人が中流でかつ平等であるような社会システムは維持して行けないので、個人ごとにどのような人生設計を行うかを考えるべきであり、その結果で中流のレベルを維持でき得るのであれば良いのですが、出来ないのであれば出来るようになるまで生活レベルを下げる必要があります。特に若い人はこの点に早く気付き対応する必要があります。

 今後は益々厳しい時代になって行くと思われます。今の若い人は自分なりの夢を持ちその実現に向けた人生設計を行い、自分に適した生活を送るようにして欲しいと思います。その際に重要になるのは、努力は避けて通れないものですが、努力だけでなく確実に実力を身に付けることが特に重要だと思います。努力は取り組む姿勢でありまた過程であり、実力はこらの最終結果なのです。


以上、メールマガジン 「ゆうちゃんの独り言」 NO.188 9月18日号  転載許可承諾済み


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