罪を犯した後に見る景色には、色がない。

否、『(グラフィティ)』と云う定義がこの世の中に存在しているからこそ、そう(・・)感じるのであって、

現実に視界が捉えるものは、物質から融合され生成されてゆく、過程とか結果の果てに只

管にゆるゆると漂っている、

記憶の中の映像の記録だ。

 

 

「・・・ん」

 

 

 初夏の、真夜中。

転寝た寝苦しさに、ソファの上で寝返りを打つと、冷えた感覚が皮膚に触れた。氷にも

似た、触感。

眠りから醒めた、揺らめく視界が認識してゆく。

其れは微かな人肌の温もりと、延ばされて額へと掌を充て様としていた、細い左腕。

 

 

 

 

 

「しんいち?」

「・・・・何だ。寝てたんだとおもってた」

 

 

 

 

 

同じ色の双眸が克ち合うと、彼は延ばし掛けていた腕をきゅと引っ込める。

新一の言葉は、相変わらず砂を食んだ様に素っ気ない。

だけれど素直過ぎる程に心情を表している、口唇の乾きにオレは気付いた。

 

 

 

「新一」

「・・・っ」

 

 

 

呼び掛けに震えた様で腰骨の後ろへと避けられた手頚を追い掛け、幾らかチカラで勝っ

ているであろう両腕で、新一の細身を包んだ布から覗いた青白い腕を、枷で封じる。

 

殊更、意地悪く誘い。

小さく笑みを零すと、卑怯だとばかりに、新一の腕に篭められた抵抗が凪の様に止んだ。

 

 

 

 

 

 

「もしかして。魘されてるの、罪悪感とか感じてる?」

「・・・・・冗談云うなよ」

「だって、新一」

「何?」

 

「- ------捨てられた猫みたいな、貌してる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

譬えば、この両腕が失われても。

 

 

 

きっと誰にも其の理由をオレは告げないだろうし、新一と云う存在を目の前に留めてい

る愚行と云う名の忌むべき自己満足を、オレは止めないのだろう。

呼吸をして、傍から見ればみっともないくらいに生への執着をしている。でも、ただ祈

る者として願うことは、生き汚くとも半ば永久(とわ)に生き続けると云う渇望。

 

 

「快斗」

 

 

そして満月の夜毎、泥棒家業に変わらずこの身を浸し、罪なき人々の楽園(エデン)への墜落を誘う

のだ。

 喪う部分(パーツ)があっても、構わない。

 離したくないモノを手の内に置くことに比べたら、自分の体躯(ハード)を引き換えにすることに、

何ら福音を乞う『祝福』など、誰に望んだこともなかったのに。

 

つい、と薄い唇から発せられた、吐息の響き。

出逢いから、そろそろ呼ぶことに慣れただろうのに、新一の声音はいつもはじめて呼ぶ

様に、まるで大切なものを扱うかの如く、オレの名前を真摯に刻む。

 

 

 

声、が。

 

 

 

耳にする度聞く程に切なくなる、なんて。

恰好悪過ぎて、新一には告白さえできないけれど。

 

 

 

 

 

「・・・・・おまえのほうが、泣きそうだ」

「何、で」

 

 

 

 

 

 まるで見透かされた、胸の内。

 

 

酷く出来の悪い喜劇みたいな結末に、糸の切れた操作人形の様で言葉を継なげなくなり、

柄にもなく狼狽した。

動揺が伝わったのだろうか、何も云えずにいると、ふと捉えた儘の腕を見詰め逸らされ

ていた青さの沈む瞳が、目の前で自由を奪っている犯罪者の相貌を見上げた。そして。

整った唇が、磨き上げられた玉の様に想いを投げる。

 

 

 

 

 

「・・・おまえ、案外器用じゃないのな」

 

「え。・・・何?」

「――――――悪夢に腕を延ばして他人に助けを乞う前に。おまえなら、その痛さを紛らわ

す方法を知ってるんだとおもってた」

「・・・・・新一、さっきの、」

「夜中なのにな。キッチンまで聞こえた、おまえの声」

 

 

 

 

 

 いつもと何ら変わらない、口調。

魘されているときに喉から洩れでた、目に見えない『誰か』に助けを求める声は、酷く喘

鳴を伴っていたらしい。

静かに先刻の事実を告げると、新一は浅く呼吸を吐き、皺だらけになったソファの上で

未だ上体を起こした儘のオレの傍らへと右掌を置いて、左手は捉えられた儘に腰を屈めた。

 

