★ 眠りの魔法 ★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベッドで壁を背に読書に耽っていたら、ケータイが振動した。

傍らの光、は―まるで冬の蛍だ。

 

 

 

「――――何だよ」

 

フロリングに行儀悪く置いていたマグを取り上げ、サイドに坐り直せば子どもの頃から

遣っていたスプリングがきしりと軋む。

確信犯だろう、寝しなを狙ったのなら最高のタイミングだ。

『久し振りやな』

男の、声。渇いたそれには、けれど独特の音色に覚えがある。

「・・・・・・そんな、久々な感じしないけど」

服部、と口にしようとして結局やめた。それは会話している男の名前だ。

名乗りはその名前を持つ者の声で直接聴くから、面白い。

『・・・・おい。く、』

「まあいいや。用事は、何?」

重ねて促した応えは努めて平素のそれを装う。

然し、震えた心臓に呼吸することを一瞬忘れたから、絞り出したような声音が掠れたこ

とに電波の向こうのあいつは気付いただろうか。

・・・自分では知らないふりくらい、幾らでも出来るけれど。

 

 

 

 

 

クリアではない電波が、もどかしい。

少し唇を咬んで俯けば存外おかしそうな笑い声が聞こえてきた。

 

 

『こらまたご挨拶やな。定期便やで、とゆうてもオレからは1週間ぶりか』

「こっちからもかけた覚えないけどね」

 シビアに返すと、僅か沈黙が落ちた。

 

『・・・怒っとる?』

 おそるおそる、といったお伺いに溜飲が下がる思いがする。

 身に覚えでもあるのだろうか、試合続きで我儘も効かないと愚痴は言っていたけれど。

 だが、それではまだ―足りない。

「全然」

『工藤がそうゆうときは怒っとる、て言うんや』

「違うだろ」

『違わへん』

「・・・そうかな」

『せや』

最初伺うように思えた口調は、いつしかむずがる子どもをあやすようなそれに変わる。

同時に纏う雰囲気は真面目さを増してくる―少し、息苦しい。

いや、熱いのだろうか。

 

眩暈がするほど。

 

 

「それより、もう眠いんだけど―――」

 

 

目を擦りながらマグの中身をひとくち呷る。褐色のかたまり。

 陶器のそれを両手で包み込み小耳にケータイを挟んではみたが、どうにも眠い。

 

『何や、こない早くにもう寝るんか』

「不満でも?」

 勝ち気に口角を上げれば、電話口の相手は途端黙った。

「何?」

『・・・いや』

 この眠り姫、という単語が低めた声の向こうで呟かれた気もしたが、すべて聞こえなか

ったことにする。今夜くらいは、せめて睡魔に誘われるまま寝すみたかった。

「だって、もう眠くて眠くてどうしようも――――・・・」

『そない寝るてゆわれても―――あ、』

 まだ用事終わらせてへんし、と向こうで口篭もるのが聴こえた。

「? なに、はっと・・・」

『工藤、まさかフィンランド産のサンタを信じてるとか・・・・・』

「切るぞ」

 その白い髭面の爺さんには、幼馴染の買い物に付き合わされた昨日とっくに逢っている。

オープンカフェでお茶をしていたら、長い黒髪をなびかせた彼女が子ども達にキャンデ

ィを手渡している好々爺を見付け、何故か仲良くデジカメに収まる羽目になった。

 

 10年前ならばまだしも。

あまり手放しでは歓べない年齢となっていたから、心中複雑なことこの上ない。

 

 

『うわ、ちょお待ち! 相変わらずやな、メリクリくらい言わせてくれてもいいやろ』

「・・・ああ」

 

 

覚えてたんだ、と言う言葉はぎりぎりで呑み込んだ。

サイドの置き時計を見れば、あと7分でリミットを切ろうとしていた。

 

 

 

窓の外を振り仰げば、三日月。

 

 

 

 

 

 

 

喉の奥で押し殺した笑いは、同じ空を見ているだろうあいつに聴こえただろうか。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

