ぐだぐだコラム


コラムその12:ボランティア活動記 〜ver.夏〜
<2011.8.17>

7月末から8月頭にかけて、ゴールデンウィークと同じ宮城県石巻へ2回目のボランティアに行って来ました。

今回は車を借りてフェリーでの旅です。
ちなみにこのフェリー、震災当時は着岸中で、すぐに沖に出て難を逃れたそうです。
そして通常航海再開前は自衛隊員・消防隊員の方々や、物資の輸送に従事されていたとのこと。


7月27日夜に苫小牧港を出港し、28日に仙台港到着。周辺にはまだ瓦礫が積み上げられていました。
2011宮城夏1

そしてお昼頃にボランティアセンターへ到着。
着いて早々、この季節現地を悩ませているものを知りました。
津波で運ばれたヘドロのせいで大量発生しているハエです。
また、いきなり地鳴りと小さい余震に遭遇。

この日は午後から、地域の公民館で子どもたちと過ごしました。
被害を受けた現場に出るだけでなく、このような人とのつながり活動も災害支援ボランティアの活動の一つです。
そして夜にも毎日公民館で子どもたちの勉強会があります。連休の時に出会った子どもたちが、また笑顔で迎えてくれました。

29日からフルで活動に入るわけですが、7月後半に大きな余震が続いていたせいもあってか、
どの現場でもまずは震度4以上で全ての作業一旦中止ということと、避難場所・経路の確認がありました。


29日、思い出の品クリーニング作業。
体育館に集められた、津波で流されて汚れてしまった写真や物品を一つ一つきれいにしていく作業です。
2011宮城夏2

この日は学用品のクリーニングを担当しました。私が1日かけてきれいにできたのは一人分だけでした。
2011宮城夏3

たくさんの人手が必要な作業です。
ちなみに、作業した体育館は展示と引き渡しも兼ねていて、地域の方が時々見に来ます。


30日、今回の滞在中では唯一被害現場での活動になりました。
現場に行く途中、衝撃的な景色の所を通りました。
瓦礫や土台だけになってしまった光景は前回の時にもたくさん見たのですが、それを上回っていました。

2011宮城夏4
一見ただの干潟にしか見えないところ。
けれどそこには確かに集落があったはずのところです。
建物の土台すら残っていませんでした。

そんなところを通り過ぎて、この日の現場では瓦礫の撤去作業をしました。
2011宮城夏5
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天候不順のため、作業は午前で中止になりました。
安全のためとはいえ、途中で終わるとなると心残りです。
午後はまた公民館へ。


31日未明、震度4くらいと思われる大きめの余震に見舞われました。


31日、1日の両日は石巻最大の祭、川開き祭のお手伝いをしました。
まず31日は大震災の犠牲者の方へ、鎮魂の燈籠流しのお手伝い。
2011宮城夏7

石巻で活動しているボランティア団体が集まり、大勢の人の手で燈籠の製作から流すところまで協力しあってやりました。

燈籠は約1万個。
2011宮城夏8

その多くには遺族の方によって犠牲者の方のお名前がしたためられていました。
中には名前だけでなく、メッセージが添えられているものもありました。

「天国へ行ってね 天国で見ててね」
「今までご苦労さまでした ありがとう」
「いつも元気をくれてありがとう」

目にするたびに涙がこみ上げてきました。
亡くなられた皆さま、どうか安らかに…

2011宮城夏9


この日の夜、余震。未明にも余震。どちらも震度1〜2くらいでしょうか。


翌1日はいわゆるお祭。
各所で色々なことが行われていましたが、私が活動したのは各ボランティアが様々なブースを出すにぎわい交流広場。
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そこで子ども向けの輪投げブースを担当。大盛況でリピーターも続出。
景品をもらった時のうれしそうな笑顔が印象的でした。
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また広場ではステージで様々な演奏が行われていました。
その中には中学校の吹奏楽部なんかもあって、楽器の寄付があって活動が再開できたそうです。
復興にはまだまだ時間がかかりますが、甚大な被害を受けた地域にも、このお祭りのように少しずつにぎわいが戻りつつあるようでした。


夜、また余震。震度は1〜2くらい。


活動最終日の2日はまた思い出の品クリーニング作業です。この日は写真のクリーニングをしました。
一度流された写真はバクテリアによる腐食でどんどん消えていってしまうため、クリーニング作業を急がなければなりません。
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水で洗浄できるもの、水は使えないものと、状態によってクリーニングの仕方が変わります。
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分類し、クリーニングして展示と引き渡し。必要な人手と手間は大変なものです。


午前で活動を終了させてもらい、仙台港へ向かう途中、松島に寄りました。
単に観光気分というだけではなく、以前ニュースの映像で、震災の影響で観光客が激減していること、
しかし景観自体にはあまり変化はなく、松島の方が「松島は震災の後も以前と何も変わりません。ぜひ来てください。」
と訴えていたことが印象に残っていたので、通り道ということもあるので行ってみることにしました。

陸側にはやはり震災の跡があちこちに残っていました。
震災後に立てたと思われる津波避難場所の看板も。
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しかし海側は住民の方の訴えていた通り、天気は曇りだったものの震災の影響を感じさせない良い景色でした。
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そんなこんなで今回も、もっと活動したかったと後ろ髪引かれる思いで宮城を後にしました。

次に行けるとすればもう来年でしょうか。

それまで、こちらにいてもできることをやっていきたいと思います。

震災から5か月、報道が減っただけで、まだまだ、まだまだたくさんの支援が必要です。

みなさんもどうか自分にできる支援を、息の長い支援を考えてみて下さい。



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