部屋の照明が、逆光を受け眩しく感じる。

ぎしり、とスプリングの軋む音が居間(リビング)に響いた。

 

 

 

 

「おまえ、かなり苦しそうだったから。汗の浮いてた額梳いて、成る丈風通り良くしてや

ろうかと、おもったんだけど」

「え?」

 

 

 

 

 予期せぬ台詞に、驚いた表情のオレの相貌を覗き込み、新一は吐息だけで笑う。

妖艶な其れは、オレと似た造詣の貌から派生する表情だけれど、意識をしての他人を惑

わす怪盗としての演技よりも、偶にしか見せない彼自身の感情の表れだからか、印象と云

うものがまったく違って見える。

欲目、と云われればそうかも知れない。

 

 

「新一?」

「   ・・・でも」

 

 

けれど次の瞬間、靭やかに身を捻り、囚われた手頚の封印を解くと。新一は、目の前か

ら数歩歩いた先に存在する、居間の扉付近へと姿を移し、壁際に在る凹凸へと指を這わせ

た。

彼は言葉を止めて、残酷にけれど悪戯に笑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おまえが求めてるの、本当はオレじゃないだろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 綺麗な指先が、散った言葉の欠片とともに月のない真夜中の灯りを消す。

目の前から、彼の姿も消えた。

 ブラックアウトした記憶の中には、映像(グラフティ)として色のある世界が拡がっているのに。

 

 

 

 

 

「・・・・かなり痛いんじゃない、新一?」

 

 

 

 

 

 皮膚の上へと残る、触れた左手の感触。

拳を握り込み、再び瞳を閉じて眠りへ墜ち様と努力してみたけれど、其れは意味のない

徒労に終わる。

 

 

長い睫の合間から覗く、いつも綺麗で揺るぎない黒瞳に、乾涸びた喉は、ただ情けない

おとを発しただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

綺麗事は、それなりに的を得ていることがある。

 

 傾倒する気持ちは更々ないけれど、穢れていない人間の真理を衝く箇所も、語られる理論

の端々に偶に感じられて、或る日好きだ、と云ったら、巷で持て囃されている東の高校生探

偵は、考え事をしていたハードカバーの隙間から相貌を覗かせ、整った柳眉を寄せると飛び

切りにヘンな表情をした。

 

 

 

 

「・・・嘘臭ぇ綺麗事とか、幽霊並みに信じてないんだとおもってたんだけど」

「そう? だってオレ、夢を見せる魔法使いだしね」

 

 

 

 

 嘯いた、言葉。書物の後半に差し掛かった辺りに挟めた栞を、人指し指で邪魔そうに一

撫ですると、新一は天井を見て少しばかり考える様な仕種を見せた。

「そっか。・・・そうだな」

 それから、納得したみたいに呟いて、ヘンな顔はみるみる嬉しそうな可愛い笑みへと変

化した。

 

 

 

「・・・・できるなら、いつもしててくれればいいのに」

「何か云ったか?」

 

 

 

・・・何だ。

元はと云えば同じ造りの貌なんだから、そう云う表情も結構イケてるじゃん。

 

おもわず口を衝いて出た言葉に続くべく、そう心の中で自画自賛に近い感想が生じたけ

れど、喉まで出掛かった手放しの褒め言葉は、彼奴にはまた顰めっ顔で迎えられる様な気

がして、掌の内側ですっかり温まっていた、工藤家特製のクイン・メアリと一緒に、蟠り

を所持しオレは胃へと再び押し込んだ。

 

 

 

「・・・・・御馳走様」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新一は、愛想がないのは心を置くことのできる一部の周囲の人間へ対してだけで、オレ

の来訪を受けても、不機嫌極まりなさそうな態度は取るけれど、本気で怒るなどと云う感

情的な様子は、余り見せない。

 

 いつも醒めた表情をしているのに、興味を惹かれて。

 

 

 

 

 

「クールだね」

「・・・おまえには、そう見えるんだな」

 

 

 

 

 

 おもっていたことを、以前、其の儘揶揄したら、不思議な言葉が返ってきた。

――――――そう、見える?

