猫は七月にあいに行く
 
 
 浅井家には二号という名のネコがいる。
 ただの雑種の分際で高級キャットフードばかり食い散らかし、たまにふらっと居なくなってはふらっと
帰ってくる。そんなバカネコが。

 その浅井家の長男である浅井秋俊が小学校6年生だった頃の一学期の終業式の日に話は変わる。
 浅井秋俊はいつも通り、斉藤ふづきの荷物もちをさせられていた。
 気がつけばこの二人は幼稚園時代から付かず離れずを繰り返し現在に至る。3,4年は別のクラスだったと
本人達はいうが、逆を言えば1,2年とそして5,6年はまた同じクラスだったというワケだ。
 「もっと早くから少しずつ持って帰れって先生に言われてただろ!」
 「ウルサイわね! あんたがいるからいいのよ!」
 そして力関係は見ての通りである。
 なにしろ一学期の終業式なのだ。全教科の教科書とノート一式、お道具箱、体操着、笛に絵の具に
写生用の画板。荷物は膨大であった。
 7月19日正午の暑い日差しの下、陽炎揺れる小学校のグラウンド。
 荷物を抱えた秋俊は、中身空っぽな鞄一つ持っただけの葉月の後ろをテクテク歩く。これはいつも
見られた光景だ。 
 「よーっ!浅井夫婦!今日も仲良くお帰りですか!」
 「「夫婦って呼ぶなー!」!」
 と、からかわれるのもいつもの光景。そんなやり取りを繰り返しながら校門を出て、いつもどおりの道を
15分ほど歩き、ふづきの住む大きなマンションの下で荷物を渡し、自分の家に帰る。
 それが秋俊の日々のスケジュールだった。
 「秋俊汗だく、クサい、近づかないでよ」
 誰のおかげでこうなったと思ってる、荷物からやっと解放された秋俊。
 「いいわ。いったん家に帰ってシャワー浴びて着替えたら、またここに来るのよ。1時までにね」
 いつもと違う、ふづき女王様、第二の命令が下された。

 
 急いで家に帰りシャワーを浴びて着替えて昼ごはんを食べて、急いで急いで自転車を飛ばす。
 「遅い、1時7分よ」
 「はいはい、すいませんね」
 マンションの下、日陰に座っていたジーンズにTシャツ姿の女王様が立ち上がる。
 「相変わらずボロい自転車ねー」
 「うっせーな。もうすぐ新しいの買ってもらうんだよっ」
 「まぁ、ボロいって言っても二人乗りくらい出来るわよね。後ろ載せて」
 「なんで?ふづきの自転車は?」
 「……ないのよ……」
 「なにそれ、盗まれたとか?」
 「まぁ、そんなとこかな。いいから載せなさい」
 有無を言わさず秋俊からステップをふんだくると、カチャカチャ手早くつけて後ろに乗り込む。熱を
もったふづきの手が秋俊の肩をしっかり掴む。
 「なぁー、ふづきの方が身長高いんだから、ふづきが自転車こげば?」
 この時期の少年少女の多くがそうであるように、秋俊よりふづきのほうが成長の度合いは高い。
 「バカでしょあんた、男なんだからあんたがこぐに決まってるでしょ!」
 だが成長と関係なく男女差別の壁は厚かった。
 「さぁ、まず駅前のミニストップよ!」
 左手でしっかりと秋俊の肩を掴みながら右手で駅前の方角を指差したふづきに従って、自転車をこぎ
はじめた。ちょっとよたよたする。
 「怖いわね、ちゃんと運転して」
 「オマエ重いんだよ」
 「あんたが非力なのよ、あたし程度でこれじゃウチのクラスの宮城さんなんて乗ったらどうするの」
 「乗せねーよ、あんなデブ」
 「あー言ってやろ、宮城さんに言ってやろ」
 そんなやり取りをしてる間にミニストップまではすぐについた。
 小遣いをマンガで使いきった秋俊は店内に入るが何も買えるものはない。ふづきはパック80円の牛乳
だけを買い、用はそれだけとすぐにミニストップを出ていく。
 牛乳はコンビニビニール袋ごと自転車のカゴに納まった。
 「んじゃ、次は公園まで」
 「いいけど、公園行ってなにするんだよ」
 「黙って行けばいいの」
 公園のある河川敷までのルートを考える秋俊。ちょっと遠回りになるな。曇り始めた空を見ながら秋俊は
自転車をこぐ足に力を込めた。
 踏み切りを超えて、派出所の前を通り、昔二人が通った幼稚園の脇の道に入って、車の通る道は
避けながら河川敷を目指す。
 懐かしい歯医者の看板が目に入って、そこで秋俊は不意に思い出す。こうやってふづきと一緒に
公園までの道を歩くのも、彼の日々のスケジュールの一部だった。クラスが分かれた3年のときに
遊びに行かなくなって、いつのまにかそのまま忘れていた。まだこの町が世界の全てより広かった頃
の、日常の大事なピースの一つ。
 「なんか、懐かしいな」
 「懐かしいでしょ」
 厚い雲に浸蝕されて暗くなった空の下、ついた河川敷の公園は、秋俊の最後の記憶より荒れた感じで
草木が無秩序に生え、そして記憶してたよりもはるかに狭かった。自転車をとめると、牛乳パックを持った
ふづきが先に歩き出す。
 ふづきはその公園のさらに奥、腰までの高さにそろえて植えられた木々の前に立つと「来たよー、お
いでー」とぱんぱんと手を叩いた。
 がさごそっと枝が揺れて現れたのは一匹のネコ。
 「かわいいでしょ、三ヶ月ほど前に子猫だったのを私がここまで育てたのよ」
 同じく木の陰に隠してた皿をとりだし、牛乳のパックを持ってきたカッターで切って注ぐ。
 ぺろぺろ牛乳を舐めるネコをしゃがみこんだふづきが撫でる。
 「ウチはマンションだから連れて帰れないからね」
 ふづきの視線がネコから秋俊に移った。
 「ねぇ、この子さ。秋俊のウチで飼ってもらえないかな」
 にゃーと泣いたネコをひょいと摘み上げたふづきが秋俊にそのネコを差し出す。反射的に受け取った
秋俊の胸でまたネコがにゃー、とひと鳴き。野良ネコのクセに暴れたりする様子は無く安心し切っていた。
 「うんうん、やはりアタシが思ったとおりあんた達の相性はバッチリだ」
 「あぁ、多分大丈夫だと思うよ。お母さんネコ好きだし」
 「そっか、おばさんネコ好きだったね。良かった。いつまでも牛乳だけじゃ可哀想だし──」
 ぽつっ、ポツッ、ボツッ。曇り空から大きな雨が落ちてきた。
 すぐにざぁぁあぁと夕立が降り注ぐ。
 「──アタシも、引っ越しちゃうしね」
 「え……」
 激しく降る雨は向かい合った二人の間から音を全て奪ったように無音にした。猫を抱いたまま何も言
えない秋俊。下を向いたままのふづき。雨を受けて髪も服も濡れ放題のまま動けない二人。
 最初に動いたのはふづきだった。
 「そう言うことだから、その子のことちゃんと世話するのよ。絶対だかね。絶対だよ! お願いね!
  それから、それから……、あんたも元気でね! 」
 きびすを返して雨の中を走り去っていくふづきの姿を、秋俊はなにもできずにただ見送る事しかできな
かった。
 そうして一人、取り残された公園でただ一人呆然と立ち続けていた。
 
