しまむら ◆uBMOCQkEHY
・犯田 一危(はんだ かずき)
高校二年、身長168cm、やせ気味の男子。
クラスからヲタク扱いをされることが多い。
性格は基本的にヘタレ。
・七瀬 雪乃(ななせ ゆきの)
高校二年、身長163cm、病弱な女子。
普段は大人しいが、特定の人物に対しては感情を表に出す。
回りからは(特に男子)からは薄幸の美少女のイメージが強く、密かに憧れる男子も多い。
・桂 恵(かつら けい)
高校二年、身長165cm、携帯カメラを愛する少女。
普段から雪乃に密着しては激写することを生き甲斐としている。
雪乃が唯一親友と思っている女子。
高校二年生になって一月
少しだけ変わったクラスメイトとも仲良くなり始めて、結構楽しい日々が続いていた。
「こら!七瀬 雪乃(ななせ ゆきの)!!聞いてるの?」
昼休み、机にぼんやりと座っていると、友人が真正面から顔を覗き込んでくる。
どうやら友人の話も聞かずにそうとうボーっとしていたようだ。
「なによ。ニヤニヤして」
「絵になるわねぇ…病弱で薄幸な美少女が物思いにふけてる姿ってのは」
「止めてよそういう言い方。それよりまた撮ったんでしょ?」
一つの机に向かい合うように座っている友人、(桂 恵 かつら けい)からカメラ付き携帯を奪い取ろうとする。
彼女の言う「病弱」の言葉とおり私は生まれつき体が弱く、微熱がときどき出る。
あまり外出をしていなかった時期も多く、人より色素が薄い。
それゆえか私は他人に知らず知らずのうちに心配されやすい。
それでも私はそんなことで、必要に以上に同情も心配もされたくない。
彼女のカメラ癖は困りものだけど、変に同情もせずにすっぱりと言ってくれるは彼女ぐらいのものだ。
実際クラスメイトの大部分が、私を病人扱いする節がある。
でも彼女は今も私の体質をこうして軽く笑ってくれる。
そんな彼女はこの二年間でできた、対等に話し合える貴重な親友だ。
「って…また撮らないでよ」
「いいじゃない?減るもんじゃないし」
彼女は携帯を私の手の届かないところまでもってくると、ディスプレイを見ながら満足そうに微笑んでいる。
「ふふっ…雪乃の陶器みたいなすべすべの白い肌、しっとりとした長い黒髪、綺麗な大きな瞳…いいわ」
「あのね…毎度のこととはいえ、そういうのってなんか怖いわよ」
本音を話せるとはいえ、彼女の場合少し困った癖があるのが難点だ。
彼女は私の目の前で人差し指をたて、メトロノームのように左右にふる。
「ちっちっち。わかってないわね。いい?雪乃はその容姿からのね、守ってあげたいオーラがでてるの!」
「このレトロな紺色のセーラー服に包まれた雪乃の華奢な体…」、
「163センチという、高すぎず低すぎない、見事なバランスの取れた体がそそるのよ!」
「実際、男子達だって雪乃のこと好きな奴多いでしょ?学年に関係なく!告白だって今まで何回された!?」
「そう…だからこそ雪乃は美しいの!」
「だから私はカメラで雪乃を撮るの!それだけの価値があるから!美は男女を問わない!いい?美ってのは…」
彼女は携帯を抱きしめると熱く説明してくるが、私はいつもの彼女の癖に付き合う気はないので視線を外した。
何気なく向けた視界の先に、一人背中を丸めて小説を読むいかにも暗そうな男子の姿が見えた。
「雪乃ちゃ〜ん?どこ見てるのかな?あ、あの方向は犯田 一危(はんだ かずき)ね!?」
彼女は熱く語るのをやめ、いつの間にか私の後ろに回りこみ私に抱きついていた。
「なに言ってるよ?どうして私が犯田なんか見てなくちゃいけないわけ?」
「うそよ、うそ。…でもまぁごもっともだわ、クラスで一番ヲタク臭い犯田なんて雪乃には似合わないしね」
「当たり前でしょ。それとあんなヲタクと私を並べないでよ、気持ち悪い」
「きついわね雪乃」
「そう?当たり前のことじゃない?」
「それはそうと…雪乃の長いくせのない黒髪っていいわね…長さも背中まであっていいわ…」
「ねぇ今度二つにわけて三つ編みにしてもいい?似合うわよきっと」
「恵。ドサクサにまぎれて変なこと言わないの」
恵はお構い無しに猫のように私の横顔に頬をすりつけながら、満足そうに言う。
「ってこれは!シャッターチャンス到来か!?」
「今度はなに?」
そう騒ぐ彼女と共に彼の方をみると、彼の席の周りにはクラスの男子達が三人で取り囲んでいた。
「何読んでんだよ犯田ぁ?なんだこりゃ…?『コノの旅』? …あはははっ!!おい!見ろよこれ!」
彼は取り囲んでいた男子の一人に、無理矢理カバー付きの小説を取り上げられる。
カバーが取り外され、いかにも今時の美少女の絵が描かれた表紙が高く掲げられる。
彼は小さな声で何度も返してくれと言うが、男子たちは代わる代わる見ては爆笑している。
「犯田の奴は相変わらずヲタクだね…こりゃ哀れすぎて撮る気も失せるわ」
恵が呆れたように呟く。
私もそんな犯田の姿に呆れた。
そんな恥ずかしい物よく持ち歩けるものだと思った。
他の男子達より頭半分低い犯田は必死に取り返そうとする。
何度も跳ねるたびに彼のメガネがずれ、それを直しながらくらいつく。
携帯を向けたまま更に呆れた声で恵が言う。
「あんなの捨てられたっていいのに。犯田ってホントバカね」
「そうね、どうしようもないわね」
そのうち表紙の絵に飽きた男子達は彼のメガネを奪うと、今度はそれを使って彼のモノマネを始める。
「グフフフ…コノちゃんは最高なんだなぁ。コノちゃん大好き。萌え〜萌え〜」
すぐに周りのクラスメイトも笑い出す。
「あちゃ〜犯田のやつ、もう見てられないわ。雪乃…?顔赤いわよ?どうしたの?」
「な、なんでもないわよ」
私は彼のメガネを外した素顔に少しだけ鼓動が高鳴る。
―――彼…犯田一危とは誰にも話してはいないけれど、幼馴染だったりする。
今はもう引っ越して彼の家とは離れているが、昔はよく彼が家に遊びに来ていた。
お互いあれからだいぶ時間がたったけど、彼の顔には昔の面影がありありと残っていた。
「そう…?あっ!雪乃ちゃんのその顔!!そのまま!そのまま!カメラ目線でお願い!」
気がつくと恵がカメラを構えたまま、息を荒くしてシャッターをきっている。
犯田も犯田だけど、彼女も彼女で困ったものだ。
私は彼女から携帯を取り上げると、何となく犯田に向けてカメラを向けてみる。
からかうことに飽きた男子達から、メガネと本をどうにか奪い返すとまた黙々と読み続けている。
「悔しくないわけ?バカにされて、遊ばれて、少しは言い返したらどうなの?」
携帯のディスプレイ越しに見える小さな犯田の背中に向かって呟く。
「それは無理でしょ。犯田だからねぇ」
恵は私から携帯を取り上げると、私の体に擦り寄ってきた。
「それより雪乃?いい?これは美少女専用なの?犯田なんて撮る事は許されないの。そもそも……」
彼女が力説をまた始める前に私は教室から出ることに決めた。
廊下の窓からの爽やかな風が心地よく肌に触れる。
犯田のことが頭に浮かぶ。
どうしてだか、二年生になって犯田と同じクラスになってから、ときどき彼のことが気になる。
…確かに彼には昔、まだ体が弱い頃すごく勇気付けられた。
でもそれはあまりにも昔の話。
それに今の彼…犯田はあのときのような人間ではない。
―――クラス公認のヲタク男。
―――女子からは圧倒的に嫌われて…もといキモがられている。
-――さらに男子からもからかわれ、いじめられている節すらある。
窓際にもたれかかると自然にため息がでる。
それなのになんで今も犯田のことなんて考えてるんだろ?
