★ Le chemin vers la croix ★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏休みも直前の、週末。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるでスコールのような夕立にかこつけ、

涼しくなった屋敷の中で、重い腰を上げそれまで暑さに感けてサボり気味だった屋根裏の掃除をしていたら、

母親の旧い衣装箱の後ろから

埃に塗れた、

やわらかで綺麗なアンティークブルーの布をみつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・え、これって」

 

 

 

 

 

 

 

 

喉元から洩れた、声。

 

 

 

すらり伸びた腕へと、そろそろと布に抱かれた繊細な造りのそれを取り上げ、

掌中に収めてみれば、

使い旧した雑巾を拭う手元には、

拡がる薄絹の波と、

ちょうど左右の掌に収まるかと思われるほどの見たこともない細工物が顔を出して、キラキラと煌めいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じとりと暑い夜の帳に侵されながらも、存在感を失わない。

 

 

その敬虔な聖餐のシルシに、

じっと見詰めれば、

少しだけこの湿気に額に汗を浮かべた、

いつものように醒めた自分の貌がただ何事もなかったかのように、ゆらゆらと映っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――・・・その足許に跪き、恭しくキスをしたい。

 

 

 

 

 

 

蜜に誘われる蝶のように、

そんなケモノのような本能的な衝動に駆られもする慾を、すべて暑さの所為にして。

苦く笑った新一の唇は、酷く渇いて。

 

 

歪んで見えた。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

「ただいま。なあ工藤。御願いがあるんやけど?」

「―――なに」

「シャワー、使うてもええ?」

「・・・・降られたのか」

 

 

 

 

 

 

 

 

お帰り、という暇もなくインターフォンもなしに勢いよく開いた玄関口から平次の叫び声が聞こえる。

どうやら、さっきの雨にやられたらしい。

 

 

 

 

 

「ちゃんと足拭いて家上がれよ」

「おっけ。なあなあ、工藤――――タオル何処?」

「タオルは階段の前に置いてあるだろ。・・・・そう、ソコ。ばっか、洗濯物入れとくカゴ覗けっての」

「工藤はマメやな〜」

 

「――――――悪ぃけど、風呂は自分で入れろよ。オレそこまで手廻んねえし」

 

 

 

 

 

相手をしてやると、

しばらくいつものように明るい口調で、帰宅後の会話が続く。

そして最後に、新一は釘を刺してやるつもりで

ついと声を潜める。

 

 

すると、西の名探偵曰く。

 

 

 

 

 

「―――――ナニ、一緒に入る?」

「・・・・・・・・オレが暑いの嫌いなの知ってんだろ? 相手して貰いたかったら、いますぐその気にさせるんだな」

「・・・・・・夜まで待ちます。スミマセン」

「へえ。それでいいんだ?」

 

 

 

 

 

にこり微笑う新一に、

それでいいのか、と訊かれてこの情況に否といえる筈がない。

第一、術も持ち得ない。

 

何より、平次はこの笑みに弱いのだ。

 

 

 

 

 

綺麗な相貌に浮かぶそれは、

神様の悪戯か、

すべてに色素が薄く整いすぎの印象と魅惑的な艶を意識的にいろづかせ、刹那に消える。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――これが無意識ゆうんやから、ホンマタチ悪いで。このオトコ。

 

 

 

 

 

 

 

 

胸の中でごちるが、勝負はもうついている。

惚れたほうの負けだ。

 

 

 

 

 

 

「あ、せや。工藤、そこのコンビニでアイスティのペット買うてきたんやけど、氷いれとくグラスとかないか?」

「あぁ、あれ使っていいぜ」

「・・・アレ?」

 

 

「だから、『アレ』。」

 

 

 

 

 

 

 

ひと知れず溜め息を吐いた平次が靴を脱ぎ、すっかり濡れた上着の腕を抜きながらキッチンへと渡る。

 

 

「・・・っ、くしゅん・・・っ!」

「何だよ、風邪か? 頼むからオレには移すなよ、明日第2英語と倫理学の試験だっつうの」

「―――――工藤に必要なんは、オレに対する倫理観と常識や」

 

 

ひとつ、ふたつくしゃみが出た。

・・・・・・仕返しは後に廻すことにして、取り敢えず風呂には湯を張ろう。

 

 

 

 

 

 

 

「で、アレって何や?」

「見れば分かるだろ。そこにある、涼しそうな色の布に包んであるグラスだよ」

「へ?」

 

 

 

 

 

 

 

シンクで包丁を持ち、手際よく夕飯の支度をしていた新一に訊くと、

彼は厭ともあっさりと

後ろにあるダイニングテーブルを顎で杓った。

 

そして、蛇口を捻り、手近にあったコップに浄水器から水を汲んで平次へと差し出す。

 

 

 

その腕は、同じ男にしては痩せていて華奢に思えた。

 

 

 

けれども器用でいて、

強くて傲慢で酷くワガママな彼が、ときおり平次が思いもしないような頼りなげな面を見せる時、

どうしようもない想いが

恋情が、胸の奥底から込み上げてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

工藤新一という、ただ独りの存在を。

この胸に抱き締め、存在を確かめたくなるのはそんな時だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日、外暑かっただろ? で、おまえがいない間に屋根裏掃除したらこれ見付けてさ。そのまま置いとくのも何だし、」