 

見えたから、そう(・・)云ったのに。

 

 

 

 

月下の奇術師とも呼ばれるオレの正体をも知っているクセに、新一は、事件現場以外の

場面で饒舌になることは、先ずは考えられない。

 

オレの知っている高校生探偵はあと二人程いるが、放っておいても他人の都合もお構い

なしに喋る関西の色黒探偵は論外でも、何故か同じ高校に通う、英国帰りのお坊ちゃん探

偵だって無口ではないし、それなりの冗談(ジョーク)を口にして教室を沸かせる社交性もノーブルな

りに所持している。

 

 

 

 新一の場合、推理と云う媒体を除くことがあれば、遠慮のない人間の傍にいるときには、

寧ろ、必要なこと以外を口にするのも珍しい。

 最初から波長が合ったのか、殊、オレに拘わってははじめからそうだった。誘わないと、

乗って来ない。話し掛けないと、声が聞こえないから、一日中この拡い屋敷の何処にいる

のかさえ、確認できない。

いつもどうやって言葉を引き出そうかと、独り遊びを試みては、厭きれられることもし

ばしばだ。

 

 

 

 

 

 

 

ただ、前触れもなく。

新一から気紛れのように挑発の合図(サイン)が送られることがある。

 

 

キスを強請るだけだったり、SEXを望むものであったりすることも時折あるけれど、

ただ人肌恋しいだけだと分かっているから、オレは合図に篭められた彼奴の気持ちを見逃

すことはなくとも、優しくおでこにキスを落とすだけで、あとはきゅっとオレ以上に華奢

な体躯を抱いて、むずがる子どもを宥める様に背を叩き終わることにしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「抱かないのか?」

或る日。交わしたキスの後に、真っ直ぐに瞳を見てそう問われたことがある。

 

 

 

「・・・・何でそんなこと云うの。新一?」

 

 

 

 魅了されそうな程に深い黒瞳に見据えられて居た堪れなくなり、その場凌ぎに短慮な疑

問で受けた問い掛けを返す。すると、新一は躊躇することもなく無言で利き腕を延ばし、

指先をオレの眦に触れさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――・・・憂いを含んだおまえの眼に、絆されるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 強かで靭い性質の儘、感情的な面に際して駆け引きに長けているかとおもえば、余りに

も脆く崩れそうな表情でこんな発言をする。

 危険な程に憂いを孕み、静かな月面をおもわせる外見とは裏腹に、熱情に浮かされ餓え

た双眸をしているのは、恐らく新一のほうなのに。

 

 

 

 

 

「うん。いまはキスの気持ち好さがいちばんかな」

「ふぅん」

「・・・・けど、巧いよね。誰かに教わったの?」

 

「秘密」

 

 

 

 

 

ささやかな疑問に、そう小さく呟くと、彼は向かい合わせの儘、触れた薄い眦の造りの

ラインに沿わせる様に、そっと冷たい指先を辿らせた。

刹那。

 

ふわり、何処からかいい匂いがして短い愛撫の途中にオレが頚を廻らせる。

 

 

 

「・・・あ。」

 

 

 

鼻孔を衝いた馨りの、正体。

 其れが、昼間新一が買ってきた、レモンピールのお菓子の馨りだと思い当たって、キス

の合間に何故気付かなかったのだろうと、我ながら苦笑が洩れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ごめんね。新一。

 嘘ばかり巧くなっていく卑怯者は、オレのほうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「どうしたの? 詰まんなそうな表情して」

「・・・そうじゃねぇけど」

 

 

 

 

 休みの日とかに、用事があって。

 事件もなく、平和に溢れた街を並んで歩いていると、普段以上に、老若男女問わずの視

線に曝される。

 

特別感じるのは、女のコからの熱い視線のラヴコール。お茶に誘うなり携帯番号を訊く

なり、態度に表しての行動を躊躇う傾向があるトコロを鑑みると、どうやら周囲の憧憬の

相手は、一緒に歩いている新一らしい。

ま、オレのファンのコは、速攻お茶に誘うことも多いし。青子にバレたらまた怒鳴られ

るだろうけど、通りすがりのケーキ屋でデートなんて日常茶飯事で、あとは御互い気持ち

良く別れて、後日の後腐れもない。

 

 

 

こんな才能ばかり持ってても、人間としてはどうかとおもうけど。

ないよりは、幾らかマシかな。

 

 

 

 

 

 

「何? 今日は新一からのお誘いだから、オレまじ期待して参上仕ったのに♪」

「期待は要らねぇから、今直ぐその辺の川に下りて捨ててこい」

「やだよん。罷り間違って、後から死体とかと一緒に発見されたら、オレの妄想が有能な

探偵サンにバレちゃうじゃん。・・・ね、名探偵サン?」

 

 

 

 

 

 

 いつもの様に。

 

 