昔はいいやつだったかもしれないけど、今はただのヲタクじゃない。
教室の方に視線を移すと犯田が教室から出てくるのわかった。
背丈は私と同じかそれより少しだけ高い。
体つきも少しやせすぎな感じがする。
フレームのない細いレンズのメガネをいつもかけている。
彼が教室を出る寸前、私と目が合う。
しばらく視線が合い続けるが、すぐに彼はうつむいたままどこかへ行ってしまった。
もういい加減、犯田のことなんて考えるのはやめよう。
時間の無駄なだけ。
『パシャ!!』フラッシュが突然たかれる。
恵がニヤニヤして携帯を片手に、満足そうな顔でこっちを見ている。
「雪乃の困り顔、いただき」
「困ってた…?私が…?……恵ちょっと見せて」
携帯のディスプレイには確かに私の困ったような表情が映っていた。
なんで?という思いが頭をよぎった。
どうして犯田のことで私が困らなくちゃいけないの。
馬鹿らしい。
「…これ消去」
その行動を見ていた恵が怒涛のごとく私から携帯を取り上げる。
「ちょ、ちょっと雪乃!?あーホントに消してる!…もったいない……雪乃のばかぁ……」
「ハァ……ホントにもう………」
私はまた窓際にもたれかかるとため息をついた。
外は五月晴れですがすがしく晴れている。
空気も暖かくも、寒すぎずちょうどいい。
こんな日のホームルームはどこか眠たくなる。
クラス委員が各委員会を決めていたが私はどうでもよかった。
どこかの委員会に指名されても入る気なんてないのだから。
「雪乃。突然だけど図書委員やってみる気ない?」
私の後ろの席に座る恵が話し掛けてきた。
「図書委員?どうして?」
「そりゃ雪乃は薄幸の美少女だからよ」
「…だからその呼び方は…でなんで私が図書委員にならなきゃいけないわけ?」
「図書委員といえば病弱な美少女でしょ!」
「病弱って………まさか私が図書委員をやってるところを撮りたいわけ…?」
「そうそう♪さすが雪乃ちゃん。わかってるわね!」
「そんなことで私が引き受けると思っているわけ?」
「だって、学校の図書館で一人で窓際のカーテンがそよ風で揺れるなか、どこか遠くを見る目で
小説を読む雪乃の姿って考えただけでも素敵じゃない?」
彼女とは一年生のときからの付き合いだが、未だに考えていることがわからない部分が多い。
あきれて黒板を見ると図書委員以外はどこも埋まっていた。
まぁ当然のことだと思う。
図書委員は夏休み図書当番で学校に来なくてはならない。
そんな面倒なことは誰だってやりたくない。
当然私もやりたくない。
クラス委員が少し困った顔で何人かを名指しするが、誰も首を縦には振らない。
するとクラスの男子の一人がおどけた声で突然手をあげた。
「委員長ー!図書委員は犯田がいいと思います!!」
「えっ?は、犯田君ですか?」
クラス委員も彼の名前が呼ばれるのが以外だったのか、その男子に理由を聞いた。
「だってよ犯田のやつ、いつも本ばっか読んでるだろ?なら犯田が適任じゃねーか」
「そうそう。犯田って本読む以外なんにもしねーからいいじゃん!」
名前の呼ばれた犯田の方を見る。
彼は困ったような、どうしていいかわからないといった顔できょろきょろしていた。
「えっと…犯田君。推薦があったのですがどうでしょうか?」
「え…?あ、あの僕はそ、そういうの向いてないと…」
彼が小声でボソボソと喋る声を遮るように、さっきの男子達が続ける。
「何言ってんだよお前!?だったら他になんか委員会やるのかよ?」
「そ、それは…その…」
もう彼の言葉は聞き取るのが精一杯なくらいに小声になっていた。
「だったら犯田で文句ないだろ!?他の奴!賛成なら手をあげてくれ!!」
クラスのあちこちで手がちらほらと上がると、あとは右にならえでほとんどが手を挙げていた。
「…それじゃ図書委員は犯田君でお願いします」
「え…そんな………」
正直彼の態度には呆れてものが言えなかった。
なんでこんな風に嫌な事押し付けられてるのにハッキリいえないんだろう?
それと同時に彼が押し付けられたことに少しイラつく自分がいた。
少しは彼のことも考えてあげなさいよ…こういうときだけ引っ張り出すなんてずるいと思わないの。
…ってなに私犯田のことかばってるんだろ?
幼馴染だからって私も変よ…いいじゃない犯田がどうなろうと知ったことじゃないわ。
それよりも今は犯田なんかと一緒の委員会にならないように、恵をどうにかしないと。
一人で色んなことに少しイライラしていると、恵が突然席から立ち上がった。
「えっと桂さん。なんでしょうか?」
「図書委員の女子なんですけど、七瀬雪乃さんがいいと思います」
「ちょ、ちょっと恵!何言ってるのよ!?わ、私やるなんてまだ…」
「ごめんね雪乃。でも…許して。どうしても雪乃の図書委員姿が撮りたいの!!」
どうして私の周りにはこう呆れる人しかいないのだろう…
全くすまなそうな顔をしていない彼女をよそに、犯田の方を見る。
彼も驚いたようでこっちを見ていたが、私と目が合うとすぐに目をそらしてしまった。
…なによ、その目!昔から知ってるくせになによその態度は!ムカツクわね!!
「それじゃ、桂さんから推薦があった七瀬さん。図書委員やってもらえますか?」
少しだけ考えてしまった。
恵の撮影のことではない。犯田と一緒に委員会になることに…
二年になって犯田と同じクラスになってから、ことあるごとに犯田が目につくようになっていた。
だからもう変に意識しないように犯田から距離をおこうと思っていた。
それなのに恵は人の気持ちも知らないで勝手に…ああ…今は断らなきゃいけないんだった。
「はい。全然問題ありません。いいです。」
そんな気持ちをぶち壊すように恵が呑気な声で勝手に私の代わりに答える。
「ちょっと恵!?私はまだ何も言ってないでしょ…んー!んー!」
後ろから彼女に羽交い絞めにされて、おまけに口まで塞がれる。
クラス委員が私たちのやりとりを呆れた顔で見ながら口を開いた
「…えっと、桂さん?図書委員を七瀬さんに決めてもいいのですか?」
「オッケイ!委員長!是非そうしちゃってください!」
「…そ、そうですか。では、女子の図書委員は七瀬さんということで」
「んーーーー!!」
「…本当にいいんですよね?七瀬さん?」
「いいって言ってるでしょ。ほらほら早く黒板に書いちゃって」
クラス委員が戸惑いながら黒板に書くと同時にチャイムがなる。
私はこうして…犯田と一緒の委員会に入ることになった。
「ちょっと!!恵!!あれはどういうつもりよ!!」
放課後、人のまばらになった教室で私は彼女に食いかかっていた。
「雪乃。ちょっとそんなに怒らないでよ。これには私なりの考えがあるんだから」
「なによそれ!?」
「素直にまず言えることは、私が雪乃の図書委員の姿を撮りたいってこと」
「…聞いてないわよ。そんなこと」
「まあまあ、聞きなさいよ。体が弱くて可愛いゆきのんのことだから、私なりに心配してるわけ」
「特に同じクラスの図書委員の男子がこれ幸いと、ゆきのんに手を出す危険な可能性があったわけ」
「ゆきのんって……だ、だったら私が図書委員になるのは、初めからダメじゃない」
「でもね…よくよく考えたら雪乃が男子に手を出される心配のない方法があったのよ!」
「どういうこと?」
「例外がいたのよ!雪乃と一緒でも手を出さない男子がいたのよ!」
「例外って?」
「犯田よ!犯田!あいつならヲタクだから雪乃にちょっかい出す勇気も度胸もないと踏んだわけ」
「だから…犯田と一緒にしたわけ?」
「そういうこと♪」
「呆れた…そんなに私が図書委員やってる姿が見たいの?」
「もちろん。ま、他にも理由はあるんだけどね…」
「…他にってなによ?」
「…雪乃のと秘密で甘い時間が過ごしたかったから」
「恵…それは冗談と取っていいのよね」
これ以上彼女に喰いかかった所で図書委員になった事には変わらない。
私はため息を深くつくと複雑な想いで、空になった犯田の席を眺めていた。
「はぁ〜やっぱ雪乃のが図書委員ってのはいいわ。おっ!その顔もいただき!!」
図書委員の活動が始まっていた。
でも犯田とはまともに口を利いていない。
横で私にいつも以上にべったりとくっついて、携帯のディスプレイをニヤニヤしながら見ている彼女の存在が
そんなヒマを与えないからかもしれないけど。
それに犯田から話し掛けてくることはめったにない。
話し掛けてくることといったら。
「あ、あの…な、七瀬さん…こ、この本…貸し出しが、禁止でしたよね…」
ぼそぼそと事務的なことしか話しかけてこない。
私が聞くことがあっても「はい」か「いいえ」でしか答えない。
一緒に図書委員になった時、ヲタクでダメ人間な犯田でも、幼馴染で私に話し掛けてくるかと思ったこともあった。
もしかしたら犯田の方から昔話をしてくるかと思ったけれど、そんなことはなかった。
犯田だから当たり前と言えば当たり前だけど。
別に話し掛けられても話すこともないだろうし
それに私は犯田のことが今では別の意味で気になってしかたなかった。
「な、七瀬さん…あ、あの、もう閉館時間だから…その…本を…」
怯えたような卑屈な顔で私に話し掛けてくる。
いつもこうだ。
目もあわせないで、ひたすら小声でぼそぼそと…
どうしてもっとちゃんと話しができないのかと考えるとイライラしてくる。
馬鹿にされている様で無性に腹が立つ。
「な、七瀬さん…本を…」
「わかってるわよ。閉館だから本を片付けるんでしょ!?はっきり言いなさいよ!キモイよそういうの!!」
「ご、ごめん………」
とうとうやってしまった。
でも私はこれ以上、犯田の卑屈な態度が許せなかった。
彼はまた口だけでぼそぼそと何かを言うと、私から逃げるようにしてこそこそとカウンターから本を持って
逃げるように本棚に隠れていく。
「雪乃だいぶストレス溜まってるみたいだね。まぁ犯田があんな態度だからね。わかるよ」
「……ねぇ今の私って怖い顔してる?」
「私的にはオッケィ……そんな顔しないでよ。そうねちょっと普段の雪乃からは考えられない顔かも」
どうしてこうも犯田のことでこんなにムキになる必要があるのだろう?
