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サッカー観戦

ローマ・ダービーの夜(2001・4・29)

 

 サッカーセリエAの首位を行く「ASローマ」と、2000年のチャンピオンで現在3位につけている「ラツィオ」の対決が、2001年4月29日の夜8時半から行われた。ASローマは、日本代表の中田英寿が所属するチームで、日本でもすっかりお馴染みだ。一方のラツィオは、ASローマと同じくローマを本拠地とする強豪チームだ。人気実力ともに文句なしの2チームが、ローマのスタジオ・オリンピコで激突する。もともとラツィオファンの私は、この試合の1週間前くらいから落ち着きをすっかり失っていた。ローマっ子たちが、通り、レストラン、バールなどでサッカー談義をしていると耳をすまし、熱気を帯びた連日のテレビ報道を見ると、胸がドキドキしていた。

 そして、ついに決戦の日がやってきた。ラツィオ側のサポーター席、それも中央ど真ん中の席で観戦することになった。本当はもっと前方の席のはずだけれど、サポーター席は足の踏み場がないほど前列から埋め尽くされていた。それでもチケットを手にしていると、「その席はもっと前だよ」と言って通してくれる。もみくちゃにされながら、前の方へ体ごと送られて行った。どうにか空きスペースに体がおさまったという感じだ。それが試合開始の1時間半前。

 すでに派手な応援合戦が始まっていた。その時から立ちっぱなしだ。トイレに行こうものなら、2度と同じ席には戻って来られないだろう。当然物売りも来ない。サポーターたちと一緒に戦うしかないのだ。7時から、試合終了時間の10時15分まで。

 ところが、周囲の人たちが私を見て「ジャッポネーゼ」と叫び、ジロジロ見る。日本人は全員中田ファンだと彼らは思っているようだ。もし、中田がスターティグメンバーに加わっていて、前回の試合のように得点でもしたら、過激なサポーターが私をボコボコにするかもしれない。彼らの鋭い視線が、そのことを語っているような気がした。しかし、そこはおしゃべりなイタリア人たち。「ちょっと、サポーターグッズ持って来た?」と聞いてきた。私は「持っていないけれど、ラツィオのヴェロンのファンよ」と答える。「良かった」と言ったのは25歳くらいのイタリア人女性だった。何とか仲間に入れてもらえそうだ。

 それからが忙しい。雄叫びを上げ、イスの上に立ち上がって、応援しまくらなければならない。ラツィオの白い帽子をかぶせられ、首の所がくりぬかれた紺色のビニール袋をかぶるように言われた。斜め前に立っている女の子が私のほうに振り向き、ラツィオのスカーフを貸してくれた。「首に巻いておくように」と。帽子とビニール袋は客席のファンが送るメッセージなのだ。遠くからは人文字のように見える。ローマ側は凝っていて美しかった。ローマのチームカラーのレンガ色とイタリア国旗をもじっていた。ラツィオ側は「MERDA(クソ)」。あまり品のよくない言葉だ。ローマ側にどう見えているのかわかりかねた。

 試合の結果は2対2の引き分け。ところが最後の得点シーンは見ずじまいで、スタジオから脱出せざるを得なかった。私が危険を察知したのは、試合終了5分前。私の背後を1人、2人と帰る人が現れたからだ。この時がタイムリミットらしい。私もミネラルウオーターとパニーニを手に持ったまま、「ペルメッソ」と声をかけながら出口の方へ。そして、びっくり。通路には発煙筒がモクモクとたかれていて、長い棒を持ったフーリガンらしき若者が待ち構えているではないか。トイレからはモクモクと煙が立ちのぼっている。 目が痛い。息が苦しい。出口に向かうと、機動隊が待機している。カラビニエーリ(軍警察)が「そこのラツィオ・サポーター、ビニールの服を脱げ」と叫ぶ。私と同じように早目に出てきた一般市民は、みんな一目散に建物を取り囲む柵に向かっている。私もゼッケン型の袋を破って脱ぎ捨てながら、全速力でそこに向かって走った。どこでもいい、スタジオ・オリンピコから離れなければ、と。身の安全を確保するには、それしかない。本能的に走っていた。一般市民たちは、オートバイや車の駐車場に向かった。私は遠回りして路面電車の駅「マンチーニ広場」に辿り着いた。ここから電車に飛び乗って、3つ目の駅で下車。実はこの決戦に向けて、スタジオの近くに4日前から泊まっていたのだ。 その夜は興奮して、朝方近くまで眠れなかった。体中がワナワナしていた。発煙筒の煙を吸ったために胸が痛い。そう言えば、ハーフタイムの15分間しか座っていない。試合中はサポーター席で、バーンと爆竹が次々に爆発した。フィールドに届く前に、客席で爆発してしまうのだ。10mくらい離れた席でさかんに鳴っていた。近くにいた人たちは、鼓膜が破れなかったか、サポーターたちは騒ぎに巻き込まれてケガをしなかっただろうか。ラツィオ・サポーターとして熱く戦った初日だった。

 

ミラノ・ダービーはチケット争奪戦から

 

 ついにミラノ・ダービーを見た。4−2でACミランが勝った。インテルのセードルフのプレーがすごい。ピンポイントのパスが速かった。あとはサネッティ、ディ・ビアッジョ、マテラッツィが光った試合だった。ミランはシェフチェンコにボールが渡ると、インテルのディフェンスが誰も動けない状態になる。追いつけなくて、シェフチェンコを見送るだけ。ルイ・コスタが縦横無尽にゴール前を引っかき回すのもすごかったけれど、インザーギがカモシカのように前方突破をはかるのも見応えがあった。サポーター席で見ていると、遠くにいたはずのシェフチェンコやインザーギが、突然目の前に現れるようだった。

 インテルの試合を実際に見ると、相手がどこのチームであっても、インテルに惚れてしまう。9月に「パルマ・インテル戦」を見に行った時もそうだった。しっかり中田を応援しているつもりが、インテルというチームに心を奪われてしまう。それほど迫力のあるゲーム展開をするチームだ。

 ミラノの人気チーム同士が戦う「ミラノ・ダービー」を見る前が大変だった。ローマを出発したのは、試合前日の金曜日。チケットオフィスでは、チケットはすべて売り切れだった。 「サン・シーロのスタジアムまで行って、ダフ屋から買うんだな。電話してやろうか」 「いいです。今から行きますから」

 チケットオフィスでこんなやりとりをするなんて。結局サン・シーロの近くまで行って、2人組の若い男性からチケットを買った。

 試合当日、長蛇の列に並び「ヴェルデ」というゲートを通過した。その後、客席別に入る入口で係員につかまった。

 「このチケットは、ニセモノだ」 「エッ、そんなバカな」 「どこで買った? もう一度チケットを買ってから入りなさい」 「わかりました」

 このやり取りの後、その入口から遠ざかった。そして、別の入口に向かった。螺旋階段をせっせと昇り、サポーター席に回ったのだ。もう一度チケットを提示してダメなら、外階段から歓声だけでも味わおうと思っていた。

 サポーターたちと一緒に階段を昇りながら、「すでにスタジオ内に私はいるのだから、わざわざ出ることはないでしょう」と気が大きくなっていった。幸いチケットをチェックする係の人がいなかった。ダービーマッチでは、正規のチケットをもっていても、自分の席に辿り着くことは不可能なのだ。そのことがわかっていたので、サポーター席の階段の真ん中あたりで立って見ることにした。

 隣に立っている高校生くらいの男の子が、携帯電話で話している。 「マンマ! ボクの姿がテレビに映っていない? ほら、ここだよ。手を振っているのが見えるだろう」

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