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2005
お星様にもねがいごと
桜朱音

10なつ凹

5000円のポイントが失効しちゃってショック。
よく考えたらそんなに電気屋さん行かなかったかな?と思ったら、最近はもっぱらインターネットで中古で買ってしまっていました。保証とかないけど、電気屋さんのセールで買うより何万円も安いし、店頭にはない掘り出し物もあるし、自分には向いているのでした。今後も生活圏内にない電気屋さんには行かなさそう。ポイント系はこの際使い切ってしまおう。


あと最近「ワールドカップしよう」って言われて、新しい!って思ったよ。
みんなも使ってね。

どーん、と構えていることができない。

「自分がやんなくたって、どうせ誰かがやるんだからだいじょうぶよ。」 って、思えない。実際は、○○にしかできないこと、てあんまりない。なにか代りのもの、代りのこと、が何が何でも見つからないとはかぎらなくて(だからこそ一生懸命に、やらなきゃおいてかれちゃうんだけど)、時間がたてば何とかなることもある。だから、はやめにムリですって言えばいいのに、言えないのはいくない。ムリですー、って言っても、いやあ、そんなことないよ、できるできる、ホラホラ、、ってしつこくされることもあるけど、それでもできません!を言えないと、自分を守れないのではないか?それでもムリです、ってくり返しているとかなしい結果になる。かなしい結果になるってわかってて、なんでしつこくしちゃうのでしょう。

そのひとなりのたのしくしかた、を見つけるといいかもしれない。たのしくしかた、と上手い断りかたは近いような気がする。


チョコ向井の講演をネットで拾い読みして、これはさすが、と思って エロマンガにまつげ〜説と関係あるような気がしないでもないです。
講演は、デビューしてから今までで、何年目にどんな壁にぶつかって、どう克服して、どう感じたかって話で、顔をじっと見て手を握ってがんばると大丈夫なんだと言うのは、初夜2以降の田中ユタカも近いものがあって、ああいうのがいいなと思うのだけど、なかなか出会えないのである。いいな、と思っても、なかなかできないものである。

プレパレー

櫛枝かわいいよ。
ようつべで櫛枝さんのとこだけリピートして見るよ!
絵柄は好き、というほどでもないけど、それでもかわいいよ櫛枝さん◎女子にモテる子だよ。

最近「エロマンガ家は女子にまつ毛描かなくなってからが勝負、の法則」を見つけました!
まつ毛描いてるうちはまだまだ(たぶん)。

20090221

卒業したんですよ。
人生はやり直しができません。私はかなしいくらいダメ人間。
それでも無理に卒業しました。
とてもかなしい。

これから、は残されていて、日々を続ける、ということがほんとうは一番難しくて、大変。人並み以下から、人並みをめざして。


へんなひとのことを、あとで思い出せるように書いておこう。
なんかいつもつなぎを着ている。
あさになると刃物を研いだりする。
ものを大切にする。さわったところからきれいになる。
器用で、神経質。からだの線がきれい。
何日かけても気がすむまで同じことしてる。勉強家。
あんまり帰らない。あんまり寝ない。でも実はちょこちょこ寝てる。
構われるのがきらい。動物のようだ。人見知り。私たちのだけかもしれないが、飲み会は来ない。表情があまりない。
冗談をいうときはすこし笑う。
ものを貰うのはきらい。

甘いものが好きだ。チョコレートが好き。動物が好き。
よくおんなのひとと揉めていそうだけど、よくわからない。うまくウソをつくとか言ったことは下手で、不器用なのかもしれない。
女の子、と言うか年寄りのばあさんぽい。
同い年らしい。


最近、日創研っていうのの教訓みたいなのを読んだ。
心うたれる。人間は駄目になってはだめじゃないけど、日々。ときどきは駄目だって思って、がんばって、つかれて、なまけて、やる気が出て、くだかれて、つなぎ合わせて。日々。

心をだめにしないってのはすんごい難しいですね。おっぱいをおおきくするのくらい難しい。
あとで気づいて払ったからよかったものの、はじめて食い逃げをしました。食い逃げって言うか疲れすぎていて思わず気づかなかった。疲れてるのいくない。疲れる毎日いくない。こころが荒むほどやるのよくない。心が荒むようなことに従事するのいくない。

ビールおいしいです。
ビールかっこいい。ビール大人の男。

あー

いまさらふつふつと博内和代のDOG MAN読みたいなあ。
誰か持ってないよね。買うかー

最近あづまゆきって人がいて、あたら少女漫画みたいな絵で、あっけらかんとしてあんまりエロくないマンガ描くめずらしいタイプの人がいるなあ…と思ってたら女の人でした。絵が好きなので買ってます。まだぜんぶ読んでないけどスクールメイトがネームと絵が自然に合ってていちばんいいかな、と思ってます。

最近すばらしかったもの

9月かよっ!

