四季 2009年

オスヴァルト・シュペングラーは、こんなことを言った。古代ギリシャ・ローマ時代は、自分たちが滅びていくことを知らないまま、
滅びていったと。それゆえに、一日一日を楽しんでいたし、最後の日々でさえ、神様からの贈りもののように感じられただろうと。

私たちに与えられた贈りものは、運命を知るということだ。彼が言うには、私たちの文明は、死んでいくときにはその自覚があり、
徐々に衰退していく過程は、まるで熟練した医師に見守られる患者のようだと。

自然が満たす窓。

彼らがこの町や村で最後の人たちなのは、あきらかだ。彼らがいなくなったら、ここは森になる。

この家には、この夏の終わりまでおばあさんが住んでいた。おばあさんが亡くなって、家には誰もいなくなったけれど、そっくりこのまま残っている。これからしばらくの間、幽霊屋敷と呼ばれるだろう。

黄金の秋と呼ぶ季節。

よく目をこらして見てみると、窓べに何かハロウィンのキャラクターが立っているように見える。
こんなへんぴな村に、誰もいるはずがない。枯れたびょう釘だ。

このキノコは、原爆のキノコ雲のミニチュアみたい。

なぜチェルノブイリに人が留まるのか? その理由は、この見捨てられた土地に、いずれ人々が戻ってくるという希望だ。
チェルノブイリの各所を旅しながら、ここに住む人々から聞く話は、いつも同じ。

この土地は既に売り切れているとか、修道僧たちがすぐにでもこの地域に人を増やそうとしているとか、
政府は新しい都市計画を立てているとか、放射能は無くなったよとか。。。

私が見たのは、人々が現実を見る代わりに、希望を持っていること。
そして、現実とは、生命への希望とはますます共存できないものなのだ、ということ。

この場所に来るたびに、一八世紀以来のこの教会に誰も来なくなってから、どれだけの時が経つのだろうか、
とたたずんでいたものだ。

けど、悲しいことに、もう、この教会は無くなってしまった。…落雷で焼けたのだ。