私は普段はこんなにイライラしないはずなのに。
それに犯田が普段からあんな態度だってことは知ってるはずなのに。
「雪乃?雪乃も本片付けてくるんじゃないの?」
「うん。そうだね……」
「なによ妙に暗くなっちゃて。私も手伝ってあげるからさっさと終わらせちゃいましょ」恵と二人で十冊づつくらい持って、本をもとの本棚に戻していく。
「……ちょっと。なんでカメラの準備してるのよ」
最後の一冊は本棚の一番上で、元の場所に戻すには脚立の一番上にのらなければいけなかった。
脚立を支えながら下では恵がカメラを持ってスタンバイしている。
「…気にしない。さっ!早く脚立にのって!本を返さなきゃ!」
気持ちが荒れ気味のときにこういうギャグは正直いただけない。
「恵?怒るよ。一人でも返せるから、恵は教室から鞄取ってきてよ」
「何?聞こえない?……ちょっと本を投げないでよ。はいはいわかりました。言うとおりにします」
「でも平気?この脚立けっこうガタがきてるわよ?」
「平気よ。恵が支えてくれるよりはよっぽどマシよ」
「そんな、雪乃…冷たい」
彼女を無理矢理、図書室から追い出すと私は脚立に登りはじめた。
ふと横目で隣のコーナーで本を元の場所に返す一危が目に入る。
こちらには目もくれる様子もなく黙々と本を返している。
ヲタクで暗いだけじゃなくて気まで回らないのね。
ちょっとぐらい気を利かせて脚立を支えるとか思わないわけ?
女の子にこういうこと押し付けて少しは手伝うって気はないわけ?
…別に犯田になんか何も期待しないわよ。このぐらい一人でできるからいいけど。
アンタはそうして一人でじめじめしてればいいのよ。
少しムッとしたまま本をもとの位置に戻そうとする。
「えっと…B−261は…あった。ここね。あっ!!きゃぁぁぁぁ!!」
脚立の端に立ちすぎたせいで、ガタがきていた脚立はあっけなくバランスを失っていく。
重力がなくなると同時に視界がどんどん傾いていく。
「七瀬!!」
脚立からおちる瞬間、犯田が本を投げ出し猛スピードで私に駆け寄ってくる。
脚立が横倒しになったのか、ガシャという音を響かせていた。
と、同時にドン!という鈍い音がしたあと、気がつくと、犯田が私の下敷きになっていた。
私の全身を床から守るようにして、犯田は私を抱きとめていた。
「は、犯田……?」
「いてて……な、七瀬さん……大丈夫?」
「私は……平気…」
「よかった……」
二人の視線が突然合う。
落下する間際に彼の「七瀬」という力強い言葉が不思議と何度も私の心に響く。
心臓の鼓動が私の意志とは関係なくどんどん高まっていく。
…以外だった。
犯田がまさか助けてくれるなんて。
今もこうして普段からは想像できないくらいの力で私を支えている。
メガネが私を助ける際に外れてしまったようで、昔の彼の顔とダブって見える。
…なによ犯田のやつ格好つけちゃって…そ、それにキモイとか言われるわりには案外……
「ちょ、ちょっと犯田!!アンタどこ触ってるのよ!!」
「え?どこって?………ああ!!」
「『ああ!!』じゃないわよ!いつまで触ってるのよ!?さっさと手を離しなさいよ!!」
犯田は落下した私を助けるために、私と床の間に体を倒して滑り込ませた格好でいた。
私は犯田に俗に言う「お姫様だっこ」に近い形で抱きとめられていた。
その足を支えるはずの手が落下の弾みで、制服越しに私のお尻に触れていた
「この変態!!いいから私から離れなさいよ!!」
私は彼の上から乱暴に降りると、倒れたままの彼の横に座り込む。
全く…しょうがなかったとはいえ…でも私が助けられたのよね…
「ご、ごめん…」
「い、いいわよ…ワザとじゃないんでしょ?」
「そ、それはもちろん!で、でもごめん…」
「もういいって言ってるでしょ!助けられたのは私でしょ!?」
「うん…でも……ごめん……」
「そうじゃなくて!もうほら!いつまで倒れてるのよ!早く起きなさいよ…」
ゆっくりと上体をおこすと私と少し離れた所に座る。
沈黙が私たちの間に訪れる。
犯田はどこかすまなそうな顔をして困った顔をしている。
私も冷静になって考えると、犯田に抱きしめられたことを思うと頭が混乱した。
犯田に助けられるなんて…それより犯田と密着するなんて…
なにやってるのよ私?犯田に助けられるなんて…
犯田は何も言わずに一人立ち上がった。
メガネを拾い上げ、かけ直すと私が座り込むなか、一人で倒れた脚立を黙々と立て直す。
「な、なにやってるのよ…?」
脚立をもとの位置に戻しながら、犯田はおずおずとした口調で言う。
「…な、七瀬さん。そ、その…今度は大丈夫だから…僕が支えるから……」
犯田は脚立を支えたまま下を向いている。
「い、いいわよ一人でそれぐらいできるわよ…」
「で、でも…危ないから…な、七瀬さんが上にいるときは…その…上は見ないから…」
「あ、当たり前でしょ!?そんなことしたら警察に突き出すわよ!」
結構いいとこあるじゃない…できるなら初めからそうしなさいよ…
「い、いい?上は見ないでよ!いいわね!」
「う、うん…目をつぶったから、大丈夫」
下を見るとさっきはあんな格好でそばにいたときは顔を赤くしていなかったくせに、今の彼は真っ赤だった。
それでも脚立が少しも揺れないほどにしっかり押さえている彼の姿がなんだか頼もしかった。
「もう終わったわ。いつまで眼をつぶってるのよ?」
「うん…お疲れ様…七瀬さん……」
彼は視線をキョロキョロさせて口ごもりならも私に話し掛けていた。
「お疲れ様って…それは犯田も一緒でしょ?………お疲れ様犯田」
「え、そう、そうだね………そ、それじゃ後片付けしようか」
「そうね……そ、それとさっきは………ありがと」
「い、いいよ。そんなこと…わざわざお礼を言われることじゃないよ…」
「い、いいでしょ別に。せっかくお礼言ったんだから素直に受け取りなさいよ」
犯田は照れくさそうに鼻先を掻きながら相変わらず視線をキョロキョロさせている。
カウンターに二人で戻り、残りの仕事を片付ける。
会話などなく黙々と仕事をこなす。
「な、七瀬さんて昔はあんまり怒ったりしなかったよね……」
ふと犯田から思いがけない言葉がこぼれた。
「な、なによ悪い…そ、それよりよくそんな昔のこと覚えてたわね…」
「う、うんなんとなく思い出したから…そういえば昔七瀬さんと遊んだこととか…」
「な、なによアンタ!?今まで気づかなかったわけ!?信じられない!?」
「ご、ごめん」
「だいたい二年なってからどれくらい経ったと思ってるの?何度も名前聞いてるでしょ?」
「う、うん」
「呆れた…アンタ幼稚園の頃から私が小学校のころ引っ越すまであんなに家に来てたじゃない!?」
私は書いていた図書館の利用者のノートを丸めて何度も机を叩いていた。
「な、七瀬さん!?何もそんなに怒らなくても…」
「うるさいわね。怒ってなんかないわよ!ただ呆れてるだけよ!」
驚くと同時に、犯田の言葉には呆れてしまった。
こっちが覚えているというのに、犯田は綺麗さっぱり忘れていたなんて。
「アンタね…もういいわ……」
「ご、ごめん…忘れちゃってごめん……」
「そんな風に謝らないでよ!なんかそれじゃ私が馬鹿みたいじゃない!」
「で、でも……」
「ああっ!!もういいわよ!いいからさっさと終わらせて帰るわよ!」
残りの仕事を片付けると、大またで私は図書室の外に出た。
犯田もその後ろをまだ申し訳なさそうについてくる。
「そ、それじゃ鍵閉めるね」
「いいわよ。早く閉めなさいよ」
「ごめん…」
ますます申し訳ない顔をする犯田を見ていると、少しだけかわいそうになってきた。
初めてこんな気持ちになった。
今まで犯田に対して誰が何をしても、何を言っても気にすらしなかったのに。
「…ちょっと犯田、これからは私と話すときはなるべく『ごめん』って言わないで」
「えっ?」
「なんか私が悪者みたいでしょ…だからなるべく言わないで」
「うん…わかった」
「な、なら閉めるね。な、七瀬さん、わ、忘れ物とかないよね…?」
「ば、バカにしないでよ。小学生じゃあるまいし、ないわよそんなの!」
「ご、ごめん」
「また!その程度でいちいち謝らない!」
「ごめん……あっ!」
「アンタ……ワザとやってるでしょ!?」
私は腕組みをすると何度も片足で地面を踏みつけた。
「ち、ちがうって……うわっ!!」
突然、空き缶が私と犯田の頭の間を突き抜けると図書室のドアに当る。
ドアに当った後、空き缶は廊下にキーンという音を立てからコロコロと廊下を転がる。
「ちょっと誰よ!?」
「お待たせ雪乃!危ない所だったわね。犯田。私の雪乃に手をだすなんていい度胸ね?」
振り向くと恵がニヤリと笑いながら、なぜか右手の拳を握り親指だけを私に向けて立てていた。
「あ、危ないのは恵でしょう!?こんなの投げて当ったらどうする気?」
「大丈夫よ雪乃。私の愛がコントロールミスなんて起こすはずないもの」