ご愁傷様二ノ宮くんはグレンラガンぶりにすばらしかったよ…
DVDぜんぶ買ったよ…おとなってすごいね。沢城さんがすきです。沢城さんすごい、いい。 高苗さんの画集買うよ…

鳴子の本が出たよ。エロいリトグラフはまったく買わないよ。ポストカードの風紀委員さんでじゅうぶんだよ。

院試であれしちゃいそうなくらいあれ。

2008

あけました。おめでとうございます。

もっぱらアフタヌーンのみを購入しています。1000P立ち読みする強さがないねん。ラブやんとかげんしけんあたりから漫画好き→アニメオタク(購入層)にシフトしていったので、遠ざかっていたのですが、最近持ち直して嬉しいです。付録の四季賞の小冊子が読み応えがあって好きです。ただやたら付録についてくる使うにはちょっとなグッズ系のやり場に困ります。あの付録なければちょっと安くなるのかな。もともとこれ以上安くならなそうだから、付録は赤字覚悟のサービスなのかなぁ。

以前は仕方なしでしか行かなかったのですが、さいきん漫画喫茶に普通に行くようになりました。早読みするなら立ち読みよりいいかも。
もっぱらひぐらしのなく頃にって漫画しか読んでないです。こわいので買いたくないので人がいるところで読みます。いくじなしです。

漫画ばっかり読んでいてはいけないゾ!

12月

みんな自分のことしか考えてないのはあたり前だけど、言うてもあかんのはほんま。かなん。
びっくりして閉口しちゃうんだけど、それもどうかと思うので、さらりと平静を装えるようになりたい。なりたい。

最近はもっぱらご愁傷様二ノ宮くんを見ています。1+2=パラダイスといい、ユナといい、ゆんゆんパラダイスといい、こうなんか平和なのがいいよね。あとキャラクターは大事。
麗華さんも保坂もまゆも忍もみんないいのに、二ノ宮くんのデザインがイマイチなのは何でだろう。モテるって設定なのに、イマイチすぎる。あと二ノ宮くんのお姉さんの声があまりにもバンカラ過ぎるのがリアリティがありすぎていまだに気になる。まゆのお兄さんは全体的に不自然すぎる。まあでもいいよね、二ノ宮くんは。DVD欲しいな。

20071112

ちっす。メモ。

問題のない私たち

ガラスの動物園
トポロジー
村上春樹の「TVピープル」我らの時代のフォークロア、で
ピース
というのはどこかで見たことあるんだけど、何だったっけ。

最近はフェルトとかさわっています。 なんかもう主婦みたいな生活。

6/24気づいた疑問

男のひとって人間はうまく描けない(カタい。テクト)のに、ロボットとか機械とかがものすごくうまく書けるのはなぜ?ってものすごい乱暴に書いてみたから書きなおすけど、男の人とは限らないけど、人間を描くとあんまりうまくかけてないなと思うひとが、人間じゃなくて機械とかロボットとか動物を書くとすごく上手なんだけど、それは画力がある無いということとはたぶん関係なくて、その人の中で人間をいったん記号化してから描いているから、観察して描いているのではないから、人間は記号化されていて描かれていて、それはそのひとが人間をよく観察して描いたものじゃないからすごく不自然で、おかしいのだけど、機械とか筋肉とかはすごく上手で、おおっ、すげーと思います。格闘漫画とかロボットアニメに多いです。
で、「それはロボットが好きだから」という理由に拠っているところもあるんですけど、どちらかというと「人間が人間を異常に記号化して捉えるクセ」が関係していてその部分にすごく興味があります。「人間の記号化」が観察して描くと言うことを極端に大きく乖離している現象がなんか自分にとっては不思議です。ほかの人は全然不思議じゃないかもしれません。
もうひとつあって、絵とかビジュアルって全体でひとつを構成しているので、全部がヘタなことは画面が統一されているので全体としては違和感がなかったりする傾向があり、味のある表現としてよくまとまるのですが、人間がかけてないのにほかがすごいうまいと余計荒さが際立って、違和感が強くてしょうがないと思ったりします。
これって何でなんでしょう。なんでー?