冬だけれど、きっと彼の地にも雪は積もってはいまい。

 

 

 

つと携帯が雑音を拾ってしまうのは、庭に枝を広げる樅の木の所為だろう。

生憎とこちらも降雪のない夜だが、接木した足もとの樅の子どもには、星のかたちを

した黄金色のオーナメントがふわり載っている。

その傍らで白い綿帽子が遊ぶ天辺を飾っている、その様は酷く幻想的で綺麗な光景だ。

 

 今夜は、聖なる夜だ。

 けれど逢うことは叶わない。

 

 

 

 まさか、声も聴けると思ってなかった。

 

『元気か。工藤』

 あらためて問われて、どう応えようか迷ったのだ。言葉がカタチ造れずに。

 

逡巡した答えは、だから―――。

「ああ、生きてたんだ。よかったな」

『――は』

 日常から成る丈離れないように、ただそれだけ。

「この間貸したハードカバー。つっても、もう2ヶ月前のだけどさ。おまえの部屋に置き

っ放しにされると、この季節は窓からの湿度で傷みそうだから心配してたんだよ」

結露のことを言っているのか。

新一の会話は澱みなく、思うことを際なく話しているように聴こえる。

確かに、平次の実家は広い日本庭園だから、それに面した自室の湿度コントロールは難

しい部類に入るだろう。冬ならば、尚更。

 

『・・・あれは、』

「ん?」

 

だから思わず口を衝いて出た。

 

電話の相手は柔らかく訊き返す、少なくともそうした―ように、思えた。

勿論、電波を通しているのだから、実際に彼と接している訳ではなくその表情や唇の動き

までは追えない。

だが、新一は綺麗な笑みを湛えている気がした。

なぜだろう、平次には離れていても確信があった。

 

 

『・・・ちゃんとファンヒーター遣うてるから、傷めたりはせえへん思うで。オレも大事にして

読んどるし』

「ふうん。試合ばっかで忙しい、ってのもあながち嘘じゃないんだな」

独り言のように、ぽつりと新一が呟く。

『? 何でそない思うん?』

 訊けば、好物の推理を紐解くように当然、といった響きの答えが満足げに返ってきた。

「・・・・・・だって、おまえオレが貸した推理小説をラストまで読む暇がないほど、余裕がなかっ

たってことだろ?」

 殺し文句を、こうもさらりと口にする新一にいつも自分は恋焦がれる。

 

『―――――・・・工藤、いま何か飲んでる?』

 会話の合間に息を吐くのは、読書の相伴を何がしか傍らにしている所為だろう。

「・・・・・・は。意味わかんな、」

『ええから』

 

 促してやると、諦めたように携帯を握りなおした新一が溜め息を吐いた。

 

 

 

「ホワイト・チョコレート・モカだけど」

『そか。そしたら、借りた本の御礼や。明日オレが持ってったるから楽しみにしとき』

「へ」

『ホワイトチョコは、工藤が好きな輸入雑貨屋のでええんやろ?』

「――」

 

 

 

 

『工藤?』

「――――――・・・眠り姫の魔法、ね。オレをチョコより甘くするのは苦労するぞ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『そんなん、』

 願ったりや、と言って向こう側の声が嬉しそうに笑う。

 

 

 空を見上げれば、ちょうど魔法の切れる時間だ。

 あんなに眠りを欲しがった身体は―――――まるで、嘘のように軽い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうせ喰われるのなら、喰らってみるのもいいだろう。

 

 辛いのなら、こちらから時間をかけて甘くするだけだ。

その手から受け取るチョコレートに思いを馳せ、滲み出る甘さを味わうのも理に叶って

いるように思えた。それは、決して口にはしないのだけれど。

 

 

 

交わされた会話に喩えようのない渇きを覚え、マグカップの中身を口にする。

 

 

 

 

 

 

 

「――ん、」

流し込まれてゆく、チョコレート色の物体。

 

 

 

寝しなの甘やかであたたかなかたまりは、ほどよく喉を潤してくれた。

 

 

Fin.

For Winter novels2005.12.30up*