明治から平成を駈けた女 第4章
イクは、立山連峰を背にして金沢に向かっていた。
大正13年3月に3年間の学業を無事終了した。卒業と同時に舎監室の清水舎監から呼び出し受けた。
しかし、2ヶ月はとても長い時間であった。その上必ず採用されるという確信は無かった。採用されるとしても、ぼんやりと2ヶ月間を過ごす事もできないので、同期生の阿部ユキを尋ねる事にした。ユキは、もともと金沢医学専門学校で看護婦として働いていたが、日赤の看護婦の資格を取りたいと富山の赤十字病院で、3年間一緒に勉強し、親しくなっていた。
そのユキが、今度開業する伯父さんから手伝いを頼まれていた。しかし、ユキは元の金沢医学専門学校に就職が決まっていたので、イクの登場は有難いと、すぐにその塩町医院に就職が決定した。
イクはすぐに汽車に飛び乗って、金沢へと向かったのであった。汽車の窓から見える立山連峰は美しかった。青空を背景にして、まだ雪をかぶった立山の峰々は、小さな日本の山というよりも、外国の雄大な山の雰囲気を持っているのだが、小さいうちから見慣れた立山連峰は、イクの目には美しく映っていなかった。いつまでも続く立山連峰が消えた頃、イクは金沢に近づいた事を知った。
金沢の町は、京都の町の雰囲気に似ている。金沢駅を出て、暫く歩くと、細い道が曲がりくねっていた。落ち着いた古い町の中に北陸独特の親しみやすさを、町の中を歩く人々は持ち合わせている。
「元気でやりまっし。」
「ほんまにそうやね。」などと柔らかい言葉を交わしながら、人々は挨拶を交わしている。加賀弁も京都の言葉に似て優しい。人々は、肩が触れそうな近さですれ違うのも、心が和む。イクは、そんなスキンシップの溢れる町中をいそいそと歩いていった。細い道は迷いやすいが、思いがけない所に神社や立派な屋敷を見つけたり、行き止まりには小さな祠を発見したりして、イクは新鮮な驚きと共に優雅な旅人の気分を味わっていた。
塩町医院は、金沢市の町の中心にあり、静かな住宅地の中にあった。
塩町先生は、イクを医院の職員を紹介した。
「こちらが今度看護婦として手伝ってくれる坂田イクさんです。よろしく。」
あっと言う声にイクは頭を下げながら、声の方を見た。そして、イクも思わずあっと声を上げた。
「土田さんだ。」
「坂田さん。」
二人は奇遇に感動をおぼえた。懐かしい友に再会して、同じ医院で働く事に二人は喜んだ。土田キヨミは、イクと日赤で学んだ時の同期生であった。しかし、2年生の時、キヨミは健康を害して、中退した。キヨミの学習に対する熱意は、なまけぐせのあるイクが感動するほどであった。が、夜遅くまで根を詰めての勉学がキヨミの身体を蝕んだのである。しかし、今はすっかり元気になっていた。それが、又、イクの心を暖めた。
「塩町先生は、金沢医学専門学校で内科部長を長年勤めていらして、街の人々の信頼はとても大きいの。」と、一通りの挨拶と紹介が終わった後、2人になった時、キヨミは自慢気に話した。イクもその話はとてもよく理解できた。
「そうなん……」
「この医院は、もともと大きな旅館であったものを改装して、20ベットの病室を整備して、理想的な病院にしたいとの塩町先生の考えなんよ。だから、どこも落ち着いた和室の静かな部屋になっているでしょ。」キヨミは、医院の中を案内しながらイクに先輩顔をしながら話した。確かに日赤の病院の中のような無機質的な空気はなかった。金沢の町の中のような柔らかで穏やかな雰囲気があった。どんな病気もここなら治ってしまうと言う感じすら与えてくれる、そんな医院であった。
「日赤の看護学校を中退してから、元気になった後、検定で看護資格を取ったんよ。そして、他の病院で働いていたのを、やはり阿部さんの紹介でこの医院に来たんやわ。」ここでもユキの心がある事に、二人は胸の温まる思いを感じた。全く誰も知らないところで働くより、一人でも知っている人が居る事の心強さ。二人は、「やっぱり……」と手を取り合ってユキに感謝した。
二人の職種は、可愛い顔をしているキヨミは受付・薬局・会計であり、イクは日赤卒業生と言う事で診断室と検査室、それに病室の担当も加わった。もう一人、お手伝いの若い女性が居たが資格を持っていなかったためと、ほとんどイクとキヨミがてきぱきやっていたため、その若い娘の仕事は目立たなかった。忙しい時手伝うと言った具合で、何となくのんびりと時間を過ごしているようだった。
しかし、時には目の回るような忙しい事もあって、イクは探し回ることもあった。姿が見つからないので、自分達の部屋を覗いてみると、自分の机に向かって原稿用紙に夢中になって何か書いている。
「何をしているのですか。早く来て手伝ってください。」と大きな声で頼んだ。
「ごめんなさい。『少女画報』の投稿締切日が迫っているので、とても忙しくてお手伝いはできません。」と悪びれた様子でもなく、堂々と言う。余りのあっけらかんとした態度で、イクは叱るよりも、思わず微笑んで、