「……そうですか」
そんな呆れ顔の私にお構いなしで、恵は私の肩を抱くと勝ち誇ったように犯田を見る。
「犯田。アンタに言っておくけど雪乃は私の物だからね。覚えておきなさい!」
そう高らかに宣言するとそのまま高笑いしながら、私を連れて歩き出す。
完全に恵のペースのまま廊下を歩く。
犯田の方を見ると、私たちの姿を見てどこかおかしそうな柔らかい表情で見ていた。
そんな初めて見る犯田の表情につられ私も微笑んだ。
「雪乃?どうしたの?そんなうれしそうな顔して」
「なんでもないわよ」
「……いいのよ照れなくても。ふふっ…私も雪乃とこうして肌を合わせて歩くこと嫌いじゃないから」
彼女の満足そうな笑みを無視して歩く。
窓からは夕日が廊下をオレンジががったセピア色に照らしていた。
その光景は私と犯田の目に映り続けていた。
「雪乃ってさぁ…最近よく犯田と話すよね…」
相変わらず携帯のカメラ機能をいじりながら恵がぶっきらぼうに言い出す。
放課後、私は彼女と一つの席に向き合って話していた。
「な、なによ突然」
「いや〜なんとなく最近の雪乃って犯田と話した後、明るいな〜とか思ったりしてるのよ」
「な、なによそれ!そ、そんなことないわよ。ただ犯田とは図書委員のことで話してるだけよ」
「そう?それならいいんだけど」
確かに最近あのとき以来彼とは何となくだけど少しずつだけど話せるようになった。
犯田は単なるヲタクかと思っていたけど、結構普通の本も読んでいる。
図書室でヒマなときは何となくひまつぶしに読んでいるお互いの本のことを話したりする。
ときどきだけど盛り上がったりもする。
「おっと噂をすればご本人の登場か。でも雪乃には指一本…」
「何か用?」
「あ、あの七瀬さん。さっき先生が後で図書室に集まってくれって言ってた」
「そう」
「そ、それとこの前図書室で貸してくれた本…面白かった」
「当たり前でしょ?私が選んだ本なんだから面白いに決まってるでしょ」
「うん、そうだね。確かに面白かった」
今ではこうして犯田からも話し掛けてくれることがある。
以前のような卑屈な笑みは彼の表情から消えていた。
こうしているとごく自然に、普通の友達のように話していると見られているのかもしれない。
「酷い…雪乃…私のこと無視して、犯田相手に笑顔なんて」
「ち、違うわよ。うれしそうな顔なんてしてないわよ。普通よ普通」
「そうやってムキになるところがなんとなく許せない」
「ど、どうしてそうやって変に深読みするわけ?いい?犯田とは単なる同じ委員会同士なだけ」
「でも雪乃が犯田に本を貸すなんて……ずるい!雪乃。私にも貸して!!」
「恵、本読まないじゃない…」
「いいの!!こういうのは気分が大事なの!!」
「わ、わかったからそんな顔しないでよ。今度ちゃんと貸すから」
「そうこなくっちゃ!ふふっ…やっぱり雪乃には私が一番よね」
「…まったく恵はそればっかりなんだから」
恵を教室に残すと私は犯田の待つ図書室にむかった。
クラスごとに分かれていたいたため犯田の隣に腰を下ろす。
しばらくすると、図書委員会の担当の教師が入ってきた。
翌日私たちは図書館に二人っきりでいた。
季節はもう七月になっていた。
外は雲が斑に広がり、強い日差しが容赦なく降り注いでいた。
図書室のなかも湿気と熱でイライラするほど暑かった。
「なんで私達が日曜日に、しかもこの暑い中二人で本の整理なんかしなくちゃいけないのよ!!」
「………」
「…ちょっと犯田。なんとか言ったらどうなの!?ジャンケンで負けたのアンタでしょ!?」
「ごめんなさい………」
―――あの後、図書室では教師から翌日の日曜日に図書室の本の整理があると聞かされた。
しかも一つのクラスだけでそれをやってほしいと言われた。
当然どの学年のクラスもやりたがらず、一向に決まらないでいた。
一時間近くそのことで図書室は大いにもめた。
…そこで最終的にジャンケンで決めることになった。
各学年、クラスの男子が一同に集められると一斉にジャンケンが始まった。
集まる前に犯田を呼び止める。
「絶対に負けないでよ!?これだけ人数がいるんだから負けるなんてありえないんだからね!!」
「そ、そんな……負ける可能性だって……」
「なにそんな弱気になってるのよ!いい?負けたらホントに怒るからね!?」
トボトボと男子達が集まる輪に入るとジャンケンが始まった。
どのクラスの女子も椅子に座ったまま、その光景を固唾を飲んで見守る。
最初のジャンケンが終わった後、男子達の歓声が上がる。
どの男子も喜んでいた。
ある者は隣の男子と手を取り合い、ある者はクラスの女子に手を挙げて喜びを伝えていた。
でも犯田だけは青い顔をしてうつむいていた。
そして席に戻ってくると一言
「……ごめん。ジャンケン負けた」
―――そんなわけで私はこの暑い中、図書室で本の整理をする羽目になった。
「だいたいね。犯田。なんであの人数で負けるわけ?」
「しかも……!!一回で負けるってどういうことよ!!」
私はたまたま手にしていた本を両手で持つとバンバンと机を叩く。
犯田は隅の方で縮こまりながら作業をしている。
「もういいわよ。どうせもう今日はこれが終わらないと帰れないんだから」
「犯田。しっかり働きなさいよ」
小さく隅のほうで犯田の返事が聞こえた。
昼近くになると太陽が真上に昇ったせいで外の空気も熱風に変わっていた。
図書室の温度も更に上がっていた。
「ウソでしょう……室内温度36度って……目眩がしそう」
犯田を冗談で責めるようにいったつもりだったが、どこか体がおかしい感じがしていた。
本もだいぶ整理が終わっていた。
この分なら、昼食をとって少しやったら終わりそうな感じがした。
でもさっきから調子が悪い。
思わずそこにあった椅子に腰を下ろす。
暑さにでもやられたのだろうか?
「七瀬さん?平気?暑いなら涼しいところに行ってていいよ。後は僕がやるから」
そうした方がいいのだろうけど、私は病人扱いされるとついムキになってしまう。
「い、いいわよ…こ、これくらいなんともないわよ」
「でも…顔色悪いよ。ここはいいから早く保健室にでも行って……」
「い、いいって言ってるでしょ!!病人扱いしないで……よ……」
そう自分で言い終わると同時に視界がグニャリと回る。
「七瀬さん!?」
少しだけ気を失っていた。
気がつくと椅子から落ちようとする私の体を犯田が両手で支えていた。
「七瀬さん!?平気!?」
犯田の顔がぼんやりと見えた。
「う、うるさいわよ……平気よ……」
犯田の手を振りほどこうと立ち上がるが、足に力が入らずよろめく。
「七瀬さん!じっとしてて!!」
うつろな目で犯田を見る。
額に犯田が手をのせる。
「すごい熱じゃないか!?」
「そ、そう…?…これぐらい……いつも…の…こと」
上手く舌が回らない。
意識も視界も徐々に薄れてくる。
犯田が心配そうな顔で覗き込んでくる。
すると何かを決めたような顔つきに変わる。
「ごめん七瀬さん!怒るなら後でいくらでも怒っていいから!!」
そう言うと犯田は片手を私の両足の膝の下に手を入れて、もう片方の手で肩を掴む。
浮遊感と共に視界が高くなる。
「は、犯田……な…にしてる……の……よ」
そこで私の意識は切れてしまった。
額が冷たくて気持ちよかった。
冷風が心地よく顔を撫でる。
徐々に意識がはっきりしてくると、自然とまぶたが開く。
白い天井がまず目に入った、次に目隠しのカーテンが見えた。
足元を見ようとすると白いかけ布団があった。
「…ここ保健室?」
まだ少し気分が優れなかったが上体を起こした。
しばらくそのままにしていると、仕切りのカーテンが開きよく知っている年配の女医が顔を現した。
「気がついた?どう気分は?」
「は、はい。だいぶ楽になりました」
「そう。でももう少し休んでなさい」
「はい…そうします」
そう言うと私はまた上体を寝かした。
ここにいる理由を探るが、すぐには答えが出てこなかった。
ふいに女医さんこと、岡本先生が私のそばにやってきた。
「ごめんなさいね。ちょっとこれ体温計で熱を計らせてくれる?これ自分でできる?」
私は無言で頷くと体温計をわきの下に挟んだ。
「七瀬さん。アナタ暑さでやられたみたいね。あんまり無理しちゃダメよ」
そういうと柔らかな表情で額の上のタオルを取り、洗面器で濡らして絞る。
「ここのところ七瀬さん調子がよかったのにね。でも今日みたいな暑い日は誰でも倒れちゃうわよね」
岡本先生は決して悪い意味で私を病人扱いしない。
今まで会ってきた先生のなかでも数少ない好きな先生だ。
少し微笑みながらそっと絞ったタオルをまた額に戻す。
「それと七瀬さんの彼氏すごく心配してたわよ」
…彼氏?
「岡本先生、彼氏って誰ですか?」
「いやね、アナタを担いできた男の子よ。メガネをかけた真面目そうな子」
…担いできた?…メガネ?………犯田?