こどもの日

むかし、小学校の学童保育のアルバイトに行ったことがある。
「こどもの面倒を見ればいいんでしょ」なんて簡単に思うが、実際はそんなに簡単ではない。こどもは怪我、けんか、愚痴、サボり、いじめ、無視、暴言、散らかし、気つけ、熱、鬱などありとあらゆるトラブルまたはその元を頻発し、あるケースのトラブルシューティングを学んでいて、かつなれていないとあわててしまい難しく、マニュアル(誰でもできるようなある筋書き)や能力(重いものが運べる、器用であるなど)でできるアルバイトとは違って、素人には(経験をつまないと)できない。
トラブル回避能力だけでなく、コミュニケーション能力も大事だった。 自分がなにかをする理由について、かならず説明できなければいけなくて、その理由も自分がわかるものではなくて、明快に彼にわかる理由でなくては、彼は理解してはくれないし、それに力を貸してはくれない。
逆に言えば、彼は話し合い次第では考えをかえてくれることも多い。もしおとなだったら、理解できでも自分のやり方を変えることは困難なので、子供は柔軟だとも思える。

6月19日

すきな人なんてせんさくされても困るよね…
だって、どうせやりたいようにやるもの


つゆ入りしたって言うのに、なんだか晴れているなあ。おせんたくにはいいわよね。でも、らしくないわよね。あなた、らしくない。
なんつって。

きょうもいい天気じゃ。

6月5日

やりかたなんてそのときそのとき任せでどうでもよくて、結果的に導けたかどうかのほうが大きな力がある、と思う
それは世の中で才能と呼ばれているもの、とはたぶん別で、勇気とか呼ばれるんだと思う。

6月4日

活字とかインターネットは文字が無いのかア…
なあんか、ふしぎ

あるものを、選ぶ感覚なのかな

愛しのかな

田中ユタカの「愛しのかな」を買いました。
いいよね。

階段、とか草むらとか、空は記憶なので、その記憶をなぞる感じが、描くことだなあと思う。描くことを重ねて、それが時間の厚みをはじめておぼろげながら持っていると言うか。エロまんがだからって遠慮せずに読みなよ。


せっかくなので、最近読んでいる漫画。
め〜てるの気持ち/奥浩哉
奥浩哉ひさびさのひきこもりラブコメディ。
もうすぐ終わっちゃうので単行本を買おう。たぶん3巻。

11分間

「星の巡礼」「アルケミスト」のパウロ・コエーリョのセックス小説。
冒険に生きること、所有しないこと、低俗でないセックス、愛についてなどをひとりの女性の視点からめぐる。テーマ性かもしれないが、世の中にあふれる依存についての恋愛小説、とはすこし毛色が違って、人が一人で生きるということのうえでのであいの話なのではないでしょうか。
しっとりと熱い、大人のひとにおすすめ。

東京難民殺人ネット

噂とネットをめぐるルポルタージュ風フィクション。
犯罪のまわりをめぐればめぐるほど、なぞればなぞるほど、わたしが、おそらくひとびとが考えうるよりも、ただ悲しい、ということだけがうかびあがってくる。松本清張もそういう感じがして、やるせない。

設計の参考に。
内田繁/茶室とインテリア
乾 正雄/夜は暗くてはいけないか 暗さの文化論

5月8日

のんちゃんが、なかざわさんよりもはやく結婚するんだって!
ぎゃー

小学生のグラビアっていうのを見たんだけど、もう見なくていいやっと思った。
なんじゃこりゃ。禁止しなきゃ売れないんじゃないの。そういうわけにもいかないのか。

5月1日

ごみがくさくなるのがはやくなったり、そとの空気がむんとした日のにおいをはらんだり、はちうえのガジュマルの芽がようやっと次々にあふれたりして、一年が一時がまたつみ重なって行くような気がして、ジャスミン茶を入れます。
安くなっていたベルガモットティーを淹れながら、あさのひとりきりの時間を楽しみます。

あのひとがいた時は、あさのはやいこの時間はわたしとあの部屋だけが明るくて、あのひとは部屋の戸をあけて、あたらしい空気をいれていた。しずかで、さみしくなかった。だから戸を開けよう。あのひとがそうしたように、わたしも戸をあけよう。