 一歩前をゆく新一に追い縋り、揶揄(から)かうみたいに上視線で含みを持たせ舐め上げ、相貌

を覗き込む。

瞬間、厭がる様に体躯を撥ねさせ、怯えた様相でオレを見た瞳の揺れに、絆される部分

がないと云えば嘘になる。だが、其の変化には気付かない振りをして、腕を延ばした先

にある、綺麗なラインを描いた細めの腕へと自分の腕を組み、此方へと新一のカラダを引

き寄せる。

 

双眸と双眸が、合い。

それからオレの側からにこりと微笑んで見せるのが、繰り返された日常。

 

 

「・・・」

 

 

 でも新一は、あたたかな皮膚同士が接触をしようとする瞬間以外には、これと云った反

応をすることもなく、オレの本気とも冗談ともつかない戯言を、黙殺する。

 

 

 

 

 

「新一サン、つれなーい」

 

 

 

 

 

 組んだ腕と腕との距離を、半ば無理矢理に更に体温を感じる程に密着させ、阿るような

声で懐いてみたのだが、結果はNoであったようだ。

 日々、同じことを繰り返しても、新一の取る態度と、オレが選択する行動の枠は変わら

ない。

 

 

「・・・快斗」

「ん?」

「・・・・・おまえの愛情表現、ストレート過ぎて困る」

「最高の褒め言葉♪」

 

 

恐らく、何処までが演技であり天然なのか、と云う定義は既に隠喩の奥に沈んでいて、

問題ではないのだとおもう。

 別に望んだ訳じゃないけど、有り難くも幼い頃から外見に不自由した経験もなく、それ

なりに雑踏での憧れや羨望の対象として遣り過ごすことに慣れたオレでさえも、いま隣に

[ 工藤新一 ]がいることで、妙な緊張感を強いられる。

 

 

 彼が纏う、他とはまったく異なるオーラの色。

 意識外でも、怜悧な相貌に人目を惹くこと甚だしく、覆う薄布(ヴェール)は、到底、誰かに真似で

きるものじゃない。

 

 

 

 

 

 

「やっぱ有名人は違うね」

「・・・・好きでそうなった訳じゃないとおもうけど」

 

 

 

 

 

 

 腕を絡めた儘、先程からの注目に素直に感想を述べると、矢張り興味を所持し得ないよ

うな、醒めた応えが返ってきた。

 

 

 

 

 

「またまた♪ さっきから注がれてる、女の子たちの熱〜い視線気付いてるんだろ?」

 長い睫を臥せて、感慨もなさそうに返答する新一の応えも辛辣だ。

「・・・・一過性のおもちゃ扱いでもイイって云うならな」

 

 

 莫迦だ、オレは。

 苛々していた、と云うのならば、それなりに救いもある失言と取られただろうのに。

 

 

 

 

 

「――――――・・・正論だとおもうけど。新一の云うことは、いつもキツいよね」

 

 

 

 

 

何とはなしに虫の居所が悪かったのか、直球で言葉の額面を受け取って、皮肉めいた台

詞をオレも吐く。

 

 意味もなく、アタマに血が上った。

 

 ある筈のない、或る種のやっかみ。

 彼の態度が、高みの見物を決め込む勝者の高慢に見えた。

新一が、そんな考えを持つ人間ではないと、痛いくらいに知っていた筈なのに。

 

 

 

 

「新一は、純粋な人間の祈りとか気持ちとか、考えたことある?」

「快斗?」

 

 

 

 

 溢れ出す言葉が、押し寄せてくる波の様に止まらなくなる。

 

 

「世の中には、痛みを抱えている人たちが大勢いる。でも、罪を裁かれこそすれ、永遠に

裁く側の人間には成り得ない。・・・・うん。例えば罪を裁く人間のエゴに擦り寄ってくる、

物好きな善人は偶にいるかも知れないけれど。でも、『人を裁く』と云う見地から比定をお

こなうことがあれば、新一は、後者だろ? ずっと囲われた籠の鳥だ」

 意地の悪い挑発の言葉を囁いて、白い耳元の先でそっと促す。

 些細な悪戯気を起こしたつもりだけだったのに、普段なら絶対に口にはしない、オレの

余裕の感じられない責めに、新一はつと革靴の足を停めた。

 

 

 

 

 

「・・・・・快斗」

 

 

 

 

 

名前を呼び、絡めた腕の動きを留まらせると、瞳を逸らさないオレの瞳を睨み付け、い

つもと変わらない静かな声で質す。

言質の響きが、少しだけ苛ついた口調におもえたのは、恐らく間違いではないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おまえも、裁こうとする側の人間だろ」