「・・・・・何だし、って、これヴェネチアングラスか? 相当な年代物に思えるんやけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

蛇口から汲んだ、なみなみとした水のたゆたうコップは涼しげだ。

 

 

 

 

包丁を動かしながらさらりと解説を述べる、新一。

受け取りながら平次が問うと、

シャツから覗いた褐色の腕にそれを渡した新一は相変わらず天使のように綺麗な貌をして、にやりと笑う。

 

 

チョコレートブラウンのその瞳を、眇め。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヴェネチアングラスじゃねぇよ。プロテスタント教会の聖餐に使う、聖杯」

「は?」

「緻密だけど、金工細工の大きさからして15世紀後半モノだな。美術的にいえば、ちょうどルネサンスってあたり。画家のパトロンに王侯がついてた頃かな」

「―――――ちょい待ち。工藤」

「何だよ」

「・・・・その聖杯に。いまオレが買ってきた紅茶をいれろ、て?」

 

 

「夏はやっぱ楽しみがなくちゃな。・・・―――――――けっこうカンジが出ていいだろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会話しながらも食事の用意を続ける新一の答えは、至極あっさりとしていた。

 

 

確かに、飲み物を入れるという用途に於いては、

ほぼ遜色がない。

と言うか、まったく変わりない。

敬虔でもなければあまり社会で言う常識的な物事に拘らない彼らしい、と言えば実に彼らしい考えだった。

 

 

 

 

 

「まあ、本来なら対になる筈の聖皿はなかったんだけどね、」

 

 

 

 

 

嘯く唇が、独り言のようについと動く。

 

 

「え?」

「・・・・何でもねぇよ」

 

 

それを目にすると、平次は未だ口もつけていない水が踊るグラスを持ったままテーブルの上をあらためて見詰める。

其処には、

キラキラと黄金色の耀きを放つ、ごくシンプルな造りの葡萄酒入れ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・ふぅん」

 

 

 

 

 

 

 

 

平次の唇から、感嘆とも溜め息ともつかない声が洩れる。

骨張った掌で長い指先を顎に充て、

ダイニングテーブルに置かれた杯を斜視に覗き込むとそこに映るのは精悍であり、端正だとも言われる自分の貌。

 

 

彼の母親の趣味だろう、青くくねるヴェールの中から顔を出した豪奢な杯からは、

僅かにだけ、

屋根裏の黴臭い匂いがした。

 

 

 

 

 

 

「―――――・・・この布に包んであったん?」

「そ。こういうの好きだからな、あのひと。オークションあたりで競り落としたのを、骨董商から買ってそのまま、って感じだな」

 

 

 

 

 

 

慣れているのか、事もなげに新一はそう言い聖杯の頚部を指先で掬う。

 

目線の高さ迄掲げ、

真夏でも冷たい台座の部分に唇を寄せると、その瞬間見せた表情の艶やかさに平次の視線が釘付けになる。

夏でも触れると冷たさを感じるのは、

彼の唇も同じだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聖杯-Kelche-は、身体の隠喩であるパンとともに、キリストの血に見立てた葡萄酒を祭司が口に含む際に使うだろ?」

「へえ、工藤もそんなんしたくなったんか?」

揶揄かう平次の声を受けて、

けれども新一は口角を引き上げると掌に収められた聖杯の口を指でつい、と拭って机上へと置いた。

 

 

 

「まあね。・・・・けど」

 

 

 

振り返った途端、変わった雰囲気と

瞳の奥にちらついた眼光。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「工藤?」

「――――――いまはやめとく。それより、これひとつしかねぇけど。アイスティいれて楽しもうぜ?」

「・・・・は。過去の敬虔より、いまの主は現世の慾か」

 

 

 

 

平次が苦笑混じりに呟くと、

怜悧な相貌に意地の悪い表情を浮かべ、この屋敷の聖杯と目の前にいる男の主は喉元から声をたてて楽しげに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪かったな。現在の使用人。」

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

風呂場へと行き、馴染んだ手つきで湯船いっぱいに湯を張り巡らせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

キッチンへ戻ると、新一がお茶の時間を愉しむため製氷機に氷をつくりに地下室へと下りていた。

誰もいないシンクを目にして、

平次が微笑む。

 

それから、浅黒い腕がコンビニの買い物袋から傍らのテーブルの上に出したのは、

真夏になりつつある暑さに

既にぬるくなりかけの、冷紅茶で。

 

 

 

 

それは新一の好きなブランドが淹れて発売している、限定品の紅茶だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・内緒な。工藤」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呟いた影身が、クロスの上に置き去られたままの聖杯へと腕を延ばす。

 

泣きたくなるほど本当に。

ほんとうに、何処までも自分は新一に甘い。

 

 

 

 

 

 

細工の施された細い頚をそっと持ち上げると、

会話の途中、彼が先刻キスした場所の隣に恭しく唇を寄せ、蝉時雨の鳴く中誓約の証しを捺した。

それは、誰にでもない。

自分だけのひそやかな聖痕ではあるのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞳を閉じて。

 

 

誰にも、気付かれないように。

 

 

 

 

Fin.

In  Another Summer Story?/20050709up*