「ち、違いますよ!!先生!!あれはただの同じクラスメイトで同じ委員会なだけです!!」
「そうなの?あらやだ、ごめんなさいね。でもお似合いだと思うのだけれどね」
岡本先生は悪気がなさそうな笑顔でクスクスと笑う。
「もう先生ったら…本当にそういうのじゃないんですからね」
先生と話していると少しだけ気分もよくなった。
でも先生の口から出た『彼氏』という言葉が心をぎゅっと締め付けたような気がした。
それから私は上体を起こすと先生と話をした。
しばらく二人で話し込んでいるとコンコンと保健室の扉を叩く音が聞こえた。
「し、失礼します」
見るとやや緊張した面持ちで犯田が入ってきた。
「えっと先生…な、七瀬雪乃さんの様態はどうなんでしょうか?」
「ここにいるでしょ?どこに目をつけてるのよ?」
「コラコラ、七瀬さん。せっかくお見舞いに来てくれた彼氏に失礼よ」
「だから先生!犯田はただの同じクラスメイトで…」
「ただの同じ図書委員なんでしょ?」
先生はイタズラっぽく私の揚げ足をとってみせる。
「もう先生。わかってるならからかわないでください」
「ふふっ、ごめんなさいね。でも彼には感謝してあげてもいいと思うわよ?」
「もう少しで危ない所を彼が連れてきてくれたのだから」
先生はそういい残すと洗面器をもって外に出て行ってしまった。
ベットの横にある背もたれのない椅子に犯田が腰を下ろす。
「七瀬さん平気…?」
「…もう平気よ」
「そっか。………ごめん。僕がもう少し早く気づいていたらこんなことには……」
犯田は急に真剣な顔になるとうつむいた。
病人扱いの同情は嫌いな私はつい口を出そうとしたが、犯田の手を見るとぎゅっと拳が握られていた。
「そんなの……犯田のせいじゃないわよ。……私だって油断しすぎてたし………」
「でも……僕がもっとしっかりしてたら……」
「…もういいわよ……私もう平気だから」
「……でも」
「いいの。それと…ありがとう…助けてくれて」
言葉を言い終えた瞬間、不思議な気分になった。
自分でも驚くくらい心の中は穏やかで満ち足りていた。
私は自然に微笑んでいた。
犯田はそんな私の顔に照れたのか何度も頭や鼻を指先で掻いていた。
なんとなく犯田の顔がどこかはっきりと見えた気がした。
しばらくしてベットから降りて廊下に出る。
「さてと。気分もよくなったから続き始めましょうか」
「七瀬さん。もう終わったからいいよ」
「犯田一人で残り終わらせたの?」
「うん。一応ね」
「そうなんだ。ありがと犯田。それじゃ図書室に鞄とってきて帰ろう」
いつの間にか「ありがとう」の言葉が素直に出ていた。
それは少し恥ずかしかったけど、とても温かい言葉で言う度に心が軽くなっていくようだった。
二人で図書室の前にたどり着いた頃だった。
不意に犯田の顔が暗くなる。
「どうしたの犯田?図書室に入らないの?」
「鍵かけたの忘れてた………」
日が傾いた廊下に真っ赤な夕日が照らされるなか私の叫び声がこだました。
夏休みが目の前に迫っていた。
図書館の中は日を増すごとに蒸し風呂のようになっていた。
「それにしてもここホントに暑いわね……暑いのよくやるわね」
「ふふっ…私を甘く見ないでよ。暑い中だって雪乃のことは撮りまくるわよ」
「その首筋から流れる汗を。汗ばんだうなじを。ああ…夏っていいわね」
隣に座っている犯田はそんな光景を苦笑している。
「ちょっと犯田笑ってないで少しは恵になんか言ってよ。この暑い中、これだけ密着される身にもなってよね!?」
「えっ?ああ……うん」
「ハッキリしないわね相変わらず!!たまにはハッキリ言ってみなさいよ!」
「う、うん。ご、ごめん」
「雪乃。私は犯田ごときじゃ止められないわよ。ああ!そのポーズいいわね!もうちょいあご引いて!」
犯田も恵も相変わらずで日が過ぎて行く。
こんな日々もいいと思うのだけれど、少しづつ私の気持ちに変化が表れてきた。
今日も日が傾くと委員会終了のチャイムが鳴り響く。
すると私と犯田は後片付けを始めて、数分後図書室を出る。
犯田はいつも鍵をかけるので、図書室の前で別れる事になる。
…その犯田の分かれた後の、後姿が私の心を締め付けるようになっていた。
歩いていく後姿につい声をかけたくなるけど、何も言えない。
そんな自分が少しだけ恨めしい。
今日も何も言えないまま犯田の後姿を見ているだけだった。
私は恵とまだ暑さが残る帰り道を歩いていた。
「雪乃聞いてる?」
「えっ!?な、なに?」
「ぼんやりしすぎ」
「そ、そうかな……」
「雪乃……犯田のこと考えてた?」
「は、犯田!?な、なんで私が犯田のことなんて……考えてるわけないでしょ!!」
内心焦っていた。
犯田のことを考えていなかったと言えばウソになるけど…でもそれは……
「そ、そうだ恵!見てこのポスター。今度一緒にこれ見に行かない」
視線の先にちょうど今年の花火大会のポスターが目に入った。
「花火大会ねぇ……それもいいわね……雪乃の浴衣姿もそそるものねぇ……」
恵は携帯をいじりながらどうでもいいように答える。
「でしょ。今年の浴衣は買ったばっかりなの。丁度いいと思わない?」
「そう……それもいいかもしれないわね」
「な、なによ恵?さっきから気のない返事ばっかりで。どうしたのよ」
恵はこんな話題を振ったら、いつもならもっとはしゃぐはずだ。
でも恵はさっきから携帯をいじって表情もあまり変えないでいた。
「どうしたって……雪乃ちょっとそこでジュースでも飲んでいかない」
私は恵の態度に釈然としないまま、近くの自販機で飲み物を買うと、
車があまり通らないガードレールに寄りかかった。
「どうしたのよ恵?私もぼんやりしてるのかもしれないけど、恵もなんかおかしいよ」
「……雪乃これ見て」
恵がそっと自分の携帯を差し出す。
そこには私の図書室での私の笑った顔が映っていた。
「恵?これがどうしたのよ」
恵は不思議がる私をよそに、携帯を取り返すとまた携帯を差し出してくる。
今度は図書館で犯田と話しながら笑う、私の姿が映っていた。
「さっきからなんなの恵?これがどうしたっていうの?」
「よく撮れてるでしょ」
「なっ?そ、そんなことをわざわざ言いたかったの?」
呆れて恵の顔を見るが恵は前を向いたまま、黙っている。
「恵?」
反応はない。
恵はジュースを一口飲むと独り言のようにフッと喋りだした。
「よく撮れてるでしょその写真。雪乃すごくいい表情してると思わない?」
私には恵が何が言いたいのかわからず黙ってうなずいた。
「雪乃がさ、そういう表情するのってどんな時だと思う?」
恵がまたなぞなぞのような言葉を続ける。
「わ、わかんないわよ。そんなこと。笑うときなんていくらでもあるから」
急に恵がこちらを振り向くと珍しく真剣な表情で言う。
「雪乃……わかってるかと思うけど……雪乃がそういう表情するのって犯田といる時だけだよ……」
「え……犯田といる時だけ…?」
私は恵が何を言おうとしているのか、いまひとつわからなかった。
ただそう言われた瞬間すごく恥ずかしいような気がした。
「雪乃さ……くやしいけど、自分の気持ちに気づいたほうがいいよ」
「な、なによ私の気持ちって……」
恵の言葉の一言一言が私の心の奥に入ってくる。
「……ふぅ。ここまできてもまだシラを切りとおすか……」
「べ、別に私はそんなつもりは……」
私と恵の間になんとなく沈黙が下りる。
「ねぇ雪乃…私の将来の夢ってなんだと思う?」
恵はまた私を置き去りにするような質問を投げかけてくる。
「恵の夢……そ、それはカメラマンかなんかでしょ」
「……正解」
私が怪訝な顔をしていても恵は気にする様子もなく、ふっ、と短く笑うとまた言葉を続ける。
「雪乃。私将来は人物を撮りたいのよ…だから雪乃を撮ったりしてたわけ」
「でね、カメラ関係の本もこう見えても結構読んだりしてるのよ」
「その本の中に一つにこんな文章があったの」
恵は少し息を吐くと照れくさそうに遠くを見ていた。
「本当にその人物を撮りたいなら、その人の視線になって見なくちゃいけないって……」
「雪乃とは一年の頃からの付き合いだからさ、何となく雪乃の視線てわかるような気がするんだ」
「特に二年になって…図書委員になってからの雪乃の視線の先には……犯田がいるんだよね…」
「えっ……犯田が…」
心が苦しかった。
わからないけど…でも恵にそう言われたことで私は胸が苦しくてどうしようもなかった。
「雪乃…もう少しで図書委員終わっちゃうよ……」
「……で、でも私…そんなこと言われたって……」
「夏休み入れても、もう数回しか残されてないよ……いいの雪乃……?」
「……いいわけ…で、でも……い、いまさら……」
「でも二学期になったらもう一緒にいる時間なくなっちゃうよ?」
「そんなこと……」
ふっと恵が私の体を両手で包み込む。
「頑張りなさい雪乃。言わなかったら伝わらないよ……それにきっと後悔するわよ……」
「恵……でも…私怖いよ……犯田のこと考えると…気持ちがおかしくなるから……」
「そしたら…私が力になるわよ……そういうときの友達でしょ…」
「恵………ありがと………」
「花火大会…二人で行っておいで……」
「うん……」
車が何台か通り過ぎるまで私は恵の体に、自分の体重を預けていた。
「恵、恵が友達でよかった」
「ふふっ…雪乃ったら可愛いこと言ってくれるわね……」
「そんなこと言われたら、この手を離すのが惜しくなってくるじゃない」
「もう…恵ったら……」
「でもね雪乃?……一つ約束してくれる?」
「……なに恵?」
「……水着姿は犯田よりも先に私に見させて。できればビキニがいい……」
「バカ………」
恵と別れた後、私はすぐにシャワーを浴びると布団に倒れこんだ。
「どうしよう……恵の前ではあんなこと言ったけど、この後ことなんて全然考えてなかったわよ……」
枕を顔元に近づけて抱きしめる。
時間が経つにつれどんどんさっきのことが恥ずかしくて顔もあげられなくなる。
―――気持ちを伝える
それって、犯田に…犯田のことを好きっていうこと?