「―――――え。」

 

 

「・・・あ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

犯罪者に辛辣なのは、新一の才能だ。

 

 

其れは決して見下した態度で己の優位を護ろうとしているのではなく、人間の弱い部分

に依拠しない潔癖さと誠実さを常に纏っていて、ときどき羨ましい気持ちさえ感じさせる。

 

だからこそ。

真意を推し量ることに目隠しをされ、真実を見間違う。勝手に理解をしたつもりでいて、

無言で与えてくれる居場所の居心地に溺れていて。

 

 

 

彼は強いのだとばかり、思い込んでいた。

 

 

 

 

 

 

「新一」

「・・・・っあ、・・・悪ぃ。快斗」

 

 

 

 

 

 

 口を抑えてらしくもなく云い淀む表情の翳りに気付き、けれど心の中では目の前に存在

している彼も、多くの感情を所持し得ているのだと云うことを、今更ながら愛おしくおも

い胸が衝かれた。

 

 

 

「・・・・・・ほんと、」

 

 

 

 莫迦過ぎて、涙が出てくる。

他人の罪を裁こうとする人間に、才能云々に拘わらず、寄り掛かれる自信や論拠がある

筈がない。

そんな危うい存在に属することを、新一は、理由を告げることもできずに怪盗を続けて

いるオレと同じだと云ってくれた。

 

 

 

 

苛ついた言葉に、傷付いた訳じゃない。

 

 

彼奴は失言だと気遣って謝罪したけれど、寧ろ、同等の意義を持つ人間として心を許し

てくれていたことが酷く嬉しい。

『裁く』人間と、『裁かれる』人間。

根っこは同じだと云う論理に賛成してくれる人間の中に、新一の手が挙げられた事実に、

オレは笑った。

 

 

 

 

 

 いつもと変わりない、新一への笑顔で。

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫だよ? 新一」

「だって・・・」

「心配ない。大丈夫。オレは新一がくれる言葉なら、幾らでも胸に仕舞い込める。・・・だか

ら、新一?」

 

 

 

 

 

 

 

指先で辿った唇を瞳を閉じ、軽く甘噛みする。

そしてくっつけたおでこに掌を充てて、真っ直ぐに彼の眸を見詰めた。

 

 

 

 

 

「・・・・・・オレは、傷付いてもまだ笑えるから。そんなに哀しい顔なんてしないで欲しい」

 

 

 

 

 

 泣きそうだ、といつか云ったのは新一のほうだったけれど。

 

いまこのときに、生の証しに掴んだ手頚から流れていることを実感できる脈の鼓動には、

永劫と云う約束はない。

だが、初夏の陽射しに薄っすらと汗ばんだ肌が、現実に彼にリアルに触れているのだと、

感覚の衰えに臆病になっていたオレに感じさせてくれて、譬え様のない安心感を齎してく

れる。

 

 

「・・・・快斗」

「・・・え?」

 

 

今日幾度目かの、新一の声に名前を呼ばれて、俯いていた相貌を上げる。

 

 

 

 

 

「―――――・・・そんなカオ、するな」

 

 

 

 

 

 顎を掬われ、耳元で小さくそう囁かれる。

 

 ――――――――オレのほうが笑うことができなくなる。そうらしくなく弱気な台詞

を伝えると、新一は羽根の様に口唇を軽く重ねて、そっと長い睫を臥せた。

 並べ立てられる、多くの謝罪の言葉よりも。

星霜の如く有罪を主張する彼の心のキレイさに、生涯敵わないような気がして、また

罪人となる覚悟が揺らめいた。

 

 

 

 

心の中で、まるで消滅する寸前の炎の様に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

元々、一個の人間は不可侵の存在だ。

社会が形成されてゆくごとに属する集団に吸収され、ルールを遵守することを強制され

るけれど、其処には何の倫理的根拠もなければ、個人の行動には法律が介入できないもの

も少なくない。

 

 

 

 

 

「・・・新一。ここ」

「昔、母さんが使ってたんだ」

 

 

 

 

 

この身を覆っている多くの罪を贖う、理由。

 

 

考え様としたこともないけれど、澱んだ澱が昏く心臓の奥底に沈む気持ち悪さに、時折、

癲癇の発作でも起こしたように吐き気に襲われる。ネガだとか、予め用意された、自分を

庇護する言い訳はアタマの中に幾つもあるが、現実のシーンに出逢うたびに、誰に云うん

だ、と咽喉の奥で渇いた笑いが飲み込まれる。

 