せくしーについて追記

三島由紀夫の「不道徳教育講座」という本を友達に借りて読んでいるのですが、その中のワイセツをめぐる話の中で、三島由紀夫が思う健康な性欲とはどういうものか?なんちゅうか、これぞ・・・?と思う性欲についての記述があったので、メモ。

> それでは健康な本能、健康な性欲とはどういうものか?
> これはどうも私には、ヌード写真や性的バクロ記事や「貞操をうばわれた処女の告白」やエロ剣豪小説や映画の二十分間ベッド・シーンや、……そういうものに挑発されて出て来るものとはちがうような気がする。
> たとえば、夏の一日、強烈な木洩れ日のそこかしこに落ちた森の中で、一人の若い木コリが、およそ性欲なんかすっかり忘れて、全身を汗にして、労働に従事しているとする。さて一休み。木の切株に腰かけて、汗をぬぐう。そのとき、森の下かげを涼しい風が吹き抜けてきて、彼の胸や背中の汗をいっぺんに蒸発させる。たとえようもなくいい気持ちだ。そのとき、日光にかがやいている枝葉の金いろの縁に目をやって、深く息を吸い込むと、今まで何も考えていなかったのに、突然体の奥底から、鬱勃たるものが湧いてくる。(中略)ただ、あんまり鮮明すぎる対象の幻覚なしに、いきなり、この明るい光りかがやく世界を、緑の森全体を、抱擁したいような気持が起る。――こんなのは一コのお伽噺かもしれないが私はこういうのこそ本当の性欲、本当の本能だと考えるので、あとはみんなニセモノと言っても過言ではないのです。

エロ小説やベッドシーンのことはこの章では「衰弱した性欲」と書かれることもあります。

極端な話ですし、前後の流れもありますから、エロ本とかには載ってない種類の性欲の話、それも多分おそらく特殊でマイノリティの――ということで例を挙げてみました。まあ、こういう世界もあるよ、という話です。ご参考までに。

せくしー?

なんか、べつにすきとかそんなことはなくて、ただやりたい、ひとがいるときってあるじゃないですか。ないかな。
なんで、そんなふうに思っちゃうのか、そんなふうにしか思えないのか、ということはよくわからないんだけれど、しかもよくしらないひとなんだけど、そのひとはついこのまえいなくなったので、会わなくなって、なぜかなんとなく落ちついています。

ただ、やりたい、なんてすごくしつれいな響きに思えるけど、じつはあんまりそんなしつれいな意味ではなくて、また、そのひととそういう関係でいたい、という訳でもなく、たぶん、そのひとがとてもせくしーだったんじゃないかなー、と思っています。そういうひとは多くはない、けどなんにんかはいて、セクシーである事っていうのは、せくしーじゃないよりはいいのかな、とも思うわけです。
とにかく、いま、そのひととは会っていません。そして、なんとなく、落ちついています。なんか、そういうすなおな流れを書いてみたいです。流れにそって流れていくことの、ひとつひとつをひろいあげてみたい。

2007.4.21.

おひさしぶりです、どうも。斑猫です。
建築を勉強しはじめて5年、3年生になりました。
この道は、自分の思ったよりもだいぶのぼり坂で、だけど私以外もみんなそうなんだと思います。

 春やすみ。ペルーに行きました。
はじめてのペルー。ずっと行きたかった、インディアンと大地とアンデスの国。
ぜんぜんわかんないスペイン語。出会い、アミーゴ。つぎは、インティ・ライミに行きたい。


アフタヌーンをまた買いはじめました。四季賞がおもしろかったので。
どうやらまた担当がかわったらしく、読みごたえのあるものもすこしずつもり返して来たり。ぬるあたたかく見守っていようかと思います。
あとはなんともゆえないギャル漫画雑誌みたいなのをななめ読みしてしげきをうけてみたり。若い頃より絵がうまくなるって事はなくって、描きつづけないとヘタになるのね。(ヘタって言うのは、画力のことでなくて思い描くものを描けないし、思い描く力が弱くなるってことね。)
イメージ。