も、もし犯田がそれで私のことも……好きだっていったら……
そ、それは私と犯田が付き合うことになって……つまり……恋人になる?
「ストップ!ストップよ!!」
布団に座りなおすとぎゅっと枕を抱きしめた。
…それじゃ私が犯田のこと好きみたいじゃない…
じゃあ嫌い…?
そ、それは確かに犯田はいい奴だと思うし、何度も助けられたけど……
でもいきなり……恋人なんて……
そもそも犯田が彼氏なんておかしいじゃない。
ヲタクで、暗くて、頭もよくないのに。
そうよ男としてはダメダメじゃない。
今まで告白された男子なんかに比べたら犯田なんて…どうしようもない男じゃない……
でも……あれでもいいところはあるのよね……
犯田に助けられた時のことを思うと少しだけうれしかった。
「そうよね…犯田には何度も助けられたのよね…」
「なら……お礼ぐらいならいいわよね……お礼ぐらいならしてもおかしくないわよね……」
ベットから起き上がると、壁にかけてある白い布に所々藍色の百合の花が染め抜かれた浴衣にそっと手を添えた。
あれから何日かすぎたけれど、私は犯田に花火大会のことを話せずにいた。
図書館は夏休みに入ったばかりのせいか人がいなかった。
花火大会は今日だと言うのに……
チラッと腕時計を見る。
時刻はもう十一時半を回っていた。
……あと二十分もしたら図書館は閉まる。
……でもなんて言えばいいのよ?
いきなり「花火大会に行かない」なんて言ったら私が犯田に気があるみたいじゃない。
それに、そんなの私から誘うなんていかにも私が行きたいみたいじゃない。
あくまでこれは「お礼」なのよ。
だからなるべく……その自然に言わないと。
私は頭が混乱状態になった。
深くため息をつくと本を閉じた。
「どうしたの七瀬さん?……あ…その本面白くなかった……?」
犯田は私の気持ちなど知るはずもなく、今日自分が薦めた本がつまらなかったのかと聞いてきた。
「ち、違うわよ。ちょっと暑いから一休みしただけよ」
「そうなんだ。確かに今日は天気がいいから暑いよね」
「そうでしょ?だから一休みよ。べ、別に犯田の貸してくれた本が面白くないわけじゃないわよ」
「ならよかった。でもこれだけ天気がいいと今日の花火大会もよく見れそうだね」
は、花火大会!犯田のやつ今日の花火大会のこと知ってたんだ。
少しだけ期待が満ちたのか、鼓動が高鳴る。
「そ、そうね。今日は綺麗な花火が見れそうね。そ、そうだ、犯田は誰かと一緒に見に行くわけ?」
なに私ったらガツガツしてるのよ!?
ごく自然にって言ってるでしょ!?
「ううん。僕は部屋の窓からでも見るよ。……それより七瀬さんどうかしたの?さっきから難しい顔して?」
「えっ!?な、なんでもないわよ。それより一人で部屋で花火を見るなんてなんか暗いわよ」
「ハハッ……そうかもね………」
「そうよ。せっかくの花火なんだからせめて一人でも外に出てみなさいよ」
ば、バカ!なんでわざわざそんな犯田を遠ざけるようなことを言うのよ!?
これじゃますます言いづらくなるでしょ!?
ああっ!!もうそうじゃなくて!!なんでもっと自然にいかないのよ!!
「七瀬さんは桂さんか誰かと行く約束してるんでしょ?」
よ、よかった……まだ会話が続きそうで……ってだからなんでこんなにガツガツと……
「恵と?…え、えっと恵は今日用事があるから行けないのよ。私は誰とも行く予定は無い……」
慌てて言葉を遮るがもう遅い。
こ、これじゃ私は誰とも行く予定がないから、誘ってって言ってるみたいじゃない!
「そうなんだ。それじゃお互い一人で見るんだ」
「な、なによ。いいでしょ…た、たまには一人で見たい時だってあるのよ」
「うん。一人で見る花火もいいよね」
……終わってしまった。
犯田との花火の会話はこれで完結してしまった。
私は何となく沈んだ気持ちで図書館が閉まるまで、ぼんやりと本を眺めていた。
内容は一切頭に入ってくることはなかった……
犯田と共にいつものように図書カウンターで後片付けをする。
でも今日は来客生徒が一人もいなかったので、すぐに終わってしまった。
二人で片付けを終えると、無言で図書室の扉の取っ手に手をかけようとする。
すると私が扉に触れる前に扉が勢いよく開かれると同時に、まぶしい光が飛び込んできた。
数秒の間私はなにが起こったのかわからなかった。
「雪乃の驚き顔いただき!」
目の前にはカメラを構えていた恵が立っていた。
「恵!?なにしてるよ?びっくりしたじゃない!?」
恵は悪びれる様子もなく、今さっき取った画像を満足そうに眺めていた。
「ふふっ。見て雪乃!!新しいこのデジカメ!!いいでしょ!!」
そういうと恵はシルバーのデジタルカメラを構えてみせる。
「最初にこのカメラで撮るのは……当然ゆきのん!!ふふ!!やっぱりゆきのんは最高よ!!」
つっこむ気力もなかった。
「……恵。新しいデジカメはわかったから。それよりどうしたのよ?学校に用事でもあったの?」
「それはもちろん雪乃を撮るためよ」
恵は意味も無く堂々と言い切る。
「そ、それじゃ僕は図書室の鍵を職員室に返してくるから……」
私の隣で同じように呆れていた犯田が図書室に鍵をかけると歩き出した。
「ちょっと待ちな犯田!!今日は不本意だけどアンタにも用があるんだから」
『えっ!?』と私と犯田の声が重なって廊下に響いた。
「それってどういうことよ!?」
恵の言葉に私は驚きを隠せずに、つい大きな声を出してしまった。
「だから、言った通りよ。雪乃と犯田に協力してほしいってことよ」
「協力って…ど、どうして私が犯田と一緒に花火に行ってそれを恵に撮られなくちゃいけないのよ!?」
恵が何となく気をまわしてくれているとはわかっていたけれど、私は素直になれなかった。
「それは私が写真のコンクール出すからよ。ついでに題材がカップルだから仕方ないでしょ?」
「そ、そうじゃなくて!私はともかく犯田まで協力しなくてもいいでしょ!犯田もなんとか言いなさいよ!?」
「え……うん……そ、その………」
「あー!!もうっ!!こんな時まではっきりしないわね!!恵!!ともかく犯田は協力する必要はないでしょ?」
「犯田は協力するべきよ。当然じゃない」
「な、なんでよ……」
「いい雪乃?私があなた達、図書委員の仕事をどれだけ手伝ったと思ってるわけ?」
「そ、それは……」
言い返す言葉が見つからなかった。
恵は普段は私にまとわりついてはシャッターを切ってはいたものの、図書委員の仕事をかなり手伝ってくれていた。
私は恵に近寄ると耳打ちをした。
「(恵!いい加減にしてよ。そんなに無理に行く必要なんてないでしょ?)」
「(雪乃?なに言ってるのよ?そんなつもりはないわよ。これはあくまで私のためよ)」
「(じょ、冗談でしょ?)」
「(冗談じゃないわよ。本気でこれは私のコンクールの課題ため。それ以上でもそれ以下でもないわよ)」
恵の表情はさっきまでのおちゃらけた表情は消えていた。
どうやら本当に本気らしい。
恵はそれだけを有無を言わさない口調で言うと、後はなにを言っても無駄だった。
「あっ、そうだ犯田。アンタ携帯もってるよね?番号教えなさいよ」
「え?あっ……うん」
「ちょっと恵!?どうして犯田の番号なんて聞くのよ?」
「犯田が逃げないためよ。当たり前でしょ?それと犯田、逃げたりしたら番号インターネットでばら撒くからね」