 
 主婦、浅井亜紀子は自分の息子がずぶ濡れで家に帰ってくるであろうことは予想済みだった。
 「お帰り、ってあらあら可愛い、そのネコは?」
 しかし一緒にネコがついてくるのは予想外だった。
 「拾った。飼う」
 全身ずぶぬれで顔なんかグチャグチャになってしまっていた息子秋俊が短く答えた。差し出されたタオルも
受け取らず、そのままネコを抱えてお風呂場まで歩こうとする。
 「飼うって、それはいいけど、ちょっと秋俊」
 にゃー。
 「ねぇ、ってば秋俊」
 にゃー。
 「アキトシ」
 にゃー。
 「なに?」
 亜紀子は振り返った息子は放っておいてネコに話しかけていた。
 「あら、もしかしてネコちゃんアキトシって名前なの」
 にゃー。
 「……なんだよ、それ」
 意味不明な息子を置いて指でネコの鼻先をくすぐる。
 「うーんでもウチにはもう秋俊いるからなー、そうだ、今日からお前はアキトシ2号ってことでいいかしら。
いいわねアキトシ2号」
 にゃぁ。
 「よし。決まり。ほら、シャワー浴びてらっしゃい。アキトシ2号もきちんと洗うのよ」
 タオルを息子の頭にかけると、1号と2号を風呂場に押し込んだ。
 
 こうしてアキトシ2号が浅井家の新たな住人になり、略されて単に2号と呼ばれるようになった頃、亜紀子
は「幼稚園の時一緒だったふづきちゃん所のご家族」が離婚した事を噂で聞くことになる。
 そしてあの日、息子に何が起こったかをなんとなく察するのであった。




 そんな7月が過ぎ、8月が終わり、始業式と終業式を何回も繰り返して、繰り返した数だけの季節が過ぎ
ていった。
 夏の日差しも、揺らぐ陽炎も、突然の夕立も。新しく買い換えたMTBでは届かないほどの遠くへ行って
しまった。
 
 浅井家には2号という名のネコがいる。
 ただの雑種の分際で高級キャットフードばかり食い散らかし、たまにふらっと居なくなってはふらっと
帰ってくる。そんなバカネコが。
 飼い主である秋俊はそんな奔放な飼い猫を叱るどころか、積極的に送り出し、帰って来た時は
ご馳走の高級ネコ缶で出迎えている。
 
 そしていつか、2号が出かけた旅先にふづきが居てくれたらいい、と。そう祈っている。
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