さくらを見ました。大学で。またはひとりで。あとともだちと。

ちいさなひっこしました。部屋がせまくなりました。荷物がはいりきりません。とほほ。
大切なのは捨てる勇気。

去年は剣道をしていたので、ことしは踊りたいです。

あけましておめでとう。おめでとう。

11月27日

おなかいたい。模型しあげて寝る。翌日午後5時。

11月26日

また模型作る。ちょっと気になってきた。

11月25日

ひたすた模型つくる。かわいいおんなのこと一緒。人がいるとかなり気を使う。いいとか悪いとかじゃなくてただただ使っちゃう。気になっちゃう。でも2倍早い。はやく終わってボルシチとボージョレー。

11月23日

家でぐったりとしたりしている。
ひとり部屋になって広くなったので、部屋を片付ける。ベッドを解体して、本棚を解体して、動かして、そうじして。プリ帳とか写真とか整理したりして。 結局のところあまり心が広くはなれず、嫌なことを嫌だと言いたいし、たのしい事をたくさんしたい。

さんぽ。川沿いの紅葉がきれい。出歩かなかったから気づかなかった。背伸びする。息を吸う。吐く。カフェにはいって話をする。鏡張りのカフェ。ギネス。コナコーヒー。ミルクをいれる。酸味が増す。駅まであるく。日が暮れる。

10月の風

カッター刃の包み紙の、キャラメルみたいなにおいがすき。

7月22日

NEW DESIGN PARADISE

八谷和彦のだるまがかわいい。かわいすぎる。
商品化してくれないかしら。

2006 たなばた祭り

放置しすぎだよね。おひさしぶりです。 誕生日が過ぎました。フラッシュでサイトつくってます。 湖にも行きます。キャンプにも行きます。 最近は専らファミリーレーシングの「キラ*キラ」をハードリピートで聴いています。ひさびさのどハマリです。カタカタのピクセルの宇宙まで行けちゃうんじゃない。

ロンドン・アヴァンギャルドという本を読んだのですが、イギリスの戦後の建築の流れについて書いて行くとき、架空の「M」という存在を媒介として語られる流れであり、著者の定点をあたえた建築についてある懐疑的な視点から読み解いてゆくときのおもしろさが発揮されて、その個性がより建築を建築にとどまらないおもしろさとして、あるいは表現体として、あるいは表現方法としてのおもしろさを深く思わせられるところがありました。つまり歴史書としても不完全で、資料としても不完全で、建築書になるかどうかひとに拠るところですが、建築を超える建築に果敢に挑む試み、それは表現として、あるいは表現方法として、そういう一連の人々の思想や運動にふれることができたので、すこしだけ建築をすきになれました。

さいきん蒼井そらというひとを知って、ブログを読んで見たら、すげーいいことが書いてあって、そらちゃんてすげーなって思いました。こんな軽いノリでひとと関わっていません、そんな軽いノリで私は抱けません、やりたいことをやりたいようにやってなおかつ美しい、豪気でまっ直ぐ。

24.4.2006


まことちゃん
村上かつら短編集2
海辺のカフカ
龍は眠る

いままで3人のひとに「村上春樹が最後まで読めなかった」と言われたことがある。気持ちわるい、もしくは最後まで読んだけど不快だったと言うものだ(ファンの方ごめんなさい)。村上龍のフィジーの小人などはグロテスクな描写が気持ちわるい、と言うのはすぐにわかるのだが、村上春樹の場合は言葉にするのが難しい不快さだろうか。わたしはふつうに距離を保って読めるのだが、ただ村上春樹の女性描写があまり好きではない。主人公の男性が女性を見るときの描写が、思いを寄せる女性に対して想像で補っている部分が多いこと、あくまで自分から離れた”対象”としてしか描かないことがなんとなく苦しい。それは彼の文章の持つ独特の距離感や孤独からくるものかもしれない、とも思う。そういった孤独は誰もが持っているようにも思える。とても内省的な視点で語られるからかもしれない。あるいは同属嫌悪か、価値観の看過し難いずれか、いずれにせよなにか深い部分で触れてほしくないが、関係のない顔が出来ないことなのだろうか。とりあえず続きを読みます。

かみちゅ!

鳴子ハナハルだもの。買うよ。

最近はもっぱら免許取ってる。あと旅行した。北海道行きたかったな。タカセげんき?