「そ、そんな……僕は逃げたりしないよ………」
「それと雪乃。雪乃と犯田も番号交換して聞いておきなさいよ」
「な、なんで私まで!?」
「今日の花火大会は混むんだから、一人でも番号がわからないと困るでしょ?」
私は気持ちが複雑なまま、犯田に口頭で自分の携帯の番号を教えた。
「これでいい七瀬さんの番号?」
私はだまってうなずいた。
「犯田、犯田の番号も知りたいから、電話かけてみて…」
犯田は焦りながら携帯をポケットから出すと、ダイヤルを押していく
私の携帯が鳴る。
私はすぐに出ずに、しばらくその着信音を聞いていた。
なんだか強引にことが進んでしまったけれどその音色は心地よいものだった。
その着信音ははじめて携帯を買ってもらった時の音によく似ていた。
―――今日ほど自分の体を嫌いになった日はない。
「………そう。わかったわ雪乃。雪乃……無理しないでね………」
「ありがとう…恵………」
「それと……犯田には私から言っておくから………」
「うん………」
―――私はそう短く答えると携帯の通話を切った。
時計は待ち合わせ時刻の十分前の午後七時五十分を指していた。
あれから家に帰ってすぐに私の体調は急変した。
いつもの微熱が出たのだった………
部屋は電気を消しているため暗く、クーラーの音だけが低く唸っていた。
私は………ただぼんやりとベットの上で横たわっていた。
下着姿で布団もかけずにただ暗い天上だけを見つめていた。
微熱も確かに合ったけれど、恵に連絡してから全てがどうでもよくなった気がした。
悲しさや辛さより、なにか空虚な感じが胸を巣くっていた。
暗闇の部屋の中で壁にかけてある浴衣が目にはいる。
暗闇のせいで、白い浴衣に藍色で染み抜かれた浴衣は喪服のように真っ黒だった。
しばらくすると、花火大会開始の合図の最初の花火が破裂音と共に窓から見えた。
横目で窓の外の夜空を彩る花火を見上げる。
赤……緑……黄色……オレンジ……青……花火はまばゆく光るとすぐに消えていく。
花火が上がるたびに、私は犯田とのことを思い出していた。
犯田との図書委員の時間は短いものだったけど、花火の色だけ思い出すことができた。
最初は犯田に苛立って、バカにして……
でも、意外な一面を見たりして少し見直して……
何度も私を助けてくれて……
私は少し重い体を起こして、ベットから立ち上がり窓に片手をついて外を眺めていた。
窓にうっすらと映る下着姿の自分はすごく生気のない人形のように見えた。
時折、花火の光で私の体にも色が出るがすぐに消えていく。
何度も花火が何も無い夜空に煌いては、消えていった。
…犯田、今頃どうしてるのかな……
…案外ホッとしてるかもね……
ふっと自嘲気味の笑みがこぼれる。
窓にまた光が映るとそんな自分の顔が見える。
「…いやな顔……」
窓ガラスの自分の顔の所に手を当ててそれを隠そうとする。
また光ると今度は自分の体が映る。
「なによ……この体……ガリガリじゃない……気持ち悪い……」
花火の光と共に犯田の笑顔と自分の体が交互に脳裏と目に浮かぶ。
まだ微熱の影響で足元がふらつく。
そのまま崩れるように床に座り込む。
そうしていると最後に花火が夜空一面に打ち上げられ、夜空を一瞬だけ光で埋め尽くす。
もうこの夜空が光る事がない最後の合図のように見えた。
あれだけ夜空を彩っていた光はもうどこにも無くなっていた。
また私は暗い部屋に一人取り残されていた。
「………花火終わっちゃった」
一人呟くと涙があふれていた。
押さえようとしても涙は顔を塞ぐ両手の指の間から、とめどなく流れ続けた。
暗い部屋のなかで私は体を両手で抱きしめたまま、うずまりこんでいた。
暗闇の中の涙はただ冷たいだけだった……
私は泣き疲れると目を腫らしたまま、一階の台所に向かった。
台所は電気がついていたけれど、両親は町内の花火大会の集まりでいないためガランとしていた。
無言のまま冷蔵庫から冷たいスポーツドリンクのペットボトルを取ると、グラスのコップに注いだ。
一口コップに口をつけると少しだけ涙の味がした。
次第にクーラーの利いていない台所の熱さに嫌気がさし、私はコップを持つと自分の部屋に戻った。
部屋に戻っても電気もつけずに机に突っ伏した。
指先に硬い物が触れた。
体を起こしてそれを手にとると、それは犯田が貸してくれた本だった。
ハードカバーの本を手元に寄せると、また少しだけ涙が出そうになった。
私はそんな自分が惨めに思えてその本を乱暴に床に落とした。
「……いつまでこんな気持ちでいるのよ。もうアイツとは……会うことはないってわかりなさいよ!」
「……いいのよこれで…こんな病人の私なんて……アイツにとっても迷惑なだけなんだから……」
「……なんでまた涙がでるわけ!?もう終わったのよ!犯田と私はこの先もずっと平行線なのよ!!」
「いいじゃないそれで……犯田以外にも…好きになれる人ぐらい………」
言葉にしたくなかった。
その先の言葉をどうしても口にしたくなかった。
私は乱暴に投げた本のとなりに無言で腰を下ろした。
また涙が出そうだった。
――ピッピッピッ!ピッピッピッ!ピッピッピッ!
ぼんやりとその場に座り込んでいると、不意に携帯がなった。
この着信音は恵じゃない………じゃあ……犯田……?
私は少しだけ期待しながら携帯を手に取るとのディスプレイを覗き込む。
「非通知の番号…?誰よこんな時に……どうせどっかのバカが掛け間違いでもしてるんでしょ……」
私はなぜかすごくバカにされた気分になり、携帯をベットに投げつけた。
投げられた携帯は鳴り続けた。
「いい加減しつこいわよ!!間違い電話なことぐらい気づきなさいよ!!」
私が怒った声で携帯に呟いても、それでもその音は途切れることがなかった。
その音は三分以上も暗い部屋で鳴り続けた。
だんたんと私はイライラしてきた。
「うるさいわね!!なんでこんなに粘るのよ!!いいわよ!!そんなに出て欲しいなら出てあげるわよ!!」
ベットの上にある携帯をとると、私は全ての怒りをぶつけるようにまくしたてた。
「誰!?いい加減にしてよね!間違い電話するなんてアンタ年いくつ!?バッカじゃない!?」
「………あ、あの」
相手のかすかな声が聞こえたが、私はかまわず怒りを吐き続けた。
「こっちはね!今気分悪いの!!アンタみたいな暇人を相手にしてるヒマなんてこれっぽちもないのよ!!」
「………ご、ごめん………七瀬さん」
「なにが『ごめん』よ!?馴れ馴れしい!!謝るぐらいなら最初から………ってアンタもしかして犯田?」
「う、うん……ご、ごめんね。具合悪いのに電話して……」
「ア、アンタねぇ、なんでわざわざ非通知でかけてくるわけ?わかんなかったじゃない」
「ご、ごめん。携帯電池切れちゃったから…公衆電話からなんだ……」
犯田の声を聞いていると少しだけホッとした。
相変わらずどうしようもないけれど、それでも今は犯田の声が聞けてどこかうれしかった。
「で、どうしたのよこんな時間に?」
「………」
「犯田……?」
「あ、あの、七瀬さん…そ、その……今から七瀬さんの家に行ってもいいかな……」
鼓動が一気に高まった。
期待のような気持ちが少しだけ生まれた。
犯田が今からうちに来る?
何のために…?
い、今両親はいなから大丈夫だけど……ってなにが大丈夫なのよ!?
