insomnia・1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで籠の鳥になったかのような、錯覚。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

憎らしいくらいに清々しい硝子に覆われた窓から外の風景を見ると、ふわり飛行機雲が浮かんでいた。

空は、その部分だけ切り取ったように青い。

 

 

 

 

 

 

 

午後のまどろみ。

 

 

 

見上げた瞳が疲れているのは、久方ぶりの読書に没頭していた所為だろうか。

 

ひと息吐こうと傍らのマグカップへ手を延ばせば、そこからあたたかさが消えている。

 

 

躊躇した。

確かに、自分は先刻までアフタヌーンティーを愉しんでいた筈なのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・あれ」

「空っぽだぞ。それ」

さほどの感情も含めず、呆けていた処へ頭上から降ってきた――――こえ。

見上げれば、そこには涼しげな貌をした新一。

 

 

 

趣味で取っている、今朝配達されたばかりの英字新聞へと目を通す唇が濡れている。

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・そのくちびる」

「わり。なんか喉渇いてて――――――そこに、あったから。やっぱ風邪かな、・・・アタマも痛いし」

 

 

 

 

 

 

 とつとつと語る。

 メタルフレームの眼鏡の奥から覗く瞳がくるり向きを変え、じっと平次を見詰めた。

 

何事か言いたげだ。瞳孔が揺れている。

 

 

 

 

「それはええねんけど。本気で体調崩しとるなら、さっさと自分の部屋行ってベッドで寝えや。あとでクスリ持ってったるさかい」

「それは―――――――やだ。」

「は?」

「飲み物まだあるんだろ?」

「・・・そりゃ。さっき、ぎょうさん作ったしな」

 

事実だった。

 それをそのまま伝えれば、儚げに揺れていた瞳に『工藤新一』の威力が戻る。

 

「それなら尚更だ」

「せやけど、」

「ごちゃごちゃうるせえな。兎に角、オレは此処がいい。寝るのは構わないけど、いまはこの場所から離れたくない―――――――――・・・」

「そないなこと言うたかて、工藤――――――」

 

 

 

 

 

おまえ、熱あるんやないか?と熱を計ろうとした刹那だった。

前髪を掻き揚げ、額へ延ばした手頚を掴まれて目の前でとびきりに綺麗な新一の相貌が歪んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――――・・・それとも、おまえはオレが一人きりでベッドで苦しんでても平気か・・・?」

「・・・・っ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 母親譲りの、演技力。

 雨の中捨てられた仔犬みたいに哀しげな表情に、思わず喉が鳴った。

 

 ・・・・・・そうきたか。

 

 

 

 

 計算し尽くされた演技だ、と分かってはいても、一瞬トーンが沈んだその言葉の意味に反応してしまう。

 モノは言いようだから、この場面では強請るような科白が威力を持つのだろう。

 

彼が嘯く『飲み物』は、けして英国式の純粋なお茶などではないのだけれど。

 

 

 

 

 それは、証拠の残された唇が何よりも雄弁に語っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新一はただ。

 いま居る場所を離れたくないだけなのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

「・・・・・・ほんま甘えるの下手やな。おまえ」

「―――――――いいだろ。別に」

 

 

 

 

 

 

 

 

フローリングに身を起こした平次に今日はじめて腕を差し出され、新一は少し途惑ったような貌をした。

自分は、いま平次より高い場所に躯を置いている。

 

 

 

 

 

 

「ほれ」

「・・・・・・なに」

「何、やないやろ? そしたらあったかいグレッグまた煎れてきたるから、マグカップ寄越し」

「・・・」

「? どないした?」

「おまえって、ほんと過保護――――――――・・・」

「・・・何でや」

 

 

 

 

 

 

 その意味を、目の前のこの男は知っている。

 だが敢えて腹に留め問うことをしないから、口惜しくなる。

 

いまここにある存在を。

変わらず、自分を好きでいてくれるその奇跡を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嘘でもいいから。

 

 

だから。愛おしい、といつからか思うようになってしまっているのに――――――――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「工藤?」

 名前を呼ばれて、我に返る。

 

 

 

 

「・・・だって」

「ん?」

 

 

 みっともない。

 絞り出すように洩らした声が、掠れていた。

 

 もう一度、繰り返す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








「だって、ゆうべからオレの様子がおかしいの―――――――――」

「・・・・・・知ってんで。」





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

視線を上げれば、その薄い唇だけで平次が笑む。

まるで凪の海のように静かな、瞳。

 

 

 

 

そのまま、新一からマグを受け取り、

自分のそれと纏めてキッチンへゆこうと立ち上がれば、裸足のそれに床に散らばっていたMDがあたる。

 

褐色をした膚を少しばかり鋭利なプラスティックが傷付けたようだったけれど、男は構わず続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






「・・・・せやから工藤。おまえ、あの場所やと寝られへんのやろ?」

「え?」






 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉は、聴こえるか聴こえないかの距離だ。

ぎりぎりのそこで洩らした声音は、けれど瞳を上げた新一には届かなかったらしい。

 

 

 

なぜだろう、その表情に、耳に聴こえた吐息のおとに安堵した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*

 

 

土曜日。

いつもと同じ、それは工藤邸での休日の風景だ。

 

 

 

 

 

 

ひらいた傘の記憶とともに、昨夜降った雨の感触は鮮明に灼きついているけれど。

 

 

あいつは何も言わない。

だから、それは暗黙の了解なのだとこちらからも会話は敢えて長引かせない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ただ、喉が渇く。

ゆるり艶やかに笑うと、新一は誘うように目の前の唇へ指先をそっと触れさせ輪郭をなぞった。

 

 

 

 




餓えているだけなのだ。きっと。

 

 

 

 

 

 ……To be continued .Next, “ 2” story ?
the first,05.02.2006.up*