ゆびさきミルクチーにあたらしいのが出てきた。ちょっとサユリっぽい。カワイイ系、モテ系。ネクラっぽいのに連載系ネームになってきちゃったな…ヘンにつまらなくならないといい。なってもいい。
とうさんのパソコンのウィルスを駆除してました。一個だけ消えない!たぶんトロイ。むぐショー

鶯谷へ行こう!

例えば、自分にとっては何を考えているのかまったくわからない人がいるとき、それをたとえて「まるで宇宙人のようだ」と表現することができる。べつにその人は宇宙人ではないのだが、理解不能だという例えだ。 僕もある程度までがんばったけど理解不能なリアクション、というのは、あって、それはたとえば「鶯谷に行こう」である。数回いろいろな人から言われたことがあるが、鶯谷に用事はないので、行くつもりはない。最近見て知ったのだが、鶯谷の駅前にはホテルがたくさんあるのである。ちなみに金額は高くも安くもないと感じた。 鶯谷に行こうというのは、当然相手と鶯谷についての情報を共有しなくては、伝わらない。つまり伝える意志がないのか、共有認識がないことに気がついていなかったのか、あるいはラブホテルに誘う以外の特別な用事があるのか、わからないが、限定的でない部分が多いので、コミュニケーションとしては雑である。でも敢えてこういうコミュニケーション方法を辞めない(または気づかないので辞められない)人がいる。相手の反応をうかがうずるいやり方なので、身に付けたうえで敢えて使っているのかも知れない。でも僕はそういうのはめんどう臭いのでできれば遠慮したい。なにがどうわからないのかはっきりする、わからないときは聞く(度が過ぎるとわかりたい病っぽいな)、「どうやら確からしい」はちっとも確かじゃない。

実感、モテね?

ひとが何か対象を見るとき、なんらかの実感を持って受け入れる。それは対象そのままとはちがうもので、同じ対象を見てもそれは各々ちがったものとして認識されてしまうのである。実感をもって受け入れると言うのは、過去の経験の種類と量、生活習慣、などに関係してくる。 リアリティ、とも言う。リアリティがある種の重みを伴うとき、長く生きるかあるいは強く感心を持つか、環境がどのような傾向を持つかにもよる。それとは別の人間的な普遍性のある、例えば生死だとか空腹、睡眠にまつわる身体感覚とそれに準ずる環境などにはわりと普遍的なリアリティを多くのひとが持てる。

宮野ともちかのゆびさきミルクティーは恋愛と言うよりはかかわりを持つ恐怖の話で、なかなか自分の枠を越えない。みんな関わろうとしないのである。不思議。ところが、この不思議なリアリティーは現代では有り得る事だなと思う。 主人公の男性は女装の趣味を持ち、女装した自分というアイデンティティを守るために、スポーツや性的対象との距離を測る。実にネガティブだ。カガミと言うヒロインの友人も友人との友情を守るために、踏み込まないと言うスタンスをとる。主人公が思いを寄せる女性もまた、自分に対して自信が持てないと言う自意識に邪魔されて、自分の気持ちをねじ曲げて自らひとを遠ざけてゆく。 ひとがひとを遠ざけるとき、どのような心境なのか。本編でも彼らなりの事情が描かれ、事情はあるにせよ、やっていることはあまりうまくない、と思う。コミュニケーションは経験上とらないよりはとったほうがいいということが最近では何となくわかってきた。それができない事で、直接的な影響だけでなく、必ず周囲に間違いなく影響がおよぼされる、と言う事に気付いている若者は少ないのではないだろうか。少子化によるコミュニティの数の少なさと、コミュニティの閉じ方によって、より気付きにくくなることだろう。いまの周りがどんどんそうなっていくのだから、簡単に他人事にしてしまえないなあー。じっさい僕自身にだってリアリティー持って読めてしまうのよね。ああ。

海のうえ、砂のしま

ハロー。いまオーストラリアに来てます。小旅行ちゅう。
海も、そらも風も光もくさのにおいも、ぜんぶ気もちいい。まだ星を見れてないんです。きょうは晴れるといいな。

9月15日。

大学祭が終わった。
死ぬかも、とか思ってしまうほど忙しかった。 たぶん、うちの学校は変な学校で、生徒数がすごいすくなくて、授業は金曜日だけしかなくて、夏やすみは学校祭と椅子制作課題で無くって、冬休みもやっぱり卒業制作のお手伝いでなくなって、おまつりはホンキで、でもあのね、すごいたのしいです。やっぱり。

こわれちゃうほど すごいのちょうだい?