「分かった。頑張って、締切日に間に合う様にね……」と、声援を送ってしまう有様であった。
塩町医院の外来患者は、1日100人近くで、また、病室もほとんど塞がっているほどの状況であった。イクの仕事は、専門の看護婦に徹していれば良かったが、キヨミは薬局で処方箋通りの薬の調合に、会計と目の回るような忙しさであった。すべてが現金であったので、キヨミは1銭も間違わない様に神経を使っていた。1日の計算をして塩町先生に間違えずにキチンと手渡すのを見る度、計算の弱いイクは、毎回1銭も間違えないキヨミに感心していた。
イクは生まれつき周囲への心遣いが上手く出来ない性格であったため、いつも塩町先生からお目玉を食らっていた。病室の患者からの呼び出しや注射器を取りにいくときなど、いつも駆け足で走っていた。走るというものではない。足音高くバタバタとするのだった。何度先生から注意されても、イクのバタバタ足は治らなかった。一つのことに夢中になると、イクの心はそのことを早くやらなければと気持ちが急くのである。先生もそのことを良く理解していたが、医院の風格には合わないとばかり、お小言が出るのである。
「必ず治しますから、お許し下さい。」と、イクもその都度、殊勝に頭を下げるのである。
しかし、どう言うわけかイクのこの癖は最後まで直せなかった。しかし、イクはイクなりに努力はした。分厚いフェルトの草履に履き替えたり、時には靴下を何足か重ね履きして歩いてみた。そういう工夫はイクのお得意であったが、もともとおてんばでおっちょこちょいな性格はどんな方法でも直らないと同じように、このバタバタ歩きは一向に収まらず、塩町先生を悩ましていた。イクは自分では治したつもりで居たので、塩町先生の重ねてのお小言は理解できず、先生の神経質な性格からきている事だと思いこんでいたのであった。
開業祝が次から次へと溢れるばかりで、様々な高級食品が届けられ、台所はいつもご馳走で一杯だった。食事ばかりか、お茶の時間まで最上のものが用意された。イクの食欲は底がなかった。いつも美味しいものでお腹は一杯だったため、先生のお小言も耳の横をかすめていく微風ぐらいにしかならなくなっていた。お給料も1ヶ月11円という寄宿舎生活と同じなので、学生とは違うのでもう少し貰っても良いのではないかと、思わないではなかったが、このご馳走の山を見て、イクは「まあ、良いか」と、心を慰めていた。
そんな毎日、ハガキが一つ届いた。初めての異性からのハガキであった。イクの心は華やいだ。
『卒業おめでとう。貴方は人に好かれる性格なので、どこに居てもきっと上手くやっていけるでせう。しかし、将来、どんな誘惑があっても、自分の信ずる道を突き進んでください。幸、不幸は自分の心にあるのです。』と書いてあった。イクはこの小島三郎という学生を憶えていた。赤十字病院で入院していた慶応大学の学生であった。当時、胸部を患っての入院患者だった。患者と看護学生は、規律が厳しく私語を禁じられていたので、イクはその学生を心憎からず思っていても、言葉を交わすなどということは不可能であった。卒業後に、初めて私語を交わしたのが、このハガキであった。自分の初恋が淡く消えたと思っていたところだったので、イクは心が躍った。あの人も私の事をキチンとおぼえていてくれた。もう嬉しさで一杯だった。肺病でなければ、すぐに飛んでいきたい。しかし、冷静なイクはこの恋は決して実現できない事を理解していた。悩んだ末、親切をありがたく受けとめる事で、返事を出さない事にした。
イクは千葉の病院からの採用通知を受け取った。
兼六公園は日本の三大名園の一つとされる。金沢城の庭であった。イクは、爽やかな新緑の中を歩いていた。6月の兼六公園の風物は男性的であった。この緑の息吹に包まれると、これから向かう千葉に心の底から力が湧いてくるのだった。息苦しささえおぼえるほどの木々の緑は、男性的な性格のイクの心に大きな自信を湧き上がらせ、未知の世界に大きな期待で気持ちを押さえることはできなかった。イクは、千葉駅に着いた。
千葉駅には先輩の温田さわがイクを迎えに来ていた。さわはそれほど美しいとは思えない容貌の持ち主であった。しかし、美しい瞳を持っていた。その魅力である瞳が人を惹きつける。さわは気が優しい。その上、いつも微笑んでいるため、人から嫌われるということがなかった。イクのように自分中心のはっきりした性格は、昔から嫌われる時は徹底的に嫌われることがあった。さわは背も余り高い方ではなかった。着ているものもそれほど高価なものを着ない。そんなに太っていないので何でも間に合って着こなしてしまう。目立たない人でもあった。そのさわがイクを千葉駅に迎えに来てくれた。大正13年6月の終わりの頃であった。