「えっと…ダ、ダメかな……」
「ほ、ほんの少しならいいわよ……」
「うん。じゃあすぐそっちに行くね」
「い、急ぎなさいよね…」
携帯からツーツーと音が聞こえるだけになった。
私は予想外の出来事にただ、だまってその場で座り込んだ。
携帯のディスプレイの光が暗い部屋の中で、蛍の光のようにかすかに光っていた。
「これでいいわよね…」
部屋に電気をつけると私は浴衣に袖を通していた。
鏡の前でおかしな所はないか何度もチェックする。
「って……なんで私浴衣なんて着てるわけ…花火大会でもあるまいし…」
「で、でも仕方ないわよね!今日はこれしか着る物がないんだし……そうよ!仕方ないのよ!!」
さっきから何度も念仏のように同じ独り言を繰り返し呟いていた。
「さてと、次は髪の毛よね。浴衣にこの髪型じゃ似合わないものね」
……ってなに私は張り切ってるのよ?いいじゃない普通の服で、いつもの髪型で。
……ああ…もうっ…これじゃ私が犯田の来るのを楽しみしてるようなものじゃない…
……で、でもこれはお礼なんだから、そうお礼なんだから………
一人で何度も混乱していても私は、気がつくとバッチリ浴衣を着て髪型も整えていた。
……おまけにリップルージュもうっすらと塗っていた。
鏡の前に改めて立つと、恥ずかしさがこみ上げてきた。
今日具合が悪くて寝込んでいた人間とは思えない完璧な浴衣スタイル。
我ながら自分の姿に呆れてしまいそうになった。
しばらく一人でもう一度普通の格好に着替えようかと悩んでいると、玄関の方から呼び鈴が聞こえる音が聞こえた。
私は少し緊張しながら階段を一歩ずつ降りて玄関をゆっくりと開けた。
「綺麗………」
玄関を開けた先に立っていた人物は私の姿を見ると、うっとりとした目で呟いた。
次の瞬間その人物は私を抱きしめた。
私は少し残念な気持ちでその人物に抱かれていた。
「恵……どうしたのよ……こんな時間に……」
ひとしきり抱きしめることを堪能した彼女は、一人息を荒くしながらシャッターを切っている。
「もちろん雪乃の看病のためよ!それにしてもまさか雪乃の浴衣姿が見れるなんてラッキーだわ!!」
「ああ…でもベットで可愛いパジャマ姿のゆきのんも捨てがたい!!」
「あれ……でも?なんでそんな格好してるわけ?寝てたんじゃないの?」
答えに窮した。
…まさか犯田が来るからなんていえない。
…恵には何となく気持ちが知られているとはいえ、やっぱり恥ずかしい。
…ここは恵には悪いけど、適当な言い訳で帰ってもらうしか………
「あれ?桂さん?」
…最悪のタイミングで犯田がやって来た。
「そうですか……ゆきのんはこのために……」
恵のテンションがみるみるうちに落ちていく。
「ち、違うわよ恵。こ、これは偶然よ、たまたまなのよ!」
「……いいですよ…どうせゆきのんは…私はせいぜい隅で盗撮まがいのことでもしてますよ……」
「だ、だから違うって言ってるでしょ。そ、それより犯田はどうしたのよ?こんな時間に」
恵は暗い顔で玄関に座り込んでいたが、たぶんそれは冗談だと思うことにした。
一方犯田は照れくさそうに両手に持った、たくさんの袋を私の前に広げてきた。
「これ…屋台物。七瀬さんがもしかしたら食べると思って……」
「それと……こっちは…花火……な、七瀬さん今日花火これなかったから………」
「そ、その……ごく普通の花火だけど……昔みたいにできたらいいなと思って……」
犯田はそれだけ言うと照れくさそうに下を向いたりしている。
……犯田のやつ格好つけちゃって……それに覚えてたんだ、昔家の庭で花火やったこと……
「犯田……ありがと………」
「いいよ……七瀬さんが少しでも元気になってくれたらそれで……そ、それと浴衣…に、似合ってます……」
「あ、当たり前でしょ……そ、それとなんでそこだけ敬語なのよ」
「ご、ごめん」
…な、なによ犯田の奴。今日は随分と気が利くこと言えるなんて……
いつの間にか二人の照れくさそうな視線が合う。
きっと犯田の中にも私と同じような暖かい気持ちが流れているのかな。
フッとどちらからともなくクスクスと笑い出す。
「それじゃ犯田、恵、花火やりましょ」
それから私たちは犯田の持ってきた花火を楽しんでいた。
家の庭の片隅で三人で一緒に花火を点火するたびにはしゃいだ。
本当は犯田と二人きりだったかもしれないけれど、こうして恵といるのも悪くないと思った。
「はい、ゆきのん♪あーんして♪」
ひとしきり花火を終えたところで私たち三人は、犯田の買ってきてくれた屋台物を食べていた。
「ちょっと恵!いいわよそれぐらい一人で………ムグゥ」
恵に無理矢理たこ焼きを口の中に押し込められる。
「恵!?急に口の中に入れないでよ!!」
「だってぇ…ゆきのんは病人じゃない?だから看病する人が必要だと思ってぇ」
相変わらず恵は悪気の欠片も感じていないらしい。
犯田はそんな私たちのやり取りを見ては苦笑している。
「ちょっと犯田。恵を止めなさいよね。まったくなに笑ってるのよ」
犯田は笑顔で答えるだけだったが、その笑顔が私の心を高鳴らせた。
「あれ?犯田飲み物は無いわけ?」
「あっ!?ごめん桂さん。買ってきてないや……」
「……しょうがないというか、さすが犯田ね。いいわ私が買ってくる」
そう言うと恵は一人コンビニに行くと言って行ってしまった。
ポツンと二人きりで庭に残される。
少しだけ緊張した。
話題も時間が経つたびになくなっていった。
「ねえ、七瀬さんこれまだ残ってたからやらない?」
犯田の手には線香花火が握られていた。
「ああっ…また落ちた……」
「下手ねぇ。私のを見てみなさい。こんなにも長く綺麗に………あっ!!」
「落ちちゃったね」
「犯田。今のはアンタの声のせいだからね。もう一回やるわよ」
「うん。ごめん。じゃもう一回」
私たちは二人でロウソクの前にしゃがみこんで線香花火の光を見つめていた。
線香花火は決して派手ではないけどすごく綺麗だと思う。
小さな光が一生懸命に光ろうとする様がすごく好きだ。
はかなくて、少しでも揺らしたり、息を吹きかければたちまち消えてしまう小さな光
それはどことなく私と犯田の関係のように思えた。
幼馴染とはいえ、二人はもうお互いの友達や見ているものがある。
それでも同じ委員会と言う事だけでこうして繋がっている。
きっとこの花火が終わって、今日が終わってしまったらもう二人はこうすることも無いのだろう……
この花火のように今は二人を照らす光がいつかは消える。
私たちは二学期が始まったら、きっとまた離れてしまう。
それでも今はこうしていることを線香花火の光のように大切にしたかった。
こうして二人で近くで線香花火をしている私たちは、周りからどう見えるのだろうか?
仲のいい友達?ただのクラスメイト?それとも……恋人?
犯田の横顔を見ると真剣な目つきで線香花火の火が落ちないようにしっかりと小さな炎を見守っている。
少しだけ寂しさのようなものがこみ上げてきた。
でもこうして今日犯田といれたことで私は満足しなければいけないのかもしれない。
ずっと今の関係が続くなんて思うのは初めから間違いだったのかもしれない。
しぼむ光は二度と大きく光ることがないように、これ以上望む事も間違いなのかもしれない。
二人の間にしばらく沈黙が流れる。
また一つ線香花火の光が地面に落ちる。
次々と光が瞬いては音もなく地面に向かって飛び散り、闇に消えていく。
光が色あせていくその光景は過去が思い出になるようなそんな気がした。
「七瀬さん…これで最後の二本」
犯田がそう言って最後の二本のうち一本を手渡してきた。
犯田が線香花火に火をつける瞬間私は、犯田に向かって呟いた。
「犯田……もし私が犯田より長く線香花火の光がつけていられたら……二学期も私と一緒に図書委員になって……」
鈍い犯田にはわからないかも知れないけど、私にとってこれが背一杯の告白だった。
「わかった……」
犯田は一瞬、訝しげな顔をするとすぐに二人の線香花火に火をつけ始めた。
……結局、犯田にはわかってもらえなかったけど、でも私にはそれ以上の言葉を出す事はできなかった。
二人で最後の二本の線香花火の光を見つめる。
「ねぇ…犯田…アンタには色々迷惑かけたわね……」
「そんなことないよ、僕こそ迷惑だったんじゃない?」
「……こういう時は素直に、相手のお礼だと思うべきよ…」
「そうなんだ、ごめん」
「その、ごめんって言うのも直らなかったわね」
「うん…」
会話が進んでいき、お互いが口数が減るのと同時に花火の光も小さくなっていく。
お互いの線香花火の光が少しづつ小さく消えていく。
「あっ…」
私の線香花火の炎が取れて地面に落下していく。
私は全てが終わったようにゆっくりと目を閉じようとした。
「あちっ!」
見ると犯田が私の落ちた炎を手の平の上で受け止めていた。
その反動で犯田の線香花火の炎が地面に落下して光を失っていく。
「……犯田。どうして……?」
「僕も……同じこと言いたかったから……」
それだけ言葉を交わすと犯田と私は彼の手のひらの中の光を見つめていた。
犯田は犯田なりに私の気持ちに答えてくれた。
直接「好き」だとはお互い言わなかったけれど、気持ちはきっと同じだと思う。
光の消えた犯田の手のひらに私は自分の手のひらを重ねる。
ゆっくりとお互いの指と指が折り重なりあう。
光は消えてしまったけれど、今私と犯田の手のひらの間には小さな温もりが確かに生まれつつあった。
暗闇の中でもそのぬくもりはお互いの間に今確かにそこにあった。
「きゃー!!ゆきのんのビキニ姿最高よー!!」
あの夜から一週間したある日、私たちは海に来ていた。
夏休みなので人がごったがえしていたが、相変わらず恵はハイテンションでシャッターを切りまくっている。
「うれしいわ!!ゆきのん!!私との約束を守ってくれて!!どこまでもゆきのんについて行くわ!!」
いくら普段から恵の行動に慣れてるとはいえ、この人ごみで騒がれるとさすがに恥ずかしかった
自分でもこの黒のビキニはちょっと恥ずかしかった。
恵から逃げるように、さっきからそこでボーっと突っ立ている犯田の出を引く。
「な、七瀬さん!?」
「ちょっとアンタもこっちに来なさいよ。私ばっかり恥ずかしいじゃない」
私が近寄っただけで犯田は顔を真っ赤にして後ずさりを始める。
そんな顔されたらこっちまで恥ずかしいじゃない……
「で、でも……」
「で、でもじゃないわよ……せっかくアンタのために着てきたんだから……少しは誉めなさいよ……」
「へっ!?あ、ああ……綺麗です……」
「ば、ばか!!そうじゃないでしょ!!真顔でなにいってるのよ!!もうっ!!」
相変わらず真っ赤な顔をしている犯田の腕を軽く叩く。
「ゆきのんみっけ〜!!さぁ!!もう一枚撮らせなさい!!」
恵がこちらに気づいてカメラを構えながら全速力で向かってくる。
「ああ!!もう犯田がグズグズしてるから!!………えっ?」
気がつくと犯田が私の手を引いて走り出していた。
-fin-