失楽天9月号増刊 鳴子ハナハル特集号を買いました。
最初に読んだのは「ヒタイ」という短編で、なんだかよくわかんねーけどスカートの襞とかうまいなあー、状況がさわれそうなくらい想像で再現できる(コマとコマの間の空気がつながってる!)って思ったものです。
今回の特集号には読みきりがいろいろ載っていて、前後編の「蔵」なんかはなかったので残念。はやくコミックスが出ないかな。
あとセックスしてる女の子の気持ちを描くのが朔ユキ蔵と鳴子ハナハルは上手なのですが、そういうのもすき。読んでる人が楽しむためのセックスではなくて、して楽しむ様な体感的な楽しみ方に近いから、無理に快感を得ようとするんじゃなくて、そりゃまあ気持ちいほうがいいけどでも気持ちよくない時もあるかもしれないけどこういうのもあるかな、という自然なラクさで読んでて気もちいです。みんなぜひ買ってね。

収録作品
ヨンブンのニ
紅い水
踊る大観覧車
U.F.O
スクランブルド・エッグ
スーサイド・ライン
「ネネ」「蔵」などは載ってないです。はやく単行本でぜんぶ見たい!

すっかり夏ですね。
朝夕蝉の声が聞こえます。西ノ湖の芦原はもう私の背丈の倍くらいになってるでしょうか。
結局アメリカと滋賀に向けてブログは書く事になりそう。なんで毎日会う人に見せるのが嫌なのかと言うと、誰が見るかわからないインターネットで個人的なやり取りをしているところを見られるのが恥ずかしいみたいです。誰が見てもわかるようにやりたい、と言うモチベーションを持ってたいのかな。


5秒後に

やっぱめんどくさい。知り合いにインターネットで何を見せるというのか。離れてる人ならいいけど、毎日顔あわせる人に見せてもしょうがないよなぁ。んふー。でも何かテーマ決めてちゃんとやりたいとはおもう。

7月7日

自転車に乗って坂道をくだっていると、学校帰りの女の子が長い髪の毛をなびかせて自転車をこいでいた。坂道はかぜが強くて、髪の毛やらスカートがひらひらなびくのです。あまり長くないスカートをはいて、おしりの下にスカートを敷いていなくて、そうするとスカートはかぜでふわふわとゆれるのを、僕はじっと見つめてしまうのです。スカートはときにかぜでめくれ、サドルの部分まで見えるのですが、あとすこしというところで肝心のパンチラは見えず、それでもぼくはすこし自転車のスピードをゆるめて、思わず見入ってしまい、女の子にイヤな顔をされつつも、思わず見つめてしまうのでありましたパンチラ、パンチラ。

こういう文章じゃない日記を載せるブログを作ろうと思います。パンチラ。

文章の練習をしよう

よく美しい文章だとか、高橋源一郎さんが村上龍のことを文章の天才だ、とか言ってたらしく、私は読んでいないのでいまいち曖昧なのだが、単語がどのように使われているかと言うことを読み取ることから(主に日常の)言語は人間に理解され、使用されるので、文章と言うのは何なんだろうと思う。文章とは実を言うと自分にとっては実に曖昧な言葉だ。言葉の集合で助詞が複数の単語を接続し全体として伝達する内容を持つように感じられるもの、では少し広義過ぎるだろうか。一応辞書は引いてみたのだが、言語と言うのが日進月歩で曖昧で生きている、というか変化する状態としての存在であると思っている。文章、がよく分からないので上手な文章、と言われてもピンとこないのだが、なにか文字をつらつら読んでいて、なんとなく誰かが文字のむこうで話しているように感じる時がある。また、ある文章を読んでさまざまな色や音やにおいや既視感のある立体的な世界が想像で再構築される時もある。過去に経験したことのある感情や身体感覚を呼び起こされる時もあるし、文章の余白と文字のリズムや、誰かの息つぎのように話し手を意識する時もある。私は色や音や匂いやイメージを喚起させるような話し方をしたいなと思っている。あなたはどんな話し方をしてみたいですか。

6月最後のほう

C言語はじめました。
前の学校ではヴィジュアルベーシックと言うやつを使っていたのですが、今はX-Codeというのを使ってマウスの動きにあわせて絵が動いたり、色が変わったり、音が出たり(匂いは出ません、残念)という遊びみたいな感じでプログラムを書いています。たのしい。石橋モトイさんという人が講師。