 

 

 

「・・・・・・W.A.モーツァルトの曲だ。」

 

 

 

 

工藤邸の離れにある、音楽室。

 

些か埃を被って、数年は調律をしていない様におもわれるグランドピアノの傍に、明治

晩期頃のオーディオが矍鑠として置かれていた。

 オレの呟きを聞いて、庭に棲む蝉の鳴き声に、手の甲で額の汗を拭った新一が綺麗に微

笑した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「 『 アイネ・クライネ・ナハトムジーク 』 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旧い魔法の木箱から途切れ途切れに聞こえてくるのは、天才と呼ばれたオーストリア作曲

家が遺した、ピアノの名曲。完成した際には第5楽章から構成されていたと云う小夜曲(セレナード)は、

一章が紛失し、現在ではアレグロを主とする第4楽章から演奏される。

 

クラシックに疎い日本人であっても、恐らく耳にしたことはあるだろう。

 

 

 

 

 

 

「・・・オレは、第3楽章のメヌエットが好きなんだけどさ」

 

 

 

 

 

 

 大理石や石灰から加工されている部屋の中を歩くと、ゆっくりとステンドグラスの嵌め

込まれた天井を、新一は見上げる。

 華奢な腕を延ばし、頭上にある其れへ触れ様と何度か指先が空を舞ったが、やがて小さ

く掌が握られる。

 

 

 

「・・・しんいち」

「フランス映画の『ニキータ』、あるだろ? あの中で殺人者だった少女が、本来の人間の

気持ちを取り戻していくシーンがあるんだ。・・・・その場面で使われたのが、このメヌエット。

それから、何かがあるとこのピアノの音色を憶い出す」

 

 

 

殺人者でも、罪を犯した人間でも。

同じ音楽を聴き、心に何かを感じる感性や感情の揺れを慈しむ才能がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・僅かにでも。ひとつながりの希望があるうちは、生きて、犯した罪を購うのが

人間の贖罪を昇華させる方法だとおもう。苦しさを背負い切れないなら、誰かの背も貸し

て貰えばいい。人間は、おまえがおもってる程、そんなに弱い生き物じゃない」

 

 

「・・・オレに、背中を貸してくれるの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 じわじわと煩い外界との関係を閉じられた儘、扉の辺りに未だ立ち尽くしていたオレが、

はじめて訊いた。

 暑さの所為じゃない汗が、背をゆるりと伝う。

 

 

 

 

 

「――――おまえがオレを欲しい、って云うのならな」

 

 

 

 

 

 見上げた天井から視線をオレへと移し、陽射しに弱そうなチョコレート色の瞳でそう告

げる。

 ピアノの上へと添えられた、整った指先。其処には、握られたこの部屋の(マスターキィ)が載り、

オレが瞳を眇めると、鈍くくすんで銀色の光彩を放った。

 

 

 

 腕を延ばしチカラ一杯、抱き締める。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・ありがと。新一」

「御礼はあとからでいい・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 照れて貌を叛けた抜ける様に白い肌が、視線を落とすと、耳元から首筋まで朱く染まり

切っている。

 

 

 

 

「それじゃ、御礼はkissでオーケー?」

 掠れた音で楽曲を演奏するピアノ曲の曲調(リズム)が、一廻りしてメゾ・スタッカートに変わった。

 背を彷徨っていた両腕が、真夏の暑さ迄をも奪い取る様に意思を以ち廻される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――お言葉に甘えて?」

「ん、・・・・おまえ・・いちいち・・・っるさ、・・・いっ・・・・・」 

 

あとは吐息だけで笑い、そのまま此処だけの狂気に任せることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

だって、さ。

暑さを纏うなら、一人より二人のほうが刺激的だろ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先代の怪盗紳士は、何も云わず姿を消した。

 

 

 

 

 

 

けれどオレは、全てを分かった振りをして夜の街を彷徨い、不死の石ばかりを集めては

冷酷に裏切られる。

既に、狂っているのかも知れない。

理由付けがなければ、闇しか見えない視界とは決別できる。けれど、理由をつけて罪を

受け止める人間としての靭さを、持つ様になりたいと。―――そう。

 

 

 

彼に出会った日から。

本当に未だ少しづつだけれど、昏かった心の奥底に、そんな想いが根付きはじめている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつか、この想いも変わる日が来るのだろうか?

 他の誰でもなく、あの瞳の為に。

 

 

 

 

 

                                                 Endless trak

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