4:18

5月9日

いろんな事が少し落ち着いた。
学校内でブログがなぜかはやっていて、なんだかなあと思う。私の時間は人より遅くて、静かな気がする。着いて行こうと思って涙を流すのはもうまっぴらなので、いろいろ着いて行けないなりに、何かやり方を考えようと思う。

学校へ行く道の途中にたんぽぽが咲いていて、雨に濡れるとたんぽぽの綿毛は傘を閉じて、また乾くのをじっと待つ。校庭に向かって手を振ると、男の子が手を振り返していた。そういうのはなんだか嬉しい。ふたりがサッカーをしていて、その間をひとりがのったりくったりバイクで乗り回していて、それがじつに楽しそうだった。
ことしはじめて定員15人のうち、女の子が過半数を超えた。「男の子たちはたよりない感じだなあ」と言ったけど、とてもやさしいので、たよりにならなくてもその方がいいや。

4月25日

学校が忙しくて、たのしい。
昨日家でエスキースしてたらテンションが上がった。
クラスの子達はあっさりしてて、たのしい。
学校まで、自転車で通っている。朝となく昼となく夜となく、朝もやが地面の近くにたまっているのを見ながら、まっくらい道をかぜの間を抜けながら川沿いに坂道を昇り降りして通う。
たまには銭湯に行く。フロあがりにはビンジュースを飲む。帰りには月がきれい。大切な人たちにメール。同じ星と月を見上げていると、離れたところにいると、どうやら星と月と空の見えかたがすこし違うらしいことに気づく。部屋の明かりを全部消してもまだ月あかりであかるい。その日はなんとなく嬉しくてよく眠れる。

おひさしぶり!

茨城に引っ越したよ。
23日に合格して実家行って不動産屋で物件決めて引っ越して入学して退学してたらあっとゆう間に一ヶ月近く立っちゃったって言うね。おひさしぶりでした。またよろしくお願いします。

今年は上野で桜を見たんだけど、寒くてすうぐ散っちゃったね。みんなのところの桜はどうでしたか??

3月14日

きのう見た夕日と
 傾斜の多い複雑な住宅地と
 そこに気持ちよくさしこんでくる光 ある光

 道にあふれるこども
 そこ ここには公園 こどもたちでにぎわっていた
 どこからきたのか、日暮れにはまたどこかへ帰るだろう
 割れた窓ガラスをつたう光
 骨と血管の中まで透かすような
 暗闇とちょうど溶けあって安心する

 いちごからあふれる春のにおい したたる甘い液
 外は春にはすこしとおく
 庭のどうだんの芽もかたいままだ
 いつか咲くかな 花をつけるかな
 いつか僕を追い越してこの家も追いこして
 おおきな長いいのちになる頃
 きみはまた頭に腕をついて 横になって
 なんでもないような目をしてるだろうか?

インターネット

 インターネットには実にたくさんのノットファウンドがある。もう、更新されていないサイトや、誰が書いているのかさっぱりわからないがふと見ると、相変わらず更新され続けているサイトもある。インターネットには時間経過が希薄に感じられ、更新履歴が2003年5月と書いてあったとしても、文字情報しかわからないので、まったく、何も感じられないし、わからない。ただ誰かがそこにいたらしくそこはなにかと繋がっていたらしく、のような曖昧なことだけが残っているが、それが何だったのかはわからないしわかれないと思う。
僕はイメージを実現する力のことを言っているだけで、別に現実的な話をしている訳ではなくて、かと言って現実と断絶もしていない。振り返っても風が吹いたらいいのだけど、インターネットには生憎ながら風もふかなければ雨も降らない。なのでいつまでもなんだかよくわからない物だけが残ってしまう。

最近見た映画

小さな泥棒
ハリーポッター1 2
誰が為に鐘は鳴る
呪怨
I am Sam.
マルコヴィッチの穴
12人の怒れる男
夏至

志村貴子

たとえば性的に、どちらかを排除してどちらかをとる、という二極的なやり方の性倒錯と、どちらからしさを削るという消極的なやり方がある。
どちらにせよ、何かが限定的になってしまう時にすこし淋しいような感じがする。理解のために限定的に認識することは大切だが、本来は説明出来ない部分にすべてが含まれているだろう、という予想、を必ずしもみんなが持っているとは限らない。